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Nothing Else to Do

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昨日、夕暮れ近い砧公園


老いについてはだいぶ前から考えてはきたし、
心理的な備えをそれなりにしてきたつもりではあったが、
やはり現実にそれを突きつけられると<下準備>は完全とは程遠いと知らされる。

自分の「老・病」ももちろんあるが、友人知己のそれ、いわゆる「二人称の病や死」にも
同じほど切実なものがある。

しかし、こちらは、気が動転することがあっても、結局生きていくよりない。
ほんの少し前に鳥たちに啄まれてきれいになくなった庭のピラカンサの実ー
今その同じ木に無数の蕾ができていて、まもなく開花だ。
紫陽花もどんどん葉を伸ばしている。
柚子の花がいよいよ芳香を放ち出した。
ハナミズキはもう盛りを過ぎようとしているし。

時の移り変わりを惜しみ、そして愛でて、生きていくだけだ。


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どっちが悪いじゃない、殺し合っていればどっちも悪い

先ほど久しぶりにPTV(ポーランド公共放送)の「Military Mind」の最新版を見た。
驚くほど精度が上がったドローンからの対人爆弾の「成果」が何度も、
ほぼボカシなしに、放送されるのだった。

直撃のもあったが、爆煙が悲惨に過ぎる真実を覆い隠す。

PTVのこのあからさまなロシアへの配慮のなさは何だろう。
親プーチンのロシア人が、ロシア国内では見られないにせよ、国外で見て、
これを「お上」に報告しているのは疑いない。
プーチンはポーランドへの怒り心頭に発しているに違いない。

PTVは完全に親ウクライナであって、ロシア兵の戦死のありさまは好奇心の対象、
あるいは溜飲を下げるためのエンタテインメントとして提供しているとしか思えない。

私はウクライナ戦争が始まって以来、一度も偏った見方はしてこなかった。
侵攻を始めたのはロシアだからといって、それゆえ全面的に悪いとは言い切れない。
侵攻を誘発してしまったウクライナに咎が全くないとは言い切れない。
と言うか、私にすれば、今殺し合っているということ一点でどっちも悪い。

もうやめろよ。

イスラエルも多くの人がgenocideと断じる蛮行をやめろよ。

いい加減にしろ。

「こっちには関係ねぇや」とエンタメとして自分側の兵士たちが殺されるところを
<楽しまれていて>一体あんた方は何をやっているんだ、

ネタニヤフ、プーチン、ゼレンスキー・・・



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新勝寺と神田明神

今日東京は陰鬱な空、そして肌寒い。

そんな中、これから日課のウォーキングだけれど、帰ってきたら音楽だ。
録音機材の前に座るのは、なかなか久しぶりのことになってしまった。

*

今日は名人戦第2局、成田山新勝寺が対局場だ。
新勝寺は私にはかなりゆかりのあるお寺だ。

なにしろこのお寺、不動明王がご本尊、しかもそのお像は、承平天慶の乱、
すなわち平安期の平将門の乱を鎮定する祈祷のために京都から送られたものだ。

2000年、すでに千葉の光町時代(平成の大合併で今は横芝光町)からお不動様に
ご縁があった私だが、比較的近所の神田明神へ初詣したことがあって、
おみくじで大凶を引いた。
確かにひどい年になった。

新勝寺と神田明神は敵対関係にあると言っていい。

前者は将門調伏の寺、後者は将門を讃え祭る神社。
江戸っ子も、新勝寺の別院が在る深川の方の江戸っ子は成田詣でをするし、
神田の方はそれを厳に慎むという。

さて、藤井名人は、このどちらでも対局することになった。
ご祈祷をどちらでも受けたはず。

どうなることやら。


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2024 卯月随想

岸田文雄というのは少なくともworst 3の総理のひとり、
もしかするとworstではないか。

彼がのらりくらりとするのは、根底で、どうせ国民など自分の論法についてこられない、
そしてどうせ関心もなく、己の場当たり的で信念ない言動など忘れてしまうと
侮っているからだ。

安倍派裏金の慣行が明らかに始まったないしは行われていた当時の派閥会長森喜朗に、
民主主義の危機だというのに、森の都合なども考慮して呼び出すことなく<電話で>
事情を訊いたと。そして関与はないと言われたから関与はないと臆面もなく言う。
<さし>で聞いたと言い、立ち合いはなし、記録も取らなかったと堂々と言う。

立憲民主党の岡田克也さんは、こんなケジメのないことでは、
極端な左右の政党が生まれ、力を持ってしまうと言っていたが、
「右」についてはもうそうなっているように思える。

「大東亜戦争」という名称を意図的に使った自衛隊幹部もいるし、
腐敗政治家を「君側の奸」と断じ、「暴力装置」が右の極端な政治勢力と結びつかない
保証もない。

民主主義を守る剛毅果断の政治家が出てこないと、恐ろしい未来が見えてくる。
岸田文雄は全くその任に非ずだ。


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歌詞だよ(業務連絡)

Hydrangeas

Hydrangeas
start to weep when they see me cry
Knowing what I’ve come here for in the rain

Under the gray clouds
the flowers are shining so bright
Telling me gently to get over my pain

Hydrangeas stop me from dimming out
They always tell me what life is all about

There’s no one around
I’m hearing no sound
In their pity I’d rather drown


紫陽花

紫陽花はわたしが泣くのを見ると嗚咽し始める
なぜわたしが雨の中ここへやって来たのかを知っているのだ

灰色の雲の下
紫陽花はとても明るく輝いて
やさしく苦しみをのりこえよと言ってくれる

紫陽花はわたしのいのちの光が消え入りそうなのを止め
生きることの意味をいつも教えてくれる

周囲に人はなく
何も聞こえない
紫陽花の慈しみにわたしは溺れてしまいたい


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細部までつめる文化を持つはずの国で

YouTubeでおすすめされるビデオに、外国人による日本礼賛モノがある。
総数はもちろん知らないが、同工異曲のものが夥しくある。
しかし、その意図とは裏腹に、最も<国辱的>な内容のものに、外国人旅行者、
特に白人にビデオ主がそれなり高級な料理を振る舞うものがあって、
タダ飯タダ酒を馳走になる白人たちはその料理や酒を絶賛するというのがある。

また、韓国人女子たちが東京を中心に日本諸都市へ行き、日本のサービスのきめ細かさや、
もちろん食の豊かさにも触れ、また日本人と交流する機会も得て感動し、
それまで抱いていた日本への負のイメージを払拭していく、というのもある。

あるいは、ロシア、ウクライナ、ベラルーシなど、東欧圏の女性が永住権や日本国籍を
とるために奮闘する(?)ものも多数あって、いかに日本が住みやすい、暮らしやすい、
そして刺激に溢れているかを強調するのだ。

見ていて、彼ら彼女らの感想は嘘ではないと思うし、
日本での当たり前が外国では讃えられるべき美風だったりすることは往々にしてあって、
私も日本再発見というような気分になることもある。

ある韓国女性が、「日本はディテールの国だ」と言っていた。
細部にこだわる、ということだ。

「日本すごい!」モノは本当に多い。
一部はむろん賛同できる。
誇らしくも思っている。

しかし、どこでもそうだが、問題がない国なんてあるわけがない。

外国人たちを感動させるすばらしいプロたちを讃える。
そしてそういう方々が、そのプロ意識と仕事でちゃんと報われる国のあり方でなければ
ならないと心から思う。

税の負担率では五公五民を超えるのももうすぐ、もしかするともう超えているか。
その税の負担の見返りは十分か?
そんなはずはない。

「公金チューチュー」とかと気に入らぬ団体などを揶揄し、告発していた議員様が
なんと裏金を貯め込んだり、飲食に遣っていたりして、脱税で刑事罰を受けることもなく
国会議員様ですと膨大な額の歳費をもらっているままなんてー

ロクでもないことが罷り通る国でもあるのだと自国礼賛系YouTuberたちは自覚して
おられるのだろうか。

そうあってほしい。



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If you don't want to lose face, have no face.

イスラエルが「報復」攻撃だそうだ。
イランがそれに「報復」するのは必至ではないか。

国の面子って何だ。
雪辱のために相手の国と自国の民に、十分だと思えるまで死んでもらって
保たれるもの?

そして、そのためなら死んでもいいという人もいるのだ。

人間てそういう「動物」なのかもしれない。
しかしそんなのアホらしいと思う人もいる。

後者が圧倒的に多い「種」だと信じている。
しかし前者にその生殺与奪の権を握られているのだ。

私は抵抗する。



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Project HYDRANGEAS発足

Efilさんから激励のthumbs-up、本当にありがとうございます!
歌うたい、ノセるにゃ、「いいね」、また拍手。

Efilさんからご期待いただくと、ハードやヘヴィな新曲作ろうかいとも思ってしまう。
あの小説の中、そういうムードのところもあるし!

