SSブログ

実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その20

ハイドレインジャ
第3部その20

俺は凛を抱き抱えて、なんとか凛の家にたどり着いた。
玄関のドアを開けようという瞬間、背後に温みを感じ、視線を少し脇に逸らすと、庭の紫陽花が陽光に照らされていた。

俺はその花弁には<すべての色>があると<ふたたび>思った。
気がつくと、凛も泣き腫らした目でじっと同じものを見ていた。

「俺、幼稚園年長のときだったか、母が咲かせた庭の紫陽花の絵を描いたことがあるんだ。あまりに色が豊かできれいでね。」

俺は玄関先で凛を抱えたまま言った。

「どうやったらこのすべての色があるこの花を絵の具で描けるかって、思ったんだね。確か賞をとったなあ。八幡くんという同級生と一緒に、會津若松での授賞式に行った。『特選』とかって書いてある賞状とペンテルの24色の絵の具を賞品でもらった。」

凛は、たまらず、という感じで俺の唇を求めた。
激しいキスの後、凛は、

「ユウの過去のすべてを見たい!」

と言った。

俺は苦笑したけれど、それはできるとも思い直した。

「俺も凛の過去を見たいさ。ハッブル望遠鏡が129から131億年前の天体を写した。そんな途方もない昔の光を、観測者は網膜に映したのだ。たかだか数十年の俺や凛の過去を見ることができぬはずはないように思える。俺の人生なら、60光年だかの距離にある惑星から地球を見て、會津の一隅を望遠鏡で観察してみれば、生まれたばかりの俺が、凄まじい解像度の鏡なら、見える。もちろん俺が家の中にいれば見えないけれどね。」

「その60光年離れた惑星に行きたい。」

「ハハハ。行ってずっと俺を<観測>していたら、凛が地球で生まれない・・・何を言ってんだ、俺たち。」

「Impossible is nothingよ。」

「どうした、ADIDASのコピーかい。」

「アスリートのことでしょう、不可能なことなど何もない。だったら私たち、DTsになるのよ。本当に不可能なことなんて何にもない!」

「そうだね。」

「待ち遠しいくらいだわ。」

「うん。でも、<今、ここ>を生きなきゃね、今、ここで、生かされているから。」

「DTs同士になっても、巡り合えるわよね、私たち。」

「ああ。はぐれても探すし。Hannahが俺を思っていてくれれば、大丈夫。」

「ユウがやっぱり先にDTsに?」

「だろうね、順番としては。」

「ユウは早く転生するのよ。転生すると、前世の記憶はほぼ消えるんでしょう?」

「すげぇ歌うたいが登場したら、それが俺だ。そんときは、必ず紫陽花の歌を歌う。」

「そのとき私が百歳のおばあちゃんになっていても、会ってくれる?」

「もちろんだ。紀寿を祝ってあげる。」

「・・・やっぱり嫌よ。ユウがあっちに行ったら、私も行く。ユウが転生したら、私もなるべく近くで転生する。」

「ああ、それもできるんじゃないか。ゲームを創り、ルールを設定し、プレイするのは<私>なんだ。そして大事なのは、縁を感じる力を鈍らさずにいることだね。

Hannahという紫陽花の花の房と、俺という花の房が隣り合うように咲くことはできるだろう。そのとき俺が君はHannah Lynn、Hannahが俺をユウって認識できるかってことだ。他生の縁をね。俺たちなら、きっと今生の縁を思い出せる!」

「同じ根本から枝分かれした二人の宇宙。互いに閉じているようだけれど、同じ雨・水と土・養分と陽の光、月の光、そして風を受けて、また鳥や昆虫の訪問を受けてー

つまり<鳥風月>を愛でて、その愛で合う心同士で互いを知るの。」

「そう、俺たちは花さ。害虫にやられることもあるけれど。」


そんなことを言い合って、俺たちは家の中に入った。


(つづく)



nice!(0)  コメント(2) 

実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その17

ハイドレインジャ
第3部その17

この辺りは「世田谷区立成城3丁目緑地」と名付けられている。
北側には視界が開ける展望スポットが在って、俺と凛はそちらに移動した。

晴れていれば成城から西の景色、世田谷区喜多見や狛江市、さらに西に川崎市多摩区の市街地が見え、奥には多摩丘陵、さらに丹沢山地と富士が見える。

俺と凛は黙って西の景を見る。
今は雷雲の下になっていて多摩丘陵まではなんとか見えるが、それより西は漏斗状の黒雲さえ見える鼠色の空で、川崎市多摩区には雨が降り注いでいるのが分かる。間もなくこちらも降り出すだろう。

「NHKで米寿近い現役藝術家・横尾忠則さんの密着取材番組をやっていてね。」

俺が話を切り出す。

「多くの映画でブルジョアの家のロケ地として使われた5丁目の『龍野邸』は今その横尾さんが所有しているんだ。」

「そうなの。横尾さんて?」

「はっとんだ藝術家だよ。John Lennonとも親交があった。David Bowieとかとも。彼が描いたBeatlesの絵のポスターを田舎の俺の部屋に貼っていたもんだ。デザイナーだったんだけれど、ピカソにやられて以降画家になったんだって。」

凛は俺のただの蘊蓄披露系の話として聴いていたと思う。けれど俺はそれから大展開を見せる。

「この成城からの景色、成城の環境ー」

俺は間を置いた。

「成城に暮らした数多の著名人たちもこの静けさと佇まいをきっと気に入ったからこそ引っ越してきたに違いないし、その静寂と街の落ち着きがいろいろな想いを抱かせ、また霊感を与えてきたに違いない。

俺には映画人たちの家ー 黒澤明(いわゆる「マンション」だったが)、三船敏郎、志村喬などの「黒澤組」の面々、石原裕次郎やその他多くの俳優たちのー にもそれなり関心はあるが、散歩中に偶然見つけた大江健三郎さんの邸宅には感じ入った。野川に下りていく通称「ビール坂」に近く、成城地区でも屈指の緑と花の豊かなところなのだ。大江さんが成城に居を構えたのは、ずっと憧れの存在だった柳田國男が住んでいたからというのが大きいと、大江さんと親しかった読売新聞の記者が語っていたっけ。

柳田はかつて牛込に住んでいて、まずは息子が通学上安全だからという理由で近隣の成城小学校へ通わせたのだという。そしてそこの校長・澤柳政太郎と、同じ信州の士族出身ということや、また薩長藩閥政府における非主流の官吏同士であることの共通点があり、そしてさらに成城学校の自由な校風・理念にも共感して、成城学校・成城学園へ深く関与するようになっていったという。

柳田も大江も、成城の森(あるいは木立)に惚れたことは疑いない。日本の中心東京で、しかも国分寺崖線の手付かずと言っていい武蔵野の森に隣接する家を持ち、いつでも神韻縹渺の世界へ入っていけるのだから。横尾さんだって、そうさ。横尾さんも、柳田も、大江さんも元々は西国の人さ。横尾さんと柳田さんは兵庫、大江さんは愛媛。功成り名を遂げて、東京に終の住処を構えた人たちさ。彼らなら千代田区ででも港区ででも豪邸を建てられたろうけれど、成城にした理由はそこにあると思う。

都心の緑なんて、みんな人工林だ。
そこに、人を戦慄せしめる森など、木立など、ありはしない。
妖気がない、本当の静寂がない、十分な癒しがない。

たまに人間の猥雑を敢えて求めるなら、新宿、渋谷、六本木、赤坂、銀座と、すぐに行ける。
そこでまた各界で日本を代表する一廉の人物たちと集い、話し、飲み、食べ、知的あるいは藝術的知見を互いに披露し合って、そしてまた、東京23区で故郷のに最も近い木立がある成城へと帰るんだ。

Hannah Lynn、君の故郷はそういうところなんだよ。」

「そして、ユウ、あなたが愛している地ね。」

「そう。功成り名を遂げては、全然、いないがね。」

「そんなことは問題じゃないわ。」

凛は語気強く反論する。

「ユウは自分でも言っているじゃない、問題は自分が満足する作品をものにできるかだって。他者の評価は二の次、三の次でしょう。あなたと私で、いかにこの愛する崖線の森と野川、多摩川を生き生きと詩と音楽で表現しきるかってことよ。」

「その通りだね。」

俺は凛の手をさらに強く握った。

「でも、時間がないんだろ?」

俺は登戸辺りで揺れる<雨のカーテン>を見つめながら言った。


(つづく)




nice!(0)  コメント(0) 

実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その16

ハイドレインジャ
第3部その16

翌日は夏至ー
俺と凛は少し遅めに起床し、朝食の後、まずは散歩に出た。

前夜、凛の家へ帰り、俺は、とても描写できぬ、あるいは事実自体も書けぬような、凄まじい凛の愛を受けた。その最中、俺は薄々凛が何か大きな不安を抱えているのだということは察していた。その不安を払拭しようとするからこその激しさなのかとも思ったが、そうではなかったー

今になれば。


凛の家を出て、前回とほぼ同じルートで行き、区立明正公園を経て、成城3丁目の国分寺崖線上の木立へと向かった。OKストアが崖下に見えるところだ。

もう梅雨が明けたのか、すっきりとした晴天で、しかしもちろん夏至の日差しは強烈で、凛は日傘を差す。俺もその傘の下に入れようとしてくれたので、俺がその日傘を持ち、それが作りだす陰のほぼ全部で凛を覆って歩いた。

するとどうだ、急に雲が北や西から湧き出してきて、成城1丁目の住宅街を歩いている頃には雷鳴すら聞こえ出した。

「あれ、天候急変、だね。そんなこと天気予報で言ってた?」

俺が言うと、

「ええ。正確だったわ」

と凛。

「この傘、雨傘でも使えるわ。」

「そう。でも、やっぱ戻ろうか?」

「ん〜ん。構わないから、行きましょう。」

大雨になったら、あるいは雷が近く落ちそうなら、OKストアに逃げ込むということで俺たちは歩みを進めた。

崖線上に立って、

「この真下の木立でねー」

と凛が呟くように言った。

「今年の3月、私、エナガの番(つがい)を見たの。」

「エナガ?」

「ええ。頭頂部が白くて、黒っぽい眉毛のようながストライプがスッと伸びてて。白地のボディなんだけれど、翼がやっぱり黒っぽくて、ちょっと小豆色のアクセントがあってー」

「ああ。俺も見たことがあるよ。正にHannah Lynnが言うところで。OKストアで買い物して帰るとき、駐輪場正面のほぼ他の誰も使いはしない崖線の階段を登るんだけど、登り始めてすぐの、ハケがあるところの木立で。」

凛は驚いているようだが、黙っている。
俺のその目撃談をもっと聴きたいのだと俺は察知した。

「ちょうど春分で、実に気持ちのいい日でね。俺がそのハケのところまで上っていくと、頭上の木にちっちゃい鳥が1羽。同じモノトーン系の鳥でもシジュウカラとは明らかに違う。正に柄が長い。あ、エナガじゃないのかって俺は思った。Long-tailed Bushtit、まちがいないって興奮した。俺にしてみれば、Snow-crowned Bushtitって名付けたいくらいだったけど、まあ、尾羽が長い方がより特徴的だろうからね、しかたない。とにかく、長く野川、多摩川のそばに暮らしてきたけれど、初めて見たよ。

見惚れていたら、もう1羽がすぐそばにいるのが分かって、しかもその2羽が枝と葉っぱを啄きながら、どんどん俺の真上に近づいてきたんだ。1メートルくらいさ。

いやあ、かわいいね、君たち、ありがとう、こんなに近づいてくれてって声を掛けたよ。

春分の日、お彼岸に、本格的ではないけれどbird-watcherとして、愛鳥家として、憧れだったエナガを見られた記念日になったんだ。しかもあんなに接近してくれて。明らかに挨拶してくれて。忘れようがないほどの感激だった。」

見ると凛は目を閉じていて、そしてなんだか切なそうに微笑した。

「私もユウと全く同じ経験をしたわ!今年の春分の日よ!」

そう言って目を開けた。

「ああ!」

「どうしたんだい。」

「ユウと私で、そのエナガの番に生まれ変わりたい!」

ひとつ傘の下、雷鳴が聞こえる中、俺と凛は抱き合った。

「ユウと私がエナガになって、シジュウカラやメジロ、スズメたちと一緒にこの野川<を>歌いたい。」

そう言って凛が即興で歌い出した。

One morning
We woke up to find
We'd become a couple of tits

「んんん。『tits』かあ。」

「バカね、ユウは!」

かなり近くで雷鳴が轟いた。


(つづく)



nice!(0)  コメント(0) 

実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その12

ハイドレインジャ
第3部その12

雪夫が下を向いて俺の話をじっと聴いていたが、仏教にも詳しい彼が口を開いた。

「ユウさんらしいお話で感じ入って拝聴していました。
ただね、ユウさん、仏教も、神はいませんが、一神教に近いところがありますよ。」

「ほう。詳しく聴かせてください。」

「『外道』ってことば、これは元々仏教のもので、仏の教え以外を指すんです。お釈迦さまは、涅槃経で、『一切外学の九十五種は、皆悪道に趣く』と言われています。この『外学』は外道と同じです。『九十五』は多数ということで、数字そのものに意味はありません。

紀元前5〜6世紀の、お釈迦さまの時代、ガンジス・マガダ地方にあった異教=バラモン教や六師外道を直接には指しているのですが、そんなものを信じるな、って。

もちろん、その後興ったキリスト教もイスラム教も外道になってしまいます。」

「なるほど。勉強になりました。お釈迦さまはご自分の悟りに百パーセント自信を持たれていたのですね。」

俺は応えた。

「ということは、日本で興った、本地垂迹説に基づく神仏習合は、仏教側から見ればいわゆる<方便>ですかね。」

「そういうことになりますね。なにしろ体系化ということになると、仏教の緻密な言語に圧倒されてしまいますよね。これはキリスト教も同じでしょう。神学の発達で、緻密な理論を持つから、諸土着宗教は包摂されていく。」

「うん。しかしまあ、うまく行きますね、アマテラスが大日如来とかね。翻案だ。」

「翻案ですね、ええ。」

「俺はするとやっぱり外道ですね。」

「ん?」

「仏の教えに帰依しているとは到底言えない。不勉強だ。在家であることを許していただいても、せいぜい<三界>の住民。火宅の人だ。

そして私はどうしても、他の教えを信仰する人にも、その教えにも、共感できるところがあるのではないかと探る癖があるんですよ。全面的に『悪道』と切り捨てることはできない。」

「ええ、分かります。」

雪夫が穏やかな声で応じた。

「相対主義はやはりお釈迦さまが論難されたものですが、その立場に立たないといずれか一方がもう一方を論破、あるいは滅ぼすようなことになってしまう。」

「そうです。論破なら結構ですが、殺し合いになってしまっては、それこそ<悪因悪果>です。」

「難しいですよね、本当に。」

雪夫が燗酒をグッと呷って苦々しそうに言う。

「人殺しで、ある相対的な見方では、殺した方が善で、殺された方が悪になんていうのではどうにもならない。」

「しかしそれは十分成り立っていますね、今も、世界中で。相対主義の限界はよく分かってるんですよ、俺もね。でも、例えば死刑がある日本は、人をどんな理由であれ殺めてはならないという絶対の立場をとらないから、全てが全てダメだということにはなりませんよね。一面がすべての面を表すはずはない。」

「ええ。だから、漸進的であれ、死刑廃止論者たちの主張を冷静に聞いていく姿勢を持つことから始めて、死刑がなぜダメか、なぜ他者を殺してはいけないかという哲学的、宗教的原理を日本国民が吟味する必要がありますね。」

「悪いヤローだ、やっちまえ、っていうのはほんと、簡単なことですからね。あまりに短絡だ。でも本地垂迹は、すばらしい相対主義じゃないですか。むろんそれを仏教的に嫌った坊さんも、それから神道側でも例えば度会氏なんかも廃絶の立場をとった。それが善なんですかね。熊野のありようは、悪なんですかね。」


「こむずかしい話だな、えぇ、ユウ、雪夫ちゃん。」

大堀が口を挟んだ。

「俺は目下、自分の体のことが心配で、それ以外のことなんかはほんとどうでもいいって感じでさ。」

「なんだ、どうした。」

俺が訊く。

「いやさ、調子悪いんだわ。医者にも行って、診断待ちだ。詳しいことはちょっと今は言えねぇんだけど。生老病死とは言うけどさ、病ってぇのは本当につらい。病になるときはなればいいのです、みたいな悟ったこと、俺は到底言えねぇ。」

「そっか。」

俺は深刻な事態とは思いつつ、

「ミツ(大堀のこと)、おめにはグラフィックの方で俺と凛のアルバムに貢献してもらわねぇと。頼むぞ、治せるものは、治せばいいんですっていう調子で、治してくれ。」

「ああ、わがってる(分かっている)。」

大堀は烏龍茶を啜った。

「しょーがねぇワイ。例えばあそこにカテーテル入れらっちも我慢するワイ。俺はユウ、凛さんの助けに絶対なりたい!特に凛さんの!」

雪夫も、凛も、転石、世耕も笑わずに話を聴いていた。


(つづく)




nice!(0)  コメント(0) 

