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消滅可能性自治体

窓外を見る。
今日は晴れるようだ、秋晴れだ。
仕事は2つあるが、shooting(videoの)に出ない手はない。
明日からだと至るところ人だらけになるしな。

*

少子高齢化なんてもうとっくの昔に予言されていたし、だから手は打てた。
もちろん先進国化してある程度の出生率低下は避けられなかったにせよ、
今ほどの深刻な事態になるのは防げたはずだ。

FTV(福島テレビ)の過去番組を見ていて、
故郷福島県會津地方の大半が「消滅可能性自治体」であることが報道されていた。
その字面からも絶望的な自治体は、2020年から2050年までに29歳から39歳までの
女性人口が50パーセント以上減少すると見込まれると言うのだ。
我が郷土の町はおろか、會津の中心の會津若松や喜多方も含まれている。

全国ではその数744(全1718自治体中)、福島県では33だと言う。
全国の約43パーセントの自治体が消滅する可能性を有する、と。

なくなるものはなくなればいいという考えもある。
人口減少は逆にチャンスだなどと言う政治家もいる。
コンパクトな国なればよかろうと。
それが正論か暴論かは私には分からないが、
人口増減は自然現象とは言い難いことであり、ほぼ人為であって、
人為的な選択の結果だろう。
特に女性が子を産む産まない(産める・産めない)を判断する最終的主体だから、
ある女性が生涯ゼロ出産や1人だけ出産を選択するなら
政治家もあらゆる他者も口出しすべきことではないし、
そういう女性が大勢を占めたら、理屈上自治体も国も移民を入れぬ限り
消滅するのは<しかたがない>ことだ。

私が、故郷に住む人がいなくなっていて、荒廃しているのを今生見ることはない。
故郷を消滅ギリギリで去った者たちだけが、ある日戻ってみてそれを体験するのだ。
その彼・彼女はどう思うだろう。

町の歴史は古文書など全て電子アーカイブ化され、
近隣で存続している自治体の<お荷物>になるということか。

「今は草原や森林地帯になっているあの辺りに西会津町というのが在りました。
飯豊連峰の遠景の美しさはおそらく随一で、その展望スペースは残っていますね。
町についての全ての資料は今、旧郡山市、今は『郡山中通り中部・会津広域連合市』の
『消滅自治体資料館』にあります。

この資料館には他の中通りと會津の消滅自治体すべてのデータがあり、
それは電子化されていますからいいのですが、文化遺産の<現物>の保存は厄介で、
またスペースもとりますし、閲覧あるいは観覧する方はほとんどおりませんので、
郡山広域連合市としても頭を抱えておりましてね。

こうした広域連合市は全国各地にあって、同じ問題を抱えています。
県や国の補助も限定的で、今生きている者たちに優先的に予算を使えと言う声も
日に日に強くなっておりましてね。
住んでいる人がいないとは言っても市域ですから、管理はそれなりにせねばならず、
膨大な手間と予算が必要になっていましてね。
ですから、消滅自治体の文化遺産の現物についても、3Dデータ化して、
見たい方の前でホログラムでお見せする方向で検討中です」

などと未来の福島県人が言う日が来るか。


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鬼貫(おにつら)から<つらつら>思うに任せ

おお、寒くなったなあ。
そうなんだよなあ、季節が変わるときって一気なんだ。
ほんのちょっと前まで冷房のためのエアコンなくて生きていけなかったのに。

福島テレビの「空ネット」をYouTubeで視聴している。
気象予報士の斎藤さんが実にいい味出しているんだ。
季節の話題も豊富で、アシスタントのアナウンサーも東京key局のバリバリな
いわゆる「女子アナ(PCにひっかかるか)」にはない(?)まさにlocalな美ー
謙虚さ、控えめさ、清楚さ、そしてなんとなく漂う素人くささがとてもいいのだ。
<田舎におけるそこのローカル・ピーポー自慢の才媛>というか。

https://www.youtube.com/watch?v=uwby_qpTiLI&list=LL&index=4

おとといは福島市の鷲倉が全国で最も寒かった(9.1度)そう。
2位は北海道弟子屈町で12.8度、というのだから、<ふぐしま>は寒いべした!
まあ、その鷲倉は標高が高いらしいんだげんじょも、それにしたって、なあ。

「YouTubeばっかり見ている」とは次兄の弁。
私もそんな感じになっているけれど、CS放送もそれなり見る。
今はあるチャンネルでまた「鬼貫シリーズ」が再放送されていて、
3日前は新井薬師駅周辺がたくさん映り込む回であった。

そう、この中野区に在る新井薬師駅近辺こそKさんが住むところだ。
そのKさんの最新vidを先ほど見ていたら、なんとなんと、「社長」が登場!
相変わらずのハンサムぶりで溜息が出た(って大袈裟な)。

話が錯綜するが、「鬼貫」の大地康雄さんとは砧公園周辺でよく出会う。
ちょっと類例を見ない役者さんだ。
狂気を含むような正に<鬼面>でもあれば、人懐こい笑顔も見せる。
私が実際にすれ違う時の彼はほぼしかめ面と言ってよく、近寄りがたい。

「東中野署」の名刑事鬼貫さん、階級は巡査部長であって、それはないだろう。
難解な謎を解き、犯人を必ず捕まえる彼は、たとえ出世欲がないにしたって
巡査部長はないよ。さすがに警部補(古畑任三郎さんと同じ階級)くらいでないと。
さらに言えば、回を重ねて彼はアパート住まいから一戸建てを購入する。
その家は多摩川に近い狛江市西和泉辺りと思われるのだから、
せめて警部補くらいになっていないと、支払いが厳しすぎるだろうに。

昨日の回(第6話)までの鬼貫刑事の<相棒>は宍戸開さんだった。
故・宍戸錠さんの息子さんで、
Twitterではリベラルな意見を毎日のようにtweetしている。
宍戸錠さんは世田谷区祖師谷4丁目に大豪邸を構えていらした(11年前焼失)。
ここは成城学園の隣で、つまりは仙川のほとり、緑豊かないいところだ。
祖師谷小学校もそこに在り、大昔古畑任三郎=田村正和さんが通った
(その後成城学園に移り、大学まで通われた。自宅は成城4丁目となった)。

おいおい、新井薬師の話はどこへ行った?
Kの会社の社長の話は?

「社長」さんも実はその祖師谷の近くに住んでおられた。
今は都心の方へ移られているけれどもね。

一応、話の筋、通ってっぺ?

*

「社長」さんには私もお世話になった。
<近影>を見られてよかった。

Kの退職慰労の会を持ってくださったようで、松茸の土瓶蒸しなどを堪能している
様子には涎が出そうになった。

・・・おい、K、おまえさんはほんとにリハビリ中なのか!



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Isolation ~On John's 84th Birthday

昨夜雨なのでクルマで多摩川へ。
子猫チロちゃんの38周忌だったのです。
線香3本でオリオンの三つ星になぞらえてー
小雨ながら持ちこたえて輝いてくれました。

そして今日はJohn Lennonの84歳誕生日・・・って空しいけれど。
いや、空しくない。
彼の魂は生き続けています!

*

私と違っていろんな人から好かれるKは、最近會津の旧友からうまい新潟米を
送ってもらい、ピカピカの炊き立てご飯が彼のビデオでこの頃毎日見られます。
私は九月の帰省で地元の新米コシヒカリを入手できて、それを今食べています。
會津米は新潟米に劣らずうまいですよ。

あのね、私は多くの人から好かれたいとは今全く思わないのです。
昔はそのことがミュージシャンとしての成功にもつながるので、
毎日そう思っていたと言っても過言ではないでしょうね。

いやいや、人気者のKくんへ皮肉で言っているんじゃないんです。
Kだって別に人気取りで生きているわけでもなんでもない。
彼は昔から「エーミ」と呼ばれますが、それにかけて自分でamiable(愛想が良い)の
エーミだと言ってきたりしました。
いや、本当にその通りです。彼の人懐こさは折り紙付きです。

もちろん私は彼のようにはなれません。
自分を非社交的な人間とも思いませんが、しかし、齢を重ねるにつれて人付き合いに
億劫さを感じる度合いが強くなっています。

Johnの「Isolation」という歌の歌詞に、

I don't expect you to understand
After you've caused so much pain
But then again, you're not to blame
You're just a human, a victim of the insane

とあり、これはYokoとの仲や彼女との表現活動についていろいろと言われ、
手ひどく傷ついた彼の素直な心情の歌です。

君が理解してくれるなんて思っちゃいないさ
こんなにも苦しめてくれた後に
それでも 繰り返すが 君に罪はないのさ
君はただの人間 狂った者たちの犠牲者なのさ

Johnは凄絶な声でこの部分を歌います。

https://www.youtube.com/watch?v=4YPSp2VSpns

1'27"のところからです。

おお、すばらしいcoverを見つけました。

https://www.youtube.com/watch?v=QWZpORXuan4


・・・そう、「狂った者たちの犠牲者」になりたくないとも若い頃から思っていて、
その思いがいよいよ募りまくって、今、って感じかなあ。

大したこたぁないsingerとして、何を歌おうが、どう歌おうが、
俺の自由だべって、そう言い切って、生きている今の幸せ。

Happy Birthday, John!