*

さて昨日、関根リーアン君、Reds岡野氏、スティック杉山氏、
そして嘉多山ガッチャンからご支援いただけることが確定、本当に幸せです。

Kは、visual面で貢献してくれます。

最後のアウトプットのつもりですが、まあ、坂本龍一さんのあの最期までの
ミュージシャンシップを知ってしまうと、何をまだ全然元気なくせにと怒られて
しまうのじゃないかと。

とにかく、音楽仲間とまた奏で合えるうれしさよ!



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いよいよ「実験」の音楽制作部門始動

今週で新学期が始まって2週目が終わり、私も少し落ち着ける。
いよいよ、「実験小説」の「実験」たるところをスタートさせよう。

まず小説のタイトルとなった『Hydrangeas』と言う楽曲に音楽的洗練を与える。
関根くん、治雄ちゃん、スティック、そしてガッチャンに声をかける。

この曲のカウンターとしては『Fly To Me』かなと思っている。
これも同様に4者に協力を頼む。

さらに、関根くんにはあの小説の中の断片で、彼に何かしら音楽的霊感を与えるものが
描かれているようなら、作曲をしてもらいたいと思っている。

Hydrangeas


Fly To Me


Miss You


Cry For a Thousand Days



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2024 卯月雑記

バイデン大統領がネタニヤフにイランへの報復をするなら支持しない、
援助しないと言ったそうだ。

最悪の結末への重要な伏線の一つが消えたと言っていいのだろう。

日本の対応?
そりゃアメリカ様がそうなら「ご尤もです、バイデン閣下」と言うに決まってる。
見上げたもんだ。

*

春の交通安全週間だか旬間だか月間だかが今日で終わるそうだ。
東京都の交通事故死者数が1.3倍になっているとかとも聞いている。

こういうことを書いていると恐ろしい。
自分だっていつ事故の当事者にもなりうるのだから。
どんなに安全運転に努めていてもだ。

自転車に乗れば、出くわすのは交通法規無視の子ども、
母親(ほぼ全員電動アシスト車)ばかり(自転車の男性は滅多に出くわさない)。
近くの小学校にはもう2度も自転車運転安全教室を開くよう投書しているが、
実施したのかどうか。

したならしたで実効性ゼロと断じるよりない。

重大事故が起こるのは時間の問題だ。

そんなことになってほしくないから、また児童を叱り、母親に小言を言うー
学校にまたも投書するよりない。


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Significance

当たり前だが、

Israel’s war cabinet met overnight, with one official saying there would be a “significant response”

とBBCの最新記事。

ただの1市民が「シリアス」になって戦争反対を言ったところでホント、まず意味はない。
こっちの「significant response」なんて事実上ありえない。
イスラエル側のそれはイランにとって強烈なしっぺ返し、つまり相当数の人間が犠牲になる
報復を意味する。

私は無力だ。
しかし、だから看過していつも通りの極楽とんぼではいられない<気持ち>であることを
表明せざるを得ない。

岸田さんは、アメリカとの強い連帯を言い、議会の賞賛を浴びて気持ちよく帰ってきた
らしいけれど、中東におけるこれ以上の戦闘エスカレーションが起きないように
呼びかけるくらいはしろよ。

殺し合いのinsignificanceを訴えろよ。
あなたなら1日本市民より少しは訴求力があるだろう。


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「ずっと(?)シリアスでばかりでいられるかいってぇの」ってか

いよいよイランとイスラエルの戦争が始まるのか。
イランは、イスラエルによるシリア在イラン大使館攻撃への報復として
「神風ドローン」を発射したそうだ。
ネタニヤフの対パレスティナ超強硬路線の延長線では、イランへの「報復」空爆から、
核兵器使用まで行ってしまう可能性を否定できる人はいないだろう。
当のネタニヤフ自身もきっとその可能性を排除していないはずだ。

これが第三次世界大戦への導火線的戦争となってしまう可能性もないとは言えない。

そんな中、某極楽蜻蛉の国は、今日も我関せずに1日をみんなで過ごす。


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英語のセンセ

今週新学年がスタートした。
私が英語をお教えするクラスが1コ増えてしまった。
もう引退で当たり前の年配なのに、増やすとは何事か。
その増えた分のお給金はせいぜい孫のために遣おう。

お教えするのは、高2、高1、中3、中1の生徒さんということになった。
持ち上がりが2クラス、新規が2クラス。
いずれの生徒さんも礼儀をわきまえたいわゆる「良い子」ばかりで幸運だ。

高2は教材を作る時に最も私自身にとっても勉強になる学年だ。
BBCやCNNの記事を参考にする。
もうこの歳まで英語を学んできた身としては、「新単語」はほとんどない。
あったらあったでその単語を味わう。
楽しい。

主に勉強になるのは、文である。
今は特に分詞の使い方をとてもおもしろく鑑賞している。

昨今一流大学はもちろん、偏差値的にそれ未満の大学でも、
平気でnativeの記事を入学試験で採用するから、
決して私の自己満足を生徒さんらに押し付けているわけではないのだ。

大谷翔平さんはもう渡米して5、6年とか経っているのに、
どうして重要な場面で重要なことを英語で話せないのかがやはり気になる。
そんなことができたら、野球の超天才であるのに加え、語学の天才でもあることになるー
いくらなんでも要求がきつ過ぎると言われてしまうだろう。
けれど、記者会見で彼が言った日本語が正確には訳されず、
pressの人々が不満を抱いたのにはやはり情けない想いを抱いた。

You may be feeling that what I told you this time is not enough,
but please understand that was all I can say now

くらいのことは、中学生でも言えておかしくはない。

こういうことをちゃんと言えるレベルまでもっていこうー

それが私の毎年のteacher of Englishとしての目標なのだ。


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桜田門外ノ変の新事実

NHK「歴史探偵」で桜田門外ノ変が取り上げられており、視聴した。
新事実があるというので興味津々だったが、その核心自体は知っていることだったー
駕籠の中にいた井伊直弼は銃撃されて斬り合いになる前に絶命していた、ということだ。

ただ、その銃がペリー提督が幕府に献上したものの水戸藩による複製だったろうこと、
後継を決めぬままになった彦根藩が武家諸法度により改易される可能性があったこと、
それを避けるため、幕府は直弼が襲撃を生き延びたということにして世継ぎも決まったことー

これらは初めて知った。

昨夏彦根へ行き、お城もしっかり見てきたが、彼の地の方々にとって水戸は、
ちょうど會津若松の者たちにとっての萩みたいなものなのだろうと思った。
しかし、會津の場合、長州や薩摩という外様大名の藩との抗争となったわけで、
ある程度それはありうることだったと思えるが、
彦根藩と水戸藩という徳川幕府の屋台骨を支える2藩がそこまでのことになったのは
皮肉と言うよりない。

浮かび上がるのは、やはり、光圀以来の水戸藩の国粋主義、そして斉昭の尖り過ぎだ。

世田谷や狛江は彦根藩の領地だったし、「藤倉転石」の桐生もまた然り、
「転石」氏の根本山神社は桜田門外ノ変の時、井伊家の賛同庇護の下、
ちょうど江戸へ<出張所>別院を設けるために桐生を出た道中だったという。
むろん計画は頓挫した。

今私が住むところから自転車で15分ほどのところに豪徳寺がある。
ここは井伊家の江戸における菩提寺(もちろん当時は江戸ではなく、武蔵国荏原郡)。
第三代藩主井伊直孝を始め直弼の墓所もあるし、
桜田門外で闘死した八人の藩士の供養塔もある。

皮肉なのは、そこから自転車で数分で松陰神社が在ること。
安政の大獄で直弼が殺した吉田松陰を祀った神社だ。
その「国士」にあやかって、国士舘大学が隣に在るのだ。

さて、「歴史探偵」出演の佐藤二朗氏。
どうも砧地域在住らしい。
私は2度も彼と遭遇している。

彼は砧が井伊家の領地のひとつだったことを・・・
きっと知っているだろうな。


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終わってんだろうな

熱し易く冷め易いと言われればそれまでだが、大谷、大谷、藤井、藤井の連呼ー
もうここまで来て、他の重要事を差し置いて加熱報道することに飽き飽きしている。
報道する方も、いまだ熱狂する方も、本当に極楽蜻蛉に過ぎる。

そんなふうになっていられる足下が実は揺さぶられていることに直面しなくては。

天才の動静が気になる、気にする人の需要があるとするのはもちろん分かる。
私だって気にならないはずはない。
しかし度が過ぎている。

故意であれ、未必の故意であれ、脱税議員らがのうのうと立法に携わっているという
信じがたい事態を許していていいのか。
自民党議員も含め、脱税に関わっていない「選良」たちがすべきはボイコットだろう。

