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クサフジ愛でる多摩人、我ら

この頃は自作曲を上げていない。
それでも、だ。
私の駄文につきあってくださる方がとても多いのに驚かされる。

今朝の東京は濃淡のない灰色の雲が完全に天空を覆い、涼しい。
湿度もそれほどには感じないから、ジョギングなどをしている人も快適なことだろう。
それでもかなり陰鬱な感じの土曜の朝ではある。

Fly To Meという歌が去年の今頃降りてきた。
ミックスダウンしてすぐに散歩に出た。
おもしろいことに、今曲を聴いていると砧七丁目辺りの光景が憶い出される。
昔円谷プロが在ったところの周辺だ。
興味はないけれど、「シン・ウルトラマン」が上映中らしい。
「シン・ゴジラ」はCATVで観た。
特撮、CG技術がみごとで、ゴジラの東京破壊はかなりリアルな出来だった。
ゴジラもウルトラマンも、<生まれ故郷>の世田谷区砧には来ない(らしい)。
来たらおもしろいのに。

前にも書いたと思うが、登戸の某所に住みだしてもう5〜6年(?)のアメリカ人
宣教師夫婦と4人の子どもの「Life in Japan」というYouTubeチャンネルがどんどんと
登録者を増やし、それでもう生活できるのではというほどに稼いでいる。
長女次女は双生児で、チャンネル開設時は小さかったのに今やM中1年生。
よちよち歩きだった長男はN小の1年生になった。
布教こそが第一義での来日だと思うが、なにしろ日本の生活に順応し、
くら寿司にもくろがねやにもニトリにもダイソーにも足繁く通い、
子らはMacももちろん食べるけれど、チャーハンや焼きそばも大好きになっている。

彼らの住まいは多摩川の河畔も河畔、堤防決壊したら終わりというようなところだ。
住宅がとにかく手狭で、それだけがきっと不満だと思うけれど、
今のコンテンツをさらに充実していったら、それなりの住宅も買えるかもしれない。

私が彼らのビデオを見るのは、私が世田谷へ引っ越す前に住んでいた和泉多摩川の
condoと多摩川を挟んでまさに斜向かいに在る彼ら彼女らの家を根拠に、
Life in JapanとかTokyoというよりはLife in Tamaを営むその家族の営み方に
共感を覚えているからだ。

ゴッツくて、しかしやさしい目をしたおとっつぁんは、5人もの家族とのけたたましい
生活がある中でも、時に多摩川端を独り歩く時間を大切にしている。
子らはもうずっと多摩川の川原を遊び場にしてきている。
ラーメンもてんぷらも、寿司、とんかつ、焼肉も日本人と変わらず愛し、
外食の時にはきっと意見が割れているはずだ。

その4人の子らは、英語がネイティヴで、父母が敬虔なクリスチャンだということ
以外はまったく平均的な<日本の子>と変わらない。
一番年下の長男などは、日英両言語をおそらく家族内では最高度に使いこなせる大人に
育っていくだろう。

最新の動画では、多摩川の川原で今一番目立つクサフジの花が頻繁に撮影されており、
きっとアメリカにはない愛らしい花として親たちには珍しく、
しかし子らには当たり前の多摩川の野草として認識されていくのだ。

子らもいつか多摩を離れるときが来るだろう。
そして彼ら彼女らにはいつか多摩川の風光を懐かしむ時が来る。
めいめいが「多摩人」として今育っているのだ。


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もう秋の月のこと

今朝未明下弦に近づく月が見えていた。

昔はよく月のことを書いたものだ。
この頃はどうでも良くなった、というわけではない。
狛江の多摩川川端に住んでいた頃には月が身近だった。
なにしろ空が広いからね。
建物に邪魔されず、目に入ってくる。

深代さんが、ドイツ語で月が男性名詞(der Mont)なのは、
夜の空に女性名詞としての月をひとりにさせてはおけないというドイツ人の心配りが
あったからだという説を書いていた。
そうなのかもしれない。

違う説では、太陽がドイツ語圏では弱々しい(地中海沿岸などの南欧に比べ)から
男性名詞に出来ず女性名詞とした(die Sonne)と。
太陽が弱々しいから女性とし、ゆえに夜の最大天体を自動的に男性として対立させると
いうことなら理解不能だ。
月のどこが一体男性的なのだろうか。
(あのクレーターだらけの拡大像を見ての話なら少し分かるが。)
深代さんが紹介した説の方が説得力があるように思える。

Beethovenが「月光」を作曲しているとき、その月が男性的だったはずはない。
(これはヘテロセクシュアルだった<であろう>彼だから言える。念の為)

名詞に性別(中性もある)をつける言語の感覚をほぼ理解できない私だ、
あまりこのことにつきいろいろ書くべきではないだろう。


秋になって、爽やかな風が吹く夜が来たら、
多摩川へと自転車で行ってみよう。
上弦から満月までの月、あるいは三日月なら最高、
十六夜から下弦までの月なら、寂寥感が募るけれど、それも良し。
秋の虫たちの声も聞こえていることだろう。

その夜、絶対にさらなる月の歌をつくろう!




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そこには君がなりたい人たちがいる

私にとって最も親しい外国はThe UKということになる。
Beatlesこそ幼少の頃の私にとっての音楽になり今に至り、
また複数回(と言っても2回だが)渡航したのも「イギリス」だからだ。
NHKのニュースよりもBBCのニュースの方をよく見るし、
最近も待望のVeraのSeason 11をAXNミステリーで見て、
しみじみとそのイングランド北東部風景に親しみを感じ、
またなにしろそのドラマの緻密な作り、出演者たちの素晴らしい演技に、
イギリスという国の底力を思い知らされるのだ。

もちろん、住んだら住んだでいろいろと嫌になってしまうことがあろう。
土着の者ではないことのハンディキャップは多かろうからだ。

故郷會津は嫌いではない。
猛烈に郷愁に襲われるというようなことはないけれども、
やはり18歳まで生活した以上、そこの自然・風土に育まれてきた事実には深さがある。
おもしろいことに、最も田舎に恋しさを覚えるのはその厳しい冬に対してである。
私は雪に覆われた道を独り歩くのが本当に好きだった。

何度か書いてきたが、ChicagoのFlight 602はその雪の散歩に最も絡みつく曲だ。



歌詞はCaliforniaに憧れ、そこでの自由な生活を夢見る「you」のこと。
なのに飛行機は北へ、カナダという憧れとは逆方向の、遠いところへと向かっている。

民主党支持を公然と訴えていたバンドChicagoはなにより「free」である自分たちを
追求したのだ。ベトナム反戦、公民権運動への共感も、そう。
そのことはたとえ中学生の私でも知っていた。
共鳴する私は、だから、遅れまくっている中学教師たちを敵としか思えなかった。

私は、Chicagoがカリフォルニアに憧れたなら、イングランドに憧れた。


今、そのEnglandや他の連合王国を成す3国は高いインフレに苦しんでいる。
(もちろんThe UKだけの話ではないが。)
すでにインフレ率は9%に達しているとBBCが先ほど伝えていた。
光熱費に関しては40年来最悪の高さとなっていて、

Dame Clare Moriarty, the charity's chief executive, said.
"People washing in their kitchen sinks because they can't afford
a hot shower; parents skipping meals to feed their kids;
disabled people who can't afford to use vital equipment because of
soaring energy bills."