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英語が好きになる遺伝子

娘から、我が孫がいよいよ発話、そして歌も歌詞をそれなり明瞭に発音しつつ
唄えるようになった様子を写す動画が昨夜遅くに送られてきました。

これからどんどん言語脳と発話・発声機能が共に発達していくのだなあと思うと
楽しみです。どんなことを考え、言うのかなあ。

孫というのは、4人いる祖父母から見るとそれぞれ自分らとははっきり違う形質が
子よりも多く発現するものでしょうね。当たり前ですね。

それでも、「あ、これは私似だ」と思うところがもちろんある。

またMooさんのことで恐縮ながら、お孫さんの一人が東大へ進まれた。
これは、一応慎重に「おそらく」という副詞をつけておきますが、
おじいちゃんの頭脳をかなりの高確度で受け継がれのだと思います。

私の娘は、私が進んだ大学・学部・学科まで同じところへ行きました。
また次兄の孫も全く同じところへ!
なんなのでしょうか、私の父母&先祖に英語を好きになる遺伝子があったか!?

我が會津の郷土では、石川瑛作が大いに顕彰されています。
彼はアダム・スミスの「国富論(石川は<富国論>と訳出)」を
日本で初めて訳した人で、野口英世の手指の手術をした同郷の渡部鼎と共に女性の
教育などに力を注ぎつつも、惜しくも30歳にならず早逝しました。

この瑛作が出た石川家と、我が母の実家石川家に関係があるのかどうかー
このことについては過去にも何度か書いてきました。

小さな宿場町である我が故郷ー
有史以来いろいろなことがもちろんあったわけで、
埋もれた歴史・事実がそれこそ無数にある。
どうだったんでしょうね、本当に。

もし瑛作の石川家と何かしらの繋がりがあったら、おもしろい。

*

さて、涼しくはなったけれど、東京の湿度は高いまま。
昨日は日中晴れて暑かった(確か30度だった)。
今日は最低最高気温が共に20度になりそうと予報は言っており、珍しいことです。

今朝はこれを書いて、夜明けを迎えてから外へ出ようと思っています。
雲が多いようで、そんなにいい絵面のものは撮れないでしょうが、
それはそれで、曇天の朝の東京もまた一興でしょう。


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流石のご質問

笑った。
下の記事を書いて、さあ出発とsmart phoneを持ったら、
Mooさんからmailが届いているのに気づいた。
ざっと読んで、not as ~ asとnot so ~ asの違いについてのご質問と承知し、
歩きながらつらつら考えた。

以下、こんなご質問でしたー

<同程度を表すのに、as ~ as を使うと簡単に記されていました。
教科書レベルではあまり深入りする必要はないと思うのですが、
将来のために1つ疑問があるので、ご教示願えればありがたいのです。

参考図書やネットで見ると、「as ~ as の否定」は not as ~ as と書いてあるものと
not so ~ as となっているものが見られます。
たとえは、I am as tall as my father.は父と同じくらいの背丈だ、
ということでしょうが、これを否定すると、同じくらいの背丈ではない=
どちらかが大きいとなるはずですね。
ですから、I am not as tall as my father.とするのはすんなり理解できます。

しかし、参考書では否定を「・・・ほど~ではない」と書いているものがあります。
そうすると、上の I am not as tall as my father. は父ほど背が高くないと
訳さなければならなくなり、私の方が低くなって完全な否定にはなりません。

父ほど背が高くないといいたい場合には、I am not so tall as my father.
の方が半否定のようでしっくりきますが、
「as ~ as の否定」を問題にするので、これでは否定にはなりませんね。

このあたりの教え方はどうされているのでしょうか。
悩ましいことがいろいろでてきます。
ブログ上でお答え頂いても構いませんので、よろしくお願いいたします。>


固有のコンテクストや発声上の強調・非強調を顧慮しなければ、
not as ~ asとnot so ~ asは同じと考えて良いと思います。

https://ameblo.jp/bakumatsutaiyoudenn/entry-12806308668.html

上は非常に精緻な考察で、私が駄文を書き連ねるよりよほど参考になる記事です。
お時間がない場合はずっと下までスクロールして、黒文字だらけになっているところに
「全体のまとめ」がありますので、そこを読んでいただければきっと疑問が氷解する
ことと思います。

なお、ご質問中の、私が太字にした部分ですけれども、

I am not as tall as my father.

の文では明らかに「I」の方が背が低いのであって、<どちらか>ではありません。

My height is not the same as my father's.
(私の身長は父の身長とは同一でない。)

と言う意味にはならないのです(この文なら<どちらかが>背が高い、ないしは
背が低いことを意味します)。

I am not as tall...という部分だけで、「私は背が高くない」と言っていますから、
もちろん「私」が「父」より背が低いのです。

なにしろ紛らわしい時は、別の言い方にします。

I'm shorter than my father.
My father is taller than me(I).

と言う、ないしは付け足せば誤解が生じません。

あるいは場合によっては、

My father is a tall man, and you see, I'm tall too,
but he's (much) taller than me.

なお、not as ~ asとnot so ~ asには以下の意味はありませんが、
「父と同じで私は背が高くない」と言いたい場合は、

I'm as short as my father.

I'm not tall, and neither is my father.
などと表現します。


*追記

「鯨構文」と俗に言われる構文で書き換えの例を示しましたが、不適当でした。

I'm not any taller than my father who is short.
(背が低い父と比べ私が背が高いということは全くない。)

みたいな説明的に過ぎる言い方はありうるとは思いますが。


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2024 神無月雑記 2

昨日と全く同じパターンで、先ほど目が覚めました。
記事更新をしたら、今朝も歩きでいいほど涼しい夜明け頃となるでしょう。

*

大谷さん、藤井さん、この2大超天才が昨日もすごかったですね。
このお二人のことについてまた書くほどの他の方にはない新味ある情報を私が持ち合わす
はずもありませんから、ここまで。

将棋界の話で言うと、ちょっと前に触れた奨励会三段で年齢制限退会した中七海さんが
女流棋士として再出発することが公表されました。
大変喜ばしい。

女流でありつつも、正式な「棋士」を脇目も振らずに目指す西山女流と共に、
「女流将棋」の底上げをぜひしていってほしいものです。

*

昨夜NHKスペシャルを見出して、眠気もあったけれど、
ガザ地区で殺された赤ん坊と子どもたちを悼むtweet(?)をしたイスラエルの
教師が警察に勾留され、釈放の後今度は「愛国的』生徒らに糾弾される場面を見て、
たまらず開始10分くらいのところでTVを消し、さっさと就寝しました。

罪など一切ない(あっても殺されていいはずもないが)赤ん坊や子どもたちが
現実に殺されてしまっている悲惨な現実を嘆くことが糾弾される異常!

*

自民党は今かつてないほど深刻な分裂状態にあると言っていいでしょうね。
それも四分五裂ではないか。
石破さんが本当に裏金議員などを党公認候補にしない、しかも相当数にそういう
処分をしたら(もちろん正しい処分です)、間違いなく党はぶっ壊れるでしょう。
処分された側の人々はきっとあのタカ派女性リーダーに糾合してゆく。
それなら二つに分裂ですが、今石破さん側にいる議員や党員の多くにとっては
それは一時的なだけのこと、厄介な問題を石破さんが一応あるいは曲がりなりにも
片付けた暁には、きっと2、3の徒党を組んで袂を分かつはず。
その後はどうなるかー

Whatever will be will be

いよいよ「左から右までいるヌエのような政党」だった自民党は終焉するでしょう。

*

野党は野党で、混迷は続くでしょうね。
野田立憲は総選挙で比例票を増やすのがほぼ確実で、それで現有議席減という結果に
なることはなさそうな気がします。しかし、今のままでは小選挙区では前回を上回る
結果を出せるはずもないと思います。「共闘」の調整がつかないからです。

・・・なんか、日本の「政局」のことを書いていても空しい。
ど素人がギャアギャア予測したってね、意味がない。

や〜めた。

Whatever will be will be

*

おととい二子玉川の花火大会、そしておととい昨日と近くの神社の祭礼。
いずれにも全く足を運ぶことはなかったです!

姉がコロナに気をつけなさいと盛んに言っていて、
人混みを避けるに越したことはないー
まあ、それもほんのちょっとありつつ、とにかく人混み自体がもう好きじゃないから。

家の前の道をときに多くの中学生や小学生が通るのをちょっとだけ窓から見たけれど、
「おお、これは懐かしい」とは思ったけれど。
私にもそんな年齢の時があったのはもちろんで、祭礼では、境内や露店巡りなどで
小学生としては学校以外の場所で同級生の女子たちと、
中学生としては制服姿ではない私服の女子たちとすれ違うのが楽しみだったっけ。

今の、そして東京の小中学生も明らかに同じだ。

*

さあ、4時だ。
そろそろウォーキングに出ますか。


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「ひろし」さんの学科生集合写真

昨夜は午睡をしなかったものだからなんと午後8時頃に就寝してしまい、先ほど起床。

Mooさんのブログを開けると、いやあ、興味深い写真が数葉。
Mooさんが東北大理学部数学科の学生だった頃に撮られた、今はセピア色の青春模様。

https://blog.goo.ne.jp/azumino_moo

<平和的に平和を訴える>まさにpacifistsの集会の様子だー
暴力的に反戦を訴える自己矛盾的活動も盛んなりし頃の。

あらためてMooさんてエリートだったんだなあ、と感心する。
数学科俊英たちの学者顔と言ったらない。
Oxford大学で撮られた写真かと見紛う。

そうー
會津でも東北大学へ進学することはエリート街道に乗ったことを意味した。
Mooさんの写真が撮られた10年後でも、私がいた高校で東北大へ行ける生徒は毎年
10人いるかどうかというところで、いたとしても大半以上が教育学部であって、
何もそのことを事実以上に論評はしないけれど、
東北大の理系学部(医学部、工学部、理学部)に合格などしたら、
高校の卒業生総代クラスの秀才であることを意味するほどだった。

福島県の「進学校」は東大合格者数ではなく東北大合格者数を競ったものだった。
もちろん他の東北各県の進学校も同様だったはずだ。
きっとよく似たことが旧帝大の九州大学、大阪大学、名古屋大学などが在る近隣
それぞれの府・県立、また有名な私立の高校でもある、
あるいはあったことだろうと推察する。

