前の30件 | -
Lookismと実力だけの世界
某「物書き」さんのジャーナリスティックなYouTubeチャンネルは、
自民党総裁候補で、さらに最有力と言われている小泉進次郎さんのことを語った。
「ブサメン」を何度も自称する物書き氏は、「イケメン」にまずは太刀打ちできない
lookism的事実を認め、だから自分のような「気持ち悪い」顔をした者がそういう
容姿に恵まれた者とそれでも対抗するなら他のところを磨くしかない、と。
そんなことをライブで延々と何十分も話していて、さすがに食傷した。
まずねー
「イケメン」という「日本語」が私は嫌いだ。
この軽薄な言葉で美男子を形容すること自体が疎ましいし、
その言葉を使用する人本人とも関わりたくない(キッパリ)。
「いい男」、「美男子」で一体何が足らないのだ。
どんな言葉が流行ろうが、人口に膾炙しようが、私の日本語についての美意識に
適わぬ場合はそれを口にするのはおろか、耳にするのも忌避したい。
そしてー
容姿端麗に生まれ、またそれをずっと維持する努力をしている美男子、美人は、
確かにそのことで<初っ端から>好印象を与える特権的優位性を持つのは至極当然で、
そんなことを長々喋ったところでなんらの話題発展性もない。
オオムラサキと単色の蛾がある枝に並んでとまっているのを目にして、
「私は蛾の美しさの方に惹かれモス」などという御仁がいたら、変わり者でしかない。
そういう人がいてもなんら問題ないが、大方の同意・支持を得られるわけもない。
残酷な話だが、立憲民主党の新代表が「泥鰌(ドジョウ)」を自称する顔面広大な
老境に入ったあの方になったとして、一方小泉進次郎氏が自民党新総裁に選ばれ、
与党代表と野党第一党代表としてエール交換、2 shot写真におさまるとするー
単に容姿の美醜でどちらに軍配を上げますか、と訊くのは愚かだ。
第一印象で好ましいのはどちらですか、と。
もちろん、「物書き氏」はそんなことは百も承知二百も合点である。
ルッキズムに悩んできたであろう己の50年からの心情の吐露もそれはいい。
そしてまた、進次郎さんのお父様が首相の時に起こったおばさまたちの熱狂が、
息子にも、さらに輪をかけて起こるかもしれないことを侮ってはいけないと訴える
のも結構である。日本のみならず、どこの人間社会でもリーダーが美しければ
なお良しとするのは当たり前のことだ。
大谷翔平さんも、あの容姿だからアメリカ人野球ファンに受け入れられている面が
あるのは誰も否定できない。並のアメリカ人男性より背が高く、脚が長く、
鍛えられた肉体は引き締まっていて、東洋人男性の特徴と多くのアメリカ人や
欧州人などが思っている吊り目、一重瞼ではなく、幼さを残すcuteな顔つきー
彼がもしー
直接名を挙げるのは憚られるのでこう記そうー
アメリカ人が憎んでやまなかったA級戦犯筆頭のあの方のような容姿だったら、
と思うと私は頭を抱えてしまう。
ルッキズムは基本的に愚かなことだけれど、抜きがたい、humanなことだ。
容姿に恵まれた者は、短期的には、さまざまその他の欠点があれば(あるに違いないが)
隠すことができる。
そう言って後はゴチャゴチャ言わないでいいではないか。
*
昨夜のNHKスペシャルに痺れた。
AI時代の将棋における藤井聡太七冠と伊藤匠叡王の龍虎の戦いに焦点を当てたものだ。
「たっくん」は同い年の超天才を「教祖」だと言った。
その教祖からタイトルをひとつ奪った彼が、
藤井聡太教ないしは藤井聡太宗の信者であると認めたのだ。
すごい発言で、私は頭がクラクラしそうになった。
それだけの人なのだ、藤井聡太という人は。
実力だけがすべての世界に、あらためてまた強い憧憬を覚えた。
自民党総裁候補で、さらに最有力と言われている小泉進次郎さんのことを語った。
「ブサメン」を何度も自称する物書き氏は、「イケメン」にまずは太刀打ちできない
lookism的事実を認め、だから自分のような「気持ち悪い」顔をした者がそういう
容姿に恵まれた者とそれでも対抗するなら他のところを磨くしかない、と。
そんなことをライブで延々と何十分も話していて、さすがに食傷した。
まずねー
「イケメン」という「日本語」が私は嫌いだ。
この軽薄な言葉で美男子を形容すること自体が疎ましいし、
その言葉を使用する人本人とも関わりたくない(キッパリ)。
「いい男」、「美男子」で一体何が足らないのだ。
どんな言葉が流行ろうが、人口に膾炙しようが、私の日本語についての美意識に
適わぬ場合はそれを口にするのはおろか、耳にするのも忌避したい。
そしてー
容姿端麗に生まれ、またそれをずっと維持する努力をしている美男子、美人は、
確かにそのことで<初っ端から>好印象を与える特権的優位性を持つのは至極当然で、
そんなことを長々喋ったところでなんらの話題発展性もない。
オオムラサキと単色の蛾がある枝に並んでとまっているのを目にして、
「私は蛾の美しさの方に惹かれモス」などという御仁がいたら、変わり者でしかない。
そういう人がいてもなんら問題ないが、大方の同意・支持を得られるわけもない。
残酷な話だが、立憲民主党の新代表が「泥鰌(ドジョウ)」を自称する顔面広大な
老境に入ったあの方になったとして、一方小泉進次郎氏が自民党新総裁に選ばれ、
与党代表と野党第一党代表としてエール交換、2 shot写真におさまるとするー
単に容姿の美醜でどちらに軍配を上げますか、と訊くのは愚かだ。
第一印象で好ましいのはどちらですか、と。
もちろん、「物書き氏」はそんなことは百も承知二百も合点である。
ルッキズムに悩んできたであろう己の50年からの心情の吐露もそれはいい。
そしてまた、進次郎さんのお父様が首相の時に起こったおばさまたちの熱狂が、
息子にも、さらに輪をかけて起こるかもしれないことを侮ってはいけないと訴える
のも結構である。日本のみならず、どこの人間社会でもリーダーが美しければ
なお良しとするのは当たり前のことだ。
大谷翔平さんも、あの容姿だからアメリカ人野球ファンに受け入れられている面が
あるのは誰も否定できない。並のアメリカ人男性より背が高く、脚が長く、
鍛えられた肉体は引き締まっていて、東洋人男性の特徴と多くのアメリカ人や
欧州人などが思っている吊り目、一重瞼ではなく、幼さを残すcuteな顔つきー
彼がもしー
直接名を挙げるのは憚られるのでこう記そうー
アメリカ人が憎んでやまなかったA級戦犯筆頭のあの方のような容姿だったら、
と思うと私は頭を抱えてしまう。
ルッキズムは基本的に愚かなことだけれど、抜きがたい、humanなことだ。
容姿に恵まれた者は、短期的には、さまざまその他の欠点があれば(あるに違いないが)
隠すことができる。
そう言って後はゴチャゴチャ言わないでいいではないか。
*
昨夜のNHKスペシャルに痺れた。
AI時代の将棋における藤井聡太七冠と伊藤匠叡王の龍虎の戦いに焦点を当てたものだ。
「たっくん」は同い年の超天才を「教祖」だと言った。
その教祖からタイトルをひとつ奪った彼が、
藤井聡太教ないしは藤井聡太宗の信者であると認めたのだ。
すごい発言で、私は頭がクラクラしそうになった。
それだけの人なのだ、藤井聡太という人は。
実力だけがすべての世界に、あらためてまた強い憧憬を覚えた。
ネット社会の功罪、いろいろ言われるが
起きてからネットニュースで去年1月起きた狛江市強盗殺人事件に係る
最初の公判の内容を読んだ。
この事件の現場となった家は私が狛江の多摩川へ行く、
あるいはそこから帰るときに必ず通るところに在る。
事件から数日間と記憶するが、その家屋前の道は時限的ではあったろうが
現場検証で通行できなかった。
そこに住まわれていた90歳女性がバールでおよそ10回も殴打され、亡くなった。
実行犯は「闇バイト」応募者の4人、指示役は例のフィリピン在住日本人犯罪集団
「ルフィ」の「sugar」だの「Kim」だの3人ー
Textメッセージや電話で「ボコ」して金のありかを聞き出せ、と。
最初の公判に臨んだのは実行犯の1人、石川県出身の当時19歳大学生。
ゲームで知り合った男が諸費用折半で同居させろと上がり込んできて、
約束を反故にし全く支払いをせず、金に困ってその男と犯行に加わったという。
私はこの事件以降、そのお宅を通るたびに合掌(自転車のときは片手だが)している。
「なんでこんなことするの」と90歳女性はバールで叩かれながら叫んだという。
本当にそうだ。
なんでこんな目に遭わなければいけないのか。
悔しく、悲しく、そして壮絶な痛みの中、絶命の時を迎えてしまった。
あらためて合掌。
今21歳となっている石川出身の元大学生は、殺人そのものには手を染めていない。
しかし、強盗致死の共犯としては罪を逃れようもなく、懲役23年の刑を宣告された。
石川の親御さんは絶望の淵に立たされたであろうし、今どうされていることか。
息子を東京の大学にまで出して、そしてこの<仕打ち>だ。
ゲームを通じての知り合い、闇バイト・・・
インスタントな関係性(つながり)。
「今の若者は」などと十把一絡げに言う気はない。
しかし、若者の一部にこの「インスタントなつながり」を結局自ら求めてしまい、
泥沼にハマっていくパターンは過去よりもまちがいなく増えているはずだ。
それはやはり、ネット社会であるからこそだ。
しかしもちろん、そのインスタントな関係も、同じネットで急速に深められうる。
私が例えば大学生だった頃、もし今のネット社会であったなら、
全く違う人間関係が築かれ、進展し、まるで違う人生コースが開いていただろう。
これは本当に疑う余地がない。
私が70年代終わり頃大学の国際政治研究系同好会で知り合ったXさんは
某県トップの高校からアメリカの高校への留学経験がある才媛で、
東京の住まいは管理人がいる下宿。
電話一本かけるのも、その管理人さんの冷たい反応を覚悟してのことだった。
むろん通話時間は短く、管理人さんが<傍受>していることも考慮しての会話だった。
圧倒的に<自己表現>の時間が限られていた!
今ならどうだろう。
「俺、ブログやってんだよね。読んで。」
「俺、曲作ったんだ。LINEにその音楽ファイル送るね。」
「この記事、すごいよ。Trumpのgibberish読んでみて。」
「今多摩川にいてね、すばらしい夕焼けだ。見て!」
Xさんとそれゆえより仲良くなれたかどうかは分からないけれど、
自己表現はほぼ十全にできたことだろう。
拒否されぬ限り、アンドおもしろいと思ってもらえる限り。
さて、そのXさんとはどうなったか。
書くのはやめておこう。
最初の公判の内容を読んだ。
この事件の現場となった家は私が狛江の多摩川へ行く、
あるいはそこから帰るときに必ず通るところに在る。
事件から数日間と記憶するが、その家屋前の道は時限的ではあったろうが
現場検証で通行できなかった。
そこに住まわれていた90歳女性がバールでおよそ10回も殴打され、亡くなった。
実行犯は「闇バイト」応募者の4人、指示役は例のフィリピン在住日本人犯罪集団
「ルフィ」の「sugar」だの「Kim」だの3人ー
Textメッセージや電話で「ボコ」して金のありかを聞き出せ、と。
最初の公判に臨んだのは実行犯の1人、石川県出身の当時19歳大学生。
ゲームで知り合った男が諸費用折半で同居させろと上がり込んできて、
約束を反故にし全く支払いをせず、金に困ってその男と犯行に加わったという。
私はこの事件以降、そのお宅を通るたびに合掌(自転車のときは片手だが)している。
「なんでこんなことするの」と90歳女性はバールで叩かれながら叫んだという。
本当にそうだ。
なんでこんな目に遭わなければいけないのか。
悔しく、悲しく、そして壮絶な痛みの中、絶命の時を迎えてしまった。
あらためて合掌。
今21歳となっている石川出身の元大学生は、殺人そのものには手を染めていない。
しかし、強盗致死の共犯としては罪を逃れようもなく、懲役23年の刑を宣告された。
石川の親御さんは絶望の淵に立たされたであろうし、今どうされていることか。
息子を東京の大学にまで出して、そしてこの<仕打ち>だ。
ゲームを通じての知り合い、闇バイト・・・
インスタントな関係性(つながり)。
「今の若者は」などと十把一絡げに言う気はない。
しかし、若者の一部にこの「インスタントなつながり」を結局自ら求めてしまい、
泥沼にハマっていくパターンは過去よりもまちがいなく増えているはずだ。
それはやはり、ネット社会であるからこそだ。
しかしもちろん、そのインスタントな関係も、同じネットで急速に深められうる。
私が例えば大学生だった頃、もし今のネット社会であったなら、
全く違う人間関係が築かれ、進展し、まるで違う人生コースが開いていただろう。
これは本当に疑う余地がない。
私が70年代終わり頃大学の国際政治研究系同好会で知り合ったXさんは
某県トップの高校からアメリカの高校への留学経験がある才媛で、
東京の住まいは管理人がいる下宿。
電話一本かけるのも、その管理人さんの冷たい反応を覚悟してのことだった。
むろん通話時間は短く、管理人さんが<傍受>していることも考慮しての会話だった。
圧倒的に<自己表現>の時間が限られていた!
今ならどうだろう。
「俺、ブログやってんだよね。読んで。」
「俺、曲作ったんだ。LINEにその音楽ファイル送るね。」
「この記事、すごいよ。Trumpのgibberish読んでみて。」
「今多摩川にいてね、すばらしい夕焼けだ。見て!」
Xさんとそれゆえより仲良くなれたかどうかは分からないけれど、
自己表現はほぼ十全にできたことだろう。
拒否されぬ限り、アンドおもしろいと思ってもらえる限り。
さて、そのXさんとはどうなったか。
書くのはやめておこう。
Cold Line c/w Out of Control to be Re-released Worldwide
Warner Music JapanがEUROX作品を世界配信することになりました。
まずは(?)デビュー作「Cold Line」とそのB面(懐かしい呼称)「Out of Control」。
前者は井上大輔さん作曲で詞は私、King Reguyth。
SuntoryカクテルのCMで使われた曲で、
https://www.youtube.com/watch?v=FKOhcPZ4pls
歌い出しの「What the heck can I do」の「What the」が全然聞こえませんが(笑)。
「Hot Line」をもじった題名です。
冷たくなった関係ー
男女の最後の電話での会話における男のセリフが歌詞になっています。
これをfull versionにして発売、なんらの宣伝活動なくイタリアで2万枚売れたという
伝説については過去に触れました。
https://mnemosyneoforion.blog.ss-blog.jp/2008-09-28
写真はギターの栗原くんが入手したイタリア発売のレコードで、
B面「Out of Control」なのですが、なんと「King Reguyth」作詞作曲のように
記載されているのです。
この曲は作曲は関根くんで、詞は私King Reguythです。
こっちはアメリカのWarnerが気に入って、発売の打診をしてきました。
私にとってはdebut作品で上記のような、日本人アーティストとしてあの頃考えられない、
前代未聞の国際的スタートダッシュを切れた、
夢のような日々(年月、ではない→すぐ辞めたから)でした。
(なお関根くん、治雄ちゃん、野澤くんという旧TAOメンバーとっては
2度めのデビューでした。)
詳しい情報が入ったらまたご紹介させてください。
*
TVP(ポーランド公共放送)を見ていたら、thermite bombなる非人道的という
のもそうだけれど、森を殺す兵器が使われているのを知って憤然となった。
これはアルミニウムと酸化した金属を混ぜることで猛烈な反応が起きる現象を利用した
兵器で、林や森に隠れるロシア兵を焼き殺すためのものー
それだけで殺意に満ち満ちたロクでもない兵器だけれどー
兵器なんてもので人道的なものなどありはしないけれどー
加えて森を殺す兵器であることに激しい怒りを感じるのだ。
ったく。
同じ民族と言っていいもの同士が、何をやっているんだ!
いや、別な民族であれ、人間同士、何をやっているんだ!
ゼレンスキー、プーチン、ネタニアフ、その他、人命より尊いものがあると
人々に無益で残酷な殺し合いをさせている者たちよ、恥を知れ。
志願している者もいる?