こんな中で少子化対策として増税ー
それでもこのままじゃ人口中規模の国にすらなれない。
計算上、「日本人」はいなくなってしまう。

我らがヒーロー、故・安倍首相があれだけプーチンに掛け合ってもダメだった北方領土交渉。
日本はアメリカが日本国内のどこに基地を置こうが逆らえないからというのが最大の理由
だったらしい。

アメリカの戦争に巻き込まれるー
みんなそんなことはないと思っているんだろうが、甘過ぎる。

憂さを晴らしたいから、大谷や藤井に熱狂するのもいいのだが、
そんな熱狂を保障する体制が崩れてしまったら、まさに元も子もないのだ。


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来春の桜よ

北海道北見に住む友人から、初夏の陽気から一転翌日は雪という天候激変を報せてくれる
メールをもらった。一昨日のことだったが、その寒気の<ちょっとぬるくなったやつ>が
東京に来たみたいで、今朝は寒かったなあ。

庭木の乙女椿の花びらがとにかく凄まじい量道路側に落ちてしまい、
この時季は毎日、それも時に複数回掃除をしないといけない。
義父のお気に入りなのだが、私は普通の(?)薮椿の方が断然良かった。
まあ、バチが当たるからそんなことは言わないが。

掃除をしていると相変わらず吸い殻を道路に捨てる複数人の狼藉の跡を目にする。
何が民度が高い日本人だ。
それから、マスクを路上に捨てる破落戸。

本心で言う。
いなくなれ。

*

昨夜も深い時刻に歩きに出た。
今回は成城学園の脇の仙川沿いに咲く桜と、ちょいと有名な成城6丁目を中心とした
桜並木通り。

数日前には昼と夜に喜多見9丁目と成城4丁目野川沿いの桜も見たし、
また成城4丁目の通称「ビール坂」の桜も見た。

もっと脚を伸ばして、狛江の多摩川沿い、あるいは多摩川住宅へ行く通りの桜並木も
見たいところだけれど、歩きではちょっと遠すぎる。

上で書いたのが私の住むところの周辺にある桜の<名所>だ。
むろん砧公園のは除いて記した。

さて、来年の春、やはり元気で桜と再会できるか。



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昇天メンバー

夜桜を観に、午前0時過ぎ独り砧公園へ出かけた。
雨も降りそうな夜空、約39万平方メートルの広大な園内には案の定誰もいなかった。
最高である。

歩きながらYouTubeで編集した音楽リストの曲を楽しむのだが、
最近入れたZombiesのTime of the Seasonが流れ、胸が熱くなった。
リアルタイムで聴いた頃の思い出が一挙に脳内を埋めるようで、感情が込み上げてきた。
そのとき私は10歳だった。

本当に、あの頃に戻りたいと思った。

*

YouTubeではいろいろな動画を見るけれど、肉親の相次ぐ鬼籍入りの頃、
鬱状態の私を救ってくれたものに、先代三遊亭円楽司会時の「笑点」と柳家喬太郎の
新作落語があった。

そのデータが残っているからだろう、今でも、特に「笑点」の<海賊>ビデオを
どこかの国の怪しげな投稿者が上げているものだからおすすめに載ってくるのだ。

現在の「笑点」は全く見ていないので、ネットニュースの話題で知るだけだけれど、
林家木久扇さんが引退されたそうで、立川流の新人が入るそう。

木久扇さんは実は相当に賢い人で、怜悧とすら言っていい人だろうとずっと思っていた。
与太郎役をやらされて、忠実に馬鹿を演じてきたけれど、本当はそうじゃない。

2000年代に入って、先代円楽、桂歌丸、林家こん平、六代目円楽(初代楽太郎)と次々に
<昇天>メンバーになっていってしまった。この4人がいた時の「笑点」がベストだった。

今残っているそのころのメンバーでは、三遊亭小遊三が一番、次に林家たい平か。
「大月の師匠」の毒気はなくてはならない。

失礼ながらもう一人の方については、論評もしようがないほど私には印象がない。
その人の回答の番になれば、飛ばす。
笑点メンバーとしてもそうだが、何より、なぜ噺家になろうと思ったのかと疑うレベルだ。


話は変わってしまうが、NHKラジオの「昭和人物史」で樹木希林さんが取り上げられた。
「ユーヤさん(内田裕也)」の<扱い>を娘さんがロンドンのタロット占いで尋ねたら、
「お母さん(希林さん)が亡くなる時、一緒にお父さん(ユーヤさん)を連れていく」と
いうようなことを言われたと。

亡くなり方は予言とは違ったが、希林さんが亡くなって程なくユーヤさんも確かに後を
追われたのだった。

六代目円楽さんはずっと歌丸さんの昇天間近をからかっていて、それが売り物だった。
そんな不謹慎な洒落をずっと言っていて、たった4年後14歳も上の歌丸さんに
<連れて行かれた>。

親しい人にあの世へ連れて行かれるというのは、あるなあ、って思う。
だって私の家だって、父、長兄、母と3年経たずのことだった。

Zombiesの歌は、その3人がまだまだ若かった頃の、我が家に流れた歌だ。
そしてそれからわずか1年で、「笑点」の前身「金曜夜席」が始まるのだった。


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I'm sure you'll agree with me, Mr Sakamoto

昨夜坂本龍一さんの「Last Days」を見た。

あっぱれな最期で、感じ入った。
70歳そこそこの旅立ち、YMOで唯一存命と言うことになった盟友の細野さんが
もっとやれることがあったのにと悔やまれていた。

坂本さんは死は怖くないと言われ、むしろ死とはどういうことであるか体験するのを
楽しみにするような言葉も遺していたと記憶する。

緩和ケアに入られたのだから、病膏肓に入って苦しまれたのは疑いないのだけれど、
それでも泰然と死を迎えようとされていた心の強さに感服する。

きっと坂本さんも来世を信じることができるようになっていたのだと私は感じる。

自分のしたこと、それへの思いは、受け継がれていく。
むろん来世の自分へ、そして自分に関わった人々へ。

解脱こそが仏教の目標だとするのなら、私はこの世へ還ってきたいと思うのだから、
永遠の亡者かもしれない。

しかし、その「この世」がますますの穢土となっていくのなら、還りようがない。

この世を兎に角、生きている裡は、浄土に少しでも近づけなければいけない。


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楽しきひととき

昨夜は克己会。
元々その日に合わせて「Hydrangeas」擱筆を目指していました。
なんとかその通りになって、今日はゆっくりしています。

会は大変な活況で、参加者全員満足。

参加者にはこれから私が「実験小説」というだけのことをしてゆく際の援助をいただきたい。
まあ、我欲ではありますが、私に免じて(笑)。


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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その31 最終回

ハイドレインジャ
第3部その31

6月の話に戻ろう。

いよいよ3人で蛍を見る会の日が来たのだった。
凛は浴衣を着た。とても「アラフィフ」には見えない。誰が見ても30歳代にしか思えないだろう。白が基調で、涼しげな薄紫色の紫陽花の柄が目を引く。成城から歩いてきて、どれほど多くの通行人が見惚れたことか。

蘭が集合場所である喜多見駅近くのカフェにやって来た。やはり浴衣姿で、紺が基調の花柄が艶やかで、他の客が一瞬目を奪われるほどの美しい着こなし、そしてもちろん、容姿であった。

そのカフェでまず軽い夕食をとった。
話はアルバム『Hydrangeas』についてだ。蘭も収録する2曲で俺と一緒に歌詞を書いたのだ。大堀がデザインしたアルバムのブックレットにつき、詩と音楽のイメージとヴィジュアルのここが良い、ここが違うなどと話し合った。

ある曲で蘭が、「I love you, no matter how you treat me」という歌詞への想いとブックレット・デザインとの齟齬を熱く語っている裡に泣いてしまったのだ。

「光明なのよ、光。この見開きページの基調色は赤だけれど、黒やdarkな色は左ページの左隅だけにあって、右ページは光が横溢する空であってほしいの!」

凛は敏感に蘭の気持ちを受け止めて、食後のEarl Greyのカップを震わせ、ソーサーがカチャカチャ鳴った。

俺は複雑な表情をしていたに違いない。


店を出たが、午後6時半でもまだまだ明るい。
みつ池へ着いても、まだ蛍が出るには早かった。

国分寺崖線の木立の中に入れる場所を探すことになった。崖線下の道を歩いていくと成城4丁目緑地に着いた。残念ながら門は閉まっており、とぼとぼと3人は引き返す。

ヒグラシが鳴いている。
道の左側、つまり崖線直下には<はけ>が湧いていて、自生しているわけでもないだろうが、紫陽花がところどころ咲いている。そして右側の住宅の塀の内側や生垣にも紫陽花が連なるように咲いている。まるで紫陽花ロードだ。

俺はその景を立ち止まって見た。すると凛と蘭の後ろ姿がその紫陽花ロードのperspective奥に吸い込まれていくように見えた。

なんという美しい景だろう!