Mooさんがもし我が高校の生徒でおられたなら、疑いなく総代だったであろう。
「東北大、しかも理学部・数学科!?でかしたなあ、村端!」と職員室は大盛り上がり。
教師たちの中には東北大教育学部出身者が一定数いて、高校教師としてはこれまた
エリート・コースにいることを意味した。その教師たちは、いかに理学部に入るのが
むずかしいかを誰より知っているのだ。

あるいはMooさんが現にそうなられたように数学教師として福島県のいずれかの
進学校へ赴任されていたなら、生徒たちはその出身大・学部学科を耳にしてことごとく
三拝四拝したことだろう。同じ東北大学でも教育学部で数学(教授法)を学んだ
教師とは画然たる違いがあるからだ。

(再度書くが、教育学部出身者を貶める意図は全くない。事実ないし疑いようが
ほとんどない推定を書いているに過ぎない。上で書いたように、東北大教育学部出身の
教師が東北の各教育機関で珍重されたのも事実、ないしはほぼ事実だ。)

その「東北大学理学部数学科」の俊英たちの集合写真に圧倒された。

いやあ、Mooさん、あらためて、私のような純粋私立文系で、歌にうつつを抜かして
きた男と友誼を結んでいただいて、恐縮の至りです。

まあ、両極端の引き合いですかね。
共通点は互いに「ひろし」ということぐらいしかない!




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未明のコンビニ前での<思索>

いい加減にしてくれ、天気天候よ。
まあ、俺たち人類が悪いのは知っているけれど、なんてぇ蒸し暑さだ。
第4四半期に入ってこれかい。
冬至まで2ヶ月半ちょっとだぞ(ってだいぶあるか)。

なに?
いくらTシャツ1枚でも、そんなペースでそれなり長距離歩いたら汗かくって?
まあね。
でも、暑いよ、湿度高すぎだよ。

午前4時ちょうどくらいに、俺はまず近くのコンビニへ行っただよ。
コーヒーを買いにだ。
俺は店の前で啜り始めた。
すると白い旧型のプリウスが都心方向(あくまで方向ね)からやってきて、
近くに止まった。
出てきたのは20歳代前半くらいの若い女性。
なんとその女性、<ヘソ出しルック>だった!

それくらい暑いんだよ。
つ〜か、まったく涼しくないんだわ。
湿度は疑いなく90パーセント超え、彼女にゃあ、ちょうどいいんだっぺよぉ。

しかし、なんという時間にご帰宅なんだろうー
俺はそう思っただ。
プリウスは駐車場で<踵を返し>去っていった。
ジロジロ見るわけにはいかないから視線を逸らしたが、彼女はそのコンビニへ入る。
きっと入る際、「コンビニ前で飲食する若者は見るけれど、
こんな爺さんがこの時間で何やってんの?」って表情をしつつ、
ということだったろう(自意識過剰)。

数分後彼女はコンビニを出て、斜め前の自宅と思しきところへ入って行く。
「え!この辺の一軒家の住人だったんだ。」
俺は、集合住宅住まいのcarefreeな女性とてっきり思っていたのだわい。
「お家の人、土曜とは云え、午前様も午前様であるこの娘だかの女性と
どんな家族関係なんだべ」と俺は珈琲を啜りながら思案した。

玄関を開ける時、彼女はさすがにコンビニ前の不良ジジイの様子を振り返り、
チラッと覗った。距離は25メートルはある。
俺は咄嗟にlooked away。

大丈夫だよ、お嬢さん。
オラはあなたより、この未明早朝帯のコンビニ・バイト君の方がよほど好ましいから。
この若者は接客が丁寧で、好感度高いんだ。
え?そんな趣味かって?
ちゃうわい。

そんで思い出した。
これは、どこの店かをかなり匂わすように書くけれど、
もう半年前くらいだけれど、早暁自転車乗りの途中、世田谷区KのKM中学校近くの
コンビニでmorning coffeeを飲むのを常としていた頃のこと。
バイトの若者が棚の商品出しなんかをしていて、そこにおいらが入店、
近くにいるにもかかわらず、「いらっしゃいませ」を言わない・・・のは我慢しよう。
サンドイッチを取って「お願いします」とおいらが言うと、
ヤツはあからさまに嫌そうな表情をして、不貞腐れた態度むき出しでカウンターに立った。

「これとコーヒーのSサイズを。」

そうおいらが言うと、さらに面倒くさそうな態度で、そして一言の返事もなく、
ぶっきらぼうにカップを置き、レジスターのキーを乱暴に叩き精算をした。
あまりのひどさに、

「(名札を見つつ)X君だね。接客態度悪すぎるよ!」

と言ってやったのだよ。
それでもヤツは悪びれもしなかった。
<あ〜、どうせいいよ。こんな時給でこんな辛ぇバイトやってられっかって思ってて、
いつでも辞めてやるからよぉ。このクレーマーのクソオヤジ!>
と思っているとしか言えない態度だったのよ。

それに比べウチの近くのコンビニ・バイト君は無限倍すばらしい。
日本の若者は捨てたものじゃないって思うほどなんだ。

あ、そうそう。
その世田谷区Kのコンビニには以来全く行っていない。


コンビニ・バイトの募集にはほぼどこも苦労していると聞く。
しかしウチの近くのは相当繁盛しているから、待遇がいいのだろう。
さっきも募集の紙が貼られていないことを確認した(どういう関心だ!)。
応募がある程度あるから、接客態度が良さそうな人を優先採用できるのだろう。

いい気分だ。



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A morning in the life (October 4, 2024)

昨日未明、書かなかったけれど、coffeeを啜っていると、
おそらくシマヘビの<幼児>くらいのが、左側の茂みから現れて、
例の独特な匍匐前進をし、アスファルト部分を越え、先の茂みへと入って行った。

先ほどの自転車散歩では、その砧公園の「サイクリングロード(今は実質上ジョギング
コース)」を走っていると、やはり<幼児>くらいのヒキガエルが横断中なのか、
あるいは思索中なのか、ロードの真ん中で右前脚と左後脚を伸ばした状態で
じっとしているのだった。危うく轢きそうになったが、なんとか避けた。

砧公園のカエルは大変だ。
なにしろカラスがいっぱいいる。
そしてヘビもやっぱりいる(バード・サンクチュアリの池辺りが棲息地だろう)。
さらにサイクリングロード横断中には轢死の危険も。

なんだか野生動物にこの頃よく出会うなあ。
先日は玄関先でチョウゲンボウ(♀)の捕食場面に出くわしたし、
そのちょっと前は、なんとタヌキ2匹に近所で遭遇。
あのな、おい、ここは世田谷区の典型的住宅地だぞ。

まあ、ええじゃないか。

*

午前4時半頃、馬事公苑西側沿いの道を走っていた。
すると少し脚が悪そうな老婦人らしき人を前方に確認、
婦人は歩道の左隅を柵に当たりそうなほどスレスレに歩を進める。
私も右側のスレスレで通過しようとしたら、婦人が雷撃を喰らったかのような驚きよう!
私だって驚きますよ、その大袈裟なリアクション。

未明のウォーキング、自転車に抜かれることなど滅多になかったのだろう。
だからこそ、そんなに早く運動をしているわけだと私は得心した。

申し訳ないことをした。

*

つまらんことしか書いていないなあ。

申し訳ない。



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Like a guiding light to help me through my darkest hour

IMG_0753.jpeg


今朝4時半頃、砧公園のと或る場所でcoffeeを啜っていた。
7-11の珈琲だ。
自転車なので、店からそこへ行く間運びやすいようにレジ袋を買い、
ぶら下げて行った(片手運転はしないようにしたよ!)。

まだ暗い中だ。
そしてほとんど誰もいない。
音楽を聴く。
YouTubeでの我が「プレイリスト」は6つくらいあるが、
全てに入っている歌はたった2曲。

Breadの「Baby, I'm-A Want You」
https://www.youtube.com/watch?v=vCHHHAeSBvY

Vigrass & Osborneの「Forever Autumn」。
https://www.youtube.com/watch?v=IiYD3wr-sbw

この2曲の共通点は、いずれも哀愁ある歌であるということ、
そしていずれも中学生の時に出会い、
思春期の男子として花鳥風月を愛でるこころが育ち始め、
耳目を大きく深く開かされ始めた頃に<ジャスト・フィット>した歌であったことだ。

「Baby, I'm-A Want You」は深夜ラジオを聴いていて出会った。
忘れもしない、「オールナイト・ニッポン」のDJは高嶋秀武さんの回だった。
1972年1月のリリースだった。

イントロは永遠に讃えられるべき音世界だと心から思う。
<ひと聴き惚れ>だった。

いつ聴こうとも真っ先に思い出す場所は、故郷の、背の高い辛夷の木が立つ、
当時の町長さんのお屋敷下の崖地。
季節は冬だ。

どうしてか。
思春期を迎えてから18歳で上京するまでのおよそ5年ほど、
私は、田舎が雪に覆われて後のある日、ある夕暮れ前に、
他にまず誰もいない道を歩くのが<いたく>好きで、
しかも、幼い頃からの思い出がある馴染みの原っぱ=雪原ではなく、
校区が異なる、いわば<よその世界>の雪景色の中に自分を置いたものだった。

You're the only one I care enough to hurt about

こんな複雑な文構造の詞の一節を解することなど全く当時はできなかった。

「僕が傷つくほどに思いをかける人は君しかいない」
「心痛むほどに僕が気にかける人は君だけだ」

くらいだろうか。

繊細な歌い回しー
雪原ででもそうだし、自分の部屋でも何度も何度も私も唄ってきて、
singerとしての技術も、知らず学んだ。

David Gatesの歌だ。
演奏は彼とそしてBreadのメンバー。
James Griffin、Larry Knechtel、Mike Bottsはもうこの世にいない。

私はBeatlesに劣らぬ影響を受けた。
だからどうした、だけれど。
砧公園で、黎明に、coffeeを啜りながら、
しみじみ聴いた。


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God, stop your followers

イランがとうとう大規模なミサイル攻撃をイスラエルに仕掛けた。
イスラエルは「consequences」を覚悟しろと言っている。
中東戦争の勃発と言わずして何と言おう。
今までの中東戦争とは違っているのは、エジプトやスンニ派アラブ国家が関わって
いないこと。イランやヒズボラ、ハマス、フーシはシーア派であること。
それがどういう意味なのかは正直全く私には分からない。

分かるのは、殺し合いが大規模になったということだけ。

「第三次世界大戦」がTwitterでトレンドになっている。

イスラエルの神よ、イスラムの神よー
あなたは同じ神でしょう?

