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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その22

ハイドレインジャ
〜第2部その22

如法寺は807年(大同2年)徳一によって創建されたという。徳一は藤原仲麻呂=恵美押勝の末っ子とされているが、定かではないらしい。けれども、最澄と論争し合い、空海にも一目置かれた法相宗の僧が、出自不明というのも不思議であって、やはり高貴な生まれだったのは疑いない。

徳一は會津に慧日寺や如法寺、勝常寺、円蔵寺などを創建し、仏都會津とも呼ばれるほどの信仰と仏教文化を広めた。前年の大同元年(806年)には會津磐梯山が噴火している。そのことも徳一が會津を根拠にした理由の一つだろうか。

時代は奈良時代が終わり、聖武天皇の治世であり、彼は坂上田村麻呂を東北へ派遣し、アテルイなどが率いる「蝦夷」を何度も攻撃した。會津ばかりでなく東北の寺社は大同2年創建とされるものが多く、また京都(みやこ)でも田村麻呂が清水寺を建立したのは大同2年だ。よほど多くの蝦夷を殺し、また部下を死なせた罪を贖いたかったか。

寺社建立は征服地において、戦で散った者たちの魂を鎮める意味はもちろん覇者=中央政府の権威の象徴でもあったろう。


俺は幼稚園の頃、初めて如法寺を遠足で訪れた。幼稚園児にはなかなかつらい登坂がある。それでも頑張って登った。記念写真がある。以降、幼なじみたちと何度も足を運んだ。寺前の茶屋で出される心太がすさまじく美味であった。

父はN町の文化財調査や保存にも社会教育専門の公務員として力を尽くした。ゆえに如法寺住職とも馴染みで、またもしかするとその住職さんよりも寺の歴史には詳しいくらいだった。

父によると、如法寺は1611年(慶長16年)の會津地震で甚大な被害を受けたのだが、俺と凛が行ったばかりの熊野神社共々、岡半兵衛がすぐに再建に乗り出したと言うのだ。柳津の円蔵寺虚空蔵堂再建が6年かかったところで、如法寺「観音堂(執金剛堂だったという説あり)」はたった2年だった。

これは不思議なことだ。と言うのも、前に書いたとおり、蒲生家二代の秀行の妻で家康の三女振姫(正清院)こそこの大地震による寺社仏閣の早期再建を主張し、いいや民生こそ先に再建だとした半兵衛と対立したと言う説があるからだ。実際、今は喜多方市内となっている慶徳地区や岩月地区が、地震により堰き止められた河川が溢れ、湖のようになって、甚大な被害を受けたのだが、その救済と河川や道路改修に半兵衛は尽力した。特にその道路改修では越後街道が再びの災害に襲われぬよう喜多方の岩月地区から高寺までが廃止、代わりに會津坂下を通るルートへと移された。そのおかげで坂下は會津若松に最も近い宿駅となり、繁栄した。今でも越後街道=国道49号線は會津若松から西進すると會津坂下を通る。喜多方は「2桁国道」から外れたままなのだ(會津若松から喜多方へは121号線でつながる)。

なお、この喜多方慶徳地区には磐越西線が通るが、その阿賀野川水系濁川に架かる鉄橋が台風被害で2022年崩落してしまった。この川は會津盆地に普段は恵みをもたすが、時に牙を剥く。大昔からそうなのだ。

話が逸れたが、岡半兵衛がなぜN町の如法寺と熊野神社修理再建だけは急いだのか。


起床して朝食という段で、佐竹さんは俺と凛をニヤニヤ笑いながら見つめて、昨夜は艶かしい音が聞こえてこっちはなかなか眠れなかったと言った。俺は自分が年寄りになったことを時々忘れる。そしてそれを思い出させられるとただただ恥じ入るのだ。<あっちの話>であれば尚更で、俺は消え入りそうになった。

「いいんでねぇの、野澤さん。」

佐竹さんは快活に言った。

「羨ましいワイ。オラはもう80過ぎただ。まるっきしダメだ、そっちは。」

凛も赤面して、縮こまっている。

「若い嫁さまもらって、まあ、羨望の的だワイ。」

「若くなんてありませんから。」

凛が恥ずかしそうに反論する。

「奥さんは東京の人ガイ?」

「はい。」

「東京のどゴ?」

「世田谷区です。」

「世田谷?世田谷のどゴ。」

「成城です。」

「あらッ!有名人がいっぺ住んでるどゴだべした。いやいや、どうも!」

佐竹さんは俺たちの前におかずが10もある朝食の膳を置いて、

「お二人は、なんだい、結婚の報告でこっちに来らったのガイ」

と言った。

「ええ、まあ、それもありつつ。」

俺は答える。

「野澤さんの墓所は常楽寺だべした。」

「はい。」

「んじゃここ如法寺には?」

「この寺の檀家ではないですけれど、N町民にとってはこのお寺は檀家かそうでないかは関係なく、町全体の鎮護をしてくださるお寺ですからね、来ないわけにはいかないですよ。」

「そうだナイ。」

佐竹さんは鉢巻を取って、隣のテーブルに座り、自分にもお茶を注いで飲み始めた。

「野澤さんの亡くなったお父上ナイ、まあ、よ〜ぐこゴさ来らったもんだ。調査でナイ。本堂の天井裏に執金剛神(しゅこんごうじん)像を見っけだの、野澤さんのおとっつぁまでねガったっけ?」

「ああ。それを見つけたときの調査にはいたみたいですが、発見したのは確か福島県の調査員だった大学の先生だったんじゃなかったでしたっけ。」

「あ、そうガイ。あんな尊い仏像を天井裏に匿すようにしてだってぇのは不思議な話だナイってお父上と立ち話したもんだ。」

「そうですか。」

「聞ぐどゴろ、岡<野>半兵衛が大いにその仁王様(=執金剛神)敬ったつぅゴどだったナイ。」

「ああ、岡半兵衛ないしは岡野半兵衛ですね。」

「そうそう。會津地震の2年後如法寺修復再建のどぎ、『大檀那』どして岡野半兵衛が『慶長棟札』に名を残してんぞナイ。」

「お詳しいですね。」

「いやさ、このお寺様のおガげで食わひ(=せ)でもらってっからナイ。それなりお寺のゴどは知っていねぇどナイ。」

「なるほど。」

俺もその日の難を防ぐという朝の茶を啜った。

「実はその岡野半兵衛のことをより知りたくて来たんです。」

「ほお。そうガい。」

佐竹さんは腕を組んで、興味津々といった態度を見せた。


(つづく)




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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その21

ハイドレインジャ
〜第2部その21

俺は善行も悪行も<記録>されると思っている。
人のこの世での行為の積み重ねはしっかり残るのだ。

どこに記録され、誰が記録するというのかと思われるだろう。これまでこの地球に生きてきた百億をゆうに超える人々の一人ひとりの行いを見て記録する<主体>はむろん超人的、いや、そんな言葉では足りないほど強大な存在であり、神と言っても仏と言ってもいい。この宇宙は、そこに在る全ての存在は、その神や仏の夢の中なのだ。

「ユニバース」ならぬ「マルチバース」という概念が宇宙論に登場してきてもうかなり久しい。その考え方は百花繚乱で、その宇宙論の多数さこそまさにマルチバースだ。

科学的なマルチバース概念は措いて、仏教では、仏陀ひとりにひとつの宇宙がある。この宇宙には仏陀はひとりしかいないのだ。もし悟りを開く新たな仏陀が登場するなら、その仏陀は新たな宇宙を同時に開いているのだ。これを「一世界一仏」と言う。

その仏陀が、己の宇宙でのすべての行い=諸行を収攬しているのだ。
むろん(!)そこに存在するすべてが輪廻する。循環する、と言ってもいい。
その輪廻・循環の際に、善行と悪行が<審査>される。ある魂=意識は、仏陀にとって善いものなら善い存在へと転生させられる。悪いものなら<弾かれる>。弾かれて何になるかは俺には分からないが、きっと成れてうれしいものではなかろうと思う。そういう存在に落ちぶれて、さらに魂を磨くしかないのだ。仏陀はそう期待する。あるいは命じる。

因果応報論だろうと言われればそのとおりだ。ずいぶん幼稚な考え方とも言われるかもしれない。しかし、仏にとって善い行いを積み重ねてきた者が報われないではこの世は成り立たない。また悪い行いを積み重ねてきた者が懲罰を受けなければこの世は闇に過ぎる。

「お天道様が見ていらっしゃる」とは、俺も祖母や母に言われたものだが、その「お天道様』が仏陀なのだ。祖母や母など、素朴に信じた超越者の目を、くだらないと思う人は思えばいい。


ーそんなことを俺は凛に如法寺に隣り合う蕎麦茶屋で蕎麦を啜りながら話した。

凛はカルヴァン主義のいわゆる「予定説」、つまり神は最初から救う人間を決めており、今世での善行悪行も関係はないとする説のことを言い、それが結局資本主義を発達させたというヴェーバーの説も口にした。俺はさすがにそのことは知っていたので、すぐに凛に「聖公会の信者である、あるいはだった君はどう思うのか」と訊いた。

「私は聖公会でも『ハイ・チャーチ』、つまりよりカトリックに近い方の信徒だったから、カルヴァンの予定説には与しなかったわ。」

凛はほうじ茶を飲みながら言った。

「カトリックは予定説を否定しているの。」

「そうみたいだね。」

「ユウが話してくれた『一世界一仏』の考えから言えるのは、仏陀が創り出した、あるいは夢見ている、私たちにとっては仏陀の仮想現実の世界に生きているっていうことになるかしら。まるで量子論から生まれた仮説とそっくりなんだけれど。」

「ああ、そうなんだよね。」

「そこでね、仏陀にとっての『善い・悪い』はどういうことなの?」

「俺は極めてシンプルだと思っている。」

「ん?」

「さっき祖母や母が『お天道様が見てらっしゃる』と俺に言ったものだって話したじゃん。」

「ええ。」

「その祖母や母が言う善い・悪いでいいのだと。」

「Could you be more specific?」

「例えば幼い俺が蟻の行列を見て、踏み潰そうとしたとするでしょ。それを母や祖母が見ていたら、『アリさんにだって命があるんだがら、やめらんしょ』って言うのさ。『ユウがもしアリさんで、何も悪いごどしてなくて人に踏まっちゃら嫌だべ?』って。それってすごく納得なんだ。」

「そうね。」

「蟻は母や祖母に何らこの際は被害をもたらしていない。ところがこれが羽蟻で、大量に祖母や母に襲いかかったら祖母も母も俺が羽蟻を叩き殺すのを<悪い>とは言わない。そんな素朴な善悪の判断でいいと俺は思ってる。そんな羽蟻だって生き物で、命は尊いとまで言えて、羽蟻の為すがまま、集られても微動だにせずにいられるような覚醒者になんかなれっこないよ。

でもさ、トータルで、他の命を大切に思う行為が多かったら、たとえやむを得ず殺生をすることがあっても圧倒的に少なければきっと<いい>んだと思うんだ。やむを得ず殺生するときも、ごめんねって思っていればなお<いい>。いや、やさしい人間なら、そう思っているに違いないんだけど。」

「なるほど。そしてトータルで善行の多い人間は仏陀に救われるの?」

「まあ、輪廻して、また魂磨きなさい、菩薩を目指しなさいってなるのかな。」

「仏陀には成れない?」

「成ったら新しい宇宙の主だよ。」

「そっか。仏陀がいっぱいの宇宙こそmultiverseなのね、紫陽花のような。」

俺と凛は蕎麦茶屋の佐竹さんに「おいしかった、ご馳走さまでした」と言い、もう夜の帷も降りていたし、その茶屋に泊めてもらえるか尋ねると佐竹さんは快諾してくれた。


(つづく)




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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その20

ハイドレインジャ
〜第2部その20

クルマに乗ってから俺はなぜ凛共々懐かしさを覚えたのかについて話した。

「やはり近江からの縁に違いないんだ。俺は日野へ行って確信したよ。近江八幡から竜王町を経由しての道中、懐かしいって想いが湧き上がってきてね。いちいち風景が慕わしい、懐かしい。母方の伯父が西光寺の過去帳を調べ、蒲生氏郷ないしは石田三成ゆかりの近江人が祖先の一人となっていることが分かっているんだ。」

「私の場合はもう話したとおり、奥州藤原氏と近江から招聘した鋳物師がつながって、そしてユウのおばあさまがおっしゃるには、今は福島県伊達市の霊山で修験者との縁も祖先は結んでいるのね。さらにね、蒲生家は藤原秀郷の血筋でしょ?奥州藤原氏もそうなのよ。」

「大百足を退治し、さらには平将門を討った俵(田原)藤太=藤原秀郷の子孫は本当に多いね。仮冒も多かろうけれど。秀郷は下野大掾の息子だったし、坂東の人ではあったろうけれど、ムカデを射(い)殺したのは近江の瀬田の唐橋だしね。

俺たちの話は、みんな近江に収束していくね。」

「ええ。そしてその近江にまつわる人たちは私たちを出会わせて、私たち二人に何かをしてもらいたいのかしら。」


上野尻から国道49号線を東進、すぐに例の蛇女の棲んだという芹沼を通過する。

「こちらの小笹さん、そしてその母の大蛇の話は、中野のと比べるとより象徴的だね。」

俺は右手に「芹沼」という標識をチラッと見つつ言った。

「大百足が男性の私利私欲の化身だって言うんだから。そしてその私利私欲から為された悪業が、なんと身近な女性に報いとなって降りかかり、女性は蛇に化身するって。」

「女はつらいよ、だわよね。」

凛がポツリと言った。

「欧米では今や男尊女卑などほとんどあり得ない世になっているけれど、暴力についてはどうしたって大抵の場合は男が勝るし、男の<装置>だわ。」

「ああ。」

「今室町期のことが多く語られているけれど、16世紀イギリスはヘンリー8世の統治下で、この王様は本当にしたい放題の、大百足だったとしか私には言いようがないわ。」

「ああ、6人妃を得た好色一代男か。」

「ええ。私はAnglican ChurchでHannahの教名をもらったけれど、この教会こそヘンリー8世がキャサリン王妃からアン・ブーリンに<乗り換える>ためにカトリック教会から分離させたものだからね。」

「ああ。俺は受験科目は日本史だったけれど、そのことはさすがに知ってるよ。」

「それに比べ氏郷様は戦国武将の中では本当に珍しく側室を持たなかったのよね。」

「そうなんだよ。それってなかなかできることじゃないよね、当時の戦国武将の<常識>として。秀吉、甥の関白秀次、家康・・・全員側室の数は2桁だ。ヘンリー8世なんて奥さん6人なら、まあ、大したことないか。」

「英国国教会を自らつくったとは云え、ヘンリー8世はカトリックの教えは、離婚禁止は除いて、守っていたらしいわ。それでもアン・ブーリンとその関係者の男性5人を姦通罪や近親相姦罪で処刑したのは残酷なことだったわね。」

「ああ。秀吉さんも、甥っ子秀次を関白にまでさせて豊臣体制盤石を図りつつ、息子秀頼が生まれてからは両者ギクシャクして、とうとう謀叛の疑いをかけて甥っ子とその妻、側室、子ども、家来らを皆殺しにした。秀吉の怒りの一つに、彼が見初めていた公家で従一位・右大臣の今出川晴季の娘を秀次に取られたというのもあるらしいって。その娘も秀吉に殺された。」

「好色な男性の権力欲・・・恐ろしいわね。みんな大百足ね。」

「秀次切腹事件には、石田三成の讒言があったと言う説もある。石田三成は、これから俺たちが訪ねる・・・まあ、会ってくれるかわからないけど、岡半兵衛と大いに関わりがある。半兵衛の妻は石田三成の次女で小石殿という。三成も近江人、長浜の人だ。」


クルマはN町のバイパスに入り、間もなく右折して通称「大久保街道」を行く。中地橋を渡り、左手に長岡藩士2名の首塚があったところを見ながら、「雷山」のワインディング・ロードを上り、少しして如法寺に着いた。


(つづく)




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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その19

ハイドレインジャ
〜第2部その19

「そ、それは、もちろんあの中野長者・鈴木九郎氏の娘さんではない・・・ですよね?」

俺は呆然唖然とする凛を横目に言った。
シャドーイングが不可能になっている凛を慮ってか、蒲生氏郷はいよいよ俺たちの前に幽かな面影を現してくれた。その容貌は国の重文となっているこの寺の宝である絵に写された顔と同じであった。これまで凛だけが意思を通じさせられ、俺にはできずにいた理由は何かと思いながら俺は頭を下げた。

「ユウ殿か。先だっては我が故郷日野へ来て下されたのぅ。」

「ははッ。」

「わしは信仰心厚い人間でのぅ。まあ、あの戦ばかりの世では、誰しもがすがるものがなくては到底生きて、そして死んでいくわけにはいかなかった。」

「ですから家康様は厭離穢土、欣求浄土と言われていたのですね。」

「そうじゃ。天下統一の夢は武将の野心、功名心からのものと思われてしまうところもあろう。確かにそういうのも少しはあった。我が主君信長様、そして太閤様も我欲がなかったとは到底言えぬし、家康殿も然り。わしとて臣下としてとは云え、手柄を立てることに功名心がなかったなどとは口が裂けても言えん。