とのことだ。

そしてプーチンはウクライナを攻め続けている。
特に小麦生産が盛んな東部と南部が主戦場となって小麦価格は上昇し、
さらに大生産国の一つインドも大熱波で小麦輸出を止めた。
いよいよパンや麺類などが高級品になっていくのだ。

英首相Johnsonはウクライナへの軍事支援を西側ではアメリカに並ぶほど積極的に
行っており、その金が自国民の困窮に回せないのかという声も出てくるだろう
(もう出ているのだろうけれど)。

もうほんとに世界中無茶苦茶だ。


VeraのSeason 11は期待を裏切らず皆秀作だった。
驚くべきは、スコットランドとの国境に近い、イングランド最北東部の
ノーサンバーランド(Northumberland)というイングランドで人口密度が最低の
田舎を舞台にするドラマであるのにもかかわらず所謂「有色人種」の「イギリス人」が
登場人物の半数くらいを占める作品になったこと。
それが現実なのだろうけれど、他のミステリーものと比べ突出していると思う。
世界に冠たる移民国家アメリカのドラマかと見紛うばかり、
ある意味ではアメリカよりも人種の坩堝的だ。

ChicagoのFlight 602の歌詞に、

There are people there you want to be

というのがある。

「そこには君がなりたい人たちがいる。」

そうー
私も何度Liverpoolに生まれていたならと願ったことか。
なんでも抑えつけられた中学生の頃など、必死なほどの願いだった。
Veraに出てきた「有色人種」のイングランド人たち(その親や祖父母)も
そうだったのか。

イングランドに「なりたい人たち」がいるように思えたのか。



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LC15周年だそうだけれど

昨夜特にThe Lost Canvasファンのイタリア人Johnから、

Bro @KingReguyth, I'm waiting a new arrangement of "The Realm of Athena"
for the 15th anniversary as did your Italian colleague with his Saint Seiya song.

というメッセージをもらいました。
下にはSpotifyで上げられているイタリア人ミュージシャンの15周年記念新作が
示されていたのです。(きっと向こう版の主題歌を担当した方々なのでしょう。)

なるほど、と思いました。

バンドとして機能していれば、EUROXがトムス様に伺いを立てたりしてー
というようなこともあったでしょうが、さまざまな理由で如何ともし難い状況です。

The Realm of Athenaを発表させていただいてまもなくバンドとして活動する
ことはなくなってしまいましたのでね。

ヨーロッパで戦争が起こってしまった今、The Realm of Athenaのテーマはさらに
重く響くはずです。しかし、ロシアと戦い祖国を守ることこそ<生きがい>と言って
死んでいくウクライナ人は事実大勢いるのです。

私がもしこの歌の続きをあらためて構想するなら、その事実を踏まえるでしょう。

いや、もう何日も前から作ろうと思っている歌はまさにウクライナvsロシア戦争の
現実から生まれてきたものなのです。

Johnが期待してくれているEUROXとしての「a new arrangement of
"The Realm of Athena" for the 15th anniversary」は無理です。

彼にはとても申し訳なく思っています。



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東京はもう梅雨なんだべか日記

いや、そんでもさ、俺、去年めっちゃ自分で納得できる新曲を3つほぼ連続で
モノにしたんだよね、もう、それは誰がなんと言おうと<されかまってらんね>って
いうような、会心の作だったわけよ。

今その3曲聞いていたんだけど、もう確信、だよね。

自分の好きな景色、空気の質感(寒暑や湿り気も含む)を歌い切っている、
演奏し切っているという実感があるんだわ。

なんか、もういいじゃん、とか思ってしまうところがある。

いやあ、それって自分として見事なことなんだけれど、
それで終わりでいいのか、もう打ち止めかって自問するともちろんまた作曲衝動が
いつ来てもおかしくはないとは思うよ。

けど、なんだかね、蛇足みたいな作品ばっかりなっちまったら、
晩節を穢すみたいなことになっちまうかってね。
ハハ、穢れたって全然いいんだけどね。


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2022 皐月十五日日記

沖縄本土復帰50年ー

辺野古基地建設反対者に対し「土人が!」などとホザいた大阪府警の警官を
たしなめるどころか「ご苦労様」などと言った人間が大阪府知事から今は大阪市長を
のうのうとやっている現状なのだ。

まるで沖縄の苦しみになど寄り添っていないヤマトンチュが圧倒的に多い今だ。
心苦しいだけだ。

*

新しい曲の詞を書いていた。
アホな為政者、勘違いしている政治屋を揶揄する歌だ。
まあまあなのだけれど、なにしろ楽曲としてどうなんだろう、
魅力あるものになっているのだろうかと思ってしまう。

よそ様に聞いていただくのが一番なのだけれど・・・

日テレnewsによると、

「新型コロナウイルスによる国内の死者は2020年の2月13日に初めて確認されて以来、
1万人を超えたのは去年の4月26日で、438日かかっていました。
その後291日かかって今年2月11日に2万人を超え、3万人になるまでには
わずか91日しかかかりませんでした」

とのこと。
これが大きな話題にならない今とは一体なんだろう。

私がコロナに罹らぬよう慎重になり過ぎていると思っていらっしゃる方も
おられるかもしれないが、どうかご理解ください。


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1人バンド、当分続ける固い意志

NHKBSの『指揮者のいないオーケストラ 第9に挑む』を見た。

<日本を代表するトップ奏者たちで結成された「トリトン晴れた海のオーケストラ」
通称「晴れオケ」>による指揮者なしでクラシック音楽の頂点的名作を奏でるという
試みで、リハから本番まで3日間のドキュメントだ。