余りの感動に立ち尽くすしかなかった。
そして二人が本当にこの景に吸い込まれてしまう、異次元に行ってしまうのではと俄かに焦り出した。

あ!ヒグラシが鳴くのをやめた。
遠くの鳥たちの声も聞こえなくなった。

俺は咄嗟にアルバムのテーマ曲『Hydrangeas』を歌った。

There's no one around
I'm hearing no sound
In their pity I'd rather drown

誰も周りにいない
音が聞こえない
紫陽花の憐みの中 俺は溺れたい


すると凛も蘭も振り返った。
ふたりの微笑みは梅雨の晴れ間の陽光のように光った。

そのときー

大地震が来た。
すさまじい揺れだ。
崖が崩れ出した。
そう思った途端に一挙に土砂と岩と石と樹木と紫陽花が俺たちを襲った。

首都圏直下型地震だった。


俺たちは死んだ。
死んだけれど、生き残った仲間たちが『Hydrangeas』を後に発表してくれた。

俺は、凛は、そして蘭はー

今<あの世>にいる。

蘭はトライアードのハーモニーを楽しんでくれている。








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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その30

ハイドレインジャ
第3部その30

「短日や また床に入る 忍ぶ恋」

俺は大昔の駄句を漱石山房入口の先生のご胸像前で披露した。

蘭はそれを聞いて、呟いた。

「冬の月 いつも遠くの 眼差しの」

俺と蘭が四半世紀も別れることになったのはちょうどこの季節、1月初旬のことだった。蘭が完全に姿を消す数日前に、俺と蘭は音羽の今宮神社に詣でてからここに来て、ずっと押し黙ってベンチに座っていたのだった。

「私、あれから数年後結婚したのよ。」

蘭が言った。

「そう。」

俺は視線を彼女に向けることなく返事をした。

「でも、ダメだったわ。」

俺は黙った。

「愚かね。あなたのこと、忘れられるはずがないのを知っていたのに、何を血迷ったか。

相手に言われたわ、いつもお前は誰かを思っているって。優秀で誠実な人だった。なんの瑕疵もない人だった。なのに私はあなたにはできたことをその人には全くできなかったの。」

俺は唾を飲み込んだ。

「彼はその後『行人』の一郎みたいになったわ。」

『行人』の一郎・・・
俺は蘭と会えなくなってからこの小説を読んで、著者漱石の精神的な病を疑ったものだ。そのインパクトは相当だったが、やはり『それから』や『こころ』には及ばなかった。というのは、『行人』は妻の体ばかりか『霊というか魂というか、いわゆるスピリットを攫まなければ満足ができ』ず、裏切られる恐怖が募り過ぎて心を病む男の話、『それから』は優柔不断が祟って友人にとられてしまった女を取り返しながらも、人妻を奪ったことで家から追放され高等遊民ではいられなくなってしまう男の話、『こころ』は女への友人の恋心を知りつつ、卑怯にも秘密裏に先んじて女と婚約したものの、友人がなんと自裁してしまい、生涯致命的なほど悩んでしまう男の話であり、俺がどのタイプの男かと言えば、後者の2人の方だからだった。

「さっきの、凛さんのトライアード論はおもしろかったけれど、凛さんがトニックなら、いつでもユウは3度でしょ。長でも短でも。私が入るなら5度。」

蘭が小さな声で言った。

「え?」

「私がトニックでも同じよ。ユウが長3度か短3度。凛さんが入るなら5度。ユウが短3度のとき、凛さんは減5度になったりすると思うの、私。私だって凛さんが主音のとき、ユウが短3度なら減5度になると思う。」

「ならないよ。」

俺は言下に否定した。

「凛は、5度を担うなら、いつでも増減なしの5度、<完全5度な>女性だよ。」

蘭は黙ってしまった。重苦しかった。


「こころから愛してるのね、凛さんのこと。」

蘭が涙声で言った。

「私はあなたと凛さんとでメイジャー・トライアードを構成できない。」


俺はしばらく下を向いて言葉を発しなかった。

そう云えば漱石先生はDTとしてお出ましにならなかった。

<だから>俺は漱石先生の胸像に書かれている俳句とその前句を音読した。


人よりも空、語よりも黙。

肩にきて人懐かしや赤蜻蛉


この言葉を何度噛みしめたことか。
俺にとって「人」は蘭であった。

その蘭とこうして漱石公園を再訪できた喜びは本当に果てしないほどだ。
これから二人はどうなるのか、どうなればいいのか、ちっとも判然としない。

そんな1月のある日を俺と蘭は過ごしていたのだ。


(つづく)






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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その29

ハイドレインジャ
第3部その29

俺たちは<それから>江戸川橋で食事をしたが、蘭はほとんど料理に口をつけなかった。

店を出ると、1月ゆえ午後6時ではすっかり夜になっており、俺は寒いのは気にならないが、蘭は「凍えそうだ」と言って、ストールを巻き直した。

江戸川橋周辺は俺にとっての<ド・漱石圏>であり、しかしながら、「代助」になり損ねた俺は「三千代」に準えることのできる蘭と共にそこを歩いている一抹のうれしさがあった。黒歴史の<塗り替え>が多少なりともできているという想いがあったのだ。なぜなら、蘭と歩くことができなくなったことによる絶望こそ俺の「漱石病」を発症させ、また深刻化させた原因そのものだったのだから。

蘭との出会いは、もう30年以上前に、狛江の市民祭りで当時俺がいたバンドであるPanaceaが駅前の特設ステージで生演奏をした時まで遡る。「音楽のまち」というキャッチコピーを持つ狛江は、藤倉転石が住んでいるのも一例だが、音楽業界人が多く住む街としてそれなり知れ渡っている。

蘭はそこで俺が歌った、バンドメイトのエカと共作したLight Through the Cloudという楽曲に強く共感し、俺が演奏後後片付けをしている時に声を掛けてきたのだ。

その歌には、「Something tells me my future is fading / Light is about to freeze」というような正に陰鬱な歌詞があり、当時の蘭の心の琴線に触れたと言うのだった。

彼女はその頃17歳だった。Panaceaのパンフを受け取り、バンドに関するネット上の情報にアクセスしてギグにも必ず来てくれるようになった。2年後彼女は慶応の学生となった。俺にとって蘭はファンと言うより、詩作上の頼れるパートナーとなっていった。鋭い感性、言語感覚に俺は何度も驚かされ、そして次第に惹かれていき、一線を超えた。

俺は出会いの頃にはすでに既婚者であったし、そのことは蘭も知っていた。だから愛し合ってしまったらそれがのっぴきならない関係になることを意味するのは蘭も承知だった。漱石の小説と同じだ。三角関係である。そしてその関係が数年後必然のように破綻する。俺は「代助」のようにけじめをつけようと思ったが、一時逡巡をした。蘭もずっと己の罪意識に苛まれていたのだが、いよいよ死ぬか生きるかというようなところまで追い詰められ、突如姿をくらましてしまったのだ。後で知ったが、俺の妻に今生二度と俺とは会わないという誓約書を託してのことだった。

俺は「一時逡巡」を後悔した。迷わずに最愛の女性と生きていく決意をし、行動すべきだった、と。しかし逡巡させたのは、もちろんまず妻への罪悪感があったが、何より幼い娘と離れ難かったからだった。それでも結局俺は妻と別れた。

そんな泥沼のような一時期を、この江戸川橋や神楽坂周辺で俺と蘭は過ごしたのだった。

その後俺は狛江に戻るまで約5年、独りこの「漱石圏」で暮らすことになった。娘とは週に一度くらいのペースで会えることだけが救いだった。

俺は自虐的に漱石の特に中後期の著作を貪り読んだ。彼がそれらを書いた早稲田南町へは至近の町に暮らしていたから、たまらなくなると、深夜であっても、その「文豪」の終焉の地で、今は新宿区立漱石公園になっている場所へ歩いて行った。