そうさせているんだろうが、自分らの政治交渉能力の低さゆえに。
ホモ・サピエンス=賢いヒト
笑える。
Homo Occidere Se (互いを殺し合うヒト)と改名だ。
まずは(?)デビュー作「Cold Line」とそのB面(懐かしい呼称)「Out of Control」。
前者は井上大輔さん作曲で詞は私、King Reguyth。
SuntoryカクテルのCMで使われた曲で、
https://www.youtube.com/watch?v=FKOhcPZ4pls
歌い出しの「What the heck can I do」の「What the」が全然聞こえませんが(笑)。
「Hot Line」をもじった題名です。
冷たくなった関係ー
男女の最後の電話での会話における男のセリフが歌詞になっています。
これをfull versionにして発売、なんらの宣伝活動なくイタリアで2万枚売れたという
伝説については過去に触れました。
https://mnemosyneoforion.blog.ss-blog.jp/2008-09-28
写真はギターの栗原くんが入手したイタリア発売のレコードで、
B面「Out of Control」なのですが、なんと「King Reguyth」作詞作曲のように
記載されているのです。
この曲は作曲は関根くんで、詞は私King Reguythです。
こっちはアメリカのWarnerが気に入って、発売の打診をしてきました。
私にとってはdebut作品で上記のような、日本人アーティストとしてあの頃考えられない、
前代未聞の国際的スタートダッシュを切れた、
夢のような日々(年月、ではない→すぐ辞めたから)でした。
(なお関根くん、治雄ちゃん、野澤くんという旧TAOメンバーとっては
2度めのデビューでした。)
詳しい情報が入ったらまたご紹介させてください。
*
TVP(ポーランド公共放送)を見ていたら、thermite bombなる非人道的という
のもそうだけれど、森を殺す兵器が使われているのを知って憤然となった。
これはアルミニウムと酸化した金属を混ぜることで猛烈な反応が起きる現象を利用した
兵器で、林や森に隠れるロシア兵を焼き殺すためのものー
それだけで殺意に満ち満ちたロクでもない兵器だけれどー
兵器なんてもので人道的なものなどありはしないけれどー
加えて森を殺す兵器であることに激しい怒りを感じるのだ。
ったく。
同じ民族と言っていいもの同士が、何をやっているんだ!
いや、別な民族であれ、人間同士、何をやっているんだ!
ゼレンスキー、プーチン、ネタニアフ、その他、人命より尊いものがあると
人々に無益で残酷な殺し合いをさせている者たちよ、恥を知れ。
志願している者もいる?
そうさせているんだろうが、自分らの政治交渉能力の低さゆえに。
ホモ・サピエンス=賢いヒト
笑える。
Homo Occidere Se (互いを殺し合うヒト)と改名だ。
2024 長月雑記
日本の政治状況も実際末期的な感じがするけれど、アメリカもひどいものだ。
Trumpのchild careに関する質問への答え(?)がまったくのnonsenseで、
世界一の英語話者数を抱える国の、少なくとも前大統領だった人間が、
その英語による言語的破滅を満天下に晒している事実にあらためて唖然としている。
世界中の熱心な英語学習者も、そのgibberishに驚倒し、
アメリカの知的衰退(なんと彼自身がアメリカはfalling nationだと言っている)を
実感することだろう。
上はChabeli Carrazanaという方がtranscribeしてくれたものだ。
*
さてこっちの野党第一党立憲民主党もひどいね。
野田さん再登板なら、筋として、国民民主党あるいは維新から出るべき。
その一言。
党創設の立役者枝野さんも、共産党への恩義を忘れた言動で失望した。
最初から世話になっていないならなんぼでも反共を叫べばいいけど。
立憲の自民亜流化が進んでいくんだろうね。
まあ、アメリカの2大政党制に憧れた人たちだからね。
それでもアメリカ民主党はleftだ、communistだってMAGA(Make America
Great Again) peopleから散々言われているけれどね。
*
昨日夕方の野川。
同じアングルからの写真を今まで何十年と多数撮ってきた。
艶消しの飛行機雲。
嫌いだ。
*
王座戦第1局、藤井王座の完勝。
永瀬さんは先手番ながら、なんだか実力差を見せつけられてしまったよう。
永瀬さんは藤井さんとの練習将棋でこのところ五分五分の勝率になっていると
言っていたのだが、その確率の裏目の方に今回はたまたまなっただけか?
私は永瀬さんのことを以前よりずっと応援したくなっている。
一方我ら世田谷区民の(!)星伊藤匠叡王は、B2順位戦で黒星。
あ〜あ。
土曜のNHKスペシャルでfocusが当たるのに!
気張らんしょ!
Trumpのchild careに関する質問への答え(?)がまったくのnonsenseで、
世界一の英語話者数を抱える国の、少なくとも前大統領だった人間が、
その英語による言語的破滅を満天下に晒している事実にあらためて唖然としている。
世界中の熱心な英語学習者も、そのgibberishに驚倒し、
アメリカの知的衰退(なんと彼自身がアメリカはfalling nationだと言っている)を
実感することだろう。
上はChabeli Carrazanaという方がtranscribeしてくれたものだ。
*
さてこっちの野党第一党立憲民主党もひどいね。
野田さん再登板なら、筋として、国民民主党あるいは維新から出るべき。
その一言。
党創設の立役者枝野さんも、共産党への恩義を忘れた言動で失望した。
最初から世話になっていないならなんぼでも反共を叫べばいいけど。
立憲の自民亜流化が進んでいくんだろうね。
まあ、アメリカの2大政党制に憧れた人たちだからね。
それでもアメリカ民主党はleftだ、communistだってMAGA(Make America
Great Again) peopleから散々言われているけれどね。
*
昨日夕方の野川。
同じアングルからの写真を今まで何十年と多数撮ってきた。
艶消しの飛行機雲。
嫌いだ。
*
王座戦第1局、藤井王座の完勝。
永瀬さんは先手番ながら、なんだか実力差を見せつけられてしまったよう。
永瀬さんは藤井さんとの練習将棋でこのところ五分五分の勝率になっていると
言っていたのだが、その確率の裏目の方に今回はたまたまなっただけか?
私は永瀬さんのことを以前よりずっと応援したくなっている。
一方我ら世田谷区民の(!)星伊藤匠叡王は、B2順位戦で黒星。
あ〜あ。
土曜のNHKスペシャルでfocusが当たるのに!
気張らんしょ!
Kよ、rise above!
昨日は自転車を飛ばしてKの住まい近くへ。
二人で焼肉屋にて談笑。
(なお彼はちゃんと節制をしていました、為念。)
Kは中野区が好きだそうだ。
特に哲学堂公園はお気に入りだと言う。
街の佇まいも概ね好きだと。
中野、杉並、世田谷の3区は首長がみなリベラル派で、緑の保全、拡張に力を注ぐ。
都知事様とは大違いだ。
昨日の彼へのアドバイスは拳拳服膺されるらしいが、逆に「MNEMOも世田谷の
好きな風景を撮って、おめ(おまえさん)の土地への蘊蓄とか俳句や和歌を添えて
YouTubeに上げればいいベヤ。俺が編集してやっから」と言うので、
「だからそれを俺はやろうとProject Hydrangeaを立ち上げたんだろが」と言い、
「あ、そっか」と彼。
「プラス、俺の歌だ、BGMなのか、それが主なのかはさておき。」
なにしろ元気そうでよかった。
故郷の土産のひとつ、「起き上がり小法師」を彼に進呈。
写真はかたわれの赤、彼にはもう一方の青のをお母堂のご遺影脇に飾ってもらいました。
病に伏しても起き上がってほしい。
苦難があっても立ち上がって克服してほしい。
そう願っています。
二人で焼肉屋にて談笑。
(なお彼はちゃんと節制をしていました、為念。)
Kは中野区が好きだそうだ。
特に哲学堂公園はお気に入りだと言う。
街の佇まいも概ね好きだと。
中野、杉並、世田谷の3区は首長がみなリベラル派で、緑の保全、拡張に力を注ぐ。
都知事様とは大違いだ。
昨日の彼へのアドバイスは拳拳服膺されるらしいが、逆に「MNEMOも世田谷の
好きな風景を撮って、おめ(おまえさん)の土地への蘊蓄とか俳句や和歌を添えて
YouTubeに上げればいいベヤ。俺が編集してやっから」と言うので、
「だからそれを俺はやろうとProject Hydrangeaを立ち上げたんだろが」と言い、
「あ、そっか」と彼。
「プラス、俺の歌だ、BGMなのか、それが主なのかはさておき。」
なにしろ元気そうでよかった。
故郷の土産のひとつ、「起き上がり小法師」を彼に進呈。
写真はかたわれの赤、彼にはもう一方の青のをお母堂のご遺影脇に飾ってもらいました。
病に伏しても起き上がってほしい。
苦難があっても立ち上がって克服してほしい。
そう願っています。
Kに「F+f」を望む
漱石が文学論で「(literature=)F+f」といふことを書いてゐる。
「F」はFocusであり、焦点的認識・観念、
「f」はfeelingであり、情緒・感情なのだと。
それを余が咀嚼すると、まるで俳句論だと思ふのだ。
肩に来て 人懐かしや 赤蜻蛉
漱石の句である。
「肩に来」た「赤蜻蛉」はすなはち「F」であり、「人懐かしや」は「f」だ。
そしてかう考へれば、文學許りか藝術全般にそのことは言へる。
余も歌を作るが、例へば或る歌は、余が成城の丘から吹き降りた風を受けて、
その崖線上の木々の樹幹がそよぐのを遠望した事実を認知し(F)、
その風は丘ないしその木々からの余への「I love you」といふ囁きであると
うれしく思ひ(f)、<節>をつけ、歌つたのである。
さて、何故こんなことを書いてゐるかといふと、
Kの一連のYouTube videosを観てゐて惜しいかなと思ふのが、
大凡上述の点の欠落であるからなのだ。
彼は小水の頻度や量のことを赤裸々に語る。
闘病記ゆゑ当然と言へば当然である。
余にすれば、であれば、もつと他の事についても赤裸々であつて良いと思ふのだ。
彼が今住む中野区某所(videoを見てゐれば何処かは瞭然であるが)は、
仕事場としてはそれなりに長く居たところではあるが、
住処としては日が浅いゆゑ、徘徊して出会ふ事物への「f」がほとんどない。
そこが余には口惜しいのだ。
最新のvideoで、給水塔の件(くだり)、ここでKの「f」が語られる。
この給水塔をモデルに描いたシーンのある、
彼が携わつた某アニメ作品に纏はる想ひなのだ。
併し今でもそのアニメ制作の会社に属すがゆゑ、限定的な想ひしか語られぬ。
「この闘病記・リハビリをテーマにするYouTuberの赤裸々な思ひは?」
余は一視聴者としてもつと知りたいと思ふ。
Kの「f」が詰まつたやうな処まで遠征せよと病気の彼には勿論言へない。
併し、例へば中野の上高田周辺にも春夏秋冬、花が咲き、虫や鳥が鳴く。
(彼が毎日作る季節感あふれる手料理の「コーナー」は非常に良い!)
心惹かれる女性が歩き、もう已に逝つて了つた人の面影を持つ人と擦れちがふ。
それはおそらく人間(じんかん=世間)である限り何処でも同じことだらう。
それを切掛にして彼が何かを語れば良いのに。
博物学的知識、植物学的でも、歴史的知識でも良いのだ。
そして最も好ましいのは、その「F」に喚起された彼の体験の吐露「f」だ。
さういふ要素がvideoに加はれば、と余は願ふ。
(なほ冒頭の写真は去年撮つた喜多見ふれあい広場から西を望んでの景。
この広場での思ひ出は多数、多量。いつか書くね。)
2024 帰省 〜その2(完)
(写真は昭和7年、我が祖父母が営む店の祭礼時の写真。田舎ながら豪商でした。)
會津への帰省の旅は短すぎたけれど、充実はしていたと思います。
今回泊まった宿屋が在る下郷町は、
會津若松と栃木の今市(現日光市=東照宮のお膝元)を結ぶ會津西街道の宿場が
あったところで、塔のへつりと大内宿でそれなりに有名です。
その街道は會津若松と白河(こちらも松平姓の大名の藩だった。有名な藩主は
松平定信)を結ぶ白河街道にも接続するので、東北南端における德川幕府防衛
ラインの各地を今回見てきたということにもなります。
しかしそれよりも私にとっては郷土の大河阿賀川(阿賀野川)の上流地ということで
興味深かったのです。塔のへつりも阿賀野川が削った奇岩ですからね。
とは云え、私は、そして次兄も、阿賀野川は恐怖の対象なのです。
あまりに深く、河岸などはほとんどない。
落ちたら即死の遊びようのない川だったし、今も。
*
故郷ではまず大山祇神社と如法寺に参拝。
そして父母と長兄が眠る墓、祖父と祖母らが眠る本家の墓、叔父夫婦が眠る墓に
花と線香を手向け、戊辰戦争中当地で憤死した長岡藩士2名のお墓、
当地ではないが近くで戦死した薩摩藩兵士のお墓にも線香を手向け、
さらに違う寺の墓地に眠る母方の祖父母、伯父らのお墓へ。
これはもう毎年恒例です。
*
さてそれで、高校生まで暮らした我が郷土で、18歳までに聴いた懐かしの洋楽を
かけながらクルマで巡ったのですけれども、Kの旧宅前も通ったわけです。
そのKー
今YouTubeで個人のリハビリの模様を毎日更新、公開しています。
私としては複雑な思いもありますが、彼が良かれと思って頑張っている以上、
応援するのみかな、と思っています。
https://www.youtube.com/@kuritan607
よろしかったらご視聴、またさらにもしよろしかったら登録をお願いします。
Kよ。
旧O小学校校舎、ひどい有様になってっつぉ。
2024年 帰省 〜その1
福島県南会津郡下郷町、塔ノ岪(へつり)近くの温泉宿におります。
写真は部屋付きの露天風呂。
湯加減最高、そして入浴剤では絶対無理な程の保温効果に驚嘆!
今日は、計画していたわけではないのですが、亡き父の100回目の誕生日で、
宿を出たらもちろん故郷で墓参りー
父の墓前で「おめでとう」・・・ってやはりヘンですよね。
故郷へは最終的に会津坂下町を通ることになりますが、
ここから喜多方へ北上し、わざわざ最短距離でもある国道でなく
県道で故郷へ向かうつもり。
今いる下郷町も阿賀野川流域の町ですが、このずっと下流方向に會津若松、
会津坂下、喜多方があり、その先新潟との県境に私の故郷があります。
県道は喜多方から概ねこの川に沿っているのです。
この道ももちろん私には懐かしい。
以前にも書きましたが、私は喜多方に在る高校に通っており、
国鉄(!)ストで磐越西線がそれなり長期止まってしまったとき
(2年連続であったと思う)に長兄が私を送り迎えしてくれたのです。
そのときto and from喜多方の県道や国道で頻繁に聴いたCarpentersのベスト。
今日も聴くぞ!