以前書いた<1万時間以上の練習>を積んだ演奏家たちが、
オーケストラとして合議しつつ、Beethovenの思い、意図を探り、
まさに第4楽章の最後まで呼吸を合わせ切る様に(とは云え切れ切れでしか聞けなかった
けれど)随喜の、歓喜の涙が出まくってどうにもならなくなった。

人類の宝、奇跡の作品を、virtuosoたちが指揮者の解釈や指示に頼らず、
自ら、一人ひとりの人生経験を重ねて想いを述べ合い、調和していくのだ。
もちろん互いへの技術面での信頼は元々担保されている。
皆が普段所属する各オーケストラのコンマスや首席演奏者ばかりなのだ。

その前にショパン・コンクールの反田さんや小林さんの<たった一人の努力>ぶりを
同じBSで見たばかりだったから、殊更にオーケストラの集団的努力、その成果に
感動することとなった。

音楽に本当に全てを懸けている人々、懸けられる人々は清々しい。

私は<1人バンド>でやっていくしかない現状を嘆かず、
せめて<1万時間以上練習をしてきたシンガー>として、
死ぬまでできる限りのことをしていこうと再び志すことができた。

感謝。


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深代姓の家が近所に在るが、もしかしてご親戚?

義父が深代惇郎の天声人語やその他エッセイの本3冊を持っており、
1冊はリアルタイムで私も買っていたものだが、あとの2冊は初めて読んでいる。

昭和4年生まれで、海軍兵学校を経て一高・東大(法)出の朝日新聞記者で、
昭和50年に46歳で亡くなった。

この人と養老孟司さんは日本最高知性と言ってもいいのだが、
日本最高教養人と言うのがおそらくより正確だと思う。

森羅万象を深く見つめ、しかもその視線はあたたかい。
46歳までにここまでの教養に到達するというのは並外れている。

今存命なら93歳、決してあり得ぬ高齢ではない。
せめて70歳代くらいに養老さんと対談などをしていたらどれほど珠玉の対談本に
なっただろうか。
本当に惜しい。


私はこの頃書きたいと思うことも特になくなっており、
また新しい曲についてもどんどん前に進めていこうという意欲が湧かずにいる。
いよいよこのただただ漫然と長々やってきたとしか思えぬブログも終わりか、
と思わないこともないから、深代さんや養老さんの本を新しく読み、また再読し、
なんとか自分のこれまでの思いの深化に役立てられればと思っている。




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導き出せぬ日本のeducators

中1の時、大好きだった曲は色々あったが、
George HarrisonのMy Sweet Lord
LoboのMe and You and the Dog Named Boo
などがすぐに浮かぶ。

もう1曲、かなりの頻度で聴きかつレコードに合わせ一緒に歌ったものに
Mark Lindsay & The RaidersのIndian Reservationがあった。



北米先住民族チェロキー族の悲劇を歌ったものだ。

朝日新聞を読んでいたら、今でも「同化政策」によって多くの北米先住民が命を落として
いるらしいという記事に出会った。

アメリカやカナダなんて、自由の国もいいところのはずで、
公立の学校の教室風景なんか見てしまうと、その統一の取れなささに戸惑うほどだ。
ここまで自由でいいのか、などとすら思ってしまう。
日本の教師たちが、生徒らに同じ服装をさせ、髪型をコントロールし、
なるべく彼ら彼女らに個を出させずに授業をしたくなる気持ちも少しは分かる。
はっきり言ってどっちも行き過ぎなのだ。

私立の学校で、そういう校風ですと謳い、それに賛同してのことなら無論良い。
しかし問題は公立の学校ではどうするのか、ということだ。

教師たちが生徒をなにしろ均質化、画一化させたくなるのはそれが楽だからだ。
教師にとって職務遂行上楽であることを一概に否定はしない。
くだらないところで人と違うことをして個性とイキがる生徒はいただけない。
それは分かる。

しかし、だから「なんでも同じにしてしまえ、逆らうヤツは素行不良だ、
反抗的だ、内申点を悪くするぞ」では全然教育ではない。

大昔も書いたかもしれないが、「教」の字は<より老いた者を子が支える>という
「孝」の字に、「攵」、すなわち鞭を使う人の象形文字から成っている。
翻ってeducateという英語はラテン語educatusに由来し、
「e(x)-」はout、-ducateはleadを意味し、「引き出す、導き出す」だ。

ひとり一人のいいところを導き出すことが教育者の使命なのだー
などと書いても空しい話が多すぎる今だ。

私は中1の頃、あまりに個を無視する中学の教師たち(例外は数人いたが)に
ほとんど絶望して、アメリカやイギリスのロッカーが歌い、体現するanother
worldに憧れ、まるで隠れキリシタンのように生きていたのだった。



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時は人を待たず

いつか、そう遠くない将来に、だれかの訃報が届くのだ。
その前に私の訃報が広まるのかもしれない。
縁起の悪いことを書いているが、本当にそうだものね。

長兄の命日が近づいてきた。
しあさってだ。
私は兄が亡くなった時と同い年になっている。

会津若松の病院での兄との別れは本当につらかった。
声帯を切除されていた兄は筆談で「順番通りだが、ちょっと早かったな」と書いた。
私は兄の背中を摩るしかなかった。

そして幾日も経たずに彼は逝った。

あまりにつらい別れだったから、私はその後鬱状態になってしまった。
体に不調があれば、いよいよ自分の番だと思うようになった。
翌年、2つ上の従姉が、そして続いて母も亡くなった。
最悪の年月だった。


今、多くの友人知己と、コロナのこともあって、会わぬまま2年以上経過した。
ここで何かしら自分やその人たちに悪いことが起こったら、後悔するだろう。

だからこそとある知己は4月のパーティーに誘ってくれたのだとは思っている。
けれども、その場で致命的な病を得てしまったら全くシャレにならない。

いろんなことがいろんな友人知己とあったけれども、
それを云々かんぬんしている時間など本当にないはずだ。
それでも、「いろんなこと」がまた同じように出来したなら本当に悔しい。

未練、あるいは執著ということで、片づけるべきなのかもしれない。

わからない。


We Ain't Got No Time to Lose ーKing Reguyth & MNEMO
掲載終了




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Almost all I say is meaningless

「今や彼らはアルバートホールを満たすのにいくつ穴が必要かを知っているのだ」
Now they know how many holes it takes to fill the Albert Hall

