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Mooさんに<お広め>いただきました

Mooさん、ハイドレインジャを貴ブログに取り上げていただき、ありがとうございます!

ユウと凛のこと、「MNEMOさんの憧れというよりむしろ、
こうありたいと願う自分とその分身なんじゃないかなあ。」

また「知的で幻想的でもあるMNEMOワールド全開です。」

ご感想ありがとうございます。

後段はさておき、なるほど、と申しておくに留めておきます。

これは後に映像化しますので、絶対書き上げます!
まあ、いつ終わるかは私も分かりませんが。


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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その22

ハイドレインジャ
その22

「Nigelのことだけどー」

俺は少し躊躇はしたが、切り出した。

「驚きね。」

凛が、脈絡なく、そう言った。
俺はカーステレオの音量を下げた。

「何が?」

「さっきBurt Bacharachの曲がかかっていたでしょう。」

「うん。」

「Bacharachって、まずそのLoreleyの在るところって言っていいのよ。世界遺産のライン渓谷中流上部の都市。」

「え?地名だったの?」

「私、行ったことがあるの。」

「・・・Nigelと?」

「そう。」

凛は重苦しそうに返事をした。

「私がNigelと最初に会ったのは、先日言った通り、ロンドンで母と暮らしていた頃、およそ20年前のこと、つまり一旦日本に戻っていて、私が玉川上水でDTに出会って、後に再び渡英してすぐのことよ。再びって言うのは、私はイギリスで大学を出ているの。CambridgeのFaculty of Modern and Medieval Languages and Linguisticsで、言語学が専攻だった。

ミュージシャンとして、私はピアノを弾き、歌も唄ったけれど、フロントに立つより作詞作曲家として生きていければって願っていたの。特に作詞家としてね。

前に話したカムデンでのgigでNigelの音楽に魅せられた私は彼と付き合うことになったの。彼は自身がウェールズ人だと言っていたけれど、母方の曽祖父がドイツ出身だったって。初めて二人で旅行するということになって、彼はバッハラッハ(Bacharach)を中心にライン川を見たい、Loreleyの岩山を見たい、というのもその曽祖父の家は元々バッハラッハに在ったという話をお母様から聞いていたからなのね。

ガイドブックを見ながら、そして地元にあった歴史館のパンフレットを読みながらバッハラッハを歩いていると、段々Nigelの様子がおかしくなってきたの。何かブツブツ言ったり、首を小刻みに左右に振ったり。

ヴェルナー礼拝堂(Wernerkapelle)という13世紀に起きたある事件の犠牲者を祀ったKapelleの廃墟前に来ると、彼は<壊れた>の。」

「壊れた?」

俺は聞き返した。

「ええ。半狂乱になって、あの自分の歌、The Plotterを歌い出し、そして、

Blessed are those who believe without seeing me!
(我を見ることなく信ずる者こそ幸いあれ!)

って、John(ヨハネ)の24章29節のことばを叫びにして倒れたのよ。」

「つまり、自分の歌の歌詞 Whoever calls on the name of MINE shall be saved を歌って、そのヨハネの一節を叫び、倒れた?」

「そう。復活を遂げたJesusを信じないThomasが、やっとJesusを眼前にして信じたー
そのことを訓戒することばだわ。」

「でもなぜ、Nigelはそんな風になったの?」

「それを話し出すと長くなるわ。私の家か、ユウの家か、どちらかで続けましょう。」

俺はどちらにするかは決めぬまま、「わかった」と言い、エンジンをかけた。


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その20

ハイドレインジャ
その21

日が暮れて、凛と俺はクルマの中まどろんでいた。
クルマは町田市の多摩丘陵の、開発がまだされていない<奥地>、木立の陰ー

「昔太宰さんのこと、ちょっとだけ調べて、いわゆる『無頼派』の友人だった坂口安吾の、太宰の死を受けて書いた『不良少年とキリスト』を読んだことがあったんだ。」

俺は囁いた。
凛が俺の方へ顔を向けたようだった。

「そこで坂口さんは、太宰はローレライにしてやられた、とかって書いていたよ。」

「Loreley?」

凛がまたもや、そして今度はドイツ語を、美しく発音した。

「な〜じかは知〜らね〜ど、の。」

「あ〜、Ich weiß nicht, was soll es bedeuten, daß ich so traurig binね。」

「ハイネの詩なんでしょ。訳した日本人、原詩をできる限り忠実に映していて立派だなって思ったなあ。『なじかは知らねど、心侘びて』。ほら、漫画の原作を実写化するときに脚本家が無体にも改変して原作者を致命的に悲しませるってことがあるじゃない。だからこの『ローレライ』の日本語訳者、え〜と・・・。」

「近藤朔風ってあるわ。」

凛がWikiを読んでいる。

「そう・・・近藤朔風。」

「Goetheの『野薔薇』も訳しているみたい。」

「ああ、Sah ein Knab' ein Röslein stehn, Röslein auf der Heiden!」

「Schubert版。ユウさん、なかなかの発音ね。それにさすがはsinger、うまい。」

「童は見ぃたぁり、野中のばーらっ。」

凛はクスクスっと笑った。

「なにしろー」

「出たあ。」

凛がまた笑った。今度はキャッキャと。

「なにしろねー」

俺も楽しく続けた。

「太宰さんはローレライにやられたって。ローレライは『ささやく岩』って意味なんだよね、確か。ライン川の難所で、突き出た岩山、そこに船乗りたちを誘惑、temptし、結局<転覆>など水難に導く妖精ありって。」

凛は今度はギャハハと笑った。

「坂口安吾さんは、そのローレライは太宰さんにとって酒だった、と。もちろん心中相手の方のささやきも重ねてはいるんだろうけれど。凛にとっては、太宰さんが<ささやく紫陽花>になったってガ。」

「貫入場所はDTにとってはどこでもいいんでしょうけれどー」

と凛が言った。

「やはり、自分がDTになる前のゆかりの場所に求めるものなのかしらね。」

「そこを通る誰か、<波長>が合って、さらにいろいろな理由で4Dの世界により高次の世界から貫入して何かしら働きかけをせざるを得ない、あるいはそうしたい誰か・・・それが凛だったんだろうね。」

凛が体勢を直す音が聞こえた。

「あのときー」

凛が吐息混じりに言った。

「私はあの時確かに創作に行き詰まっていた。傑作をものしたいという意欲が、強迫観念っぽいものになってしまっていたと思うわ。肝心なのは自分が納得できるかということなのに、他者の評価ばかりを気にしていたの。今になれば愚かなことだって簡単に分かることだったのに、気づけなかった。自分で納得できて、かつ、他者も評価してくれる作品をどうしても産み出さなきゃって。」

「そりゃあそうだよ。」

俺は応えた。

「自分の納得だけだったら、それこそ『風の便り』の井原が言う、<心境未だし、ひとり合点なり、きめ荒し、生活無し、不遜なり、思想不鮮明なり、俗の野心つよし、にせものなり、自己陶酔に過ぎず、衒気、おっちょこちょい、気障なり、ほら吹きなり、のほほんなり>辺りを言われてしまうのがオチだもんね。それでも、それでもだよ、自分が納得できるかが決定的だよね。だから自分の藝術的基準を絶えず押し上げていかねばならない。」

「そうなの。」

凛は顔を窓外に向けたようだった。

「だからね、特に『生活なし』のところで、私は生きなければいけないって思ったの。まず私は経済的心配がない立場だった。いわゆる漱石の謂う『高等遊民』。生活感なんてまず皆無だった。だから、私のことば、私の作品に、まるでヒッグス粒子みたいに質量を与える<経験>が必要なんだって。」

「生活苦もあるかもだけど、恋愛のことかい、さっきの話から言うと。」

と俺は応じ、さらに続けたー

「ヒッグス粒子のような質量を与えるもの。でもさ、質量って<動きにくさ>なんだよね。人生経験、恋愛経験て、もしかすると自分を雁字搦めにしてしまうのかも。子ども、特に幼児の絵がすばらしいって思うとき、それは経験が限りなくゼロに近いからじゃないかって思うんだ。<さかしら>がないから、とも言えるかな。そんなのすばらしくないって言う中島義道さんや山田詠美さんみたいな人もいるけど。二人は動きにくさの中での思想や表現こそって思っているのかな。だとしたらマゾヒスティックだね。」

凛が俺を見つめているのを感じた。
さらに俺は続けたー

「この世の成り立ちにとってヒッグス粒子のおかげっていうのはあるんだろう。それどころかその粒子がなきゃ成り立たないっていうぐらいのもんなんだろう、俺はよくわからんけどね。ところでさ、凛、この世で、ヒッグス粒子が働かない、動きにくさ=質量がゼロのものって何だか知ってる?」

凛は少し黙っていたが、

「光ね」

と答えた。

ずっと低音量で流している俺「お気に入り」のポップスは、ちょっと前までBurt Bacharach作曲、Christopher Cross歌のArthur's Themeだったが、そのときはBeatlesのThe Wordになっていた。


(つづく)



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Many MORE Happy Returns!

今日はMooさんのお誕生日です。
おめでとうございます!

まだまだ「『色気』は沢山ある」とのことで、カッコ付きにしたのはどういうことか。笑

その「色気」の発揮を期待しております!


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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その20

ハイドレインジャ
その20

俺たちは話しながら、20年前だかに凛がDT、つまりおそらく津軽出身の大作家が、次元超越をして現れたというM学園近くの玉川上水へやって来た。

「俺が一緒にいる以上、そして真昼間だし、DTさんは出て来ないよね。」

俺が笑って言うと、

「時間は関係ないと思うけど、なにしろ私、すっかりおばさんだし」

と凛が応答した。

「いや!」

俺は即座に否定した。

「DTが今の凛さんにも惹きつけられないはずはないよ。」

凛は苦笑した。

「ありがとう。ところで、DTがこちらへ入って来る<貫入部>はどこかしらね。」

「僕は昔、夏なら蜩(ひぐらし)が鳴くところではないかってブログに書いたことがある。」

「ええ。読んだわ。もう六月も中旬だし、この辺り蜩が鳴き出したかな。」

「どうだろうね。確かに六月でも成城の丘で夜明け前や薄暮で鳴くのを僕、聞いたことがあるよ。この辺りはどうだろうね。」

「見て。上水の柵から紫陽花が顔を出している。この辺りは紫陽花がいっぱい咲いているわね。」

「そっか。案外紫陽花、それもDTが好きな色合いのものから今彼、僕らを見ているかも。」

「ありうる!」

「『ちぇ、今回は、と言ってももうそっちじゃ20年経ったようだが、あの子はpetit ami(彼氏)付きか。なんだよ、冴えねぇvieil homme(爺さん)じゃねぇか』なんて、東大仏文科除籍のあの人、言ってそうだ。」

凛は大笑いして、「ユウさん、フランス語知ってるのね!」と言った。

「身近な単語だけ。フランス語に興味を持ったのは、シルヴィ・バルタンとミッシェル・ポルナレフのおかげ。でも結局齧ったとも言えないほどしか勉強しなかったなあ。」

「あー!」

凛が歓喜を含む声で叫ぶように言った。

「Irrésistiblement! シルヴィ・バルタンの『あなたのとりこ』。母が大好きで、私もよく聴いたわ。確かユウさん、この歌の記事を書いてらしたわよね。」

「ええ。HideSさんと言う方の、この歌の第4verse訳詩で、

涙の後 喜びが戻るように
冬の後 花の季節が戻るように
ちょうど人が『全ては死ぬものだ』と思う時に
愛は勝利者となって戻ってくる

っていうのに打たれたんですよ。」

すると凛がその部分を歌い出す。

「Comme la joie revient apres les pleurs
apres l'hiver revient le temps des fleurs
au moment ou' l'on croit que tout se meurt
l'amour revient en grand vainqueur」