止めてください、神の威信にかけて。


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セレブの故人たちも中秋の成城の朝を楽しみて

れいわ新選組の大石さんの国会における行動に感動。

彼女は、山本代表も言われるように、エリート公務員だった。
大阪の名門北野高校から阪大工学部、そして大阪府庁に入った。
橋本府政がなかったら、彼女はずっと技術職の公務員として安泰な人生だった。
橋本知事のあまりの強権的やり方に反発、とうとう自ら政治家になる決断をしたのだ。

まずは、解散など二の次三の次、能登の人々を救えという主張をどんな罵声を浴びせ
られても本会議で叫び続けた彼女を見て、<私は>感動した、涙した。

*

昨日のことに懲りて今朝はやはり未明に自転車で出発。
涼しうて、ええな!

オリオンに挨拶しつつ、成城4丁目から狛江・中和泉、元和泉アンド多摩川五本松。
多摩川にはすさまじい数のユスリカが発生していて、難儀しましたでぇ。
コウモリはんも数羽飛んでおられたけれど、まあ、到底食べきれへん。

夜明けには美しい空が見られましたわ。
この頃は動画に収めてます。
それでもまあ静止画を一枚。

IMG_1066.jpeg


昨日CS放送で京マチ子さん主演の映画を途中から観た。
彼女は大映のスターながら成城4丁目(主に東宝映画人ゆかりの地)に暮らしたらしい。
石原裕次郎さん、田村正和さん、大江健三郎さん、横尾忠則さんのご近所さんだった。
横尾さんを除き、みなさんもうこの世にいらっしゃらない。

その崖線上から下っていくと、草刈正雄さんのお家が在って、
そこは夏には(ちょっと前まで)ヒグラシが鳴く緑豊かなところ、
ちょっと南へ行って野川ではエンマコオロギ、ツヅレサセコオロギが少し前より
調子を落として鳴いていた。

秋のお彼岸をだいぶ過ぎても咲く彼岸花=曼珠沙華。
なんだか京マチ子さんを思い出したのだった。


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2024 神無月雑記 1

午前4時、歩きに出て、今帰ってきました。
なんだ、涼しくなったのに未明散歩かと言われそうですが(?)、
自転車なら爽快なのは間違いないとして、徒歩ならどうかとTシャツに薄いhoodieを
羽織って歩き出したら、1km行かぬうちに暑くなってしまいました。
東京は、神無月朔日ながらまだまだ暖気が残っていますね。
台風接近中らしいから、しかたがないか。

*

石破さんは知的で骨のある人などと持ち上げましたが、もう撤回です。
いいでしょ、石破さんが前言撤回の範を即座に示したのだから。
まだ首班指名も受けていないのに、そして総裁選で勝ったら7条解散はしない、
解散するなら争点を明らかにしてでなければ(=ちゃんと国会で論議してから)ならない
なんて言っていて、なんともう選挙の日程まで決めてしまっているって。

自民党の政治家の言は誰のものでもまずもって信じられませんね。
安倍政治批判の急先鋒だった村上誠一郎さんを総務大臣に起用するとかでちょっと
期待したのも束の間ー
村上水軍の末裔の誠一郎さん、石破さんの変節を批判してください。

*

いやはや、小田急の南新宿と参宮橋間で人身事故。(合掌)
義父の娘を影響のない駅までクルマで送ってきた。

早朝から東京はすごい交通量。
さすがは首都と言いたいけれども、そこに巻き込まれればストレスが上がる。
新内閣が発足しようが、株価が大幅下がりしようが、庶民たちはとにかく働く。
頭が下がるけれど、もう現役ではなくなった私は、一刻も早く家に帰って
朝飯を食い、ゆっくりしたい。

申し訳ない。


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All My Lovingは決定的だった

Paul McCartneyとRingo Starrが存命であることの、
なんというか、有り難さというのは他に比類がない。
1960年代の私の主にチビだったdecadeの思い出が終わらないのだ。
変な表現か。
その思い出が<現役>なのだ。
もっと変か。
彼方に行っていないのだ。

ところが、私はPaulやRingoのBeatles以降の活動にはあまり興味が湧かないできた。
いくつかの彼らのソロ(PaulはバンドWingsを組んだが)で大好きな曲が
あるにはあるが、80年代に入ると彼らの新譜にほとんど全く興味を覚えなくなった。

BeatlesメンバーはBeatlesメンバーのままでいてほしい、と言うか。
そして特にPaulの声帯の衰えが顕著になってからは、彼がコンサートで生で歌う
Beatlesナンバーすらも聴きたいとは思わなくなってしまった。

もちろん終生ポップ音楽の王者として彼らが活動してくれることに励まされない
はずはないのだ。
私の60年代の思い出がまだ彼方へ行ってしまわないことに猛烈に感謝する。

そして彼らが<ただ>元気でいてくれればそれでいいという気持ちも強い。
奇跡としか言いようがない彼らの歌唱、演奏のピークは疑いなく60年代にあった。
それだけで本当に、私には、いいのだ。
私こそ生涯Beatlesの歌に、決して飽きることなく、ハマっていたいのだ。

PaulのAll My Lovingを聴いた小2か小3の頃、
それまでのPlease Please MeやLove Me Do、She Loves You、
I Want to Hold Your Handにチビながら完全に魅了されていたけれど、
[るんるん]Close your eyes」の出だしに吹っ飛ばされたあの日を忘れようもない。

歌はすばらしい、これほどにもカッコいいー
私は本当に虜になった。

その虜にした人が、まだ健在なのだ。
それだけで、うれしくて仕方がない。


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2024 長月雑記6

昨日は姉の花の絵を鑑賞に都内某所へ。

IMG_1049.jpeg


これ以外にいくつも姉の絵はあったけれど、まあ、一枚だけ。
花好きの姉、それは母からの影響だと言う。
あまりに花が好きすぎて、<ライバル>の蝶々が大の苦手。

次兄夫婦も来て、姉弟会は盛り上がりました。

*

昨夜11時頃に帰宅して、窓を開けたら庭から「チッチッチッ」という声。
秋の虫カネタタキでした。

昨日の未明、自転車散歩したら、市街地で鳴いているのはツヅレサセ。
(アオマツムシも鳴いていただろうが、無視。)
多摩川へ出るとエンマコオロギも鳴いていて、安心。
「安心」っていうのは、まだ秋の虫たちはガンバっちょるという意味で。
エンマは早めに脱落する虫であることを知っているからです。
一番早く脱落するのはキリギリス。

スズムシなんかも鳴いてくれれば最高だけれど、東京23区にはいないでしょうね。

*

再び姉の話。
姉が絵が上手であることは、3人の子育てを終えて彼女が花の絵を描き出すまで
私はついぞ知らなかったのです。
姉の絵心またその技術の才能は母方の伯父に近しいと私は思っています。
伯父は絵(版画含む)も字もプロ並みに巧かった。

母は達筆で、伯父に劣らずー
その<血>を私が受け継いでいるとは言われるのですが、
いやいや、自己流もいいところでね、私の場合。

私の詩心は、俳人であった父から受け継いだかもしれませんが、
俳句に関して言えば、父はちゃんと句会に入っていて、師匠格の先輩がいました。
私などは全くこれまた自己流で、まあ、ロクでもない。

風を入れ
行の間に
鉦叩(カネタタキ)

本を読んでいて、ある事柄に引っ掛かっているー
秋風を書斎に入れて、また考え始めると、カネタタキが「チッチッ」と鳴いている。

Letting the wind inー
Resuming to read between the lines,
I hear the sound of a kanetataki cricket

カネタタキは木の幹などで鳴くようです。
木が好きなコオロギの仲間は「Nemobius」というらしく、私と同類のようです。

*

今日は私も鳴きましょう。



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大好きなところで

今年七月、登山家で山岳カメラマンの平出和也さんと中島健郎さんが
パキスタン・カラコルム山脈のK2(標高8611メートル)で滑落し、遭難ー
そして救助活動は困難であり、お二人が長時間全く動かないことから
打ち切られたというニュースは、もう旧聞となりつつある。

今日はあの御嶽山噴火から10年だそうで、山で命を落とす痛ましい事故について
考えてしまうのだ。

以前にも書いたが、その10年前、田中陽希さんの「グレート・トラバース」が
かなりの人気を得ており、世は登山ブーム、そんな中私は長野県松本市にいて、
噴火の11:52頃は、松本駅であずさを待っていたと思う。
松本から御嶽山は離れてはいるが、あずさが停車する南方向の隣駅塩尻からだと
そう離れているとも言えない距離にあった。