會津はピーカン照りです。
暑くなりそう。
それでは、また。
親父が模範
今日から九月。
大雨の被害を受けた皆様にお見舞い申し上げます。
*
久しぶりに雨降りでない朝を迎えた。
成城9丁目のコンビニでcoffeeを買って、目の前の公園で飲んでいたら、
私と同世代&70歳代と思しき方々が5人ほどー
座って愛犬を撫でていたり、その犬と会うのを楽しみにしているらしい女性の方々は
ご主人様と会話し、また犬に話しかけたり。
ちょっと遠目にその様子をじっと見ていた男性は、コンビニへ徐に入って行き、
何か缶入りの飲み物を買ってきて、その3人足す1匹のところへ最接近し、
彼ら彼女らに話しかけるのかと思いきや、犬の飼い主のすぐ脇の椅子に腰掛け、
何も言わずに飲み物を啜る。3人と馴染みでは全くなさそうだ。
それどころか挙動不審なところも感じられるから、3人も警戒している様子だった。
違う男性がやってきて、園内に立つ木の前に立ち止まると、じっと幹を見つめる。
少しの間なら私だってやることだけれど、なんと1分、2分と微動だにせずに
ただ幹を見つめるのだ。
私が小学校を卒業したときの校長先生は、同じ年度限りで定年退職された。
中学生になって町中で先生を見かけることが度々あり、
その都度先生の急速な衰えを感じたものだ。
言い過ぎではあるけれど、廃人の風情すら感じた。
長年の毎日のルーティーンから解放されたのはいいが、同時に精神の張り詰めが
瞬時的になくなってしまい、そして緩みが甚だしくなってしまったのだろう。
そういう退職後の急激なボケが珍しいことではないと知ったのは後年のことだった。
成城9丁目の2人もそうなのかなと私は思った。
私ももちろん含めて、同世代の音楽仲間でそのようなメンタル上の緩みがはっきりと
進んでしまった者は幸いいない。
ミュージシャンにもルーティーンはあるだろうが、しかし、月給取りのそれ、
およびその頻回性と永続性については比較にならないだろう。
私の母方の伯父と叔父は小学校の校長を退職してから認知不全に陥りはしなかったが、
比較的早くに亡くなった。
私の父は、定年ちょっと前に地方公務員を辞めたが、なにしろマイペースな人で、
歴史研究や俳句が引き続きの趣味となって、タバコも酒もやるのに、87まで生きた。
私はどっちのパターンだろう。
むろんその2つのパターンしかないとすればの話だが。
それならどう考えても父のパターンだ。
父は裕福な商店の長男坊で、何不自由なく育った。
一方伯父と叔父は8人兄弟の中で育ち、苦学した。
そのことも大きいかもしれない。
*
さて、明日から1週間、遅い夏休みをいただいた。
會津のとある温泉旅館に今日は宿泊する。
いろいろとinspirationalなことが待っていることを願う。
大雨の被害を受けた皆様にお見舞い申し上げます。
*
久しぶりに雨降りでない朝を迎えた。
成城9丁目のコンビニでcoffeeを買って、目の前の公園で飲んでいたら、
私と同世代&70歳代と思しき方々が5人ほどー
座って愛犬を撫でていたり、その犬と会うのを楽しみにしているらしい女性の方々は
ご主人様と会話し、また犬に話しかけたり。
ちょっと遠目にその様子をじっと見ていた男性は、コンビニへ徐に入って行き、
何か缶入りの飲み物を買ってきて、その3人足す1匹のところへ最接近し、
彼ら彼女らに話しかけるのかと思いきや、犬の飼い主のすぐ脇の椅子に腰掛け、
何も言わずに飲み物を啜る。3人と馴染みでは全くなさそうだ。
それどころか挙動不審なところも感じられるから、3人も警戒している様子だった。
違う男性がやってきて、園内に立つ木の前に立ち止まると、じっと幹を見つめる。
少しの間なら私だってやることだけれど、なんと1分、2分と微動だにせずに
ただ幹を見つめるのだ。
私が小学校を卒業したときの校長先生は、同じ年度限りで定年退職された。
中学生になって町中で先生を見かけることが度々あり、
その都度先生の急速な衰えを感じたものだ。
言い過ぎではあるけれど、廃人の風情すら感じた。
長年の毎日のルーティーンから解放されたのはいいが、同時に精神の張り詰めが
瞬時的になくなってしまい、そして緩みが甚だしくなってしまったのだろう。
そういう退職後の急激なボケが珍しいことではないと知ったのは後年のことだった。
成城9丁目の2人もそうなのかなと私は思った。
私ももちろん含めて、同世代の音楽仲間でそのようなメンタル上の緩みがはっきりと
進んでしまった者は幸いいない。
ミュージシャンにもルーティーンはあるだろうが、しかし、月給取りのそれ、
およびその頻回性と永続性については比較にならないだろう。
私の母方の伯父と叔父は小学校の校長を退職してから認知不全に陥りはしなかったが、
比較的早くに亡くなった。
私の父は、定年ちょっと前に地方公務員を辞めたが、なにしろマイペースな人で、
歴史研究や俳句が引き続きの趣味となって、タバコも酒もやるのに、87まで生きた。
私はどっちのパターンだろう。
むろんその2つのパターンしかないとすればの話だが。
それならどう考えても父のパターンだ。
父は裕福な商店の長男坊で、何不自由なく育った。
一方伯父と叔父は8人兄弟の中で育ち、苦学した。
そのことも大きいかもしれない。
*
さて、明日から1週間、遅い夏休みをいただいた。
會津のとある温泉旅館に今日は宿泊する。
いろいろとinspirationalなことが待っていることを願う。
記憶&Joyfulな女医の卵の思い出
昨日は東京もひどい雨で、折角の誕生日も家に居っぱなし、そして夕方から仕事。
それでも仲間やMick師から、また姉兄からも祝意のメッセージをいただき&もらい、
うれしいことでした。
次兄がふざけて「博ちゃん」と呼びかけてきて、姉が大笑い。
昨日の私の3歳時写真なら確かに「博ちゃん」と呼びかけるところだけれど、
60年以上経った「前期高齢者」に向かってそれはないだろう。ハハハ。
次兄は小学生同士だった頃は「ひろぼ」と私を呼んでいました。
互いにteenagerになってからは「ひろ」だった。
「博ちゃん」という呼び方については、昨年百歳で亡くなったKのお母堂が一昨年
そう私を呼んでくださり感激したことをここで記した(はず)。
他に私を「博ちゃん」と呼んでくださったのは、隣家上野菓子店のおばちゃんと
おばあちゃん、母の店で働いてくれていたTさん、父の弟のご内儀、
母の兄のご内儀、というところかな。
菓子屋のおばちゃんを除き、全員冥土に旅立たれています。
*
またMooさんの記事について。
「記憶」と題される記事ー
昨日掲げたものの次、つまり最新記事を拝読、おもしろかった。
https://blog.goo.ne.jp/azumino_moo
その列記された「記憶」はどれも興味深いのですけれど、
私には⑥の、絵が抜群に巧くしかも慶應医学部へ進学した才女のものが印象深い。
過去に私もその方に似た存在について書いたことあります。
NYさんという人で、中学入学時、out of the blueで私の田舎へやってきたのです。
なんとそれまではキプロス島ニコシアに住んでいた、と。
お父様が朝日新聞の記者だということで、
「一体どうしてそんな子女が會津の片田舎へ?」と思って当然の椿事でした。
今なら合点がいきます。
NYさんのお父上の家系は私の田舎の素封家で、彼女のお祖父様が町誌の主筆を担われ、
その圧倒的な筆力、取材力による記事は「こんな人がオラだぢの町にいるのだ」と
誰もが誇りに思うレベルでした。
お父様はきっと朝日新聞の東京本社とかへ転勤となり、
お連れ合いと娘(2人)を郷土に住まわしてみようという気になったのでしょう。
彼女の学力は圧倒的で、学年1位を中3の最後まで貫き通したのです。
英語はnative。
発音では誰にも負けないと自負していたBeatles少年だった私は、
中1でそのNYさんと同じクラスとなり、天狗になろうとしていた私の鼻は、
出端から挫かれてしまいました。
ある日下校が同じになって、私が「イクスキューズ・ミー」とふざけて話しかけると、
振り向いて一言、「変な発音!」。
そうです、「<エ>クスキューズ・ミー」なのです。
そんなNYさんは會津若松の名門県立女子高へ進学、福島県立医科大に入り、
その後大学に残って確か教授にまで上りつめたはず。
彼女は進歩的な人でもあって、弁論大会で保守的な中学の校風を堂々批判し、
「おいおい内申点大丈夫か」とこちらが冷や汗をかくほど。
そして私も彼女の進歩的片鱗を直接知る機会がありました。
お祖父様と私の父が町史編纂事業で知り合いだったということもあってか、
またN家の邸宅が私の母の実家(旅館だった)に近いこともあってか、
そんなに<縁遠い>存在ではないということで、
例えばBadfingerの「Baby Blue」という歌の歌詞を彼女に訳してもらったりしました。
また高校時代は、彼女の方から映画を一緒に観ようと誘ってくれて、
會津若松で当時の<問題作>を楽しんだりしました。
けれど、互いに大学生になってからの夏休みに会って以来、
もうずっと疎遠になってしまった。
Mooさんの慶應医学部へ進まれ家業の医院を継がれた同級生、
私の、医学を教える立場になった同級生ー
おもしろいです、もちろん個人的に。
*
さて、<絵の上手い女生徒>ということなら、私の姉もかつては。(笑)
いや、今も姉は花の絵師として現役です。
姉のサインまで入れるため、下手くそな撮り方になってしまっていますが、
まあ、お許しを。
桐の花。
會津の実家の裏庭に桐の木がありました。
初夏の開花期、独特の芳香を周辺に漂わし、花をボタボタと落とします。
その香りは幼い頃の初夏の記憶と一体です。
それでも仲間やMick師から、また姉兄からも祝意のメッセージをいただき&もらい、
うれしいことでした。
次兄がふざけて「博ちゃん」と呼びかけてきて、姉が大笑い。
昨日の私の3歳時写真なら確かに「博ちゃん」と呼びかけるところだけれど、
60年以上経った「前期高齢者」に向かってそれはないだろう。ハハハ。
次兄は小学生同士だった頃は「ひろぼ」と私を呼んでいました。
互いにteenagerになってからは「ひろ」だった。
「博ちゃん」という呼び方については、昨年百歳で亡くなったKのお母堂が一昨年
そう私を呼んでくださり感激したことをここで記した(はず)。
他に私を「博ちゃん」と呼んでくださったのは、隣家上野菓子店のおばちゃんと
おばあちゃん、母の店で働いてくれていたTさん、父の弟のご内儀、
母の兄のご内儀、というところかな。
菓子屋のおばちゃんを除き、全員冥土に旅立たれています。
*
またMooさんの記事について。
「記憶」と題される記事ー
昨日掲げたものの次、つまり最新記事を拝読、おもしろかった。
https://blog.goo.ne.jp/azumino_moo
その列記された「記憶」はどれも興味深いのですけれど、
私には⑥の、絵が抜群に巧くしかも慶應医学部へ進学した才女のものが印象深い。
過去に私もその方に似た存在について書いたことあります。
NYさんという人で、中学入学時、out of the blueで私の田舎へやってきたのです。
なんとそれまではキプロス島ニコシアに住んでいた、と。
お父様が朝日新聞の記者だということで、
「一体どうしてそんな子女が會津の片田舎へ?」と思って当然の椿事でした。
今なら合点がいきます。
NYさんのお父上の家系は私の田舎の素封家で、彼女のお祖父様が町誌の主筆を担われ、
その圧倒的な筆力、取材力による記事は「こんな人がオラだぢの町にいるのだ」と
誰もが誇りに思うレベルでした。
お父様はきっと朝日新聞の東京本社とかへ転勤となり、
お連れ合いと娘(2人)を郷土に住まわしてみようという気になったのでしょう。
彼女の学力は圧倒的で、学年1位を中3の最後まで貫き通したのです。
英語はnative。
発音では誰にも負けないと自負していたBeatles少年だった私は、
中1でそのNYさんと同じクラスとなり、天狗になろうとしていた私の鼻は、
出端から挫かれてしまいました。
ある日下校が同じになって、私が「イクスキューズ・ミー」とふざけて話しかけると、
振り向いて一言、「変な発音!」。
そうです、「<エ>クスキューズ・ミー」なのです。
そんなNYさんは會津若松の名門県立女子高へ進学、福島県立医科大に入り、
その後大学に残って確か教授にまで上りつめたはず。
彼女は進歩的な人でもあって、弁論大会で保守的な中学の校風を堂々批判し、
「おいおい内申点大丈夫か」とこちらが冷や汗をかくほど。
そして私も彼女の進歩的片鱗を直接知る機会がありました。
お祖父様と私の父が町史編纂事業で知り合いだったということもあってか、
またN家の邸宅が私の母の実家(旅館だった)に近いこともあってか、
そんなに<縁遠い>存在ではないということで、
例えばBadfingerの「Baby Blue」という歌の歌詞を彼女に訳してもらったりしました。
また高校時代は、彼女の方から映画を一緒に観ようと誘ってくれて、
會津若松で当時の<問題作>を楽しんだりしました。
けれど、互いに大学生になってからの夏休みに会って以来、
もうずっと疎遠になってしまった。
Mooさんの慶應医学部へ進まれ家業の医院を継がれた同級生、
私の、医学を教える立場になった同級生ー
おもしろいです、もちろん個人的に。
*
さて、<絵の上手い女生徒>ということなら、私の姉もかつては。(笑)
いや、今も姉は花の絵師として現役です。
姉のサインまで入れるため、下手くそな撮り方になってしまっていますが、
まあ、お許しを。
桐の花。
會津の実家の裏庭に桐の木がありました。
初夏の開花期、独特の芳香を周辺に漂わし、花をボタボタと落とします。
その香りは幼い頃の初夏の記憶と一体です。
Happy Birthday to Me
今朝は世田谷も大雨です。
迷走および徐行台風の被害が出ていますね。
お見舞い申し上げます。
私が朝のpotteringでほぼ毎日行く野川と仙川にも氾濫危険情報が出ています。
今朝はさすがに行けないなあ。
*
今日は我が誕生日です。
おととい世田谷区から高齢者のための冊子が送られてきたー
神代植物公園など都の施設が割引で入れる歳、ということでございます。フフ。
昨日功くんが自ら「フライング=jump the gun」だろうと推察しつつ、
1番乗りで祝意を伝えてくれました。
そして昨日、Mooさんはフライングを承知で御ブログに記事を書いてくださいました。
https://blog.goo.ne.jp/azumino_moo
「ほぼ毎日の朝のサイクリングで回った土地やお気に入りの地域の様子が克明に
記録されいます。普段は何気なく見過ごしている古い住宅のたたずまいやそこに
植えられている草花は、人々の生活のあり方をさりげなく伝え、
場合によってはその息づかいまでを教えるのですから、優れた感性の持ち主である
MNEMOさんには飽きない観察記録になっているのでしょうね。」
などと勿体ないことを書いていただきました。
そして辺見庸さんと高橋哲哉さんの対談を引きつつ、さすがの考察をされます。
<「自分たちの立っている場所の歴史性、それを作った出来事のリアリティー」に
こだわり続ける>
という高橋さんのことば。
対して、
<「経験主義には与したくないが、自分の記憶の中にリアルな出来事をちゃんと
着床させ深める」ことを重視する>
という辺見さんのことば。
こういう言葉を引きつつ、Mooさんは、
「歴史的な事象について考える際に、上記のような身体的な経験がいかに重要かを
思い知らされ」ると書かれています。
示唆多き記事を拝読しました。
ありがとうございます!
思うのは、Mooさんのお宅へK、功くん、幸夫ちゃんとお邪魔した9年前(!)、
私たちは行きしな大王ワサビ園で、おそらく縄文人の血を引くアボリジナルな「大王」
率いる安曇野先住民集団の苦難のことを知り、その後帰京途中で諏訪大社を参拝し、
弥生人の末裔と言っていいであろう出雲族のタケミナカタが
古墳時代人のタケミカヅチに追われて信濃へと逃れ、そこで「大王」一族と争いに
なったのではないかという<霊感>を得た「体験」でした。
(その当時の記事、懐かしく、再掲します。
https://mnemosyneoforion.blog.ss-blog.jp/2015-10-13)
そしてさらに帰京の行程で、南アルプス市に在る甲斐源氏「秋山」一族のお墓に参拝。
それは幸夫ちゃんのルーツがそこにあるのではないかという私の勝手な推察を
実際にそこへ行くことで<心的に>裏付けるためのことでした。
(そこで起こった不思議なことについては、上の再掲記事を読みください。)
そう、私の「体験」は実証的な裏付けをまるで持たないものであって、
その点ではMooさんにはただただ文学的であるはず、科学的実証主義とは真反対とも
言えるようなことです。
そしてもちろん、文学的であって私には何ら問題がない。(笑)
数学者であるMooさんの明晰さに憧れる私ですが、
翻って私のような正反対の感性依拠の生き方、世界の捉え方に、
Mooさんがおもしろさを感じてくださっていての氏の記事であると思っているのです。
さて、幸夫ちゃん、功くん、K、またお邪魔したいよなあ、安曇野!
*
冒頭の写真は私がちょうど3歳と11ヶ月のみぎりの・・・
なんで4歳の誕生日写真じゃないんだ、父ちゃん。
まだBeatlesの音楽に出会っていない頃の貴重な写真(!)。
記憶は全くない。
何を考えていたんだろうね。
今日はあいにく(?)仕事が重なる日で、birthday dinnerは午後10時過ぎになる。
なにしろしみじみしたい。
=追記=
9年前のこと、今回記事では錯誤しての記述がありますが、まあ、そのままにしておきます。
もちろん9年前のホカホカの記憶が正しいのです!
XX歳最後の東雲、西積乱雲、そして日の出
今朝のpottering、午前4時過ぎ雨雲の状況はと気象レーダーを見ると、
東京都はall clearだが、相模湾およびそれに面する大磯あたりに積乱雲があり、
北上するような動きだった。
しかし私が自転車散歩から帰ってくるまでにこちらまでその入道雲がやってくる
ことはまずないと踏んで、2日ぶりにまずまずの好天下ペダルを踏み出した。
今朝は瀬田方面へ。
瀬田とは世田谷区の玉川地域に属する住宅地で、国道246号(玉川通り&青山通り)と
環状8号線が交わるところだけれど、道路から奥へ入ればすこぶる閑静である。
隣り合う岡本1丁目には仲代達矢さんの無名塾と住居が在るし、
また三菱創業者岩崎弥太郎ゆかりの静嘉堂文庫もあったりで、
小規模な川ながら谷戸川と丸子川が流れ、その河岸段丘というべき地形に立つ街と
言っていいだろう。
東雲(しののめ)、私は玉川病院の敷地にいた。
東雲とはよく言ったもので、夜明け前文字通り東の空の雲が真っ先に見えだす。
茜色が主ながら妖しい彩りの雲が芒っと現れ、刻々とその色合いと形を変える。
反対側、つまり西の空はどうかと振り返ってみると、住宅と木立でよく見えない。
移動して西の空が見えるところまで行くと、遠くに大きく横に広がる積乱雲がー
私は完璧な展望を求めて、急いで岡本1丁目の坂を下り、2丁目の坂を上って、
某超有名女性シンガーYさんの家隣の3丁目の見晴らしが良い国分寺崖線際へと至り、
その入道雲と対面した。
いつ見ても入道雲はすてきであるが、今回は感激一入だった。
家を出る前に確認した神奈川県湘南地区の積乱雲こそ私が<今>目にしているもの
だったからだ。
南西の、間に町田や海老名、伊勢原などの諸都市が在り、
さらにいつも見える丹沢の山向こうの大磯や茅ヶ崎で発達しつつある雷雲が
60〜70キロメートルの遥か彼方ながらはっきり見える!