しかしのぅ、ユウ殿、凛殿。あの頃の世は正に穢土、地獄のようであった。領主たちは我欲、疑心暗鬼、功名心に取り憑かれておった。領民たちもいつ何時他国の者から略奪や殺戮の限りを尽くされてしまうか、恐れる毎日だったのじゃ。だからみな、百姓も侍も、できるだけ強い領主を求めた。

ひとたび戦となれば、それはもう、酸鼻の極みじゃ。討死した者たちが無数に転がる光景に思いを致してほしい。首のない者、眉間を割られて鬼のような形相で息絶えている者、はらわたが出て、凄まじい異臭を放つ者、痛い痛いと死にきれず叫び、殺してくれと懇願する者。

ある国の侍の頂点に立った者は、功名心などを超えて、家臣家来、領国の民を守らねばと思わざるを得ないのじゃ。そのために、己の国力、軍事力を高め、日本全体を戦なき世にするがため覇者にならんとする者が出て来なければならなかった世のなのじゃよ。

わしはゆえに、神仏を尊んだ。信長様、秀吉様が戦なき世にしてくださるならと喜んで一命を賭したが、それでも殺されるのは怖いし、さらに我が命、我が一族、家臣家来、領民たちをお守りくだされと神仏を恃んだのじゃ。

そこでのー

わしはいわゆる『利休七哲』の一人で、その七人の名には異同があるけれど、わしと細川忠興だけは必ずその七哲に数えられるというくらいに利休様のご薫陶厚かった。そしてその七哲には高山右近と牧村利貞も入れられるのだが、この二人、切支丹であった。わしは特に高山殿から熱心な信仰のすすめをいただき、洗礼を受けた。わしが臨終の時も、高山殿がわしをカトリック信者として看取ってくださった。むろんわしも最期の懺悔をし、天国へ行けることを信じて旅立ったのじゃ。」

俺はここまで聴いていて、凛と最初に氏郷様が交信できたのは、宗派は違えど、クリスチャン同士のチャンネルがあったからかと思った。

「利休さまが太閤秀吉の怒りを買い腹を切らされた理由はいろいろと語られていますが、結局質素、素朴、質実を尊んだ茶の道をまるで理解しない成り上がり者が癇癪を起こしたということでしょうか。」

俺は分かったような口を利いた。

「茶人の質朴さ、清貧さは、カトリック修道士のたたずまいに共通するようなー」

「氏郷様ー」

凛が俺の<知ったか>をたしなめるかのように少し強い声調で元會津太守に呼びかけた。

「小笹さんのことです。中野長者・鈴木九郎という熊野神社神官の家の者が、建徳から永享年間に武蔵国で大変な富を築きました。」

「それはわしが生まれる百年以上も前のこと、また、わしは武蔵には関わりはありませぬゆえ・・・。」

「はい。ただ、その鈴木氏の娘さんが、あろうことか、父親の私利私欲を満たし尽くす悪業のせいで蛇になってしまうという酷い運命に遭います。その娘さんも小笹という名だったのです!」

「ほう。」

氏郷は頷いてからしばらく黙っていたが口を開いた。

「蛇身となる女性(にょしょう)なぞ世にあまたおりましょうぞ。何もすべての女性がそうだとは言い切れませぬが、夫の、父の私利私欲のため、あるいは父性原理で動く国家など集団の利害のために、蛇となってしまう女性は。」

凛と俺は固唾を呑んで聴く。

「そして男どもはその訳のわからなさに、恐怖に、慄くのじゃよ。そして悔いる。悔いて神仏に己の愚かさを赦してもらおうとする。その繰り返しなのじゃ。」

「分かります。」

俺は言った。

「Nスペというテレビー ご存じですか ーの番組を最近見ました。ウクライナとロシアという、互いがスラブという同じ民族が中心の国同士で凄惨な殺し合いを今しているのです、この21世紀の現代で、しかもヨーロッパという世界の先進地域で!ウクライナ兵の一人ひとりが父であり、夫であり、またつい最近までギタリストだったり、映像技師だったり、ジムのトレーナーだったりの、ごく普通の市民でした。なのに、ロシア人がウクライナ人を殺しに来ているのだから、やむ得ない、反撃するよりないと。家族のため、ウクライナという国家のため、殺人という昔の自分なら決してできなかったことを、ただゲームをするかのように、良心をまず殺して、やるよりないと言うのです。彼らはすでに戦場を経験し、身体や心に傷を負っているのにです!

同じことがロシア兵にも言えるのです。己の国の西にいる価値観が違うヨーロッパ人たちが自国を封じ込めにかかっている、ロシアの価値観が破壊されてしまうと言い、殺し殺される日々を送っているのです。」

「あるウクライナ兵の幼い娘が、父親が最前線へ向かう朝、パパ行かないでと泣きそうになって、それが甲斐ないことだと知るとー」

凛が俺の話を受けて言う。

「『わたし、ロシア人を見たら棒で叩き殺すんだ』と。すると彼女の父も母も、そんなことをしてはいけない、ウクライナが勝てば平和になるんだから、って娘を諭すんです。

そして最前線に着いた父親は手榴弾をつけたドローンを操作して、塹壕にいる直下のロシア兵を殺し、それを映像で確認して、『ボーン!やった!』と会心の笑み。その夜娘とTV電話して、娘に今日はどんな一日だったかと尋ねられ、いい日だったよって・・・。」

「そう、それが戦というものなのじゃよ、凛殿。デウスも止められはしない。」

「Leo」という洗礼名を持つ氏郷が応えた。

「殺し合う生き物、人間を創ったのも神のGrand Designなのですか?」

「それはわしは答えられぬ。」

氏郷が即答した。

「わしもおふたりの暮らす世から離れ、今、ある程度のことは知ったのじゃ、宇宙の謎、生命、存在の謎についてのぅ。しかし今この世で生きている者たちに他言はできぬ。してはならぬのじゃよ。それはあくまで、今生きる者たちの課題であるべきなのじゃ。

なにしろー」

氏郷は少し間をとって続ける。

「わしが西光寺で愛でた小笹は、大百足という愚かな男どもの私利私欲の象徴に食われそうになって、母の大蛇が御仏のご加護を頼んだのじゃ。」

「氏郷様はmulti-religiousな方なんですね。」

俺は言ってみた。

「ん?その南蛮言葉の意味するところは?」

「氏郷様の故郷では綿向神社を崇敬され、また信楽院という浄土宗のお寺を氏寺とされています。そして會津太守になられた頃にはキリスト教を広めようとされた。」

「ああ。そういうことか。そう、神仏についてはわしは鷹揚であった。どんな神であれ仏であれ、わしが晩年重視したのは愛じゃよ。愛じゃ。」

俺と凛は深く頷いた。

「さて、このくらいにしよう。カラータイマーが鳴り出しておってな。」

氏郷が戯けた。

「我が臣下、特に息子・秀行が重んじた岡半兵衛のことを知りたいのじゃろ。ならば如法寺へ行くが良い。ユウ殿は幼稚園児として初めて参詣した會津でも最古の寺院のひとつじゃな。」

俺も凛もまだ氏郷に訊きたいことがあるような気がしていたが、「カラータイマー」が鳴り出していてはしかたがない。西光寺に喜捨をして、そこからクルマで10数分の如法寺へ向かった。


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その18

ハイドレインジャ
〜第2部その18

ぬれてほす山路の菊の露の間にいつか千とせをわれはへにけむ

家康がこの寺へ贈ったという自らしたためた和歌が俺の頭の中で鳴り響いた。
これは9世紀後半から10世紀初め頃の僧侶であり歌人でもあった素性(そせい)法師の歌だ。彼は桓武天皇の曾孫だという。「三十六歌仙」の一人。

「露」が文字通りの水滴と、「ほんの少しの」というダブルミーニングになっている。そしてその和歌の心は、山道を歩いていて野菊についている露に裾が触れて濡れてしまい、それを干しているその一瞬が千年にも等しく思えるという<悟り>のような境地だ。なんという歌心、詩心だろう。

この歌を本当に家康が西光寺に贈ったのなら、その心は何だろう。


凛が、「ああ、見える!境内に咲く紫陽花の花の奥に!」と言い、体を震わせる。
「何がだい?」と俺は訊く。

「金山。」

「え?金山?」

「きっと私のご先祖よ。12世紀に近江から平泉へ招かれた私の祖先の鋳物師がいたでしょう?その10数代後の子孫が蒲生氏郷と共に會津に入って、金山開発と鋳造に携わっているの。」

「ああ。會津藩の版図には金山があったというね。安達太良山南麓の高玉鉱山、會津若松市内の朝日鉱山とか。莫大な量の金が採れたって聞いたことがある。俺は氏郷の故郷滋賀県蒲生郡日野町へ行ったことがあるって話したよね?近隣の東近江市の正に<鋳物師町>に古代の蒲生氏が建立し、後に蒲生氏郷が再建したという竹田神社が在ったんだ。」

「キャアア!」

凛が叫ぶ。

「藤原秀郷よ!」

「なんだ!時代が違うぞ!なんで分かるの?」

「ムカデと戦っているわ!」

「ああ、近江・三上山での百足退治の伝説か。琵琶湖湖底に住む大蛇、竜女が百足に悩まされており、その願いを叶えて、秀郷が弓で退治し、感謝されたという。」

「蒲生家はその藤原秀郷から七代目蒲生惟俊が興したって。」

「誰が言ってるの?」

「蒲生氏郷さんご本人!」

「ええ?そうか、その紫陽花の株の奥、そんな映像が見えているんだね、Hannah Lynn!」

「ええ。」

「じゃあ、氏郷さんご本人に訊きたまえ、なにゆえこの西光寺を愛されたのか。」

「竜女と会ったからじゃ!」

「・・・へ?Hannah Lynn、氏郷様に憑依された?」

「大丈夫。ただ口伝えしているの。」

「そっか。続けて。俺にはなぜか全く見えない、聞こえないから。」

「ええええっ?!」

「どうした!」

「わしが領内視察で越後上杉領に接するここ上野尻や津川(=阿賀町、麒麟山城が在る)に来るとなー」

「おお、すごいシャドーイング!」

「下野尻から津川までの、それはそれは険しい山道に難儀したのじゃ。」

「ああ。車峠や鳥居峠でございまするな。」

「さよう。麒麟山城は狐戻城とも言われる峻険な山城で、そこまでの行き帰り、わしはこの西光寺で休んだのじゃよ。」

「なるほど。」

「この寺の当時の方丈様には実に美しい娘がおった。この娘のことを尋ねると、方丈様は自分の子ではないと言われる。上野尻の少し會津若松方向寄りに芹沼という村があって、その名の通り沼が在ってのぅ、そこには大蛇が棲むと言うのじゃな。」

「藤原秀郷公の琵琶湖・瀬田の橋のエピソードに似ていますな。」

「うむ。ある日方丈様が芹沼の檀家へ用事で出かけると、思いがけず長居をしてしまい、暗い中を歩くはめになり、そのとき、蛇を踏んでしまったと言うのじゃ。」

「あら、ますます話が似ている。」

「もとより法力盛んな方丈様は、慌ても恐れもせず、ただすまぬ、すまぬと蛇に謝ったそうじゃ。するとその蛇が大蛇となって威嚇しさらに方丈様のお力を試すようだったと。」

「ほう。」

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と方丈様が唱えられると、あら不思議、大蛇は美しい女性(にょしょう)に変身する。そして沼から己の娘を呼び寄せる。」

「それがー」

「そうじゃ。寺にいた娘じゃ。母親が言うには、沼のそばには大ムカデがおって、しばしば諍いを起こすと。娘が大ムカデの餌食になってしまうのが恐ろしくてしかたがないから、方丈様にぜひ預かっていただきたいと請い願ったそうじゃ。」

俺は唸った。

「その娘にわしが出会ったときはもう年頃十六、あるいは十七というところでの。」

「番茶も出端のちょっと前。」

「そうそう、実にまあ肌に張りもあって・・・って、おい。」

凛は情けない表情をする。

「と言うわけで、わしは西光寺に寄るのが楽しみになったのじゃ。もちろんその娘に会えるのもそうであったが、話が我が25代前の偉大なる祖、藤原秀郷、俵の藤太の百足退治のにさも似ておるからなあ。わしがその蛇を助けたわけではないものの、それならば事後お助けしようと、西光寺に寺領を与えたのじゃ。」

「そうだったんですか。」

俺は大いに納得した。

「で、その娘さんの名は?」

「うん、小笹と言った・・・・小笹っ!!!」

シャドーイングしていた凛が卒倒しそうになった。


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』第2部〜その17

ハイドレインジャ
〜第2部その17

国道49号線を走りながら、俺はこれから行く「野尻」のことを少し凛に話した。

「チビの頃さ、野尻に上と下があるのは知っていながら、どっちがどっちなのか分かんなかった。」

「世田谷にも上野毛、下野毛、上北沢、下北沢、上馬、下馬とかあるわね。上下に統一的な意味はあるのかしら。」

「ないんじゃないの。地形的高低が分かりやすいから、同一地区ないし大雑把に大体同じ場所のそういった地勢上の違いで上下を言うこともあるし、道基準のもあって、例えば俺も間違えたことがあるんだけど、上総、下総だよ。」

「かずさ、しもうさ?ああ、千葉県のこと?」

「東京つまり武蔵国に近い方が上かと思って、千葉でも江戸川区とか葛飾区とかに隣接する方が上総だと思っていたんだ。」

「ところが下総だった。」

「そう。武蔵国は昔東山道で都につながっていて、信濃=長野県と上野国=群馬から下りて来る国だった。上野=上州にも『上』の字が来るのは、東山道で先に都から着くからで、下野=栃木はより遠いから『下』だった。」

「ふんふん。」

「上総は木更津とか千葉県の旧安房国以外の南東部とかで、一見都から遠いんだけれど、大昔は武蔵国経由でそちらには行かず、東海道上の相模国=神奈川県、三浦半島辺りから海路で行ったんだね。」

「その方が都より早く行けたってこと?」

「まあ、東海道で行けば上総の方が下総より到達しやすかったってことかな。」

「でもね、そんな蘊蓄を語っているとユウのブログ小説、終わらないわよ。」

俺は「キャハ」っと笑って国道49号線からハンドルを切って右折、<上>野尻に入った。ここの「上」の由来は、會津若松から越後へという越後街道で、下野尻より會津若松に近いからだ。


すぐ左に西光寺が在る。
この會津最西端と言える地区の、檀家も到底減る一方の過疎地に在る寺なのだが、日本全国に無数とも言えるほど存在するであろう他のいかなる同様の<田舎村の寺>とは歴然とした差を有するのだ。

それは、この室町期創建の浄土宗の寺が、国宝とも言える国の重要文化財である「紙本著色蒲生氏郷像」を有していることだ!蒲生2代目の秀行の後室振姫が贈ったものだと伝わる。

この賛付きの見事な一幅の絵は、京都妙心寺の僧逸伝により元和7年(1621年)に描かれたと言う。さらに岩倉大禅住職によれば、徳川家康真筆の和歌が添えられていたとも。

ぬれてほす山路の菊の露の間にいつか千とせをわれはへにけむ

岡半兵衛は慶長18年(1613年)に切腹しているから、この絵には関係がない。たとえ彼がその頃存命でも、半兵衛は寺側にとっては仇同然の存在だったから、この寺宝の贈呈に関わるはずはなかったのだ。なぜなら、彼は筆頭仕置奉行で麒麟山城城主だった頃、なんと氏郷が与えた五十石の西光寺寺領を召し上げてしまったのだ。そしてなぜか、隣の宿場町である私の故郷N町に在る大同2年(807年)徳一創建の如法寺と、俺と凛が訪れたばかりの原町の熊野神社に肩入れしたのだ。

この絵が振姫によって西光寺に寄贈されたとき、會津は振姫の息子・蒲生3代目の忠郷が治めていた。忠郷は家康の娘である振姫の子なのだから、時の将軍家光の従兄弟に当たる。とんでもないサラブレッドだ。この振姫と忠郷は、長年の目の上のたんこぶだった「専横者」半兵衛を誅殺し、いよいよ會津を思うがままに治められると思っていた頃だろうか。振姫は會津を襲った大地震後、何より神仏のご加護をということで倒壊したりした寺社仏閣再建を最優先したというが、義父蒲生氏郷が<なぜか>破格の帰依をした西光寺へ、君側の奸を討てたことへの感謝も込めて、後に大正期には国宝とされることになる義父の肖像を贈ったか。

しかし、墓所で俺は父と話したが、本当に半兵衛は秀行の寵愛をいいことにしたただの専横者で、家康に切腹を申しつけられて当然の不忠者だったのか。

そして何より、なぜそもそも近江人蒲生氏郷は、<赴任地>奥州會津の、そう由緒もない西光寺を愛したのか。

さらには、俺の母方はこの時期に近江の血を引いているというが、それは当然蒲生氏郷が會津に入ってきたときのことなのだろうけれど、その詳細は、ということだ。


西光寺の門前に立ち、参道から本堂の佇まいを見て、その奥ゆかしさに俺も凛も息を呑んだ。いや、もちろん何度も言うように、例えば奈良時代や平安初期創建の寺に比べれば<時代のつきかた>も劣り、また格式も村の寺の域を出ないものなのだが、半端ないほどに俺と凛の心を打ったのだ。

