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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その12

ハイドレインジャ
その12

藝術至上主義ー
つまりは藝術のためなら他のどんなことも犠牲にする人間のことだ。

「その元夫は、私がイギリスにいた頃に知り合ったギタリストでした。」

凛がか細い声で言った。

「Baker Streetのパブに私が友達と飲みに行った時に私に話しかけてきて、とても知的な会話ができる人で。今度ライブ演奏をカムデン(北ロンドン)のコヤでやるから見にきてくれって。その日はちょうど私に何の仕事も約束もなく、彼がaudienceを集めるのが大変そうだったし、情に絆されたところもあって・・・。」

「なるほど。」

「音楽は、ロックではあったんですけれど、彼はアコースティック・ギターを弾く人で、日本のメーカーの・・・Takamineでしたっけ、そのメーカーのエレアコを使っていました。演奏はすばらしく、魅せられました。そのバンドは彼のギター・ソロがメインでしたけど、彼・・・Nigelという名ですが、Nigelが時折歌うんです。私が行ったときの、その歌詞が、

Whoever calls on the name of MINE shall be saved

だったんです。」

「え?」

俺は驚いた。「なんという傲岸不遜な!」と。

「ご存じないかもしれませんが、新約聖書『ローマの信徒への手紙10-13』の、Whoever calls on the name of the Lord shall be savedの<もじり>なんです。」

「つまり、Nigelがthe Lordだと。」

「ええ。そしてその曲の最後にその歌詞がリフレインされるとき、彼は私を見つめたんです。」

俺は目に見えるようだと思った。

「題名は?」

「The Plotter、でした。」

俺は、湿度マックスの猛暑の中なのに、背筋が凍る想いがした。

「The Plotterって・・・<筋書きを描く者>だけれど、<策謀者>っていう陰湿な意味が強いですよね。確か、ギリシア語ではdevilないしはSatanに当たる語の英語訳では?」

「ユウさん、すごい知識ですね。その通りです。」

凛は俺のことをまじまじ見つめてそう言った。

「いや、僕はなにしろ熊野神社氏子の父を持つ者ですし、僕も熊野信仰を自然にする者ですから、キリスト教に詳しいはずはありません。しかし、ほぼどんな宗教でも正しい教えの伝わりを阻害する存在が想定されていますよね。神道の場合は、荒魂(あらたま)という荒ぶる神がおわしますが、その荒魂は和魂(にぎたま)、平和の神でもありうる。二面性ある神ということになります。その辺りがおもしろくて、キリスト教はどうなのかって調べたことがあったんです。」

突然、凛が泣き出した。
俺は顔を覆って泣く凛をただ見るだけだったが、どうしても慰めたくなり彼女の肩を左腕で抱いた。すると凛は俺に凭れかかってくるのだった。

しばらく凛は泣いていた。
野川沿いの道を歩く人々は気まずそうに俺たちをチラ見した。

凛の嗚咽は止んだ。
凛の上半身は俺から離れていった。
しかし、彼女の右手だけは俺の太腿の上に残り続けた。

「私、あの歌詞で彼がどういう人物かを推し量るべきだったんです。」

俺は彼女にティッシュを差し出しながら、

「ロックをやっているヤツにはよくある大言壮語、傲岸不遜ですよ」

と慰めになることもないことを言った。
凛は俺の言葉を少しの間だが咀嚼しているようだった。

そして涙目で俺の顔を見て言ったー

「ユウさんもロックやっているんでしょう?」


(つづく)



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