こんなワケのわからない歌詞を歌って、1967年に世界のポップス界を席捲したBeatles。

前半は思わせぶりな歌詞ー
クルマの中で「イってしまった」富豪の交通事故死、そして英国軍が勝利する映画
(John自身が出演した)のことだ。前後無関係に歌われる。

その当時、多くのファンたちは何かしらのメッセージがあると思ったのだ。

But I just had to look
Having read the book

多くが背を向けた映画ではあったけれど、
「自分は見なければいけなかった 例の本を読んでしまったからには」ー

何なんだ、その「例の本」とは。
みなそう思ったに違いない。

I'd love to turn you on

「あなたたちを<点けたい>」

しかし、JohnにとってもPaulにとっても言葉遊びだった。
意味深だと勝手にファンが思うならそれはそれで十分歌詞になっているのだった。
意味はさておき、音としての言葉の連続はメロディーに完璧に嵌っている、
響きも良いー それでいいのだ。

語られたイメージ、シーンが、頭に浮かび、音楽によってより<造形>の輪郭が
くっきりとし、それがゆえどうしたと問われてもわけがわからないけれど、
なんだか、とにかく音だけで世界が創出される驚きに酔うのだ。

1967年にこれをリアルタイムで聴いた少年MNEMOは、
ただただ恐ろしいイメージだけが喚起され、Beatlesはどうなってしまったんだと
思っていたし、もう聴けないとも思っていた。
あまりの先進性についていけなかった。

しかしもちろん今ならついていけるー
というか、ローリングストーン誌がビートルズでNo.1の名曲とするのが分かる。

自由奔放な言葉遊びは、メロディーとアレンジメント、歌い手の表現法、声質、時代により
名曲とされる理由の一部になれる、ということだ。
なんでも意味があればいいってものじゃない、と。
深い意味を持つ詩でなければ歌になってはいけないなどということは全くない、と。

A Day in the Life ーthe Beatles (Lennon-McCartney)
Partial cover by MNEMO

掲載終了

前のヴァージョンにほんの少し手を加えましたが、それは何でしょう。(笑)



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人生の手直し

I'll Quitという曲を、私にとって3番目のバンドELIXIRのメンバーと録音したのは
1985年初めだったと記憶する。
この歌は、EUROXを辞めた84年秋に降りてきたものだから、
「僕はやめる」という題名ならそれに関するものと思われて当然だけれど、そうではない。

自分の嫌な部分、ダメな部分を見つめて、そんな自分をやめたいという想いだった。

まだ20歳代、やり直しが利く年齢だったが、結局どれほど<やめられた>のか。

もうこの歳になれば、凡その人は性格が円くなっているはずで、
そういう点は確かにと自覚できる。
けれども、物ぐさな性格は全く子どもの頃からちっとも直っていないのではないか。
凝り出すとかなり凝るのはまちがいないのだが、そうなるまでが大変なのだ。

高校時代、卒業生のひとことということで「俺、ずっと散歩だけして生きていたい」
などと書くような非生産的極まりない精神の持ち主だった。
會津の田舎の、緑だらけの路を歌を聴きながら、歌いながら歩くことの愉悦。
たとえ雪で覆われようが、それはそれでまた一興と冬に合う歌を聴きながら、
歌いながら歩くー

結局そのまま私は今の歳になった。


今まで、2019年から自宅録音してきた曲を整理していたのだが、
I'll Quitの手直しをだいぶ前にしたのにそのままにしていたことに気づいた。

人生の手直しは、ちょっともう、無理だ。


I'll Quit ーKing Reguyth & MNEMO
(composed in 1984, re-recorded in 2020, re-overdubbed in 2021)
掲載終了



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藤井くん、男としての貫禄負け

昨夜仕事を終えてSkypeを閉じるや否や、
気になる藤井vs大橋戦を見んとAbemaを開き、
大橋六段が優勢となっていて「ああ、また藤井くん、この棋士に負けるのか」と
ガックリきていると、最後はもつれてきて、藤井くんに勝ちが見えたのだ!
ところが詰め将棋の天才でもある彼が唯一の受けの手を逃し、そのまま負け。

敗戦の弁は少なかったが、「ずっとむずかしかった」ということだったけれども、
その「むずかしかった」序・中盤までは評価値上は互角以下にはならなかったはずで、
とすれば悲観しすぎであまりに長考しすぎたというのが敗因だろう。
先の「唯一の受けの手」を逃したのも1分将棋に追い込まれてのことだった。

なにしろ大橋六段は本当に強い。
ピンクのパンツにグレーのジャケット(背広)という不思議な服装感覚の人だが、
こういう人に藤井くんは弱いのだろう。
大橋さんのこの服装感覚上の<非常識>とおそらく通底する何かが将棋で発揮され、
それが藤井くんを惑わせてしまうのではないか。

また、大橋六段は非常に<いい男>なのだ。
色気も半端ない。
藤井くんは棋力以外の何もかもにおいて正確に10歳下の<ガキ>になってしまうのだ。
いい男に気圧されてしまっている、と私は感じた。
きっとこれからも大橋さんは対藤井の連勝(今は4)を伸ばしていく気がする。
この気圧されに対抗するには、藤井くんが<おとなの男>になるしかない。


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日本的暗喩

昨日も今日も夜に仕事があって、もともと薄かったGW気分ももうない。
それでも藤井五冠が今日大橋六段と王座戦挑戦者決定トーナメント1回戦で対局。
ゆっくり楽しみたいのだが、さて。

*

東京は曇天ながら気温は上がりつつあるけれど、風が心地よい。
初夏の風、である。
大好きだ。

そういえば私の歌にはほとんど初夏っぽいものがない。
もうちょっと季節が進んでの梅雨っぽいものはいくつか挙げられる。
やはり人間性の投影か。

別に待望されてはいないけれど、自分が久々聴きたいからJohn Denverの
Annie's Songの我がカバーを再掲しよう。
この季節にぴったりの歌だ。

邦題は『緑の風のアニー』、日本語らしい情緒的な題名だ。
Annie, the Green Breezeということだが、きっと英語圏の人には不評だろう。
「気持ちは分かるが」と言われて、「アニーの歌でいいじゃないか」と。
「アニーが緑の風そのものであるはずもないし、詩だとしても情緒的に過ぎ、
しかも暗喩としては陳腐だ」と。
多分ね。

掲載終了


*

追記

今久々アクセスに関するページを見たら、だいぶ経った前回同様、
我が処女作The Well of Insanityを所望される方<大変>多し(当社比)。

全然今の気分ではないが、時間経って初夏の逢魔が時にはふさわしいか。

20190830_053029.jpg


The Well of Insanity ーKing Reguyth & MNEMO (1977)
Recorded in 2021
Performed by MNEMO