「どうして、ねえ、ユウ。私、とっても、とっても懐かしい。」

「ああ。Hannah Lynn、俺も全く同じ気持ちだ。」

俺たちは門前で何分も立ち尽くしていた。


(つづく)




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2024 如月雑記2

岡半兵衛重政のことを『ハイドレインジャ』で書いている今、
先ほどTBSニュースを見ていたら、新潟県東蒲原郡阿賀町の麒麟山酒造の話題。
米作り、酒造りを教える「大学」を開講、全国から生徒が来ているという。

阿賀町の中心地は津川と言い、合併前は津川町だった。
越後街道の主要宿場のひとつで、阿賀野川を使った水運の中継基地として栄えた。
薩長土肥政権に旧會津藩の版図をいいようされてしまい、
會津だった津川が新潟県に帰属することになってもう160年くらいか。
私の故郷西會津町はその津川を含む阿賀町と接している。
さらに次回書く予定の下野尻は、越後街道で私の故郷=野澤宿の西隣の宿場町、
そしてその次が津川ということになるのだ。

津川は水運の町で、また會津と越後の境にあったから、戦略上・地政学上重要な地だった。
城があり、麒麟山城とも言われた。
Mick師につながるのではと私が言う蘆名氏一族の金上氏(藤倉氏)が城主を長く務め、
戦国の荒波の中、城主は頻々と交代した。
蘆名氏を打倒した伊達政宗の家臣原田宗時、すぐに「奥州仕置」で蒲生譜代家臣北川忠信に
代わり、次には上杉景勝の家臣藤田信吉、さらに鮎川帯刀、
そして次に蒲生氏郷の子・秀行が會津太守に復帰して筆頭仕置奉行の岡半兵衛が
城主となるのだ。

まあ、とにかくじゃ、またもやsynchronicityってことじゃよ。

*

さて今日は棋王戦第2局。
角換わり後手不利というところで持将棋(引き分け)に持っていく作戦を奏功させた
世田谷区出身伊藤匠七段が、さあ、先手番でどうするか。

*

今日は数日の冷たい雨降りから打って変わっていい天気だあ。

歩くべ。


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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その16

ハイドレインジャ
〜第2部その16

「親父さんのこのN町の中世史研究でおもしろいなっつぅ歴史的人物は何人もいるけど、特に岡半兵衛は興味深いね。」

俺が言うと、

「ああ、岡半兵衛重政な。蒲生氏の重臣だった」

と父は応えた。
俺は続ける。

「Wikipediaにも載っててさ、出自はいろいろ説があるけど、いずれもなかなかで、決して馬の骨ではないようだね。」

「そうか。俺はそこまでは自著で言及してながったな。」

「うん。日本史教師のH先生との対談では、有能な臣下、行政官であったことは認めつつも、専横的なところに批判的に語られるって印象だゾイ。」

「ああ。そうだったがらこそ、蒲生の2代目秀行の正室で、なんと徳川家康の娘・振姫の不興を買って、後には駿府に呼ばれ、家康に腹を切らされたわげだがらなあ。」

「みたいだね。んで、父ちゃんの著書には書かれていなかったことだけれど、その岡半兵衛、石田三成の次女を正室にしていて、その二人の息子岡吉右衛門には於振という娘が生まれ、この娘が三代将軍家光の側室になって、自証院となり、家光の長女千代姫・霊仙院を産んで、なんとまあ、今日、今上・徳仁さま(今日お誕生日、おめでとうございます!)までその血脈が続いてるってんだから驚いちまった。」

「ああ。そこまでのことは紙幅の関係上書けなかった。」

「そうなんだ。でさ、會津太守の初代・蒲生氏郷が亡くなって秀行が継ぐと、まもなくお家騒動となって、太閤秀吉の裁定で蒲生は會津92万石から宇都宮12万石、父ちゃんの記述だと18万石に減封されてしまうじゃない。」

「うん。」

「そのとき蒲生家譜代の臣下岡ないしは岡野の家の半兵衛も已むを得ず岳父石田三成が懇意にしていた上杉景勝の元へ行くんだよね。そしてその上杉が蒲生に代わり會津になんと120万石で入ったと。」

「そうそう。」

「ところが世は移り関ヶ原の戦いがあって、宇都宮にいた蒲生2代目・秀行は東軍、つまり家康側につき、その恩賞だろうけれど、會津に、父ちゃんによれば60万石で復帰できた。」

「そうだ。秀吉の家臣として出世した蒲生なのになあ、家康についた。」

「その関ヶ原んとき、秀行は岡半兵衛に今や家康の敵となった上杉にいないで、こっちへ戻ってこいって言ったらしい。すると、以下Wikiの記述だけれど、半兵衛は『「氏郷公や秀行公から受けた恩を忘れたことはないが、その後自分を拾ってくれた景勝公にも深い恩があるため、自分たちはそれを忘れて裏切ることはできない」という情理を尽くした返書を送り、秀行を感動させた』んだと。」

「うむ、そうだったかな。」

「この半兵衛の義の尊び方に惚れたんだね、ますます、二代・秀行は。そして半兵衛は『並びなき取り立て』を受け、『無双の出世』をするんだよね。お父ちゃんの著書での記述だと、『衆道関係でもあったのか』というくらいの依怙贔屓、寵愛だよね。」

「んだ。きっとそうだったんじゃねぇがな。」

「親父さんがもし紙幅が許し、さらにちょいともっと過激な推論をしようとしていたなら、その『衆道関係』、つまり戦国武将にまま(?)見られる<男色>に、秀行の妻で家康の三女・振姫が本当に怒り狂ったって書きたかったんじゃないの?」

「まあな。そうでもねぇど、振姫がわざわざもう駿府で隠居していた父家康に直訴して、<大御所>様が半兵衛を呼びつけ切腹申しつけるなんてごどまでにはなんねぇんねぇが(ならないのではないか)。」

「うん。納得だね。でもさ、Wikiではその辺りは一切書いてなくて、夫秀行が逝き、彼との息子忠郷が3代目になってからの振姫と半兵衛の対立についてはこう書いているんだ。

『やがて後見人の振姫と仕置奉行の重政は前年に起きた大地震後の施政で激しく対立する。信心深かった振姫は神社仏閣の復興を最優先に進めようとしたが、重政がこれに対し民衆の救済が先で神社仏閣の復興にすぐ予算は付けられないと拒否したためであった。』」

「それは誰の説だ。Wikiさんのが?」

「ああ、あの朝の英会話やってたウィッキーさん・・・って違うよ!
尾下成敏という京都橘大学教授の著書『蒲生氏と徳川政権』を参考にしているみたいだ。」

「ほう。大学教授のな。まあ、俺は一介の社会教育専門の地方公務員、公民館長、郷土史家でしかねがったがらな。」

「それは関係ないよ。」

「しかし、そっか、半兵衛は神社仏閣再建より民の救済を優先したって書いでんのが。ほう。」

そう言って父がゆらゆらと姿を現したが、その表情は暗かった。

「まあ、俺はもうこういう<あの世の者>んなっつまってっから、半兵衛の時代にも実は行ってんだワイ。半兵衛自身にも会おうどしたんだげんじょも、俺の著書のせいガ、直接言葉は交わせながったのよ。

どうだ、これがら振姫と半兵衛の対立の焦点になった、上野尻の西光寺さ行ってみだらなじょだ(行ってみたらどうだ)。」

「上野尻はN町と同じ行政区域に在る昔の越後街道沿い宿場町だ。」

俺は凛に言った。

「クルマで10分くらいかな。」

「そごは私の実家石川家の菩提寺だったお寺なんだシ。」

母が三十代くらいだった頃の面影を墓石に映しながら言った。きれいだ!

「近江出身の蒲生家と深い縁があったお寺なのナイ。」

「その深い縁がなにゆえのごどがが謎のままなんだワイ。」

父が付け加えた。

「父ちゃんの著書で、取材当時の西光寺住職・岩倉大禅さんのお話が出てくるけれど、蒲生氏郷が領内巡視で寺を訪れ休息したとしか書いてないね。なにゆえにその後深い縁ができたかは、<ご方丈様>も全く触れていなかった。」

俺がそう言うと、父が、

「そうだ。俺は時空を超えてある程度はつかんだげんじょも、今の世に生きるユウと凛さんで確かめでみっといいべゾ」

と言い、母が、

「ほんにほにほに(本当に本当に)、縁とは不思議だナイ、ユウよ」

と生前通りに涙脆く訴えるように言ったー
ただし涙は液体ではないようだったが。

「それじゃ、土産の安曇野の野菜のこともあるから、急ぐね。」

俺はそう言って、凛と野澤家の墓を去った。


(つづく)




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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その15

ハイドレインジャ
〜第2部その15

「俺さ、<シンギュラリティ>に到達したAGI (Artificial General Intelligence)が創出する、まあ、仮想世界っていうか、そういうのに今ハマっちゃっているんじゃないかって。」

すると俺のことばに凛が激しく抗弁を始めるー

「もう、ユウさんはこれなんですからね、お義父さん。私との出会いから今に至るまで、ユウさんは仮想世界でのことだって今疑っているんです。大体そんなAGIをユウさんは持っていないんですよ。持っててせいぜいMacのAir Proぐらいなんです。空事もいいところです!」

「二人が何を言ってんのがよぐわがんねあげんじょも(よくわからないんだけれども)ー」

父が割って入る。

「俺も母ちゃんも、そして長男も今<情報を持ったエネルギー>と言うのがな、そういうものになっつまって(なってしまって)、生身の人間だった頃の限界を超えまぐっていでな(まくっていてな)。いったい何次元の世界に自分ーまあ、俺の意識だなーそれが自由に行き来でぎでんだが(できているのか)もよぐわがってねぇあげんじょも(分かってないのだけれども)、そのtravel free状態のすばらしさはわがりつつもよ、3次元プラス時間の、おめだぢ(あなたたち)の世界、制限がある世界が懐かしいものだよ、いづまで経っても。」

「お父ちゃんはナイー」

母が話し出した。

「自分が研究した、特にお父ちゃんが大好きで研究したこのN町の中世、まあ、鎌倉時代後期がら戦国時代だわナイ、その時代研究で出くわした謎と、お父ちゃんの仮説、推理が、今では実際その時代に行けて、研究対象の人物にも会えてナイ、次々疑問が氷解してそれはもうその瞬間は喜んではいんだげんじょも(いるのだけれども)、しばらくすっと、『あ〜、なんでもわがっちまうど(分かってしまうと)、それはそれでつまんなぐなっちまうな』って、嘆ぐのよ。」

「そういうわげだ。」

父がしんみりと言った。

「なんでも解明すればいいってもんじゃねぇのな、ユウよ。わがっちまったら艶消しっていうのはあんだぞイ(あるんだよ)。」

「ユウよ。」

今度は長兄が話し出した。

「俺どオメで大昔、會津坂下だの塩川だの、クルマ乗ってでCarpenters聴いだなあ。」

「うん。よく思い出すよ。」

「ほうが(そうか)。あのKarenの声、歌い方をどんなに完璧にAIがsimulateしようが、本物へ迫ることはあっても本物じゃねぇわげだ。そうだべ?」

「うん。合間の息を吸う音までsimulateしても、そんなのウソじゃんって興醒めするわな。」

「そうえ(そうだ)。あの、兄だけ依怙贔屓した母親を恨みながら、そして体型の悩みを抱えながら、恋しても成就しない、あるいは成就してもすぐ別れることなってしまった女、Karen Carpenterだからこそ、その体験があるからこその歌ってあっぴや(あるだろう)。その<積み重ね>があの歌なんだぞイ。<積み重ね>はsimulateでぎねぇんだ!」

「兄貴ー」

俺は感激して、Beatlesを教えてくれたこの長兄の、墓石に浮かぶ微かな面影に向かって言った。

「そうなんだよな。<積み重ね>なんだよ。俺は大昔、自殺を仄めかす女の子に自殺がダメな理由を問われて、『宇宙は積み重ねる方向、そういう原理でできているからだ』と瞬発的に答えたことがあったんだワイ。積み重ねをやめてはいけない、消す方向で行動することは宇宙の原理違反だって。

ホーキング博士が、ブラックホール内に落ち込んだ物の素粒子レベルの情報も消えてしまうと言って、スタンフォード大学のレオナルド・サスキンド教授がその場で『ホーキングさん、あなたは間違っている』と、根拠もなかったけど反論したらしいんだ。そしてその後超弦理論で特異点(シンギュラリティ)=物理法則の成り立たぬ点は解消されるんだけどね。素粒子レベルの情報は、無限大とも言える重力の中でも残る。残る以上は積み重なる余地があるってことでしょ。」

「ユウよー」

長兄が応える。

「なんだがすんげ難しい話だげんじょ、わがるような気がすんぞ。ただなー」

「え?」

「なんで土地のことばしゃべんのやめだだ?」

「あは!いやさ、タイピングすんのめんどくさくってさ、標準語で書かないと。」

「そっか。」

訳のわからない話ばかりだったなあ、今回は。


(つづく)




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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その14

ハイドレインジャ
〜第2部その14

「私はじゃあ、ユウの仮想現実の中で生きているっていうの?」

凛が少し不満げに言った。

「あなたと私が分かち合ってきたphysicalな感覚、触覚すらもvirtualだと?」

「なんだかよく分からないんだ・・・。」

「そんな!」

「ごめん。忘れてくれ。」

俺は凛を抱き寄せて、彼女の肉体を<確実に>感取した。
しかし同時に思ったのだ、やはり夢ではないのかと。

荘子の「胡蝶の夢」、室町期『閑吟集』の、

「何せうぞくすんで 一期は夢よ たゞ狂へ」  
                    
(どうするというのだ、まじめくさって。人生は夢だ、ただ狂うのだ。)

あるいは、19世紀アメリカで生まれたらしい、

Row, row, row your boat
Gently down the stream,
Merrily. merrily, merrily, merrily
Life is but a dream

漕げよ、漕げよ、漕げよ
君のボートを
やさしく、流れに任せ
楽しく、楽しく、楽しく
人生は夢に過ぎない

という歌などが思い出され、俺は凛と最後に父母の墓へ歩いて行く間ずっと頭の中で口ずさんでいた。

原子核の99.9パーセント以上はスカスカだと言う。物質の最小単位クオークの質量は原子核の1パーセントに過ぎないから、いくらその原子核の途方もない数の集合体である我々の肉体でも、体重と全くイコールにはならない。では<これほどの肉体の充実感>をもたらすのは一体何かと説明しようとすると、これまたE=mc^2が出てくる。つまり粒子同士を結びつける力=核力=エネルギーが重さになっているのだ。

俺と凛というエネルギー同士がこうして手をつなげるのも、お互いの体を構成する物質の原子核の周囲を雲のようになって存在する電子同士が反発し合うからだと聞いたことがある。そうでなければ、差し出した手同士、空を切るだけだ。そしてそこで摩擦が生まれ、それが人と人が触れ合う快感をもたらすのだ。

なんなんだ、この説明。
艶消しもいいところだ。
でもそれが科学的真実らしいのだ。

そしてそのクオークも、結局「真空の揺らぎ」から発生するという。宇宙は「量子真空」から生まれ、光速を遥かに超えるスピードでインフレーションを起こして今も膨張していると。

また、量子コンピューターが十全な機能を発揮するようになれば、virtual realityのreal度は現実世界と全く遜色ないものになるという。宇宙は情報だ、と科学者たちは言い募る。情報解析ができれば、究極、量子コンピューターで宇宙すら再現できる、と。


熊野神社神殿から父母、そして長兄の墓までは200メートルほどだったが、俺は「人生は夢よ」と歌を歌い、目眩がするような量子論を聞き齧った知識をまるで宇宙開闢以来今に至るまでの158億年とも思える時間の長さで反芻していた。大袈裟な。

「父ちゃん、母ちゃん、兄貴、また来ました。」

俺は墓前でまず手を合わせた。

「こちらは凛。結婚します。まずそれをご報告。」

凛は、合掌し、深くお辞儀をした。そしてまた甲斐甲斐しく墓周りの掃除を始めた。
花を供える、線香に火をつける。


「ユウよ。」

いきなりだった。父の声だ。お墓のてっぺん辺りが陽炎のようにゆらゆらしている。

「凛さんを連れできてくれで、いやいや、ねっか

(「〜ではないか→〜ではねぇか→でねっか」から来た新潟弁および會津西部弁。例えば「ありがたいことではないか」と感謝するとき、「ありがたいでねっか」となり、「ありがたい」が言わずもがなの状況では、なんと「ねっか」だけになる。またこの「ねっか」が「ねっか、どうも」という組み合わせで使用されることがあまりに多く、とうとう「どうも」を強意修飾する副詞に転用され、やがて「どうも」以外の用言も修飾するようになった、と俺は考えている)。」