それがどうしただけれど、私には感動的だったのだよ。
そして砧公園の西を通ると、松林でヒグラシが鳴いていた。
先日の成城4丁目での鳴き声が聴き納めだったかと思っていたから、うれしかったなあ。
いよいよ明日また1つ歳を重ねるけれど、良いXX歳最後の夜明けであった。
東京都はall clearだが、相模湾およびそれに面する大磯あたりに積乱雲があり、
北上するような動きだった。
しかし私が自転車散歩から帰ってくるまでにこちらまでその入道雲がやってくる
ことはまずないと踏んで、2日ぶりにまずまずの好天下ペダルを踏み出した。
今朝は瀬田方面へ。
瀬田とは世田谷区の玉川地域に属する住宅地で、国道246号(玉川通り&青山通り)と
環状8号線が交わるところだけれど、道路から奥へ入ればすこぶる閑静である。
隣り合う岡本1丁目には仲代達矢さんの無名塾と住居が在るし、
また三菱創業者岩崎弥太郎ゆかりの静嘉堂文庫もあったりで、
小規模な川ながら谷戸川と丸子川が流れ、その河岸段丘というべき地形に立つ街と
言っていいだろう。
東雲(しののめ)、私は玉川病院の敷地にいた。
東雲とはよく言ったもので、夜明け前文字通り東の空の雲が真っ先に見えだす。
茜色が主ながら妖しい彩りの雲が芒っと現れ、刻々とその色合いと形を変える。
反対側、つまり西の空はどうかと振り返ってみると、住宅と木立でよく見えない。
移動して西の空が見えるところまで行くと、遠くに大きく横に広がる積乱雲がー
私は完璧な展望を求めて、急いで岡本1丁目の坂を下り、2丁目の坂を上って、
某超有名女性シンガーYさんの家隣の3丁目の見晴らしが良い国分寺崖線際へと至り、
その入道雲と対面した。
いつ見ても入道雲はすてきであるが、今回は感激一入だった。
家を出る前に確認した神奈川県湘南地区の積乱雲こそ私が<今>目にしているもの
だったからだ。
南西の、間に町田や海老名、伊勢原などの諸都市が在り、
さらにいつも見える丹沢の山向こうの大磯や茅ヶ崎で発達しつつある雷雲が
60〜70キロメートルの遥か彼方ながらはっきり見える!
それがどうしただけれど、私には感動的だったのだよ。
そして砧公園の西を通ると、松林でヒグラシが鳴いていた。
先日の成城4丁目での鳴き声が聴き納めだったかと思っていたから、うれしかったなあ。
いよいよ明日また1つ歳を重ねるけれど、良いXX歳最後の夜明けであった。
未明の地震
今朝未明、自転車で家を出ると昨日と全く同じパターンになった。
しかも雨の勢いは遥かに強く、10メートルも行かずにUターン。
太陽が本格的に気温を上げてしまう前に自転車乗りも散歩もしたいのだ。
だから未明や早朝に家を出る。
しかし2日連続で雨に阻まれてしまった。
そして今回は前段の話があった。
午前2時過ぎの地震、震源は神奈川東部だったそう。
世田谷だとほとんど直下地震だった。
この頃の起床時間より1時間早く、すっかり目が覚めてしまった。
まあ、関東での地震劇場の主役はフィリピン海プレートだろう。
それにぶつかる北米プレート&太平洋プレート、さらにユーラシアプレートとの軋りだ。
300万年前、関東平野の西の壁とも言える丹沢山地の元になった島々は
フィリピン海プレートに乗って、まだ海がちだったフォッサマグナへとやってきたのだ。
さらに伊豆半島の元となる火山島も続いてやってきた。
もちろん他の3プレートも<生きている>から、いつでも主役交代するだろう。
けれども<今>主役はフィリピン海プレート、準主役は太平洋プレートか。
しかしまあ、4つの巨大プレートがぶつかり合う日本列島ってすごいとしか
言いようがない。
その4つが接触し合うところは地下最深部ではどうか知らないが、さすがにない。
十字ないしはX字の境界線はない、ということだ。
しかし3叉(Y字境界)は2つ在って、その1つの接点は房総半島沖の日本海溝、
もう1つは長野県諏訪付近だ。
前者は、東に太平洋プレート、北に北米プレート、南にフィリピン海プレートの接点。
後者は、南にフィリピン海プレート、北に北米プレート、西にユーラシアプレートのだ。
関東の地震は、3.11のような太平洋プレートと北米プレートの軋みによるものと、
関東平野地下の北部まで延びようとしているフィリピン海プレートが北米プレートと
軋みを起こしてのもの、そして3プレートの交点での軋みによるものと言ってよい
だろうと思う(素人のくせに!)。
今回の地震は神奈川東部が震源、繰り返すが、
これは主にフィリピン海プレートの仕業だろう。
もちろんもっと規模の小さい、断層レベルの地震かも知れないが、
その断層だって結局のところプレートテクトニクス的な現象だ。
日本に住む以上、地震被害は必然。
こんなユニークな地学的、地震学的、気象学的島国に住んでいることを感謝して、
その「コスト」を払うときは払うしかない。
できるだけその「額」を小さくして。
しかも雨の勢いは遥かに強く、10メートルも行かずにUターン。
太陽が本格的に気温を上げてしまう前に自転車乗りも散歩もしたいのだ。
だから未明や早朝に家を出る。
しかし2日連続で雨に阻まれてしまった。
そして今回は前段の話があった。
午前2時過ぎの地震、震源は神奈川東部だったそう。
世田谷だとほとんど直下地震だった。
この頃の起床時間より1時間早く、すっかり目が覚めてしまった。
まあ、関東での地震劇場の主役はフィリピン海プレートだろう。
それにぶつかる北米プレート&太平洋プレート、さらにユーラシアプレートとの軋りだ。
300万年前、関東平野の西の壁とも言える丹沢山地の元になった島々は
フィリピン海プレートに乗って、まだ海がちだったフォッサマグナへとやってきたのだ。
さらに伊豆半島の元となる火山島も続いてやってきた。
もちろん他の3プレートも<生きている>から、いつでも主役交代するだろう。
けれども<今>主役はフィリピン海プレート、準主役は太平洋プレートか。
しかしまあ、4つの巨大プレートがぶつかり合う日本列島ってすごいとしか
言いようがない。
その4つが接触し合うところは地下最深部ではどうか知らないが、さすがにない。
十字ないしはX字の境界線はない、ということだ。
しかし3叉(Y字境界)は2つ在って、その1つの接点は房総半島沖の日本海溝、
もう1つは長野県諏訪付近だ。
前者は、東に太平洋プレート、北に北米プレート、南にフィリピン海プレートの接点。
後者は、南にフィリピン海プレート、北に北米プレート、西にユーラシアプレートのだ。
関東の地震は、3.11のような太平洋プレートと北米プレートの軋みによるものと、
関東平野地下の北部まで延びようとしているフィリピン海プレートが北米プレートと
軋みを起こしてのもの、そして3プレートの交点での軋みによるものと言ってよい
だろうと思う(素人のくせに!)。
今回の地震は神奈川東部が震源、繰り返すが、
これは主にフィリピン海プレートの仕業だろう。
もちろんもっと規模の小さい、断層レベルの地震かも知れないが、
その断層だって結局のところプレートテクトニクス的な現象だ。
日本に住む以上、地震被害は必然。
こんなユニークな地学的、地震学的、気象学的島国に住んでいることを感謝して、
その「コスト」を払うときは払うしかない。
できるだけその「額」を小さくして。
もう春の話
ポツポツくらいだった雨の中4時過ぎに自転車で家を出たら、
雨滴の密度が高くなってしまい、2キロくらい走って以降は断念、無念。
台風が九州から列島縦断のようなコースをとると予想されている。
どうなることやら。
みなさま、お気をつけて。
初秋の雨の景だって立派なものなのだけれど、写真や動画を撮るのはやはり
水に弱い機器を使うからどうしても気が重くなってしまう。
また当然暗いトーンの絵になってしまうからなあ。
それでもそういう<気分>の歌も私にはあるから、いつかしっかり撮ろう。
Spotifyで期間は知らないが最も再生回数が多かったビートルズの曲が
Here Comes the Sunだったという記事をチラッっと見出しだけ読んだ。
今の若者からの支持も絶大であろうことはYouTubeでのカバー状況でも分かる。
Long, cold, lonely winterがようやく終わり、春の到来の瞬間、その日を、
これほど見事に活写した歌、曲を私も知らない。
George HarrisonによるAbbey Roadでの楽曲がこれを含め、Somethingと2曲
(Ringoとの楽しい合作もあるが)、いずれも彼の最高傑作であり、
またビートルズというバンドの作品としても屈指の名曲だ。
そしてSpotifyでの再生回数だけで云えば、Hey Jude、Let It Be、Yesterday
などPaulによる<お定まり>の名曲を凌いだということになる。
Lennon-McCartneyという史上最高のポップ音楽創造duoの陰に隠れていたGeorgeー
バンド最後のアルバムで追いつき、追い越したという図式だ。
もう楽しみだー
鬼が笑わなければー
春の到来の日、私の感覚でその「瞬間」と思えるその時寸前に、
Vivaldiの「冬」を聴き終わり、直後ピタリとHere Comes the Sunの
あのacoustic guitarのイントロが流れるのだ!
とは云え、東京の冬と春の交代期は曖昧だ。
會津の田舎では何度もあった<あの日、あの瞬間>。
そう、Georgeの歌詞で言う「ice is slowly melting」と私が感じる瞬間だ。
そのとき、Georgeのこの歌が共にあった。
鬼よ、笑うな。
追記
私は冬も大好きですからね、念のため。
雨滴の密度が高くなってしまい、2キロくらい走って以降は断念、無念。
台風が九州から列島縦断のようなコースをとると予想されている。
どうなることやら。
みなさま、お気をつけて。
初秋の雨の景だって立派なものなのだけれど、写真や動画を撮るのはやはり
水に弱い機器を使うからどうしても気が重くなってしまう。
また当然暗いトーンの絵になってしまうからなあ。
それでもそういう<気分>の歌も私にはあるから、いつかしっかり撮ろう。
Spotifyで期間は知らないが最も再生回数が多かったビートルズの曲が
Here Comes the Sunだったという記事をチラッっと見出しだけ読んだ。
今の若者からの支持も絶大であろうことはYouTubeでのカバー状況でも分かる。
Long, cold, lonely winterがようやく終わり、春の到来の瞬間、その日を、
これほど見事に活写した歌、曲を私も知らない。
George HarrisonによるAbbey Roadでの楽曲がこれを含め、Somethingと2曲
(Ringoとの楽しい合作もあるが)、いずれも彼の最高傑作であり、
またビートルズというバンドの作品としても屈指の名曲だ。
そしてSpotifyでの再生回数だけで云えば、Hey Jude、Let It Be、Yesterday
などPaulによる<お定まり>の名曲を凌いだということになる。
Lennon-McCartneyという史上最高のポップ音楽創造duoの陰に隠れていたGeorgeー
バンド最後のアルバムで追いつき、追い越したという図式だ。
もう楽しみだー
鬼が笑わなければー
春の到来の日、私の感覚でその「瞬間」と思えるその時寸前に、
Vivaldiの「冬」を聴き終わり、直後ピタリとHere Comes the Sunの
あのacoustic guitarのイントロが流れるのだ!
とは云え、東京の冬と春の交代期は曖昧だ。
會津の田舎では何度もあった<あの日、あの瞬間>。
そう、Georgeの歌詞で言う「ice is slowly melting」と私が感じる瞬間だ。
そのとき、Georgeのこの歌が共にあった。
鬼よ、笑うな。
追記
私は冬も大好きですからね、念のため。
小さい秋も中くらいになりつつ
昨夜は義父主催の我が誕生日祝賀会(!)が某料理店であった。
もちろん(?)誕生日は30日なので前倒しであった。
松茸の土瓶蒸し、そして焼き松茸・・・
国産ではないだろうけれど、堪能した。
くだらない感慨のようだが、この茸をこういう料理でいただけることで、
そして燗酒を合わせていただくことで、日本に生まれて良かったと心から思うのだ。
松茸の堪能ー
このところ何年も我が誕生日会の恒例になっている。
これからもずっとずっと続けばいいなあ。
*
秋の鳴く虫でツヅレサセコオロギが主流になると秋も深まったことになる。
それが長く多摩川周辺に住んできた私の経験上の観察結果。
まあ、日本中どこでもそうかも知れないが。
今朝は一時的であろうけれど、ツヅレサセ君が目立ったなあ。
彼らが鳴くと寂寥感が募る。
でも大好きだ。
名の由来は、「綴れ刺せ」と針仕事して冬の着物の準備を促すコオロギ、
ということなのだ。
命名者は天才だ。
もちろん(?)誕生日は30日なので前倒しであった。
松茸の土瓶蒸し、そして焼き松茸・・・
国産ではないだろうけれど、堪能した。
くだらない感慨のようだが、この茸をこういう料理でいただけることで、
そして燗酒を合わせていただくことで、日本に生まれて良かったと心から思うのだ。
松茸の堪能ー
このところ何年も我が誕生日会の恒例になっている。
これからもずっとずっと続けばいいなあ。
*
秋の鳴く虫でツヅレサセコオロギが主流になると秋も深まったことになる。
それが長く多摩川周辺に住んできた私の経験上の観察結果。
まあ、日本中どこでもそうかも知れないが。
今朝は一時的であろうけれど、ツヅレサセ君が目立ったなあ。
彼らが鳴くと寂寥感が募る。
でも大好きだ。
名の由来は、「綴れ刺せ」と針仕事して冬の着物の準備を促すコオロギ、
ということなのだ。
命名者は天才だ。
2024 葉月雑記 6
目が覚めると、今シーズン最も涼しい朝だった。
やれうれしや。
さっきまでいた二子玉川の多摩川河川敷。
秋の鳴く虫たち、赤とんぼ、さまざまな鳥たちー
雨上がりの爽やかな朝を楽しんでいた(間違いない)。
いよいよ、少なくとも夜と朝は秋だ。
まもなく金木犀が香り出す。
するとまもなく紅葉が本格的になって、初冬、師走・・・
大好きな季節が来るけれど、また1年が終わってしまう。
*
兄のJohnと同様暗殺されたRobert Kennedyの息子がTrump支持へ。
彼の姉妹たちは「父」の政治姿勢、政治信念ににもとることと非難する声明出した。
そのJuniorの支持率5パーセントほどがそのままTrumpに行くのかといえば、
そうは問屋が卸さない。
Elon Muskだのこの人だの、一体どういう了見で最悪レベルのナルシシストに
「serve」するなんて言えるのかさっぱりわからない。
Trumpの妻、彼が今でも勝手にFirst Ladyと呼ぶMelaniaが全く公の場に出ない。
選挙中の夫を妻自身が応援していない形だ。
彼が「娘じゃなかったらデートしている」と宣ったIvankaも。
呆れ返ってしまってるんじゃないの。
いやはや、この人が元大統領で、現共和党の大統領候補とは。
初代共和党出身大統領のLincolnも真っ青だ。
*
伊藤匠叡王の就位式の様子をYouTubeで見た。
難攻不落を極めた史上最高の将棋の天才から一冠を奪った自信が明らかに彼に
落ち着きと余裕を与えた。
愛知県瀬戸市の方々が藤井七冠を熱烈応援するように、
世田谷の伊藤叡王を私は応援する。
叡王、お住まいは世田谷のどこなんですか?
*
差別の話が世界中に溢れかえっている。
差別する人間は、差別されてみるといいといつも思う。
まあ、と言うか、されたらどうだろうと思ってほしい。
そんな想像力がないからの差別なんだけれどね。
やれうれしや。
さっきまでいた二子玉川の多摩川河川敷。
秋の鳴く虫たち、赤とんぼ、さまざまな鳥たちー
雨上がりの爽やかな朝を楽しんでいた(間違いない)。
いよいよ、少なくとも夜と朝は秋だ。
まもなく金木犀が香り出す。
するとまもなく紅葉が本格的になって、初冬、師走・・・
大好きな季節が来るけれど、また1年が終わってしまう。
*
兄のJohnと同様暗殺されたRobert Kennedyの息子がTrump支持へ。
彼の姉妹たちは「父」の政治姿勢、政治信念ににもとることと非難する声明出した。
そのJuniorの支持率5パーセントほどがそのままTrumpに行くのかといえば、
そうは問屋が卸さない。
Elon Muskだのこの人だの、一体どういう了見で最悪レベルのナルシシストに
「serve」するなんて言えるのかさっぱりわからない。
Trumpの妻、彼が今でも勝手にFirst Ladyと呼ぶMelaniaが全く公の場に出ない。
選挙中の夫を妻自身が応援していない形だ。
彼が「娘じゃなかったらデートしている」と宣ったIvankaも。
呆れ返ってしまってるんじゃないの。
いやはや、この人が元大統領で、現共和党の大統領候補とは。
初代共和党出身大統領のLincolnも真っ青だ。
*
伊藤匠叡王の就位式の様子をYouTubeで見た。
難攻不落を極めた史上最高の将棋の天才から一冠を奪った自信が明らかに彼に
落ち着きと余裕を与えた。
愛知県瀬戸市の方々が藤井七冠を熱烈応援するように、
世田谷の伊藤叡王を私は応援する。
叡王、お住まいは世田谷のどこなんですか?