俺は凛の心掻き乱されるような、扇情的な、妖美なフランス語に電撃を喰らったようになった。そしてなんという可愛らしい声だったろうか!まるで少女のそれだった。

「凛さん、たまらずDTが出て来るよ!あなたをどうしても称揚したくなって!」

そのとき、風もないのに凛のそばの紫陽花が大きく揺れた。
俺は咄嗟にその紫陽花と凛の間に割り込んで、凛を抱きしめた。

「もう、たまらない。ダメだ。」

俺は凛をさらに強く抱きしめた。
凛は全く拒まなかった。

紫陽花を見ると、もう揺れてはいなかった。


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その19

ハイドレインジャ
その19

「俺もその鋲の礫、受け続けてきたなあ。」

俺は言った。

「今だって、自分が歌であれ、文章であれ、自己表現するとき、さすがにこの歳になると他者の批評をもらう機会はほとんどなくなったけど、その代わり自分で自分にその鋲の礫をぶつけるよ。」

「ええ、よく分かります。」

凛が何度も頷く。

「ユウさんはもうほとんど他者の批評は要らないところまで来たんですよ。」

「大成した、もう極めた、とかでは全然ないけれどね。」

俺は頭を掻きつつ言った。

「自分の表現について大体のところ自己批評できるようになっているよね。」

「ええ。そうでしょうね。」

凛が諾なった。

「それでね、その『風の便り』の文庫本がバッグの中にあることに気づいて、そういうことかと思い、そのDTに私、思い切って尋ねたんです、『あなたは太宰治さんですか』って。」

「うんうん。」

「DTは、そう、そのときは、微かに見えたのだけれど、弘前高校時代の写真の顔になって、『まあ、それはいいから』って。『君は創作、表現活動に行き詰まっているんじゃないのかい』って言うんです。」

「ほうほう。」

「そうしたら、『君は恋をしているかね』って。」

「出た!していないなら、俺がその対象になってやってもいいぞ、とか言った?」

凛はハハッと笑った。

「私、太宰さんは『風の便り』で『文学とは、恋愛を書く事ではないのかしら』と木戸一郎に言わせていますね、って返したんです。」

「うんうん!」

「そしたらDTが『それはそうでしょう』って。『あなたの表現活動の源は他者を求める欲情でないと言い切れますか』って。」

「なんて返事をしたの?」

「言い切れません、って言ったわ。その通りだとかなり痛烈に思い始めています、って。DTは、今度は、またも幽かではあったのですけど、銀座で飲んでいる時に撮られた写真の顔になって、ニンマリと笑って。『その、君に求められている男性が羨ましいね』と言ったんです。」

「ち。」

「私は少し憤然と『風の便り』の文庫本を取り出し、街灯の下に立ち、太宰さんのすばらしさは、先輩作家・井原退蔵にこの言葉を言わせたところにあると私は思っていますと言って、この部分を読み上げたんです。

『君は、愛情のわからぬ人だね。いつでも何か、とくをしようとしていらいらしている、そんな神経はたまらない。人に手紙を出すのも、旅行するのも、聖書を読むのも、女と遊ぶのも、井原と冗談を言い合うのも、みんな君の仕事に直接、役立つようにじたばた工夫しているのだから、かなわない。そんなに「傑作」が書きたいのかね。傑作を書いて、ちょっと聖人づらをしたいのだろう。馬鹿野郎。』」

「おお!すばらしい言葉だ!」

「『自分は君に、「作家は仕事をしなければならぬ。」と再三、忠告した筈でありました。それは決して、一篇の傑作を書け、という意味ではなかったのです。それさえ一つ書いたら死んでもいいなんて、そんな傑作は、あるもんじゃない。作家は、歩くように、いつでも仕事をしていなければならぬという事を私は言ったつもりです。生活と同じ速度で、呼吸と同じ調子で、絶えず歩いていなければならぬ。どこまで行ったら一休み出来るとか、これを一つ書いたら、当分、威張って怠けていてもいいとか、そんな事は、学校の試験勉強みたいで、ふざけた話だ。なめている。肩書や資格を取るために、作品を書いているのでもないでしょう。生きているのと同じ速度で、あせらず怠らず、絶えず仕事をすすめていなければならぬ。駄作だの傑作だの凡作だのというのは、後の人が各々の好みできめる事です。作家が後もどりして、その評定に参加している図は、奇妙なものです。作家は、平気で歩いて居ればいいのです。五十年、六十年、死ぬるまで歩いていなければならぬ。「傑作」を、せめて一つと、りきんでいるのは、あれは逃げ仕度をしている人です。それを書いて、休みたい。自殺する作家には、この傑作意識の犠牲者が多いようです。』」

「おおお、おおお!」

俺はこの時点で太宰治という作家をひとつも理解していなかったんじゃないかと強く自覚した。自覚ない自意識過剰者ほど手に負えない者はいない。太宰は、自意識過剰、自己愛過剰だったには違いないが、そのことを同時に冷徹に見つめ、自覚していたのだ。

「そしたらー」

と凛が続けた。

「DTは咽び泣きを始めたんです。ああ、俺の妻も、恋人も、その部分を書けたあなただから愛しますって言ってくれたんだよ、って言いながら。」

俺は目を瞑り、心を震わせていた。

「私とDTはずっと玉川上水を遡って歩いていたんです。DTが忽然と姿を消したのは、『玉鹿石』のところ、つまり太宰と山崎富榮が入水したところでした。」


(つづく)




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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その18

ハイドレインジャ
その18

「ユウさんなら信じてくださると思うんですけどー」

凛が歩みを止めて言った。

「次元の貫入部分を私、感知できるんです。そしてその境を出入りする存在が知覚できるんです。」

俺はもちろん全く戸惑わなかったとは言わないが、俺自身もそういう能力がもしかするとあるんじゃないかと思ってもいたし、凛はそういうことを俺がブログに書いてきたのを読んでいたのだろうと思ったから、

「ええ、もちろん信じます」

と凛を正面に見てキッパリ応えた。
凛は頷いて、

「私、その中年男性は太宰治、津島修治だと直感しました」

と言った。

俺は驚かず、うんうんと頷いた。

「顔が似ているとか、そういうのはわからなかったの。まず第一に暗かった。そして表情が見えそうで、有名な自裁前のいかにも病気な顔に似ていると思うと、津軽時代の少年の彼の、彼自身が忌み嫌った嘘笑いの顔になったり、そんなふうに、くるくる顔が変わっているように見えたの。マント様のものを着ていたりしていたから、まるであの中国の変面みたいだった。

それでね、私はファンとは言えないって即座に答えたんです。」

凛がそう言って、頬を両手で覆った。

「『正直でいいね』って<次元超越者>は言いました。少し訛っていてね、素朴な響きでした。『そんでも太宰ってぇ名前は知ってんでしょ』って。それは、その人は昭和初期を代表する文豪として認められていますから、って言いました。

『君は太宰の作品は読んだことがあるのかい』とさらに問うてきたんです。私は、『ダス・ゲマイネ』がおもしろいと思いましたって答えました。筋と言うより、その題名が青森の南部弁と太宰さんのお里、津軽弁の混交だという<んだすけ、まいね>のモジりだと知って、それはinteressant(ドイツ語でinteresting)だとまず思い、さらにgemeinというドイツ語は英語にすればmeanであって、このmeanもgemein同様に、卑しい、通俗なという意味と、平均という意味があることに感動したというのがありましてって言うと、次元超越者は、『君は語学がよくできるね。僕はフランス語を少々齧った。ドイツ語は、高等学校と大学で第二外国語として習ったに過ぎんのだよ』って。ますます私はこの次元超越者、dimension-transcenderは、太宰さんだって確信したの!

『そんでも、小説としておもしろがってくんねぇとな』ってDTは、Dimension-Transcenderは言ったわ。私は、青森では<んだすけ、まいね>が<そうだから、ダメなんだ>という意味で、そしてドイツ語的にはそれが<卑しさ>に聞こえる点に着目し、芥川賞を逃した痛憤をユーモアにしてその作品に託した太宰さんには敬意を持っていますわって言ったんです。『そうか、そうか』ってDTは喜んだわ。」

凛はベンチを見つけて、そこへ座りましょう、と言った。ベンチは少し湿っているようだった。凛はビニールのシートを持っており、それを敷いた。さらにサーモを取り出し、俺にコーヒーを注いでくれ、彼女も持参のカップに注いだ。

「私はね、その頃二十代、大学を出て、何かしらの表現活動で生きていきたいって思っていたの。」

凛はコーヒーを一口飲んで、フウと息を吐いてそう言った。

「その日会いに行ったR女学院の教師をしている友人とは、Londonで知り合ったの。彼女と英国人の仲間とでバンドを組んでいたんです。ロンドンとその周辺風景を動画で撮って、それをバックに私がその風景にまつわる短編小説を書き、朗読し、節目節目で私たちのオリジナル曲をinsertするというスタイル。」

「へえ、そりゃあいいね!」

俺はすぐに模倣したい形式だと思った。

「ところが結局なんだかんだでうまく行かず、私もそのR女学院の子も日本へ帰国っていうことになったんです。悔しさは残っていて、帰国してすぐにR女学院の教師になったPaulie、nicknameだけれど、Paulieに残務整理したいから彼女が管理を担当した楽譜なんかのペーパー類を私が預かりたいっていうことで彼女を訪ねたんですね、その日は。

それでね、今考えると不思議なんですけど、私、電車に乗っている間に読む本をなぜか太宰さんの『風の便り』にしたんです。この小説のことは先日も話しましたよね。

理由は本当にさっぱりもう思い出せないんですけど。でもね、その小説に出てくる木戸一郎という中年作家が、老練先輩作家たちから受けるネガティヴ批評の、鋲の礫みたいな形容のことばに私、小田急の電車の中だったか、井の頭線の電車の中だったかで、打ちのめされて!」

そう言って凛はスマートフォンで『風の便り』を検索し、当該部分を読み出した。

「<心境未だし、デッサン不正確なり、甘し、ひとり合点なり、文章粗雑、きめ荒し、生活無し、不潔なり、不遜なり、教養なし、思想不鮮明なり、俗の野心つよし、にせものなり、誇張多し、精神軽佻浮薄なり、自己陶酔に過ぎず、衒気、おっちょこちょい、気障なり、ほら吹きなり、のほほんなり>。」


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その17

ハイドレインジャ
その17

凛と2回目のデートの日、薄曇りだった。
俺は電車に乗るのが億劫でクルマで井の頭公園へ。駐車場代はかかるが、電車なら、まず小田急で京王井の頭線に接続する下北沢という公園とは全く逆方向の駅へ行くというのが嫌だという理由もあった。凛を乗せて行こうかとも思ったが、ギリギリまで電車を選択するのが賢明かもと逡巡していたせいもあり、すでに凛が家を出てしまっていたらと思うと誘うのも遅過ぎた。

三鷹・吉祥寺方向へ渋滞を極力避けられるルートは知っており、待ち合わせの井の頭自然文化園正門の前に約束した時刻の5分ほど前に着いた。入場券売り場の脇の方にすでに凛はいて、スマートフォンの画面を見つめていた。

俺は凛の前に立ち、「早いね」と声をかけた。彼女は顔を上げ、いつもの美しく明朗な笑顔を見せてくれた。とてもとても40歳代の女性とは思えぬ、光沢のある、そしておそらく弾力に富む肌を持つ凛の顔。

「ここに入るの?栗鼠とか見る?」

俺が訊く。

「いいえ、ここはあくまで集合場所。分かりやすいから。」

「そうなんだ。じゃあ、公園内散策かな。」

「ええ。」

午前11時。少し歩いて食事という感じかなと思いつつ、俺は凛と歩き出した。すぐ都道114号線(武蔵野・狛江線)を横断して公園に入り、池の周りを歩く。

「ユウさんは、ここには何度も来ていらっしゃるの?」

凛が尋ねた。

「吉祥寺は、そうね、トータルで・・・20回くらいかな。ここがメインで来たり、あるいはそうでなくてもほとんど吉祥寺に来るたびにこの公園に来てるね。」

そう答えつつ、俺はその20回くらい来園の記憶を辿っていた。

「その20回は何人の女性で割るの?」

凛はそう言って「ハハッ」と笑った。

「俺は太宰じゃないよ。」

俺は何の気なしに冗談で返したつもりだったが、「あ!」とすぐに気づいた。

「ちょっと、凛さん、ここ太宰晩年のホームグランドじゃん。」

「そうよ。」

凛は妖しげな目をして俺を見ながら返事をした。

「私ね、ここに前回来たのはもう20年も前のちょうど今頃でね、いわゆる『桜桃忌』の数日後の確か18日だったかしら。1948年、太宰と愛人山崎富榮の入水が13日、遺体発見は19日だった。」