肩に来て人懐かしや赤蜻蛉

漱石の胸像に刻まれた彼の句を何度涙して読んだことか。


蘭が白い息を吐きながら、

「凛さんと出会えたのは本当に良かったわね」

とあらためて言った。

「ああ。」

俺はなんら飾る言葉も、態度も、声調もなく、肯定した。

「歌で表現できるって、本当に羨ましい。」

蘭は大昔に俺につぶやいた言葉をまた呟いた。

「凛さんとはもう結婚しているの?」

「けじめはつけてあるよ。」

「もちろん今日私(あたし)と会っていることはー」

「知っているよ。快く送り出してくれた。」

「・・・すごい人ね。」

「俺を、蘭を、信用し切っているってこと?」

「・・・。」

「凛はね、なんか超越してるんだよ。」

「超越?」

「あの時代じゃしょうがないけれど、漱石の三角関係小説を読んでいると、2点間の直線になるか、3つの点になるかしかないって前提しているのがもどかしいって。」

「・・・。」

「トライアードって安定しているじゃないって。トニック、3度上、5度上。鼎立。平面を埋めるのが可能な三角形、四角形、六角形のうち、強度だけで云えばトライアングル、トラス構造が一番だって言うわねって。」

「・・・。」

「3人のうち、誰かが短3度になって悲しい感じの3人になってもいいし、もちろんその人が長3度になれば晴れやかで、それももちろんいい。誰かが減5度になったら、なんかおどろおどろしくなって、増5度でもそうだけれど、一時はいいけれど、早くメイジャーかマイナーになろうって思わない、なんて言うんだ。」

「・・・。」

「短調がなかったら、長調も活きないでしょ、逆もまた然り。たとえ長3和音ばかり、短3和音ばかりの調べがあっても、それはそれぞれ<反対の調の不在が前提>なのよ。今は不在だけれど、その存在は意識されている。いつもそんな悲しい調べばかりじゃないじゃないって。いつもそんな明るい調べばかりじゃないじゃないって。」

「凛さん、彼女とユウと私のことを言っているの?」

蘭が呆然とした表情で言った。

「そう。」

俺は答えて、地蔵坂上で右折するようにと蘭の肩に手を置き促した。

「今私たちはどういう和音なの?」

「どうだろうね。誰かが他の二人に疑いを持っていればディミニッシュ・コードかな。俺はメイジャーとは言い難いにしても、だったらマイナー・コードだと思う。」

「誰が短3度?」

「さあ。お互いがお互いをそう思っているかも。でも少なくとも凛は短3度にはなりにくい人だよ。」

「ユウはお母様の旧姓が根本だから、いつもルート(根音=トニック)?」

「ハハ。俺については、自分の認識世界では、自分がルートになってしまうだろうね。その俺の世界に二人が登場すれば、そしてその二人が互いを俺を<中心>にして意識し合うようになれば、どちらかが長および短3度だとか、あるいは完全、増、減5度だとかって思うわけだ。勝手にね。」

「・・・。」

「何にしてもトライアードのハーモニーだ。そう思っているんだ、凛は。」


そんなことを話しているうちに、漱石公園に着いた。


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その28

ハイドレインジャ
第3部その28

蘭と俺は、再会してからこの6月まで半年の間、実は数回会っていた。
凛に内緒にはしなかった。もうそんなことは金輪際したくなかったから。

凛は、本当に信じ難いが、一切反対しなかった。
俺が蘭と付き合った年月のことをほぼ正確に打ち明けていたし、なにより凛は蘭への友情のような思いを抱いていたというのが大きかろう。「ダイアナの鏡」としての投稿内容が、凛を感心させ、興奮させていた。それがあって、蘭のたたずまいの良さにも、同性として、そして人間として、強い好印象を持ったのだった。

1月、俺と蘭は神楽坂で会った。
俺には「漱石病」罹患時の曰くつきの場所だったが、その病発症の最大原因であった蘭とこうして再会し、彼女と一緒だからこそ、俺は<思い出の塗り替え>のため敢えてそこで会ったのだ。

俺たちは地下鉄の出口で落ち合い、まずはその辺りを散策した。

蘭は神田の蕎麦屋の娘に生まれた。何代も続くチャキチャキの江戸っ子の家だ。
母親の実家が<やはり>滋賀県日野町で、神田とは大違いの田舎ぶりに母の一年一回の帰省で付いて行くたび強い郷愁を養われた。

その後、蘭の両親は離婚、蘭は母親と共に小6で狛江に引っ越した。母親は狛江とは何の縁もないと思っていたが、まず滋賀の故郷の川、日野川が好きであった彼女は、多摩川の近くに住みたいと思ったそうで、狛江市の物件を探しているうちに野川を見て一目惚れ、より日野川の風情に似ていたからだそうだ。

俺が蘭と付き合っている頃、この<近江つながり>については全く自覚していなかった。だから再会してから彼女と話していて必然的にその話題となって、蘭は俺のブログを読んでいてその一端は知っていたが、大いに縁の深さに驚き、さらに凛もその縁に連なっていることに感動もした。

さらに今度は俺が震えるほど驚いたのは、蘭の母親は熊野神社を厚く崇敬する人で、新宿十二社の熊野社への参詣を欠かさない人であるということだった。なんと、彼女は日野町のまさに熊野地区の出身だと言うのだ。綿向山南西部の麓の地区だ。もちろん熊野神社がそこに在る。

嫁いだ先の神田の蕎麦屋は当然のように代々神田明神の氏子だが、神田明神の宮司たちは熊野詣でするほどに日本最古の神道の真髄を畏敬している。それでも蘭の母は、千代田区にはない熊野神社を求めて、新宿(角筈)十二社の社へ通ったのだそうだ。そして離婚して狛江に暮らすようになっても、熊野神社を詣で続けていると。

あらためて俺はつくづく近江との縁が深いのだと思い知らされた。

俺たちは白銀公園の中に入った。

「私(あたし)はだから、町人町の神田はもちろん好きだけれど、北の丸公園で遊んだ口よ。」

蘭は言った。

「人工林とは云え、あそこが緑いっぱいなのはユウもよく知っている通り。皇居の生態系が北の丸にも移っているって感じがする。思いがけない生き物に遭ったりするから。

私ね、小学校5年の時、友達と一緒に北の丸で鬼ごっこしてて、あの公園の道はみんなそうだけれど、両脇が木立になっている細い道に入ったのね。そこでクスノキだったかなあ、高い木の陰に隠れたの。そしたら中年の男が私に近づいてきて、その見るからに異常な表情に身構えたけれど、なんだか声が出なくなってね。そしたら、その男、縁石につまずいて、ツツジかなんかの植え込みに顔から突っ込んで、傷だらけになって、目もやられて、ギャアとか言いながら、行ってしまったのよ。」

俺はピンと来た。

「そこ、詳しくはどこだった。」

「知ってるかな、近衛歩兵第一・第二連隊碑が在るところ。」

「やっぱり。」

「え?」

「俺の母方の爺ちゃんは、近衛兵だったんだよ。會津出身者なのに名誉この上ないことだって。軍服姿の爺ちゃんの写真、飾ってあるよ。」

「・・・もしかして、私を守ってくださった?」

「じゃないかな。DTsはお見通しだから、なんでも。蘭が将来俺と出会って、愛し合う女性になるって爺ちゃん知っていて、蘭を守ってくれたんじゃないかな。その時は<近>江の女性を<衛>る<兵>士になってくれたんじゃない。」

蘭は笑わなかった。
笑わぬどころか、泣き出してしまった。

俺も蘭を見ていて涙を抑えられなくなった。
俺は蘭を抱えて歩ませ、ベンチに座らせた。

「も、もう、ユウと私には未来がないのね。」

蘭がそう言って両手で目を覆いしばらく泣いていた。

俺は何一つ言えず、蘭の背中を撫でるだけだった。


(つづく)




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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その27

ハイドレインジャ
第3部その27

俺が<sweet afterglow>を貪っているとき、凛がつぶやくー

「誰もがDTsになるにしても、当然この世での悪行は悪果を招き、almightyどころじゃない、不自由な魂になってしまうんじゃないのかしら。」

「そうだね。悪行とは、どんな生命体であれその命を軽んじる行為さ。」

俺は眠気に抗いながら答えた。

「そうじゃなきゃおかしいっていうことになるんだろうね。悪人正機を親鸞さんが言ってくださったとしても、そのためただ念仏すればいいなんては言っていないそうだよ。絶対他力の信心こそ、と。」

「真宗門徒にならないと悪人は救われないの?」

「俺はどの宗教・宗派が優れているとかなんとかとは比較しない。もちろんアホな宗教もある。そんなのはすぐ分かる。教祖の顔を見りゃすぐ分かるじゃん。長く信仰されてきた諸宗教にはそれなりの訳があるんであって、そうなると、宗教の選択は地域性や好みなんかがその理由になっちゃうんだろうね。