*
差別の話が世界中に溢れかえっている。
差別する人間は、差別されてみるといいといつも思う。
まあ、と言うか、されたらどうだろうと思ってほしい。
そんな想像力がないからの差別なんだけれどね。
The US Rice Appreciated
Mooさんのブログ最新記事を読んでいてー
あの日向灘地震と神奈川での立て続けの地震以来我が自宅周辺のスーパーでも米を
買えなくなっている。
この状態が続けば、我が家もあと10日ほどで米が尽きる。
新米が出始めるから、徐々にこの米不足は解消とかと聞くが、本当か。
Mooさんの言われるように収穫目前の稲が台風でやられたりしたら?
主食の流通すらを管理できない政府って、一体何をやっているんでしょうね。
米。
アメリカのことも指すなんて、外国人もびっくり。
「べいこく」って「米穀」でもあるし。
亜米利加という当て字で、「亜国」というのもナニだから2文字目を使ったのだ。
国産米が切れて、カリフォルニア米が売られているスーパーも。
米国産の米穀だ。
食糧の安全保障ももっと米国頼りになるのかなあ。
依存率88パーセント(八十八)とか。
コメった時の米国頼り。
核の傘にも入れてもらいつつ、食糧も大幅依存で、もう事実上51州目状態。
その米国から帰国したやすさん。
相変わらずのパワフルな、行動力が日本人離れしている(?)彼女のpositivityを
お裾分けしてもらいました。
日本は所詮アメリカの一部になんかなれない。
違いすぎる。
変にアメリカを持ち上げているのではない。
<国柄>が違いすぎるのだよ。
良い意味でself-assertive(自己主張的)でなければやっていけない米国。
そのことをやすさんの「what she has done so far in the US」で痛感する。
日本はやはり農耕社会的、内輪的、出しゃばらない主義の国。
農耕社会、村社会なのに、米穀を欠いてしまい、米国の米に頼る国。
皮肉なんてもんじゃない。
あの日向灘地震と神奈川での立て続けの地震以来我が自宅周辺のスーパーでも米を
買えなくなっている。
この状態が続けば、我が家もあと10日ほどで米が尽きる。
新米が出始めるから、徐々にこの米不足は解消とかと聞くが、本当か。
Mooさんの言われるように収穫目前の稲が台風でやられたりしたら?
主食の流通すらを管理できない政府って、一体何をやっているんでしょうね。
米。
アメリカのことも指すなんて、外国人もびっくり。
「べいこく」って「米穀」でもあるし。
亜米利加という当て字で、「亜国」というのもナニだから2文字目を使ったのだ。
国産米が切れて、カリフォルニア米が売られているスーパーも。
米国産の米穀だ。
食糧の安全保障ももっと米国頼りになるのかなあ。
依存率88パーセント(八十八)とか。
コメった時の米国頼り。
核の傘にも入れてもらいつつ、食糧も大幅依存で、もう事実上51州目状態。
その米国から帰国したやすさん。
相変わらずのパワフルな、行動力が日本人離れしている(?)彼女のpositivityを
お裾分けしてもらいました。
日本は所詮アメリカの一部になんかなれない。
違いすぎる。
変にアメリカを持ち上げているのではない。
<国柄>が違いすぎるのだよ。
良い意味でself-assertive(自己主張的)でなければやっていけない米国。
そのことをやすさんの「what she has done so far in the US」で痛感する。
日本はやはり農耕社会的、内輪的、出しゃばらない主義の国。
農耕社会、村社会なのに、米穀を欠いてしまい、米国の米に頼る国。
皮肉なんてもんじゃない。
Don't despair
G7に大きな関心はないけれど、しかし、民主主義国で経済力がトップクラスに
ある国々が毎年会合を持ち、世界の諸課題を話すのは意義があるに決まっている。
そのそれぞれのadvanced countriesのトップは、言うまでもなく、
さまざまな意味で優秀であるに<決まっている>。
何について語らせても、根拠を持った定見を鋭く語りうる人々だ。
その定見で各国首脳と語り合い、時に激しく論争する。
https://www.youtube.com/watch?v=BXZB5Tn_tgQ
上の人がそのG7会合に出るなんて、本当に信じられない。
この人がコロンビア大学の大学院を出た?
どうやって?
なぜ日本の政治家は、分不相応なのを省みずに重責を担おうなどとするのか。
陸奥宗光や吉田茂のような胆力と交渉力を持っているとでも言うのか?
「どうやって減らすのか」という問いに一言「減らすんです」と答え、
「さらにどうやって」と問われ、「環境省のみならず政府全体として減らす」と
素っ頓狂な答えをし、記者たちを呆れさせている(おそらく)中、
脱炭素のやり方は「sexy」にと彼が言ったとき、
彼の馬鹿笑いと隣の女性の愛想笑いだけが響く場面を見ていて本当に血の気が引いた。
この人が自民党の総裁候補ナンバー1?!
本当にもういい加減にしてほしい。
ロック音楽のギタリスト界隈に喩えれば、ミストーン出しまくりで、
指も固くてリズムも悪い、まともにソロを弾ける曲などひとつもないのに、
Jimmy PageやEric Clapton、Andy Summers、Brian May、Jeff Beckや
Eddie Van Halenらのソロ合戦に出てくるようなことだ。
恥ずかしい。
とことん恥ずかしい。
*
今朝のpotteringの距離は12〜13kmくらいだったか。
成城4丁目から狛江、五本松で多摩川に出て東進、宇奈根から鎌田、岡本、大蔵・・・
ペダル軽し
秋暁の
土手の道
ある国々が毎年会合を持ち、世界の諸課題を話すのは意義があるに決まっている。
そのそれぞれのadvanced countriesのトップは、言うまでもなく、
さまざまな意味で優秀であるに<決まっている>。
何について語らせても、根拠を持った定見を鋭く語りうる人々だ。
その定見で各国首脳と語り合い、時に激しく論争する。
https://www.youtube.com/watch?v=BXZB5Tn_tgQ
上の人がそのG7会合に出るなんて、本当に信じられない。
この人がコロンビア大学の大学院を出た?
どうやって?
なぜ日本の政治家は、分不相応なのを省みずに重責を担おうなどとするのか。
陸奥宗光や吉田茂のような胆力と交渉力を持っているとでも言うのか?
「どうやって減らすのか」という問いに一言「減らすんです」と答え、
「さらにどうやって」と問われ、「環境省のみならず政府全体として減らす」と
素っ頓狂な答えをし、記者たちを呆れさせている(おそらく)中、
脱炭素のやり方は「sexy」にと彼が言ったとき、
彼の馬鹿笑いと隣の女性の愛想笑いだけが響く場面を見ていて本当に血の気が引いた。
この人が自民党の総裁候補ナンバー1?!
本当にもういい加減にしてほしい。
ロック音楽のギタリスト界隈に喩えれば、ミストーン出しまくりで、
指も固くてリズムも悪い、まともにソロを弾ける曲などひとつもないのに、
Jimmy PageやEric Clapton、Andy Summers、Brian May、Jeff Beckや
Eddie Van Halenらのソロ合戦に出てくるようなことだ。
恥ずかしい。
とことん恥ずかしい。
*
今朝のpotteringの距離は12〜13kmくらいだったか。
成城4丁目から狛江、五本松で多摩川に出て東進、宇奈根から鎌田、岡本、大蔵・・・
ペダル軽し
秋暁の
土手の道
What Can I Give Back to Her(=America)
夏にさよならの雨、大雨ってありますよね。
長い人生で何回か経験してきました。
湿気は当然残るものの、気温は以降はっきり降下する。
今朝は昨朝にまして涼しいのです。
*
昨夜は仕事開始寸前までCNNのアメリカ民主党全国大会でのミシェル・オバマ
元大統領夫人とバラク・オバマ元大統領の演説を聴いていて、
あまりの二人のeloquenceに心何回も打たれて、その興奮がしずまらぬまま
Skype授業を始めたのでした。
生徒らにその感動を告げ、きっと録画を見るようにと訴えました。
歴史的な演説だったのは疑いようがない。
なんという夫婦でしょう。
この奇跡のようなカップルの二人の娘さんはどれほど優秀で、
compassionとempathyに溢れていることかと思わざるを得ません。
しかし二人も、カマラさんもティムさんも、もちろん強く意識しています。
知性、理性、人格のまともさ、人柄のあたたかさ、ユーモア、肯定的な人生への態度
などなど、全てで大差、いや比べることすら不可能なほどの違いがあるにも拘らず、
共和党の相手候補をそれでも支持する無茶苦茶な層が侮れぬ数でいることを。
日本の政治状況がただただ悲しい。
国民が希望を持てるプランを圧倒的な言語能力で力強く示せる政治家が一体
どこにいますか?
推薦人数トップらしいお坊ちゃん(とは言えもう40代か)がどうやって
このアメリカのHarris=Walz政権に渡り合っていけるというのでしょうか。
すさまじいほどの知性と経験がある大統領と副大統領は、
もしあのお坊ちゃんが首相にでもなったら、組み易いを超えてあまりの手応えのなさに
不安すら抱いてしまうのではないか。
Obamaさんが原爆投下の謝罪はせずとも広島に来て犠牲者へ哀悼の言葉を捧げたように、
Harrisさんなら辺野古のことでも、沖縄の長きにわたるあまりの負担偏重を鑑み、
なにかしらの打開策を共に探れるかもしれないチャンスなのに。
*
話は戻ってMr. & Mrs. Obamaの演説を聴いていて、
そして感動して涙し、また歓呼する大聴衆を見ていて、
我が歌「IS THIS AMERICA」をYouTubeに上げて、応援したいと心から思いました。
New Yorkのやすさんと望外に会えるようになったのは、そのことを話すためかとも。
きっとそうだ。
長い人生で何回か経験してきました。
湿気は当然残るものの、気温は以降はっきり降下する。
今朝は昨朝にまして涼しいのです。
*
昨夜は仕事開始寸前までCNNのアメリカ民主党全国大会でのミシェル・オバマ
元大統領夫人とバラク・オバマ元大統領の演説を聴いていて、
あまりの二人のeloquenceに心何回も打たれて、その興奮がしずまらぬまま
Skype授業を始めたのでした。
生徒らにその感動を告げ、きっと録画を見るようにと訴えました。
歴史的な演説だったのは疑いようがない。
なんという夫婦でしょう。
この奇跡のようなカップルの二人の娘さんはどれほど優秀で、
compassionとempathyに溢れていることかと思わざるを得ません。
しかし二人も、カマラさんもティムさんも、もちろん強く意識しています。
知性、理性、人格のまともさ、人柄のあたたかさ、ユーモア、肯定的な人生への態度
などなど、全てで大差、いや比べることすら不可能なほどの違いがあるにも拘らず、
共和党の相手候補をそれでも支持する無茶苦茶な層が侮れぬ数でいることを。
日本の政治状況がただただ悲しい。
国民が希望を持てるプランを圧倒的な言語能力で力強く示せる政治家が一体
どこにいますか?
推薦人数トップらしいお坊ちゃん(とは言えもう40代か)がどうやって
このアメリカのHarris=Walz政権に渡り合っていけるというのでしょうか。
すさまじいほどの知性と経験がある大統領と副大統領は、
もしあのお坊ちゃんが首相にでもなったら、組み易いを超えてあまりの手応えのなさに
不安すら抱いてしまうのではないか。
Obamaさんが原爆投下の謝罪はせずとも広島に来て犠牲者へ哀悼の言葉を捧げたように、
Harrisさんなら辺野古のことでも、沖縄の長きにわたるあまりの負担偏重を鑑み、
なにかしらの打開策を共に探れるかもしれないチャンスなのに。
*
話は戻ってMr. & Mrs. Obamaの演説を聴いていて、
そして感動して涙し、また歓呼する大聴衆を見ていて、
我が歌「IS THIS AMERICA」をYouTubeに上げて、応援したいと心から思いました。
New Yorkのやすさんと望外に会えるようになったのは、そのことを話すためかとも。
きっとそうだ。
今シーズン初オリオン
今朝も3時過ぎに目が覚めて、窓を開けると昨日書いた通りのことをしたら、
かなりはっきり室温と外気温の差を感じた。
初秋らしい外気温になっていたのだ。
そして月(満月?右下が少し欠けているような気もした)が煌々と輝いており、
これは今シーズン初のOrionが見られると勇んで外出ー
はい、東の空に右肩を下にしてあの冬空の勇者が寝そべって見えました!
この頃聞かなかったヒグラシが<古畑任三郎>邸直近の緑地で鳴いていて、
「ああ、まださようならじゃなかったんだ」とうれしかったけれども、
今度こそ聴き納めかもしれないと思い直してみると、彼らの歌が悲しく響いた。
そんなこんなの中、New York在住のやすさんからメールが来て、
突如帰国(というか来日というか)するので食事でも、と。
彼女は私がまさか国分寺崖線辺りにいて、月とオリオン、ヒグラシと秋の虫の音を
聴きながら返信しているとは思っていないだろうなと。
See you thenと書いて私は静かに笑ったさ。
涼しいと思っていたけれど、やはり大汗をかいた。
湿気は昨日ほどではなかったけれど、蒸し暑かった。
ニュースでは北海道の北部がかなり冷えたらしい。
東京もさすがに猛暑日はもう来ないとか。
よかったなあと思っていると9月で、そしてそこからあれよあれよと1年の4分の3が
終わっているんだ。
ぎゃ~。
かなりはっきり室温と外気温の差を感じた。
初秋らしい外気温になっていたのだ。
そして月(満月?右下が少し欠けているような気もした)が煌々と輝いており、
これは今シーズン初のOrionが見られると勇んで外出ー
はい、東の空に右肩を下にしてあの冬空の勇者が寝そべって見えました!