「父ちゃん、どうも。父ちゃんの會津西部方言に関する著書では『ねっか』の語源が少し曖昧だったげんじょも、俺は新潟弁からきたと断言できっつぉい(できるぞい)。」

俺はいきなり父の「ねっか」について上記の独自分析を話した。
父は大笑いし、「いやあ、それはねっか、どうも、参ったナイ」と言ってから、

「凛さん、ユウはまあ、わだしの趣味嗜好をかなり受け継いでくれでナイ、まあ、ありがだいごどなんだげんじょも、こうやってまあ、一本取られっと癪だナイ。」

凛は「ふふふ」と笑って、

「なんだかユウさんて本当にいろいろなことを日夜、四六時中考えていますね」

と言った。

「きっかけになることが話されたり、示されたりするとー
それはもう情報の雨のようにユウさんには降り注ぐんですけれどー
もう考え出してしまって。」

父が高笑いする。

「そんな息子ももう還暦に達してしまって、いやはや。」

「本当にナイ。」

俺はしみじみ応えた。

「な〜に言ってんだ、ユウ、おめはそんな歳でもこんなすばらしい女性ど巡り合って、まあ。これがらまだ青春だべぞ。」

「お父様ー」

凛が呼びかけた。

「その考え過ぎ傾向にあるユウさんが、私はユウさんの小説に出てきた仮想の人物じゃないかなんて、さっき言ったんですよ!」

父はしばらく黙っていた。

「いやねぇ、凛さんー」

父が話し出す。

「そちらで言う『あの世』の者なってみっとナイ(みるとね)、realもvirtualもないとしか言いようがなぐなってんのよシ。いやあ、あの世の者になっても万能ではなくてなシ、そっちの世で疎がったごどはやっぱりこっちの世でもそうなんだげんじょも、そんじもナイ(それでもね)、どっちが夢世界なのガ、わがんねぐ(分からなく)なっちまうごどがあんだシ(あるんです)。」

「そうあべ(そうでしょう)。」

俺は我が意を得て、頷いた。


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その13

ハイドレインジャ
〜第2部その13

「ワシに言わせればのうー」

修験者は続けた。

「ユウ殿、お主が自作小説『蹉跌集め』で『佐藤悠奈』という信夫佐藤の末裔としての名を思いついたのも、悠奈が角筈十二社の生まれ育ちであるよう設定したのも、この藤原凛との邂逅が定められていたからじゃ。

それはむろん、お主の祖母殿が霊山生まれだったことがまず大きい。お主の祖母・けさよ殿は、姓は橋本ながら、長くその先祖は福島北部、宮城南部に暮らされており、奥州藤原氏の一党の血ばかりか、宿敵源家一党の血も受け継ぐ人々であった。また、相馬を始めとする平氏一党の血も入っておる。さらにまた、東北に長く土着した蝦夷と言われた人々の血もじゃ。これはお主の祖母殿ばかりの話ではもちろんない。そういう者は今でも多くあの辺りに暮らしておる。」

「んだからさー。」

俺は福島の方言、「その通りだ」を意味する「んだからさー」で相槌を打った。

「お主が『トーホグマン』や『蹉跌』を書いたのは、いや、書かされたのは、お主の中にそれぞれは極々わずかであれ入っておるそうしたご先祖たちの血が騒いだからだ。かつては敵対し、殺し合った者たちであっても、いつかは、意識的であれ無意識的であれ融和し、現在、今、野澤熊という人間が2の何十乗の命の息吹を受け継いでいる、存在している事実をお主に書いて欲しかったからじゃ。」

「はい。それがテーマでして、何度も繰り返しています。しつこいくらい。これからも言います。人類はみな兄弟、一日一善!」

「おいおい。」

修験者は呆れて錫杖で俺を突くまねをした。

「失礼。つまりですね、今民族の違い、宗教宗派の違いなどで憎しみ合い殺し合っていることの愚かさを訴え、どう世界の平和をそういう憎悪の中に生きる人々が目覚め、志すように、少しでも歌で貢献できるかを私は探っているのです、努力しているのです!」

「その意気やよし。それゆえユウ殿、お主には多くの<エネルギーの揺らぎ>が手助けしようとこの世に出てきているのじゃ。<エネルギーの揺らぎ>たちは、この世の真相を<外から見て>知っておるからな。

さて、ワシは牛頭坊青嵐(ごずぼうせいらん)と名乗った室町期の修験者、山伏じゃ。
牛頭とは、牛頭天王のこと、この<神仏>を厚く敬うがゆえ、不遜にも名をいただいたのだ。今の世では、牛頭様が疫病を退散させる神仏として特に祇園社、京都では八坂神社が厚くお祀りされておる。むろん熊野信仰でもな。

祇園精舎を守る牛頭様は素戔嗚命(スサノオノミコト)と一体なのじゃ。これこそが神仏習合、本地垂迹の典型じゃ。この神仏習合、本地垂迹が最も<進んだ>例と言っていいのが熊野信仰なんじゃよ。」

「そうですね。」

俺は応えた。

「他の大きな神社、例えば伊勢神宮や出雲大社、諏訪大社などとは大きく違っていますね。ただし、八幡神社や大山祇神社も仏教とかなり結びつきました。『八幡大菩薩』で有名ながら八幡神は措くとしても、熊野様、大山祇様はいずれも強く山岳信仰とも結びついていますね。

この列島古来の古い宗教、あの世とこの世が意識の中で強く結びついている宗教形態というのがあって、それがインド由来の宗教と合体していくのが神仏習合、本地垂迹と言っていいでしょうか。

外形的、枝葉末節的には異なっていても、本質的な共通点で互いを包摂していくー

それって、今の人類史的課題でもほとんど人類生存のため欠くべからざるプロセスではないでしょうか。」

「うむ!」

牛頭坊は我が意を得たりと大きく頷いた。

「私、思い出すんですー」

凛が声を上げた。

「己の尾を咥える蛇、ウロボロス。世界中でその意匠が用いられています。それが何を意味するかはさまざま解釈がありますけれど、私はまず永遠性だと思います。この世に始めも終わりもない、と。そしてー

<Extremes meet、両極端は一致する>、も。

そしてニールス・ボーアが易の思想から全世界へ発信した、量子力学上の真理でもある、

CONTRARIA SUNT COMPLEMENTA
相対立するものは補完的である、ということ。」

牛頭坊は膝頭を打って、

「さすがは角筈十二社の凛どのじゃ!」

と叫んだ。

「ワシは鈴木九郎の金山のことも知っておった。

九郎の金山も、元々は山々を駆け巡る修験者が見つけたものだったのよ。九郎は源義経に従った熊野神社神官・藤白鈴木氏の一族亀井重清ら紀州出身者からの情報も得て、馬の売買で稼いだ金を元手に奥州の金鉱山開発をしたわけじゃ。また、奥州藤原氏を支えた金鉱山の情報も持ち、奥州合戦後、その利権を秘密裏に手にした。ワシはその秘密を守り、殺されずに済んだから、九郎の一人娘小笹の話も聞いた。聞いたどころか、角筈のその大蛇の池にも行き、祈祷をした。

小笹殿はのう、蛇の化身となってはいたが、父九郎が熊野様のご加護を恃みにしつつ、自らの非を悔いて建てた成願寺で僧となったときに、<エネルギーの揺らぎ>となって父と交信したのじゃ。

求め過ぎた物質世界での快楽をよくよく見つめ直し、本当の幸せとは何かを小笹殿に教えられたのじゃ。物をいくら持とうが、それは幻想じゃ。物はエネルギーじゃ、E=mc^2じゃ。しかしそれが持ち主の心の、意識のエネルギーには到底ならん。だいたい、物を所有するとはいかなることじゃ?人間が持てる物は、己の肉体と、それを維持してくれる食物と水と空気だけじゃ。それすらも、持っていると言うよりも、<いただいている>のじゃろうが!

このまま行けば、その食物と水、空気を汚し、食べられなくなるような、飲めなくなるような、また吸えなくなるような今の人類的な所業を直ちにやめねばならない。ウロボロスの意匠は、凛殿の仰せの通り、永遠性、両極端の一致、そして対立するもの同士の相補性を表すとワシも思う。そしてネガティヴには、今の人類状況、すなわち、自縄自縛すら意味しているのではないか。」

「牛頭坊さま!」

凛も俺もこの修験者の名を叫んだ。

「お教え、ありがとうございます!」

「おお、凛殿、ユウ殿。<エネルギーの揺らぎ>たちはそなたらの藝術的営為を応援しておるぞ。」

「ありがとうございます!」

俺たちは合掌し、泣きながら、感謝の言葉を何度も何度も牛頭坊に捧げた。

「最後にー」

牛頭坊は言った。

「熊野神社は、むろん規模の大小はありながらも、この福島県に一番多くあるのじゃぞ。次には千葉県じゃな。」

「そうなんですか。」

「ああ。信州の村畠という御仁に会っていたよな?」

「ええ。ついさっきまでと言ってもいいほどですが。」

「村畠の出生地は、富山県上新川郡熊野村じゃぞ。(これ本当)」

俺たちが呆然とする中、牛頭坊はあの世へ去っていった。

そして俺は凛に言ったんだー

「Hannah Lynn、君は俺が『トーホグマン』で創作した、小笹の子、<ささゑ>なんじゃないか。」


(つづく)




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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その12

ハイドレインジャ
〜第2部その12

「この話、きっと小説の第2部その12で、十二社(じゅうにそう)のことを書くことになるわ。ユウは狙ったの!?」

凛がまたもやメタなことを言った。

「劇中劇、作中作、入れ子構造、枠物語・・・you name itだけど、偶然だよ、今回は。」

俺は、この実験小説のしっちゃかめっちゃかさには、『トーホグマン』や『蹉跌集め』以来<慣れている>。

「『蹉跌』では主人公の佐藤ナントカちゃんが新宿区の十二社、熊野神社近辺の生まれ育ちの設定だったわよね。」

「ああ、佐藤悠奈な。」

「なんでそこ、角筈十二社熊野神社に拘るの、ユウは。」

「おいおい、おいらの名前は熊野神社の熊からのものだよ。それを忘れてもらっちゃあ困る。東京でね、しかも俺も住んだことがある新宿区に熊野神社があったら、それはもう興味湧くわな。」

「ふ〜ん。誰かそこにゆかりの人がいるからではなくて?」

「あんとき、つまり『トーホグマン』でも『蹉跌』でも書いたけれど、この新宿十二社の熊野様は室町期の紀州出身の鈴木九郎が創建したと言われていて、その鈴木家は熊野神社神官家であり、九郎も神官になれたんだね。」

「あら、話の筋を変えてる?」

「九郎はしかしどういう事情か、まあ、九郎だからあまりに世継ぎの可能性がなかったからか、伊藤伊勢さんが隣国伊勢=三重県からここ會津に来たように、西国紀州から当時の武蔵国多摩郡中野邑へ移ってきて、いろんな商売はするが、何より東北で金を探り当てたことで『中野長者』となったんだ。恐ろしいのは、そのまさに東北岩手の金城湯池の存在を他に知られまいと関係者を彼が次々殺していったことだ。その深い罪から娘小笹が大蛇になってしまう。」

「ええ。その辺り読んだわ。とっても因業深い話ね・・・って、話がズレてるわよ。
でもまあ、許すわ。『トーホグマン』のこのくだり、再掲するべき、とても興味深い話よね。再掲するわね〜。」

***

「蛇は縁結びに関わるのでしょうか。大国主命は出雲で縁結びの神ですよね。
大国主は『元伊勢』の大神(みわ)神社では大物主と呼ばれます。
大国主の『幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)』が大物主だと。
大神神社のご神体は三輪山そのものなのですが、『みわ』の『み』は『巳』、
つまり蛇のことでしょうね。『三輪』という漢字に意味は見出しにくい。
どうしてもと云うなら、蛇が三重のとぐろを巻いているということでしょうか。
私の勝手な言い分に過ぎませんが、『巳輪』と書けば分かりやすい。
なにしろ蛇の神聖さは縄文以来この列島に住む者たちに認められてきたようです。
蛇は古語で『カカ』とも言い、お正月の鏡(カカみ)餅が蛇のとぐろを巻いた姿を模したものというのはよく知られていますよね。」

「よくは知られておらんじゃろ。」

金爺が顳(こめ)かみに少し汗を滲ませて言った。
一彦は該博な知識を披露し続けた。

「縁結びの神大国主の出雲大社では注連(しめ)縄の結び方が『左本右末』で、
左から綯(な)うんですよね。
綯われる二本の縄はそれぞれ男女で、男は火、女は水だとか。
全国の神社でこの出雲大社と同じ綯い方をするのはたった一割だそうです。
その中に熊野大社、愛媛の大三島町に在る大山祇神社、
そして大物主を祀る三輪山の大神神社が入るそうですよ!」

「すばらしい!」

九郎は叫んだ。

「なるほどあなたを秀郷様がトーホグマンに推挙されるはずだ。」

「いやあ!」

金爺が照れた。

「お前を褒めたんじゃないぞ。」

フンジジが金爺にツッコんだ。
一彦は無視して続けた。

「この注連縄というのは古事記の天の岩戸のところで記される『尻久米縄
(しりくめなわ)』から来たと言われていますが、
これは『尻組み』ということではないでしょうか。
吉野裕子という人の説を読んだことがあるんですが、伊勢志摩では、
トンボの交尾を正に『シリクミ』と言うらしいのです。」

「ほ〜う!」

一同はただただ聴き入って、嘆声を上げるだけだった。

「この吉野さんは、注連縄の意匠は蛇の交尾の姿だと言うんです。
蛇は世界中で神秘の生き物として、神格化さえされている地域も多い。
さっきも言いましたが、この列島でも、縄文土器には蛇のデザインが夥しく
見られますよね。妖しく、強く、そして脱皮することから、再生、蘇りを象徴する。」

***

「再掲終わり〜。」

「うん、我ながら面白いこと書いてたね。鏡餅のところ、ちょっと加筆してあるけど。」

「で、その小笹さんの娘・ささゑさんや佐藤悠奈さんて、誰がモデル?」

「まあ、まあ、熊野神社つながりの俺の空想ってことだから。」

「私、こだわらざるを得ないのよ。」

「え?」

「私、祖母が新宿にいたって言ったでしょう?」

「ああ、第1部その3でそう言っているね・・・ま、まさか!」

「そう、その母方の祖母は、自分の家を『角筈の家』って言っていたわ。私はおばあちゃんを『十二社のおばあちゃん』て言っていたの。今の西新宿二丁目辺り。西新宿は旧名角筈や淀橋だった。おばあちゃんね、女性の形容にはちょっと不適切かもだけれど、<いなせ>な人だったわ。母もその気質を受け継いでね、父が亡くなって1周忌を過ぎたらさっさと英国人と再婚したし。決断が早いって言うか。」

「そのおばあさま、お名前は?」

「鈴木月(ルーナ)。『月』と書いて『ルーナ』。親が、つまり曽祖父母が<ハイカラ>な人だったのね。」

「鈴木っ?そしてルーナ、月って・・・12回満ち欠けして一年じゃないか。できすぎ・・・。」

「そう。祖母は親から12は神秘的な数だってよく聞かされていたらしいわ。」

俺は呆然唖然としていたー
必死に意味を知ろうとしつつ。

するとー

「ユウとやら、お前の祖母殿が仰られた、霊山の修験者はワシであるぞ。」

またもやお社の扉が歪み、凹み、また前へせり出た。
もうこれ以上ないという修験者の格好の老人が出てきた。

「予言通りになったのう。しかしまさかEvil Womanの歌がきっかけになるとは。」

「いいえ!」

凛がすぐに反論した。

「ユウの、私の故郷成城の丘を愛でる歌がきっかけでした。」

「おお、すまぬ、すまぬ。」

修験者は謝った。

「のう、凄まじき時代ではないか、のう、ユウ殿、凛殿。」

「はい?」

「我らの時代では考えられぬことよ。我らの時代なら、自分が作った歌は近隣の者にしか聴かせられなかった。念力でも使える者なら、遠くの者にも伝えられたかも知れぬがのう。そんな力を持つ者はほとんどおらん。つまりインターネットは、昔の超能力者しかできなかったことを誰もができる世にしたのじゃな。」

「はい。その代わり、全くレコードやCDなどが売れなくなり、著作権がめちゃくちゃになって、一部例外を除いてミュージシャンたちは没落しましたが。」

「まあ、そう言うな。インターネットのおかげでお主は凛に会えたではないか。」

「はあ・・・。」

俺は訝りの声を発した。

「そのこと、つまりインターネットのこと込みで修験者様は私と凛の邂逅を予言されたのですか。」

「インターネットも念じゃから。人の念も、インターネットの信号も電磁波じゃからのう。同じことじゃ。インターネットがなくても、まあ、遅い早いはあってもじゃ、お主と凛はきっとつながった。注連縄のようにな。どうじゃ?」

凛が赤面した。


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その11

ハイドレインジャ
〜第2部その11

熊野神社の鳥居へは、祖父母の墓から百歩ほどだ。

この熊野様は1522年、大永二年壬午三月遷座と言われる。N町草創期の「六人衆」という人々が創建に関わったと言われ、その六人の中、伊藤伊勢、松原但馬という名前があって、もちろん伊勢守(いせのかみ)や但馬守(たじまのかみ)であるはずはなく、おそらく己の出身地、ないしは先祖の出身地を表しているのだと思われる。伊勢はむろん現在の三重県であり、但馬は兵庫県である。