田中さんは御嶽山も噴火前に登頂しており、北アルプスの百名山の挑戦も終えて
東北の山々へ向かっている頃だったか、どうだったか。
私はMooさんのご紹介で松本や安曇野、大町の生徒さんらをお教えするようになっており、
北アルプスも毎週生で見るというようなことだったから、
俄然田中陽希ファンになり、また登山に興味を抱いていた。

御嶽山噴火のニュースはあずさの中で知ったはずだー
塩尻駅で、中央西線の線路を見つつ、「この奥だよな、御嶽山」と心の中で
つぶやいた記憶がある。

山のすばらしさは分かっているつもりだ。
百名山中、磐梯山しか登ったことのない私が言うのも烏滸がましいが。
さらに、山の怖さも分かっているつもりだ。
体験したというより、壮大な地形がただ美をのみ見せてくれる存在であるはずがないと
知っているからだ。

平出さんは「グレート・トラバース3」とかで陽希さんに帯同、映像を撮った。
ピオレドール賞3回受賞の平出さんにとって、三百名山制覇はさほどのことでも
なかったろうし、登山資金獲得のためのアルバイト感覚で随行したのだと思う。

YouTubeには平出さんと中島さん関連のビデオがいくつもある。
常人にはとてもやり遂げようのない登山の記録に胸打たれるが、
にこやかな表情で支援者やファンと交流する彼らを見ていて思うのは、
「彼らは好きな登山で死んでも本望なんだろうな」ということ。

ヒマラヤはもちろん、日本の三千や二千メートル級の山であっても絶対に安全に
登れるなどということはあり得ないのは彼らも重々分かっていたはずだ。
滑落、そして死という事態はいつでもありうることとして彼らは登っていたはずだ。

御嶽山で犠牲になられた方々は、まさかそんな噴火に巻き込まれるなど露にも
思っておられなかったろう。
秋の好天、アクセスもいい三千メートル峰への登山というよりピクニックという
気分もあったのではないか。

平出さんらは、しかし、いつも覚悟していたはずだ。
病院のベッドで息を引き取るよりは、大好きな山で事切れることをむしろ望んだ
かもしれないとすら私は勝手に想像する。

それほどに山を愛したのだ。
そうでなければ、高度8千メートルの垂直の氷の壁と言っていいようなところを
どうして登ろうと思うだろう。
そしてそれほどに愛しているのだから、そこで命を終えてもいいと密かに思う
ところがあったに違いないと思うのだ。

それは、桜を愛してやまなかった西行が桜咲く如月の望月の頃に死にたいと願い、
その通りになったことを思い出させる。

かく言う私も、野川で桜咲く頃、あるいは成城の崖下のはけで育った蛍が、
気まぐれに野川にまで足(?)を延ばす頃に、のたれ死んでもいいと思った昔を
今思い出している。


最後に、御嶽山噴火で犠牲になられた方々の、
そして平出さん、中島さんのご冥福をお祈りします。



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The Most Resilient Candidate Won

石破さんが自民党新総裁、すなわち次期総理大臣ということになった。
この人は自民党の森首相以来<初めて>知性派と言える政治家だ。
私にとっては賛同できない主張もあるが、所信は理路整然としており、
隙がほとんどない。

森、小渕、小泉Sr.、安倍、麻生、安倍、菅、岸田と、少なくとも大学まで何を学んで
きたのだろうというような基礎学力不足を感じさせる首相ばかりだった。
途中麻生さんの後に民主党の鳩山、菅(直人)、野田の3人が加わるが、
この人たちについては、前記自民党首相らよりマシだった言っておこう。

野田立憲民主党は苦労するぞ。
主義主張は石破さんとそう変わらないし、石破さんはスキャンダル・フリーな人だから
攻撃できる要素は乏しく、弁は野田さんより立つでしょう。
保守合同でも起こるんじゃないか。

選挙の顔としての石破さんに不安を感じる自民党議員は多かろう。
見栄えのする人では全くない。
しかし、これほど政治家としての安定感のある人もそうおらず、
それこそ本当の保守主義者なら本格派の登場ということでまとまる可能性はある。

対抗馬が負けて本当に安堵している。
米国議会にありもしない「官職」に就いていたと嘯き、TVに出るようになり、
成り上がった極右候補。
先祖3代21光(七光かける3)のボンボン候補。
パワハラ体質で他者の言うことに全く耳を傾けない独善極まる14光候補。
菅と麻生がキングメイカーになれず残念でした。

自民党は下野が当たり前だけれど、なんと最もresilientな人を総裁にした。
手強いねぇ。

野田立憲よりマシじゃないかとすら思っている。

それでもね、本当に政治家らしい政治家、国民を本当に心から気遣う政治家は、
命を賭けて行動している山本太郎だよ。
疑いない。


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If my family were wealthy, I could do better (<家庭>の話)

さ〜て、もう何十日連続でブログ更新していることだろうか。
最長不倒ではないだろうが、それに近かろう。

書くことが今日はとりたててない。
世界は、国内は、深刻な問題だらけだけれど、
私には論評する知識・能力がないものが多い。

Mooさんのお孫さんも通っていらっしゃる東大の学費値上げだけれど、
1年につき10万円余りの負担が増えるという。
東大へ入る学生は総体として裕福な家庭出身者が多いだろうから、
諸物価高騰の折、納得して、痛みも感じず了承する親御さんは多かろう。

もう数ヶ月も前のことだけれど、中学の英語が難化してしまって、
塾や家庭教師の指導がなければ多くの生徒が付いていけないとする
識者の声をどこかで聞いた。
その通りだ。
もちろん旧課程だと簡単だったわけでもないけれど、
特に中3のカリキュラムは窮屈もいいところで、現在完了進行形や仮定法過去も
高校内容からの前倒しとなって、英語が不得意、嫌いという生徒にはさらに
無慈悲な状況となっている。

親の教育投資の額がすなわち子の教育水準と正比例してしまっていいのか。
KOIZUMI Jr. は大学が全てではないなどとやはり的外れなことを言ったらしい。
教育格差があってもそれは仕方がなく、大学に行かなくとも稼げる職に就けばいいと
いうような趣旨の発言をしたと。

さすがはコロンビア大学の院を出られた政治家4代目である。

大学で学びたいという国民がその希望を叶えられるように極力支援するのが政治だ。
あ〜たのおとっつぁんも長岡藩の「米百俵」の話にいたく感激して、
教育投資の重要性を説いたのではなかったか。

私は東大へ進学することになる生徒さんを塾で何人かお教えしてきたが、
みな経済的に余裕ある家庭のご子息であった。

金持ちの子は金持ちで、頭脳も優秀、教育投資もバッチリで、
またエリートが再生産されていくー
他の者はそのコースにまず<参入>しようがないー

そんなことでいいはずはない。


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生まれ、生き、死ぬ意味

おもしろいよな。
スマナサーラ師は「宗教家」ではないと自らおっしゃる。
ブッダは生き方を教えているのであって、それは宗教ではないのだと。
つまりはこう生きれば人生の苦から解放される術を教えているのであって、
超越的な存在(=神)を前提にした「宗教」ではないのだと。

「死後の世界」については、ブッダは99.9パーセント触れていないそうだ。
師ご自身も死後のことは不可知であるというお立場だ。
しかし一方、それをとんでもない、来世、地獄極楽についてブッダは頻繁に
言っているとその仏典の名を上げ、根拠を示す仏教学者がいるのだ。

師は、「生まれること、生きること、死ぬことに何の意味もない」と言い切る。
ただ善く生きること、それだけだ、ということらしい。
この世で善く生き、もし来世があればその功徳でまた善く生きられるから
2つの勝利を得られる、と。

私は全く何宗にも何教にも属していない。
スマナサーラ師のおっしゃることに反対も賛成もない。

ただ、善く生きていると、歌が生まれる、藝術が生まれると私は確信する。
清々しい生き方に詩情は必然的についてくると思っている。
詩歌や藝術こそ実は生きていることの意味だとすら信じている。

いや、なにも清々しい生き方ばかりにそれらが付いてくるわけではない。
苦しみの中でも詩情は見出され、その苦しみをたとえ少しでも癒す。

ブッダの言葉に触発されて、何かしら自分で潤色することはつまり詩作なのだ。
「詩ならいいよ」とは、たとえば古臭い言い回しや非文法的表現を使っても詩ならば
許されるということで、私も何回かそういうことが言われる場面に出くわしてきた。

仏教でも同じようなことが言えるのではないか。
善く生きるための智慧を歌にしても許されるのではないか。
歌になってブッダの言わんとするところから離れてしまうこともあろう。
しかし、<正しく>理解した歌人が、詩情を付加しても許されるだろう。

「生まれること、生きること、死ぬことに何の意味もない」ー

そんな正に無味乾燥こそ生死ならば、私はやはり居ても立っても居られない。

We are part of everything

という確信を歌にしていくことこそに意味を見つけている。

I'm a son of the sun

だと思っている。

I'm a son of the moon

でもいい。
だって、月だって恒星が撒き散らした物質でできているのだから。

I'm a friend of the bird whose song I'm listening to

だ。

I'm a relative of the flower whose scent I'm smelling

だ。

そう歌っていく。



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未明散歩に出たら、オリオンが挨拶してくれた

11年も前、テーラワーダ(スリランカの上座部仏教)のスマナサーラ師のことに
ついて書いた。

https://mnemosyneoforion.blog.ss-blog.jp/2013-05-27

師はご健在で、YouTubeのチャンネルもあって、偶々昨夜見た。
白隠禅師の「衆生はみな仏である」ということばに反応されて、
それは汎神論であり、仏教ではない、ブッダはそんなことを一つも言っていない、と。

パーリ語やサンスクリット語を日本人よりはよく理解するスリランカ人僧が、
ブッダ本人のことばを記したと言われるものだけを学ばれたのだろうし、
そうおっしゃるならそうなのだろう。