この頃聞かなかったヒグラシが<古畑任三郎>邸直近の緑地で鳴いていて、
「ああ、まださようならじゃなかったんだ」とうれしかったけれども、
今度こそ聴き納めかもしれないと思い直してみると、彼らの歌が悲しく響いた。
そんなこんなの中、New York在住のやすさんからメールが来て、
突如帰国(というか来日というか)するので食事でも、と。
彼女は私がまさか国分寺崖線辺りにいて、月とオリオン、ヒグラシと秋の虫の音を
聴きながら返信しているとは思っていないだろうなと。
See you thenと書いて私は静かに笑ったさ。
涼しいと思っていたけれど、やはり大汗をかいた。
湿気は昨日ほどではなかったけれど、蒸し暑かった。
ニュースでは北海道の北部がかなり冷えたらしい。
東京もさすがに猛暑日はもう来ないとか。
よかったなあと思っていると9月で、そしてそこからあれよあれよと1年の4分の3が
終わっているんだ。
ぎゃ~。
2024 葉月雑記 5
東京は昨夜来の雨で、今朝はそれなり涼しかった。
これは自転車でなくて、散歩で良いかもと家を出たが、
案の定猛烈な湿気で不快指数マックスとなって、後悔するハメに。
それでも朝限定ながら初秋の<雰囲気>は感じられるようになってきた。
この頃の朝のルーティンは、窓を開けて室内気温との差を手や顔で感じること。
外の方が低い朝が来れば、いよいよ秋だと実感するのだ。
残念ながらはっきり外が涼しいと感じる日は未だ来ていない。
砧公園の「サイクリングコース」は事実上ジョギングコースになっているのだが、
今朝も早よから多くの人が走っていた。
年齢層が高く、「ようやりまんなあ」と感心しきり。
みなさんスリムでらして、運動の成果ですけど、今度は逆に朝からそないに
体酷使して大丈夫でっかと心配になってもうた。
ヒトっちゅうのは、毎朝そないに走るようにはでけてないのんとちゃいまっか。
*
立憲民主党のある超高学歴を誇る議員が、「差別のない(=ゼロ)社会を目指す」と
いう党是を「ゼロを目指す振り」をする「様式美」と宣い、顰蹙を買っている。
現実に差別などゼロになるはずがないのだから、欺瞞を止め、達成可能な目標を
設定するのが良いと言うのだけれど、現実はその通りだと私も思うけれど、
差別根絶を目指すことを「様式美」と言い、さらに「旧日本軍の精神主義と似通」う
などと言うに至ってはついていけない。
「差別ゼロ社会は理想であり、それを追い求めることは大事なことですけれど、
現実を見ながら実現に向け対処可能なところから始めていくということで、
みなさん一緒に努力しましょう」などと書けばいいものをと思うのだが、
どうだろうか。その表現のしかたで何か彼の主張と乖離があるのだろうか。
冷笑的な物言いをして政治が進むと思っているなら、政治家ではなく、
評論家でもやっていればいいものを。
しかもこの衆議院議員は、お連れ合い共々自分らが差別主義者(racist)ではないと
いう主張の中、「私には在日朝鮮人の友人がいる」という禁じ手の論法を使ったのだ。
「I'm not racist; I have black friends」はWikiにも載っている、
己が差別主義者ではないとする欺瞞的な理屈として有名だ。
*
しかしまあ、不正を党ぐるみと言っていいレベルでやっておきながら、
きちんと後始末もせず、「新しい自民党をつくる」なんて言って総裁選が始まる。
これほどケジメがない状況を政府を担う人間たちが生み出しておいて、
厚顔無恥にも勝手に再スタートと宣っている。
野党第一党がそして政権交代を期待させる動きを見せない。
その中で、この覇気のない冷笑的な政治家がますます党のイメージを損なっている。
あ〜あ、だ。
これは自転車でなくて、散歩で良いかもと家を出たが、
案の定猛烈な湿気で不快指数マックスとなって、後悔するハメに。
それでも朝限定ながら初秋の<雰囲気>は感じられるようになってきた。
この頃の朝のルーティンは、窓を開けて室内気温との差を手や顔で感じること。
外の方が低い朝が来れば、いよいよ秋だと実感するのだ。
残念ながらはっきり外が涼しいと感じる日は未だ来ていない。
砧公園の「サイクリングコース」は事実上ジョギングコースになっているのだが、
今朝も早よから多くの人が走っていた。
年齢層が高く、「ようやりまんなあ」と感心しきり。
みなさんスリムでらして、運動の成果ですけど、今度は逆に朝からそないに
体酷使して大丈夫でっかと心配になってもうた。
ヒトっちゅうのは、毎朝そないに走るようにはでけてないのんとちゃいまっか。
*
立憲民主党のある超高学歴を誇る議員が、「差別のない(=ゼロ)社会を目指す」と
いう党是を「ゼロを目指す振り」をする「様式美」と宣い、顰蹙を買っている。
現実に差別などゼロになるはずがないのだから、欺瞞を止め、達成可能な目標を
設定するのが良いと言うのだけれど、現実はその通りだと私も思うけれど、
差別根絶を目指すことを「様式美」と言い、さらに「旧日本軍の精神主義と似通」う
などと言うに至ってはついていけない。
「差別ゼロ社会は理想であり、それを追い求めることは大事なことですけれど、
現実を見ながら実現に向け対処可能なところから始めていくということで、
みなさん一緒に努力しましょう」などと書けばいいものをと思うのだが、
どうだろうか。その表現のしかたで何か彼の主張と乖離があるのだろうか。
冷笑的な物言いをして政治が進むと思っているなら、政治家ではなく、
評論家でもやっていればいいものを。
しかもこの衆議院議員は、お連れ合い共々自分らが差別主義者(racist)ではないと
いう主張の中、「私には在日朝鮮人の友人がいる」という禁じ手の論法を使ったのだ。
「I'm not racist; I have black friends」はWikiにも載っている、
己が差別主義者ではないとする欺瞞的な理屈として有名だ。
*
しかしまあ、不正を党ぐるみと言っていいレベルでやっておきながら、
きちんと後始末もせず、「新しい自民党をつくる」なんて言って総裁選が始まる。
これほどケジメがない状況を政府を担う人間たちが生み出しておいて、
厚顔無恥にも勝手に再スタートと宣っている。
野党第一党がそして政権交代を期待させる動きを見せない。
その中で、この覇気のない冷笑的な政治家がますます党のイメージを損なっている。
あ〜あ、だ。
Black Sentiment Matters
クラシック音楽をこよなく愛するとは到底言い難いし、
通なことを言えるほどの知識や経験はほとんどない。
けれど父が、平凡社のだったか、毎月送ってくる豪華解説アルバム付きの
クラシック音楽の精華集とも言うべきレコードを聴くというなかなか優雅な年月が
あって、私もご相伴に与った。
父はそのレコード集を聴くため、弟(私の叔父)が継いだ電器屋から東芝Bostonという
当時最新鋭のステレオも買って、息子・娘を喜ばせた。
音楽の授業でとにかく感動した『くるみ割り人形』がチャイコフスキー編のレコードに
あると父から聞いて、とうとうそれが届いたときはBeatlesの新曲に勝るとも劣らぬ
うれしさで針を落とした。
『くるみ割り人形』に魅せられたのは、やはり第一に組曲だったからだと思う。
Beatlesのアルバムはまさに組曲だったから、比較的短いとりどりの曲が連続して聴けて
最後には「なるほどこの曲こそ」という絢爛なpieceで大団円を迎えるー
長い楽章をずっと聴いているのはまだまだ無理な小学生であった。
むろん(?)ベートーヴェンも好きだった。
何より『田園』が好きで、それは會津の五月の風情に合っていたからだ。
他にケテルビーの『ペルシアの市場にて』、グリーグの『ペールギュント』1、2楽章、
プロコフィエフの『ピーターと狼』などが大好きだった。
みな音楽の授業で聴いて感動したものだ。
しかし私はクラシックの大ファンにはならなかった。
子どもとして深入りはできなかったし、思春期に入ってますますrockやpopsに
ハマっていったからだ。
YouTubeのおすすめで西本智美さん指揮によるドボルザークの交響曲第9番を聴いた。
あの有名すぎる第2楽章Largoと第4楽章Allegro con fuocoがある『新世界』だ。
Largoを聴いていて、小学校校庭の夕暮れを思い出さない人がどれほどいるだろう。
もちろん日本独特のことかもしれないが。
私の母校は統合されてしまい、明治5年学制開始以来の歴史を閉じてしまっている。
西条八十作詞のすばらしい校歌ももう歌われなくなって久しい。
私の家族全員の母校でもあった。
小学校と、同じ町内の先輩後輩との遊び仲間サークルが「全世界」だった頃。
午後5時だったか、「家路(=Largo)」が校庭に流れた。
下校して再び学校の校庭へ行き主に球技をして遊んだ日々。
小学生であっても募る憂愁の日があった。
ドボルザークはチェコの人、あのメロディーはチェコ人の歌心と信じていたが、
Wikiなどを読むと、黒人霊歌などの影響があると言うのだ。
彼はアメリカで「国民楽派」の技量発揮を期待されたのだった。
だから「新世界」か、と納得。
スラブ人であるチェコの作曲家とアメリカに奴隷として連れられてきたアフリカ人の
詩情が融合したということか。
プレスリーの音楽だってBeatlesのだってStonesのだって、黒人音楽なくてはなかった。
黒人音楽は全人類の郷愁を誘うー
センティメントやポエジーの故郷か。
だってホモ・サピエンスの故郷だものな、アフリカは。
通なことを言えるほどの知識や経験はほとんどない。
けれど父が、平凡社のだったか、毎月送ってくる豪華解説アルバム付きの
クラシック音楽の精華集とも言うべきレコードを聴くというなかなか優雅な年月が
あって、私もご相伴に与った。
父はそのレコード集を聴くため、弟(私の叔父)が継いだ電器屋から東芝Bostonという
当時最新鋭のステレオも買って、息子・娘を喜ばせた。
音楽の授業でとにかく感動した『くるみ割り人形』がチャイコフスキー編のレコードに
あると父から聞いて、とうとうそれが届いたときはBeatlesの新曲に勝るとも劣らぬ
うれしさで針を落とした。
『くるみ割り人形』に魅せられたのは、やはり第一に組曲だったからだと思う。
Beatlesのアルバムはまさに組曲だったから、比較的短いとりどりの曲が連続して聴けて
最後には「なるほどこの曲こそ」という絢爛なpieceで大団円を迎えるー
長い楽章をずっと聴いているのはまだまだ無理な小学生であった。
むろん(?)ベートーヴェンも好きだった。
何より『田園』が好きで、それは會津の五月の風情に合っていたからだ。
他にケテルビーの『ペルシアの市場にて』、グリーグの『ペールギュント』1、2楽章、
プロコフィエフの『ピーターと狼』などが大好きだった。
みな音楽の授業で聴いて感動したものだ。
しかし私はクラシックの大ファンにはならなかった。
子どもとして深入りはできなかったし、思春期に入ってますますrockやpopsに
ハマっていったからだ。
YouTubeのおすすめで西本智美さん指揮によるドボルザークの交響曲第9番を聴いた。
あの有名すぎる第2楽章Largoと第4楽章Allegro con fuocoがある『新世界』だ。
Largoを聴いていて、小学校校庭の夕暮れを思い出さない人がどれほどいるだろう。
もちろん日本独特のことかもしれないが。
私の母校は統合されてしまい、明治5年学制開始以来の歴史を閉じてしまっている。
西条八十作詞のすばらしい校歌ももう歌われなくなって久しい。
私の家族全員の母校でもあった。
小学校と、同じ町内の先輩後輩との遊び仲間サークルが「全世界」だった頃。
午後5時だったか、「家路(=Largo)」が校庭に流れた。
下校して再び学校の校庭へ行き主に球技をして遊んだ日々。
小学生であっても募る憂愁の日があった。
ドボルザークはチェコの人、あのメロディーはチェコ人の歌心と信じていたが、
Wikiなどを読むと、黒人霊歌などの影響があると言うのだ。
彼はアメリカで「国民楽派」の技量発揮を期待されたのだった。
だから「新世界」か、と納得。
スラブ人であるチェコの作曲家とアメリカに奴隷として連れられてきたアフリカ人の
詩情が融合したということか。
プレスリーの音楽だってBeatlesのだってStonesのだって、黒人音楽なくてはなかった。
黒人音楽は全人類の郷愁を誘うー
センティメントやポエジーの故郷か。
だってホモ・サピエンスの故郷だものな、アフリカは。
九月からまた頑張ります
今朝は4時過ぎに自転車乗りに出た。
夏至からもう2ヶ月近く経ったのだ、当然日の出に程遠い。
しかしそれがいいのだ。
秋の虫たちの声を聞くなら、暗い方が好都合だ。
砧公園もいいのだが、二子玉川の多摩川河川敷へと向かった。
途中の小さな公園の木々ではアオマツムシが鳴いている。
何度も言うが、この最近の外来種の鳴き声は好きなれない。
東京でスズムシはまず出会えないので、今最も聴きたいのはエンマコオロギによる
涼しげな木管楽器のごとき音の連符。
たくさん聞けた。
台風が去って以来、やはり空気が入れ替わったので少し涼しい。
涼しいけれど、湿度が高くてやはり本格的初秋とは言いがたい。
狛江を経て成城4丁目の野川へ。
夜は明けたけれど、どんよりした空。
丘からの眺めでも、視界は多摩丘陵止まり。
*
音楽活動が停滞している。
私の責任だ。
お願いしている楽友たちがきっと頑張ってくれているところで、
私が次の展望を拓けないでいる。
楽友たちが仕事の合間を縫って協力してくれている中、
私は私の作業をしなければいけないのに、過日の音楽会以来、何もしていない。
夏期講習ということもあるのだけれど。
誕生日が過ぎて9月に入り、夏休みをいただいてから、9月第2週より
また作業を進めていく。
そう誓う。
夏至からもう2ヶ月近く経ったのだ、当然日の出に程遠い。
しかしそれがいいのだ。
秋の虫たちの声を聞くなら、暗い方が好都合だ。
砧公園もいいのだが、二子玉川の多摩川河川敷へと向かった。
途中の小さな公園の木々ではアオマツムシが鳴いている。
何度も言うが、この最近の外来種の鳴き声は好きなれない。
東京でスズムシはまず出会えないので、今最も聴きたいのはエンマコオロギによる
涼しげな木管楽器のごとき音の連符。
たくさん聞けた。
台風が去って以来、やはり空気が入れ替わったので少し涼しい。
涼しいけれど、湿度が高くてやはり本格的初秋とは言いがたい。
狛江を経て成城4丁目の野川へ。
夜は明けたけれど、どんよりした空。
丘からの眺めでも、視界は多摩丘陵止まり。
*
音楽活動が停滞している。
私の責任だ。
お願いしている楽友たちがきっと頑張ってくれているところで、
私が次の展望を拓けないでいる。
楽友たちが仕事の合間を縫って協力してくれている中、
私は私の作業をしなければいけないのに、過日の音楽会以来、何もしていない。
夏期講習ということもあるのだけれど。
誕生日が過ぎて9月に入り、夏休みをいただいてから、9月第2週より
また作業を進めていく。
そう誓う。
成城3、4丁目讃歌
台風一過で空は澄み渡っている。
しかし暑い。
成城方面へpotteringに出て、仙川沿いなどで多くの高齢者とすれ違った。
「あ、俺もそうか」と気づく。
しかし多くが私より先輩だと・・・信じたい。
成城7丁目の仙川沿いの街並みは、成城の核心2、3、4、5、6丁目に比べれば
「成城協定」もないところだから余裕ある敷地を持つ家は少なく、
密集度が高いのだが、居住者の品の良さを感じる佇まいがある。
歩道の木々は多種ではあるが、今は百日紅が十数メートルおきにあって、
色とりどりの花をつけ、青い空との対照美しく、心和ませてくれる。
そこから9丁目を経て、4丁目、3丁目と自転車散歩は続く。
私の成城讃歌は縁がない人間の羨望の発露でしかないと思われるかもしれない。
まあ、羨望がないはずもないので、それは認めてもちっとも構わないけれど、
そんなことより、国分寺崖線の環境を極力守りつつの居住者らの生活ぶりが好ましく、
この点こそが私の成城讃歌の肝心なところなのだ。
豪邸だらけの3丁目に信号のある交差点があって、
その交差するいずれの道路も交通量は昼でも少ない。
早朝ともなればほとんどないと言っても過言ではないところだ。
そこへ私が差しかかる数十メートル前、ジョギングする40代と思しき男性が、
赤信号を守って、スポーツ・ウォッチを見たり、
いじったりしつつ横断歩道の端にいるのだ。
信号が青になって、彼は走り出した。
交通法規遵守、当たり前のことだけれど、私は感心した。
そのまま進んで、やはり3丁目、左に曲がってまっすぐ数百メートル行けば
成城学園前駅の南口に通じる交差点で、
今度は女子高校生が同じように信号をしっかり遵守するー
先のjoggerの時と同様、一台のクルマも通らないという状況でだ。
感心は感動に変わった。
「民度」という言葉を使うのはよほど慎重でなければならないと常々思っているが、
そしてむろんあの辺りの住人でも例外はいるに違いないのだろうけれど、
成城の特に国分寺崖線付近の3丁目、4丁目の民度は高い、と感じる。
今朝のことばかりではない。
狛江市東野川に住んでいたもう30年以上前からずっと成城のこの地区にも頻繁に
足を運んできての感想だ。
なるほど都内屈指の<高級>住宅地であるはずだ。
その3丁目や4丁目の国分寺崖線際から見えた富士はすばらしかった。
はっきりくっきり。
住民たちはこの気高い眺めを求め、崖線の木立がもたらす静謐、
崖線下の水(野川)の潤いを求めたがゆえにここに居を構えたのだ。
もう一回。
なるほど都内屈指の<高級>住宅地であるはずだ。
しかし暑い。
成城方面へpotteringに出て、仙川沿いなどで多くの高齢者とすれ違った。
「あ、俺もそうか」と気づく。
しかし多くが私より先輩だと・・・信じたい。
成城7丁目の仙川沿いの街並みは、成城の核心2、3、4、5、6丁目に比べれば
「成城協定」もないところだから余裕ある敷地を持つ家は少なく、
密集度が高いのだが、居住者の品の良さを感じる佇まいがある。
歩道の木々は多種ではあるが、今は百日紅が十数メートルおきにあって、
色とりどりの花をつけ、青い空との対照美しく、心和ませてくれる。
そこから9丁目を経て、4丁目、3丁目と自転車散歩は続く。
私の成城讃歌は縁がない人間の羨望の発露でしかないと思われるかもしれない。
まあ、羨望がないはずもないので、それは認めてもちっとも構わないけれど、
そんなことより、国分寺崖線の環境を極力守りつつの居住者らの生活ぶりが好ましく、
この点こそが私の成城讃歌の肝心なところなのだ。
豪邸だらけの3丁目に信号のある交差点があって、
その交差するいずれの道路も交通量は昼でも少ない。
早朝ともなればほとんどないと言っても過言ではないところだ。
そこへ私が差しかかる数十メートル前、ジョギングする40代と思しき男性が、
赤信号を守って、スポーツ・ウォッチを見たり、
いじったりしつつ横断歩道の端にいるのだ。
信号が青になって、彼は走り出した。
交通法規遵守、当たり前のことだけれど、私は感心した。
そのまま進んで、やはり3丁目、左に曲がってまっすぐ数百メートル行けば
成城学園前駅の南口に通じる交差点で、
今度は女子高校生が同じように信号をしっかり遵守するー
先のjoggerの時と同様、一台のクルマも通らないという状況でだ。
感心は感動に変わった。
「民度」という言葉を使うのはよほど慎重でなければならないと常々思っているが、
そしてむろんあの辺りの住人でも例外はいるに違いないのだろうけれど、
成城の特に国分寺崖線付近の3丁目、4丁目の民度は高い、と感じる。
今朝のことばかりではない。
狛江市東野川に住んでいたもう30年以上前からずっと成城のこの地区にも頻繁に
足を運んできての感想だ。
なるほど都内屈指の<高級>住宅地であるはずだ。
その3丁目や4丁目の国分寺崖線際から見えた富士はすばらしかった。
はっきりくっきり。
住民たちはこの気高い眺めを求め、崖線の木立がもたらす静謐、
崖線下の水(野川)の潤いを求めたがゆえにここに居を構えたのだ。
もう一回。
なるほど都内屈指の<高級>住宅地であるはずだ。
When I Get Home
台風接近中、940ヘクトパスカル辺りでの関東沖襲来だそう。
これほどの低い気圧で関東へ来るのは例がないとある気象予報士が言っていた。
怖いのは暴風だ。
どうなることか。
*
誕生日が近くなってきて、あらためて爺さんになったなあと実感するのは、
Beatlesを聴くとあまりの感動で嗚咽してしまうときだ。
Nowhere Manなどは、もう、どうにもならない。
この曲を兄弟で聴いていた1966年、当時のプレイヤーがあった2階の部屋の様子が
脳裏に浮かんでくる。家はその後建て直しをしたから、跡形もない。
そのレコードを買ってきた本人の長兄が、この歌を何度も聴き、
歌詞カードを見ながら歌ったとき、どんな想いだったのだろうか。
もうその兄はいない。
そしてもちろんこの歌を作り歌ったJohn Lennonだ。
空前のスターダムに伸し上がりながら、「どこにもいない男」である「彼」と言いつつ、
自分のことを歌ったのだ。
PaulもGeorgeもRingoも最高のパフォーマンスを聴かせてくれる。
これしかないというベース・プレイ、ギター・プレイ、ドラムス・プレイで
Johnの歌世界に貢献するのだ。
当時私は小3か小4、いくら5、6歳でBeatlesの洗礼を受けていたとは云え、
あまりの曲の凄さに圧倒されたことをありあり思い出す。
いきなりの圧倒的なアカペラ3部合唱、Fender StratocasterをGeorgeとJohnが
ユニゾンで弾いたソロは圧巻で、ギラギラキラキラなtreble音が骨の髄まで響き、
振動し、「こんな音、聞いたことがない!」と何度も何度もプレイバックしてほとんど
中毒になった。そしてどれほどエレキギターが欲しくなったことか!