さらに文禄二年(1593年)にN町(当時は村)で検地が行われ、豊臣秀次の政権下、戸田美作、蒲生十郎右衛門、さらに佐治主膳の三名が主に担当したという。「美作(みまさか)」は岡山県の一部、「蒲生」は既述近江国(滋賀県)日野町出身の會津太守蒲生氏郷と同姓、さらに「佐治」という姓も近江国甲賀が発祥なのだ。

上で固有名詞を挙げた人々はつまり皆「西国」の出身であると言っていいだろう。俺はうろ覚えではあったが、鳥居の手前で上記のことを大体のところで凛に話した。

「だからユウの田舎、つまりこのN町ではお葬式に西国三十三所御詠歌を歌うのね。」

「いや、正確にはN町の原町という地区だけなんだ。ここのことだけれど。」

「え?じゃあ、他の地区は?」

「旧越後街道、今の国道49号線でN町の東からここに入ってきたけれど、最初の町並みは本町と言って、諏訪神社が鎮守なんだ。ただし表記は諏方、<訪>れるではなくて方向の<方>なんだけど。原町は本町から西進、大きなクランクを通過してから始まる町で、ここに江戸時代代官所などが在ったから、長くN町の中心だった。そうなったのも、原町の六人衆が室町時代に町を整備し、他地区よりも先進的で豊かな町にしていったからかもしれないね。その一環で、この熊野神社を勧請したんだね。」

「『本町』なんだから、そちらが最初の集落だったんじゃないの?」

「うん、そう考えられるだろうね。だから後発の原町は、西国からのいわば移民が造った町と言えるかもしれないね。本町は大昔からの土着の人たちが造ったということかな。もちろん勝手な想像だけれど。」

「諏方神社はもちろん信州長野の神社で、比較的會津に近いと言えば近いけれど、熊野神社は紀州だからはっきり西日本、あるいは西国よね。東北地方には源義家など源家の影響で八幡神社が多いって聞いたけれど、熊野神社も多いの?」

「多いとまでは言えないだろうね。ただ、會津にはこの熊野様より規模が遥かに大きいのが南会津町と喜多方に在る。特に喜多方・慶徳の新宮熊野神社は有名で、『長床』は国の重文だよ。」

「それはやっぱり原町と同じで、會津各所に熊野信仰をする西国の人々が流入してきたってこと?」

「そういうふうに言っていいんじゃないかな。まあ、鎌倉や室町時代って、国内で侍たちの移動が盛んだったから、全国的に西の者が東へ、東の者が西へっていうの、普通だったでしょ。いつもその例で俺がいつも真っ先に思い出すのは、戦国時代西国の雄で、幕末は討幕運動の最ラディカルな藩の藩主だった毛利家は、元々相模国、つまり神奈川が本貫だったしね。」

「これ、私たちのこの旅も、ブログ小説になるんでしょ。この部分不興を買うんじゃない。なんだか歴史講釈ばっかりで、しかも独断が多いし。」

俺は高笑いした。

「所詮娯楽よ、所詮気晴らしよ。」


そのとき、声がした。

「おいおい、娯楽や気晴らしで我々のことを語ってもらっては困るな。」

俺と凛は<貫入場所>を目をキョロキョロさせて探った。
やはりお社の内部からだ。鳥居前で一礼し、歩みを進めた。

「野澤熊と申します。」

俺は名乗って、

「お話を伺いたいと存じます。」

「おお、お主は郷土史家だった野澤一(はじめ)さんの息子殿じゃの。末子(ばっし)か?」

「いえ、三男、下から二番目です。」

「そうか。お主だけじゃのう、兄弟でここの歴史を詳しく知ろうとする者は。」

「はい。一番父親の形質を色濃く受け継いだようで。あなた様は?」

「伊藤伊勢じゃよ。さっきワシの名を挙げておったろう。」

「はい。お会いできて光栄です。」

「うむ。今は声だけじゃが、姿も見せようかいな。」

お社の扉とその下の賽銭箱の辺りの空間がグニャリと凹んだと思ったら、その窪みから室町期の装束の老人が現れた。

「元々伊藤という姓は、伊勢藤原氏ということであって、ワシの場合、ご丁寧に<伊勢藤原の伊勢>と名乗ったのじゃから、なかなかの念の入れようじゃ。それほどに伊勢の生まれであることを誇っておったのじゃ。」

「なにゆえ會津に来られたのですか。」

「先ほどお主、喜多方・慶徳の新宮熊野神社のこと、そして源義家公のことを言うておったな。」

「はい。」

「あの熊野様は義家様のお父上頼義様が建てられたのじゃぞ。」

「ああ、後三年の役でですか。」

「前九年じゃ。」

「そ、そうでした。」

「しっかりなされ。でな、身共はな、北畠親房様が伊勢国司となられ、さらにそのご長男顕家様が伊勢守になられた。後に顕家様が南朝で右大臣や陸奥大介鎮守府大将軍になられて陸奥国との縁ができたのじゃが、そのときについて行ったのがワシの先祖でな。

お主は先ほど祖母殿と話しておったな。」

「はい。お聞きになっておられましたか。」

「ああ、聞こえるんじゃ。あんまり近いでなあ。」

「はい。」

「祖母殿は霊山の生まれと仰せだったが、そこは南北朝の争いの時も堅固な要塞として使われたのじゃぞ。ワシの先祖もそこで戦った。」

「まさか、その時私の祖母の先祖とー」

「それはどうじゃろうな。調べてもいいが。」

「は、結構です。」

「そしてお主の祖母殿が霊山から會津に来たように、ワシも北畠の領地から會津に来たのじゃ。」

「なるほど。」

「・・・西国三十三所御詠歌のことじゃろ?」

「はい。」

「お主の推測通りじゃ。原町は土着の方々よりは我ら西国出身者の方が多かった・・・と言うよりは発言権が大きかったと言えるなあ。我々西国出身者の慣例が原町の慣例になっていったのじゃよ。

しかしなあ、野澤殿。それを知ってどうブログ小説の<おもしろみ>にするんじゃ?」

俺は「なんでもお見通しですね」と言って頭をポリポリ掻いた。

「簡単に言いますと、やたら自分はナントカ人、ナントカ県人とかと、あるのかないのか分からないその優秀性を言い募り、国粋主義やそれに類する偏狭で排他主義的なそういう者たちの思想の根拠がいかに薄弱かを訴えたいからここに<取材>に来たのです。」

「ほお。」

「こちらは藤原凛と申しまして、彼女の最初の夫はウェールズ固有の汎神世界の復活を目指すことで多少国粋的な傾向を持ったウェールズ人、あるいは彼ら自称のカムリ人でしたが、実は13世紀にユダヤ人を迫害したドイツ人の遠い先祖も持っていたのでした。ところが何十代か後、彼の父はイングランドのリヴァプールでユダヤ人とその出自を知らず結婚、自分はその二人の間の息子だったのです。その結婚は破綻したのですが。

同じようなことがどこの国の、どんな人の祖先にも、そしてその人そのものにも起きたこと、起きていることだと思うんです。

日本の国粋主義者はまずは異様なほどに朝鮮・韓国や中国を忌み嫌います。彼らと日本人が違うのは、縄文人というこの列島固有の人々の血が入っていることなのだ、などと珍説を披露します。まるで大陸や半島からやってきた弥生人や古墳時代人などいなかったかのように、都合のいいところだけつまみ食い、論議する価値もないことを滔々と述べるのです。

原町の人々は、伊藤様のように西国から来られ、以来5百年以上、この町では伊藤姓の人は多く、ここで血を繋げられて、まごうことなき會津人となっておられる。

同じ図式で、山口県を地元とする安倍晋三氏は、討幕功績随一、明治維新を断行した長州藩を生前誇っておられましたが、それこそ前九年の役で滅ぼされた安倍氏の末裔、元々はチャキチャキの蝦夷と呼ばれた陸奥人ではないですか。その人が福島の原発で津波により全電源喪失などありえないと国会で言い切って、必要な措置を講じぬまま2011年3月を迎えてしまった。陸奥の一部を壊滅させてしまったんです。もちろん彼一人の責任とは言いませんがね。

結局、人類ひとり一人が繋がっているんです。いわゆる人種を問わない。だって、昨日だったか、凛のご先祖である奥州藤原氏時代の36代前まで遡ると、なんとそれまでに687億を超えるご先祖がいたことになってしまうんです。その687億人が一人ひとり違う人間だったなんてことはありえない。

つまり、ご先祖は重複しまくるんです。

そのことを、その事実を、本当にみながしっかり認識すれば、人類世界が少しでも違ってくるんじゃないかって。」

「なるほどのぅ。」

伊藤伊勢はクルリと身を翻し、御神体へと向き直り、

「野澤一の三男熊、かように申しておりまする。どうぞ熊野大権現、十二神のご加護頂けますように!」

と念じて、「さらば」と消えていった。

「十二神。」

凛がつぶやいた。

「ああ、そうよ!」


(つづく)




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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その10

ハイドレインジャ
〜第2部その10

「おじんちゃ、おばんちゃ、<ここでは>お久しぶりです。」

俺は墓前にてもちろん會津弁で挨拶した。元々中通り出身の二人だが、生前は完璧な會津弁話者であった。

「隣は藤原ハナ・リン、フィアンセだよ、許嫁。」

「初めまして。凛です。少し緊張しております。」

凛はそう言って、墓に生えている草を毟り始めた。俺も手桶に水を汲み、花入れをきれいにし、凛を手伝った。凛が真剣に掃除する姿を主に後ろから見ていて、抱きしめたくなった。

墓石に水をてっぺんから注ぎ、花を生け、線香を供え、二人で合掌、祈りを捧げるー
「貫入」はスムーズだった。

黒御影の墓石に祖父と祖母の50歳代時くらいの面影が白く映った。

「ああ。俺の方が歳とっちゃったよ、おじんちゃ、おばんちゃ。」

俺は自嘲した。

「ユウぼ(坊)、なんだってまだきれいな人連っち来たなあ。」

祖父の声だ。

「ほんとにナイ(本当ですね)。」

祖母の声だ。

「何人目だ。」

俺は祖父のこの言葉に仰天する。

「おじんちゃ、よげ(余計)なごど言わねでくなんしょ(言わないでください)!」

凛は吹き出した。

「いいのよ、ユウ。お互い二十代や三十代じゃないんだから。」

「ま、まあね。」

俺は額打(ひたいぶ)った。會津の当惑や悔恨の仕草である。

「おめ、父ちゃんと母ちゃんのお墓(はが)にはもう行ったの?」

祖母が訊く。

「まずこご(ここ)さ来たのよ。大敬意を払って。」

「なーに、長岡(ながおが)藩士ん所(とご)がらまっすぐ来ただびやい(来たのだろう)。おめの父ちゃん母ちゃん、一郎(長兄のこと)の墓(はが)はちょっと逸れっからな。」

「お見通しで。おじんちゃ。」

父は野澤家の長男だったが、実家は三男が継いだので、同じ常泉寺内ではあるが墓所が異なるのだ。

「でもまあ、いいワイ。うれしいワイ。なあ、けさよ。」

「そうだナイ。お父ちゃんとおんなじで、お盛んなごどだワイな、ユウぼ。」

その瞬間祖父の影が消えた。

「もう此処(こご)はいいがら、おめのふた親んとごさ行ぎっせ(行きなさい)。おじんちゃど私(わだし)はどんなごどあってもユウぼを見守ってっから。」

俺はふるさとの言葉のなんともやさしい響きがする祖母の愛情表現に嗚咽しそうになった。

「いい香りの線香だ。花もありがどナイ。凛さん、ユウぼをよろしぐナイ。」

凛も涙を流す。

「あ、ユウぼ!」

祖父の顔がまた墓石に浮かび上がった。

「その藤原さん、平泉の藤原が(か=or)福島(ふぐしま)の信夫佐藤の人でねぇが?」

「平泉らしいよ。近江からの鋳物師の血も入ってるって。」

「ほうが(そうか)。」

「信夫佐藤の修験者の血も入ってんナイ。」

祖母が言った。

「福島市に信夫山があっぴした(あるでしょう)。あすぐ(あそこ)は熊野様、羽黒様、月山様、湯殿様どが(とか)をまづ(祀)ってる所(とご)でナイ、おおむがし(大昔)っから奥州藤原の人だぢが尊崇してんのよ。

俺(福島では女性も一人称の代名詞で使う)が冥土に来てがら、まごど(誠)に立派な修験者様ど故郷の霊山の話をしたごどがあってナイ、『私のおびただしい数の後裔の中で、私の霊力を実に見事に受け継いでいる女子がいる』って言ってだのナイ。その女子が、俺の孫と知り合うごどになるって言ってだのよシ。凛さん、その女子、あなだじゃないのがナイ(あなたじゃないのでしょうか)。」

「ああああ!」

凛が一瞬卒倒しかけた。
俺は必死に彼女を支えた。

「おばんちゃ、それいづのごど(事)だい。」

俺が訊く。

「ん〜、わがんねなあ。冥土に来てすぐだったが、昨日のごどだったが。なにしろこっちは時間つーのがねぇがらナイ。」

「その修験者さんにも出で来てもらったらいい。」

祖父が言った。

「すぐそばの熊野様にお頼みして。」

「わがった。んじゃまだ来っから。まあ、いづでもどごでも会えるんだげんじょも(けれども)。」

俺と凛は合掌し、祖父母の墓を後にした。


(つづく)




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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その9

ハイドレインジャ
〜第2部その9

「長岡藩士の中田さんとは、なんと俺、17歳の時に出会っているんだ。」

俺は凛と祖父母の眠る墓へと歩み出して言った。

「ええ。知ってるわ。」

凛が応えた。

「大山祇神社の奥の院前にあるお籠もり旅館で勉強合宿していて、翌日合宿終了、下山という夜の就寝時、ユウと一緒だった男子4人全員が目撃した人形(ひとがた)の乳白色の幽霊、それが中田さんだった。」

「その通り。すごい記憶力だなあ。」

「ユウがラップ現象に最初に気づいたんでしょう?」

「そう。そして誰一人慌てず騒がず、『隣の部屋で寝ている女の子たちには言わないでおこう』って言って、そのままぐっすり眠ったんだ。翌朝、これまた不思議なことに、誰一人そんな異常な体験のことを口にすることがなかった。すっかり忘れていたっていうのが真相で、そんとき一緒だった大堀っていう俺の友達も全く忘れていたって。」

「不思議ね。」

「ああ。俺がその怪現象を思い出したのは、2週間くらい経って大堀と一緒にその奥の院のある山が見える原っぱを歩いていたときだったんだ。『そういえば』って言って。大堀も『なんで忘れていたんだろうな』って。そしてその、俺が急にその出来事を思い出した場所は、首塚があったところだった。」

「中田さんと岡村さんは、その場所で斬首されたんでしょう?」

「そう、戊辰戦争時。二人は長岡を追われ、藩の司令官河井継之助と同様、しかし違うルートで友藩會津へ逃れてきたんだが、薩兵に見つかった。その見つかった場所が俺たちが勉強合宿したお籠もり旅館さ。薩兵は山を数時間かけて登って追って来たんだ。大山祇神社は新潟の人々の尊崇集めていたから、山深い奥の院に隠れていれば見つかるまいと思ったんだろうね、中田さんも岡村さんも。」

「ところが、薩兵に見つかった。」

「うん。きっと告げ口した人がいたんだろうね、俺の故郷の、当時の住人の中に。」

「ユウがまるで見て来たように語れるのは?」

「ああ、俺、大堀とその幽霊目撃の体験を思い出して、すぐに郷土史家の父の蔵書を漁ったわけさ。そのことを記述する本があるんじゃないかって。そしたらー。」

「書かれていたんだね。」

「そう。首塚はそこ、そして胴体の方が常泉寺に埋葬されたと。」

「その首塚の存在を知っていたのは、ユウだけだったんでしょう。」

「そうチビの頃からね。おしっこひっかけたこともあった。」

「・・・。」

「それにさ、勉強合宿を引率・監督してくださった高校の担任が日本史の先生で、しかも會津の郷土史が専門だったんだ。」

「それは初めて聞いたわ。」

「うん。ブログには書いていない。でも、きっとそのことも大きいね。中田さんや岡村さんが義に生きて義に死んだ事実を掘り起こしてほしいって。」

「ああ。<掘り>起こしてってHannah Lynnが今言ったけど、その日本史の先生の名が正に<ほり=堀>と言い、俺と一緒に霊を見て、首塚近くでそのことを思い出したときに一緒にいたのが<大堀>で・・・って、あんまし関係ないか。」

「掘り起こす、かあ。農耕では必須の行為。そして歴史学・考古学でも。もちろん地質学や古生物学、さらにもっと多くの学問でも。3次元空間では地面などの下に埋もれたものを地表へ取り出すことだけれど、4次元以上の空間では、貫入することよね。」