「そっか、太宰さんの霊魂は6日間、富榮さんのそれと共に彷徨っていたんだね。」

「私がその時ここに来ていたのは、近くのR女学院、聖公会系の学校だけれど、そこで教師をしている友人を訪ねての帰り、来た通り三鷹台の駅から電車に乗ればいいのに、公園を通って吉祥寺に出てみようって思ってね。そしたらなんと道に迷ってしまって。散々歩いて、M学園のところまで来て、玉川上水につき当たったんだけれど、もう日もすっかり暮れてしまって。」

俺は固唾を呑んだ。凛はなにかとんでもないことを俺に打ち明けようとしていると思った。

「I'm getting a shiver down my spine!(ゾクゾクする!)」

俺は英語で叫んだ。

「やめましょうか、話。」

凛は立ち止まってそう言った。

「いや、いいよ、僕の戦慄は恐怖からと言うより興味津々からさ!」

凛は再び歩き始める。俺も。

「その、つき当たったところが、正に太宰さんの遺体発見場所だったの。」

「う、うん、そうなんだ。どうして知ってたの。」

「その後で知ったの。」

「ん?で。」

「私、そこで声掛けられたの、中年の男性に。」

「・・・。」

「その男性、君は太宰ファンかね、っていきなり訊いてきたの。」

俺の慄きは頂点に達した。


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その16

ハイドレインジャ
その16

「凛さんて、今独りであの邸宅に暮らしているんですか。」

仙川の脇道を上流方向に歩きながら俺は訊いた。
凛は汗をタオルで拭いながら「ええ」と言った。

「父は12年前に他界して、母は長くロンドンのChelseaに暮らしていました。イギリス人の事実上の配偶者として3年前に亡くなりました。私にはsiblingsもいませんし。」

「そうなんですか。」

俺はそう応答しつつ、凛の両親の複雑そうな事情をさらにつっこんで訊くのは今は適当でないと思った。

「Chelseaって、いいところですよね。」

「あら、ご存じ?」

「いや、まあ、一度行っただけです。2度目のデビュー前、私が所属する事務所の看板歌手がRoyal Albert Hallで公演をされて、随行させていただいて。テムズ川の支流だと思うんだけれど、小さな川のそばでスタッフ全員で優雅なluncheonをいただいて。もう30年も前のことになるかな。」

「そうでしたか。Albert Hallで公演て、すごい。」

「ええ。憧れです。日本人の観客ばかりではありましたが、フルハウスでした。」

すると凛が「Now they know how many holes it takes to fill the Albert Hall」とBeatlesのA Day in the Lifeの歌詞を歌い出した。

俺はすかさず「I'd love to turn you on」と続けて歌い、凛が「ガ〜〜〜」とあの曲のオーケストラのbuild-upを真似る。俺も途中でそれに加わって、音程の頂点に達し、凛と見つめ合ってから、「ダーン!」ー

凛はその「ダーン!』できっとトニックのEの音程で歌うだろうからと、俺はG#を合わせた。凛は驚異の目で俺を見て、息の続く限りそのハーモニーを楽しんだ。

「すてき!」

凛は目をキラキラ輝かせて言った。

二人はまた歩き出した。
凛は俯き加減でしばらく黙々と歩む。何かを考えているようだった。
そしてー

「ユウさん、私の家に寄ります?」

と、さりげなくも決然と、はにかみのある笑顔で、俺の反応を求めた。

俺はうれしかった。うれしかったが、

「その前に俺も話さねばならないことがまだまだあるから」

と言った。

「それだったら、私もNigelとのこと、もっと話さないと。」

「ええ、そうですね。お互い、まだまだいっぱい知っておくべきことがある。」

「じゃあ、日を改めましょう。」

凛はスマートフォンをウェイストバッグから取り出し、数回タッピングしてから、

「明後日の午後はいかが。場所はどこでも」

と言った。

「土曜ですね。ええ、luncheonでもdinnerでも。」

「都心に出るのはお嫌でしょう?」

「まあそうですがー」

俺は頭を掻いた。

「都心のどこですか?」

「いえ、都心はお嫌でしょうから、井の頭公園はいかがかしら。」

「ああ、いいですね。緑いっぱいだ。」

「じゃあ、場所や時刻はまたLINEします。」

「オッケーです。」

俺たちは打越橋のたもとで別れた。


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その15

ハイドレインジャ
その15

俺には凛に訊きたいことがまだまだいっぱいあったし、vice versa、凛も俺のブログを熱心に読んでいても俺について知りたいことは多くあろう、と俺は思った。

いつかは互いにその関心・興味を満たしていくのだー それを失わない限りは。


その機会はすぐに来た。

俺はブログにTodayという、砧に住むようになって創作した曲を上げたのだ。むろん凛が聴いてくれる、そしてその後に会うときには批評してくれるー おそらく好意的にー ことを期待してだ。

その歌は、親を含め、親戚や友人知人の訃報をちょくちょく聞くようになるという老境に入った自分が、朝目を覚ますという当たり前のことがいかに実は当たり前ではないかということをしみじみと自覚しつつ、さらにその覚醒の前に見ていた支離滅裂な夢ながら<前向きな>内容に、「I'm still alive!」という実感をいっそう強く持つという歌なのだ。今日、今という時間を生きていられることの不思議、そしてありがたさ!

You
Cry if you want
I won't stop you now
Swallow your tears
Don't hold them back

とサビで歌う。

すると、早速その曲のファイルが添付された記事にコメントがついた。「ダイアナの鏡」というハンドルネームの人からのもので、この方は最近投稿してくれるようになった。そのコメントは教養溢れるもので、元々浅学非才な俺ではあるから寡聞にして知らぬ著名人のaphorismないしそのようなことばが引用されて、その度Wikipediaなどで検索するのだった。

「『あらゆる作品は形を変えた涙に過ぎない』シオラン」

今回のコメントも「俺はシオランという人物のことなど寡聞にして<知りをらん>」ということで早速検索した。ルーマニア出身の思想家、作家・・・。Wikipediaの日本語文章はひどいもので、よく分からない。英語版で・・・なになに、バッハがいなかったら、(創造主としての)神は全く二流の存在だろう、なんて言っている人なのか。まあ、全部読むの大変だし、読んだところでこの人物を本当に知ることなどできないからなあと俺は独言しつつ、なにしろ「ダイアナの鏡」さんが引用したaphorismを吟味した。

涙ー
悲しみ、喜び、おかしみなどなど、感情の昂りが生じさせる涙腺内の血液から血球を除いた液体。そしてどうしてこんな生理現象が起こるのか、分かっていないのだ。

俺は母の涙もろさを完璧に受け継いだ。一方父は俳人でもあったから、決して情に欠けるような人物ではなかったものの、87歳で他界するまで俺は一度も彼が涙を流すところを見ないままになった。俺はどちらの形質も受け継いだと言える。あからさまに情にもろく、そして詩歌に興味を持った。だからなのか、俺の歌は父の俳句とは違って、情をそのまま発露するrockになった。もちろんそれには5歳からのBeatlesの影響も大きい、あるいは決定的だった。

俺は「ダイアナの鏡」さんがもしかすると凛ではないかとふと思いついた。


翌朝、俺は凛と仙川を散歩する約束を交わしていた。彼女がしっかり走ってきて、俺はゆっくり歩いてきて合流するところを、仙川に架かり、DCMの店舗内へ通じる橋と決めていたのだ。

その朝は、雨ではなかったが、いつ降り出してもおかしくないような曇天だった。
凛はおびただしい汗をかいており、俺の前で足踏みし、「おはようございます!」と快活に挨拶した。

「おはよう!蒸し暑いね、どうにも。」

俺は凛の眩しいとしか言いようがない笑顔を照れくさく見つめながら言った。
凛は足踏みのペースを少しずつ落としながら、

「『ダイアナの鏡』さんて、どういう方かしらね」

と唐突に言った。

俺はドギマギした。
それは本当の質問か、それとも<おとぼけ>なのか。

「いやあ、ちょうど僕もそのことを考えていてねー」

俺は応えた。

「凛さんじゃないのかな、なんて思ってもいたんだけど。」

「それはないですよ。」

凛はキッパリと言った。

「私、ベケットは知っていても、シオランのことは、<知りをらん>ですよ。」

俺は驚倒しそうになった。一本取られた。

「ベケットって、あの不条理劇・・だったかの?」

「そう。親交があったみたいですね、二人。Wikiで読んだだけだけど。」

「ああ、そんなことも書いてあったような。」

「なにしろー これユウさんの常套句ねー 私は『ダイアナの鏡』さんではないですよ。」

凛はそう言って、足踏みをやめた。


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その14

ハイドレインジャ
その14

I think I've found what life is all about
The answer is simple
But it's hard to do

I'm here to be loved
I want to be loved
That's for sure

But I should always be the one to love first
No matter what

人生の要諦に私は気づいたように思う
答えは簡単なものだけれど
行い難い

私は愛されるためにここにいる
私は愛されたい
それは確かだけれど

いつでも私がまず最初に愛するべきなのだ
なんであろうとも


俺は自曲I Love You Tooでそう歌っている。

それは1999年に降りてきた。
音楽活動がうまく行かなくなって、愛する狛江、野川の近くの住まいに暮らし続けられなくなり、引越しの期日が迫る頃のことだった。我が人生上の大ピンチに、俺はそれでも、野川と成城の丘に「I should always be the one to love first」と<歌わせられた>。

言うは易しで、そんな歌をいただいて歌っても、とてもではないが<いつも>は行い得ないでいた。いや、今だっていつもはできていやしない。その恥ずかしさを感じながら俺は野川と成城の丘に対峙する。しかし成城から吹き降りてくるそよ風は俺を励まし続ける。

そんなことを俺は凛に語った。
凛は一緒に泣いてくれた。

「Johnも同じだったんでしょう。」

凛が呟いた。

「偽善、hypocrisyを十分意識しつつ、Imagine no possessionsて歌ったんでしょうね。到底いつもなんかできない善い行いではあるけれど、それでもそうできるはずの自分を励ます歌。
そう、偽善の歌ではなく、いつでも、ありうべき自分であろうと努めなさいと鼓舞する歌なのね、あなたの歌も、Johnの歌も。」

俺は目を閉じて凛のささやきを聴いていた。もちろん涙は止まらないままだった。

「私、太宰治をこの頃また読んでいるんです。」

凛が続ける。

「私が最も興味を持って読んだのは、『風の便り』という小説。木戸一郎という若手の作家と、彼が敬愛する老練な作家井原退蔵との往復書簡だけで構成される小説なんです。」

凛が「青空文庫」でその小説を検索し、読み出す。

「『作品を発表するという事は、恥を掻く事であります。神に告白する事であります。そうして、もっと重大なことは、その告白に依って神からゆるされるのでは無くて、神の罰を受ける事であります。』ーこれはその老大家のことばです。」

俺はそのことばになんだか頭の底がジンと痛むような気がした。
凛はさらに引用するー

「『君は、いつも自分の事ばかりを考えています。自分と、それから家族の者、せいぜい周囲の、自分に利益を齎すような具合いのよい二、三の人を愛しているだけじゃないか。もっと言おうか。君は泣きべそを掻くぜ。「汝ら、見られんために己が義を人の前にて行わぬように心せよ。」どうですか。よく考えてもらいたい。出来ますか。せめて誠実な人間でだけありたい等と、それが最低のつつましい、あきらめ切った願いのように安易に言っている恐ろしい女流作家なんかもあったようですが、何が「せめて」だ。それこそ大天才でなければ到達出来ないほどの至難の事業じゃないか。自分はどうしても誠実な人間にはなり切れなかったから、せめて罪滅しに一生、小説を書いて行きます、とでも言うのなら、まだしも素直だ。作家は、例外なしに実にくだらない人間なのだと自分は思っています。聖者の顔を装いたがっている作家も、自分と同輩の五十を過ぎた者の中にいるようだが、馬鹿な奴だ。酒を呑まないというだけの話だ。「なんじら祈るとき、偽善者の如くあらざれ。彼らは人に顕わさんとて、会堂や大路の角かどに立ちて祈ることを好む。」ちゃんと指摘されています。』」