掲載終了



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2022年5月4日サイクリング

昨日は、GW中ならかえって混まないだろう都心へと自転車で向かった。
しかしそうは言っても世界有数の大都市圏のこと、
そこを離れている人が多かろうが、やはりところどころいつもどおりの賑わいと見えた。

最も都心に近いところでは渋谷区と目黒区の境辺りまで行ったのだが、
目黒川沿いは葉桜並木道となって人、人、人、それも裕福そうな中年や若者ばかりだった。
富の偏在、貧富二極化が言われているけれど、金は有るところには有るのだなあと
しみじみ思った。
え?金持ちならどっか海外とかへ行っているだろう?
いや、このご時世だし、そうでもないのだと思う。

超高級住宅地の目黒区青葉台や渋谷区南平台などを走ると、
度肝を抜かれるほどの豪邸の並びに気圧されてしまう。
田園調布や成城とは格が違うという気がした。
それはやはり、都心だから、ということなのだろう。
もちろん、そういうことなら、都心も都心、千代田区や中央区、港区の高級住宅街と
なればまた格が違うということなのだろうけれど、まあ、本当に日本国民の99パーセント
以上には<なんらの>関係もない話だ。

国道246号を挟んで北側の池尻の世田谷区が管理する「目黒川緑道」と平行する道路から
その緑道を見ると、60歳代と思しき男性が仰向けで倒れているのだった。
緑道を歩く人は一瞥はしてもなんら関心を寄せない。
離れたところから男性の胸部が呼吸で上下するかじっと見ていたが、
なんだか一向にそうは見えないので、いよいよ119番かと近づいたところ、
はっきり胸が波打ったのが見えて、「よかった」とその場を離れた。

彼は草臥れた靴を履いていた。

その緑道から丘を登った先は目黒区駒場、緑豊かなところに豪華なマンションが在った。
またもや幸せそうな人々がそこにいた。

その後昔から好きな道路である「淡島通り」を行き、「城山通り」経由で帰宅した。

A day in the life、だった。



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But I do care

ある種の人間たちの不条理を揶揄する歌を今制作中なのだが、捗らない。
GWということで、義父の娘との義理を欠くわけにはいかない状況だからだ。
とはいえ、人混みなどには決して出たくない私だ、
自転車に乗って気ままに緑を求めに行ったり、気の利いた町中華の店などを遠出して
見つけたりするのだ。
彼女には不満だろうが、出ないよりマシというようなことらしい。

*

ウクライナにおいてばかりでなく、大規模な殺戮は世界の数カ所で起きている。
ウクライナの場合は、東欧、つまりはヨーロッパで起きているから、
特に西欧とアメリカが<他人事>ではないと躍起になって報道し、対応するのだ。
しかも相手は宿敵ロシアだ。

殺し合いは今日も続けられているけれど、多くの日本人にとってそれは他所事だ。
それが一概に悪いとは責められない。
私だって新緑を目にして喜んでいる時、ふと、「ああ、他所事だ」と思う。

いつか自分ごとになる時が来るか。

今の与党にいいようにさせていたらその日はいつか来るだろう。

昔関わったあるミュージシャンは新興宗教の信徒で、
その団体が推す(というか一体なのだが)政党と共に核兵器廃絶を訴え
キャンペーンをしていたことがあって、そのビラを見せられ、趣旨や良しと署名もした。
その党は今も与党に連なっているけれど、一体その主張はどうなったのか。
なぜベーアなどが核武装論を唱える今、猛烈に抗議しないのか。

*

中島義道さんのように、死んだら全ておしまい、
ゆえに自分が死んだ後のことなどどうなっても一切関係ない、興味もない、
とする態度をとるのがいいのだろうか。

人生残り僅かになってきて、後は野となれ山となれと言ってしまっていいのか。

やはりそうはいかないだろうと思うのがヒトではないか。



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I'd love to change their heads

BeatlesのRevolutionの歌詞に、

You say you'll change the Constitution
Well, you know
We'd all love to change your head

というくだりがある。

核兵器を使うぞと脅す愚か者が現にいて、
使うかもしれないという恐怖を他国の民に植え付け、
自分の意のままに領土を拡張したり、現状変更をしたりという狂気が本当に今
行われている中、だから日本も核兵器を保有できる、 ないしは共同保有ができる、そうせねばならないという理屈になるのは愚かにすぎる。

そうすればその狂気の人間が萎縮して、核兵器使用はしないと尻尾を巻くのか。

じゃあ、やられっぱなしじゃないかって?

それならやり返すと?
つまりこっちも大打撃を受け、多くの民が殺され、多くの都市が破滅するけれど、
あるいはもしかすると国自体の消滅すらありうるかもしれないけれど、
あっちへも同じことをしてやれるだけマシだと?

核兵器が抑止力になるというのは、核保有国のリーダーが正常な理性を持っている
ことが保証されているならまだしも、そうでない者が核のボタンを押せる権力を
持ってしまったら、ただただ人類的破滅に繋がるだけのこと、空理空論だ。

ではどうするのか?
核廃絶を目指すしかない。
絵空事と言われようが、核を持っていれば核戦争は起きないなどというのは、
銃を持っていれば銃による犯罪に巻き込まれないというのと同じであって、
銃による犯罪をなくしたいなら、銃所持を禁止するよりないように、
核兵器を持つことを禁じ、従わない国には全ての非核保有国が連帯してその国を
国際社会から締め出すよりない。

絵空事だという人間は、きっと自分は、自分の家族は、核戦争の犠牲者になど
ならないという意味のない想定でそう言っているに違いないのだ。

たとえその核爆発の直接の被害者にならなくとも、
手ひどく核攻撃を受けてしまった国の民は全ての面で正常な生活を営めなくなる。
地獄を見るだけだ。

そうなってもいいと思って核こそ抑止力と叫ぶ者こそ平和を本当には
望んでいないのだと断定していいと私は思っている。


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最晩春の日々よ、晴れよ

東京は昨日に引き続き青空を拝めないまま、しかも寒い。
いわゆるGWにこういう日が続くのは珍しいのではないか。

この季節、山や川ではヤマフジやハリエンジュなどのマメ科の木が花を咲かせ、
五月の「薫風」をつくりだす。
また町では多くの家が塀にハゴロモジャスミンやテイカカズラを絡ませ咲かせており、
さらに庭の柑橘系の樹木も開花の時季を迎えており、
これらも清々しい空気をつくってくれる。
しかしその「風薫る五月」は晴天であってこそだ。