「なるほど。4次元以上の空間だと、上下左右なんてないだろうしね。」

「ユウと私は、他者の貫入を感知できる。そしてもしかすると私たちが貫入でき、何かを掘り出せるかもしれないわ。」

「おお。Hannah Lynnが積極的に俺たちの物語を『トーホグマン』チックにしていくね!」

俺たちは大笑いした。
そのとき俺たちはもうとっくに我がN町野澤家初代夫婦が眠る墓の前に立っていた。

(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その8

ハイドレインジャ
〜第2部その8

さて我が故郷Nに着いた。
俺はまずどこに行くべきか悩んだ。

『トーホグマン』で俺は、我が家の菩提寺曹洞宗常泉寺にある戊辰戦争時に新政府軍に討たれた長岡藩士二人の墓、そしてさらに今度は會津軍に討たれた薩摩藩士一人の墓のことを書いた。なんとその墓は隣り合わせで建立されているのだ。その時代の我が郷土の人々の想いが偲ばれる。

その墓から北へ数十メートル行くと、俺の本家の墓がある。熊野神社はそこから西へ数十歩というような近さにある。

Nにおける我が野澤一族の祖は俺の祖父で平喜(へいき)であり、元々は中通り(福島県中央部)二本松市の出身だ。だから、このNという地における家族としての歴史はあまりにも浅い。また平喜の妻けさよも中通り、福島市の東、南北朝時代南朝の雄・北畠顕家の拠点となった霊山町(今は伊達市)の出身なのだ。

「まあ、まずはN町野澤家初代の墓に行くか、やはり。」

俺がそう言うと、凛は黙って頷いた。

常泉寺の境内に入ると、左手に地蔵堂があってその右脇に俺の父親による長岡藩士と薩摩藩士の墓の解説掲示板がある。凛はそれを読み、「ユウのブログにもこの掲示板のことが書いてあったわね」と言った。

本堂を正面に見て、建物の左脇を進む。野澤家墓所へ行くには、必ずその長岡藩士と薩摩藩士の墓を通る。その墓所に至って、俺は會津坂下のスーパーで買った花束から数本抜き出し、墓石に載せ、線香を凛と一緒に供えた。凛はしゃがみ込み、頭を深く垂れて合掌した。

「感じる?」

凛がまだ合掌をしたまま、目を閉じながら、つぶやくように俺に言った。

「貫入かい?」

「ええ。」

「俺は、そう言われりゃあ・・・。」

「私、感じるのよ。感じない?」

「貫入 feel it?ってガッ。」

「ふざけないでよぉ。」

「ごめん。」

なにしろ墓石はそのまま<憑代(よりしろ)>だ。時空が曲がり、他次元が貫入する。

「ユウ殿、お久しぶりでござる。」

「ユウどん、お久しぶりでごわす。」

「おお、長岡藩士の中田良平さん、岡村半四郎さん。そして薩摩藩士の吉田清次さん!お久しぶりです。お姿は見えませんが、感度良好。」

「なじらね。(=How are you doing? 新潟弁)」

「さしかぶい。(=It's been a long time. 薩摩弁)」

「はい、あの、こうしておがげさんで元気にしてっからシ。(會津弁)」

「そーなん。」

「じゃっか。」

「今回は姉サ連れて来たんかねぇ。」

「美しかおなごじゃッ。」

俺は凛を紹介し、今回の帰郷の目的は、Nの鎮守の熊野様にお参りし、さらに農耕の体験をして、できれば休耕地などを利用し、農園や田んぼをきりもりできるか探ることだと話した。

「田んぼ耕すってよいでねスケ(容易ではないよ)。」

「あたがたはこけ住んちゅうとな(あなた方はここに住むのですか)。」

俺と凛は互いを見交わした。

「私、その覚悟はあるんです。」

凛が決然と言い、俺は驚いた。

「ユウが、あそこの熊野様へ初詣でしたいって毎年言うんです。この人のブログを読むと、毎年大晦日に田舎の神社に詣でたい、雪の参道をサクサク歩き、お燈明の光が雪にやさしく、あたたかく反射するあの光景を見たいって書いているんですよ。私、ここに暮らしてもいいんです。いいえ、暮らしたい。」

「ユウさんとなら、かね。」

「ええ。」

「そんた剛気なことやなあ。惚るっど!
じゃっどん、あたは東京んしやろう(あなたは東京の人だろう)。こげん田舎に暮らすっと?」

「はい、問題なか、です。」

霊たちの歓声が響く。
ただし聞こえているのは凛と俺だけだ。

俺は凛がそこまでの覚悟を持っているとは思っていなかった。
知り合ってようやく2週間が経つかというところ、少し恐ろしくなるほどの濃密な時間、そして展開の速さ。

「熊野様に聞いてみるとよか。」

「では我々は帰るすけね。」

「じゃ、さらば。」


時空の屈曲、他次元の貫入は終わった。

「奥羽越列藩同盟軍の兵士も新政府軍の兵士も今や仲良しなのね。」

凛が再び墓に向かって合掌する。

「ああ。そうだね。仏様と神様に挟まれて150年ほど眠っていれば、いかな仇敵同士であっても仲良くなるよね。」

「ほんなごつそん通り。」

「おい、Hannah Lynn、またぁ薩摩弁かよぉ!」

凛はアハハと笑って、恥ずかしそうな表情を見せて、俺の腕の中に跳び込んできた。
それはそうだ。俺にプロポーズしたのだから。


(つづく)



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There're at least 2 readers of my novel HYDRANGEA

昨日New Yorkのphotographerでchiropractor、
またentrepreneurでもある「やす」さんから、『ハイドレインジャ』をおもしろく
読んでいるとのLINEメールが。

やれウデ(→れ)しや。( ; ; )

これでMooさんとやすさん、2人読者がいることが確定。


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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その7

ハイドレインジャ
〜第2部その7

運転は凛が交代してくれた。
磐越道を西進し、會津盆地の眺めを見ながら俺はCarpentersを歌った。

高校生のとき、この辺りで長兄の運転するクルマの中でCarpentersの「ベスト」をカーステレオでよく聴いた思い出がある。その長兄ももはやこの世におらず、ひたすら懐かしくGood-bye To Loveを歌った。

凛は、「Karenは低い声も出る女性vocalistで、ユウは高い声域がカバーできる男性vocalist。この曲を歌えるって男女ともに難しいことなのに、すごいね」と褒めてくれる。

長兄との思い出を少し語ると、凛もしんみりしてしまった。
Rainy Days And Mondaysがまたメランコリーを増幅させる。

「でもねー」

凛が會津坂下町の塔寺に入る辺りで切り出した。

「私たちの出会いから今まで、なんだかどんどん『トーホグマン』っぽくなってない?」

俺は吊り上げられるように背筋をピンと伸ばした。

「あるいはやはり未完のままの『蹉跌集め』とかも。私たちのストーリーもあなたのブログ小説になるの?地縁や先祖からの因縁とかで霊がいっぱい出てきたり、奇想天外な筋ばっかりで。

私たち、もしかすると近江以来の縁を持っているのかも。それはとても興味深い。でもね、例えば平泉に近江の鋳物師が来たのは900年前。1世代25年として、36世代。2の36乗なんて687億を超えるのよ。(すげ〜!)そんなにたくさん人類がいるはずもないから、ご先祖様が重なっているってことだけれど、いずれにしろ、その36代前のご先祖様の血なんて極限まで薄まってしまっているわ。それでも強い絆が保たれているっていうのはどうなのかしらね。そんなことを言ったら、日本人はみんな天皇家がご先祖様って言えるわよ。さらに人類は一人ひとりみんな血縁だって言えてしまうわ。」

「いやあ、まずは、Hannah Lynnはほんとによく読んでくれてんだねって感心した。」

俺は冷や汗かきかきという体ながらできるだけ平静を装って言った。

「確かにそうさ、たった4代前、100年前から父母までの16人の先祖だって、全員知っている人なんてまずいないよね。立派な家系図を持っている家の人だって、全員知っている、会ったことがあるなんてはずはまずない。6代前の先祖の遺伝子は当代ではすっかり別物に置き換わっているって読んだ記憶がある。

でもね、途方もない数の祖先の誰かの血縁による出現というばかりでなく、この世にもはやいない人との地縁とその人の念の強さも揃えば、彼ら彼女らによる、その地にいるこの世の者への<働きかけ>はあるんじゃないか。もちろん血縁が大きいだろうけれどね、いわゆる霊、あるいは、時空や次元を超えられる『エネルギーの揺らぎ』が、我々今この世で生きる者たちに何かするっていう現象は。でも血縁者ばかりではない。

あの三鷹、井の頭公園脇のDT(Dimension Transcender)は、Hannah Lynnにとって北東北繋がりで先祖共有ってこともあるかもしれないし、とにかく井の頭公園近辺を歩く、DTの好みの若い女性ということも大いに彼を動かし、しかもHannah LynnはDT、すなわち太宰さんの本も持っていたんだしね、そんとき。そりゃあ、penetrations(貫入)を誘発するよ。」

「そうかしら。あの辺り、太宰ファンの若い女性なんていっぱい歩いているかもよ。」

「まあ、それじゃあさっき俺が言った1、2番目の理由が大きいかも。

とにかく俺はね、今回俺がHannah Lynnとつながってから俺たちに起きていることを小説にしたいんだ。さらに、今しているこの体験を基に俺は曲を書いて、仲間たちと録音して、俺の大好きな場所の動画や静止画をバックに小説を朗読し、できた曲を要所に流す朗読モノの作品にするんだ。もちろん主たる場所は野川や狛江を中心にした多摩川、世田谷の砧地域になる。」

凛は「そのアイディアは私のものよ」と心の中でつぶやいていた。

「そう、そうだ!」

俺はさらに興奮して言った。

「Hannah Lynnなら十分そのvideoに被写体として出演できる!」

凛は戸惑いの表情を見せた。

「ユウが私と一緒にいる日々でinspireされて音楽活動をするのは大歓迎、うれしいわよ。でも私がそのvisual作品に出るなんて、それは遠慮するわ。私40過ぎなのよ。」

「そんなの関係ないけれど、もちろん強いることはできない。
でもね、俺がHannah Lynnの歌を、ズバリ君の歌を書けたら、一瞬でもいい、そのvideoに出てくれないか。」

凛はしばらく考え、言ったー

「すばらしい曲だったらね。」

「ああ。きっとそうなる!」

俺は凛に西会津インター前の駐車スペースにクルマを止めように言った。
俺たちはしばらくずっとクルマの中で抱き合っていた。

(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その6

ハイドレインジャ
〜第2部その6

俺の會津の田舎へ安曇野Moore邸から道路上の最短コースで行くのなら、まず県道51号で大町市へと北上し、国道148号で新潟県の糸魚川市へ出て、日本海沿いを北陸自動車道で新潟中央ジャンクションまで行き、磐越道に入り東進、福島県に入る。俺の故郷は県境なので、新潟からはかなり近い。

「Mooreさんからいただいた野菜のことを考えれば、一泊で東京に戻らないとね。」

俺の生まれ故郷N町に入ったときは、夏至前とは云え、さすがに薄暗くなり始めていた。

「ここがユウのふるさとなのね。」

凛がかろうじて見える飯豊連峰を見て、少し感激したように言った。

「あなたと仙川のそばで出くわしたとき、まさか2週間経たずにあなたの故郷を一緒に訪ねていることになるなんてどうして予測できたでしょう!」

「修辞疑問。あるいはLittle did I dream以下の否定語文頭型倒置構文だね。」

俺がそう言うと凛は、

「そうだけれど、私、ほんとに感動してるんだから、混ぜっ返さないで!」

と笑って俺を叱った。

「混ぜっ返してなんかいないよ。レトリックを用いて、ちょいと文学的に語らんといけないような気分だよね、今。俺だってそうさ。

ふるさとの山に向かひて言ふことなし 傍に凛ゐると思へば。」

「それ、ずるい。お得意の俳句をひねってよ!」

「あぢさゐの紫と空境なく、とか。」

「ああ。同じ色になっているってことね。『境なく』なの、『境なし』じゃなくて。」

「言い切っちゃあ、いかんよ、凛さん。それじゃあただの叙述だ。連用形で終わるところに余韻があるっちゅうか、続きを想像させるっちゅうか。」

「なるほどねぇ。習ったの?」

「いや、我師匠一人も持たず候。我流さ、我流。なんでもそう。音楽、歌もね。
ただもちろん<まねび>はあったに決まってるけど。藝術において完全に独自のものなんてこの世にはない。」

「なにしろ、フフ、その俳句気に入ったわ。もう一回言って。」

「あぢさゐの むらさきとそら さかいなく」


故郷の家には嫂が暮らしているが、あまり急の帰郷、宿泊では申し訳がないから、翌日挨拶をしに行くにせよ、泊まりは會津若松の東山温泉ということにした。磐越道で會津若松まで20数分だ。
宿帳には面倒くさいから夫婦ということにした。名前は『野澤ゆう』とした。「熊」とはいつも通り書かない。住所は成城、凛の家のにした。

翌朝朝食をとってすぐに鶴ヶ城へ行った。梅雨真っ只中なのにその日も快晴と言っていいほどのクリアな空で、お城の三の丸の駐車場にクルマを置いて、城郭を散策した。

俺は會津藩が辿った惨い歴史を語り、凛はいたく同情して聴いてくれた。

「新政府軍と一緒に最後まで戦った長岡藩、村上藩、庄内藩、二本松藩、仙台藩に私、ありがとうって言いたいわ。」

凛が言った。

「私、義を重んじる人が好き。幕末の諸情勢の中、各藩、政治勢力の言い分はみんなそれはそれなりに正当性があるでしょう。けれど、會津を始めとした奥羽越列藩同盟の、最後まで裏切らなかった藩、そして新選組の義に打たれない人はいないんじゃないかしら。」

俺はますます凛が愛おしいと思った。それまでももうこれ以上愛おしいと思えないほどだと思っていたけれど。


お城の庭園にある茶屋に入って、一服しているときに、凛がこう言った。

「私の家、藤原はね、奥州藤原氏の末裔らしいの。」

「え?奥州藤原氏?あの頼朝に滅ぼされた?」

「ええ。直系はそのとき絶えたのでしょうけれど、およそ900年前、近江国から鋳物師を奥州藤原氏は招いていたのね。その技術を継承した一族らしいの。その近江人といわば混血した一族ね。」

「へ〜。」

「そういうことからなのか、私の父は製鉄の会社に長く勤めていたの。DCMとも取引があったのよ。」

「だから詳しかったのか。お父様の会社って、日本一の?」

「ええ。国外事業部を司る副社長だったの。」

「で、Hannah Lynn、俺、ほんっとに驚いてんだけど。」

俺は凛の目をまっすぐ見て言った。

「俺の家も、どうやら近江にルーツを持っているようなんだ。」

「會津なのに?」

「そうなんだけど、蒲生氏郷という秀吉の家来で近江・日野の武将が會津太守として戦国末期に入ってきた。そしてさらにその後、関ヶ原の戦いで敗れた石田三成の一族郎党の一部が會津の近江人を頼ってやってきた。そのどっちかのときに俺んちの先祖になる一人が来たらしいんだ。

そしてね、不思議なんだけれど。俺の故郷では、お葬式で西国三十三所の御詠歌を歌うんだ。ずうっと昔からの伝統だって。西国、だよ。奥州會津の片田舎の宿場町で。

補陀洛や 岸打つ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬

これ一番だよ。紀伊・熊野の青岸渡寺の御詠歌だ。」

「あら!」

凛が驚く。

「『ユウ』は漢字が『熊』で、それはお父様が熊野信仰をされる人だったからそう名付けられたって!」

「そう。近江・滋賀だと6つの寺がエントリーしてて、正法寺、石山寺、園城寺、以上大津に在り、さらに宝厳寺、長浜市、長命寺、近江八幡市、観音正寺、同じく近江八幡市でさ、親父はこの近江六寺と那智勝浦・熊野の青岸渡寺の御詠歌を特に熱唱していたんだ。」

「鶴ヶ城って、パンフレットによると、その『鶴』は蒲生家の家紋が舞鶴だからって書いてあるわ。氏郷の幼名も鶴千代なのね。」

「ああ。若松っていう名も、それまでは黒川だったんだけれど、氏郷が郷里に在る馬見岡綿向神社の『若松の森』から取ったというね。俺は実際その神社に行ったことがあるよ。」

「ああ!」

凛が興奮して叫んだ。

「早くユウさんのお家の墓所に行きましょう。きっと<貫入>が起こるから!」

俺たちは天守閣に一礼して、故郷N町へ向かった。


(つづく)




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お知らせ

Mooさんへ

虚数&複素数についてのさらなるご教示ありがとうございます。
訂正もいたしました。

Moore=村畠はあくまでMooさんをモデルにはさせていただいたものの、架空の人物です(苦しい!)。

Moo様&みなさま、どうぞよろしくご了解のほどお願いいたします。


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Recent Events that Showed Synchronicity

小澤征爾さんが成城のご自宅で亡くなったという。
ご冥福を祈る。

私は氏を2回お見かけしたことがある。
1回目はもう30年近い昔、成城4丁目の細い道を、当時でも少し旧型の、クリーム色のベンツを運転しておられ、歩いている私とすれ違った。私もよく憶えているものだ。それだけ印象的だったんだ。

2回目は10年ほど前か。ご子息と住宅街のやはり細い道から成城通りへ歩いて出て来られたところを目撃した。父子、仲睦まじい様子だった。もう癌を患っておられたはずで、「ああ、お元気そうだ」とうれしく思ったものだ。

小澤さんは「サイトウ・キネン・オーケストラ」で長野県松本市と深い縁を結んだ。その「サイトウ」とは桐朋学園での氏の恩師、齋藤秀雄氏のことだ。桐朋学園は、成城からクルマならすぐと言っていい調布市若葉町にある。最寄駅は京王線仙川だ。

話は変わって、おとといNHKBS4Kの番組表を見ていたら、「多摩川」、「野川」の文字ー
録画しておいて後で見たら、長野県北安曇郡池田町出身のタレント乙葉さんが野川を多摩川との合流点から上流に向かって散歩するという番組だった。

当たり前(?)だが、全てのロケ地が私には馴染みの場所で、成城4丁目の、野川が世田谷区部では最も美しい佇まいを見せるところでのロケで、カワセミなどを撮る4丁目住民のご老人が紹介され、その方の野川の四季を写した見事な写真も紹介された。


今、ロクでもない小説を書いているが、野川、仙川、成城、調布、長野県松本市、安曇野の池田町にまつわるニュースや番組がシンクロした。

ユングなら驚きもしないだろうが。



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その5

ハイドレインジャ
〜第2部その5

新たなコーヒーを淹れて村畠が戻ってくると、凛が話しかけた。

「私は、虚数のことは措いておいて、Mooreさんの、耕作する人としてのあり方にとても共感してこちらにお邪魔させていただきました。

インテリが肉体を痛めつけて糧を自給するー
そのことでフワフワとした観念の世界だけにとどまらず、リアルな生産の喜びを体験するー
その図式がまずすばらしいと私は思っています。

耕作予定地を覆う草木、土の固さ、石礫の多さにまずは悩まされ、虫害や獣害もありながら、できうる限り農薬を用いず対処して、また天候の不順などにも心穏やかでない日々を過ごし、足腰などに大変な負担をかけさせられて後の収穫の喜び!