「きつい。」

俺は呻くように言った。
凛はスマートフォンを左手だけで持ち直し、空いた右手をまた俺の左の太腿に置いた。

「Matthewの6章なんです、Teaching about Giving to the Needy、窮せる者への与えについての教え、です。Don't do your good deeds publicly, to be admired by others, for you will lose the reward from your Father in heaven. 偽善では神からの恩賞がない、と。」

「あ〜〜、暑いな、北の湖に行きたい。静かな波の音を聴きながら、夕陽を見たい!」

俺は身体を伸ばし、唐突にそう叫んだ。
凛は首を右に捻って、俺を不思議そうに見つめた。

「北の湖?」

「Matthew湖、摩周湖。」

凛は呆れたという表情ではあったけれど、俺のブログ記事を読み込んできた人だ、ワケのわからん諧謔やユーモアにも馴れていたようだったから、折角真面目に話しているのになんという反応をするんだという憤りは寸前に抑えられたらしく、笑顔になった。

「ごめん、凛さん。くっだらねーシャレです。情けない。」

俺は早々に謝った。

「太宰なんだから、摩周湖じゃなくて津軽の十三湖だったね。」

「それじゃあシャレにならなかったわね。」

「そうそう。」

二人は笑い合った。

「なにしろ暑い、暑すぎるよね、凛さん。」

俺は今回のデートは潮時だと思い、

「いい小説を紹介してもらったなあ。読んでみるよ、いろいろ考えたい」

と〆のようなことを言って、立ち上がった。

「なにしろ、本当に、本当に、lovelyなひとときだった。ありがとう!」

俺は深々とお辞儀した。

「こちらこそ。」

凛は握手を求めた。
俺は両手でその彼女の右手を握りしめた。

「自転車?」

俺は訊いた。

「ええ。ユウさんは?」

「俺も。じゃあ、一緒に成城2丁目まで。」

俺は脛の辺りに痒みを感じながら、自転車に跨った。


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その13

ハイドレインジャ
その13

「そんなこと、言いましたっけ。」

俺は少し面食らっていた。
凛の右手も俺の太腿からすでに<撤退していた>。

「ミュージシャンて、時折、全能感みたいものを覚えるんでしょうか。」

凛がうつろな目をしながら呟いた。

「僕はそんなことを感じられるほどのミュージシャンではないですよ。」

俺はキッパリ言った。

「でもね、自分が好きな場所の空気感を表現できているときにはecstasyを感じるときがあります。その場所と僕が一体になれたような、あるいは一部になれたような感覚です。それはむろん自己満足です。『なれた』なんて言ったって、それを認めるのは自分だけですからね。なにしろ全能感などを覚えられるほどのミュージシャンでは到底ないです。」

I Love You Tooとかのことかしら。」

俺は度肝を抜かれた。唖然呆然だった。なぜ凛が俺の内々にしか聴かせていない歌を知っているのか。

「私、本当に驚いたんですー」

凛が続けた。俺は「こっちこそだよ!」と言いたかった。

「いつだったかしら・・・私の故郷、つまり成城のことをネットで調べていたときに、ユウさんのサイトに偶々たどり着いてー 成城、狛江、野川というwordsでヒットしたんですね。ブログには音楽ファイルが載っていたのでクリックしたんです。」

俺は「そうか」とは思いながらも、まだまだ驚愕という体だった。

「アコースティック感が強い曲で、しかしNigelとは真逆な音楽性なのは、同じアコースティック・ギター・メインの曲だったからこそ強調されて私には響いて。」

うつろだった凛の目の焦点は今や相対する成城の丘にしっかり合っているようだった。

「ああ、この人は本当に野川が、<あの>丘が好きなんだわって伝わってきたんです。そしてその野川も、成城の丘も、この人の愛の告白に『I love you too』って応じている、言い交わしているって思ったんです。」

俺はあまりに感激していて一言も発し得なかった。今度はこっちが嗚咽する番だと思っていた。

「そしてねー」

凛がさらに続けた。

「ユウさんが夏には早朝ウォーキングに出ることをブログを読んでいて知って、いつか出くわすかもって思ったんです。」

「え?・・・まさか。」

俺はそこで言葉を呑んだ。

ーまさか、凛は俺と出くわすことを密かに期待しながらジョギングしていたのか?あの出会いは全くの偶然ではなかったのか?

「そして一週間くらい前、とうとう仙川沿いでユウさんかもっていう男性を認めて、もう私、俄かに興奮し始めて・・・その男性がEvil Womanのストリングス・メロを口笛で吹いたとき、私は確信したんですけど、もちろん『あなたはユウさんでしょう』と訊くことはしませんでした。」

「その口笛、かすれて、高音が出なくて・・・。」

俺はポツリと言った。
凛が笑う。

「そうだったんですか。そうだったんですね。」

俺は心底この凛の話に畏れ入っていた。何かがあるとしか思えない、何かに導かれているんじゃないかという思いでいっぱいだった。

「私、誇らしかったんですよー」

凛の声の調子が一段上がった。

「私のふるさとの歌が、曲があるんだって。私も愛する野川のせせらぎ、国分寺崖線上からの風の音、鳥や虫の声がはっきり聞こえてきました。ユウさんは會津のご出身ですけれど、會津への愛着ももちろんおありだけれど、劣らずに野川、多摩川、仙川、つまりは世田谷の砧地域、狛江、調布を愛していらっしゃるのがうれしくて!」

今度こそは、俺が嗚咽し始めた。
歌うたいとしてこんなに栄誉なことがあるだろうか。

すると今度は凛が俺を右腕で抱き寄せてくれた。
そして俺は右手を凛の右の太腿に置いた。

But when you do a charitable deed, do not let your left hand know what your right hand is doing. (Matthew 6-3)

(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その12

ハイドレインジャ
その12

藝術至上主義ー
つまりは藝術のためなら他のどんなことも犠牲にする人間のことだ。

「その元夫は、私がイギリスにいた頃に知り合ったギタリストでした。」

凛がか細い声で言った。

「Baker Streetのパブに私が友達と飲みに行った時に私に話しかけてきて、とても知的な会話ができる人で。今度ライブ演奏をカムデン(北ロンドン)のコヤでやるから見にきてくれって。その日はちょうど私に何の仕事も約束もなく、彼がaudienceを集めるのが大変そうだったし、情に絆されたところもあって・・・。」

「なるほど。」

「音楽は、ロックではあったんですけれど、彼はアコースティック・ギターを弾く人で、日本のメーカーの・・・Takamineでしたっけ、そのメーカーのエレアコを使っていました。演奏はすばらしく、魅せられました。そのバンドは彼のギター・ソロがメインでしたけど、彼・・・Nigelという名ですが、Nigelが時折歌うんです。私が行ったときの、その歌詞が、

Whoever calls on the name of MINE shall be saved

だったんです。」

「え?」

俺は驚いた。「なんという傲岸不遜な!」と。

「ご存じないかもしれませんが、新約聖書『ローマの信徒への手紙10-13』の、Whoever calls on the name of the Lord shall be savedの<もじり>なんです。」

「つまり、Nigelがthe Lordだと。」

「ええ。そしてその曲の最後にその歌詞がリフレインされるとき、彼は私を見つめたんです。」

俺は目に見えるようだと思った。

「題名は?」

「The Plotter、でした。」

俺は、湿度マックスの猛暑の中なのに、背筋が凍る想いがした。

「The Plotterって・・・<筋書きを描く者>だけれど、<策謀者>っていう陰湿な意味が強いですよね。確か、ギリシア語ではdevilないしはSatanに当たる語の英語訳では?」

「ユウさん、すごい知識ですね。その通りです。」

凛は俺のことをまじまじ見つめてそう言った。

「いや、僕はなにしろ熊野神社氏子の父を持つ者ですし、僕も熊野信仰を自然にする者ですから、キリスト教に詳しいはずはありません。しかし、ほぼどんな宗教でも正しい教えの伝わりを阻害する存在が想定されていますよね。神道の場合は、荒魂(あらたま)という荒ぶる神がおわしますが、その荒魂は和魂(にぎたま)、平和の神でもありうる。二面性ある神ということになります。その辺りがおもしろくて、キリスト教はどうなのかって調べたことがあったんです。」

突然、凛が泣き出した。
俺は顔を覆って泣く凛をただ見るだけだったが、どうしても慰めたくなり彼女の肩を左腕で抱いた。すると凛は俺に凭れかかってくるのだった。

しばらく凛は泣いていた。
野川沿いの道を歩く人々は気まずそうに俺たちをチラ見した。

凛の嗚咽は止んだ。
凛の上半身は俺から離れていった。
しかし、彼女の右手だけは俺の太腿の上に残り続けた。

「私、あの歌詞で彼がどういう人物かを推し量るべきだったんです。」

俺は彼女にティッシュを差し出しながら、

「ロックをやっているヤツにはよくある大言壮語、傲岸不遜ですよ」

と慰めになることもないことを言った。
凛は俺の言葉を少しの間だが咀嚼しているようだった。

そして涙目で俺の顔を見て言ったー

「ユウさんもロックやっているんでしょう?」


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その11

ハイドレインジャ
その11

凛は一瞬体を硬直させてから、隣に座る俺を体を捻って数秒見つめた。
そして向き直り、しばらく考えを巡らせている様子だった。

「太宰の、亡くなった年に書かれた『桜桃』の冒頭、ご存じ?
『われ、山にむかいて、目を挙ぐ。』 I look up to the mountains.」

俺は「いや」とだけ答えた。

「詩篇、第121ー 啄木の短歌を思い出しません?きっと、太宰がこれを原稿用紙に書いた時、彼は同じ北東北の先輩<天才>のことを意識していたと思うんです。二人とも今や日本文学史上の、確かに天才、そして同時に火宅の人、一部ではその素行の悪さから人間的クズとも言われていますよね。」

俺は「凛さん、you're beating around the bush(なかなか本題に入らない)ですね」と言いたくなってきていたが、そんなことを言える立場では<まだ>ないと自覚もしていたから、黙って聴いていた。

「二人は直接の交流など、22という歳の差もあり、啄木は26で亡くなっていますから、一切なかったのですけれど、間接的つながりはありました。太宰は啄木を『大天才』と『ヴィヨンの妻』で書いていますし、文学者として、同じ陸奥の人間としての共感はあったに違いないと思うんです。」

「陸奥(むつ)!・・・ええ。」

「その詩篇ですけれどー
『I look up to the mountains.』の後には、does my help come from there? My help comes from the Lord, who made heaven and earth!
He will not let you stumble: the one who watches over you will not slumberって。
そしてさらに後に、
The Lord keeps you all harm and watches over your life. The Lord keeps watch over you as you come and go, both now and forever.と。」

凛の美しいBritish accentが、Queen's Englishが、成城の丘で反響しているかのように俺には聞こえた。まさに神々しい響きだった。

「その『山』って、啄木なら故郷の山ですから、岩手山や八幡平、早池峰山とかですよね。」

俺は成城の丘を見つつ、その山々を見た記憶から清々しい気分になって、快活明朗に言った。

「太宰だと、その時は三鷹在住だし、西の奥多摩や秩父の山々かなあ。それとも山梨や静岡で憧憬と共に眺めた富士山かな。まあ、三鷹でだって富士は今でも条件がいいところなら見えるだろうし、当時ならしっかり丹沢山脈の北端を覗く富士が見えたでしょうね。いや、やはり啄木と同じで、太宰の場合は岩木山かな。なにしろー」

俺は一旦そこで話をやめて、残っていた冷たいコーヒーを飲み干した。

「凛さんはキリスト者なんですか。」

「Used to be、かしら。」

凛は応えた。

「父の影響で、聖公会でしてね。教名つまり洗礼名があって、私はHannah。
ハナ・リン・フジワラなんですよ、もうそう呼ぶ人はいないけれど。」

「ハナ・リンか。いい響きですね。」

「私が前回ここで話し込んだ相手はねー」

凛がいきなり、そしてようやく、俺のもう10分前くらいの質問に答えようとする。

「藝術至上主義者の、私の夫だった人よ。」

俺は、「あー!」とだけ言い、腑に落ちるところがあって頷きながら腕を組んだ。


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その10

ハイドレインジャ
その10

サンドイッチを食べ尽くす頃には、二人は異常な蒸し暑さに耐えきれなくなっていた。俺は防虫スプレーを凛に見せて、「下に行きましょうか、例のベンチへ」と言った。凛は俺の用意周到さに感心したと言って、にっこり頷き、腰を上げた。