拝復

なぜかまたコメント返信欄に書いても反映されないのでここでー

King of Nemi様

いろいろ想像逞しく書かせていただいております。私がこのキテレツな小説を書こうという時に登場くださったあなたは、私にとって、<ただ>このブログの読者ということでは通過できぬ人となりました。どうぞ失礼の段、ひらにお赦しください。

記憶の女神から、風の神になろうか

Mnemosyne→Aiolos

「愛をロス」に通じるから、やっぱやめた。^^

nice!(0)  コメント(0) 

実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その11

ハイドレインジャ
第3部その11

俺と凛は出会ってからの体験を基に曲作りを始めた。
むろん複数の曲ができるから、アルバムとなる。
題名は『Hydrangeas』だ。
それはもう二人であっという間に決めた。

凛の家にも、俺の家にもスタジオがある。俺の方は、防音室を備えた8畳の部屋で、凛のはグランドピアノのある本格的なものだ。お互いが自分のスタジオではない方を好んだ。

制作は楽しく進んだ。
そして6月25日、転石、雪夫、大堀、世耕とで根本山神社登拝計画を主に話す会合があった。

その計画自体の話はあっという間に決まった。そして雑談となって、世耕と凛とで「予定説」の話になり、大学で西洋史が専門だった雪夫が加わってなかなかの議論となった。

俺はそれを聴きながら、俺の「宇宙・積み重ねの原理」のことをどうしても口にせざるを得なくなった。

「人生一回こっきり、それでいいじゃんと言う人もいるし、神の救う対象は初めから決まっている、生前の功徳は関係がないと言う人もいれば、いや、やはり善行を積むことは尊い、それを神仏はちゃんと見て下さっていると言う人も。

俺は最後の意見に近いよ。するとでは、『善行』とは何だということになる。当然その反対概念の『悪行』とは何かも。

俺が散歩する時よく通る谷戸川沿いの小さな公園の、細長い、そう百メートル以上ある花壇で花を栽培するおばさんがいるんだ。この季節だと、早朝涼しい裡に俺は歩くわけだけど、帰りとかにそこを通ると、おばさんが重労働も含む手入れをなさっている。朝6時とかから作業開始なのかな。俺は、おはようございます、ご苦労様です、と声を掛けるのさ。おばさんは優しい声で挨拶をし返してくれる。

小さいながら区立公園だから、整備・維持管理の委託を受けて、それなりの報酬があるのかもしれないけれど、俺はいつも頭が下がる想いになるよ。独りでやっていらっしゃるんだ。夏の朝6時なんて、もう太陽はとっくに高い位置にある時刻だよ。もちろん夏ばかりやっているわけじゃない。四季のすべてで、季節の花を植え替えるんだ。

こんな人が、報われないはずがないって思う。

もちろん、このおばさんに不幸が訪れない保証はない。なんであんないい人がこんなひどい目に遭わなければならないのかなんて他者が嘆くような事件や事故や災害は珍しくもない。

それでも、俺はきっとあのおばさんのような人は報われると信じる。

信じる。そう信仰だ。信条だ。根拠なんかない。

俺は花を愛する人はまちがいなく良い転生をすると信じているんだ。

Paul Davisという早逝したアメリカ人シンガー・ソングライターがいた。彼のCool Nightという歌で、

I sometimes wonder why
all the flowers have to die

と歌い出して、次に、

I dream about you

と続くんだ。

『僕は時になぜすべての花は死なねばならないのかと思うんだ
君の夢を見るんだよ』

つながりが判然としないけれど、しかし、俺は深く感動する。

美しい花が咲いて、愛でて、そして花が枯れ・・・
愛しい人の夢を見る

今生を生きる人間は、そして花を愛する人はみんな、そうじゃないのか。
花を愛する心と人を想う心は重なっている、あるいは一緒だ。

さっき言ったちっちゃな公園の花おばさんは、汗に塗れて花壇を花で満たす、人を思いながら。その花壇の出来栄えを見て、満足して、季節を感じて、そして道具をしまい、去っていくー

その時間を切り取れば、おばさんの長い人生のわずかな暇ではあるけれど、おばさんの全人生の縮図じゃないか。

そのおばさんが、例えば何かに憤って悪罵を誰かに投げつけることもあるかも、あったかもしれない。それでも、俺はおばさんがきっと報われる、きっといい転生をするって信じるんだ。

花、花鳥風月、雪月花・・・

これらを愛する人は、きっと。

これらを愛する人が、人にやさしくないはずはないんだよ。
ウクライナの、パレスティナの、3.11などの惨状に涙しない人はいないんだよ。

どこかで毎日、やさしいことをしている、他者をうれしくさせているはずなんだよ。

それが積み重なって、必ず、報われる。
そのやさしさは意図的ではないから、必ず報われる。
自然に沁み出してくるやさしさだから。

花を意図的に愛する者なんていないのだから。」


(つづく)



nice!(0)  コメント(0) 

実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その9

ハイドレインジャ
第3部その9

凛のことをブログ記事にしてから、昼食は結局外でとるということになり、俺たちは散歩も兼ねて2キロほど離れた小田急線喜多見駅の方へ歩いて行った。

まずは名もない区道を西へ、坂道を下って仙川を渡り、DCMを左に見て成城2丁目に入って上り、明成小学校を左に見て右折、成城3丁目の豪邸立ち並ぶ道を4丁目方向へ歩く。途中に小田急線のはるか上を跨ぐ不動橋があって、ここから西の眺めが素晴らしいのだ。富士山とほぼ正対する。

天気は上々で、しかしさすがに大気には湿気が多く、富士も、前衛峰のような丹沢の山塊も霞んで見えた。それでも清々しい景色ではあるー 俺には蒸し暑くてしかたないが。

「俺、夏場この時刻で歩くことはないから、つらいよ。」

「あら。ここ数日ジョギングしていないから、いい運動だわ。」

不動坂を下る。左手に喜多見不動堂がある。俺はその門のところで合掌、一礼する。凛も俺に倣った。
すると凛が、

「ちゃんとお堂の前まで行って拝みましょうよ」

と言った。

「そりゃいいけど、すっかりHannah Lynnもmulti-religiousになってんだね。」

俺は応えた。

「父母がイギリスで聖公会の教会に通う縁をいただいて、幼い私はそのまま信徒として登録されてSunday Schoolに行くことになった、それだけのこと。もちろん神を信じたし、今も。でもその『神』は特定のものではないわ。神仏がいっぱいいらして何の不都合があるのって感じよ、今は。」

「ダイアナの話が出たけれど、古代ギリシア人やローマ人の多神教は興味深いし、今だって多くの人たちがその神話世界に魅了されているよね。」

「ユウはその多神教世界のアニメで主題歌を歌ったものね。」

「ああ、そうだね。」

不動堂は緑に包まれている。
明治初年、水害があって、上流から流れてきた不動明王像をこの喜多見の村人有志が成田山新勝寺で入魂して、ここに祀ったのだ。

「キリスト教は、各地の土着宗教に取って代わってしまう一神教だ。アイルランドみたいに融和的な布教の例もあるにはあるけれど、それでもユダヤ教、イスラム教、みな堅固な一神教だ。

翻って日本は、八百万の神の国。仏教が神道とうまく融和し混淆して行ったと言っていい。明治初期にアホな廃仏毀釈ってぇのが藩閥政府によって断行されて、それまでの神仏習合といううるわしい形態を乱暴に破壊した。天皇・神道中心の国造りは結構だが、その天皇すら多くが厚く信仰した仏教そのものや神仏習合の神社仏閣の教えを否定する権限が薩長の野蛮な国粋主義者、漢意排撃主義者にあるはずがなかった。」

「熱く語るわね、ユウ。」

「熊野は本当にその神仏習合、土着宗教と他国生まれの宗教との融合のうるわしい例さ。」

「私の父母も、新宿の熊野神社をお参りしていたのよ。氏子ですらあったわ。」

「ああ、それでいいんだよ。聖なるものを畏敬する気持ちって、何も特定の宗教の神とかにだけ湧くものじゃない。数多の聖なるもの、それらを束ねる、統括する神などというのも想定する必要はない。そういう存在がもしいるなら、その存在だってきっとさらに上にその存在を統括する、あるいは生み出した存在がいることになって、果てしないことになる。」

「果てしなくてもそれはいいと思うの。」

凛が言った。

「でもね、私は階層があるというアイディアには与しないわ。上だ下だっていうのは、いかにも重力にだけ縛られた発想だとしか言いようがない気がするの。この世を成り立たせ、維持している力は重力だけじゃない。<ただ>聖なるものはいくつもある、それでいいって。」

「そうだね。Das Heilige、聖なるものー この地球に宇宙に、満ち満ちている!」

お堂の前で俺と凛は深々と礼をして、合掌した。

ウグイスの爽やかな声がすぐ近くの木立から聞こえた。


(つづく)



nice!(0)  コメント(0) 

実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その8

ハイドレインジャ
第3部その8

昼飯の時間になって、俺は居間で自分のクルマから持ってきたラップトップを開いている凛にどうするかを訊いた。

「ねえ、ユウ。私とのこと、ブログに書いてみて。」

凛は俺が20年近く書いてきた膨大な数のブログ記事を<また>読んでいたようだった。

「俺の、ここにアップロードした野川にいただいた歌に、共感した成城に住む女性と今愛し合っていますって?」

「それでもいいし。」

凛は硬い表情を崩さなかった。

「迷う?」

「迷わないさ!」

俺は即座に否定した。

「でも、なんで急に?」

「ダイアナの鏡さんの反応を見たいのよ。反応しないならしないでいいし。それも反応だから。」

「で?」

「ダイアナさんとできれば知り合いたいのよ。」

「え?」

俺は当惑する。

「私ね、ダイアナさんて、さっき話したHenry Constableのソネットのこともあるし、Diana Nemorensisのことも知ってらして、ハンドルネームを考えたんだと思うの。」

「ダイアナ・ネモレンシス?そのnemoってぇのは、ギリシア語の方の<森>かい?でもなんだかラテン語っぽいね。ラテン語だとnemoはnobodyのことじゃないか。」

「混合っぽいわね。『森のダイアナ』よ。ダイアナ、アルテミス、セレナ、ルナ・・・みんな月の女神。ギリシア神話のアルテミスがローマではダイアナ、同じようにセレナがルナにって感じ?」

「ふ〜ん。それで、『森のダイアナ』がどうしたんだい?」

「その森の中央に立つ木は不可侵なのだけれど、逃亡した奴隷がそこに到達できて、枝を折ったら、Rex Nemorensis、つまり森の王に挑戦でき、王を殺したら、次の挑戦者が現れても負けない限りは王でいられるのよ。この血生臭い<革命>が後に第3代ローマ皇帝カリギュラによって停止されたけれども、剣闘士(グラディエイター)という見せ物になっていくの。」

「うん。それで?」

「今話した<革命>の森のことはいいとして、月、なのよ。森と月。ユウが大好きな組み合わせじゃない!」

「うん。血生臭い話は忘れられないけれど。」

「ユウのことをものすごく理解している、しかも、とても知的な人!」

「ああ。でもRex Nemorensisはなあ、ちょっと怖い話だなあ。」

「だってユウは詩を書くとき、なんていうペンネーム使っているの?」

「作曲の時はNemo(森)で、作詞の時はKing Reguyth・・・ゲッ。King=Rexを使ってるね!」

「何忘れてんのよぉ。」

「いやあ、このペンネームは俺の田舎の<足首を捻る>ことを<きんぐりがえす>っていうもんだから、世界で俺の會津の故郷でしか使われないこの方言のユニークさにあやかって付けたんだ!王様のことなんて実は全く意識していなかった。」

「ね、とにかく、ユウにまつわることを見事にペンネームに込めているのよ。『ダイアナの鏡』っていう名の由来を調べてみると、その意図がわかるのよ。」

「そっか、そういうことか。」

「こんな重層的な仄めかしができる人、すてきじゃない!私、会ってお話ししてみたいの。私、きっとダイアナさんなら私と同じように思うはずって思うのよ。ユウが私の存在をブログで明かして、私が『ダイアナの鏡』というハンドルネームの深読みをしたことを書けば、きっと。そして私がダイアナさんに会いたがっているって書けば、間違いなく!」

「フヒャ〜・・・。で、昼飯どうする?」


(つづく)



nice!(0)  コメント(1) 

実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その7

ハイドレインジャ
第3部その7

翌日俺は溜まっていた仕事をしなければならなかった。
リモートで英語を教えたり、英語教材を製作するー
俺の受験英語参考書はそれなりの評判で、たまにしか入ってこない音楽の印税の数百倍になる。本の体裁はスタイリッシュで、文字の選定からレイアウト、装丁など、大堀に任せたものだ。大学入試英語を40年以上研究してきての成果であり、受験生には痒いところに手が届く解説が受けている。

最近出版社が新しい切り口の参考書を出さないかと言ってきた。米英の放送媒体、例えばCNNやBBCなどのホームページにある文化や歴史、科学などなど、政治ニュースを除いた記事の速読法を教えるのだ。

午前中はその本の原稿書きとなった。
凛がときどき作業する俺の後ろに立って、俺の頬にキスをしながらPC画面を覗く。

「イギリス王室は一難去ってまた一難ね。」

「ああ。王様も、Princess of Walesも病気になっちゃって。」

「やっぱりあのダイアナ妃のチャールズさんとの離婚とその後の不可解な死亡事故があってからは、どうもギクシャクが止まらないわね。」

「・・・そう云えば、『ダイアナの鏡』さんから久しぶりに俺のブログへ投稿があったよ。」

「What did she have to say?」

「Hannah Lynnは『ダイアナ』さんは女性と見ているんだね。」

「それはそうよ。もちろん男性であっても驚きはしないけれど。で、何て?」

「俺の小林秀雄についての記事にコメントで、曰く『小林が強く共感した、柳田國男が自分の14歳の時の記憶のことを思い出します。柳田と同じsensitivityをユウさんもお持ちですね』と。」

「その柳田國男の記憶って?」

「柳田が、茨城県の布川というところに在る彼の長兄の家に預けられていた頃のことで、近所の旧家の庭にある祠に目を留めて、それに祀られているのは何かとその家の者に尋ねると、『死んだばあさん』だと告げられる。柳田はどうしても祠の中を見たくなって、盗み見てしまう。すると握り拳くらいの美しい蝋石が中に在った。その途端彼はヘナヘナとなって、しゃがみ込み、空を見上げると、真っ昼間なのに数十の星が見えたと。そんなはずはないと思いながらも興奮していると突然鵯(ヒヨドリ)がぴいッと鳴いて我に帰ったー

という思い出さ。鵯の一声がなかったら、発狂していただろうと述懐するんだ。」

凛は柳田のその体験にそれこそ強い共感を覚えているらしく、「ああ!」と後ろで嘆息を吐く。

「そのコメントがついた記事って?」

俺はそのページを見せる。

白頭鳥の聲谺する川縁の木立より飛ぶサジタリウスへ

俺が2006年、ブログを始めたばかりの頃のページに掲げた自作の歌だ。白頭鳥とは鵯のこと。当て字だ。

「ひよどりのこゑこだまするかわべりのこだちよりとぶサジタリウスへ。」

俺が朗唱する。

「信じられんよ。サジタリウスって、もちろんHannah Lynnも知っている通り射手座のことだ。射手座には南斗六星があって、蠍座の尻尾の愛らしい3等星や4等星に連なっていてね、オリオンに劣らず好きな星座さ。俺はその2006年の12月、狛江の西河原公園に独りいて、ちょうど太陽が射手座にあるからその星座自体は見えるはずもないのだけれど、白頭鳥の一声で見えないサジタリウスへ、思いが、いや、俺自身が、一瞬で飛翔していく・・・そんな気分になったんだ。

俺はそれまでに柳田も小林も一度も読んじゃいなかった。」

「ダイアナの鏡さんて、ユウの許を去っていった女性じゃないの?」

凛が、疑問文ではあったが、それを確信があるという口調で言った。

「そのハンドルネームはHenry Constableのソネットを思い出させるわ。プラトニックな恋愛。」

「え?」

俺は凛の言っていることが皆目わからない。

「Constableはまさに日本の戦国末期、江戸時代始めの頃のイギリスの詩人よ。Shakespeareにも影響を与えたと言われているわ。Dianaは彼のソネット。愛する女性の目を鏡とし、その鏡で自分の心を映し、また彼女の心を占うの。」

「Constableって聞くと、18世紀、ターナーと並ぶイギリスの画家のことを思い出すなあ。」

「Turner? ターナーのこと、ブログで書いていたわよね。」

「ああ、うん。・・・これかい。」

「やっぱり!ダイアナさんからコメントが付いているじゃない。」

「ほんとだ。見逃していた!」

「ユウの書いたことはー

『よみうりランド対岸に着いてturnして、私がTurnerになると、
東の空は雲に覆われていましたが、1キロほど歩いている裡に、
My Sweet Lordがかかって、なんと雲が切れた。
そしてVenusとJupiterのなんとも言えない接近絵図に見蕩れたのです。
月に群雲を描こうと思ったものの、この希な二惑星のランデヴーが優先、
月の絵はターナー上げだ。』」

「何書いてんだ、オレ。」

「ダイアナの鏡さんはー

『惑う星同士の気まぐれなrendez-vousの方が描く価値が高かったんですね。
でも衛星の月は<付き>。
いつも惑う青い星を衛り、付いていくのです。』

ダイアナさんは最近コメントするようになったのね。」

「そうだね。」

「いよいよ<謹慎期間>を終えたのかも。」

凛はそう言って、書斎から出て行った。


(つづく)




nice!(0)  コメント(0) 