歴史ある宗教は一様に儀式を持ち、その厳かさに人は打たれる。儀式に臨むと、当然ながらその非日常性に人は心が高揚する。それが自分は普段よりhigherになったという気分につながり、神仏が相対的に近づく感じがするんだろうね。宗教行事はすべからく厳かでないといけない。そして厳かであることイコールholinessっていう感じだね。

なんであれ、俺が重視するのは、本当にそれが命を大切にする宗教かどうかということに尽きていくんだけれど、もっと身近な言い方をすると、前にも言った通り、花をー 植物をー 愛する人間であれば、俺はどんな宗教の教えもほとんど余計だろうとすら思っているんだ。

そういう人間は、花を咲かせてくれるー 木々を育ててくれる土と水と空気と光を愛するし、共に植物に依存し、愛しているようにも見える鳥や昆虫にも仲間意識を覚える。そしてあとは月を含めた星々だね。桜が満開という夜に月明かりに照らされている様にうっとりしない人間なんているだろうかって思うね。」

「残念ながら、いるんじゃないのかしら。花鳥風月なんて、日常に埋没するものでしかない人は少なくないと思うわ。」

「うん、そうだね。そういう人は、申し訳ないけれど、虫に転生してやり直しだね。虫にとってどれほど植物が決定的に重要かを1から学ぶんだな。」

「鳥に転生するんだったら、私うれしいかも。」

「ああ。鳥に生まれ変わる人って、相当にいい前世を送った人だと思うな。」

「あのエナガになりたいな。ユウもエナガになって、番で、一緒に国分寺崖線の木立を歌いながら巡るの。」

「いいね!それなら何度でも生まれ変わっていいな。」

「でもユウは今生は人間として、あの木立を歌わなきゃね。」

「そう、それが課題だね。死ぬまで、歌い切らなきゃね。西行みたいに、如月の望月の夜、桜の花の下で、最期まで歌びととして。」

「まだダメよ。」

「ああ。」

「まだダメ。」


*

歌集『Hydrangeas』の制作は進んでいった。
Reds岡野、Stick杉山、関根リーアン、そして嘉多丘ガッチャンも協力してくれた。
大堀はアルバムのvisual面をサポートしてくれた。

最終曲でアルバム・タイトル曲のHydrangeasが、あと2、3のコーラスを入れれば完成という時に、蘭と約束した成城みつ池での蛍狩りの夜を迎えた。


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その26

ハイドレインジャ
第3部その26

転石会から凛との帰途、小田急の電車の中で凛が考え込んでいる様子だったので、俺は

「What's on your mind?」

と訊いてみた。

「I've been thinking about carnal desire(肉欲).」

俺はドッキリした。英語で訊いてよかったとも。まあ、凛は俺が日本語で訊いてもきっと英語で答えただろうけれど。

「DTsとこれだけ交流ができれば、私、確かに来世は怖くないと思えるわ。
ユウが言ったわよね、死んだら四季を愛でられなくなるみたいなこと。」

「ああ、あれは失言だった。そんなことはないに決まってる。なにせDTsはalmightyだから。」

「そうかしら。」

「え?」

「例えばユウは花を愛でるとき、手で触れる、鼻で嗅ぐでしょう。雪が降れば、歩いていて、長靴の底を通して積もった雪の触感がうれしいでしょう?それは感じられないのよ。Almightyではないわ。」

「う〜ん。」

「何よりー」

「何より?」

「あなたとの触れ合いがなくなってしまう。」

「ああ。」

俺はしばらく考えた。

「でもさー」

俺は切り出した。

「DTsは、視覚と聴覚はあるわけだよね、少なくとも。その2つの感覚しかないとしたら、確かに全然全能じゃないけれど、本当にそうなんだろうか。」

「触感ももしあるなら、carnal desireは永遠になってしまうわよ。そんなことを言ったら、多くの宗教人が卒倒するわ。妄執の元でしょ。」

「それこそ色即是空じゃないのかな。」

「え?」

「色=matterはすなわち空・・・空はいろんな英語訳があるけれど、例えばopennessとすれば、<開かれている、空いている>状態ってことで、それは埋められる、挿れられる。」

「『<い>れられる』って、ユウはどんな漢字を思って言ったの?容器の<容>?」

「それもいいなって思いつつ、挿入の<挿>。」

凛は黙ってしまった。

「DTsの世界って、この世と同じで実体がないわけだ。つまりvirtual。この世でも感覚は空、virtualだし、あの世でも空なんだから、同じでしょう。だとしたら、あの世でも感覚は空として<ある>。」

「つまり、私たちはあの世でも<つながれる>の?」

「言ったじゃん。俺たちはそれぞれコスモス(宇宙)を持っていて、いや、コスモスそのもので、つまり凛のコスモスと俺のコスモスは違う。けれど、紫陽花の花の房のようにそれぞれのコスモスが枝分かれして咲いていても、根本は同じだから、そこを通してつながっているって。」

「コスモス、紫陽花って、なんだかややこしいけど、なるほど。」

「だからcarnal desireもそれぞれのコスモス同士の、あるいはその主同士の合意があれば満たされるだろうね。」

「私たちの今のlovingもじゃあ、virtualなのね。」

「生の体験全てがそうでしょう。でもだから<空>しいって言うのは違うと思う。『空』をemptinessで訳すと、まさに空虚感、ネガティブな<なさ加減>の意味を引っ張ってしまう。

<うつろ>をネガティブに取っちゃえば、そりゃそうだ。でも<うつろ>というのは、何かに埋められる可能性、蓋然性、あるいは必然性を秘めている状態とも言える。だからopennessって訳が俺は名訳だと思っているんだ。」

「つまりvirtualの極みがrealなの?」

「そう、realっていうのは結局virtualなんだよ。最高にrealなvirtualityを俺たちはrealって言っているんだろうね。」

「なんだかオクシモロンのようね。」

「現実である仮想ってか。」


そんなことを話しながら、俺たちは電車を降り、成城通りを歩いた。

「分かったようなことを言っているけれど、暴論だろうね。」

俺が言うと、

「いいの。ユウと私が納得できれば」

と凛は返した。

「まあ、直接DTsに訊いてみりゃいいんだけれど、科学技術的に、そして哲学的に、はるかに進んだ宇宙人が地球人にその核心については何も教えないだろうというのと同じで、DTsもこの世とあの世の核心的な違いについて教えない、あるいは言いようがない、表現しようがないっていうところ、あると思うよ。」

「宇宙人も出てくるのぉ?また複雑な話になるわぁ。」

凛は笑いながら家のドアを開けた。

家の中に入った途端、俺たちは激しく抱き合った。


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その25

ハイドレインジャ
第3部その25

カラオケをやりながら、めいめいが60年代から80年代中心の洋楽について語り合った。

そんな中、俺は、自分の小遣いで初めて買ったレコードの『Hello, Good-bye』を唄って感極まってしまった。当時小5だった俺が、『Sgt. Pepper's』以来その難解さに付いていけずBeatlesを<見限った>長兄の代わりに、他の姉兄弟の先陣を切って「ビートルズ新譜」を買った興奮がそのまま蘇って来たのだ。そしてもちろんその頃のことー 父母がもちろんまだ若く、家も新築したばかりで、小学校も楽しく、友人もたくさんいて、それらの思い出が塊のようになって一瞬で蘇り、それがそのままこみ上げるものになって、嗚咽になった。

「どうした、ユウちゃん!」

みんなが囃し立てたけれど、みんな俺がどうして嗚咽するかは分かっているのだった。

「な、懐かしいよな、いい時代だったよな!」

酩酊している転石が、少し呂律怪しく叫んだ。

「こいつはね、転石師、小学校ではもう先進的児童で有名だったんだ。」

大堀が言う。

「ませてるし、成績も良く、しかもポピュラーなヤツで、俺は小学校は違っていたんだけれど、ユウの同級生の女の子たちから噂でしょっちゅう聞いててさ。聞けば5歳でビートルズを知り、もうすでにいろんな洋楽の歌詞を誦じてたって言うんですよ。ヤツの仲間たちはみんなその影響を受けてて、ヤツが通った原町小学校の児童は本当に音楽的に垢抜けていて驚いたんです。俺は森野小学校で児童会会長をやってたそれなりポピュラーな少年でしたけど、會津西中学でユウたちと合流して、なかなか劣等感が拭えなかったですよ、ええ。」

「そんな昔のこと、どうでもいいだろ!」

俺は大堀を窘めるように言ったが、すぐに自分でおかしなことを言っているのに気づいた。

「いや、まあ、昔のことを懐かしんでいるんだから、どうでもいいはずはないが。まあ、俺の過去の栄光は措きつつー

その『Hello, Good-Bye(Paulが作った)』のレコードだけれど。『I Am the Walrus(Johnが作った)』がB面だった。今にして思えば、Johnはきっと怒り心頭だったろうってね。ロック史的な観点なら、誰だってWalrusの方に軍配を挙げるに違いないんだ。もうすでに始まっていたJohnとPaulのrivalryー」