そのベンチからは、主に成城4丁目の、国分寺崖線の高台に建つ豪邸群が野川を挟んで正面に見える。
二杯目のコーヒーを飲みながらその成城の丘を見ていると、早速蚊の気配がした。

「来ましたか、蚊?」

俺は凛に訊いた。

「ええ、でもスプレーが効いてますわ。」

凛はそう返事して、それでも左脚の脛の辺りを軽く叩いた。

「いずれにせよ、ここに長居は無用かもしれませんね。」

俺はそう言い、頃合いだと思った。

「凛さん、こんな大きな問題についてあなたのご意見を伺うタイミングでも、私とあなたの関係性でもないと自覚していますがー」

俺はそこまで言ってコーヒーを少し多めに啜った。

「あの豪邸群。」

俺は視線で凛にその方向を示した。

「黒澤明監督の『天国と地獄〜(英題 High and Low)』は欧米でも高く評価されている映画なのですけれど、山崎努さんが演じた誘拐犯は、丘の上の高級住宅をその下の貧民街からずっと見上げてきた貧しい研修医なんです。」

「ええ、観たことがあります。」

凛もコーヒーを少し多めに口に含んだ。

「私のアメリカの友人たちにも熱狂的なKurosawaファンがいて、中でもfilmmakingを専攻していた友人にとってはほとんどAkira Kurosawaは神でした。私が東京ではToho Studiosの近くに住んでいると言ったとき、彼に随分羨望されました。」

俺は「それはそうでしょうね」と言い、いよいよ本題に入る。

「実は僕、John Lennonの、『Imagine no possessions』という歌詞にずっと拘ってきましてね。そのこだわり、あるいは<わだかまり>は、まるでその研修医の、丘の大邸宅を見る時の気持ちに近いんじゃないかって。大邸宅に住む世界でも指折りの大富豪が、妻のYokoさんもLennon家の資産運用で忙しいなんていう中、どうしてあんなことが歌えたんだろうって。もちろん言行不一致なんて人間には当たり前のことでしょう。John & Yokoが聖人君子であるはずもない。しかしそのhypocricyをJohnを殺害した犯人は赦せなかったと言っています。Johnに傾倒し、神格化さえしていたからこそ、赦せなかったんじゃないか。僕はもちろん犯人を赦せない。勝手に神格化なんかしやがって、と思う。けれど、Gimme Some Truthって歌った本人が、財産なんてない、貪りなどない世界を想像してごらん、私は夢想家と言われるかもしれないが、独りじゃない、なんて歌ったんですから、僕は少年としてリアルタイムで聴いたけれど、これが本気なら、Johnは神になったと思いましたよ、実際。」

「Johnは『I wonder if WE can』ってライブで歌っていますよね。レコードではyouのところで、weと」

と凛が言った。

「そこにJohnの照れ、あるいは自嘲がありますよね。『you』とスタジオで歌った彼は本当にその時はholyな存在になっていていたんじゃないかしら。そして日常の自分のだらしなさの自覚から、生で人前で歌うときには『we』と歌わざるを得なかった。そういうJohnが私にはむしろ好ましい、あるいは愛おしいんですけどね。」

「凛さん、あなたも豪邸に住んでいらっしゃいますよね、成城2丁目だしー」

俺は愛を告白するのと同様の勇気を振り絞って言った。

「富裕な人は、この経済格差が極端になった、あるいはなりつつあるこの今の社会、世の中で、どうそのことを認識して行動すべきなんでしょうね。」

「それが日々、私に課せられた命題なんです。」

凛はキッパリと返答した。

「私は太宰治に似ているって思います。」

「太宰?」

「太宰は大地主の実家の援助を相当長くもらい続けましたよね。小説家としてなんとか売れ出すまで、当主の長兄に嘘をつき続けて。しかもその後も自堕落と批判されるような生活態度ゆえ他者からの借金は多かったみたいです。私は嘘はつきませんでしたけれど、実家の財産を元手に夢を追った点では太宰と変わりません。自堕落も、正直、ありました。」

俺は固唾を呑んだ。
凛は続けたー

「太宰は帝大生時代、共産主義運動にも関わりました。ブルジョアの息子・娘が、その幸運な<親ガチャ>に引け目を感じるって、よくあるパターンじゃないかしら。Johnは親ガチャでは散々だったかもしれませんけど、Paul、George、Ringoという天才たちと同じLiverpoolで真の意味で奇跡的に出会って、おそらく音楽史上至高の幸運に恵まれたけれど、バンドから去ったとき、ビートルズ時代の自分を『I was a warlus』、そして『Now I'm John』と歌って、それからまもなくIMAGINEを作り、歌うんですね。<No possessions>の世界を想像する自分になっていたんです。」

「ええ。」

俺は太宰とJohn Lennonが並列に語られているという事実の新鮮さに興奮して聴いていた。

「それでもー」

そう言って、凛はコーヒーを飲み干した。

「自分の思いと行いが一致しない、辻褄が合わないというもどかしさを持たない人ってきっといないと思うんです。太宰もJohnも、もどかしさを常に抱えた日々だったんじゃないかしら。私も毎日、自分はロクでもない人間だなって思っています。」

「ぼ、僕もですよ!」

俺は慌てながら即座に同意した。

「私ね、一人っ子なんですよ。」

凛が長く暗かった表情を、パッと、まるで電灯が点ったかのように明るくさせて言った。

「私、子どももいないし、私がこの世を去ったら、全財産を寄付するつもりなんです。それで私のもどかしい想いが晴れるわけではないですし、経済格差という大問題への解答にもなっていないのですけれど。」

俺は心打たれていた。
やはり凛は<立派な>人物だったとしみじみ思った。

その感動が続いているのに、俺はまた勇気を振り絞って<次の質問>をしたー
しなければ済まないという気持ちが抑えられなかった。

「凛さん、このベンチで以前、長く話し込んだ人は誰ですか。」


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その9

ハイドレインジャ
その9

「でも、あそこは紫陽花に囲まれるようで、すてきですよね。」

凛が、タッパーにはち切れんばかりに入ったサンドイッチを俺に勧めながら言った。
俺が目を輝かせ「これはうまそうだ。いただきます!」と手を出そうとし、しかしすぐに手指をきれいにしなければと気づいて躊躇するや否や、凛は紙おしぼりを手渡してくれた。

「紫陽花、お好きなんですね。」

俺は手を拭きながら言った。

「なんかねー」

凛はマグボトルからめいめいのカップにコーヒーを注ぎながら呟くように言った。

「どこかで読んだんですけれど、アジサイを表す漢字・紫陽花(しようか)は、中国ではライラックか何かを意味したのを、名前は忘れたんですけど日本の平安時代の、だったかしら、とにかく大昔の学者が間違ってアジサイに宛ててしまったんですって。」

「ほお。」

「梅雨に盛りを迎えるあの花は、ご存じのとおり、学名でも一般名でもhydrangea、水=雨との関連で名付けられているじゃないですか。なのに日本の当て字だと太陽の『陽』の字を含むって、変だと思いません?」

「そこなんですよ、凛さん!」

俺は少し興奮して応えた。

「先日紫陽花の話をちょっとしたとき、凛さん、雨の日には紫色の花が輝くって言われましたよね。実は僕もそう思っていて。でも雨の日に紫色の花が『輝く』って言う人、僕と同じように感じる人とは、会ったことがなくて、凛さんのその言葉、噛み締めちゃってね、あん時。同じ心なる人っているんだって、しみじみ。」

凛は柔らかな笑みを見せてくれた。
俺は彼女と見つめ合った。

「『同じ心<なる>人』って

紫ならぬ、清少納言の・・・。」

凛はそう言って、少し間を置いてから、

「その『なる』を『ならん』としたのが、吉田兼好ですね」

と囁くように言った。
俺は仰天した。本当に空を仰いだ。

「ゲロゲロ。」

俺はそう<鳴いた>。俺にとって超弩級の<驚き感動詞>だ。
凛は目を丸くして俺を見るー

「ゲロゲロって、ユウさん、カエルになっちゃったのお?」

「紫陽花が好きすぎて、ずっとその葉っぱで雨に打たれているのが好きなアマガエルです!」

俺はさらに戯けてそう言ったのだが、揺さぶられた心が次の衝動を振り出す。

「You are the beat of my heart. The light delicate blush of the petals reminds me of a beating heart, while the size could only match the heart of the sender! 
(汝は我が胸の鼓動なり。明るくほのかな紅色の花弁は脈打つハートのやう、かたやその小さきことは、送り手の心臓に匹敵するのみならん!)」

俺がそうTan Jun Yongの詩を諳んじると、今度は凛が空を仰いだ。


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その8

ハイドレインジャ
その8

待ちに待った土曜日は、天気予報通り梅雨の中休み、驚くほどの「ピーカン照り」となった。

晴れたのはいいが、昨今の日本、そして東京では、六月でも耐えられぬほどの暑さになるのは必定だった。昨日まで予報が外れたりしたら雨宿りをどうするかと心配していたが、今や強烈な日差しから二人を守るshelterをどこに求めるのかが大きな問題だと俺には思えた。ふれあい広場には藤棚を屋根にしたベンチが置いてはあるが、壁は全くないから長くいたら悲惨なことになってしまう。また、<先客>がいたら、途方に暮れるしかない。

「そうか、その時はその広場脇の野川に沿った緑道にある木陰のベンチがある!」

いいことを思いついたと喜んだが、すぐにその場所の難点を思い出したー
蚊がいるのである。

なぜ俺はそのことを知っているか。もちろん、その世田谷区喜多見にある区立公園に隣接する狛江の東野川というところに長く住んでいたのだから、それぐらいの知識経験があって当然と言えば当然だが、その木陰のベンチにそれなり長く座らねば知ることもまずない<蚊禍>である。そう、もう相当昔のこと、俺はある女性とそのベンチに長く座っていたことがあったのだ。

俺は防虫スプレーをポシェットに入れた。

*

前夜確認し合った待ち合わせ時刻午後0時ちょうど、俺はふれあい広場の階段下に着いた。
すると、

「ユウ(熊)さん、Bärさん!」

と凛が階段の踊り場のところの手摺から顔を出して俺を呼ぶのだった。

「ああ、凛さん!」

俺は一瞬、Romeoの気分とはこういうものではないか、と思った。一日千秋、なんだか泣けてくるような恋しさだった。

「おいおい、六十男がいったいどういう了見だ」ー
俺はすぐにそう自省して、凛には過度に映るであろう我が感激の表情をフラットにする。
踊り場で互いに日本人らしい挨拶を交わして、天気のことなどを話しつつ広場に入る。入ってすぐ左手の、例の藤棚が屋根になっているベンチを見るとバスケットが置いてあり、俺は、

「もしかして、席取りの目印にしたの?」

と訊いた。

「盗られちゃったかもしれないじゃないですか。」

俺が笑いながらそう言うと、凛は、

「見て」

とバスケットの中を俺に覗かせた。内容物の上に紙が置かれていて、そこには

「どくいり きけん たべたら しぬで」

と太めのサインペンか何かで書かれていた。

俺は絶倒しそうになった。
腹を抱えて笑うべきこのユーモアではあるが、踊り場で俺を待っていたこと、俺に声をかけたときの眩しいとしか言いようのない笑顔ー
この連続した愉悦の後、こんな無邪気なことをする凛の愛らしさを目の当たりにして、俺はまだ束の間二回しか会っていないこの女性の<奥深さ>、測り知れない人間性、女性性を思い知った気がして、笑うどころか溜息が出るのだった。

凛はその俺の態度に怪訝そうな眼差しを向けて、

「ユウさん?」

とだけ言った。

俺はハッとして、咄嗟に両目を吊り上げて、

「キツネ目のおとこ〜!」

と戯けて、

「そうしてキツネは、ええ子はこんな悪戯してはいかんがな、とコンコンと説教する!」

そんなくだらないことを言ったのだが、凛は大笑いして、

「うまい!」

と本当に感心しているという表情で言って、ハハハッと笑った。
俺はなんだか恥ずかしくなって、

「今はフジの葉陰にはなっているけれど、もうすぐ日光が直射しますよ」

と真面目そうに指摘して、そうなったら広場の下に降りて、午後から日没まで完全に日陰になる野川脇のベンチへ行きませんかと言った。
すると凛は、

「ええ。でも、あそこは長時間いると絶対に蚊に刺されちゃうんですよね」

と言うのだった。


(つづく)