実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その6

ハイドレインジャ
第3部その6

俺の家は築年数はそれなりに経っているが、瀟洒な一軒家だ。
砧8丁目は成城2丁目に隣接しているし、しかも祖師ヶ谷大蔵駅からも近いから、豪邸も珍しくない地区なのだ。

その家は、俺のような売れない歌うたいが自分で建てられるはずもない。
俺の前妻克美の家だったのだ。
前妻は裕福な家に生まれた。彼女の父は公認会計士で、千代田区番町に豪邸を持っていた。他の不動産も多く持っており、埼玉の田舎に生まれながら、いくらやり手の公認会計士であっても、どうして一代でそこまでの資産形成ができたものかと俺は何度も考えたものだ。

その<秘密>のひとつとして、付き合いの良さがあったろうと思う。非常に厳格な人であったそうだが、クライアントの開拓に優れていたのは疑いがない。突っ走った人生だった。ゆえに長生きはできず、克美が小学生の頃に肝臓の病気で亡くなってしまった。そしてだからこそ、つまり厳格な父親の軛が外れたからこそ、俺のような根無草は克美と結婚できたのだ。彼女の母親も俺の将来性には非常に懐疑的だったけれども、比較的鷹揚なところもあって、結局娘の行動を黙認したのだ。

砧8丁目のこの家も、克美の父が所有していた建物だ。


居間に入ると、凛は一瞬不快そうな表情をした。俺以外の人間の匂いがまだまだ残っているのかと俺は思った。

「それで、ユウがその方と別れた時、この家をあなたに譲ったっていうの?」

凛が早速訊いてきた。

「信じられないだろうが、そうなんだ。譲ったとはまあ、体裁の良い言い方だ。月々家賃として払うものがあったけれど、これまでの総額では庭の地価ぐらいにしかなっていない。」

「別れる原因は、あなたの・・・。」

「そう。しょーもない話さ。Nigelみたいな男さ。」

「・・・その『道ならぬ恋』のお相手はどうなったの?」

「きれいに俺の前からいなくなった。」

「じゃあ以来一度も会っていないの?」

「そうだ。俺は暫くは探した。しかし克美に俺とは二度と合わないと誓約したのだから、その筋を通した。」

「通している、でしょ。現在進行形。」

「いやあ、もう何十年っていう年月だ。過去形でいいんじゃないか。」


俺は凛にEarl Greyを出した。彼女の好きな銘柄の物だ。

「こういう話はもっと前にしておくべきだったね。」

「いいのよ。私も敢えて訊かないできたのだし。」

二人は同時にEarl Greyを口に含んだ。

「あなたと会ってから、やっと半月くらい。目まぐるしい日々だったわ。」

「そうだよね。信じ難いほど濃密な日々だった。」

「ユウは克美さんの温情の中にまだいるのね。彼女はあなたにsingerとしての人生を歩み続けてほしかったんでしょう。私のような者がユウの人生に、それもあなたがよく言う『人生の最終盤』に割り込んできていいのかしら。」

「倫理的問題かい?」

「私たち、多くの私たちゆかりのDTsと会ってきて、彼ら彼女らそれぞれが生まれ、育ち、生きていた環境や社会、歴史的条件の中、それぞれの義(cause)を見つけ、貫いてきたと言えるでしょう?もちろん翻弄されてしまった人たちもいたけれど、みんな精一杯生きた。」

「そうだね。Hannah Lynnは藤原秀衡と信夫佐藤の女性との間に熊野で生まれた子の生まれ変わりだと知った。その生まれ変わりに、俺、父の熊野信仰により名付けられた熊という男が、還暦を過ぎてから、愛する野川と多摩川の地で出会った。

そう、そして僕らを結びつけている、出会わさせたと言っていい、近江の縁も忘れられない。しかもHannah Lynnは俺の故郷に暮らした人々の血脈すら継いでいた。」

「その縁も数奇だと思えるけれど、あるいは出来過ぎとも思えるけれど、きっとそうじゃないんだって私には思える。この世に今生きている人たちは、みんなどこかでつながっているの。もちろん地理的な制約が大きく、人類のスタート地点あたりまで戻らなきゃつながらないという薄すぎる縁の場合が圧倒的に多いでしょうけれど、この日本列島の場合だと、ここに今生きている人々は、鎌倉時代や室町時代まで遡れば、先祖がcrossすることもそう不思議なことじゃないって思うわ。」

「そうだね。俺はそのことについては気づいてはいたよ。みんなつながっているんだ、いわば兄弟・姉妹、親戚同士なんだって。だから誰かを、あるいは特定の人たちの集団を差別したり、蔑んだり、はたまた殺したりするなんてことは愚か過ぎるって。そんなことをすれば自分にその悪業の報いが来る。人を呪わば穴二つ、ってぇやつさ。

でも、そうだとしても、たとえ兄弟であっても憎しみ合ったり、殺し合ったりするのが人間てやつでしょ。ヒトはアフリカで類人猿から進化して発生したなんて言っても、そのことすら否定する者もいるし、はっきり『人種』間の優劣を信じる者もいる。人間は皆つながっているという意識が遍く広がるのもむずかしいのに、こう言う段階の人間もおびただしくいて、もう救いようがないんじゃないかって絶望する時も何度あったことか。」

「私たちはこの2週間、それでもあきらめずに最期まで、人類同士の友愛とその人類を支えてくれている地球環境保全を訴えていくべきなんだってあらためて確信したのよ。」

「そう。Hannah Lynnと俺は、遅く巡り会ったのは確かだけれど、とうとう巡り逢ったって言っていいだろう?もちろんもっともっと若い裡に逢えていたらよかったけれど、このタイミングはタイミングで、意味があるに違いないし、その意味を俺たちは今つかもうとしているんじゃいのかな。

俺が見てきた、そして今見ている世界と、Hannah Lynnが見てきた、そして今見ている世界は、まるで別宇宙のようなもので、その<multiverse>の様は、紫陽花の房のよう、いくつも同じ株から分かれて咲いている。

それでも俺とHannah Lynnの房は隣り合っていて、色もとてもよく似ている。俺という房が、根本が同じなのは当然として、なんと同じ枝から分かれたHannah Lynnという房があることにようやく気づいたんだ。」

凛は落涙する。

「私ね、私の家の庭に、冬になっても花びらを落とさず、薄茶色のドライフラワーになってしっかり立っている紫陽花があって、それを見ていると励まされてね。

今ー

ユウと私で、二人だからやれることが今私たちの眼前に広がったのね。提示されたのね。」


夕食には少し遅い時間になったが、俺は喜多方ラーメンを作った。
似つかわしくはないが、Vivaldiの『四季』をBGMにする。

「俺はこのうち、『冬』が特に好きなんだ。」

「雪国會津の生まれ育ちなら『春』かと思った。」

凛はスパゲッティを食べるかのように喜多方独特のちぢれ麺を口に入れてゆく。

「この『冬』を聴いていると、Hannah Lynnと行ったばかりの、あの松尾村あたりを中学生の頃独り歩いた冬の日を思い出すんだ。寒さ、寂寥、モノトーンの風景・・・それが慕わしいんだ、今は。歳をとったなあと思うよ。昔は『春』が一番好きで、『冬』なんか聞く気にもならなかったのに。」

「生まれ変わっても、會津に生まれたい?」

凛が真剣な眼差しで言った。

「そうだね。あるいは近江でもいいよ。あそこも雪が降るから。」

「そうね、四季があるっていうなら、冬にある程度は雪が降らなくちゃね。」

「野川のそばに生まれるのももちろん不満はないよ。雪はちょっとしか降らないけれど、決して降らないわけじゃない。俺、南国に生まれるのはだからごめんなんだ、どんなにそこが<天国に最も近い島>とかであってもね。」

「雪が肝心なのね、ユウには。」

「そう。そして生まれ変わったら、今度は早々にHannah Lynnと再会したい。」


俺と凛は、もちろん、その後激しく愛し合い、眠りについた。


(つづく)




nice!(0)  コメント(0) 

実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その5

ハイドレインジャ
第3部その5

俺は「漱石病」に罹って苦しんで以来、あまりこの文豪ゆかりの地へは行きたくなくなっており、今回千駄木界隈に来たのも、凛のルーツを知るためだからしかたなくというようなことだった。

地下鉄に乗り、電車が表参道駅に着いてから俺はようやく口を開いた。

「もう、俺の言う『漱石テリトリー』から離れたから話すよ。」

「え?ああ、千駄木もそうだし、早稲田南町辺り、つまり彼の中後期作品が書かれ、また小説の舞台となったところのことね。」

「そう。」

電車が代々木公園駅にまで至ると、俺はほぼ重い気分から解放されていた。

「病状悪化のトリガーになったのは、『行人』、いや『それから』を読んだときだったかな。とにかく漱石先生の<脳病>が凄まじい状況だったことがわかる描写がある作品さ。『それから』のラストなんて完全に狂気さ。主人公・代助が乗っている路面電車・街鉄でのラストのシーン、外の赤い世界は飯田橋と、その先、目白通りの大曲(おおまがり)辺りで、俺はその近くに住んでいたから、なんつーか、迫真度が極まったって言うか。共感が激し過ぎたって言うか。」

「病状悪化っていうことは、症状はもうその前にあったわけで、その原因は何だったの。」

やはり凛は鋭く突いてきた。

「・・・お決まりだね、道ならぬ恋、その破局さ。」

凛は「ふう」と息を吐いた。電車は地下トンネルを抜け代々木上原駅手前の地上へ。その夜景を見つめて、凛は、

「とは思っていたわ」

と呟いた。

「漱石の小説で三角関係はお決まりですものね。」

「俺は、でも、フィクションが好きになれず、読書と言えばそれ以外のものばかりだった。漱石は、『坊っちゃん』と『こころ』しか読んでいなかったしね、それまで。」

「じゃあ、<事後>漱石の他の著作を読み出したってことね。」

「そう。」

俺たちは代々木上原のフォームで小田急の電車を待った。
地上世界では、雨が降り出した。


成城学園前駅に着いて、俺はタクシーを拾おうと言った。
傘を持っていなかったからだが、凛の家までならいわゆる「ワンメーター」で気が引けたが、そこよりは若干遠い俺の家へ行こうと思っていたからだ。

タクシー乗り場で待っているとき、俺は臆面もなくー
とは云え小声で、John LennonのNobody Loves You (When You're Down and Out) を歌った。

I've shown you everything
I've got nothing to hide

But still you ask me
Do I love you

凛はそれを聴いていて、ポツンと言った。

「everythingとかnothingとか、そう簡単に使ってはいけない言葉よ。」


(つづく)




nice!(0)  コメント(0) 

実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その4

ハイドレインジャ
第3部その4

地下鉄千代田線は小田急と直通運転をしているから、千駄木へは楽に行ける。
俺は夜の方がDTs(懐かしいーDimension Transcenders)が出易かろうと凛に告げ、「勉強」をしてから夕方に成城を出た。

千駄木では団子坂を登って、鴎外先生の観潮楼前を通り、薮下通りで漱石旧居後へ。すぐ先が日本医科大学だ。しかしだ、漱石旧居跡とは云え、この家は夏目先生入居前の住人が森鴎外だったのだから、なんという曰くつきだ。

俺は漱石先生がDTとして出て来られるかとも思ったが、なんと俺が感じたのは、厳格な声調の持ち主で、もう長谷川泰が現れたかと思ったのだが、その声がもうひとつの声と何やらやり合っているのだ。

「Hannah Lynn、聞こえるかい。」

「Mmm, I think I'm hearing two men arguing, a little fiercely.」

「そうなんだよ。ひとりは鴎外先生のような・・・『我、功利の人間に非ず、いち石見人にて虚飾なく葬られんと望みし者ぞ』なんて言ってるし。」

「『てやんで〜、ベラボーめ、官立がそんなに偉いか、帝大医学部だけが医の道か』って言ってる?もうひとりの人。」

「言ってる。ということは、長谷川泰先生ですかな、もう一方は。有名な私立医学校済生学舎を取り潰す山縣有朋の息がかかった医学官界の代表鴎外先生といまだにやり合っているのか!」

「東京は狭かったのね、その当時。ここが相次いで鴎外、漱石の家になったり。さらにその鴎外先生、長谷川を追い詰めた<官製医学界>の代表的人物だったんでしょう。さっき通った観潮楼で歌会を主宰している頃、自分らが潰した済生学舎の関係者や卒業生らがあそこに日本医学校、後の日本医科大学を建てるんだから。」

「『「ヰタ・セクスアリス」、ラテン語で<性生活>なんてアラレもない本を書きながら、陸軍の医務局長、中将相当官位にあって脚気の病理を意固地になって細菌説で押し通し、何万も陸軍兵士を見殺しにしたくせに、何なんだ、その権威主義は!』って長谷川さん、怒ってるね。」

「ええ、河井継之助さんを看取った医師として、薩長中心、西国出身者中心の政府によほど腹が据えかねているのね。東大とその医学部の設立にも関わるくらいの人物だったのに、薩長嫌いが祟って左遷されたりしているわ。鴎外さんは石見・津和野藩のこちらも藩医の家出身、でも長州と隣の藩だものね、きれいに薩長側よね。」

「すみません!」

俺は日本医科大学キャンパスの方へ歩みを進め、声を発した。

「長谷川泰先生、お話を伺いたくて参りました。鴎外先生、すみません、外していただけますか。無限にやっておられる医学や医学教育についての論争は、またの機会にしていただきたくー。」

「失敬な!しかし、まあ、そのwunderschöne junge Dame(美しい若い女性)に免じて許してやろう。」

鴎外はそう言って気配を消した。

「長谷川先生!」

凛が声を掛ける。

「初めまして。藤原凛でございます。私の母は旧姓長谷川と申します。先生と同じ姓で、しかも同じ長岡の出身なのです。母が言うには、詳しくは知らないが、ご先祖は元々會津のもので、戦国時代末期蘆名一族と運命を共にして離散、越後・新潟へ逃れた者もいて、その流れらしい、と。」

「ほう。」

長谷川が関心を寄せた。

「母上はご存命か。」

「はい。ロンドンで暮らしております。」

「母上にお会いできればなお確たることも言えようが、貴女を見ているだけで、わしの親戚筋の女性たちに容貌がよく似ているから、血のつながりを感じるのぅ。わしも會津との縁は聞いたことがある。しかし、わしと血のつながりがあるとして、それで何だと言われるのかな。」

「私は、隣におります野澤熊と共に世田谷区に暮らしております。長谷川さまが東京にお暮らしの頃は、荏原郡や多摩郡だったところでございます。今は住宅地として家が密集しておりますが、それでも、まだ武蔵野の名残のようなところが散在し、また多摩川や野川という大都会のオアシスのような河川もあって、私は故郷として愛しております。この野澤は、會津の生まれ育ちながら、この世田谷や狛江に縁を持ち、やはりこよなくその土地を愛し、歌を作っており、また随筆を書いておりまして、私はその活動を知ることになったのでございます。

私は野澤がさらに多神教的、あるいは汎神論的な思想で歌を作っていることにも強く共感し、その共感の強さ加減が相当なものですから、何かしらの縁を野澤に感じざるを得ず、私から近いたのでございます。

そして彼の生まれ故郷にも昨日まで行っており、そこで私の母の家系的ルーツが野澤の故郷にあるのではないかと思ったのでございます。

今、私と野澤の縁がどういうものか、少しずつ分かってきたように思い、運命的なもの、あるいは宿命的なものを感じて私はさらに<うれしく>野澤を愛することができております。」

「え、エホン。」

「私の父方の話もしたいのですが、長くなりますので、なにしろあなた様が私の母の家とつながる方かどうか確かめたくここに参りました。」

「お母上の下の名は?そしてそのご両親の名は?まあ、できればもっと遠い先祖の名だが。」

「母は秋と申します。長谷川秋です。その両親は、父が輝明、母が冬子、輝明の父母は、確か康四郎、そして・・・。」

「長谷川康四郎・・・おお、わしを頼って済生学舎に来た長岡藩士長谷川慎之助の息子ではないか。」

「え!やはり。母の曽祖父は医師だったと聞いたことがあります。」

「慎之助はわしの従弟だった。明治の世となって、康四郎はまだ10代だった。生き残った長岡藩士は、まあ、これは他の藩の侍もそうであったが、明治になって禄を失い、仕事をせねばならなくなった。

今日本放送協会の歴史物の番組に出ておる磯田という学者がおろう。磯田の家は岡山藩の支藩鴨方藩重臣家の子孫で、その岡山藩は慶応4年神戸事件を起こす。詳述はせぬが、この事件で岡山藩は欧米と日本の差を痛感し、藩士高山紀齋を渡米留学させることになる。その高山紀齋が磯田家幕末当時の当主の甥っ子だった。この高山、なんとアメリカで甘いものを食べ過ぎ、虫歯になってしまう。そしてアメリカの歯科技術に賛嘆し、己の道は歯科医学の日本での流布だと知るのだ。