「う、library?」

「ライバルリ、好敵手関係。」

「ああ。なんで英語で言うだッ!すぐ横文字使うから嫌ぇだ!」

「この2曲のA面獲り合戦は決定的だったと思えるんだ。Helloの方が、今度は大衆ウケはどっちと言われたら、圧倒的に支持された。商業的には大正解だ。Johnだってそれは分かっていたと思う。けれど、Sgt. Pepper'sを経て、Johnはビートルズはもはやpop音楽バンドではないと思っていたんだ。もうそういう路線で十分稼いだ。Julianという子もいて、Yokoさんとも知り合って、I wanna hold your handなんて歌っていられない自分を強く意識していたんだ。もう、すさまじいほどの早さで彼は藝術的に成熟していたんだ。」

「俺も『Hello, Good-Bye』買ったんだぜ。」

後に「道」というグループで関根リーアンと複雑なコード進行の曲をさんざんやったReds岡野が言った。

「JohnとPaulは『Lennon-McCartney』として、二人の作品のいずれであっても作詞作曲のクレディットを分かち合っていた。そんな厚い信頼関係、友情が、揺らぎ始めたんだ。『Hello, Good-Bye』という歌だって、もう既にその二人の関係を表していると俺は思う。段々水と油になってきた天才作曲家の二人のことだ。Johnは<jealous guy>だから、自分が中心でできたビートルズでPaulがリーダーシップを取り出したことを快く思わなくなっていた。そしてpop性に関してはPaulに及ばない自分が悔しかった時も絶対あったはずだ。」

「おいおい、長広舌だな。何を言いたいんだ、そんな新しくもない説。」

大堀が茶々を入れた。

「ビートルズがそんなことになっているという現実が3千マイル離れたイギリスにあって、俺は會津の片田舎で、小5の男の子としてそんなことをな〜んにも知らず、You say yes / I say Noって歌っていたんだよ。」

「だからどうした。」

「どんな大成功者でも、必ずなにかしらの苦悩を抱えて、周囲の人間と折り合えず、あるいは喧嘩をして、全てにおいて大成功なんてことはこの世にありはしないって、俺は小5の子どもとして、知りたかったんだ!仲良さそうな、大好きなビートルズのメンバーたちが、各々現状に不満があって、もうやめたいなんて思っていたなんてことが悲しすぎて、俺はあの頃に戻ってファンレター書いて、どうか2年とか3年後に解散しないで。このままいけば、きっと後悔することになるよ。ソロでやりたいことがあっても、ビートルズを解散しないで、お互いに友達のままで、そうしてって。12、3年後にはJohnは殺されちゃうんだよって!」

「おいおい、ユウ。ヤバいぞ、おめ。」

大堀が、もう手がつけられないという面持ちで言った。

「JohnもGeorgeも、もう何度もPaulやRingoのところに来ているんじゃないのか。」

「お?」

俺は大堀の顔をまじまじ見た。

「いいこと言うな、ミツ。抗えなかった運命を今、二人はDTsになって、Let it beだったってPaulに言っているかな。俺らは確かにもっと長生きしたかったけれど、今安らかだよって。」


(つづく)









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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その24

ハイドレインジャ
第3部その24

蘭との四半世紀ぶりの再会をして間もなく、転石会があった。
藤倉Mick転石を囲む会である。

会はまず、ほぼ会員全員の共通の友人知己であった故・内館圭介への献杯で始まった。
内館は、俺が2回目のデビューをしたときの音楽事務所でA&R(Artists and Repertoire)部門の一人だった。俺にとって彼はまさにノリが「業界人」の典型であった。江戸っ子の家系で、背は高くなく、少し太り気味、しかしいつもこ綺麗な格好で服のセンスが良く、話好き、愛嬌があって、またアーティスト寄りの姿勢ゆえ、俺はもちろん、バンドSuper Stringのメンバーからも好かれていたし、当時レコード会社側のプロデューサーだった転石とも仲が良かった。

その「ウチさん」が最近、鬼籍に入ってしまったというのだった。

俺は彼とはもう10年以上は会っておらず、そういう意味では縁が薄かったのだけれど、俺の歌『Is This America』を好んでくれていて、遠い昔渋谷のコヤで誰かのギグが行われた際に彼と会ったのだが、「ユウちゃんがあの歌歌うの聴きたかったなあ」と言ってくれたのだった。その『Is This America』が俺に降りてきたのは、ウチさんら事務所の人々と共にNew Yorkへ行った直後のことだった。

NY到着はちょうどFourth of July、独立記念日で、ある大物女性歌手主催のディナーパーティーが、ハドソン川に浮かぶクルーザー上で行われたのだ。俺も招いていただいて、時差ぼけ甚だしい中、夢じゃないのかというような絢爛な時間を過ごした。ラジオでの建国の理想を語る心打つナレーションの後、カウントダウン、壮大な打ち上げ花火、夜空の華が川面に映るー

そのときこの日本人主催のディナーを供する側には白人、ヒスパニック、中東系、黒人と様々なwaitersがいて、中にはいつかはこのクルーザー・パーティーを自分が主催する立場になりたいと夢見る人がいたに違いないのだ。いわゆるAmerican dreamを実現させる、と。

俺はそのとき感受したことを『Is This America』と『The Sweet Rain of July(摩天楼の夜)』という歌にした。ウチさんは、その経緯を知っている数少ない<内輪の人>だった。

俺はそのことを転石会で話した。
転石とStick(ドラマー)が、やはりその経緯を知る者として感慨深そうに聴いてくれた。

雪夫が口を開くー

「その内館さんとお会いしたことはありませんが、愛されるキャラクターの人だったんですね。じゃあ、ユウさん、ユウさんはDTsにほぼ自在に会えるんですから、どうですか、早速。」

「え?」

「DTs、日本の伝統的な言い方をすれば、能で言う『客人(まれびと)』を招来し、ユウさんがそれらの歌を再び世に問う、と言うか、聴いてもらうという意欲を表して、内館さんの供養とするというのは?」

「ユウちゃんと今度内館さんの菩提寺、台東区に在るんだけど、そこへ墓参する時に祈ればいいよ。」

転石が応えた。

「そうですね。ここでは、まあ、ああウチさんが来てくださっているなって感じるだけでいいかも。」

俺は言った。

「え?来てるの?」

転石が驚く。

「ええ。いらっしゃいますね。な、凛。」

「ええ。やさしそうなお人柄の方ですね。」

「ハハ、ウチさん、美人が好きだったから、凛さんのそばにいるんだね。」

転石が納得する。

「俺たちには見えない、感じられないけれど、そう言われりゃ、なんだかウチさんと飲んでる時のあの感じがするなあ。」

「いらっしゃるからですよ。」

俺が応えた。

「ウチさんのお寺は浄土真宗らしいですね。『後生の一大事』、ウチさん、いかがですか?」

「還相回向(げんそうえこう)をお願いします!」

雪夫が言った。
俺は笑った。

「ユウちゃんも雪夫ちゃんも真宗信徒なんだっけ?」

転石が問う。

「根本山神社の氏子です!」

俺と雪夫がユニゾンで言った。
一同は大笑いとなった。


「還相回向」はすごいアイディアだ。哲学者梅原猛はこのことを信じ、絶賛していた。浄土へ往った者が、穢土へ戻って人々を仏の道へ導くことだ。「往って還ってくる」というのが梅原のお気に入りで、これこそ日本列島人古来の宗教観、すなわち古神道とピッタリ合うと言うのだ。「死んでお山に帰って、またこの世に還ってくる」ということだ。

「かえる」というのはおもしろい言葉だ。卵が孵化することも「かえる(孵る)」と言う。このことひとつ取っても、日本語を生み、つないできた人たちにとって、生まれることは還ってくることなのだと思えるー

カラオケが始まった。
70年代洋楽がメインとなった。
メンバーの歌や駄洒落などに付き合いながらも、俺はそんなことを考えた。

還相回向があるなら、俺が今まで会ってきたDTsは未だ還相しておらず、あの世で迷っているのか。それともあの世が<良すぎて>、穢土になど戻って来たくないのか。

凛は藤原秀衡の娘の生まれ変わり、では凛はこの世に戻ってきてくれて、俺やみんなを<教化>してくれているということか。

俺はまじまじと凛を横から見つめた。

「おい、ユウ!今更ヨメさんに色目使ってんじゃねぇぞ!」

大堀が言った。

「しょーもねぇ野郎だ、人前で、まあ。」

「ミツ(大堀)、おめはこの穢土に還って来たのか。」

俺は煙に巻こうとした。

「は?江戸?そうだな。埼玉から最近東京に戻ってきた。そんなこと、おめ、わかってんだろうが!今更何言ってんだ。」

「じゃあ、回向してくやれ(くれや)。」

「え?足らなかったか。んじゃ、もうちょっとリバーブを。」

「その<エコー>じゃねぇッつの!」

夜は更けていった。


(つづく)



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If he was a woman, I'd surely...