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I miss you, Mr. Soto in C Major

「ハイドレインジャ8」を期待している多くの皆さん(笑)、今日は中休みです。

*

笑ってはいられない。
昨日Mick師から共通の知り合いの訃報を聞いたのだ。
Sさんー
私が2度目のデビューをした時の事務所の「マネージャー」だった人だ。
明朗で親しみ易く、都会人で、上から下まで色々な話ができる人だった。
彼とはNew YorkにもLondonにも一緒に行った。
C調な人だった。
それがしかし彼の魅力だった。

最後にお会いしたのは6年以上前だと思う。
私の音楽活動の停滞をやさしく叱ってくださった。
私の歌Is This Americaをライブで聴きたいと言ってくださった。
それができぬままとなった。

さようなら、「ソトさん」ー
そう呼んだのはきっと俺だけだったー
安らかに眠ってください。


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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その7

ハイドレインジャ
その7

土曜のデートまであと数日ある中、俺は久しぶりに早朝ウォーキングで成城方面へ足を向けた。
梅雨の早朝独特の冷気があったが、すぐにひどい湿度で汗が出てくる。
例のDCMの西側の入り口前を通過し、成城2丁目へと入って行く。

「藤原」の表札がある豪邸が見つけられるかー
少々趣味が悪い行為ではあるけれど、ウロウロと歩き回った。

あった。
以前この邸宅の前を通ったであろうけれど、いつも歩く道とは一本駅寄り、北西側の道沿いなので、記憶は薄かった。

近隣の大邸宅、豪邸群の中、勝りこそすれ決して劣らない規模、そして造りだ。
まるで地層が重なっているかのように見える、横筋がいくつもある千種色の門の壁ー
中央の玄関は数寄屋風で、格子戸だ。その向かって右肩の壁に黒く縁取りされた銀色の切り文字で「Fujiwara」とある。その字は毛筆で書かれたようで、職人がその風合いを見事に切り出している。それを含め、<家の顔>の和洋折衷ぶりは絶妙で、全体の品の良さに俺は嘆息を吐いた。

敷地はおそらく最低でも300坪はあるだろう。この大豪邸を見てしまうと凛やその家族はあの鎌足、不比等以来の大貴族の末裔かとも疑うが、その藤原氏、直系筋などはとうに違う家の名を持っていて藤原を名乗る家は全くないから、そういうことはないはずだ。しかし、貴族の血筋であろうがなかろうが、現代日本の経済的成功者であることに疑問の余地はない。それでいて成金趣味が一切ない家の佇まいが、直接凛の人となりのようだと俺は思った。

まだまだ知り合ったばかりなのだが、凛とはそういう女性なのだと確言できた。帰国子女風ではあるが、まさに凛とした<伝統的>日本風の顔立ちで、彼女がもし若い頃に神社で巫女さんを務めていたら、参拝の男たちが皆見蕩れていただろう清楚さと気品、そして明朗さを<いまだに>ほぼ保っているのだ。そしてさらには英国の上流社会で身についたに違いない「posh」さがー
英語のアクセントばかりでなく、服のセンス、着こなし(とは云え、ジョギングでの服装でしかないが)、物腰にもー
渾然一体となっているのが凛なのだ。

俺は凛の家を確認すると、早々に彼女と出くわさない方向へと歩き出した。
土曜日に凛と会って、俺は本当に、Johnも自嘲した「財産などないと想像する大富豪(a billionaire who imagines no possessions)」が「貪り(greed)」をどう考え、どう対処するのかを聞きたいのだろうか。

そう、やはり聞きたいのだ、と思った。
それは、彼女なら、凛なら、何かしらの答えを持っていると確信するからだった。そしてそれを聞いて、俺は前進できるのではないかと期待していたのだー
IMAGINEの世界の、Johnが「I'm not the only one」と言った、その、彼を独りにさせない人間として、歌うたいとして。

(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その6

ハイドレインジャ
その6

All You Need Is Love「愛こそはすべて」という邦題は決して誤りではない。しかし「Love」を「愛」という名詞ではなく、「愛すること」という<(toなし)不定詞>で動的に訳すことー
そういうふうに解釈する凛の精神に俺は本当に感動した。

「愛しさえすればいい」あるいはより直訳的に「必要なのは愛するということだけ」ー
そう解釈するには、タイトルは「All You Need to Do Is (to) Love」となるはずだろうが、そんなことはこの際どうでもいい、と俺は思った。必要なのは「愛」という抽象名詞ではなく、「愛する」という行動なのだ!

俺と凛は相合傘になってしばらく歩いた。黙ったままだったが、それぞれが普段考えていることを言い合える、あるいは口にする意味がある相手が見つかったといううれしさに、おそらく凛も浸っていたのではないか。

まもなく、仙川崖線をトラバースする緑滴る坂道を、二人は登り切った。

「これ、名刺です。」

俺は財布から名刺を一枚取り出し、凛に手渡した。凛は防水加工されたウェストバッグにそれをしまう。

「ありがとう。身体が冷えてしまうので、この辺で。」

凛はそう言って、大蔵運動公園の方へ再び走り出す。ほんの少しだが、彼女の所作・動きに後ろ髪を引かれる想いが滲み出ているのを俺は観てとった気がした。

俺は彼女が行った方向へ歩き出さなかった。「今日はいい」と呟いた。


***

凛からメールが来たのは、雨があれから数日続いた後だった。熟慮し、逡巡したのかもしれないなと俺は思った。あるいは風邪を引いてしまっていたのかとも。俺はあれからは早朝散歩には出ないでいたのだった。

もちろん俺は待ち侘びていた。いい歳こいて、まるで中学生や高校生が送ったラブレターへの返事待ちをする気分だと自嘲してもいた。それでも心の中は欣喜雀躍、そして実際小躍りした。

メールにはいつ会えるとかは書かれておらず、ただ「お会いできる日を楽しみにしています」とだけ。

俺はこう返事した。

「メールありがとうございます。
私は土日はほぼいつでも都合がつきます。凛さんから日時場所をご提案ください。
ただできれば都心は避けていただけると幸いです。人混みはすっかり苦手になりました。
飲食店でとかではなく、仙川や野川散歩でも構いません!」

凛からはおよそ1時間後に返事が来た。

「ご返信ありがとうございます。雨でウォーキングはお休みされていましたか?
さて、仙川・野川散歩、いいですね。次の土曜日、もし晴れたなら野川沿いのふれあい広場でお会いするのはいかがでしょう。サンドイッチか何か作って持って行きます。最終確認は金曜の夜に。では、また。」


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その5

ハイドレインジャ
その5

「ああ、凛さん!おはようございます!」

彼女はいわゆる「シャワーラン」の格好で、雨をひとつも苦にしていない様子だ。

「すごいですね、雨ん中でもいつも通りで。」

俺がそう言うと、足踏みしながら凛はにっこりと笑って、

「ずぶ濡れです。でも雨の日のjoggingはそれなりの楽しみがありましてね」

と言った。

「紫色の花々が輝くでしょう、雨の日って。」

「輝く・・・。」

「ええ、特にこの季節は紫陽花。紫陽花って本当に色も形も千差万別で、私しょっちゅう引っかかってしまうんですよ。足踏みしながら花を見て。まるでホバリングしているハチドリみたいに。」

なるほど、いい比喩だと俺は思いながら、

「砧公園内の世田谷美術館周辺に今すばらしい紫陽花が咲いていますよね」

と言うと、凛は、

「そうですか。どんな紫陽花?」

「白いの、ちょっとピンクの、それからしっかり赤紫の花のpomponが同じ株から咲いているんですよ。」

「まあ!じゃあ、探してみようかな。」

俺は、その凛の無邪気とも言える表情や声の調子に、なんだかたまらず不躾で大胆になった。

「あ、あの、凛さん、もしよかったらいつかお話しする機会は持てませんか。」

なんと驚くべきことに、凛は全く動揺する素振りも見せず、

「いいですね!」

と顔をキラキラさせて返事をするのだった。

「あ、あのー」

俺は大胆、不躾な態度から一変気弱な少年のようになって二の句を繋いだ。

「実は、凛さんにお聞きしたいことがあって。お互いのジョギングやウォーキングの途中で話すようなことでもなくて。」

凛は幼稚園の保母さんのようにやさしい笑みを浮かべて、

「私、時間がありますから大丈夫ですよ」

と応えた。

俺は焦燥感たっぷりに早口で捲し立てるー

「僕のこと、どこの馬の骨か分からないでしょうけれど、とりあえず砧8丁目に住むミュージシャン、しかももう還暦を過ぎていて、何かギラギラした出世欲を持って音楽をやるなんていうフェイズはとっくに過ぎていて。今は砧を僕の終の住処として、歌うたいの最終盤に総決算て言うかー
言葉が貧困だな、ええと、集大成・・・そんな大したもんじゃないかー」

凛はクスクス笑っている。

「なにしろデビューしてから40年、今の境地を歌にして、いつあの世から呼ばれてもいいようにって、そんな感じでししてね。なお、今は独りです。」

そう言って俺は「しまった」と思った。「最後のはないわ。今言うようなことじゃない。そんなことを言うこと自体が嫌らしい」と感じ、顔が熱くなった。

俺は気を取り直して、

「ミュージシャンなんて大概はだらしない生き方をしてしまうし、僕も例外ではないんですけれど。でもだからこそ自分の人生を見つめる機会は多かったんです。その、自己の行いを見つめてアウトプットされるものが歌でして。そして結局思うんですが、私の歌とは一貫してAll you need is love精神の発露なんだと。」

凛は足踏みをやめていた。

「そのloveって、動詞なんですよね。」

凛は呟くように言い、俺は衝撃を受け、心の中で、

「え?名詞だと思ってたし、そう取ってもおかしくはないけれど、動詞?そうか、All I've got to do is call you on the phoneのcallと同じことか!」

と凛の言葉を反芻し始めていた。

「Nothing you can sing that can't be sungー」

凛は「can't」を美しいイギリス英語の響きで発音してJohnの詩を誦じた。

「歌えるもので歌い得ないものは何もない、ですよね。その前の歌詞は『することができてされ得ないものは何もない』。だから、『<愛し>さえすればいい』なんですね。」

俺はしばらく呆然として立ち尽くしていた。
そして徐に傘の下に凛を入れた。


(つづく)



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2024 正月雑記

今日は小説、小休止。

能登を中心とした石川県、さらに富山県や新潟県の被災状況の深刻さに心痛める。
そういうことを書けばいいというものではない。
何か具体的な助けをしなければと強く思う。
ささやかながら義捐金を出すことくらいしかないだろうけれど。

Mooさんが3.11以来被災者支援を実際現地で行ったりしてこられたが、
その行動原理は「お互い様精神」。

私も3.11ではそれなりひどい目に遭った。
新宿駅で本震に襲われ、交通機関が麻痺し、歩いて狛江まで帰ったのも辛かったが、
当時の職場があった浦安での体験は、もう2度としたくない。
能登の方々が今その私が2度としたくない体験をされている。
もちろん、さらにもっと苦しく悲しい体験を。

心からお見舞い申し上げます。

*

昨日は久しぶりにKと飲み食いをした。
楽しい店を見つけ、気分良く別れた。

Kと話して、「実験小説」は多くの人を巻き込むものになるかもしれない可能性を感じた。
「巻き込む」というより正確には<協力を仰ぐ>だが。

なによりまず大本の小説、がんばんなきゃ。

*

藤井王将、圧倒的な強さで菅井挑戦者を一蹴。
菅井さんはとにかく闘志むき出し、fighterであることは結構なのだが、
「player」ではなくなってしまっている。
遊び心をなくしてゲームをするという矛盾。
藤井さん、弱冠21歳で人間的にももう達人の領域にいる。
余裕がないとダメだよね、たとえ難敵に立ち向かう時も。

*

あ〜。
おらは12月から正月三が日までが一番好きなんだわ。
あと11ヶ月ちょい待てって?
待ちたいよ、でもね、それまで何が起こるか。
そういうの大いに気にする歳となってしまったなあ。