その高山は失禄した同僚藩士に歯科医師になるよう奨め、旧岡山藩士には歯医者が多く出たのだな。これと同じで、わしが済生学舎を開いてわしを頼る旧長岡藩士がいたのだよ。

まあ、岡山藩は元々信長の家来だった池田輝政の子孫が治めた。池田は蒲生と似ておる。信長・秀吉についていて、家康から姫をもらってー これは蒲生では二代目の秀行だがー そして関ヶ原では東軍についた。

池田家は蒲生と違い幕末まで続いた徳川恩顧の大大名であったのに、早々倒幕派となり薩長新政府軍に靡いた。

ま、わしには苦々しい藩のありさまだが、我が国近代において、わしは医学、高山は歯科医学の嚆矢となった。そこはまあ、高山を評価せざるを得ない。

それでもだ、長岡藩士の多くが戊辰で斃れた。同じ徳川恩顧の岡山藩はうまくやりやがった。わしの藩は敗者だらけ、岡山藩は歯医者だらけになった。Scheiße! (ドイツ語=Shit!)」

さすがは「ドクトル・ベランメェ」と綽名されただけの人だ、長谷川泰先生は。

「つまり私の先祖は、會津の、このユウの故郷でもあるN町の松尾に暮らしたことがある、ということなのですね。南北朝期京都から来た宇多河の子孫として。そして私はその先祖の地で、畑を耕そうとしているのよ、ユウ!」

凛が興奮して俺に向かって言った。

「ああ。そういうことになるね。しかしまあ、俺たちのご先祖さまたちは皆何かに抗って生きてきた人ばかり。体制派の上位にいて、安穏として暮らしたなんてぇ人はいないね。」


俺たちは長谷川先生にお礼を言い、成城への帰途につく。

団子坂を下っていると、凛が唐突に言ったー

「ユウはどうして『漱石病』に罹ったの?」


(つづく)




nice!(0)  コメント(0) 

独りよがり

ハイドレインジャ、書いていましたが、今まで書いてきたことをまとめようとしている
ところで、複雑なことになっており、ちょっと頭が回りません。
明日に持ち越し。

「第三者の目で自分の作品を冷静に読んでください。独りよがりになっていませんか? 自分や仲間だけが楽しい内容になっていませんか?」

故・鳥山明さんの言葉である。

<一方で、「自分なりにあれこれ考える根性とセンスが一番重要」とも述べていた。読者のために描くことは、読者に気に入られようとおもねることとは違うのだろう。(朝日新聞社説より)>

いやはや。
前段のお言葉の方が沁みますなあ。

天才漫画家のご冥福をお祈りします。


nice!(0)  コメント(0) 

実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その3

ハイドレインジャ
第3部その3

再び凛の成城の家。
前日の疲れがあり、俺の起床は午前9時ごろとなったけれど、凛はすでに村畠の野菜を使って朝食の準備をしてくれていた。

大体のところぐっすり眠れたのだが、午前2時だかに震度4程度の地震があって目が覚めた。朝の挨拶後、凛との会話はその地震のことで始まった。

「直下型だったでしょ。」

「珍しいけれど、震源は多摩東部って言っていたわ。」

「そうなんだ。茨城南部とか、千葉北西部とか、あるいは福島県沖とかのよく聞く震源の地震とは違うもんね、揺れ方が、直下型って。」

村畠自慢の無農薬野菜がうまい。ミニトマト、胡瓜、スナップエンドウ・・・トーストのお伴だ。

「村畠さんがお住まいのところって、フォッサマグナの西の縁、糸魚川・静岡構造線の真上なんでしょう?」

「そうだね。同じ構造線上のちょっと北にある小谷(おたり)村や白馬村は最近ひどい地震に見舞われたけれど、この構造線は中央構造線に次ぐ長さ、規模でしょう。全体が揺れたら、もう国家的なcatastropheだ。」

「岡半兵衛さんも、會津地震で運命が変わってしまったものね。」

「そうだね。Hannah Lynnは、3.11の時は?」

「東京にいたわ。あの時は、ほら、井の頭公園近くのR女学院で教師をしている友人と下北沢で会う約束をしていてね、金曜だったでしょう。私は当時築地のL国際大学で一般教養の英語を教えていて、もう春休みに入っていたけれど、事務作業があってそちらに行っていて。お昼を食べて、一旦家に帰ろうって、地下鉄で代々木上原に着いて、小田急に乗り換えて、豪徳寺であの大地震に遭ったの。」

「そうだったんだ。俺は小田急の急行で新宿駅に着くぞっていうタイミングだった。ラジオを聴いていてさ、緊急地震警報が鳴って、数秒の間があったな。そしたら、脱線するんじゃないかっていうくらいの揺れが来てね。先頭がフォーム行き止まりの手前で緊急停止。しばらく缶詰めになって。もうどう考えても全ての電車が運行できないと思ったから、仕事先に電話して、もう帰宅しますって。帰宅するったって、あ〜た、歩いて砧8丁目でっせ。」

「私は豪徳寺から成城まで4駅間だし、そう距離は厳しくはなかったけれど。長く歩く靴じゃなかったし、寒かったし、ひどい目に遭ったわ。もちろんその子との約束はキャンセル。」

「家帰ってTVつけっぱなしで、まずは仙台平野の惨状を見て、それから三陸の、また相馬とか、海岸線付近の家や道路が大津波に呑まれていく映像・・・黙示録的映像。涙が止まらなかったよ。」

「そしてユウにとっては<なにしろ>第一原発のことよね。」

「そう。」

俺はしばらく考えを巡らせた。

「最初はね、原発憎しだった。俺の甥っ子が消防士で、12日の1号機水素爆発のとき、喜多方消防署から派遣されて津波被害者の捜索活動で原発の近くにいたんだよ。降灰がある中、即時撤収したらしいけれど、彼にとってはその後深刻なトラウマになった。

くそったれ、地元の経済のためだなんてあんなものを誘致してって、国ばかりか立地自治体も呪った。しかも俺は2009年だったかの国会答弁、安倍首相が何て言ったか、覚えていたんだよ。全電源喪失なんてあり得ないって言い切っていたんだ。対策を求める共産党議員の質問にね。一笑に付したってな感じだったんだよ。

けれどもね、この原発っていうやつはもっともっと深刻なんだ、当事者だけの問題じゃないって思い始めた。」

凛は俺にコーヒーのお代わりを注いでくれる。

「俺、仙台平野の名取市の閖上(ゆりあげ)地区に2年後行ってみたんだ。『名取』って名は、アイヌ語の湿地を意味する<ニタトル>から由来するっていうぐらい、海間際の低湿地帯なんだ。9世紀の貞観地震、そして1611年、慶長16年の慶長三陸地震で、大津波が仙台平野の内陸深くまで襲ったのは記録にあったのに、つまり、そんなところに住宅などを建てたらいずれ大変なことになるのを予見できていたのに、その危険性を無視してしまった。

なぜ俺が慶長三陸地震の発生年をしっかり覚えているか分かるかい、Hannah Lynn。」

「ちょっと待って・・・。」

凛は考える。

「聞いたことがあるわ、その年代。あら!會津地震と同じ年?」

「そうさ。Exactlyだよ。會津地震は9月、慶長三陸地震は12月なんだ!」

「東北は揺れまくったのね。」

「そう。食糧事情が良くなって、人が増える、土地がなくなっていく、だから新たに宅地や農地を開発する、大量生産のため工業化が進む、莫大なエネルギーが必要になる・・・それはしかたがないことだ。けれど、人間は必ず度を越す。

決してなくならない戦争や世界大戦なんて、度を越す人類が自ら大量間引き、口減らしする行為なんじゃないかってすら思ったりするよ、俺は。」

凛は表情を曇らせ、涙さえ零した。

「自然には勝てないなんて多くの人が言うけれど、人類は度を越して、自然を軽視して、そのしっぺ返しをされて、やり過ぎを自覚して、そして忘却し、また同じことを繰り返す。

何度でも言う。

何が高度なテクノロジーだ。単細胞生物すら作れないくせに!」


(つづく)




nice!(0)  コメント(0) 

実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その2

ハイドレインジャ
第3部その2

「I'm going to phone my mother and ask her what she knows about her ancestors who lived in Niigata.」

「お。新潟に行かなくていいんだね?東京に帰るよ。」

「Go ahead. Mr. Moore's vegetables are more important.」

凛は赤城の婆様と話をつけて休耕地貸借の話を急転直下で決めていた。とりあえず耕作自体は来春からとすると。雪解けの後だから、4月以降になるだろう。少し気長な話になった。

「Yes, mother. I've rented some untilled land from a farmer living in Fukushima. Yes. I'm going to grow vegetables there.」

凛がロンドンの母と話している。

「Am I going to live in Fukushima? No. I'm planning to go back and forth between Setagaya and Aizu. Yes, Aizu. You know where it is. Yes. Niigata's neighboring district in Fukushima Prefecture. Right.」

そしてー

「Now, mother, will you tell me as much about the Hasegawa family you were born in as possible.」

話は猪苗代辺りまで続いた。
電話を切り、凛は話し出す。

「やっぱり、だったわ。」

「ん?やっぱり伊達政宗軍にやられて落ち延びた宇多河改め長谷川の一族だって?」

「そこまでは知らないみたい。ただ遠い昔會津に一族はいて、戦国時代にそこから五泉、そして江戸時代に長岡に移ってきたって聞いたことがあるって。もっと先の先祖だと地頭で、名門だったらしいって。」

「おいおい、長岡かよ。そしてその地頭って宇多河さんのことじゃん。」

「長岡藩の藩医長谷川家につながるらしいわ。」

「え!ちょっと待って。調べてみようよ、そのこと。俺、『トーホグマン』を書いていた頃、確か長岡藩と薩長中心の新政府軍との北越戦争を指揮した河井継之助さんが抱えた藩医がいるのを調べたっけ。確か長谷川泰という名前だったんじゃなかったか。」

「・・・うん、そうよ。<はせがわ・たい>、<やすし>とも。済生学舎、今の日本医科大学の源流となる医師試験合格のための私立予備校創設者ってあるわ。野口英世も卒業生らしいわ。京都帝国大学の創立も進言した・・・え?長州の山縣有朋に済生学舎を突如廃校させられた?医学校をみな官立にするという方針もあったけれど、裏では北越戦争で長岡藩に松下村塾以来の親友を殺されたからその遺恨でって!」

「ち、エラそーに。長州兵がどれほど多くの長岡藩士を殺したかっていうんだ!
なにしろだ、Hannah Lynnのお母様はその長谷川泰につながるのぉ?」

「みたいね。どれほどの近しさなのかは分かんないみたいだけれど。」

「今日は世田谷に帰って、明日、済生学舎=日本医科大の在る千駄木に行こうか。」

「長谷川泰さんに<会いに>行くの?」

「あそこ辺りはクルマなんか停められないからなあ。」

「行ったことがあるんだ。」

「うん。<漱石病>に罹っていた頃ね。彼のいわゆる『猫の家』は千駄木さ。厳密には向丘だけど。日本医科大のすぐ近くさ。」

「行ってみましょう。」

クルマは磐越道から東北道に入った。
進行方向はるか先に遠雷ー
福島と栃木県境辺りだ。


(つづく)



nice!(0)  コメント(0) 

実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その1

ハイドレインジャ
第3部その1

磐越道に乗ったはいいが、俺は凛が耕作地をN町に見つけるという目的をすっかり忘れていたことに気づいた。直近の會津坂下インターで高速を降り、野菜のことが気になっている中ではあったが、交通量の少ない国道49号線で再びN町へ戻った(って、『N町』なんて匿名的に書いている意味はないんだが)。

夕暮れが迫っていた。
俺は旧越後街道沿いの原町などではなく、そこから北の田園地帯へとクルマを走らせた。途中長岡藩士の霊を一緒に目撃した大堀、下の名前までつけて書けば、大堀光(おおほり・ひかる)の旧宅の前を通る。

「ここが大堀の家だったところさ。」

俺は凛に言った。

「大堀さんには最近紀壽(100歳)を迎えてから大往生なさったお母様がいらしたわよね。」

「そう。すごいよね。俺がそこまで生きられるとしたら、あと40年近く命があるってことだ。でも、まあ、それは望めないね。最高度の医療を受けられるだろう世界的な漫画家や、アニメの有名な声優が60歳代で惜しくも亡くなったりするし。」

「ずっと生きていてほしい。」

凛がしみじみとした口調で呟くように言った。

「いのちは長短じゃないって言う人がいるけれど、そして私は、この世で死者となっても高次の世界で魂は生き続けているのは知っているけれど、それでも、ね、愛する人にいつでも触れられるままであってほしいってー

亡き父は
あまねく在りて
山眠る

ユウが、お父様が霜月に亡くなったときの俳句、私本当に感動したのよ。」

「お手盛りだなあ。」

「この町の歴史を丹念に探ってこられて、俳人としても後輩有志を指導されて、お葬式、出棺の時、ものすごい数の方に葬送されたユウのお父様の魂は、そこかしこで感じられる、会える。」

「葬送、いや、そうそう。」

「混ぜっ返さないでよ。」

「ごめん。でもまあ、お手盛りだなあ。そんなにいい俳句じゃないよ、それ。」

「でも実感でしょ?死は肉体を持つ魂の限界を超えること。愛する人が亡くなって悲しいには違いないけれど、でも、たとえばもうその人は病院にいる人ではなくなる。クルマで数時間走らないと会えない人ではなくなる。その人のことを思えばいつでも一緒だって思える存在になる。」

「ああ、そういうことだね。大堀もお母堂のお葬式のとき、ちっとも悲しんでいなかったんだ。もちろん感激屋の彼のこと、長く愛した自分の母親が亡くなっているのを知った瞬間は号泣しただろうけれど、すぐに俺と同じ境地に立ったと思うよ。」

凛は赤く染まる飯豊連峰を見ながら一粒、涙を零した。

「すてきね。」

凛はかすれた声で言った。

「飯豊山でしょう?イザベラ・バードも絶賛した。」

「ああ。よく知ってるね。」

「ユウが書いていたじゃない。」

「あ、そっか。」

「ここの辺りに耕作地が欲しい!」

「どのくらいの面積?」

「いくらでも。この村買い占めても。」

「おいおい。耕作しきれないよ。」

「ほとんどをナショナルトラストみたいにするの。」

「ハハッ!この村は松尾って言うんだ。」

「え?ユウが、『山城国つまり京都府の葛城郡宇多野を根拠とする宇多河信濃守道忠が鎌倉幕府の御家人となった。この豪族は葛城郡に在る松尾神社を崇敬していたと。鎌倉では五山のひとつ寿福寺を建立、そしてどういうことか會津に来て地頭となり、ここの中平、今の松尾に、真福寺を開いたんですね。そのとき、住職さまのお寺、この如法寺も同時的に臨済宗の寺院となった』ってさっき説明してた?」

「恐るべき記憶力だな!一字一句違わない!
・・・創建はなんと天平年間。平安時代からはご本尊が阿弥陀如来という天台宗の寺だったが、宇多河が臨済宗の寺にしたのが1362年、南北朝時代だね。」

「ユウもすごい記憶力じゃない!
・・・真福寺は大変な繁栄で、鎌倉幕府・源家の庇護も得て、なんと尼将軍政子奉納の大般若経600巻を蔵し、御朱印三百貫、末山37寺を擁する大寺院となったんでしょう?」

「うう。その通り。」

「休耕地がいっぱいあるかしら。」

「どうだろうね。まあ、日本全国、農業従事者は激減しているしね。」

真福寺前に着いた。
寺の縁起などが書かれている看板を見ていると、一人の老女が近づいてきた。

「おめさんだぢは、東京の人だナイ?」

「はい。」

「クルマのナンバーに『世田谷』ってあっから。」

「ああ、そうですね。」

俺はできればこの会話を打ち切って帰路に戻りたかった。

「あだし(私)はこゴの村の最古老なんだシ。あだしの家、赤城家は、今はこゴで百姓してっけんども、元々は蘆名家に仕えだ名門士族だガらナシ。

山城=京都府ガら南北朝時代にこゴさ来た地頭の宇多河道忠は、それはまあ、禅仏教への信仰厚ぐってナイ。武家はまあ、臨済宗っつぅゴどだったのナイ、鎌倉時代だの南北朝時代は。」

「ああ、そうですね。いやあ、貴重なお話で、ありがとー」

「鎌倉御家人だった宇多河ももぢろん蘆名の家臣格でこゴの地頭となったわげだシ。その宇多河の子孫が長谷川を名乗るようになんのなシ。戦国時代末期伊達政宗に攻められで、真福寺も焼ガれ、長谷川一族は離散したんだげんじょも、江戸時代、この一族は優れだ人を出したんだわナイ。久七っつぅ人が郷頭としてこゴら、町場も含めで、會津藩に任せられ栄えんだガらなシ。」

「そうなんですね、いやあ、貴重なお話ー」

「長谷川、なんですか?」

凛が会話に入ってきた。

「ああ、このあだり、會津西部は、隣の新潟県阿賀町も含めて長谷川姓の家は多いナイ。宇多河の子孫だ。あるいは主人筋の長谷川の姓をもらった人だぢだわな。」

「私の母、旧姓は長谷川なんです!しかもルーツは新潟!」

「ああ、おめさんはチレイ(きれい)だガら、お母様、新潟美人だべ。お母様のご先祖は、蘆名滅亡のとギ、新潟方面に逃げで行ったんでねぇの?」

俺はまずいと思った。
凛は新潟に行きたいと言い出すのではないか。

村畠からもらった、彼が丹精込めて作った野菜が腐ってしまう。

「ユウ。」

凛が俺に呼びかけた。


(つづく)




nice!(0)  コメント(0) 