師はことば遊びをしてほしくないのだ。
ブッダはそんなことを言っていない、脚色・潤色するな、
仏教は実践だ、文学や形而上学ではないというお立場のようなのだ。

仏性とは何かを凡夫の極みのような私も考えたことがある。
子猫チロの死があって、「彼女」を埋葬した多摩川の草地で「彼女」に背中を
触れられ見上げた空にオリオンを見て、私は突如というような有様で宇宙への興味を
猛烈に抱き、天文学はもちろん宇宙論や量子論、相対論にも純粋文系のくせに
のめり込んでいった。ちょうどTVではカール・セイガン氏の「コスモス」が放送され、
またミヒャエル・エンデのブームがあり、さらにシャーリー・マクレインが
「Out on a Limb」を出し、大変な話題になっていた。

同時に私は仏教にも俄然興味を抱き、手に取った本は紀野一義先生によるものだった。
先生のご著書を以降数冊読むことになるのだが、先生が狛江の、しかも多摩川のそばに
住まわれているのを知り、後には、とうとう先生ご本人と多摩川の土手道でお会いし、
そのお宅がチロを葬った場所のすぐそばだったことに私は愕然とするのだった。

詳しく書いているととんでもない分量になるから端折るー

私はマクレインが「Out on a Limb」や「Dancing in the Light」で書いた、
彼女が出会った「宇宙人」からのことばー
2冊とも倉庫にしまっており、引用できず、正確ではないかもしれないがー

「核力(強い相互作用、グルーオン)こそGod Forceなのだ」

に電撃的なショックを受けたのだった。

この「God Force」が我々の肉体を作る物質をあらしめている以上、
そしてそれが「神の力」ではなく「仏の力」と言葉を入れ替えたなら、
仏(性)は誰にも、人ばかりか、あらゆるものに宿っていると言っていいことになる。

(なお、我が「ハイドレインジャ」<その26>でマクレインのことを書いているが、
これが「shirley maclaine god force」で検索すると、彼女のインタビュー記事の
次に並べられる!ゲロゲロ。)

山川草木国土悉皆成仏という天台本覚論もそういう趣旨であろう。

スマナサーラ師は、大乗仏教は大日如来を分身させて、
いろいろな仏にして宗派を作っているというようなこともおっしゃっている。
しかしそれも、「大日如来=太陽神はつまり恒星であって、
恒星こそがその凄まじい核融合作用で単純な構造の水素を重い物質に変えていくー
あらゆる物は恒星=太陽の化身だ」と言うのは文学あるいはレトリックだとの
批判だとしたら、私は首を傾げざるを得ない。

もちろん、私はテーラワーダの教えもこれからまた勉強してみる!



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2024 長月雑記 5

いやあ、今までの半袖短パンでは寒い。
急激な気温低下は昨日から。もちろん歓迎である。大をつけたい。
これでexerciseとしての散歩やpotteringが未明や早朝でなくてもよくなった。

*

Kの現状(病状?)報告ということで彼自身から勧められたYouTubeチャンネルー
先ほどまた見たけれども、無理をしているなあ、と感じる。
常人としてもなかなかの距離、前期高齢者としては相当の距離を歩いている。
彼は病み上がりというかリハビリ中(自称)というか、そんな今なのだ。

彼は散歩好きだと自ら言っていて、それは私もそうだし、文句は言いようもない。
昨日も書いたけれど、高校時代、彼とテレコを持ってBeatlesを聴きながら
今は国道49号線バイパスや磐越道のルートになってしまい、
往時をほとんど偲べなくなった町の南山麓の野原を歩いたこともあった。

また、彼の家が在った地区は逆方向で、北の山々を拝するところなのだけれど、
その奥の奥が飯豊連峰であって、その秀麗さは南の山々など問題にならない。

その、大きく言えば飯豊の麓を、冬独り歩いた中3だったかの日を忘れられない。
そのとき繰り返し聴いていたのがChicagoの「Flight 602」だった
(このことも過去に書いた。
https://mnemosyneoforion.blog.ss-blog.jp/2012-01-04)。

Kが今歩くところは居住する中野区上高田周辺で、今回(9月15日編)は中井方面、
こちらは中野区と新宿区の区境辺りということになる。
私はここらは不案内で、そこの一番の幹線新目白通りは飯田橋(実際は千代田区
富士見2丁目、我が娘の実家が在った<笑>)からの帰りによく使ったのだけれど、
通過するだけのところであった。

上高田もそうだけれど、Kが言うほど緑は多くないなと思う。
やはり世田谷や狛江に比べてしまうと、それなり都心に近い中野区のさらに新宿区
寄りはゴチャゴチャとしている印象が否めない。
当たり前だけれど、大昔に暮らした中野区の西隣となる杉並区高円寺南などの
住宅地に趣きが似ていて、広い広い空がないところー
残念ながら今の私では暮らせないなと思う。

Kには、ちょっと前のこと、彼が埼玉県某所から引っ越すと言うタイミングで
多摩川や野川などの近くに暮らしたらどうだと薦めたことがあった。
私の住むところに近ければ彼と会いやすくなるというのもあったが、
それよりはるかにずっと、彼には大きな空が望めるところにいてほしかったからだ。
埼玉の彼の家は利根川沿いで、都会を流れる多摩川沿いよりも空は広かった。
しかし通勤時間が片道2時間を超えていたから、彼が地元のその広い空を堪能する
時間はなかなか持てなかったはずなのだ。

彼が高校卒業まで暮らした會津の家の周辺は、
広々とした、散歩には好適などという言葉では足らぬほどの地区であった。
どうせ東京に暮らすなら、ほんの少しでも<あの>故郷の広い空を想起させる
ところに住めばいいのにと、老婆心、いや老爺心で勧奨したのだった。

余計なお世話だ。

*

立憲民主党の新党首に野田さんが就任することになった。
はっきり言うけれど、私は支持しない。
理由は簡単、彼は立憲民主党結党の時に馳せ参じていなかったからだ。
旧民主党の幹部だった面々の中で確か最も遅く立憲民主に合流した。
後に結成された国民民主党へ行けば彼の政治姿勢に適うのにと思っていた。

まあ、その立憲民主党の生みの親の枝野さんが今回かなり<変節>されたので、
あの党も元来そういうものだったのかと思わなくもない。

私の1票などはその意味のものでしかないけれど、
立憲民主に入れることは金輪際なくなった。

アメリカ的保守2大政党制ということなのだろうけれど、
私はイギリス的であって欲しかった。
イギリス労働党が今年政権を奪い返したが、労働党的政党が日本に欲しかった。
いや、今も欲しい。


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I rely only on The Ultimate Truth

今日秋分、お彼岸である。

「娑婆」とはサンスクリット語で「sahāの音写。忍土・堪忍土などと訳す」とある。
思い通りにはならぬこの世、耐え忍んで生きていく時空間なのだね。
浄土真宗の講師さんがYouTubeで分かりやすく話されていた。

「人生は苦である」=苦諦の教えは、梅原猛さんの講演の録音で30歳くらいの頃に
初めて知ったのだった。「そんなネガティヴにとらえてしまっていいのかな」と
知恵の足りない若造は疑問に思った。

なにしろ人生は思う通りになど決して歩めない。
一時期の成功はあるには違いなけれど、そんな栄光(?)も無常である。
仏教をニヒリスティックな思想だと一部「西洋人」たちは思ったそうだが、
それは致し方ないだろう。

しかし真理だ。
四苦八苦は避けようがない。
諸行無常という理も、George Harrisonが「All Things Must Pass」という
名曲にしておそらく欧米人に鈴木大拙より広く紹介してくれた。

今、私は三十代の無知な若造から30年以上の月日を経て、
それら真理を<わきまえつつ>生きているつもりだ。
厭世に陥るよりない娑婆の事実を乗り超える智慧の境地を<時に垣間見る>。

悟ってなどいない、いるはずもない。
ただの「凡夫」のままだ。
それでも時に垣間見るのだ、夕陽を観ていたり、花を観ていたり、
鳥や虫の声を聴いていたり、月を眺めていたりするとー
「I'm part of everything」という真理を。

John Lennonが「Dear Prudence」で、

The birds will sing that you are part of everything

という歌詞を思いついたのも、Georgeの影響で行ったインドでのことだった。

私がこの曲を聴いたのは、1968年のリリース時ではなかった。
同級生の赤城くんから<あの2枚組>を借りた1971年のことだった。
この2枚組アルバムは小中学生には高過ぎたからだ。
この歌のすばらしさはあっという間に心に沁みて、カセットに録音して、
その2、3年後にはKと一緒に散歩をしながら、それこそ「The wind is low」という
春や秋の日に「テレコ」で流して故郷の野道を歩いた。

The birds will sing that you are part of everything

鳥や虫が「君はこの世の全てのものと一体なのだよと歌うのさ」という歌詞は、
中2の私でも意味としては分かっていた。
けれども、もちろんその深い意味にまでは到達できようがなかった。

「そんなものかな。なんか分かるような、分からないような」

という具合だった。


そして今はどうかー

昨日、お彼岸の供花を買いに家を出たときのことだ。
玄関の門を開けると、ザサッという羽ばたきの音が聞こえた。
見ると、おそらくチョウゲンボウのメスが2メートルほど向こうにいる。
度肝を抜かれた。

チョウゲンボウは私を意識しながらも、私がこれ以上近づいては来ないと思ったのか、
また、いつでも飛び去れるという余裕もあってか、何かを啄みだした。
おそらくムクドリー
すでにかなり無惨な姿になっていて、はっきりは特定できなかった。

こんなに至近距離で猛禽が食物連鎖で劣位の鳥を捕食するのを見たことは
會津の田舎でもなかったことだ。
しかも世田谷区の住宅地のど真ん中でである。

私はこのチョウゲンボウのメスが、

You are part of everything

と<言っている>ように思えた。

お彼岸の供花を買いに出た途端のこの出来事ー


私はその珍事直前まで世の中は思い通りにならないという真理を再び噛みしめていた。
そして花を買ってきて、供えて、YouTubeを開けてみると、
上で述べた浄土真宗の講師が冒頭で「娑婆」の意味を解説する動画に出会ったのだ。

そして今私はそれなり泰然としている。
昔ならきっとかなり心乱れていたはずだ。

恃みにするのは、この世の、あの世の、根本真理だけだ。





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やっと秋到来か

能登の皆さま、度重なる災厄に見舞われ、言葉もありません。
ご無事を心からお祈りいたします。

*

今朝東京は雨で(今は止んでいる)、気温がグッと下がった。
これまでの「涼しい朝」とははっきり違う。
とうとう太平洋高気圧もシュンとしてくれたか。
そして空気の入れ替えもなければこのそれなり突然の冷涼さはありえない。
風向を見てみたら、やはり北風だった(全然強くないが)。
それでも当たり前だが、湿度が高く、これが一番堪える。
爽やかな秋晴れの日、来んかい!!