Twitterでは甲信地方の山小屋が一斉に雪が降っているとつぶいやている。
五月の荒天は珍しくないだろうが、「冬に逆戻り」とまで書いていた確か蓼科山の
ヒュッテの管理人さんは、今どんどん薪をくべているのだろう。

あと3日で立夏だ。
初夏はいいよな。

27年前に世田谷区喜多見の野川で降りてきた初夏の歌を再掲する。

Would You Be Mine ーKing Reguyth & MNEMO
( Re-recorded in 2020)

掲載終了



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世田谷のたっくん

将棋棋士の伊藤匠五段、昨日放送のABEMAトーナメントでは、
本来の強さはありつつも、詰み手順を間違うなど少し乱調だった。
彼は私の推しの三浦九段チームの一員なのだ。羽生チームに5対4で辛勝だった。

その「たっくん」は昨日リアルタイムで世田谷・下北沢でのイヴェントに参加、
「90面指し」で3時間にわたるファンサービスをしてくれた。
世田谷区制90周年だった、そしてたっくんは世田谷の生まれ育ちだということでの
企画だった。

たっくんがチビちゃんの頃から通った三軒茶屋将棋センター、
主宰は秋田県出身の宮田八段で、引退されもう好々爺という年齢の人だ。
教え上手で、すでに斎藤明日斗四段、本田奎五段という若手有望棋士の師匠でもある。

ETVの番組で幼少のたっくんを追ったドキュメント番組が昔放送され、
彼はバスに乗って三軒茶屋に通っていた。
区内の移動だったのだが、家はどこなのだろうか。
おそらく国道246沿いの住宅地か、あるいは「茶沢通り(三軒茶屋と下北沢を結ぶ)」の
周辺に在るのだろう。
今世田谷区民の私は親しみを覚えざるを得ない。

たっくんのご両親は共に名古屋市の出身と聞いた気がする。
お父上は弁護士で、東京で開業されたということだろう。
生涯のライバルとなるだろう愛知県の英雄藤井五冠は3ヶ月ほどお兄ちゃんの同年齢棋士。
たっくんはいまだに「最年少棋士」の19歳だ。

今たっくんは王位戦リーグで好成績を挙げており、ひょっとすると藤井王位に挑戦と
いうことになるかもしれない。
藤井くんの地元瀬戸市は大盛り上りだが、たっくんが挑戦となれば、
世田谷区も大応援しないといけないだろう。

小3時の子ども大会ではたっくんが聡太くんを破っている。
生涯のライバルとして、たっくん、藤井くんと競ってね!!


ーでは、世田谷区成城4丁目の野川で降りてきたもので、
パンちゃんが一番すきだと言ってくれている歌を再掲して、この記事を終える。

I Love You Too ーKing Reguyth & MNEMO
掲載終了



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I've got a feeling that keeps me on my toes

パンちゃん(Puncinoくん)から奮起を促していただきました。
パンちゃんはガリアン・ワールドのカバーをNet上で聞かせていただいてからの
知己であって、もう知り合って15年近くになるんじゃないか。
節目節目で「Keep rocking」と言ってくれる得難い後輩ミュージシャンです。

コロナ感染者が東京で2桁にまで落ちたら、ライブ演奏、やりますか。

企画して実行までの時間が乏しいかもしれないけれどね。
すぐにまた8波だ、9波だとかとなってしまうかも。

若い人は罹っても概ね大したことはないらしいけれど、私みたいにもう少しで高齢者
というような輩にはやはりいつまで経っても怖いのです。

*



Paulがすばらしい企画を披露してくれました。
ファンたちは感動感動で泣くよりありません。

しかしまあ、「後期高齢者」のPaulがここまでやるって、戦慄ものです。
アメリカのスポケインでのコンサート、もうコロナなんてどうでもいいのかな。
大会場だからできることなのかな。

Paulの歌唱・・・
もう全く往時の声が出せず、それが残念。

あっしもそうなるのはむろん必定、時間の問題。
さあ、最終歌集を編む日々を続けよう。


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籠る歌びと、我

今月27日までに第6波でコロナに感染し、自宅死した方が555人、
内39パーセントがワクチンを2回接種済だったという。
接種歴不明は38パーセントというから、もどかしい調査ではある。
やはり70歳以上の高齢者が79パーセントを占めており、突出している。

https://mainichi.jp/articles/20220427/k00/00m/040/376000c

むろんこの数字は自宅死された方々についてのみのこと、
入院されて亡くなった方については示されていない。


コロナ慣れしてしまった世の中、と私には見えるがどうなのだろう。
しかしこうして厳しい数字が出てくる。
先日触れた知己たちの小さな「ライブハウス」での演奏パーティーだが、
その後どうなったであろうか。
もちろん心から無事であることを祈っているし、後日何事もなく皆が過ごしていることを
望むけれど、たとえそうであっても、無謀なこととして参加を断った自分の判断は
間違っていないと確信している。

私は本当に家族以外だれとも会っていない。
もうゆうに2年以上だ。
こういう「晩年」を過ごすことになるとは夢にも思っていなかったが、
うつしうつされる場面を極力避けてきたことについては後悔がない。

ゆるく、自分が日々感じ、思い立つ何かを歌にして、
世田谷の住まいを庵のようにし、和歌や俳句を詠むようにsongsを録っていこうー

それだけだ、今は。


*

追記

今TwitterでCarlos名のユーザーがGeorgeの晩年写真と共に以下の彼の言を
引用していた。

"I’m really quite simple. I don't want to be in the business full time,
because I'm a gardener. I plant flowers and watch them grow.
I don't go out to clubs, I don't party I stay at home and watch the river flow"
~ George Harrison

驚き、また微笑ましく思った。




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2022 卯月雑記 2

世界の軍事費が、2001年からの20年間で倍増したそうだ。
そのお金はもっと<人として正しく>使えたはずだ。
青臭い、お花畑な話をしていると嗤う者は嗤っていればよい。
ただ、「人として正しく」とは書いたが、
その「人」というのは、武器を持たなければ済まず、
殺し合いをせねばならない業を背負った生き物かもしれない。
とすれば、正しく金を使ってきたのかもしれないね。(皮肉)

*

ちょっと前にNHKの歴史番組で藤原不比等を扱っていて、見ていたら、
彼は「ふひと」という名を最初は「史」という漢字で記していたという。
朝廷の文書作成や管理、事務を担った(=史)百済からの渡来人との交わりが
濃厚だったというのだ。