実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その29 第2部 ー完ー

ハイドレインジャ
第2部その29

「近江は本州の<くびれ>、まるで女性(にょしょう)の腰のような地形であり、日本海に近く、近畿であっても特に米原辺りは大雪が降るのが珍しくなく、さらには京のすぐ隣であり、また交通の要衝、北陸道、東山道、東海道が通りまする。」

半兵衛が言う。

「ゆえに流通の要になるのは必定で、物ばかりか人も各地へ血のように通って行ったのでござるよ。実際拙者も氏郷さまに付いて北陸道から越後へ、越後から會津へと入って参った。

雪はしかし桁違い、ことばもまるで異なって、当初は難儀いたした。それでも氏郷様は猪苗代湖を琵琶湖に似たりとお気に召され、磐梯山を伊吹山と見立てられた。黒川を若松と名を改め、清新なお気持ちで藩政を始められたのございます。

拙者は、氏郷様亡き後一時石田三成様や直江兼続様のお力添えをいただき当時米沢が本拠の上杉景勝様へご奉公致したのでございますが、蒲生家が宇都宮より再び會津へ戻り、二代・秀行様に格別のお引き立てをいただき、この稲川荘、會津西部および津川を任せていただいて、最前も申しました通り、蘆名殿のご統治以来地頭館が在った原町で伊勢や近江にゆかりある方々に出会い、また熊野神社が在ることにも近しさを覚えておりました。

そしてなにより拙者が驚きましたのは、原町の人々が弔いに西国三十三所御詠歌を何度も何度も繰り返し歌うのを聞き、目にしたときでございました。それはそうでございましょう。どうして會津で我が故郷と同じ慣わしがあるものと予期することができましょうぞ。

ご存じでありましょうが、三十三所の札所ご本尊はみな観音菩薩でございます。如法寺も、執金剛神の堂宇が在っても、ご本尊は鳥追観音さま、正式には聖観音菩薩さまで、『観音』は梵語avalokitasvaraの訳でござりますがー」

「玄奘は『観自在』と訳しましたが、最古の法華経の記述ではやはり『観音』が正しいのですよね。」

凛が言った。

「よく知っているなあ、聖公会のHannahが!」

俺が感嘆すると、

「ユウが『トーホグマン』で書いていたでしょう」

と返されてしまった。

「そ、そうだったね。英語にすればobserved voiceあるいはobserved soundだ。『観察された声、音』って、まさに詩人の、歌うたいの、あるいはミュージシャンの、表現すること・ものだ。むろん菩薩さまとは程遠いけれどね、俺なんかは。ただの凡夫だけど、まあ、山川草木の音を、そして愛を音にする者だ。」

「・・・お分かりいただけたか、ユウ殿、凛どの。」

半兵衛が言った。

「拙者は思い上がったところも確かにございましたし、あまりの出世にそねみ・ねたみを買い、やること為すこと傲岸、専横と見られ、また確かに、大地震の後済民が優先と、先代・氏郷様が目をかけられた西光寺の寺領も没収してしまいました。蒲生家の内紛はそれまでもありましたが、拙者が槍玉に上がってしまったのはまことに不覚千万なことでござった!

それでも、拙者は神仏に深く帰依し、戦国の世、乱世を、生き抜いたのでござりまする。

蘆名殿のご一統も、長岡藩士も、そして拙者や近江出身の奥州に生き、死んだ者も、むろんすべてがすべて善行をのみ積んで来たわけではござりませぬが、今こうして時間軸を自在に動き、頂点数16、辺の数32、面の数24の4次元世界より見守ることができる者となって、ユウ殿と凛どのお二人が、いまだ傷つく魂を鎮め、また熊野の教えを<音で>流布されるのを<心>から願っておるのでござりまする!」


如法寺の高野槙の太い幹に西日が差した。
いつの間にかそんな時刻になっていたのだ。
短いような、長いような時をユウと凛は過ごした。
そしてニイニイゼミが鳴き出しているのにユウと凛は気づく。

二人は、1611年會津地震の2年後、岡半兵衛寄進、大檀那となって造営した観音堂に深々合掌敬礼し、村畠がくれた野菜の傷みを気にしながら、磐越道西会津インターから東京へと向かった。


第2部 ー完ー





nice!(0)  コメント(0) 

実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その28

ハイドレインジャ
第2部その28

「盛備殿が拙者の前にお出ましになったのは、今にして思えば・・・
と言いながら、<今>とは何でしょうな、拙者自身、時とは何ぞと思わなくもないが、それは措いてー

拙者が、會津太守2代秀行様のご寵愛をよいことにつけあがっていると見る振姫さまはもちろん、出世争いをする同僚蒲生家家臣にいずれ誅殺されることをお告げになりたかったのではと。

霊は、過去のことは語っても、未来のことは口にしないものなのでござるよ。それはただ、己が出現することで考えさせる、あるいは仄めかすものなのでござる。」

「分かります。」

俺は言った。

「出られた方にしてみれば、探れ、と言われているのです。あるいは、慮れ、でしょうか。

私は17歳の夏、この町の南、台倉山の大山祇神社本殿前に在るいわゆる『お籠もり旅館』で勉強合宿中に、大堀という友人他3人と最終日前の夜に、先ほど半兵衛さまが形容なさったのと全く同じように出現する霊を見ました。その御霊は一言も発しませんでした。

私がその御霊を目撃したことを思い出したのがその1、2週間後、大堀と一緒にその台倉山が見える、
そう、この如法寺の在る丘の下をBeatlesー
えっと、日本から遥か西に在る切支丹の国のひとつで音曲を奏でる集団ですがー
そのビートルズの曲をラジカセ・・・音が鳴る箱のようなものですが、それで聴きながら散歩をしていたのです。本当に大堀と共に驚きました。いや、戦慄が走ったのです。

どうして今まで思い出さなかったか。なぜ御霊目撃の夜が明けてから、誰一人そんな驚愕の体験を口にせず、あるいは思い出すこともなく、台倉山を下りたのか。

私はすぐに父の蔵書を漁りました。父の持つ、あるいは父自身が書いた、この町の歴史にまつわる本を読み漁ったのです。すると、幕末、半兵衛さまに過酷な処断を下した徳川家康とその子孫ら15代に亘る江戸幕府の最終末に、會津は朝敵の汚名を着せられ、薩摩長州を中心とする討幕勢力に見せしめのように痛めつけられたのです。そのとき、同盟を結んでいた越後・長岡藩が和平を望みながらも薩長らと結局戦い、壊滅しました。その折、生き延びた藩士たちは會津へと逃げたのですが、中田、岡村という二人が我が町で薩兵に捕まり、首を刎ねられました。」

「長岡藩を率いた河井継之助の家は元々近江膳所藩藩士の家だったとのことのよ。」

凛が言った。俺が憤死した長岡藩士の話を何度も書いてきたものだから、自分でも調べたのだった。

「近江人は本当にいろんなところに散らばったのね。」

「その長岡藩士の首塚が在ったところで、私はその霊目撃のことを思い出したのです。」

私は続けた。

「その首塚の話が父の持つ本に書かれており、私はあの御霊は中田氏か岡村氏のいずれかだと確信したんです。そしてその出現の理由を探りました・・・いや、過去形では言えない、今でも探っておりますが、おそらく、幕末の乱世、義に生きた侍のことを、そして今や忘却されてしまっていると言える自分たちの生き方死に方を、私に伝えてほしいということなのだろうと。まもなくその首塚はバイパス建設と圃場整理で跡形もなく撤去されてしまいましたが。」

「さようでありましょうぞ。」

半兵衛が即答した。

「<こちら>の『會津憤死武士の会』で<お目>にかかっているかもしれませぬが、中田氏、岡村氏とは交流がありませぬ。しかしきっとそういうことでありましょうぞ。野澤殿の表現力に、そして大堀殿のご協力に期待されたのだと。」

「はい。ただその大堀はほとんど私の著作を読んでくれていませんが。」

半兵衛はしばらく押し黙っていたが、

「いや、大堀殿もきっと力を尽くしてくださいましょうぞ、霊は未来を語ってはいけませぬが、これは希望でありますので」

と言った。

「ええ、そうだといいですね。」

俺は応えた。

「すみません、話の腰を折ってしまい。」

「お気になさるな。」

半兵衛は話を続ける。

「拙者はこの會津稲川荘、城が在った津川城へ参って、すでに伊勢や近江からこの地へ移り住んでいる者がいることを知ったのでございます。」

「すみません、伊藤伊勢さんとかですか?」

「その方は西暦でいう1500年辺りの住人でござるゆえ、そのご子孫ですかな。なにしろ、近江や伊勢の者に限りませぬが、西国の者が奥州に来るというのは、奈良・平安期のいわゆる蝦夷征伐から始まっておりまするが、源頼家・義家親子の前九年・後三年の役、さらにその子孫頼朝による奥州合戦で武功あった者に土地を与えたことで盛んになったと申してよろしかろうと存じまする。」

「私の先祖は、その奥州合戦で滅ぼされた奥州藤原氏の許へ招かれた近江の鋳物師だったと聞いています。」

「さよう。」

半兵衛は知っていたというような返事をした。

「そして信夫佐藤氏と縁を結んだ、と。」

「はい。ご存じなのですね。」

凛は固唾を呑む。

「拙者が原町の熊野神社にある夏の日参詣した折のこと、阿弥陀仏すなわち素戔嗚命、垂迹して家津御子大神に祈りを捧げておりますと、蜩(ひぐらし)の声が一斉に止み、強烈な西日が俄かに差して、その光差す方より声がしたのでございます。

『そなたは伊勢の出の岡半兵衛か』と。

拙者がさようでござる、近江より會津へ来た蒲生様に仕える者でござると返事をしますと、

『西隣の上野尻に在る西光寺へは参ったか』

と。

先代の主氏郷様が頻々と立ち寄られたに聞いておりまする、と拙者は答え申した。

『そなた、西光寺の禄を大方取り上げたと聞く。』

拙者は、肯ってから、大地震があり、済民が優先ということで、仕方のうございましたと応えたのでございます。

『それにしては如法寺とここ原町の熊野神社には手厚い保護をする者じゃのぅ』

との仰せ。すみませぬ、まずは熊野さまのご加護と、世乱れる中、我が武勇のため、執金剛神さまにおすがり申した次第でござりますと申しました。すると西からの声は、

『小笹という名の娘がその寺に暮らしておる。そなたの前の主・氏郷殿が寵愛なされた娘じゃ。その小笹は、遠く藤原秀衡の血を引くのじゃ。

知っておろう、若き秀衡は妻と熊野本宮大社参詣で中辺路の道すがら、乳岩のところで俄かに産気づいて、子を無事そこで産んだ妻を置いて神殿へと向かった故事じゃ。』

拙者は、

『存じておりまする、熊野権現様のお告げがあって、赤子と母は狼が守り、岩からは乳が滲み出して滴り、赤子はそれを飲み無事で、秀衡殿は確と参詣できたというお話でございます』

と答え申した。
そしてその西からの声はこう告げましたー

『その赤子は秀衡と信夫佐藤の女との子じゃ。その生まれ変わりが小笹、狼ならぬ大蛇に守られた女じゃ。そしてその小笹の生まれ変わりが400年後にこの會津の、西国三十三所御詠歌を歌う者たちの町の鎮守熊野神社に来る』

と。」

凛はワナワナと震え出す。

「さらに西の光は言われたー」

半兵衛さんは続けた。

『そなたの前の主氏郷は、近江瀬田の唐橋で百足退治した藤原秀郷の子孫だが、奥州藤原も然り、元々縁があった。氏郷が小笹に惹かれるのは無理もなかった。西光寺に預けられた芹沼の小笹の150年前、<先代>小笹はそのときは武州角筈に生まれ変わっておった。熊野の神官の家藤白鈴木の九郎の娘としてじゃ。』

「子孫、血のつながりということばかりでなく、生まれ変わりか!」

俺は叫んだ。

「西の光の声はさらにー」

と半兵衛が言った。

「『400年後に来る小笹は、藤原凛という名になっておる。その凛が本当に来たら、そのとき伝えよ。伴の者は狼でも蛇でもなく、熊であるが、この熊は凛と近江、伊勢の頃からの深き因縁にて其方に出会う、と。この熊野の導きは、二人の熊野信仰の流布のためじゃ。

自然という言葉を使う勿れ。自然とは、人間が周りの事物を己ではないと思うからこその切り離した見方から生まれた言葉じゃ。熊野の者にとって自然などという言葉はない。一体だからじゃ。区別がないからじゃ。主客がないからじゃ。

この世はすべて<私>、なのじゃ。』」

凛は泣いていた。
俺も打ち震えていた。


(つづく)




nice!(0)  コメント(0) 

MNEMO書き続ける

今日のMooさんの記事よりー

現在「ハイドレンジャ」を執筆中のMNEMOさんのように、AIでもまねのできない歴史的かつ幻想的な小説をものにしている人もいる。その筆致は、私などとは全く異質なもので、MNEMOさんが自らの体験で深く身につけたものに他なりません。
そうしたことにも刺激を受けながら、まだまだ、私自身の「書く」という悪戦苦闘は続くのでしょう。

ーなんと言うか、それこそMooの要を得た批評に私は励まされます。

「書く」のは本当にむずかしい。

高2のとき、有志でクラス文集を出したことがあって、なぜか私はその表紙をデザイン(Kではなく)し、一文も寄せたのですが、推敲せずに面妖・稚拙な文章を書いてしまい、その羞恥が以降ずっと私のなにかしら文章を書くときの慎重さにつながっています。

また、英語文法を曲がりなりにも勉強してきて、本当にほぼストレートに私の日本語にもその成果が反映されたという自覚があります。

それでも、Mooさんが称揚してくださるような書き手では到底ないなと嘆息をつく次第。

兎にも角にも、Mooさんが読んでくださっているのだ、NYのやすさんが読んでくださっているのだという事実を励みに最後まで『ハイドレインジャ』書き続けます。

ありがとうございます。


nice!(0)  コメント(0) 

実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その27

ハイドレインジャ
第2部その27

「拙者が津川城の主になる前の城主、つまり先代の城主・城代の中に、蘆名氏一門の金上盛備殿がおられました。拙者から見て4代前でござるが、第一級の領主であられたのです。文武両道とはこのお方のこと、領民からもその優れたお人柄のことを耳にしておりました。

慶長年間のある日の夜、拙者が津川城で寝ておりますと、外でパリッパリッという音が聞こえたのでございます。格子窓から見てみますと、それこそ狐火が浮かんでおります。『それこそ』と申すのは、津川城は別名狐戻城と呼ばれるからでございます。どういうことかと思案しておりますると、俄かに我が寝室の壁前に乳色の煙のようなものが突然現れ、それが間もなく人形(ひとがた)になるのでございます。

その人形は拙者の名を呼ばれました。どなたさまでござるかと拙者は訊きます。すると、

『拙者は桓武平氏三浦流蘆名一門金上の盛備でござる』と。

拙者は、

『おお、承知しておりまする、秀吉さまにも目をかけられるほどの優れた才知と勇猛果敢さで従五位下遠江守にも昇られた。しかし天正17年摺上原における伊達殿との合戦で先陣指揮をされるも、奮戦空しく命を落とされたお方』

と申しました。すると、

『あれからまだ二十年余り、世はすっかり蘆名のことなど忘れてしもうたー』

と盛備さまは仰られた。

『源頼朝公の昔から、我ら蘆名の祖となる三浦義明七男・佐原義連より400年近く會津を治めて参ったにも関わらずじゃ。

この津川城を狐戻城と名付けたのは藤倉伯耆守盛弘で、建長4年(1252年)のこと、その子盛仁が金上と姓を改めた。それから拙者の代まで337年経って、この津川および稲川荘(=西会津町)を伊達に、そして上杉に、乗っ取られてしもうた。それでも、すぐ後に、何らの恨みなき近江の蒲生氏が會津に来られ、黒川を若松とし、近江や伊勢からの人材を登用され、會津は新しい世へと舵を切ったのでござるなあ、と。それについては蘆名の者としてせめてもの慰めでござる。

ところでー』

と盛備さまは続けられた。

『蘆名には三浦義明の弟為清の流れもあり、相模の石田(小田急線・愛甲石田駅にその名を残す)を頼朝さまより与えられておったが、為清の孫為久が木曽義仲討伐での功で<近江の石田村>を与えられ、その末裔として石田三成公がその地で生まれるのじゃ。その石田殿の娘御を、半兵衛どの、貴公はお娶りなさった。そのことについても、蘆名一族としては感じ入る次第じゃ。