*

昨夕野川沿いを自転車で義父の娘と走っていたら、調布の花火大会の日であることに
気づき、花火がめっぽう好きな彼女は「忘れてた!」と叫びつつ興奮。
小雨がちではあったが、無事盛大に行われてよかったね。
何度も自転車を止めて見たことでした。

中秋の花火大会だと、作句するのがむずかしい。
俳人泣かせの日取りである。
「秋の花火」とすればいいか。

爆裂音がして、減衰すると虫の音がまた聞こえ出す。
野川の橋また橋で見物する人たちの群れ、しかし、団扇を持つ人がいない。
こういうことを俳句にしたいが、季重なりや季語矛盾の問題が解決できない。

むずかし過ぎだって!

憂愁は 少しく軽し 秋花火

駄句しか作らぬ「竜胆子(我が俳号)」は、これくらいだ。
夏の花火の方が、より憂愁が募るというのが私の想いだ。
秋になってしまっての花火は、もう「愁(「うれい」だし「あきごころ」)」が
<できてしまっている>!


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東北の野球少年

なんだかとっても分かるんだ、大谷くんっていう人。
岩手に数度行ったことがあるっていうのもあるけど、同じ東北人としてね、
彼はきっとこんな風に野球少年をやってきて、そして空前の記録を打ち立てたんだって。
もちろん技術面とかをあれこれ私が言えるはずはない。
一番分かる気がするのは、あれほど<素直に>大好きなことをやり遂げることー
しかも明朗さ、純朴さ、そして謙虚さを保ちつつー
それは岩手という土地、そこに住む人々の織りなすコミュニティーが
自然に教えたことなのではないか、ということだ。

ハンサムだけれど、彼は頬もぷっくりした(今も片鱗あり)典型的東北の田舎少年だった。
坊主頭で、そのcountry boyさは際立っていた。
私の田舎の田圃道で出くわすランニング中の野球少年と見た目はなんら変わらないと
言ってもいいほどだ。

私の弟や甥っ子らも野球少年で、練習や大会へ行く日の朝、母や義姉が4時起きで
朝餉の支度をしている中、寝ぼけ顔で起きてきて、黙々と牛乳とジュースを飲み、
ハムエッグ、ウィンナ、納豆、海苔、サラダなどでご飯を何杯もパクパク食べ、
「帰りはどのくらいになるの」などと訊かれ、ボソッと答える。
時には「今度期末試験だべ、ちゃんと勉強もしてんの?」などとも言われ、
ちょっとムスッとして、「やってるぅ」などと返事する。

もちろん大谷くんはスケールの違いすぎる野球少年だから、
私の弟や甥っ子らと比べるのも烏滸がましいのだけれど、
しかし、朝餉風景はきっとそんなことだったに違いないと思う。

そして田園風景の中、学校や少年野球団のグラウンド、あるいはもっと離れた
広域大会の会場へと、徒歩や自転車や、あるいはバスで移動する。
コーチ(監督)は厳しい人だけれど、ほんわかした訛りある土地の言葉で
少年たちに礼節を教え、努力の大切さを教える。

「今日は、いいガ、xx中の足での揺さぶりに注意すんだぞ。」
「はい、到着(とうちゃぐ)。xx中のxxx先生に元気よグ挨拶すんだぞ。」
「今日の試合は、みんなよグやった。明日練習は休み、英気(えいギ)を養え。
定期試験控えでんだろ。勉強ちゃんとやれよ。成績(せいせギ)悪(わり)いヤヅは
レギュラーになれねど思えよ。翔平、英語の点数、もっと上げろよ!
お前はいづガ<マイナー・リーグ>でプレイすっゴどもあっから、英語しゃべれねど
うざねはグ(苦労する)ぞ。」

バスの中、哄笑が起こる。

試合に負けたら負けたで、悔しがる少年たち。

「いいガ、今日はお前らの弱点がモロに出だ。それは何だ、翔平。あ?走力?
んだ。お前らは打つゴどばっかりに気をとらっち、出塁した後(あど)のゴどが
おろそガになってたんだ。翔平、あの3回裏、3盗でぎだじぇ。あ?
そうなってだら、大輔の深いセカンドゴロで1点だったじゃ。」

翔平は涙を目に滲ませる。

「長距離バッターなのはいいが、走力もあって、盗塁王にもなれるほどになれ!
40-40狙ってみんだ。な。メジャーで40-40だったら偉業だぞ。
ま、50-50なんて夢のまた夢だゲどな。ハハ。」

翔平くんは家に帰り、休憩もそこそこ、黙々と素振りをし、シャドーピッチングをし、
ダッシュをし、部屋に戻って反省点を野球日誌に書き込む・・・


もちろんこれが東北・岩手でのみ見られる野球少年ぶりでないのは分かっている。
多くが日本全国の熱心な野球少年共通のことだろう。

でも、大谷さんに今もしっかり残る謙虚さ、ひたむきさ、純朴さ、照れのある
明朗さというのは、やはり、東北独特という気がしてならない。


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どうかしてる、Ohtani-san

51-51達成
今日6打数6安打、3ホームラン。

Insane!

日本の誇りだ、なんて clicheは言わない。
東北人の誇りだ!(てへぺろ)


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俺はもう引越しはしないだろうな

KのYouTubeチャンネルをこの頃毎日見ている。
「F+f」のことを過日書いたけれど、職場としての上高田には彼のそれなりの
<人生史>があるとは思うものの、住民としての歴史は浅過ぎて、
私が求めたことは過分であった。

中野については実は私の方がその「F+f」の拠り所が多い。
私は大昔高円寺南に暮らしていた。
その高円寺南5丁目の住まい(ワンルーム)は、中野駅からも高円寺駅からもほぼ
等距離に在り、私はもっぱら中野駅の方で乗降していたのだ。

上高田は、中野ブロードウェイ(中野5丁目)の北端からすぐと言っていい
(その真北は新井だが、東へ少し行くと上高田に接する)。
中野5丁目と上高田が挟む都道は早稲田通りで、
私が狛江在住時に都心(飯田橋)へ行く際は、高円寺在住時代の道路知識もあって、
しばしば、環8、甲州街道、鎌倉道(杉並の)、五日市街道、高円寺(環7)を経て
この早稲田通りを使ったものだった。まず渋滞がないからだ。

早稲田通りの起点は、靖国神社第一鳥居がある九段下(千代田区九段北)であり、
ここは私が都心在住時に何度も通ったところ、主に北の丸公園への散歩の際だった。

また、早稲田通りはもちろん新宿区早稲田を通る。
言わずと知れた(!)「漱石テリトリー」の核心の地である。
南で並行する大久保通りも併せて、どれほどこの辺りを歩いたことか。

自分史としてここに記録しておこうか。

私の東京での最初の住まいは、練馬区桜台6丁目、次は同区羽沢2丁目、
それから世田谷区八幡山3丁目、杉並区高円寺南5丁目、狛江市猪方2丁目、
同市中和泉3丁目、同市東野川2丁目、新宿区箪笥町、千代田区富士見2丁目、
新宿区砂土原町、狛江市東和泉1丁目、同市東和泉4丁目ー
そして今に至る。

何と住まいは13箇所、引越しは12回!

グエ〜〜〜、俺は引越し魔か!

さて戻ってKのこと。
彼も近々また引っ越すことになりそうだ。
ただし中野からは離れないとのこと。

現下の病気を克服して、新たなlife stageに立ち、
老境ではあるが、だからこそと言うべきか、彼の才能をいよいよ発揮してほしい。

彼は老書道家のような風貌になっているが、実は本当に彼は達筆だ。
レタリングもプロである。

Never say "Too late."



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私は詩人退歩にならぬよう日々精進

Trump says rising sea levels are “a good thing” because he thinks he would “have more seafront property”: “Isn't that a good thing?”

そうだね、さすがアメリカ合衆国元大統領だ。
人間万事塞翁が馬。
海水面が上がれば、低地は浜になる。みんなが好きな海が近くなる!
何々、国土の低い他国にとっては死活問題?
アメリカの知ったことじゃない、America firstだ。
おっと、住めなくなってアメリカに移住なんて考えるなよ。

Make America Great Again!
Make sea levels rise more!

*

「裏金」づくりは結局ネコババで脱税、そんなことをした議員が総裁選のある候補の
支持者になるなんていうことが罷り通る今の日本。
そしてその候補が有力だというのだから呆れ果てる。

Make Japan Even Weaker!
Make Japan's Moral Hazard Even More Serious!