もちろん私を泣かせるのはNowhere Manだけではない。
Beatlesのそれぞれの曲に結びつく<あの風景、あの寒暖、湿度、あの思い>がある。
例えばPenny Laneは、中2の時、初めて自転車で會津盆地へと遠征した
帰りの、藤峠辺りでヒーヒー言いながらも、いよいよ我が町まで下りばかりになるぞ
という歓喜と結びついている。
その23年後、Liverpoolを訪れてPenny Laneを実際に歩き、
ウォークマンでそのPaulの傑作を聴きながらも、故郷の藤峠を思い出していた。
帰省は九月になるが、Beatlesを思い出の場所で思い切り聴こう。
これほどの低い気圧で関東へ来るのは例がないとある気象予報士が言っていた。
怖いのは暴風だ。
どうなることか。
*
誕生日が近くなってきて、あらためて爺さんになったなあと実感するのは、
Beatlesを聴くとあまりの感動で嗚咽してしまうときだ。
Nowhere Manなどは、もう、どうにもならない。
この曲を兄弟で聴いていた1966年、当時のプレイヤーがあった2階の部屋の様子が
脳裏に浮かんでくる。家はその後建て直しをしたから、跡形もない。
そのレコードを買ってきた本人の長兄が、この歌を何度も聴き、
歌詞カードを見ながら歌ったとき、どんな想いだったのだろうか。
もうその兄はいない。
そしてもちろんこの歌を作り歌ったJohn Lennonだ。
空前のスターダムに伸し上がりながら、「どこにもいない男」である「彼」と言いつつ、
自分のことを歌ったのだ。
PaulもGeorgeもRingoも最高のパフォーマンスを聴かせてくれる。
これしかないというベース・プレイ、ギター・プレイ、ドラムス・プレイで
Johnの歌世界に貢献するのだ。
当時私は小3か小4、いくら5、6歳でBeatlesの洗礼を受けていたとは云え、
あまりの曲の凄さに圧倒されたことをありあり思い出す。
いきなりの圧倒的なアカペラ3部合唱、Fender StratocasterをGeorgeとJohnが
ユニゾンで弾いたソロは圧巻で、ギラギラキラキラなtreble音が骨の髄まで響き、
振動し、「こんな音、聞いたことがない!」と何度も何度もプレイバックしてほとんど
中毒になった。そしてどれほどエレキギターが欲しくなったことか!
もちろん私を泣かせるのはNowhere Manだけではない。
Beatlesのそれぞれの曲に結びつく<あの風景、あの寒暖、湿度、あの思い>がある。
例えばPenny Laneは、中2の時、初めて自転車で會津盆地へと遠征した
帰りの、藤峠辺りでヒーヒー言いながらも、いよいよ我が町まで下りばかりになるぞ
という歓喜と結びついている。
その23年後、Liverpoolを訪れてPenny Laneを実際に歩き、
ウォークマンでそのPaulの傑作を聴きながらも、故郷の藤峠を思い出していた。
帰省は九月になるが、Beatlesを思い出の場所で思い切り聴こう。
2024年8月15日に思う
およそ310万の命が奪われた15年にわたる先の戦争に日本が敗れて79年。
つまり79年間は一応平和なままだった、ということにもなる。
私は徴兵されることもなく生きて来られた。
ありがたい、幸福な世代に生まれたと言っていい。
だからこそ、この平和をつないでいかなければならないと思ってきた。
そのために何ができたかと問われれば恥入るところもある。
それでも、無力感を抱えつつも、Peace & Loveを歌っていくしかない。
黙祷。
*
台風が明日関東を襲うという。
地震が伴うことはないのだろうか。
何があってもおかしくはない。
There is no telling what will happen.
昨日高2の諸君に「動名詞」のことをお話ししながら引いた例文だ。
戦争は天災と違って避けうる・・・
そう思いつつ、戦争をしてしまう人間の性がnaturalなことだったら、とふと思った。
*
「a convicted felon」ー既決重犯罪者。
GOP(Grand Old Party=Republican Party)という歴史あるアメリカの政党が、
convicted felonを党首、大統領候補に戴いて選挙戦に入っていることの異常。
「Republicans for Harris」という良心のある共和党員が糾合しているようだが、
信じがたい人物が一度は大統領になったのだからアメリカは病んでいるとしか
言いようがなかったし、再選を今も目指しているのだから、ほとんど狂気だ。
翻って日本はどうだ。
首相候補が世襲議員だらけで唖然とする。
世襲でもまだ能力があり、国民へのcompassionがあればと思うが、
候補の顔ぶれを見ていてうんざりする。
なんでこれだけの不祥事をしでかしてきた政党がのうのうと次期内閣のことを云々
できるのか。
少なくとも2つの「先進国」のこれが実態だ。
Kamalaが言う「We're not going back!」の決意、思いが、
アメリカを覆い、日本にも伝播したらいいなと願う。
*
YouTubeを見ていると、もちろん私の嗜好に合わせての「おすすめ」なのだが、
アメリカで「七人の侍」の4K版が劇場で見られるというtrailerを目にした。
世界中に「史上最高の映画」と絶賛する人がいるのだ。
コメントを読んでいると涙が出る。
志村喬さん演じる勘兵衛が、縁もゆかりもない農民の子を救うため、
侍の象徴たる髷を落とし、剃髪し、僧侶になりすますシーンは
世田谷区大蔵に在った東宝のオープンセットで撮影された。
剃髪のための湿りには、そこを流れる仙川の水が使われた。
子を人質にした悪党は、水戸黄門役で有名な東野英治郎さんが演じた。
オープンセットのすぐ近くには「はけ(国分寺崖線下の湧水)」があり、
今は親水公園のようになり、私の安らぎの場のひとつだ。
菊千代(=三船敏郎さん)が、戦火の中、泣き叫ぶ小さな子を抱いて、
「この子は俺だ、俺もこの通りだったんだ!」と言って号泣するシーンがある。
彼は侍ではなく、百姓の倅であったのだ。
そしてやはり戦国の混乱の中、武器を持つ輩に村を、親を蹂躙された過去があったのだ。
ガザで生まれたばかりの双子を失った父親の痛ましい慟哭の様子がXで流れた。
重なった。
愚かな人類め!
つまり79年間は一応平和なままだった、ということにもなる。
私は徴兵されることもなく生きて来られた。
ありがたい、幸福な世代に生まれたと言っていい。
だからこそ、この平和をつないでいかなければならないと思ってきた。
そのために何ができたかと問われれば恥入るところもある。
それでも、無力感を抱えつつも、Peace & Loveを歌っていくしかない。
黙祷。
*
台風が明日関東を襲うという。
地震が伴うことはないのだろうか。
何があってもおかしくはない。
There is no telling what will happen.
昨日高2の諸君に「動名詞」のことをお話ししながら引いた例文だ。
戦争は天災と違って避けうる・・・
そう思いつつ、戦争をしてしまう人間の性がnaturalなことだったら、とふと思った。
*
「a convicted felon」ー既決重犯罪者。
GOP(Grand Old Party=Republican Party)という歴史あるアメリカの政党が、
convicted felonを党首、大統領候補に戴いて選挙戦に入っていることの異常。
「Republicans for Harris」という良心のある共和党員が糾合しているようだが、
信じがたい人物が一度は大統領になったのだからアメリカは病んでいるとしか
言いようがなかったし、再選を今も目指しているのだから、ほとんど狂気だ。
翻って日本はどうだ。
首相候補が世襲議員だらけで唖然とする。
世襲でもまだ能力があり、国民へのcompassionがあればと思うが、
候補の顔ぶれを見ていてうんざりする。
なんでこれだけの不祥事をしでかしてきた政党がのうのうと次期内閣のことを云々
できるのか。
少なくとも2つの「先進国」のこれが実態だ。
Kamalaが言う「We're not going back!」の決意、思いが、
アメリカを覆い、日本にも伝播したらいいなと願う。
*
YouTubeを見ていると、もちろん私の嗜好に合わせての「おすすめ」なのだが、
アメリカで「七人の侍」の4K版が劇場で見られるというtrailerを目にした。
世界中に「史上最高の映画」と絶賛する人がいるのだ。
コメントを読んでいると涙が出る。
志村喬さん演じる勘兵衛が、縁もゆかりもない農民の子を救うため、
侍の象徴たる髷を落とし、剃髪し、僧侶になりすますシーンは
世田谷区大蔵に在った東宝のオープンセットで撮影された。
剃髪のための湿りには、そこを流れる仙川の水が使われた。
子を人質にした悪党は、水戸黄門役で有名な東野英治郎さんが演じた。
オープンセットのすぐ近くには「はけ(国分寺崖線下の湧水)」があり、
今は親水公園のようになり、私の安らぎの場のひとつだ。
菊千代(=三船敏郎さん)が、戦火の中、泣き叫ぶ小さな子を抱いて、
「この子は俺だ、俺もこの通りだったんだ!」と言って号泣するシーンがある。
彼は侍ではなく、百姓の倅であったのだ。
そしてやはり戦国の混乱の中、武器を持つ輩に村を、親を蹂躙された過去があったのだ。
ガザで生まれたばかりの双子を失った父親の痛ましい慟哭の様子がXで流れた。
重なった。
愚かな人類め!
2024 敗戦記念日前に
互いのブログ記事が往復書簡のようになっても、ではありますが、
Mooさんの最新記事の最後のパラグラフー
<この年になってもまだ中学生相手に何かを教える、
一緒に学ぶという時間を持てていることは自分でも本当に不思議。
正直に書けば、内心では(精神的には)、かつて富山や東京で生徒たちの前に立って
いた頃と少しも変わっていないのです。しかし、相手にしてみれば「くしゃくしゃな
顔をした爺さま」が目の前にいるわけですから、こちらが思っているようには
受け止めてはくれないでしょう。ただ、その精神的な「若さ」は、それなりに表にも
現れて双方の距離をある程度は縮めてくれるでしょうし、お互いに学ぼうとする
気持ちは、相手にも伝わるはずですよね。そのことを信じて、あと少し、頼って来て
くれる子のために、全力投球したいなと思っているこの頃です。>
には激しく同感と言わせていただきたい。
私はしかしSkypeでの授業であって、「3D」では生徒さんらと接していません。
だからどうしても私の熱意が体全体から発しているのを感じさせられないのが
もどかしく、その点Mooさんがうらやましいのです。
どんなに皺くちゃな顔をした老教師であっても、学問への誠実さ、
それゆえの熱意は、どんな世代の生徒にであっても通じるものですよね。
教師の熱意の息吹はやはり生徒らが教室で感じてこそだろうと思うのです。
遠隔授業の場合はそれが半減くらいになってしまう。
「spire」という語根は息をする音からできたとされており、
そこに「中へ」を表す「in」という接頭辞がついて、inspire、すなわち「吹き込む」、
インスピレーションを与える、ということになります。
「なるほど言語というのはおもしろいな」と生徒さんらがinspireされる瞬間が
一回でもあればいいなといつも思って授業をしています。
*
TrumpがMuskと会談した。
その中、こんな会話があって、Xにclipされた。
Musk: "Hiroshima and Nagasaki were bombed but now they're full cities again."
Trump: "That's great. That's great."
Musk: "Yeah so it's not as scary as people think."
Musk: it's not even dangerous in Fukushima. I actually flew there and ate locally
grown vegetables on TV to prove it.
私は2年ぶりくらいにrepostした。
I'm at a loss for words... I'm writing this on X(what a lame name) owned by
the very person that virtually said nuclear war is not so scary.
William Horanという人が、Muskに対しこう書いていて、私は共感した。
I'm not saying he's wrong that Fukushima is safe,
but there's a big difference between going once and living there.
You can visit the Chernobyl plant once with minimal protection and most
likely have no negative effect, but you cannot live nearby and be safe.
Muskは富岡町や大熊町にXやTeslaの本社と大邸宅でも建ててそこに住めばいい。
日本政府は大歓迎して、優遇措置をとってくれるだろうよ。
彼は広島と長崎には行ったのだろうか。
資料館を見て、それでも「人が思うほど怖くはない」と思ったのだろうか。
人でなし。
*
昔書いたことがあるが、私が中学3年の時、1日だけ「You先生」が代講で来られた。
彼は暗い感じの中年男性で、神経質な感じが横溢していた。口付近に傷があった。
彼は女子2人のちょっとしたおしゃべりを見咎めて、キレた。
凄まじい言葉で罵った後、
「俺はな、戦争でな、数秒前まで言葉を交わしていた友だちの兵士がな、
頭部全体が吹っ飛ばされるのを見たんだぞ!
きさまらのようなチャラチャラした小娘に舐められてたまるか!」
女子二人を叱りつけるにしても唐突な話だった。
けれども、「You先生」にはその痛ましい体験が以来全く頭から離れないことなのだと
私は痛感した。口の傷も、きっと戦傷だったのだろう。
今思い出してみると、顔には火傷の痕があったようにも思える。
私は現下の「夏期講習」で、長い授業時間の間にこの「You先生」の話を
2つのクラスでした。
戦争をする国になったら、若者が先生と同じ体験をするかもしれない。
現にウクライナ兵やロシア兵が同じような目に遭っているのだ、と。
私には上司の校長や教頭や学年主任はいないから、こんな話を躊躇なく授業に挟む。
殺す勿れ、殺される勿れ、と、
Mooさんの最新記事の最後のパラグラフー
<この年になってもまだ中学生相手に何かを教える、
一緒に学ぶという時間を持てていることは自分でも本当に不思議。
正直に書けば、内心では(精神的には)、かつて富山や東京で生徒たちの前に立って
いた頃と少しも変わっていないのです。しかし、相手にしてみれば「くしゃくしゃな
顔をした爺さま」が目の前にいるわけですから、こちらが思っているようには
受け止めてはくれないでしょう。ただ、その精神的な「若さ」は、それなりに表にも
現れて双方の距離をある程度は縮めてくれるでしょうし、お互いに学ぼうとする
気持ちは、相手にも伝わるはずですよね。そのことを信じて、あと少し、頼って来て
くれる子のために、全力投球したいなと思っているこの頃です。>
には激しく同感と言わせていただきたい。
私はしかしSkypeでの授業であって、「3D」では生徒さんらと接していません。
だからどうしても私の熱意が体全体から発しているのを感じさせられないのが
もどかしく、その点Mooさんがうらやましいのです。
どんなに皺くちゃな顔をした老教師であっても、学問への誠実さ、
それゆえの熱意は、どんな世代の生徒にであっても通じるものですよね。
教師の熱意の息吹はやはり生徒らが教室で感じてこそだろうと思うのです。
遠隔授業の場合はそれが半減くらいになってしまう。
「spire」という語根は息をする音からできたとされており、
そこに「中へ」を表す「in」という接頭辞がついて、inspire、すなわち「吹き込む」、
インスピレーションを与える、ということになります。
「なるほど言語というのはおもしろいな」と生徒さんらがinspireされる瞬間が
一回でもあればいいなといつも思って授業をしています。
*
TrumpがMuskと会談した。
その中、こんな会話があって、Xにclipされた。
Musk: "Hiroshima and Nagasaki were bombed but now they're full cities again."