さらにのー』

と盛備さまは仰る。

『三成殿のご次男重成殿は関ヶ原の後津軽へ逃げられ、杉山と姓を変えた』と。

野澤殿、貴公には杉山という名のお知り合いがござりましょう?」

「え!は、はい。羽後・秋田にルーツを持ち、相州伊勢原で育った靖幸という<太鼓叩き>がおります!」

「ハハハハ!」

と半兵衛は笑った。

「その方のご先祖は津軽から秋田へ南下したのでしょうぞ。あるいは蘆名つながりで、秋田・久保田藩へ国替え・減封となった佐竹氏を頼ったか。

また、伊勢原とは拙者と同郷の伊勢の者が元和6年に創建した伊勢原大神宮からそう呼ばれるようになった町でござるぞよ。しかも、愛甲石田はその伊勢原に在るではありませぬか!その杉山殿は蘆名為清が頼朝様から与えられ本拠にした相州石田へ知らず帰ったのでしょうぞ!先祖帰りじゃ!」

俺は驚きまくって声が出なかった。
<岡野>半兵衛、<杉山>(石田)重成・・・って、俺のbandmatesの名字じゃないか。

「ユウ、こんなものよ。」

凛が言った。

「例の2のn乗よ。戦国末期って今から420年とか昔でしょう。例のごとく25年1世代ということで割れば、商はほぼ17、2の17乗は、131,072、私たちはそれぞれ戦国末期から今に至ってそれだけの数の先祖を持っているのよ。被って当然、偶然が偶然でなくて当然。」

「え?何だそれ。」

「なにしろ・・・つながってしまうのよね。」

「うん。でも出来過ぎでしょう、この話。何も俺のバンドメイトの姓が出て来なくたっていいのにさ。その岡野くんも杉山くんも藤倉転石師匠のお世話になっている。まあ、最初に転石師につながったのはbassist岡野くんだが。」

「さてー」

とその半兵衛さんが再び語り出す。

「拙者岡(野)半兵衛は最前申しました通り、伊勢の出で、伊勢と紀州の境に在る熊野速玉大社を尊崇して参った。ゆえに津川城主となって初の領内視察で原町に熊野神社が在り、また近隣の慶徳(喜多方市)にも新宮熊野神社が在り、拙者は親しみを覚えたのでございます。

そして寺院としては、金剛山如法寺を崇敬申した。その時の如法寺は正観音菩薩ではなく執金剛神像を堂宇を建てて祀っておられた。これは先ほどの仁王像とは違って平安末期かそれ以前の製作であり、この寺が徳一大師により大同2年に開基されたことを裏付ける堂々たる像であった。武士の身共として、まことに頼もしい護法善神でござった。」

「執金剛神って、ギリシアのヘラクレスが原型なのよ。」

凛が言った。

「Mighty Herculesか。」

「そう、剛力無双。」

「俺の歌にある。Love That's Trueっていうんだ。I can move like Mighty Herculesって歌詞がある。それこそ岡野くんと杉山くんとで3-part harmonyを構成して歌ったことがあるよ。」

「さて金上盛備殿はさらにこう告げられたのでございますー

『我が遠祖藤倉伯耆守盛弘以来、我ら藤倉・金上一族は神仏への信仰厚く、蘆名滅亡後會津より南へほぼ一直線で関東の桐生へ逃れた我が親族は、幾多の山道を経て根本山へと辿り着いた。根本山の名は、熊野速玉大社の「根本熊野権現」に拠る。天台宗系の修験道ではこの「根本」という言葉は、比叡山の「根本中堂」にもあるように、まさに<大元><根源>のことである。

根本山の隣の峰が<十二山>というのも、熊野信仰、特に速玉大社信仰をはっきりと示す。神仏習合の根本山神社=大正院は、速玉大神すなわち薬師如来を祀る。』」

「・・・ここまでお話を拝聴しているとー」

と俺は感慨これ以上深くならないというような体で言った。

「藤倉転石師匠が私のデモテープの歌に惹きつけられたのもあったにはあったけれど、きっと私の藝名を母の母の姓である根本から『根本ひろし』としたことが私をデビューに導いてくださった理由として大きかったかもしれないですね。<根本>という、転石師匠にとって物心ついた頃から目にしてきた文字ですものね。」

「それはありましょうぞ。」

半兵衛さまが応えた。

「さて、さらに続けましょうぞ。」


(つづく)



nice!(0)  コメント(0) 

実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その26

ハイドレインジャ
第2部その26

「拙者は蒲生氏郷さまに従い會津へ来て、氏郷さま亡き後お家騒動があって宇都宮へ減封処分となり、一時蒲生家より離れ、我が岳父石田三成昵懇の上杉景勝さま家臣直江兼続さまの許へ参りました。」

半兵衛が切り出した。

「はい。その減封ですが、お家騒動ばかりが理由ではないと聞きます。氏郷さまの奥方があの織田信長の次女で、見目麗しく、氏郷さま亡き後あの豊臣秀吉が<またもや>かつての主信長の近親女性を側室にしようとしたー 

ところがその氏郷さまご後室相応院さまは髪を切り、貞節を守った。秀吉はそれを不快に思い、腹いせで秀行公を宇都宮へ飛ばしたと。あるいは、その秀行公のご後室が徳川家康の三女・振姫、後の正清院であり、反徳川の石田三成公がそれを危惧し、入れ知恵したとも。」

「その三説、全てまことでござる。ただし、三成さまがお考えになられたのは、秀行公がまだ十代で幼く、會津で伊達や徳川を抑えるには力量が足りないの危惧されたからというのが正しい見方でござろう。氏郷さまと比べるには早過ぎでござったゆえ。」

「本当に蒲生氏郷さまは傑出した人物、嘱望された方だったのですね。」

凛がしみじみ感心して言った。

「妻は信長の娘、息子の嫁は家康の娘って!それに比べて秀吉って・・・。」

「・・・拙者は秀行公により筆頭仕置奉行に引き立てていただき、津川城の主となり申した。」

半兵衛が続けた。

「拙者が上杉方に奉公しておりますと間もなく関ヶ原の戦いとなりまする。徳川方に攻められる前に蒲生へ戻れと秀行公は仰せになり申したが、拙者を拾うてくださった直江様、景勝様へのご恩に報いたいと丁重にお断り申すと、逆に秀行さまは忠義厚き者とお褒めくださり、會津に戻られてから拙者を特段に遇してくださったのでござる。」

「いい話ですね。ただ、その遇し方が破格で、その理由につきいろいろと噂がありますがー」

俺は恐る恐る話を向けた。

「衆道、でござろう?男が男に惚れるというのはありましょうぞ。殊に戦国の世では、死を覚悟する者同士、互いの勇気、才気により強く感動することはままありまする。それがいかなる惚れ方かは様々でありましょう。不遜を承知で言えば、秀行さまは拙者をちょうど信長さまが氏郷公をご寵愛されたのと同じように身共をご寵愛くださったということでしょう。」

「なるほど。いちいちご尤もです。」

「ちなみにー
拙者と同じく秀行さまに支えた仕置奉行に町野繁仍(しげより)がおりました。この町野氏は近江蒲生郡日野の出身、主君秀郷さまと同郷でござる。その子息幸和殿は拙者が駿府で切腹させられて後、我が息子吉右衛門をお庇いくださり、しかもご息女おたあ殿を娶らせてくだされた。」

「あ、知ってます!」

俺は興奮してその話の顛末を代わりに語り出す。

「その吉右衛門殿とおたあ様の娘が自証院様、徳川家光の側室となり、徳川尾張家光友の正室となる千代姫をもうけられたのですね。そしてその血筋がなんと今上天皇までつながる!」

「さようー」

半兵衛が満足そうに頷く。

「もったいないことでござる、まことに。」

「しかも、吉右衛門殿は、石田三成公の次女小石殿と半兵衛さまとの間のご子息!
つまり、今上陛下のご血脈には、徳川はもちろん、関ヶ原で仇敵であった石田三成公すらも連なるのですね!」

「徳川殿はお心が寛い、ということでしょう。」

「なるほど。秀吉さんとはちょっと器が違いますね。」

俺はつくづく感心しながら応答した。

「そんな半兵衛さまですが、失礼ながら、仰る通り、歴史上では、え〜、obscureって言うか、なんつぅんだ、日本語で適当なのは、え〜・・・」

「無名で良いのでござるぞよ、野澤殿。」

「は、はい。」

「野澤殿のお父上が御自著で拙者の切腹につき語られておられ、その理由を推し量られております。」

「ええ。」

「その拙者お咎めの理由のひとつに、秀行公のご後室・振姫さまは、會津地震で大被害を蒙った折に、寺社の復興を第一とされ、拙者が民生を重視すべきと抗論したことが挙げられておりまするな。さらに、姫さまと対立したにも拘らず、拙者がこの如法寺と原町の熊野神社の再興に限ってはいち早く成し遂げさせたのはどういうわけか、と。」

「はい。父の疑問でした。」

「その答えが、野澤殿と藤原殿の今生の邂逅に大いにかかわるのでござる。」

凛も俺も唾を呑んだ。


(つづく)




nice!(0)  コメント(0) 

実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その25

ハイドレインジャ
第2部その25

如法寺本堂に入って、「ころり観音」に手を合わせ、凛は真っ赤なお守りを買った。
当代住職さまが丁寧に応対してくださった。

「東京ガらおいでですかネ?」

「はい。私は野澤一の息子です。そして妻です。」

凛はそう紹介されるのにもうすっかり慣れているようだった。

「えーッ!」

住職さまは心底びっくりしているようで、

「いやいや、あなたの父さまにはほんとに色々とお教えいただきました。ああ、そうですか、野澤さんの・・・次男さん?」

「三男です。」

「あ〜、東京で音楽やってらした・・・らっしゃるかな?」

「まあ、一応まだ歌手のつもりです。」

「そうですか。とにかくまあ、ご参詣いただいてありがとうございます。」

「こちらの宗派は何になりますか。」

凛が訊くと、住職さんは、

「真言宗です。ただし、最初、つまり創建の平安初期は法相宗、これは開祖徳一大師の宗派でした。」と快活に答えた。

「次には天台宗。これは当時県の教育委員会の文化財調査員だった梅宮先生とあなたのお父さんが突き止められた説でねぇ。詳しく言うとうんざりするでしょうから省きますが、その後ね、臨済宗の寺になったんです。これは私の父も確認しています。鎌倉の建長寺、円覚寺とのつながりができたんですなあ。」

「はい、私も父の著作で読みました。山城国つまり京都府の葛城郡宇多野を根拠とする宇多河信濃守道忠が鎌倉幕府の御家人となった。この豪族は葛城郡に在る松尾神社を崇敬していたと。鎌倉では五山のひとつ寿福寺を建立、そしてどういうことか會津に来て地頭となり、ここの中平、今の松尾に、真福寺を開いたんですね。そのとき、住職さまのお寺、この如法寺も同時的に臨済宗の寺院となった。」

「さすがは野澤さんの息子さんだ。そうなんです。宇多河氏の力は強大だったんですなあ。ウチはどうあれ、その真福寺は大変な繁栄で、鎌倉幕府・源家の庇護も得て、なんと尼将軍政子奉納の大般若経600巻を蔵し、御朱印三百貫、末山37寺を擁する大寺院となったんです。」

「宇多河道忠は山城の人、畿内もいいところの出身ですね。本当にこのN町は伊勢や紀州、そして山城と、大きく言って関西圏の人が多く流入していますね。」

「そうですなあ。字は違っても今でも<うたがわ>の姓の人が町の宝川地区にいらっしゃいますなあ。」

「Hybridization(異種交配)はどこでも、よね。」

凛が言った。住職さんは目を丸くする。

「なんだって、まあ、すばらしい発音だごと!」

「純粋なんてものはない、だね。」

俺が応える。

「There's nothing pure in this world.」

俺と凛はユニゾンで歌った。
高野山大学出の学士である住職さまは「こりゃ、どうも!」と言って、

「Have a good day!」

と寺務所へ引っ込んで行った。


俺と凛が仁王門に差し掛かったときだ、声がした。その真っ赤なお顔の仁王さま、執金剛像が話されたのかと思った。

「よく訪ねて来られた、野澤殿、そして藤原凛殿。拙者岡半兵衛重政でござりまする。」

仁王さまに重なるように、月代(さかやき)の美しい、凛々しい侍の姿が芒っと見えたー
凛の名を旧知のように言えるのはどうしてなのだろうと凛も俺も驚きながら。

「お会いできて光栄です。」

俺たちは声を揃えて言った。

「こちらこそでござる。」

半兵衛は微笑をたたえて言った。

「私は岡様とはきっとこの如法寺で、あるいは原町の熊野神社で、お会いできると信じておりました。」

俺が熱を帯びた声で語り掛ける。

「拙者のような世に知られぬ者を・・・かたじけない。」

「とんでもない!私はあなた様の、會津のために為されたことをもっと深く知りたいのです。會津地震復興でのあなた様のご活躍には、後世の會津人として感謝しております。」

「蒲生秀行公の威を借り、専横の限りを尽くした者のように言われてしまうことの多い拙者でござるぞよ。」

「それそのまま鵜呑みにはしておりません。」

「さようでござるか。」

やや間があって、半兵衛は意を決するかのように続けた。

「野澤殿、凛殿。お二人にとりまことに重大なお話をいたしまするぞ。」

平日、雨がいつ降ってもおかしくはない六月中旬、閑散とする如法寺境内ではあるが、たまに自動車で参詣客が来る。新潟のナンバーのものが多い。

「半兵衛さま、こちらでお話を伺いたく存じます。」

樹齢1200年の天然記念物・高野槙の太い幹の陰へ俺と凛は移動する。


(つづく)




nice!(0)  コメント(0) 

実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その24

ハイドレインジャ
第2部その24

「Mickさんのご先祖筋の金上氏は、蘆名氏による會津政権下で津川城、あるいは別名で狐戻城の城主だったのよね?」

凛が俺に訊く。

「そうだ。蘆名19代目亀王丸が幼くして亡くなり、世継ぎがなくなって、20代目当主を伊達政宗の弟・小次郎にするか、あるいは常陸の佐竹(結城)義広にするかで家内が二分されたとき、蘆名・藤倉氏分家筋の金上盛備は佐竹派として圧倒、しかしその義広は摺上原の戦いで伊達に敗れ遁走、常陸の実家に逃げ帰った。そして金上盛備は責任を取るかのように壮烈に討死する。次に津川城主になるのが、近江の蒲生家家臣で伊勢の出らしい岡(野)半兵衛重政なんだ。」

「それも何かの縁ね。」

「うん?」

「金上氏の後に、やはり東北出身の武将が津川城主になっていたらあまり数奇な縁を感じないけれど、次の城主がまるで地縁のない近江や伊勢から来た人になるって、かえってドラマティックな感じがするわ。」

「なるほど。秀吉さんの指図だけれどね。」

佐竹さんが味噌汁を持ってきた。

「ま、今回の訪問の趣意は岡半兵衛のゴどが主ガもしんにゲど(主かもしれないけれど)、まずは蘆名の一族、猪苗代兼載がここで詠んだ句の碑でも見でいガんしょ(見ていきなさいな)。

さみだれし 
空も月げの 
光かな

今正にその時季だべした(時季ではないですか)。おとといの夜なんか、句の通りの夜だったのよシ。句碑の傍らの紫陽花が茫っと見えでナイ、侘しい思いになったわい。

1505年の句なんだガらナシ。蘆名氏滅亡まであど(あと)84年という頃だナイ。」


朝食をいただき、俺と凛はまずはその句碑へと向かった。
蘆名ないし葦名、芦名という姓を持つ人は今やこの日本にはほとんどいない。桓武平氏三浦流の名門とされた武家も絶えてしまった。残るは、金上や藤倉という分家筋の血である。猪苗代という姓は蘆名と同じほど稀に見るものになっている。しかし、その猪苗代町出身の野口英世は、なんと、その猪苗代兼載の血を引くというから、血脈というものは果てしなくおもしろい。野口英世はつまり、蘆名一族の二百数十年後の末裔なのだ。

佐竹さんが言われた兼載句碑傍の紫陽花が朝露をいっぱいに載せて咲いていた。

俺は兼載に呼びかけた。

「兼載様、私は今日蘆名一族のことを調べに来たのではございませんが、蘆名最後の当主となった義広公が佐竹家から迎えられた戦国時代末期のこと、あなた様がこの句を詠まれた八十数年後に、主家・蘆名氏が滅びてしまったことを、私は複雑な想いで噛みしめ、ここに立っております。」

「野澤ユウ殿、根本の血を引かれるユウ殿ー」

俺には紫陽花の株下からの声が聞こえた。

「は!」

「藤倉は我が猪苗代家と同じ、蘆名の一族で、あの摺上原の戦いで生き延びてくれたのは喜ばしきことであった。そう、ユウ殿が音楽上の恩師となった藤倉転石は我らが一族の者じゃ。藤倉の者が會津を南に逃れ、上州桐生の、いや昔は下野国安蘇郡の根本山が、なにゆえその名が根本であるかは措きつつ、ユウ殿と藤倉転石とを結びつけるために必要な<偶然>であったのじゃよ。」

「なるほど。」

「そしてその偶然の後ユウ殿はその恩師の家が、14代も遡れる名家が、その前はどうであったかを探ったではないか。遠くは平将門に遡る桓武平氏三浦流の蘆名一族だったのじゃよ。その事実をユウ殿が探り当てたのじゃ。」