昨日安曇野のMooさんからメール頂戴ー

<やっぱり>、一部ながら、「ハイドレインジャ」をコピペしてくださっていました。

本当にありがたいことです。
感謝しかありません。

「トーホグマン」とかの時、ずっとまとめてデータ化してくださっていたのですが、今回もそうしてくださっていた。

Mooさん、あなたこそ「凛」や「蘭」のような人だ。



ありがとうございます!


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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その23

ハイドレインジャ
第3部その23

凛はその後、俺と蘭には積もる話もあるだろうからと独りで帰って行った。
むろん俺には気まずさがあったけれど、四半世紀ぶりの再会であり、確かに話したいことは山ほど有った。それにしても、凛の心の広さにあらためて感銘を受けた。

「私(あたし)は長く狛江を離れていたのよ。」

蘭が切り出した。

「そうだったんだね。俺が狛江を歩いたりしていても、ちっとも遭わなかった。君の家の前も何度も通った。もう20年も前のことになるかなあ、ある日また君の実家の前を通ると、違う人の表札がかかっていた。驚いたよ、本当に。」

俺は芝生の上で遊ぶ親子をぼんやり眺めながら言った。

「母が新たに中央区の方に家を建てたの。私もそこへ移り住んだけれど、ようやく大学で職位が上がって、独り立ちができたの。」

「慶應?」

「いいえ、法政大学。」

「じゃあ、千代田区富士見のキャンパス?」

「そう。<あの後>ユウは漱石病に罹って、あの辺り、陰鬱な顔で歩いていたの?」

「ハハ・・・いや、笑い事じゃない。生きるか死ぬかだったもんな。」

「・・・そうよね。私だって。」

「あの辺りで暮らしていたの?」

「いいえ。職場はあなたとの思い出だらけのところに在ったから精神的にキツくて。住むところは遠くになきゃって。氷川台よ。城北公園の近く。」

「そりゃ絶対、遭遇すらない場所だ。」

話したいことは、繰り返すが、山ほど有った。けれども、俺の最大関心事は、なぜ蘭は四半世紀の関係断絶の決意を破ったのか、だった。

「今日俺と凛がここへ来るのがわかったのはどうして?」

「それは偶然よ。偶然と言ってもかなり出来しても不思議ではない偶然だけれど。私は氷川台からまた狛江に戻ってきたの、去年の3月。やっぱり故郷が一番なのね。野川が、多摩川が恋しかった、ずっと。

私も大雨とかでない限りは散歩するの。毎日のようだから、きっとユウとも出くわすことがあるだろうとはずっと思っていた。」

「なるほど。」

俺はしばらく黙った。

「なぜ禁を破ったか、でしょう?訊きたいのは。」

蘭が俺の気持ちを察してくれた。

「うん。」

俺はなんだか力無く返事をした。

「私ね、婦人科の病気、それもかなり深刻な病気を抱えているの。」

「えぇッ!?」

「判った時はさすがに慌てたわ。生老病死、誰にでも訪れる宿命だともちろん覚悟は普段もしていたけれど、泰然自若でいられるほどの覚悟ではなかったわ。」

「手術をしたの?」

「ええ。経過はいいのよ。医師も予後は良好だって言ってくれてはいるの。」

「よかった!一応、だろうけれど。」

「ユウは大丈夫なの、体。」

「ああ、おかげさまで。白内障の手術は受けたけどね。」

「夕陽の見過ぎだったんでしょ。」

俺は力無く笑った。蘭も。

「俺って、養老孟司さんの言動をいつも追っているんだ。もちろん本や新聞やネットでだけれど。彼は医者のくせに医者嫌いを公言しているし、タバコはちっともやめない。86歳だけれどね。この前のネット配信でも、インタビュー受けながら、折々タバコをうまそうに吸っている。じゃあ、ずっと健康だったかってなると、心臓に相当な不具合があって、教え子にICUでカテーテル治療してもらって、死ぬ一歩前から生還してもこの<不摂生>だ。」

「憧れちゃダメよ。」

「って言うか、そういう生き方も生き方だろってね。我儘って言えば我儘、偏屈って言えば偏屈なんだけれどね。

どんな質問にも答えていくような、ほとんど日本一の碩学は、こんなふうに生きているんだ、そして悔いの言葉を一切口にしない。病院は嫌いだけれど、いざとなれば利用して、86歳にまでなっているんだから。」

「ユウだって、白内障の手術で医療のありがたさに感じ入っていたじゃない。」

「ああ。君も読んでた?俺のその当時のブログ記事。」

「最近ね。」

蘭はそう言ってから、そろそろ家に帰らなければと告げた。俺は、そうなら、東野川まで一緒に行くよと応じた。蘭は嫌がらなかった。


小田急線喜多見操車場の北側を西へ二人で歩いた。

「死が間近に迫ったって思うと、人間て、やっぱりそれまでの思考や行動のパターンから外れざるを得なくなるものね。」

蘭が言った。

「決意っていうのは、ある程度その継続が見込まれるからこそのこと、生い先短いと知った時点では、ただの意地っ張り、ただの拘りでしかなく思えてきて、くだらないって。」

「分かるよ。俺も、父、長兄、母、従姉が2年ちょっとの間で次々亡くなったとき、鬱状態になった。次は俺だって思えてね。ちょうどその時目が急速に悪くなって、さらに、今なら原因は判っているけれど、ある健康器具の誤用で、そのときはそうとも知らず背骨を痛めて、いよいよアウトだと。

いろいろ考えた。ほとんどネガティブなことばかりだったけれど、でも、人生を振り返って、自分のそれまでの愚行も、もう時効だって思えた。どうせ間もなくその愚行の主もいなくなるんだから、って。もちろん執着もすごかった。ああ、俺が愛する四季の美をもう楽しめないのか、そんなの絶対に嫌だって。だから泣いたよ、そう思うと。」

「私も全く同じ。」

「そう。」

「ユウの変化は、また最近も観察できたわ。あ、恋したなって。過去の罪は<公訴時効>になって、じゃあ、居直った生き方になるかとなればそうならず、自分の<精華集>=anthologyを編みたいっていう意欲、そこで来世への前向きさを見せているー

そのきっかけをもたらした誰かがいるって、ピンときたの。

すてきな人ね、凛さん。

きっとユウが野川や多摩川を心から愛していることが、同じ思いの彼女に通じたからね。どうしてもそのsingerに会いたくなってしまったってことかしら。」

I Love You Tooって歌さ。君に、できたてを聴いてもらった。」


蘭の家の近くに来た。

「ねぇ。今度3人で、成城みつ池緑地に行かない?」

「3人で?」

「嫌?」

「いや、そんなことはないけれど。」

「ねぇ。蛍が出る頃行きましょう。」

「だいぶ先だね。」

「そうね。冬至がもうすぐ、蛍が出るのは夏至のちょっと前くらいかな?半年先ね。」

「神がお許しになれば、って感じ?」

「私、生きているわ、絶対。」

「もちろん!」

「その頃までには、凛さんと、そしてお仲間と、精華集『Hydrangeas』、完成させている?」

「ああ、そう願いたいね。」

「神が許せば?」

「ハハ、そうだね。」


「じゃあ、ここで」と蘭は言い、狛江市立第5小学校の角のところで俺たちは別れた。


(つづく)



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大ショック

間抜けなことに、今気づきました。

ハイドレインジャ第3部、かなり多くの章が抜けています!

10, 13, 14, 15, 18, 19, 21回です。

書いたものが反映されてから、手違いで消えてしまったということです。

書き方を前回稿上書きの形で書くようになった時期と<抜け>が一致します。
<表>に出たものが、上書きと共に消えてしまうことを知らなかったのです!表は表でそのままだと信じ込んでいました。

あまりのショックで、ちょっと立ち直れません。

どなたか、この変な小説をトータルでコピペしてくださっている方はいらっしゃいませんか?

この頃自分でその作業をするのを怠っていました!(大馬鹿者!)


ただ、救いが一つ。

管理ページを見ることになって、なんと私のこのアホな小説、多くの方が読んでくださっていることに気づきました。

ありがとうございます。

ショックから早く立ち直り、知己たちには知らせてしまった、今週末までの完結に向けて、なんとかまた<筆>をとりたいと思っています。


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