なにしろ特に奈良時代は朝鮮半島からの「渡来人」たち無しには成立しなかったろうと
思えるほどにその影響は絶大だった。

Twitterで「岸田総理の辞任を求めます」というハッシュタグが立ってそのtweetsを
読んでいたら、韓国との関係正常化を岸田さんが打ち出したことに反発する
反韓の人々のものが主だった。

以前にも書いたけれど、韓国が嫌いな人々というのは、自分はその国の民となんら
関係がないかのようにその民族の血を貶めるのだが、それが不思議でしょうがない。

私の場合、父母ともに少なくとも何代も続く會津と中通りの人間であり、
かなり<純粋な>日本人だけれども、古墳時代からの混血もなかったと言い張ることなど
全く不可能だ。

嫌韓の最たる人は、自分には縄文人の血しか入っていない、大陸からの渡来人の血など
一滴も入っていないなどと主張するのだろうか(している人も現にいたが)。

そんな「日本人」を見つけることは、純粋なネアンデルタール人を今見つけることに
匹敵するほどむずかしいはずだ。
つまり、不可能だ。


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紫陽花のこと

「紫陽花」の歌、多くの方にお聴きいただきました。
ありがとうございます。

今からちょうど20年前、私は北の丸公園の紫陽花と<付き合って>いました。
以前にも書きましたが、北の丸は雨の日だとほぼ独占できる時がありました。
いくら皇居の隣の、環境省管理の国民公園でも、雨の日にそこを徘徊する者はほぼ
皆無でした。

「hydrangea」は「水の器(カプセル)」と訳せます。
「水」は当然として、「器」とは種の形状からの命名らしい。

會津の我が家の庭にも紫陽花が母により育てられ、梅雨時に複雑な色合いで
咲いていたもので、幼稚園生の頃、その美しさを絵にした憶えがあります。
また、デンデンムシもよくその葉を這っていたものです。

昨日の記事に掲げた写真の紫陽花は義父が育てたもの。

紫陽花という当て字は見事ですね。
雨の暗い日に紫は弱い陽の光を集め、鮮やかさを増します。

もう走り梅雨のような日々。
庭の紫陽花もどんどん成長しています。



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あじさい

DSC04679.jpg


Hydrangeas
Words & Musicー King Reguyth and MNEMO (2022)
Performed by MNEMO
All Rights Reserved

掲載終了

Hydrangeas
start to weep when they see me cry
Knowing what I’ve come here for in the rain

Under the gray clouds
the flowers are shining so bright
Telling me gently to get over my pain

Hydrangeas stop me from dimming out
They always tell me what life is all about

There’s no one around
I’m hearing no sound
In their pity I’d rather drown


紫陽花

紫陽花はわたしが泣くのを見ると嗚咽し始める
なぜわたしが雨の中ここへやって来たかを知っているのだ

灰色の雲の下
紫陽花はとても明るく輝いて
やさしく苦しみをのりこえよと言ってくれる

紫陽花はわたしのいのちの光が消え入りそうなのを止め
生きることの意味をいつも教えてくれる

周囲に人はなく
何も聞こえない
紫陽花の慈しみにわたしは溺れてしまいたい


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銀河の数2兆、賢治さんもびっくり

NHKBSの賢治さんの番組を見たときに、ナレーションで「現在銀河の数は2兆個と
考えられている」という話に吹っ飛んだ。

私が宇宙に興味を本格的に(当社比)持ち始めた29歳のときには、
「わたしたちの銀河には2千億の恒星があり、また銀河も2千億ある」という記述を
いろいろな本で見たわけだが、その従来説の10倍の数で銀河が存在すると聞けば、
宇宙の文字通りの<底知れなさ>に、もう、何が何だかわっからないのよ〜と
先代小さん師のように歌ってしまう。

その2兆あるという銀河に、もし、わたしたちの「天の川銀河」と同様、
地球という知的生命を宿す惑星が少なくとも1個あるとして、
そこで宮沢賢治のように宇宙全体の幸福を祈りながら銀河、鉱物、動植物に触発されて
物語を書く生命体が少なくとも1個体生まれるとしたら、
なんとこの宇宙には2兆人の宮沢賢治がいることになる(?)。
稀代いや不世出の童話作家で詩人がなんとも<ありふれた>存在になる!

だからど〜した。

条件の良い星野が広がるところでは、そして観望者の視力が良ければ、
アンドロメダ銀河(距離250万光年)と、南半球では大小のマゼラン星雲(銀河)
(大は15万光年、小は19万光年)が肉眼で見られる。
(300万光年のさんかく座銀河は見える見えないの議論がされている。)

私は29歳の時、多摩川でアンドロメダ大星雲を視認したことがある。
250万年前に銀河を出た光子が私の網膜に当たり、その星の大集団の像を結んだという
事実に興奮して、そして涙したものだ。

おもしろいよね。

途方もないスケールの話をしていると、本当に、人間のやることなすことについて
大笑いして、「畢竟して何の用ぞ」と言いたくなってしまう。

オイラだけか?


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2022 卯月曇天日記

録音作業を断続的にやっております。

世に問おうなどというようなことでやっておりません。
私は、何度も言いますが、ただの歌うたいであって、
正式な音楽教育を受けた作曲家でも、楽器演奏家でも、編曲家でもありませんし、
またプロフェッショナルな録音技術やミキシング技術があるわけでもありません。

なんだよ、MNEMOの新曲はこの程度かと、言われてしまう可能性大。
ま、そんなもんですよ。

おら、歌うたいだー
そう思っている以上、歌っているだけでごんす。

*

今東京はどんより。

気分も全く空模様と同じになりそうですが、まあ、テキトーに今日も断続的に
歌うたいの<本分>を全う(?)しましょう。


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値上げラッシュの今に

日本がヤバいというのはもう多くの国民が感じていることだろう。

金融や経済のことなど門外漢もいいところだけれど、凄まじい勢いで円の価値が
下落していることが何を意味するかは小学生にだって分かる。
輸入品が高くなってしまう、と言うことだ。
(輸出品が海外で買いやすくなるが、その恩恵は一般人にはほぼ関係ない。)
ただでさえ化石燃料が高くなっているのに、この円安でさらに手酷いことになっている。
光熱費の値上がりは、本当に請求書を見て唖然とするレベルだ。
南米なんかでは暴動レベルの高騰だ。

円安の最大原因は政策金利の常識を超えた低さ、金融緩和のやりすぎだ。
しかし日銀、政府は「じゃあ、金利上げましょう、引き締めましょう」とはならない。
それどころか、従前通りで行くとはっきり態度を示した。
どうしてか。
ここで政策金利を上げたら、大変なことになってしまうからだ。
融資を受けている企業や個人の借金が膨らんでしまい、ただでさえコロナ禍で業績が
悪いというところが多いのに、この上返す金が増えたらもうデフォルトだ。