*

いっときYouTubeを賑わせた「私人逮捕」系のチャンネルだけれど、
多くは廃れたようだが、あるチャンネルだけ(だと思う)が今でも隆盛を誇っている。
無茶な実力行使はせず、証拠を持ちつつ理路整然と被疑者を追い詰めていく。
もちろん物理的抵抗をされても跳ね返す体力があり、対処の術を知っている。
警察、そして世間も、ちょっと非の打ちどころない身柄確保プロセスなのだ。
結果として、確実に盗撮犯の数は減っている。
これを社会貢献と言わずして何と言うのか。

はっきり言ってこのチャンネルのstaffersは<やんちゃ>上がりの青年たちだと思う。
時々<はしなくも>出てしまう彼らの本性を表す言葉遣いの荒さには面食らう。
リーダーはこの活動中にも他の件で問題を起こしていて、今年詐欺罪で逮捕されていて
とても真正面から正義を語れるような人物ではない。

それでもサブ・リーダー格の男性が精力的に駅など繁華なところを巡回、
盗撮犯を見つけては警察に引き渡している。

盗撮犯の中にはあっさり犯行を認める者もいるし、
実際はそういうパターンが多いのではないかと思うのだ。
しかしYouTubeのコンテンツとしてはそれではおもしろくない。
とぼける、悪態をつく、抵抗する、逃亡する、語るに落ちる言い訳をするー
そういう犯人の回でこそPV数が断然稼げる。

もちろん私もそういうパターンの回で<飯うま>になる。
勧善懲悪的カタルシスで悦に入る。
そして盗撮などに血道を上げている男たちをただただ憐れむ。
「情けない!」と何度私も独り言ちてきたことか。

いや、これまた(この頃多いので)いい子ちゃんぶる気はないし、
盗撮犯の歪んだ欲望をこれっぽっちも理解できないとも言わない。
しかし、「そこまでやるかあ、なっさけない!」と断然思う。
実際妻子がいる男性が挙げられたりしており、その後は家庭崩壊だろう。
破廉恥罪ほど本当に<恥>かしい刑法犯罪はないのではないか。

ある被疑者が、警察も来て、罪を認めないまま非協力的態度に終始し、
しかしこのYouTuberの証拠映像で十分検挙できると警察が判断し、
結局ワッパをかけられ駅の構内などから警察署に連行されるシーンなどは
まさに現代の「市中引き回し」の刑にすでに処せられていることを示し、
私などは、こんな目に遭ったら生きていけない、とすら思う。

ある回などでは、そういう目に遭った男性が、すれ違う女子高校生のグループの
一人に「あの人、痴漢かなんかで捕まったんだよね」などと大きな声で言われてしまう。

そのYouTuberたちが巡回する駅や繁華街では、本当に確実に盗撮犯が減っているはずだ。
その事実だけはどんなに考えても良いことだ。

彼らがPV数稼ぎだけでなく、本当に義憤に駆られてのこととして、
つまり利益のみならず社会正義のためにもという動機をさらに強くし、
今の洗練されたスタイルを貫いていってくれれば、結構なことではないかー
私人逮捕ということも認められているのだしー

と私は今思っているのだが。


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He should have read Lévi-Strauss again

日本人の多数者が自民党をそれでも選び続けるのは「劣等民族」だからってー
本気で青木さん、言ったんですか?
「列島民族」じゃなくて?

それを言ってはおしまいでしょう、リベラル派ジャーナリストとしては・・・
いや誰が言ったってちょっと<おしまい>レベルの知性のなさだなあ。
Lévi-Strauss(レヴィ・ストロース)を読んでいないことはないだろうに。
ホモ・サピエンスの集団間で優劣があるなどと思っているのだろうか。
あるとして、一体何についての優劣なのか?

冗談めかしで言っているし、対談のお相手の津田さんも大笑いしている。
しかし私は全く笑えないし、そして大抵の人も、笑えないだろう。

次の選挙でも自民党が勝つとすれば、それは今日本人の多数者が守旧的だから、
としか言いようがなくて、他の形容詞を私は思いつかない。
いい子ちゃんぶっているのではない。
「劣等(だ)」、「バカ(だ)」などの形容動詞を使いたくなる気持ちは分かるが、
それは居酒屋談義でとどめるべきで、いや、そうであっても隣席の人から
喧嘩をふっかけられてもしかたがないレベルの暴言だ。

私は自民党をそれでも支持する人々は「七人の侍」の村人たちのようだと思う。
詳しくは書かない。

守旧的な人というのは、とにかくそれまでの体制で満足ないし概ね満足だったから
そうなのだ。それ以上でも以下でもないのではないか。
その体制を崩す、抜本的に改革するという勢力には与したくないのだ。
「こんなに不正だらけなのですよ、あなたの支持政党は」と指摘したところで、
「その不正も次の刷新された執行部が斬新的に正していってくれる」と思うのだろう。

もちろん推測でしか書いていないけれど、そうだとして、そういう政治的態度を
「劣等」とは私は言えない。
「我慢強すぎる」とか、「守旧的であるのも甚だしい」とか、「ほとんど信仰だ」
あたりかな。

なにしろ「劣等だ」と言われた人々にとっては屈辱以外を感じようがない。
さらに溝を深めて何になるのだろう。



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初video shooting

午後3時頃、shootingに出かけました。
ただiPhoneで4K撮影しただけ。
被写体はもう何度も書いてきたように、私の棲息地の緑と水、光。

まず朝にも書いた大蔵の<はけ>へ。
3日前に負けず劣らずの美しいたたずまいを見せてくれました。
そこから成城3、4丁目へ。
そして野川へ段丘を下ってレンズを向けると、ヒャッホ、翡翠(カワセミ)が
目の前に現れてくれました。
他に誰もいないのですから、本当にひとり占め。
でもまあ、iPhoneですから、zoomもショボい。

さらに、なんと蝶もぶつかってきた?
ぶつかってきたのか、「Hello, there!」と挨拶してくれたのか。

普段の散歩やpotteringではまずないことが立て続けに起こって、
「いや〜、愛されてるなあ」と勝手に実感。

なにしろ最初のshooting、私としては大成功でした。

*

追記

先ほど中秋の名月を砧公園の木立を透かして撮ろうと外出しましたが、
東から南にかけての空だけが雲に覆われ、一向に月が覗きそうになく断念、
今帰りました。

いやいや湿気の多い、しかも気温も下がっておらず不快そのもの。
しかもアオマツムシが両サイド全ての街路樹などにいて、
自転車を走らせているとまったく途切れることなくやかましい、
風情のない鳴き声を私にず〜〜〜っと浴びせかける。
この外来種の鳴き声だけは私にはただただ雑音でしかない。
コオロギたちも自分らの歌が聞かせられず<泣いている>のではないか。
本当に許しがたい。

いやあ、骨折り損のくたびれもうけ、そして不快な暑さ、湿気、鳴き声で
昼間のluckは吹っ飛びました。


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<はけ>に励まされて

いやあ、今朝はエアコンをつけていない中、寝汗もかかず目が覚めました。
こんなの何ヶ月ぶりでしょう。
ようやく秋が訪れてくれたかな。
<ご滞在>が続きますように。

*

NHK朝ドラは、「あぐり」以来全く見ないできましたが、
「虎に翼」は今更ながら土曜のその週5回分連続放送をここ二週にわたって観ました。
帝国憲法が廃されて、日本国憲法の精神を行き渡らせる緒についた法律家たちの
奮闘ぶりがとても好ましい。俳優たちも魅力的ですし、演技力も確かです。

真田広之さんとその演じたドラマがエミー賞複数受賞というニュースにも接し、
今のところどういうドラマであるのかよく分かっていませんが、
快挙としか言いようがなく、立派だなあと思うだけ。

上述の演劇人たちの活躍は自己研鑽と仲間たちとの刺激し合い、
いいものを作るという強い意志の賜物です。

*

何度も書いて恐縮ですが、私の大好きな「はけ」が世田谷区大蔵の仙川脇にあります。
すぐ近くには、「七人の侍」の勘兵衛剃髪のシーンなどが撮られた
東宝のオープンセット跡(今は草茫々の空き地)があります。

3日前だったか、西日が当たって、その<はけ>を囲む木々や草が暖色を帯びた陽光に
躍動するように見えたのですが、それはなによりまずなかなか強い南風のせいでした。
しかしそれは<はけ>全体の活気付きにしか見えず、
私はそして「これはまさに私を鼓舞しているということだ」と首を垂れたのです。


日本演劇の歴史は、能・狂言の始まりまで遡るなら、とても長い。
歌舞伎も東映時代劇もすばらしいけれど、黒澤明監督は、
「海苔巻きが頭に載っている」ような武士の髷と月代を嫌い、
よりリアルなカツラを役者たちに被せ、あるいは地毛で丁髷を結わせたのです。
そして彼の映画で日本の時代劇は世界へと雄飛していった。

真田さん、そして共演者とスタッフは、その伝統と歴史の中に位置付けられる快挙を
成し遂げられたということでしょう。


私は演劇とは縁がありません。
しかし、東宝砧撮影所の近く(狛江だってそうです)に住んでもう50年ほど、
黒澤さん、三船さん、志村喬さんをはじめ、多くの映画人が住んだ成城にも長く、
足繁く通ってきた私は、彼らのspiritを感じてきましたし、
彼らの活躍や苦悩をも見つめてきた砧、成城、狛江、多摩川、野川、仙川を同じく
「ホーム」として、最晩年(?)で己の音楽を追求することができる幸せをー
「七人の侍」が撮られた仙川脇の<はけ>でー
しみじみ感じました。


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