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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その4

ハイドレインジャ
その4

「成城2丁目の、どちら辺りなんですか。」

俺は思わずさらに突っ込んでしまった。
凛は怪訝そうな表情は一切見せず、むしろハキハキと、

「DCMってご存知?」

と言った。

「ええ、昔東宝日曜大工センターだったー」

凛は派手に笑って、

「古いですね〜。いつの頃の話でしたっけ?二千・・・」

「2010年までそうだったんじゃないかな。その後『くろがねや』になって。」

「ええ、そうでしたね。」

「そして今はDCM。DCMって何の略なんだろ。」

「Demand Chain Managementですよ。」

「え?」

俺は凛がその企業についてちょっと詳しく知り過ぎじゃないかと思ったし、あらためて英語発音のnativeぶりにも驚いていたー
いやむしろ気後れするほどだったー
俺が憧れる美しいBritishアクセントだったから。

「ぼ、僕はDaiku Center Moto(大工センター・元)かと思ってました!」

凛はポカンとしていたが、意味を解するや否や腹を抱えて涙を流さんばかりに笑った。
そして笑いがやっと収まって、

「その<大工センター・元>に比較的近い方の2丁目です」

と目頭を押さえながら言った。
俺はすぐにあの辺りかと思った。凄まじい豪邸街だ。

「すみません、立ち入ったことまでお尋ねしてしまって。」

俺は謝って、「それじゃ、今度こそまた」と言った。

「ええ、また。」

凛が応えた。

「砧公園、今紫陽花がとてもきれいですよ!」

と付け加えた。


***

俺は考えうる最も若いBeatles世代だ。5歳のとき彼らのデビュー曲をリアルタイムで聴いた。8歳上の長兄の受け売りだったが、以来その「Fab Four」の影響を受け続けてきた。いや、人生を決定づけられたのだ。

特にJohn Lennonからの影響を受けた。彼は、「天国も地獄も、国も、殺したり死んだりする必要も、宗教も、私的財産も、貪欲、飢餓もない世界を」と訴えたIMAGINEを、そして「The world is so wrong」という歌詞があるHappy Xmas (War Is Over)を1971年にソロになってから発表しているが、その時俺は多感な時期に入りつつあり、「やはりBeatlesは本当にpeace & loveのバンドだったのだ」と感激し、<Beatles教>の信者と言うべき者になった。

「世界はおかしい」、「世界は間違っている」ー
自由抑圧のソ連が崩壊し、多くの人々が抱いていた共産主義や社会主義への憧憬は雲散霧消したが、だからと言って放埒な自由主義経済がその多くの人々を救うはずもなかった。貧富の差は拡大し続け、大資本による途上国などでの搾取は止まらず、OECD加盟国でも二極化が甚だしくなり「中流」と思っていた人々がどんどんと貧困化し、ホームレスや薬物中毒、無差別殺人、自殺の蔓延・増加は大問題になっている。

凛が住むという成城2丁目は全体が高級住宅地だが、その中でも呆れるほどの豪邸が立ち並ぶ地区がある。そこは「DCM」というホームセンターから小田急成城学園前駅方向へ数百メートルというところに在る。凛はまさにその地区に住んでいるらしい。きっと藤原家は大富豪だろう。

俺は単純に知りたいと思ったー
凛のお父上がBeatlesファンなら、「Imagine no possessions」とIMAGINEで、「The world is so wrong」とHappy Xmas (War Is Over)でJohnが歌ったことをどう思っているのか。そしてもちろん、凛も。

いやいや、Beatlesファンだからその歌詞に必ず共感し、あるいはその通りに行動せねばならないなどと俺はちっとも思っていない。John自身も自分の偽善性に気づいていた、あるいは自嘲していたし、Paulなんかは世界の大富豪の一人で、「Peace, Love & Money」と言っても矛盾しない存在だ。

しかし、例えば<地球人>が抱える貧富の極端な格差、経済的不平等について、BeatlesあるいはJohnのファンであるなしに関わらず、どう考えているのか、どう対処すべきと思っているのかー
それについて知りたいと思うのだ。無責任なことに俺には解決法なんてちっとも浮かばないけれど。

*

凛との俺にしては劇的な出会いをした翌日、小雨が降る早朝4時、「今日は凛さん、さすがに走りには出ないかな」と思いながら、俺は傘をさしていつも通りに家を出た。

それでもやはり彼女と出会うことを期待していた。俺のウォーキング・コースは数通りあるが、前日と同じコースを取ったのだ。

『七人の侍』のいくつかのシーンが撮影された仙川べりを歩いていた。ここに来ると必ず、志村喬さん、三船敏郎さん、そして大好きな「久蔵」の宮口精二さんのお顔が浮かんでくる。その映画の戦闘シーンほど激しい降りではなくとも、雨の中、ますますかの偉大な俳優たち、そして黒澤明監督のことが慕わしく思えた。東宝スタジオから数百メートル下流の地点だ。

夢想状態で茫っとしていると、「おはようございます!」という元気のいい声にハッとするー
凛だ。


(つづく)


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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その3

ハイドレインジャ
その3

凛が大蔵運動公園から砧公園へ西から入っていき、公園一周というようなコースをとるとすれば、それは成城からは相当な距離になる。もちろん成城でも1丁目の世田谷通り近くならそれほどでもないが、なぜか俺は彼女がその辺りの住人とは思えなかった。

凛には少し「バタくさい」感じがあった。古い形容詞だが、「ハイカラ」とするのはもっと古い。「帰国子女風」というのが一番適当か。1975年発表のEvil Womanを知っている、愛聴しているとすれば、1960年代生まれかとも思えたが、それでは実際の容貌風体とはあまりに不釣り合いだ。おそらく1980年前後の生まれではないのか。

なにしろ笑顔が実に<西洋風>に感じた。日本列島人なら、初対面の者に掛ける笑みは微かだ。笑顔ばかりでなく、少し大袈裟めな表情の作り方が印象に残る。快活そうで、しかも知的な風貌ー
熊野信仰者の親父によって「熊(ゆう)」と名づけられたことを話した時の、interestingなことへ真剣な反応をした彼女の表情には、まさに知的に<凛>たるものがあった。


俺は建ったばかりの大規模賃貸マンションを右手に見ながら、大蔵運動公園へと歩いて行った。この建物の住民の数は、世田谷区砧地域の人口増に相当貢献するだろうと思いつつ。そして砧公園利用者がさらに多くなってしまうのを若干憂いつつ。

また凛と出くわすという予感はあった。大蔵運動公園に入れば、砧公園方向の東へ行く道が2つあるのだが、凛が砧公園を一周して戻ってくるとして、どちらの道でより出合いそうかをチラリと考えた。

「いや、より出くわさない方を考えるべきじゃないのか。」

俺はそう心の中で言った。

「お前、彼女に関心持っちゃったな!やめとけ。」

頭の中、自分で自分を制する声がした。

それでも俺は凛ともう一回話したかった。
くだらないことだが、彼女と別れてから気づいたことがあって、それを確かめたいー
そして彼女の驚きの表情をもう一回見たいー
という気持ちがどんどん強くなっていたのだ。

するとどうだ、凛がテニスコート横の曲がり角から姿を現した。
あと十数秒で鉢合わせだ。

凛はもうすでに笑顔になっている。
俺に気づいたのだ。
俺も微笑み返しだ。

「やあ、またお会いしましたね!」

「あら、クマさん、いいえ、Bärさんもこちらに?」

凛は足踏みをしながらそう言った。
俺はかなり激しめに笑った。

「いい機会だ、凛さん。お尋ねしますが、ELOのリーダーがJeff Lynnで、その<リン>つながりでELOのファンだとか?」

凛は足踏みをやめ、一笑してから汗を拭きつつ、

「それは関係ないんですよ」

と言った。

「音楽の趣味は亡くなった父の影響です。父は大のBeatlesファンで、Jeff LynnもBeatlesファン、特にGeorge Harrisonと仲が良かったんでしょう?しかもストリングスを使うロックが好きだったんですよ、父は。」

「ほう。」

俺はかなり感動してしまっていた。
凛の父親はどんな人物だったか知る由もないが、俺と音楽嗜好がかなり近い。
そういう男性の娘なのか、凛は、と。

Evil Woman、父がよくピアノを弾く真似をしながら、腰をふりふり踊りながら、幼い私の前で唄ったりして。そしてね、凛、お前はこの歌の女みたいになっちゃダメだぞ、なんて言ってたことがあったような。もちろん私はその女がどういう女なのか幼いからちっとも分からなかったんですけどね。父は、『そう言えば凛とJeff Lynn、偶然の一致だな』とも言っていました。私の名前は、新宿区に住む母方の祖母がつけてくれたんだそうです。」

「そうだったんですか。」

俺は「もう何も言うことはない」と思うほど、満たされた。

「ありがとうございました。<また>偶然お会いできるとうれしいです。」

俺はそう言ってお辞儀した。

「Bärさんは、ここのお近く?」

凛が訊いてきた。

「<僕>は、砧です。8丁目です。」

凛はしばらく頭の中の地図上で検索しながら、

「ああ、成城2丁目と仙川を挟んで隣り合う?」

と言った。

「はい。」

「私の家、2丁目なんです。」

俺はなんだか身体が痺れるような感じがした。


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その2

ハイドレインジャ
その2

俺は戸惑うばかりだった。
そりゃそうだ。
声は発せず、表情だけで、何がおかしいのか、あるいはなにゆえのfriendlinessなのかその女性に訊く。

「ごめんなさい、突然に!」

女性はにこやかなまま詫びた。

Evil Womanでしたよね、歌ったり、口笛で吹いていたの。」

俺は目をパチクリさせて、「え、ええ」とだけ言った。

「ELOの。私の好きな曲でしてね。」

「ああ、そうですか。」

俺は合点が行きつつも、事態の唐突さに心がまだまだ乱れていた。

「Hey, hey, hey, heyって歌われてから、ストリングスの高いCの音が口笛で出せなくて、その音がなんだか切なくて。」

女性は眉と目尻を下げ、口を閉じてスマイルマークのような顔をして言った。

「その後、I thought I saw love smiling in your eyesの歌詞、とてもスムーズに唄われて!あら、この人、ちょっと日本人かしら、なんて思ったりして。」

「はあ。」

俺は意味なく頭を掻いた。そしてその女性が相当の英語話者であることも知った。

「ごめんなさいね、失礼ですよね、見知らぬ方にこんな親しげに話しかけてしまって。」

彼女はそう詫びて、一旦ジョギングを再開しようとしたのだが、すぐ振り返ってこう言った。

「あの、私は藤原凛(ふじわら・りん)と申します。『りん』は古くも新しくも響く名前ですけど、漢字は、<りん>とした空気、とかの凛です。成城の父母の家に最近戻ってきて、以来ジョギングや散歩でこのコースを使ってて。もしかするとまたお会いするかもと思い、一応自己紹介させていただきました。」

「ああ、それはご丁寧に。」

俺は初めてにこやかな顔をしながら返事をした。

「私は野澤熊(のざわ・ゆう)と申します。『ゆう』はなんと<熊>なんです。熊の音読みでして。」

「まあ、珍しい!」

凛は本当に驚嘆している表情で言った。

「ドイツ語圏なんかではオオカミ、wolfを男の子の名前につけるとは聞いていましたけど。」

「ああ、Wolfgangですね。Wolfgang Amadeus Mozartとか。」

「そうそう!狼戦士で神の愛(Amadeus)を受けたモーツァルト!」

凛は嬉々としている。

「私の場合は、父が熊野信仰を持っていて。あの紀州・和歌山の。出身は會津なんですけどね。ドイツ流で言えば、Bär、あるいはBärgangかな。なにしろ子どもの頃からみんなにクマとかクマ公とか言われて、散々です。」

「まあ、おもしろい!」

凛はその後の話も期待する表情を見せている。
俺は、初対面の人とどこまで初会話を続けたらいいのか分からず少し困ってしまい、間を置いた。
凛はその俺の戸惑いを察知し、複雑な微笑みをたたえて、