「大山祗命を主神とする根本山神社宮司及び神仏習合で薬師如来を本尊とする大正院14代当主、転石の従兄である孝康は、暦とした蘆名分家藤倉家の現代の当主なのじゃ。」

「はは。幕末、近江彦根藩井伊家の祈願所となった実に由緒正しい神社、そして寺院でした。」

「さよう。これも近江との縁よの。」

「は、本当ですね!」

「しかも、ユウ殿、そして凛殿かー 美しい姫じゃのぅー
そなたら二人が暮らす今は砧地域と呼ばれるところはー」

「彦根藩世田谷領だったのですよね。」

「さ、さよう。寛永10年、1633年、荏原郡の世田谷、弦巻、用賀、瀬田、上野毛、下野毛、野良田、小山、多摩郡は八幡山、大蔵、鎌田、岡本、岩戸、猪方、和泉がそうじゃ。慶安4年(1651年)には荏原郡の太子堂、馬引沢、多摩郡の横根、宇奈根も加えられ、また万治年間(1658~1660年)に開かれた世田谷村の枝村である世田谷村新町も彦根藩の御領地になった。」

「私とユウは、旧大蔵村に今住んでいるということになります。」

凛が言った。

「藤倉転石氏は旧猪方村ということになりましょうか。」

俺が言った。

「どうじゃな。この縁をなんと見る。」

兼載が言った。

「はい。そのおもしろさ、不可思議さを味わっているところでございます。」

俺はそう答え、

雨ぬくく
切株切に
地を掴む

という、亡き父の郷土史研究のご意見番だった日本史教師H先生のご岳父で、さらに我が父の俳句の師匠でもあった伊藤蛙浪子(あろうし)氏の句を詠んだ。

「兼載さま、あなた様の句碑と、ここには『槇立てり』の句碑もございます。」

「おお、その蛙浪子殿の句じゃな。」

「はい。

ゆく年の
耳にはるかな
槇立てり

このN町原町を拓いた『六人衆』の一人、伊勢藤原氏の伊藤伊勢の子孫、伊藤蛙浪子さんの代表句です。この『槇』とは樹齢約1200年のコウヤマキのこと、あの木のことです。」

「んん。見事じゃ。」

「それでは、縁の不思議さをさらに探って参ります!」

俺がそう言うと、

「我が末裔の顔が描かれた紙幣を数枚餞別にしようか」

と兼載さんは洒落た。

「それなら諭吉さんの方がー」

と俺は返して、凛と一緒に深々礼をした。


(つづく)



nice!(0)  コメント(0) 

2024 弥生随想

昨日はKと会って食事し、少し話をしました。

彼は私の小説をほとんど読んでおらず、彼が読んでくれないでは本当に厳しいなと
思いつつも、まあ、珍しく結末は決まっているので、自分のこれまでの2つの未完小説で
語ったことを新たな視点も含めて織り交ぜつつ、落胆せず書き続けるつもりです。

いや、Kに恨みを言う気はひとつもなく、実際楽しくしゃべって別れました。

そう、自分が勝手に自分にとって善かれとやっているだけのこと。

Kがなにしろ言うのは、私の構想がうまくいけば、world-wideな反応があることだと。
そういうためには私の楽友の優れた演奏力が必要だ、と。

小説を基に、その楽友にイメージを持ってもらい、あるいは膨らませてもらい、
彼らのmusicianshipを注いでもらえたら幸甚です。

今はただ小説を書き続けることです。

たとえ駄作でも。


nice!(0)  コメント(0) 

実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その23

ハイドレインジャ
〜第2部その23

佐竹さんはN町では稀有な起業家だった。
俺が中学一年頃に彼が町中(まちなか)に開店したうどん屋へ足繁く通ったものだ。おいしいのに一杯たったの20円だった。いくら昭和40年代であっても、あまりに安いから、客の方が店の行く末を心配したものだ。

すると数年後彼は、そのうどん屋での儲けがあったからというわけでは決してないだろうが、如法寺の西隣に蕎麦茶屋を開店した。場所の良さもあって、現在でもその店は健在だ。

佐竹さんは語り出した。

「秋田県の知事、佐竹っていうのを知ってっかい。あれは甲斐源氏・源義光の流れ、佐竹家の嫡流なんだワイ。」

「ええ、知ってます。」

俺は答えた。

「義光は八幡太郎・義家の弟で、新羅三郎という別称があります。近江三井寺の新羅善神堂で元服したからですね。佐竹、甲斐の武田、小笠原、南部、平賀などが彼の子孫ですね。」

「良ぐ知ってんナイ。さすがは野澤一(はじめ)さんの息子だ。佐竹は平安時代末に常陸つまり茨城県に根をはったんだげんじょも、関ヶ原で東軍につかねで、家康に攻撃されかゲだ西軍の上杉とも共謀していだりで、家康に秋田に飛ばさっちまったのよ。何百年も、Hitachi, my home、だったのによ。」

凛が笑う。
佐竹さんはウケたと思って得意そうに続ける。

「秋田に飛ばさっち(されて)、常陸はもぢろん福島の浜通り辺りまでの勢力圏があって佐竹家は、80万石の大大名ガらほぼ60万石も減らさっちまったのナイ。家臣を養えねワイ。それでその中で出羽国で百姓する者が出てきたのよ。俺の先祖は佐竹そのものの血を引いでっかはわガんねげんじょ、山形県に根を下ろして佐竹を名乗る者だぢの一人なのよシ。」

「山形なら南に飯豊山を越えてすぐ會津ですもんね。まあ、何しろ佐竹さんのご先祖は元々常陸ということで。」

「んだ。んで、ほら、蒲生様が會津に入られる前、蘆名様がずっと會津を支配してらっしたベシ。」

「はいはい。蘆名を滅ぼした伊達政宗が會津支配ももくろんだけれど、秀吉に認められなかった。」

「そうよ。そんで秀吉の信頼厚い蒲生氏郷様が近江あるいは伊勢ガら来られんだワイ。」

「その敗軍の将の蘆名ナイ、最後の当主は義広だげんじょも、この人佐竹義重の次男で、養子だガらナイ。」

「はい。伊達政宗はそれにも怒って、いよいよ大決戦になって。摺上原の戦い、ですね。」

「んだんだ。俺のウヂの、まあ、家伝っつぅか、それによっと、蘆名一族でその家臣、麒麟山城城主金上盛備(かながみもりはる)は摺上原で戦死すんだげんじょも、生き延びだ一族郎党は、その金上の本家、今は會津若松市になってる旧河東村の藤倉一族んどゴにまず逃げで、彼らど共に南に落ち延びだっつぅのな。俺の先祖はそんとぎ、佐竹軍から<出向>してで會津にいで(いて)、その藤倉・金上の人だぢを関東に逃す手助けをしたあど(したんだと)。そういうわゲで、おらんちはその河東の藤倉二階堂さお参りにいぐのが習わしでナイ。」

俺は呆気にとられた。

「なじょした、野澤さん。」

「どうしたのユウ。」

佐竹さんも凛も俺を見つめる。

「俺の歌手としてのデビューは、その藤倉一族の末裔のおかげなんだ。」

俺がそう言うと、今度は二人が仰天する。

「俺はその一族でMickという人に見出されたんだ。」

「Mick?外国人の血も入ってる方なの?」

「いや、本名は藤倉転石というんだ。」

「てんせき?珍しい名前ね。」

「転石苔むさず、A rolling stone gathers no mossから取ったらしい。洒落たご両親だ。確かに音楽プロデューサーひと筋の人さ。そしてRolling Stonesが大好きになって、ストーンズと言えばMick Jaggerでその大ファンだから、自分の通称に使っているんだ。しかもー」

「Chicago?」

「いや、しかも。」

「ああ、しかも。しかも?」

「その人が會津蘆名一族の藤倉氏の末裔であることは俺が発見したんだ。」

「え?どういうこと。」

「Mick氏のご実家は、その摺上原の戦いの直後から続く上州桐生の根本(山)神社の宮司の家なんだ。」

「それが・・・?」

「俺の母方の祖母が根本姓なんだよ。」

「偶然だべ。」

佐竹さんが苦笑いしながら言った。

「いや、そうとも言えないと思っています。」

「ああ、そうだったわね。ブログで読んでいたわ。」


俺たちは佐竹さんが出してくれた朝食をほとんど手をつけられず話し込んでいた。
佐竹さんは、「わりぃガったナイ。どうガ、食ってくなんしょ。味噌汁、あっため直すべナイ」と言って、奥へ引っ込んで行った。


(つづく)



nice!(0)  コメント(0) 

昨日のA級最終戦を見て

昨日は将棋A級順位戦最終局。静岡市で一斉対局だった。
AbemaとYouTubeをハシゴしながらほぼ釘付け、ただし2時間弱散歩はしたが。

藤井名人への挑戦権は豊島九段が獲得。
A級陥落は広瀬九段と齋藤八段で、これは私ばかりではなく、大方の将棋ファンにとっても
かなり意外なことだった。

「とよピー(豊島さん)」はまだまだ童顔ながら、風格十分、さすがだった。
対戦相手は菅井八段で、彼が勝てばプレイオフだったけれど、無念の投了。
いよいよ追い詰められた段での菅井さんの苦悶の表情は鬼気迫り、
私には見ていられないほどのものがあった。

降級してしまった広瀬さんと齋藤さんはA級棋士では少数派となる妻帯者で、
特に広瀬さんは子育て中で、我が子かわいさで研究もおぼつかないほどメロメロなのか。
それはよく分かる。
齋藤さんは新婚。

今、棋界最高リーグのA級に居続けるには、菅井さんのように「修羅(自分でそう言って
いる)」にならねばならないのだろうと思う。
将棋戦法の最新型に通じ、しかも、それを嫌って変則(?)力戦に持ち込む相手にも
実力で勝ち切るには、子どもを持つことどころか、結婚、あるいは恋愛すらも邪魔に
なってしまうのが実情なのだと思う。

今A級は、レーティング上、実質的に豊島将之九段、永瀬拓矢九段、
そして菅井竜也八段が抜きん出ていると言って良く、今回の最終順位もそれを裏付けた。
前名人だった渡辺明九段がその上記3強に伍してはいるが、この人はA級最高齢で妻帯者、
子持ち、しかも多趣味なので、天才棋士ではあるけれど、来期も安定して活躍できる
保証は全くない気がする。また藤井八冠に散々やられたことで、自分を「オワコン」視
している向きも少しあるようだし。打倒藤井を人生最大目標にしていよう3強にまず
気力面で負けてしまっていると思う。

さらにレーティング上全棋士中のトップ3に食い込む藤井さんと同い年(21歳)の
伊藤匠七段や、新四段ながら大天才の呼び声高く、勝率だけのことなら藤井八冠と1位を
競っている若干18歳の藤本渚くんが同じく藤井打倒で燃えに燃えている状況だ。

太宰の「家庭の幸福は諸悪の本」というセリフがあるが、幸せな家庭生活を営みながら
今の将棋界では「修羅」にはなれないと思う。
そしてなれなければ、トップ棋士ではいられないのだ。

だから棋士は結婚すべきではないなどと言いたいのではもちろんない。
結婚を機に飛躍した棋士が今までいなかったわけでもないのだし。
しかし、今の「トップ棋士」上位10人のうち、妻帯者はたった2人(羽生善治九段=5位
と渡辺明九段=10位というレジェンド棋士)なのだ。この2人は別格過ぎる。

もう一度書くー

AI時代の将棋界において、将棋戦法の最新型に<常に>通じ、
しかも、それを嫌って変則(?)力戦に持ち込む相手にも実力で勝ち切るには、
子どもを持つことどころか、結婚、あるいは恋愛すらも邪魔になってしまうのが実情なのだ
と言ったら言い過ぎか。

広瀬さん、齋藤さんの降級で、来期A級棋士10人中妻帯者は2人だけになる。
渡辺さんと千田新八段だ。千田さんは女流棋士と最近結婚、姉さん女房であり、
しかも棋界のこと、棋士のことを熟知する人だし、さらに千田さんはまだ伸び代があるから
結婚を機に飛躍する可能性はあろう。

けれど、藤井聡太を倒そうとする棋士こそがトップにいるA級では、
菅井さんのように「修羅」に、そして永瀬さんのように「人間をやめないといけない」と
言わねばならぬほどに生きていかねばならないのが実情なのだ。

そして藤井八冠はイヴェントや解説で忙しい中ではあるが、今己を打倒せんとする者たちを
返り討ちにするために、そして将棋にもっと強くなるために、
大天才なのにさらに<屋上屋を架す>かのような努力を今日も重ねているのだ。


nice!(0)  コメント(0) 

実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その22

ハイドレインジャ
〜第2部その22

如法寺は807年(大同2年)徳一によって創建されたという。徳一は藤原仲麻呂=恵美押勝の末っ子とされているが、定かではないらしい。けれども、最澄と論争し合い、空海にも一目置かれた法相宗の僧が、出自不明というのも不思議であって、やはり高貴な生まれだったのは疑いない。

徳一は會津に慧日寺や如法寺、勝常寺、円蔵寺などを創建し、仏都會津とも呼ばれるほどの信仰と仏教文化を広めた。前年の大同元年(806年)には會津磐梯山が噴火している。そのことも徳一が會津を根拠にした理由の一つだろうか。

時代は奈良時代が終わり、聖武天皇の治世であり、彼は坂上田村麻呂を東北へ派遣し、アテルイなどが率いる「蝦夷」を何度も攻撃した。會津ばかりでなく東北の寺社は大同2年創建とされるものが多く、また京都(みやこ)でも田村麻呂が清水寺を建立したのは大同2年だ。よほど多くの蝦夷を殺し、また部下を死なせた罪を贖いたかったか。

寺社建立は征服地において、戦で散った者たちの魂を鎮める意味はもちろん覇者=中央政府の権威の象徴でもあったろう。


俺は幼稚園の頃、初めて如法寺を遠足で訪れた。幼稚園児にはなかなかつらい登坂がある。それでも頑張って登った。記念写真がある。以降、幼なじみたちと何度も足を運んだ。寺前の茶屋で出される心太がすさまじく美味であった。

父はN町の文化財調査や保存にも社会教育専門の公務員として力を尽くした。ゆえに如法寺住職とも馴染みで、またもしかするとその住職さんよりも寺の歴史には詳しいくらいだった。

父によると、如法寺は1611年(慶長16年)の會津地震で甚大な被害を受けたのだが、俺と凛が行ったばかりの熊野神社共々、岡半兵衛がすぐに再建に乗り出したと言うのだ。柳津の円蔵寺虚空蔵堂再建が6年かかったところで、如法寺「観音堂(執金剛堂だったという説あり)」はたった2年だった。

これは不思議なことだ。と言うのも、前に書いたとおり、蒲生家二代の秀行の妻で家康の三女振姫(正清院)こそこの大地震による寺社仏閣の早期再建を主張し、いいや民生こそ先に再建だとした半兵衛と対立したと言う説があるからだ。実際、今は喜多方市内となっている慶徳地区や岩月地区が、地震により堰き止められた河川が溢れ、湖のようになって、甚大な被害を受けたのだが、その救済と河川や道路改修に半兵衛は尽力した。特にその道路改修では越後街道が再びの災害に襲われぬよう喜多方の岩月地区から高寺までが廃止、代わりに會津坂下を通るルートへと移された。そのおかげで坂下は會津若松に最も近い宿駅となり、繁栄した。今でも越後街道=国道49号線は會津若松から西進すると會津坂下を通る。喜多方は「2桁国道」から外れたままなのだ(會津若松から喜多方へは121号線でつながる)。

なお、この喜多方慶徳地区には磐越西線が通るが、その阿賀野川水系濁川に架かる鉄橋が台風被害で2022年崩落してしまった。この川は會津盆地に普段は恵みをもたすが、時に牙を剥く。大昔からそうなのだ。

話が逸れたが、岡半兵衛がなぜN町の如法寺と熊野神社修理再建だけは急いだのか。


起床して朝食という段で、佐竹さんは俺と凛をニヤニヤ笑いながら見つめて、昨夜は艶かしい音が聞こえてこっちはなかなか眠れなかったと言った。俺は自分が年寄りになったことを時々忘れる。そしてそれを思い出させられるとただただ恥じ入るのだ。<あっちの話>であれば尚更で、俺は消え入りそうになった。

「いいんでねぇの、野澤さん。」

佐竹さんは快活に言った。

「羨ましいワイ。オラはもう80過ぎただ。まるっきしダメだ、そっちは。」

凛も赤面して、縮こまっている。

「若い嫁さまもらって、まあ、羨望の的だワイ。」

「若くなんてありませんから。」

凛が恥ずかしそうに反論する。

「奥さんは東京の人ガイ?」

「はい。」

「東京のどゴ?」

「世田谷区です。」

「世田谷?世田谷のどゴ。」

「成城です。」

「あらッ!有名人がいっぺ住んでるどゴだべした。いやいや、どうも!」

佐竹さんは俺たちの前におかずが10もある朝食の膳を置いて、

「お二人は、なんだい、結婚の報告でこっちに来らったのガイ」

と言った。

「ええ、まあ、それもありつつ。」

俺は答える。

「野澤さんの墓所は常楽寺だべした。」

「はい。」

「んじゃここ如法寺には?」

「この寺の檀家ではないですけれど、N町民にとってはこのお寺は檀家かそうでないかは関係なく、町全体の鎮護をしてくださるお寺ですからね、来ないわけにはいかないですよ。」