私は東京成城に生まれ、親が裕福でしたから、そういう耕作、農業の楽しみはただ想像するだけです。けれども、私が本当に地球の環境保全運動に勤しむなら、避けて通れないことをMooreさんはなさっています。しかも、ただ晴耕雨読的生活を営むのではなく、しっかりと<公共>へのアンガジュマンもされている。

数学者として、耕作者として、そして共同体の一員として、失礼ながら古希を超えた高齢者がそのそれぞれの立場で全力を尽くしていらっしゃる、尽くし続けていらっしゃるそのMooreさんのお姿をぜひこの目で見たいと思ったのです。」

「いやあ・・・そんなねぇ。」

Mooreは複雑な笑みを湛えて応じた。

「大したもんじゃないんですよ、凛さん。私はただね、おっしゃっていただいた、<公共心>が強いっていうのはありますね。John LennonのIMAGINEの歌詞で言えば、brothethood of man、それはいつも意識している。お互い様精神というのも近いね。

『住民一人一人の相互の関わり』と私は過日のブログに書きましたけどね、それです。共同体を少しでも良くしていこうという共通の意志を持つ人と繋がること。そしてそういう人々との関わり合いこそが、みんなで成そうとしている集まりの目的そのものよりも尊かったり、生き甲斐になったりすることもあるんです。そこがおもしろいね。」

「そのbrotherhoodは訳せば『兄弟であること』だけれど、みんな兄弟<愛>って訳しますよね。」

凛がまた応じる。

「『愛に満ちている』世界を目指すと言うより、もう愛は十分この世に満ちているんだと思うんです、私。それを発見する、あるいは掘り起こすのが人生なんだってこの頃思うんです。

愛は為すものです。為されて初めて愛だと思っています。Paul McCartneyがBeatles最後の曲、The Endで、

The love you take is equal to the love you make
(受け取れる愛は為す愛に等しい)

と。真理です。
そして私はこのことに付け加えたい。

The love you make should be equal to the love you've taken from this world
(為す愛はこの世から受け取ってきた愛と等しくあるべきだ)

と。

この世から受け取ってきたその愛は、いつもいささか過剰ではありませんか?
耕作してきた労苦は、何倍にも報われていませんか?
小さな種が、実として数十倍とかになっています。もちろん手はかけました。でも、太陽や水、土の恵みがその耕作者の手間に対して過剰と言えるお返しをしてくれる。

その過剰を感謝して、その分自分は自然に、そして他者に、愛を為すべきなんだと思うんです。愛<溢れる>行為をすべきなんです。

だから、その耕作者に自然が過剰に報いてくれる図式をずっと守りたい、守らねばならないんだって思うんです。」

「Hannah Lynn!」

俺は涙を堪えながら凛の名を呼んだ。
村畠は大きく頷いて、ゴーヤー・カーテンから覗く青空を見上げた。

「ねえ、ユウ。」

凛が俺の目をじっと見て、

「私たちの耕作地、あなたの故郷、會津に持たない?」

と言った。

「Great idea!」

俺は間髪入れずに答えた。

「見に行こう、どこにするか。善は急げ、Make hay while the sun shines!」

「おいおい!夕飯も食べずにもうお帰りかい?」

村畠があわてて口を挟む。

「使わない私の数学脳はもうパンク、胸もいっぱいっす。また来ますから。」

「そんなこと言って、また何年も来ないんでしょう?」

「いえ。凛と私の作品ができたら、真っ先に持ってきますから。
作品の名は『Penetration』、貫き、貫入です。副題は、The love you make should be equal to the love you've taken from this worldかな。ちょっと長過ぎか。後で削ろう。」

まだまだ太陽が高い裡に俺と凛は安曇野を去った。
トランクには、村畠とお連れ合いが手塩にかけて育てた野菜がどっさり積まれた。


(つづく)




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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その4

ハイドレインジャ
第2部 その4

「かいつまんで言うとね、ユウさん、i は決して<あの世>の数ではない、むしろ、<この世>は実数だけから構成されていると思っていた、あるいはそのような認識に閉じ込められていた我々の世界が、実は単に狭かっただけで、宇宙的なトータルな世界の数として認識し直すべきなんだ。」

「むむ。平面領域、そこでの運動は、実数だけで表記できるなんて認識は誤りだったってことっすか。」

「うん。と言うか、新たな数の<存在>が必要になったということだね。例えば、スーパーマンやウルトラマン。ユウさんがウルトラマンが誕生した砧7丁目の隣である8丁目に住んでいるから敬意を表してウルトラマンとしよう。これが地球上に現れた。外見は、特に首から下はまるで地球人と変わらないけれど、はるかに優れた能力有している。」

「すぐにエネルギー切れを起こしますけどね。」

「え?・・・なにしろ、人間の遺伝子を実数単位1、ウルトラマンの遺伝子を虚数単位 i で表すとすると、人間とウルトラマンの住む広い宇宙的世界全体が『a1+bi 』で形作られている、と再認識できるわけだ。言い換えると、これまでは a だと思いこんでいたものが、実は人間には尻尾があって本当は『a+0i』だったのだ。ただ、見えていなかっただけなのだ。また、ウルトラマンは『0+bi』だったのだと理解できた。当然ながら、人間とウルトラマンとの間の子は『a+bi』の1人なのだ・・・と。宇宙は i (愛)に満ちている!ガハハ、お粗末!」

俺も凛も反応に苦慮する。

「エヘン、オホン!それでだね、あ〜、このことはだね、ガウスが示したようにぃ、横軸(実軸)を実数に、縦軸を虚数(虚軸)として表される複素平面がぁ、まさにぃ、拡張された認識を示す舞台となっていることでも明らかなのである。」

Moore先生はまるで明治期の自由民権運動演説会の弁士のように語る。聞いたことないけれど。

「なるほど。」

俺は腕を組み、感心したように首を赤べこのように縦に振って言った。

「つまりウルトラマンとフジアキコ科学特捜隊員、あるいはウルトラセブンとウルトラ警備隊のアンヌ隊員が結ばれて子どもができていたら、複素数であったろうと・・・。」

「あああ?」

村畠は呆れた顔をし、凛は右手の人差し指を左右に振って俺を諌める顔をした。

「ユウさんの数学音痴を慮って、卑近な例を出して解説したのになあ。」

Mooreは気を取り直し、解説を続けた。

「従ってだねぇ、虚数の<虚>は、かつてはテクニカルな要請、単なる方程式の解を合理的に説明するための”想像上”のものとしか考えられなかった名残を留める名称に過ぎず、現在では複素数は、数学や物理の中で普通の数としてごく自然に扱っているのでぇある。

だからだねぇ、ある日、別の星から違う種族がやってくる、あるいはそれらと遭遇するとなれば、さらに世界は拡張されることになりますなあ。複素数世界は座標平面上のことだが、数学の世界では、i, j, kを使った四元数というさらに拡張された数も生み出されて、実際にはほとんど目にすることはありませんけれど実用化もされているというのでぇあります。」

「そっか。」

俺は、Mooreの口調が今度は長州出身の軍人のようだと思いながら、そしてそれについては不満に思いながら、一応納得の声を上げた。

「でもね、Mooreさん。その4元数では4次元が絡むんすか。」

「いや、4元数は3次元空間でのスピンの計算で使われるんだ。」

「じゃあ、ijkの後、lまで含めて5元数になったら4次元空間を扱うと・・・。」

「それは分からない。そうなるかもしれないねぇ、人間とウルトラマンのhybridが、さらに新しい惑星の生命体と出会って子孫を成すようなこともあるだろうかねぇ。」

「あんまりいい比喩じゃないですな。」

「失礼。私も訳がわからなくなってきた。」

村畠は頭を掻いた。

「まあ、なにしろー」

そのとき凛が俺に、「Mr. Moore's pet phrase, too. I mean, 『なにしろ』」と囁いた。

「エホン、アホン!なにしろです、オイラーの数式もおそらくシュレーディンガーの波動方程式も、人間の拡張され深化した宇宙の認識を端的に表現しているのであって、<あの世>と<この世>の結節点に存在しているのではないというのがとりあえずの結論ですかねぇ。

しかし、私たちの認識はこれほど深化したと言っても、広大な宇宙規模から見ればほんの取るに足りないものであるかも知れないのです。当然ながら、知り尽くしたわけでも、宇宙の果てに到達したわけでもない。ダークマターの正体もつかめていない私たちですからねぇ。」

「Mooreさんー」

俺は即座に反応した。

「ダークマターの正体もそうだけれど、<なにしろ>私たちは私たちの存在の意味すら分からないわけで。科学技術は単細胞生物一個も作れていないわけで。意識とは何かも科学的には全く説明できないわけで。脳の電気信号を使った活動なんて定義したって、クオリアなんていう言葉を作ったって、意識そのもののことを説明できないんですよ。」

「まあー」

と村畠は顎を撫でながら、度の強いメガネで小さくなった目を光らせて、

「私は、ユウさん、ご存知の通り唯物論者だし、どんな神秘的現象も、今は説明できなくとも、いつかは科学で解明できると信じているんだよね。」

「ええ。」

俺は組んでいた腕を解き、手を膝に置いて言った。

「そうかも知れません。でもね、さっきMooreさんが寒いシャレ・・・もとい、巧みな言葉遊びで言われましたけれど、『宇宙は愛に満ちている』というのは、俺や凛にとってはそれこそそれを実感したいことなんです。虚数はimaginary number・・・そう、imagineすることが数学における新しい領域の発見につながった。<想像すること>、<想像する力>こそがこの世の解明につながっていく。そしてもしかすると『あの世』、この世の世界での未発見次元ないしは他のmultiverse(多元宇宙)の構成宇宙とのリンクを発見することにも!

『War Is Over If You Want It』とJohnとYokoは言いました。『Is』を使ったんです。『Will Be』じゃないんです。戦争は終わる、これから、ではなく、<終わっている>なのです。それをwantする、あるいはそうimagineする。すると即座に本当に戦争は終わっているんです!もう殺し合うことのない世界になっているんだというimaginationが、人類で初めての新しいphaseに私たちを入らせてくれるんですよ。

Imaginary dimensionsは、今の量子論では6つあるそうです。誰も見たことはないわけだから、imaginaryなわけです。でもその想像力こそが、量子論と相対論を結びつけようという科学者たちの原動力になっている。宇宙を作る力、原理が、確かにMooreさんの言われる通り、いつかは解明されるかも知れませんね。そのForceが、Principleが、愛だったりするー

科学的でも哲学的でもない予測ですが、歌うたいとしてはそう願うんです。」

「ユウさんらしい。結構だ!」

村畠はニッコリと笑った。

「ユウさんの今の行動の力、原理は凛さんだね!」

俺は凛と見つめ合って、テーブルの上で彼女の手を握った。

「あ〜〜〜、あっつい、あっつい。エアコン効かねぇな。」

村畠はそう言ってキッチンの方へと引っ込んだ。


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その3

ハイドレインジャ
第2部 その3

村畠の家の広い駐車スペースにクルマを停めたとき、彼は<ゴーヤー・カーテン>で日差しを避けながら濡縁で一服していた。

「いやあ、Mooreさん、電話を差し上げていたとは云え、いきなりの訪問となってしまいすみません!」

村畠は立ち上がり、つっかけを履き、ニコニコと俺たちの方へやってきて、

「はいはい、ようこそ」

と言い、もちろん初対面の凛を少し眩しそうに見た。

「初めまして。いきなり来てしまいまして、ご迷惑でなければー」

凛が頭を下げた。

「いやあ、お噂は予々・・・ではないな。」

村畠はひとりボケ、ひとりツッコミをした。俺たちは笑った。

「私は金がねぇ。」

さらに彼はボケて、凛はキョトンとした。

「ユウさん、あなた、なんという恵まれ方だ。こんな・・・まあ、容姿のこととかは言わぬのが正しいから言わないが。凛さんですか、Mooreです。お目にかかれて光栄です。」

俺はひたすら照れる。凛は村畠と握手をした。

Mooreは、

「連れ合いはある団体の映画鑑賞会で松本へ行っていてね。よろしくと」

と言いつつ、家の中へと俺たちを誘導する。

「そうですか。どんな映画なんですか。」

俺が訊くと、

「黒澤明特集らしく、『夢』と、確か『七人の侍』デジタル・リマスター版だったかな。」

俺と凛は互いを見交わした。

俺たちはダイニングルームへ。Mooreはコーヒーを淹れる準備をする。

「凛さんは紅茶かな?」

気配りをしてくれた。

「いいえ、コーヒーをいただきます。ありがとうございます。」

凛がハキハキと答えた。
Mooreは凛を2、3秒見つめて、ニッコリと笑った。

「今日はなんとか晴れて、北アルプスもあなたがたを歓迎しているね。」

「これほど山々が迫るように見える場所だったんですね、安曇野って。緑滴る、和してまた清しのすばらしい山々!」

凛が応じた。

「凛さんは、東京生まれ?」

Mooreが訊く。

「俺すら訊いてないや、その質問。」

俺はそう言って笑った。

「成城?それともLondon?」

「成城よ。」

「Out of the blueだったんだね、お二人の出会い。付き合いだしてどのくらい?」

「それが・・・。」

俺は口篭った。

「六月に入ってからですからね、今日は12日?出会って2週間経ってないか。」

俺は凛に顔を向けて言った。

「私、実はユウさんのこと、ブログで知ってそれなり経つんです。実際にユウさんと会ったのも、偶然とは言い切れないと言うか・・・。」

「ああ、そうなんだ。」

村畠はコーヒーをテーブルに置きつつ、

「長く、やめずに書いてきて、よかったね、ユウさん」

と言ってニンマリと俺を見た。

凛は成城アルプスの焼き菓子の手土産をMooreに渡し、彼はそれでは早速それをコーヒーの友にしていただこうと開封した。

「ユウさんの行動パターン、趣味、思想、などなど、もうブログで予習済みだったんだね。」

村畠の言葉に、俺は、

「なんかstalkerみたいだな、Hannah Lynn!」

と言って笑った。

「そうですね。ある意味stalkerでしたね。」

凛が応えた。

「それこそ偶然に開いたユウさんのページに、さらに偶々上げられていた彼の野川の歌に打たれてしまったんです。以来、気になってしまって。」

「いいなあ。」

Mooreが言った。

「自作の曲・歌を作り、歌えるって。それを今の時代、理論上世界中の人に聞いてもらえるんだものね、ネットに上げれば。」

凛がテーブルの下の手を延ばしてきて、俺の手を握った。
Mooreには見えないようにしていたが、彼はそんなに鈍感ではない。

「いやあ、アツい、アツい!」

と言ってエアコンを入れた。

「二人の会話に英語が出てくると、すばらしい発音で圧倒されるよ。<アウト・オヴ・ザ・ブルー>なんてさっき私、発音したけど、お恥ずかしい。」

「いいえ!」

凛が言下に否定した。

「Mooreさんは富山有数の進学校を出て、東北大学理学部数学科を卒業されているんだ。俺たちこそ今度は数学知識の至らなさに赤面する番だよ。」

「あら、私は数学嫌いじゃないし、大学に入るのに一応勉強したわよ。」

俺はタジタジになった。

「で、虚数のことだね。」

村畠が彼独特の響く低い声で言った。


(つづく)




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The End of Hisha-Swingers?