Trump: "That's great. That's great."
Musk: "Yeah so it's not as scary as people think."
Musk: it's not even dangerous in Fukushima. I actually flew there and ate locally
grown vegetables on TV to prove it.
私は2年ぶりくらいにrepostした。
I'm at a loss for words... I'm writing this on X(what a lame name) owned by
the very person that virtually said nuclear war is not so scary.
William Horanという人が、Muskに対しこう書いていて、私は共感した。
I'm not saying he's wrong that Fukushima is safe,
but there's a big difference between going once and living there.
You can visit the Chernobyl plant once with minimal protection and most
likely have no negative effect, but you cannot live nearby and be safe.
Muskは富岡町や大熊町にXやTeslaの本社と大邸宅でも建ててそこに住めばいい。
日本政府は大歓迎して、優遇措置をとってくれるだろうよ。
彼は広島と長崎には行ったのだろうか。
資料館を見て、それでも「人が思うほど怖くはない」と思ったのだろうか。
人でなし。
*
昔書いたことがあるが、私が中学3年の時、1日だけ「You先生」が代講で来られた。
彼は暗い感じの中年男性で、神経質な感じが横溢していた。口付近に傷があった。
彼は女子2人のちょっとしたおしゃべりを見咎めて、キレた。
凄まじい言葉で罵った後、
「俺はな、戦争でな、数秒前まで言葉を交わしていた友だちの兵士がな、
頭部全体が吹っ飛ばされるのを見たんだぞ!
きさまらのようなチャラチャラした小娘に舐められてたまるか!」
女子二人を叱りつけるにしても唐突な話だった。
けれども、「You先生」にはその痛ましい体験が以来全く頭から離れないことなのだと
私は痛感した。口の傷も、きっと戦傷だったのだろう。
今思い出してみると、顔には火傷の痕があったようにも思える。
私は現下の「夏期講習」で、長い授業時間の間にこの「You先生」の話を
2つのクラスでした。
戦争をする国になったら、若者が先生と同じ体験をするかもしれない。
現にウクライナ兵やロシア兵が同じような目に遭っているのだ、と。
私には上司の校長や教頭や学年主任はいないから、こんな話を躊躇なく授業に挟む。
殺す勿れ、殺される勿れ、と、
Moo teaches English, too
Mooさんが数学を教えておられる中学生に請われて英語も見ることになったと。
(中1のおさらいをしたというのだから現在中2ですかね。)
まず思ったのは、国立大卒者はalmighyだから、どんな教科もOKだろうと思われて
しまうんだなあ、ということ。
実際、Mooさんはどんな教科も教えられるんじゃないですか。
数学は東北大の理学部数学科仕込みでプロ中のプロ、
「ひろし」という名前ゆえ、博学でいらっしゃるから、文系科目だって中学内容なら
なんら問題ないでしょうね。字の上手さはそこらの国語教師も青くなるほど。
社会なら公民系ではこれまたプロ並みにお教えになることでしょう。
私が中学生1、2年生に英語を教える際何よりも大事と思っているのは、
生徒に「be動詞世界と一般動詞世界」が分別できるようにすることです。
小学校の国語で「主語は何だ、どんなだ、どうする」という主述の3パターンを
習うはずですが、世界の何千とある言語はすべてこの3パターンを記述論述するために
あると言ってもいいわけです。日本語も英語ももちろんその点で同じです。
「何だ、どんなだ」と「どうする」という非動作と動作についての述部で、
前2者ではbe動詞、後者では一般動詞を用いることをしっかり意識させます。
例えば、
( )you a newcomer?
では、英語ができない、嫌いな子は、be動詞を習っている時期なら「Are」を入れる
かもしれませんが、一般動詞を習っている時期だと「Do」を入れてしまうことが
往々にしてあるのです。根本的に分かっていない証拠です。
「主語は何だ、どんなだ、どうする」を日本語文でパターン分けするのはほぼ
どんな生徒もできます。それをbe動詞と一般動詞の違いの理解につなげます。
これが分かると、現在進行形も容易に理解できます。
be動詞は「=」の働きをする「だ、です」と「いる、ある」という存在を述べる意味も
あります。「I'm in Nagano now.」などの文は中学生でも
簡単に「今私は長野にいます」と訳すことができます。
現在進行形は「〜している」です。
am/are/is + ~ingですね。
「ing」が「して」に当たり(原形は「する」に当たります)、be動詞が「いる」に
相当するわけです。
私が中2の子を初めて担当するとき、まず彼ら彼女らに現在進行形について質問します。
「私は泳いでいます」を何と言いますか、などと訊きます。
中には「I swimming」などと答える子が必ずいます。
「進行形はing」とだけ印象的に覚えているのです。
私はその時、「それじゃあ、『私は泳いで』で終わってるよ」と指摘します。
「『います』がないんだよ」と。
そこから上で述べたbe動詞と一般動詞について復習をさせるのです。
まあ、これは初歩英語教授の一例にすぎませんが。
つづりについては、ヒント(つづりの法則性)を与えられるところは与えますが、
なにしろ生徒の地道な努力こそ、です。
おっしゃる通り、私たちの頃の英語教科書とは様変わり甚だしい現在です。
会話が中心であって、説明文すらある登場人物の口語での発表という形になります。
また、旅行などで想定しうる実際の英会話場面もユニット末に独立してページが
割かれています。「使える英語」を意識した編集ですね。
生徒が英語をいつかは実際に使う機会があるかもしれない、
あればいいな、と思わせるように導きたいものです。
昨日記した、jazz dance教室にも通う私が1年の最初から英語を教えている中3女子は、
自分がステージ上のこういう衣装のダンサーだと私に教えつつ、
「それとー」と書いて、「better」の発音の仕方を教えてほしいと続けました。
「イギリス発音の方がきっと日本人には模倣しやすい」と私は言いましたが、
hiphopが好きな彼女は「アメリカ式がいいのです」と譲らない。
この子は英語5をずっととり続けている優秀な生徒でもあります。
きっとアメリカに行って踊ってみたいのではないでしょうか。
そういうmotivationを自ずから持てる生徒は教えるのも楽です。
とまれ、何かまた英語教授上の問題がありましたら、遠慮なくご質問ください。
(中1のおさらいをしたというのだから現在中2ですかね。)
まず思ったのは、国立大卒者はalmighyだから、どんな教科もOKだろうと思われて
しまうんだなあ、ということ。
実際、Mooさんはどんな教科も教えられるんじゃないですか。
数学は東北大の理学部数学科仕込みでプロ中のプロ、
「ひろし」という名前ゆえ、博学でいらっしゃるから、文系科目だって中学内容なら
なんら問題ないでしょうね。字の上手さはそこらの国語教師も青くなるほど。
社会なら公民系ではこれまたプロ並みにお教えになることでしょう。
私が中学生1、2年生に英語を教える際何よりも大事と思っているのは、
生徒に「be動詞世界と一般動詞世界」が分別できるようにすることです。
小学校の国語で「主語は何だ、どんなだ、どうする」という主述の3パターンを
習うはずですが、世界の何千とある言語はすべてこの3パターンを記述論述するために
あると言ってもいいわけです。日本語も英語ももちろんその点で同じです。
「何だ、どんなだ」と「どうする」という非動作と動作についての述部で、
前2者ではbe動詞、後者では一般動詞を用いることをしっかり意識させます。
例えば、
( )you a newcomer?
では、英語ができない、嫌いな子は、be動詞を習っている時期なら「Are」を入れる
かもしれませんが、一般動詞を習っている時期だと「Do」を入れてしまうことが
往々にしてあるのです。根本的に分かっていない証拠です。
「主語は何だ、どんなだ、どうする」を日本語文でパターン分けするのはほぼ
どんな生徒もできます。それをbe動詞と一般動詞の違いの理解につなげます。
これが分かると、現在進行形も容易に理解できます。
be動詞は「=」の働きをする「だ、です」と「いる、ある」という存在を述べる意味も
あります。「I'm in Nagano now.」などの文は中学生でも
簡単に「今私は長野にいます」と訳すことができます。
現在進行形は「〜している」です。
am/are/is + ~ingですね。
「ing」が「して」に当たり(原形は「する」に当たります)、be動詞が「いる」に
相当するわけです。
私が中2の子を初めて担当するとき、まず彼ら彼女らに現在進行形について質問します。
「私は泳いでいます」を何と言いますか、などと訊きます。
中には「I swimming」などと答える子が必ずいます。
「進行形はing」とだけ印象的に覚えているのです。
私はその時、「それじゃあ、『私は泳いで』で終わってるよ」と指摘します。
「『います』がないんだよ」と。
そこから上で述べたbe動詞と一般動詞について復習をさせるのです。
まあ、これは初歩英語教授の一例にすぎませんが。
つづりについては、ヒント(つづりの法則性)を与えられるところは与えますが、
なにしろ生徒の地道な努力こそ、です。
おっしゃる通り、私たちの頃の英語教科書とは様変わり甚だしい現在です。
会話が中心であって、説明文すらある登場人物の口語での発表という形になります。
また、旅行などで想定しうる実際の英会話場面もユニット末に独立してページが
割かれています。「使える英語」を意識した編集ですね。
生徒が英語をいつかは実際に使う機会があるかもしれない、
あればいいな、と思わせるように導きたいものです。
昨日記した、jazz dance教室にも通う私が1年の最初から英語を教えている中3女子は、
自分がステージ上のこういう衣装のダンサーだと私に教えつつ、
「それとー」と書いて、「better」の発音の仕方を教えてほしいと続けました。
「イギリス発音の方がきっと日本人には模倣しやすい」と私は言いましたが、
hiphopが好きな彼女は「アメリカ式がいいのです」と譲らない。
この子は英語5をずっととり続けている優秀な生徒でもあります。
きっとアメリカに行って踊ってみたいのではないでしょうか。
そういうmotivationを自ずから持てる生徒は教えるのも楽です。
とまれ、何かまた英語教授上の問題がありましたら、遠慮なくご質問ください。
盆の入り
早く秋風が吹いてほしいなあ。
と言いつつ、秋が来て、また<あの>年末が来る。
私は12月がことのほか好きだ。
大好きな冬至が来るし、クリスマス、そして年の瀬の賑わいがあるー
東京では晩い秋が師走にあって、樹木の葉が最後の輝きを見せてくれるし。
しかしそれを楽しんでいると、年が改まる。
また齢を重ねるのだ。
私はできるだけ今生を楽しみたい。
あの世に行ってもおそらく今生とは違ったかたちでこの世の美しさを楽しめると
信じたいし信じているけれど、まだ肉体を持ってこの世の四季の移り変わりを愛でたい。
さて、先祖の霊が帰ってくる。
お盆だ。
もういない人たちが、いるー
そう感じる数日間。
いや、別にお盆の時期ばかりにそう感じるのではない。
想起するたび、もういない人たちがいるのだ。
しかしこう娑婆が暑くては、ご先祖様も帰りにくかろうなあ。
と言いつつ、秋が来て、また<あの>年末が来る。
私は12月がことのほか好きだ。
大好きな冬至が来るし、クリスマス、そして年の瀬の賑わいがあるー
東京では晩い秋が師走にあって、樹木の葉が最後の輝きを見せてくれるし。
しかしそれを楽しんでいると、年が改まる。
また齢を重ねるのだ。
私はできるだけ今生を楽しみたい。
あの世に行ってもおそらく今生とは違ったかたちでこの世の美しさを楽しめると
信じたいし信じているけれど、まだ肉体を持ってこの世の四季の移り変わりを愛でたい。
さて、先祖の霊が帰ってくる。
お盆だ。
もういない人たちが、いるー
そう感じる数日間。
いや、別にお盆の時期ばかりにそう感じるのではない。
想起するたび、もういない人たちがいるのだ。
しかしこう娑婆が暑くては、ご先祖様も帰りにくかろうなあ。
May the girls be able to keep dancing
今日はこれから比較的長時間の仕事があるので、気が重い。
とにかく暑くて、冷房の効いた部屋にいるしかないのだ。
自堕落である。
部屋で運動とかもする気になれず。
そして部屋でやることと云えば、YouTube視聴である。
今日は地震学系のあるYouTuberのを主に見ている。
この人は、4日前の日向灘地震発生を言い当てていた。
むろん占いとかではない、データに基づいた予測だった。
そしてこの人は、かなり確定的な直近にとは言っていないが、
関東とその周辺の大地震、富士山噴火、そして糸魚川=静岡構造線上の特に青木湖
(大町市北部)より南での大地震もいつ起こってもおかしくはないと言っている。
いや、そりゃそうなんですよ。
いつ起こってもおかしくない地震ばかりなんです、日本では。
それでも特に、ということなんですね。
昨日私が英語を教えている中3の女子がメールをくれて、
過日行われた大町市の「やまびこ祭り」で彼女がダンスを披露したと言うので、
YouTubeでそのシーンを見て絶句したのだった。
私がSkype上で認知している彼女とは全く異なる容姿で、
ほとんどセミ・プロのようにヒップホップの音楽に合わせ踊っているのだ。
画質が良くないから、今でも彼女だとははっきり認識できていないが、
服装などの情報でその子でしかありえないのだ。
彼女は地元のjazz danceスクールに通っている少女の一人で、
「祭り」では年少から彼女の属す「中2以上」の数グループが交互に踊っていた。
総勢60名くらいか。
大町市は人口2万4,5千人規模の街だ。
それでもこんなにダンスを愛好する少女たち(ほとんど女の子だけ)がいるのかと
感心しつつも、地震のことが気になった。
東京だっていつひどい震災に襲われるか分かったものではないが、
YouTuber氏が間近と言う構造線上の神城断層(小谷村の南、白馬村や大町市北部を
走る)が刻々とズレを起こす時が近づいている。
どうか彼女らが楽しくダンスをする大町市でずっとあり続けますようにー
たとえ震災に襲われても。
とにかく暑くて、冷房の効いた部屋にいるしかないのだ。
自堕落である。
部屋で運動とかもする気になれず。
そして部屋でやることと云えば、YouTube視聴である。
今日は地震学系のあるYouTuberのを主に見ている。
この人は、4日前の日向灘地震発生を言い当てていた。
むろん占いとかではない、データに基づいた予測だった。
そしてこの人は、かなり確定的な直近にとは言っていないが、
関東とその周辺の大地震、富士山噴火、そして糸魚川=静岡構造線上の特に青木湖
(大町市北部)より南での大地震もいつ起こってもおかしくはないと言っている。
いや、そりゃそうなんですよ。
いつ起こってもおかしくない地震ばかりなんです、日本では。
それでも特に、ということなんですね。
昨日私が英語を教えている中3の女子がメールをくれて、
過日行われた大町市の「やまびこ祭り」で彼女がダンスを披露したと言うので、
YouTubeでそのシーンを見て絶句したのだった。
私がSkype上で認知している彼女とは全く異なる容姿で、
ほとんどセミ・プロのようにヒップホップの音楽に合わせ踊っているのだ。
画質が良くないから、今でも彼女だとははっきり認識できていないが、
服装などの情報でその子でしかありえないのだ。
彼女は地元のjazz danceスクールに通っている少女の一人で、
「祭り」では年少から彼女の属す「中2以上」の数グループが交互に踊っていた。
総勢60名くらいか。
大町市は人口2万4,5千人規模の街だ。
それでもこんなにダンスを愛好する少女たち(ほとんど女の子だけ)がいるのかと
感心しつつも、地震のことが気になった。
東京だっていつひどい震災に襲われるか分かったものではないが、
YouTuber氏が間近と言う構造線上の神城断層(小谷村の南、白馬村や大町市北部を
走る)が刻々とズレを起こす時が近づいている。
どうか彼女らが楽しくダンスをする大町市でずっとあり続けますようにー
たとえ震災に襲われても。
前の30件 | -