結果円安はこれ以降も進むしかなくなった。
1ドル200円は確実という人もいる。
ずっと1ドル100円台前後などという時代を過ごしてきた者として震撼する。

日本が全ての分野においてとは言わないまでも多くの分野で自給自足できるならいい。
まず、食料自給率は2020年で37パーセント(カロリーベース)だ。
一次燃料自給率は11.2パーセント。

ため息しか出ない。



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畢竟して何の用ぞ

人がいい気になっているのを見ると、まあ、やはり気分が悪くなるもんだ。

某企業の常務執行役員が品性下劣な発言をして馘になった。
某大学の受講料の高い社会人講座に講師としてトップバッター起用されて、
いい気になっていたに違いないのだ。
なにしろ「一流企業」の比較的若い常務様なのだし、
今の地位に就いたのは、己の優秀さの結果であって、それを自慢話方々披歴してやろう
などとすけべ根性を出したに相違ない。
そして己の品性下劣を調子に乗って、いい気になって、曝け出してしまった。

私だって例外じゃない、いい気になったことがある。
やはり若い頃にそういうことが顕著にあったと自覚する。
むろん企業のトップの方へ行ったなどという<優秀な事績>を成したわけではない。
某私立有名大学の講座講師に招かれたはずもない。

言っておくが、ガリアンの歌が売れたとかで天狗になったということはない。
何度も書いてきたが、それは重圧になりこそすれ、増長の種にはならなかった。

歳をとればとるほど、私は慎重になっていった。
その慎重さももちろん<当社比>のことではあるけれど。
やはり、読書が進み、どんどんと教養ある人間への憧れが増していったからだ。
本物の教養人はいい気になど絶対にならない。

この種の話を書いていると真っ先に思い出すのは、紀野一義先生の御本にあった
「畢竟して何の用ぞ」という『正法眼蔵随聞記』にある言葉だ。
簡単に言ってしまえば、「お前はギャアギャア言うけど、だから一体それがどうした」
と言うことだ。「So what?」だ。

三十代にこの言葉に出会って、私はシュンとした。
道元禅師にもし、私が信念持ってやっていることについて「畢竟して何の用ぞ」と
言われたとしたら、整然とは答えようがない。
賢治さんのように、「ほんたうのさいはひ」の追求のためですと言えたら凄い。

「畢竟してその『ほんたうのさいはひ』を追求する用は何ぞ。」

みなさんならどう答えますか。



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神仏に戒められても

人殺しが戦争では双方にとっては戦果になる。
賞賛されることになるのだ。
言い尽くされてきたことだが、尽くされてもホモサピエンスは戦争をやめない。

ウクライナ側の報道による「戦果」がYouTubeで多数見られる。
(ロシア側からのものはない。)
さすがに殺される兵士の顔などが確認できるようなビデオはないが、
コンピューターゲームとなんら変わらず画面上で照準を合わせ、
ボタンを押せば、生身の人間が乗り込んでいる戦車などが木っ端微塵になり、
積んでいた砲弾に引火してハッチが吹き飛び、猛烈な火柱が立つ。
戦車の中にいる数名の兵士の丸焼きだ。

そういうビデオを見て、ウクライナ側の人間には狂喜する者がいる。
コメントを見れば一目瞭然。
ロシア側の人間にだって、自国軍の「戦果」のビデオを見れば狂喜するものが
いるに違いない。

同じ東スラブ人同士で、いいや、同じ人間同士で、
命をかける価値があると信じる「大義」のため、殺し合う。

しかしその「大義」より憎しみの方が人殺しへと駆り立てることが往々にしてあろう。
戦争とはそういうものだ。

キリスト教では七つの大罪のひとつ、仏教でも「三毒」のひとつである<怒り>。
戒められても、ホモサピエンスは殺し合いをやめない。


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二面あつて好いぢやないか、抔と言ふ修羅の私

(宮沢)賢治さんが日蓮宗系の国柱会に入り、本郷に暮らして会の活動に従事したことは
よく知られている事実だ。
お父上が熱心な浄土真宗の門徒であったにも拘らず、賢治さんは真逆の教義とも言える
法華経に深く帰依したのは、本当に単純化して言えば、
「絶対他力」でなにしろ阿弥陀様の御本願(すべての衆生を救うこと)に信をおき、
あの世へ往き、あの世で生きるためただその名号を唱えよということではなく、
この世を自ら菩薩となって浄土にする心意気を持ったということだったからだ(と思う)。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

彼の『農民芸術概論綱要』の「序論」にあることばだ。
こんな途方もないことを考えて、己の学問を活かしきってまずは近隣の農民たちの助けに
なろうと実践するとき、それはそれは心細いことも多々あったろうから、
同じ夢を岩手山で語り合った保阪嘉内氏をどれほど恃みにしたことだろう。
そして保阪氏が物理的ばかりか精神的にも遠くなってしまったと感じたとき、
どれほど賢治さんは悲しかったろう。

だいたい、彼は「ひとりの修羅なのだ」。
妹を兄弟姉妹愛を超えてしまうほど愛している自分に気づき、
それを己の「諂曲(てんごく)」性のひとつにしたのではないかー
もちろん保阪氏への男同士の友情を超えた感情も。
そういう自分に怒る修羅!

この「諂曲」ということばの解釈を巡っては諸説ある。
NHKの『映像詩 宮沢賢治 銀河への旅~慟哭の愛と祈り』を制作した今井勉氏は、
東大講師でもあった<真宗>僧侶島田大等の『妙法蓮華経』での解説にある
<諂曲」の字の右に「てんごく」とルビを付し、左側に片仮名で「ヨコシマ」とカナを
当てている。すなわち「邪(よこしま)」である。
「諂曲心不実」は「邪にして心不実なり」だ>とする説に合点している。

私も賛成だが、「諂曲」の「諂(へつら)い」についてはその字義どおりでも
よかろうとも思う。
特に盛岡高等農林を退学させられ、故郷韮崎へ帰ってしまった保阪氏へは、
自分を忘れ、「捨て」て欲しくないからと賢治さんは相当に諂ったはずだ。
(「捨てるな」とは実際に賢治さんが保阪氏へ訴えている。)

そんな自分ー

世のすべての人の幸いを願いながら、しかし己を「諂曲」の人ともしなければ
ならない二面性あるいは自己矛盾に賢治さんは瞋(いか)っていたのだろう。



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