藤井王将、4タテで防衛。
無敗のままタイトル戦20連勝、新記録樹立。

挑戦者菅井八段は悄然と投了、インタビューを受けていた。
「<戦い方>を変えないといけないかもしれない」とまで言っていた。
看板の振り飛車を捨てるのかとも解釈できるような話だ。
「振り飛車党最強」を自認し、他も認めていた中、驚きの一言である。

確かに史上最強棋士が徹頭徹尾居飛車を採用する事実を全ての棋士があらためて噛み締め、
振り飛車党の棋士は、実力伯仲以下の相手なら飛車を序盤でスライドさせる戦法が変わらず
通用するのだからと甘く見るかもしれないが、最強棋士が完膚なきまで振り飛車という
戦法の根本的な弱点、もしかすると棋理に反する可能性まであることを示してしまったのだ。

とにかくまあ、なんという棋士が生まれたものか。

菅井さんは「イキり系」の棋士で、闘志むき出し、そしていつも何かにイラついている
ような棋士で、正直苦手なタイプだ。棋士はファイターなのだから、それでいいという
向きもあるだろうけれど、先日書いたように、「<play>er」でもあることも忘れて
ほしくない。藤井さんに2連勝した大昔、つまり藤井さんがまだ15や16歳の頃に、
敵意丸出しで不遜とも言えるコメントをしたこともあって、
私は彼がいつか後悔する日が来ると思ったものだ。

しかしこの負け方はあまりの衝撃で、菅井さんの棋士としての根幹を揺るがしー
あるいはもしかすると壊してしまったかもしれない。

どうか、傷心の今だろうが、可及的速やかにrebulidに専心してほしい。

両者ともお疲れ様でした。


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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その2

ハイドレインジャ
第2部 その2

村畠が住む安曇野I町への途中、大王ワサビ園に寄った。

「なぜ『大王』なの?」

凛が訊いてきた。

「ここ、黒澤明監督の『夢』で出てくるシーンを撮ったところでしょ?」

「そうだね。寺尾聰さん演じる旅人と笠智衆さん演じる水車の修理をしている老人がここで話し込む。老人は徹底的に科学技術文明を厭う。人間は自然の一部だ、<自然のこころ>を理解しない特に科学者には『困る』って言うんだよね。」

凛は蓼川の流れをじっと見ている。

「大王のことだけれどねー」

俺も川面のきらめきを見ながら、想像を交えて語り出す。

「大王はこの安曇野の先住民族の長のことだよ。彼らは縄文人だったと言って多分差し支えない。アイヌだったとすら、もっと厳密に言いたいくらいだけれど、まあ、勝手に俺の推量を語るにせよ、ちょっと控えめに言っておくよ。

長く平和にこの水と森の豊かな大地に暮らしていた。そして後に弥生人ないしは古墳時代人の侵入を受けた。入ってきた方向はきっと北から、日本海側、糸魚川の方からだ。その弥生人ないし古墳時代人の代表は、諏訪大社に祀られることになった元々は出雲のタケミナカタ、そして彼に連なる一派だ。まあ、諏訪は南だから、南からの侵入だったかもしれないけれどね。でもそれだと出雲から陸路ということになるから、説としては相当苦しい。

で、大王たちは抵抗したが、稲作技術を持つばかりか優れた武器も持つ出雲の一派に結局屈服することになる。大王たちは処刑され、また耳を削がれたようで、耳塚がこの辺に今でも散在する。」

「まるで見てきたかのようね。」

凛が笑う。

「ユウの『トーホグマン』に書いてあったわね、そう言えば。なんだかあれ、長すぎて読み切れてないけれど。」

「ち。」

俺は戯けて舌打ちをした。

「まあ、安曇野に限らず同じような征服・被征服の図式は全国にあったし、特に東日本や北日本はそれが比較的最近ー と言っても例のアテルイの時代、平安初期くらいのことかなー あったわけだ。もちろん、北海道となればもっともっと最近、江戸末期や明治、いや今だって愚かな国会議員がアイヌを虐めているけれどね。」

「沖縄もでしょ。」

「そうだね、その通りだ。先住民族を南や北に追いやり、そしてとうとうその追いやった先にも現れて、虐げる。」

そのとき、黒澤さんの『夢』で鳴くカッコウとは違って、メボソムシクイが鳴き出した。ウグイスに似た鳥ながら、俺にはツヅレサセコオロギのような鳴き方に聞こえ、大好きな囀りだ。

「Mooreさんのお連れ合いが沖縄の人なんだ。」

「そう。」

「Mooreさんは辺野古基地建設反対で座り込みもしたんだよ。」

「すごいね。この安曇野の町でもいろいろと町をよりよくするための活動を長く無償でされているんでしょう?」

「その見識、そしてその見識からの即座の行動ー 俺の知り合いでこれほど、Hannah Lynnが言っていたAll You Need Is Loveの<Love>をする人物はいない。」

「そのMooreさんに私は、単純にお会いして、勇気をいただければって思ったんだけれど、ユウは何を今回彼から訊きたいの?」

「端的に言えば、シュレーディンガーの波動方程式に虚数が入るのはどうしてかを聞きたいんだ。量子のふるまいを確率的に規定するこの方程式にimaginary numberが使われる。むろん虚数、複素数という数の存在は数学的にはテクニカルな要請からのことかもしれないんだが、少なくとも、
<この世>を作る素粒子のふるまいを表すのに<あの世>のようなー 実数ではないっていう意味でねー 数を用いる、用いざるを得ないことをどう思うのか、数学者としてのMooreさんに聞いてみたいんだ。数学上の要請、数学上の発見が、物理学で現実に反映される、あるいは応用される図式についてだね。」

「むずかしそうね。」

「ああ。俺も何を自分で言っているのかよく分からん。なにしろ数学には高1早々にサヨナラした俺だ。でもな、Hannah Lynn。複素数を可視化するのに使われる『虚軸』というやつが、例の、俺たちが知覚できる<異次元の貫入部>を理解するのにヒントになるような気がするんだ。」

「それが分かれば、今度は私たちが貫入できたり?」

「もうし合っているじゃないか。」

凛は顔を赤らめた。

メボソムシクイがまた鳴いた。
笑っているようだった。


(つづく)


*てなわけで、Mooさん、ご多忙中恐縮の至りですが、ご見解をブログでお示しいただければ、幸いこれにすぐるものなし、でございます。


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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』第2部〜その1

ハイドレインジャ
第2部 その1

俺と凛は安曇野への途上にいた。
俺の友人である村畠耕作に、あるアドバイスをもらいに会いに行くのだ。

彼は元高校の数学教師。故郷ではない安曇野に移住、当初はそこで引退生活ということだったはずだ。休耕地を借りて自家消費の野菜などのために畑作をしており、確かに晴耕雨読の日々にはできるし、ある程度はそのような生活ではある。ところが、彼はその安曇野の自治体の町民として、また日本国民として、社会に積極的無比に関わり、悠々自適の隠居生活とはかけ離れた<利他>行為に文字通り忙殺されている人物なのだ。

彼の行動原理に宗教は一切ない。だから凛と俺との「汎神論的pro環境保護音楽」について語るにしても認識のズレは出るに決まっているのだが、それでも、共通のゴールを持つならば、方法論の乖離などはこの際問題ではない。それどころか、その方法論のズレをむしろ楽しんで聴いてくれる人なのだ。

彼の住む町から見える北アルプスの例えば常念岳山頂を彼と俺たち二人が目指すとき、その登山計画やルートは異なっていようとも、途中までの山行で分かち合えることは多いはずだ。そして互いに登頂に成功したら、そのてっぺんで今度は喜びを分かち合える。「互いに正しかった」と。

安曇野へ急遽クルマを飛ばすことになったのは、俺と凛が村畠のブログにおける、表題「くじけそうになるとき」を読んだからだった。

以下引用ー

「農業は年単位だから、途方もない時間と労力を要する。田んぼでの生産、管理も、機械力があればそれほど人の力は必要ないとはいえ、今日苗を植えて来月収穫できるわけではない。野菜ともなれば、どんなに機械力があっても、年中熟練した労力と知力が求められる。失敗することも、自然の猛威の前に屈服することもまれではない。

そこでは、時間がゆっくり流れていく。そして、この時間の流れこそが、人間の生存を根底から支えている。

それとは対照的に、コンピュータに制御された工業・商業・流通は常に1分1秒を争う世界だ。世界が違う。ある意味で、都市と農村では時間の流れ方が違う。

ICTやAIの進化によって、快適な生活と未来が保障されると描かれることもなくはないが、実際の働く人々の実態は、企業の都合によって圧倒的に選別・非正規化され、その恩恵にあずかることはまず考えられない。

そして、利潤追求の資本に縛られ、時間に支配されたまま、その日その日の暮らしに追われ続けていく。」

「ところが、3.11や阪神淡路の地震のように、大災害が発生すれば、上に書いたような日常は直ちに破壊される。人々は一人では生きていけないことを身に染みて実感する。もし、大都会で同じ事態になれば、他人との関わりを避けてきた人たちほど為す術がないことは自明だ。」

引用一旦終わりー

朝二人でまどろんでいて、凛に手をつかまれた状態で俺は凛のラップトップを借り、あくびをしながらニュースなどを見てから村畠のページを開いて、読後、「すげぇなあ、耕作さんは、やっぱ」と声を上げ、凛が頭をもたげ、「なあに?」と画面を覗いた。「ああ。ユウの記事によく出てくるMooreさんね」と言い、「Can you read it aloud for me?」と頼み、またまどろみの中へ入って行ったのだが、俺がこの村畠の文を読み始めしばらくすると、いきなり上半身を起こした。

俺が読み終わると、凛は直ちに言ったのだー

「認識の正確さ、高い高い知性。ぜひ会いたいわ、Mooreさんに!すぐ!善は急げ!」

「ハハハ。Strike the iron while it is hot(鉄は熱いうちに打て)だね。」

「いいえ、Mooreさんの場合なら、Make hay while the sun shines(日が照っているうちに干し草を作れ)よ。」

俺は痺れた。

しかし、俺も凛ももっと痺れたのは、Mooreさんのこの記事の最後の段落だ。

「しかし、歴史は、悪い方向だけに動いているわけではない。

農村でも都会でも、人間が人間らしくあるには、お互いが助け合い地域での公共を大事にする人々、農地は農地だけではなく保水・景観に重要な役割を果たすことを理解し、山林は、建築・土木の素材を提供するだけではなく、海の栄養を蓄え、酸素を供給する場なのだと理解して守ろうとする人々もまた存在する。都会でも同様だ。

地域の人々のエネルギーを最大限に発揮するには、住民一人一人の相互の関わり=自治能力の向上しかないのだと経験から掴んでいる人たちが必ずいる。

そのことを信じてともに語らい、人々の輪を一歩一歩広げていくしかない。戦争や不正義とたたかい、よりよい未来を目指した人たちはみな、知力を尽くしそのようにして歩いてきたのだから。」


(つづく)



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真白き達磨

東京は昨日「大雪」となった。
重たいボタ雪で、會津のとはまるで違っているのはしかたがないか。
會津の雪は結晶がしっかり形を残して舞い降りる。

それでもこの非日常を楽しむ。
午後11時、私は砧公園へ向かった。
途中NHK技研の広場では若者たちが<かまくら>を造っていた。
また道々、<泥がついていない>雪だるまがいくつも見られた。
しっかり降ったのだ。

雪原となった園内、誰とも出くわさなかった。
それでも、やはり<酔狂>な人がいて、比較的新しい靴跡や自転車の轍があった。

昨日の雪が特に珍しかったのは、「雪おこし」が鳴ったことだ。
つまり雷を伴う降雪だったということだ。
こんなことは會津でも記憶にない。
「雪おこし」と言えば、主に北陸の海沿いで起こる現象だろう。

忘れられない一日となった。

東京に真白く立つや雪だるま


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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その26 第1部最終章

ハイドレインジャ
その26

結局その夜、俺は凛の家に泊まった。
俺は当代の大作家のように臆面なく「erao」のことを描写する気はない。

古代ギリシアでは4つの「愛」を区別したー
eraoは性愛、phileoは何かを好む愛、agapaoは敬愛、stergoは肉親や兄弟への愛と言っていい。俺の凛に対して湧き上がる愛はstergoを除いてすべてだと言える気がした・・・
と言いつつ、stergoも感じていたか?

俺は、朝凛が淹れてくれたコーヒーを飲みながら彼女が手入れする庭を眺めていて、はっきり凛に溺れているという自覚を持った。その庭には数株の紫陽花が今を盛りに咲いていた。

「私はこの地球の生態を守りたいって思っているわ、それもかなり強く。」

凛が俺の後ろに立って言った。

「Nigelの汎神論的な環境保護へのアプローチは間違っていない。もちろんこの科学技術一辺倒とも言える現代では、すべてのものに神性が、仏性が宿っているなんて言っても、カルト臭いとか、詩歌の世界でのことでしかないとか言われてほぼおしまいだけれど。」

俺も凛も窓脇のソファーに座った。

「ユウはブログでShirley MacLaineのこと書いていたわね。彼女の、80年代に全米を驚かせた著作『Out on a Limb』と『Dancing in the Light』にある<God Force>ー
彼女は、彼女のセミナーで『あなたを神とは思えない』って言ってきた参加者に、『If you don’t see me as God, that’s because you don’t see yourself as God』とキッパリ言ったって。NigelはそのShirleyの信奉者だった。彼女はIrish Americanで、馬が合ったのね。俺も神、君も神、木も花も、鳥も獣もみんな神。そしておいらはおいらが神なる宇宙を夢見ている神ー
And I'm God who's dreaming of a universe where I'm Godって。」

凛はスマートフォンで検索を始め、ページを見つけて、

「一方でね、太宰治は『渡り鳥』で、『近代音楽の堕落は、僕は、ベートーヴェンあたりからはじまっていると思うのです。音楽が人間の生活に向き合って対決を迫るとは、邪道だと思うんです。音楽の本質は、あくまでも生活の伴奏であるべきだと思うんです』って、楽聖に向かって一刀両断するの。Mozartを称揚する一方でね。」

「えぇ?」

俺は怪訝の声を上げた。

「小説の登場人物に言わせたとしても、太宰さんの考えだね、きっと。一体どのBeethovenの作品について言っているのか判然としないけれど。音楽が生活に向き合って対決するのは邪道とは!生活の伴奏であるべきだとは、音楽は生活する主体に干渉するなってことか?あくまで生活者=ソリストの演奏あっての彩りってことか?しかし、そのソリストが奏でているのは音楽じゃないのか!

まあ、何も小説の中の1セリフにギャアギャア言ったってしかたがないけど。それでもまた三鷹に行って、次元貫入部にお出まし願いたいな。<どういふ意味ですか>と訊きたいぜ。」

「それは措いておいてー」

と凛が言った。

「ユウは昔Nobody wants to hear singers lectureって歌詞の歌、作ったでしょ。誰も歌うたいが講義するのなんか聴きたくはない、って。」

「う。そんなこともブログに書いた?しかもそんなところまでHannah Lynnは読んだ!」

「ユウも、Nigelも、そして私も、<人間の生活に向き合って対決を迫る>音楽を目指したし、目指しているじゃない?全てが全てではないにしろ。ユウのWhen There's No-One Left to Hearという反戦反核の歌とか。それが聴かれない、邪道だと言われてしまう向きは確実にあるのよ。その痛みを私はNigelと分かち合ったと思うの。」

俺はソファーの右側にいる凛を抱き寄せた。

「分かったよ。ありがとう。君とNigelの関係性はもう十分に分かった。」

俺は彼女にキスをして、

「これからは、僕らの音楽だ」

と囁いた。

「一緒に<汎神論的pro環境保護音楽>を追求しよう、Hannah Lynn。」

凛はうっとりとした表情を俺に見せて、再び俺の唇を求めた。



ハイドレインジャ第1部 完


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2024 如月雑記

昨日、録っておいたNHKBS『七人の侍』を深夜に見始めてしまった。
Intermissionを含め3時間をゆうに超える大作だ。
睡眠パターンがひどいことになってしまった。

YouTubeでのこの作品への大量英語コメントを、もしよかったら読んでみてください。
どれほどに高い評価を得ていることか。
パーフェクトな映画だというのが<平均的>なコメントなのだ。
「無駄なシーンがひとつもない」、「ひとつひとつのシーンが絵画のようだ」と。

こういうことで日本を誇れ!
これを見て、一体自分がどうして愛国・国粋主義を唱えつつ、
「公金チューチュー」ができるものかと恥じ入り、潔くdo harakiri!
あなただよ!

本当に奇跡的な映画だとあらためて思う。
志村喬、三船敏郎、宮口精二、千秋実などなど・・・なんという個性煌めく名優たちが
参集したことだろう!

そして今回何十年ぶりかで見て、津島恵子さんの美しさ、愛らしさに打たれてしまった。
その津島さんのヒップを執拗に写す黒澤監督の<意図>に少し面喰らい、また笑った。

この映画、語り出したら止まらない。
この辺で。

*

今日は棋王戦第1局。
9時開始でもう82手進んでいる!終盤と言っていい。
藤井棋王と伊藤匠七段の研究済みの局面が続く!
そしてNHK杯の放送も、なんと準々決勝藤井NHK杯vs伊藤匠七段。
将棋ファンにとってなんという日だ!

*

今日のNスペは能登地震について。
しっかり見て、心に刻み、この非力で浅学非才の自分に何ができるか考える。


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