「あら、長話になってしまって!」

と言い、

「またお会いするかもしれませんね。Bye for nowっていう感じですかね」

と続け、「では」と言って大蔵運動公園の方へと走り出した。

「じゃあ。」

俺は「また」をつけないで別れの挨拶をした。

「俺もそっち方向なんだけどな。」


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その1

*私の地元を舞台として、小説をものしたいと思っています。何が「新形態」かと言うと、この小説の語りを録音し、効果音とオリジナル曲を挿入、さらにバックグラウンドには私が好きな地元の<山河>(?)、街風景が動画、静止画で常に映し出されている、という点です。むろん、形式としては真新しいわけではありませんが、小説、語り、挿入音楽、映像が全て一人の作者(編集はKに頼ると思いますが)によるというかたちはおそらく他にないものだろうと思っております。


ハイドレインジャ
その1

それは6月のある日、早朝4時、夜明け前まで降っていた五月雨は上がっており、俺はいつも通りウォーキングに出た。

俺の家は世田谷区砧8丁目に在る。仙川という名の川の河岸段丘と言っていい、少し小高い場所に建つ、一応ささやかな庭もある家だ。砧8丁目は完全な住宅地だ。夏至前の午前4時、すっかり明るくなっているが、近隣の人はまだまだ夢の中というところか。7丁目方向、東宝のスタジオへ通じる道周辺には人っこ一人いない。クルマもほぼ全く通らない。

俺はこの道が好きだ。Beatlesのラスト・アルバムAbbey Roadのジャケット写真の通りと少しだけ似ている。

雨上がり、なにしろ蒸す。日も差してきた。
俺は寒さより暑さが身に堪えるほうだ。早朝ながら、そしてTシャツ・短パンといういでたちながら、歩き出して数分で噴き出してくる汗を拭いつつ、「あ〜、不快だ。夏至どころか、早く冬至が来い」などと独りごつ。

しかしどうだ。
近隣のお金持ちの家々は今多くがその庭や玄関前を紫陽花で飾っており、そのひとつひとつの色彩、形状が異なっていて、なにしろ美しく、また「和して清し」の清々しさを湛えているから、蒸し暑さの不快さは軽減されるようだ。

7丁目、ウルトラマンの円谷プロが在った辺りを通ると、必ず俺は「ウルトラセブン」のテーマ曲のイントロ・メロディーを口笛で吹く。
小学生の頃、會津の田舎にいてリアルタイムで視聴し、胸躍らせたこのブラスの前奏。半世紀近くを経て、夢を見させてくれた映像制作会社が在った場所を歩いている自分ー
そして子どもの頃から十数年後、このオープニングテーマ曲を作った作曲家と、あるアニメで共に音楽を担当する立場になるという信じられない僥倖に恵まれた自分ー
その過去と今を、ほんの少しではあるが、いつも省み、また想うのだ。

その子どもの頃、爺さん婆さんの早起きに畏れ入ったものだった。老人は眠くならないのかとすら疑った。今自分がとうとうその老人の域に達し、午前3時には起きて、4時には歩いていることに苦笑する。そして老人の早起きは、一回の眠りの時間が短くなってしまうことによる睡眠パターンの乱れのせいであることも身を以て理解しているのだ。

「雨が止む」ことを英語では「the rain lets up」という。
「let up」とはなんという優しい響きだろう。大学生の時このidiomの意味とその音に感激した自分を思い出す。
「letは語源的にはleaveに近いんだったなあ。『放っておく、自然の成り行きのままにする』というニュアンスだ。let upは、雨がfall downしていたけれど、なりゆきでup、つまり<上がった>状態になることなんだ。」
そう知識をブラッシュアップして、ひとり満足する。

「ああ、Let up on me, now, please, babe」なんていう出だしの歌詞の歌を作ったなあ!」

雫をのせた青紫色の紫陽花を間近に見ながら、俺はその歌The Lilaceous Rainを歌い出す。

「let up onは、誰かにキツイ態度をとっていたのを<緩める>というidiomだ。
雨に打たれていた者が、天に赦されて、雲間に日差しを見るようなイメージだ。
なんというすてきな言い回しだと感激した30歳くらいの自分を思い出すなあ。」


俺は東宝スタジオを右手に見て仙川を渡る橋の辺りでイヤフォンを取り出し、YouTubeで作った自分が好きな楽曲リストを「シャッフル」でかけ始めた。
世田谷通りを横断し、仙川沿いを歩く。
左手の、柳家喬太郎が小学校低学年まで住んでいた大蔵団地は、今ほぼ全棟が取り壊され新しく賃貸マンションとなりつつあり、一帯が整備され、また仙川の河岸段丘の木立もしっかり残されているので、歩いていて気持ちの良い土手道となっているのだ。
映画『七人の侍』のロケ地のひとつだったとはとても思えないほど変貌してしまったけれど、自然と住宅地の調和ぶりとしては及第点をつけていいのではないかと俺は思う。

しばらく歩くと、左側に新しくできた、河岸段丘をトラバースして上る道路がある。そこは近隣住民くらいしか存在を知らないから、滅多に人やクルマに出くわさない。ましてや早朝、緑濃い木立に囲まれた坂をたった独り歩いていると、時刻に似つかわしくない曲が始まった。ELO(Electric Light Orchestra)のEvil Womanだ。

ピアノとストリングスによる間奏終わり、シンセサイザーによる、フェイザーがかかったストリングスのフレーズがある。そのメロを俺は口笛で同時に吹いた。そして2分足らずで曲が終わった時、俺は坂道の終点大蔵3丁目の丘の上に辿り着いた。

すると、「ふふふっ」という笑い声が背後で聞こえたのだ。

振り向くと、四十代後半くらいの、ジョギング・ウェアをまとった女性が俺をにこやかに見つめているではないか。


<つづく>



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三が日最後、今日は何の災厄も起こるな

お正月休みは今日で終わり。

1日午前1時前、成城4丁目の喜多見不動堂へ徒歩で行くと、なんと閉鎖されていた。
そうなったことを示す掲示なし、ネット上の情報もなし。ただ唖然。
昼には開いていたが、お参りする用意をしておらず通過。
きっと氏子さんの間で人員不足が生じたのだろうと推定。

昨日<ただの>ウォーキングで用賀方面へ。
目的地なしで歩いていたら、途中提灯が美しい神社に遭遇。
用賀神社、だった。
OMNICHRONISMのレコーディングをしたスタジオ、
その後のDeafening Daphneの<定(じょう)スタ>Plus Oneの所在地が
上用賀および用賀であったことから、地縁を感じ、初詣は急遽その用賀神社に決定し、
破魔矢とお守りをいただいた。

*

戻ってNHKで地震禍のニュースを見ていたら、カメラが羽田空港に切り替わった。
3箇所でなんらかの塊が燃えている映像。
「羽田空港で火災」ということだった。
「何が燃えているのかは不明。」
ナショナル・ジオグラフィックの「メーデー」シリーズにハマったことのある私は、
すぐにこれは航空機事故だと察知し、
機体がバラバラに飛び散って燃えているのだと思った。
それにしてはその規模が小さいので、小型機の事故かと思ったが、
やがてカメラは左前方を写し、停止しているJAL機があって、その左エンジンが脱落、
尾翼に近い方の数個の窓から内部での火災を思わせる火の手が見え、
これは航空機同士の衝突だと理解した。

NHKの画面は、左に能登大地震の縦に大書されたテロップがありつつ、
羽田での重大事故のライブ映像が流れるという前代未聞のありさまで、
「なんという年明けだ!」と私は絶句した。

その後「小型機」は海上保安庁のもので、地震被災者支援のため新潟へ向け
離陸直前だったことを知り、暗澹たる想いになった。

この事故で亡くなられた海保のみなさまのご冥福をお祈りし、
また心身の別を問わず傷を負われた海保、JAL乗員乗客のみなさまにお見舞い
申し上げます。


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今地震被災者のみなさま、お見舞い申し上げます

能登半島を中心とした今地震禍、被災者の皆さまにお見舞い申し上げます。

「なんと2024年の幕開けの日、元日に、こんな大災害が起こるとは」と、
むろん<天災時を選ばず>であることは百も承知ながら、嘆き悲しんでおられる方も
多いことでしょう。ご同情申し上げます。

昨年夏富山県氷見の海岸で、また高岡市の二上山頂上で、能登半島のいずれも
付け根辺りと言えるところから周辺地形をじっくり観察したものです。
その2地点から見た景色ー
深い富山湾に面し、南南東に3000メートル級の山々、つまり立山連峰が、
富山平野を隔ててもその距離があまりなく、突如屹立するかのようー
そしてはるか北にはうっすらと石川県能登町や珠洲市の半島先端部。

世界でもまず類を見ないだろう地勢を見ていて、その特有の美しさに感動しながら、
「この美には奥、ないし裏、またないしは深さがある」とも感じたのでしたー
比喩的にもそして本当にズバリ地学=構造地質学的にも。


なにしろ今はそんなことよりも実際の惨状に心痛みます。
大阪万博に無駄遣いする金を復興復旧へ遣えというtweetが多いようで、同感です。
被害の中心石川県と富山県に、お金を回せ!

*

そうそう、Mooさんの記事で思い出したけれど、
昨日義父と能登半島西部に在る志賀原発のことも心配で相当話し合った。
全電源喪失にはなっていない状況ながら、一歩手前にまではなっている。
K団連の会長が地震前に視察して再稼働を促していたことがいかにマヌケで、
非科学的で、そして致命的に非経済的(福島第一原発のようなことが起こったら)で
あるかをはしなくも示してしまった。

能登半島西側を海岸線に沿って南西へ行けばまもなく福井県の「原発銀座」だ。

経済のために善かれという彼らの見識がいかにその真逆、
国家存亡の危機にまで発展しうるか、
分かっているのか。

分かってないよな。


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2024 年頭駄文 〜ふたつの故郷

新年あけましておめでとうございます。

東京は風が少し吹いているものの、日差しはまるで春。
「光の春」という冬の季語を用いるには早すぎなはずなのですが。

Mooさんが故郷富山のことを懐かしまないわけではないというようなニュアンスの
初ブログを書かれておられました。
その中、沖縄ご出身のお連れ合いは、沖縄に帰ることがidentityの確認になる、
一方自分や本土の人間が故郷に帰ってもそういうことにはならないという趣旨のことが。

そうですよね。
私が會津に帰ったところで、會津人のidentityを確認し、會津人魂をさらに燃やす
などということはないー
ただ故郷の山々、変わっていない風景、湿度などを含む天気、雰囲気を懐かしむことは
あっても、です。

元々「會津魂」などというものがあるなら、それは會津若松市内の、
戊辰戦争で親族などを失った旧・藩士の家庭に一部残るくらいでしょう。
人事で養われたspiritなどは実に特殊なものです。

それは「會津民族」などというものは存在しないからです。
會津は早くから、遅くとも古墳時代から、ヤマト政権に属していましたし、
何度も書いてきたように、戦国時代などには特に近江をはじめさまざまな「他国」の
人々の血が入ってきました。

むろんそれは豊かなことであったと私は思っています。
中世からの會津領主だった蘆名一族だって、元々は相模の鎌倉武士です。

幕末會津の宿敵長州藩だって、主君は毛利、毛利も相模が本貫でした。

ということは、本土のいろいろなところでその土地の「魂」を言い募っても、
結局はそれは総じて「大和魂」ということになる。
さてこの大和魂とは何か。
それはまた大きなテーマの話になってしまいます。

沖縄は今本土人も入ってはいますけれど、ウチナンチュ魂は健在でしょう。
沖縄の島民たちは、かなり純粋に培ってきた固有の文化・伝統を守ってこられた。
そこに「魂」を、identityを見つけても、不思議はありません。

私が會津に帰って慕わしいのは、やはり、その風景、雰囲気です。
たかだか18年しかいなかったとしても、母の胎内に宿ってからの体と心の記憶は
根付きが違うとしか言いようがない。

それでも、私は砧地域や狛江のそれらにも會津の故郷に負けぬ慕わしさを感じています。
もう半世紀近いほど暮らしてきたのですから。
初めてそのことを強く意識したのは、1997年、大阪で小さなコンサートをやってきての
帰り、今の成育医療センター(旧・大蔵病院)前を通った際でした。
娘がいる狛江・東野川の我が家へ帰る、という時でした。
私は疑いなくその頃はもう狛江に根付いていたのです。

ふたつの「故郷」を持てて、幸せです。


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