「そうだナイ。」

佐竹さんは鉢巻を取って、隣のテーブルに座り、自分にもお茶を注いで飲み始めた。

「野澤さんの亡くなったお父上ナイ、まあ、よ〜ぐこゴさ来らったもんだ。調査でナイ。本堂の天井裏に執金剛神(しゅこんごうじん)像を見っけだの、野澤さんのおとっつぁまでねガったっけ?」

「ああ。それを見つけたときの調査にはいたみたいですが、発見したのは確か福島県の調査員だった大学の先生だったんじゃなかったでしたっけ。」

「あ、そうガイ。あんな尊い仏像を天井裏に匿すようにしてだってぇのは不思議な話だナイってお父上と立ち話したもんだ。」

「そうですか。」

「聞ぐどゴろ、岡<野>半兵衛が大いにその仁王様(=執金剛神)敬ったつぅゴどだったナイ。」

「ああ、岡半兵衛ないしは岡野半兵衛ですね。」

「そうそう。會津地震の2年後如法寺修復再建のどぎ、『大檀那』どして岡野半兵衛が『慶長棟札』に名を残してんぞナイ。」

「お詳しいですね。」

「いやさ、このお寺様のおガげで食わひ(=せ)でもらってっからナイ。それなりお寺のゴどは知っていねぇどナイ。」

「なるほど。」

俺もその日の難を防ぐという朝の茶を啜った。

「実はその岡野半兵衛のことをより知りたくて来たんです。」

「ほお。そうガい。」

佐竹さんは腕を組んで、興味津々といった態度を見せた。


(つづく)




nice!(0)  コメント(0) 

実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その21

ハイドレインジャ
〜第2部その21

俺は善行も悪行も<記録>されると思っている。
人のこの世での行為の積み重ねはしっかり残るのだ。

どこに記録され、誰が記録するというのかと思われるだろう。これまでこの地球に生きてきた百億をゆうに超える人々の一人ひとりの行いを見て記録する<主体>はむろん超人的、いや、そんな言葉では足りないほど強大な存在であり、神と言っても仏と言ってもいい。この宇宙は、そこに在る全ての存在は、その神や仏の夢の中なのだ。

「ユニバース」ならぬ「マルチバース」という概念が宇宙論に登場してきてもうかなり久しい。その考え方は百花繚乱で、その宇宙論の多数さこそまさにマルチバースだ。

科学的なマルチバース概念は措いて、仏教では、仏陀ひとりにひとつの宇宙がある。この宇宙には仏陀はひとりしかいないのだ。もし悟りを開く新たな仏陀が登場するなら、その仏陀は新たな宇宙を同時に開いているのだ。これを「一世界一仏」と言う。

その仏陀が、己の宇宙でのすべての行い=諸行を収攬しているのだ。
むろん(!)そこに存在するすべてが輪廻する。循環する、と言ってもいい。
その輪廻・循環の際に、善行と悪行が<審査>される。ある魂=意識は、仏陀にとって善いものなら善い存在へと転生させられる。悪いものなら<弾かれる>。弾かれて何になるかは俺には分からないが、きっと成れてうれしいものではなかろうと思う。そういう存在に落ちぶれて、さらに魂を磨くしかないのだ。仏陀はそう期待する。あるいは命じる。

因果応報論だろうと言われればそのとおりだ。ずいぶん幼稚な考え方とも言われるかもしれない。しかし、仏にとって善い行いを積み重ねてきた者が報われないではこの世は成り立たない。また悪い行いを積み重ねてきた者が懲罰を受けなければこの世は闇に過ぎる。

「お天道様が見ていらっしゃる」とは、俺も祖母や母に言われたものだが、その「お天道様』が仏陀なのだ。祖母や母など、素朴に信じた超越者の目を、くだらないと思う人は思えばいい。


ーそんなことを俺は凛に如法寺に隣り合う蕎麦茶屋で蕎麦を啜りながら話した。

凛はカルヴァン主義のいわゆる「予定説」、つまり神は最初から救う人間を決めており、今世での善行悪行も関係はないとする説のことを言い、それが結局資本主義を発達させたというヴェーバーの説も口にした。俺はさすがにそのことは知っていたので、すぐに凛に「聖公会の信者である、あるいはだった君はどう思うのか」と訊いた。

「私は聖公会でも『ハイ・チャーチ』、つまりよりカトリックに近い方の信徒だったから、カルヴァンの予定説には与しなかったわ。」

凛はほうじ茶を飲みながら言った。

「カトリックは予定説を否定しているの。」

「そうみたいだね。」

「ユウが話してくれた『一世界一仏』の考えから言えるのは、仏陀が創り出した、あるいは夢見ている、私たちにとっては仏陀の仮想現実の世界に生きているっていうことになるかしら。まるで量子論から生まれた仮説とそっくりなんだけれど。」

「ああ、そうなんだよね。」

「そこでね、仏陀にとっての『善い・悪い』はどういうことなの?」

「俺は極めてシンプルだと思っている。」

「ん?」

「さっき祖母や母が『お天道様が見てらっしゃる』と俺に言ったものだって話したじゃん。」

「ええ。」

「その祖母や母が言う善い・悪いでいいのだと。」

「Could you be more specific?」

「例えば幼い俺が蟻の行列を見て、踏み潰そうとしたとするでしょ。それを母や祖母が見ていたら、『アリさんにだって命があるんだがら、やめらんしょ』って言うのさ。『ユウがもしアリさんで、何も悪いごどしてなくて人に踏まっちゃら嫌だべ?』って。それってすごく納得なんだ。」

「そうね。」

「蟻は母や祖母に何らこの際は被害をもたらしていない。ところがこれが羽蟻で、大量に祖母や母に襲いかかったら祖母も母も俺が羽蟻を叩き殺すのを<悪い>とは言わない。そんな素朴な善悪の判断でいいと俺は思ってる。そんな羽蟻だって生き物で、命は尊いとまで言えて、羽蟻の為すがまま、集られても微動だにせずにいられるような覚醒者になんかなれっこないよ。

でもさ、トータルで、他の命を大切に思う行為が多かったら、たとえやむを得ず殺生をすることがあっても圧倒的に少なければきっと<いい>んだと思うんだ。やむを得ず殺生するときも、ごめんねって思っていればなお<いい>。いや、やさしい人間なら、そう思っているに違いないんだけど。」

「なるほど。そしてトータルで善行の多い人間は仏陀に救われるの?」

「まあ、輪廻して、また魂磨きなさい、菩薩を目指しなさいってなるのかな。」

「仏陀には成れない?」

「成ったら新しい宇宙の主だよ。」

「そっか。仏陀がいっぱいの宇宙こそmultiverseなのね、紫陽花のような。」

俺と凛は蕎麦茶屋の佐竹さんに「おいしかった、ご馳走さまでした」と言い、もう夜の帷も降りていたし、その茶屋に泊めてもらえるか尋ねると佐竹さんは快諾してくれた。


(つづく)




nice!(0)  コメント(0) 

実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その20

ハイドレインジャ
〜第2部その20

クルマに乗ってから俺はなぜ凛共々懐かしさを覚えたのかについて話した。

「やはり近江からの縁に違いないんだ。俺は日野へ行って確信したよ。近江八幡から竜王町を経由しての道中、懐かしいって想いが湧き上がってきてね。いちいち風景が慕わしい、懐かしい。母方の伯父が西光寺の過去帳を調べ、蒲生氏郷ないしは石田三成ゆかりの近江人が祖先の一人となっていることが分かっているんだ。」

「私の場合はもう話したとおり、奥州藤原氏と近江から招聘した鋳物師がつながって、そしてユウのおばあさまがおっしゃるには、今は福島県伊達市の霊山で修験者との縁も祖先は結んでいるのね。さらにね、蒲生家は藤原秀郷の血筋でしょ?奥州藤原氏もそうなのよ。」

「大百足を退治し、さらには平将門を討った俵(田原)藤太=藤原秀郷の子孫は本当に多いね。仮冒も多かろうけれど。秀郷は下野大掾の息子だったし、坂東の人ではあったろうけれど、ムカデを射(い)殺したのは近江の瀬田の唐橋だしね。

俺たちの話は、みんな近江に収束していくね。」

「ええ。そしてその近江にまつわる人たちは私たちを出会わせて、私たち二人に何かをしてもらいたいのかしら。」


上野尻から国道49号線を東進、すぐに例の蛇女の棲んだという芹沼を通過する。

「こちらの小笹さん、そしてその母の大蛇の話は、中野のと比べるとより象徴的だね。」

俺は右手に「芹沼」という標識をチラッと見つつ言った。

「大百足が男性の私利私欲の化身だって言うんだから。そしてその私利私欲から為された悪業が、なんと身近な女性に報いとなって降りかかり、女性は蛇に化身するって。」

「女はつらいよ、だわよね。」

凛がポツリと言った。

「欧米では今や男尊女卑などほとんどあり得ない世になっているけれど、暴力についてはどうしたって大抵の場合は男が勝るし、男の<装置>だわ。」

「ああ。」

「今室町期のことが多く語られているけれど、16世紀イギリスはヘンリー8世の統治下で、この王様は本当にしたい放題の、大百足だったとしか私には言いようがないわ。」

「ああ、6人妃を得た好色一代男か。」

「ええ。私はAnglican ChurchでHannahの教名をもらったけれど、この教会こそヘンリー8世がキャサリン王妃からアン・ブーリンに<乗り換える>ためにカトリック教会から分離させたものだからね。」

「ああ。俺は受験科目は日本史だったけれど、そのことはさすがに知ってるよ。」

「それに比べ氏郷様は戦国武将の中では本当に珍しく側室を持たなかったのよね。」

「そうなんだよ。それってなかなかできることじゃないよね、当時の戦国武将の<常識>として。秀吉、甥の関白秀次、家康・・・全員側室の数は2桁だ。ヘンリー8世なんて奥さん6人なら、まあ、大したことないか。」

「英国国教会を自らつくったとは云え、ヘンリー8世はカトリックの教えは、離婚禁止は除いて、守っていたらしいわ。それでもアン・ブーリンとその関係者の男性5人を姦通罪や近親相姦罪で処刑したのは残酷なことだったわね。」

「ああ。秀吉さんも、甥っ子秀次を関白にまでさせて豊臣体制盤石を図りつつ、息子秀頼が生まれてからは両者ギクシャクして、とうとう謀叛の疑いをかけて甥っ子とその妻、側室、子ども、家来らを皆殺しにした。秀吉の怒りの一つに、彼が見初めていた公家で従一位・右大臣の今出川晴季の娘を秀次に取られたというのもあるらしいって。その娘も秀吉に殺された。」

「好色な男性の権力欲・・・恐ろしいわね。みんな大百足ね。」

「秀次切腹事件には、石田三成の讒言があったと言う説もある。石田三成は、これから俺たちが訪ねる・・・まあ、会ってくれるかわからないけど、岡半兵衛と大いに関わりがある。半兵衛の妻は石田三成の次女で小石殿という。三成も近江人、長浜の人だ。」


クルマはN町のバイパスに入り、間もなく右折して通称「大久保街道」を行く。中地橋を渡り、左手に長岡藩士2名の首塚があったところを見ながら、「雷山」のワインディング・ロードを上り、少しして如法寺に着いた。


(つづく)




nice!(0)  コメント(0) 

実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その19

ハイドレインジャ
〜第2部その19

「そ、それは、もちろんあの中野長者・鈴木九郎氏の娘さんではない・・・ですよね?」

俺は呆然唖然とする凛を横目に言った。
シャドーイングが不可能になっている凛を慮ってか、蒲生氏郷はいよいよ俺たちの前に幽かな面影を現してくれた。その容貌は国の重文となっているこの寺の宝である絵に写された顔と同じであった。これまで凛だけが意思を通じさせられ、俺にはできずにいた理由は何かと思いながら俺は頭を下げた。

「ユウ殿か。先だっては我が故郷日野へ来て下されたのぅ。」

「ははッ。」

「わしは信仰心厚い人間でのぅ。まあ、あの戦ばかりの世では、誰しもがすがるものがなくては到底生きて、そして死んでいくわけにはいかなかった。」

「ですから家康様は厭離穢土、欣求浄土と言われていたのですね。」

「そうじゃ。天下統一の夢は武将の野心、功名心からのものと思われてしまうところもあろう。確かにそういうのも少しはあった。我が主君信長様、そして太閤様も我欲がなかったとは到底言えぬし、家康殿も然り。わしとて臣下としてとは云え、手柄を立てることに功名心がなかったなどとは口が裂けても言えん。

しかしのぅ、ユウ殿、凛殿。あの頃の世は正に穢土、地獄のようであった。領主たちは我欲、疑心暗鬼、功名心に取り憑かれておった。領民たちもいつ何時他国の者から略奪や殺戮の限りを尽くされてしまうか、恐れる毎日だったのじゃ。だからみな、百姓も侍も、できるだけ強い領主を求めた。

ひとたび戦となれば、それはもう、酸鼻の極みじゃ。討死した者たちが無数に転がる光景に思いを致してほしい。首のない者、眉間を割られて鬼のような形相で息絶えている者、はらわたが出て、凄まじい異臭を放つ者、痛い痛いと死にきれず叫び、殺してくれと懇願する者。

ある国の侍の頂点に立った者は、功名心などを超えて、家臣家来、領国の民を守らねばと思わざるを得ないのじゃ。そのために、己の国力、軍事力を高め、日本全体を戦なき世にするがため覇者にならんとする者が出て来なければならなかった世のなのじゃよ。

わしはゆえに、神仏を尊んだ。信長様、秀吉様が戦なき世にしてくださるならと喜んで一命を賭したが、それでも殺されるのは怖いし、さらに我が命、我が一族、家臣家来、領民たちをお守りくだされと神仏を恃んだのじゃ。

そこでのー

わしはいわゆる『利休七哲』の一人で、その七人の名には異同があるけれど、わしと細川忠興だけは必ずその七哲に数えられるというくらいに利休様のご薫陶厚かった。そしてその七哲には高山右近と牧村利貞も入れられるのだが、この二人、切支丹であった。わしは特に高山殿から熱心な信仰のすすめをいただき、洗礼を受けた。わしが臨終の時も、高山殿がわしをカトリック信者として看取ってくださった。むろんわしも最期の懺悔をし、天国へ行けることを信じて旅立ったのじゃ。」

俺はここまで聴いていて、凛と最初に氏郷様が交信できたのは、宗派は違えど、クリスチャン同士のチャンネルがあったからかと思った。

「利休さまが太閤秀吉の怒りを買い腹を切らされた理由はいろいろと語られていますが、結局質素、素朴、質実を尊んだ茶の道をまるで理解しない成り上がり者が癇癪を起こしたということでしょうか。」

俺は分かったような口を利いた。

「茶人の質朴さ、清貧さは、カトリック修道士のたたずまいに共通するようなー」

「氏郷様ー」

凛が俺の<知ったか>をたしなめるかのように少し強い声調で元會津太守に呼びかけた。

「小笹さんのことです。中野長者・鈴木九郎という熊野神社神官の家の者が、建徳から永享年間に武蔵国で大変な富を築きました。」

「それはわしが生まれる百年以上も前のこと、また、わしは武蔵には関わりはありませぬゆえ・・・。」

「はい。ただ、その鈴木氏の娘さんが、あろうことか、父親の私利私欲を満たし尽くす悪業のせいで蛇になってしまうという酷い運命に遭います。その娘さんも小笹という名だったのです!」

「ほう。」

氏郷は頷いてからしばらく黙っていたが口を開いた。

「蛇身となる女性(にょしょう)なぞ世にあまたおりましょうぞ。何もすべての女性がそうだとは言い切れませぬが、夫の、父の私利私欲のため、あるいは父性原理で動く国家など集団の利害のために、蛇となってしまう女性は。」

凛と俺は固唾を呑んで聴く。

「そして男どもはその訳のわからなさに、恐怖に、慄くのじゃよ。そして悔いる。悔いて神仏に己の愚かさを赦してもらおうとする。その繰り返しなのじゃ。」

「分かります。」

俺は言った。

「Nスペというテレビー ご存じですか ーの番組を最近見ました。ウクライナとロシアという、互いがスラブという同じ民族が中心の国同士で凄惨な殺し合いを今しているのです、この21世紀の現代で、しかもヨーロッパという世界の先進地域で!ウクライナ兵の一人ひとりが父であり、夫であり、またつい最近までギタリストだったり、映像技師だったり、ジムのトレーナーだったりの、ごく普通の市民でした。なのに、ロシア人がウクライナ人を殺しに来ているのだから、やむ得ない、反撃するよりないと。家族のため、ウクライナという国家のため、殺人という昔の自分なら決してできなかったことを、ただゲームをするかのように、良心をまず殺して、やるよりないと言うのです。彼らはすでに戦場を経験し、身体や心に傷を負っているのにです!

同じことがロシア兵にも言えるのです。己の国の西にいる価値観が違うヨーロッパ人たちが自国を封じ込めにかかっている、ロシアの価値観が破壊されてしまうと言い、殺し殺される日々を送っているのです。」

「あるウクライナ兵の幼い娘が、父親が最前線へ向かう朝、パパ行かないでと泣きそうになって、それが甲斐ないことだと知るとー」

凛が俺の話を受けて言う。

「『わたし、ロシア人を見たら棒で叩き殺すんだ』と。すると彼女の父も母も、そんなことをしてはいけない、ウクライナが勝てば平和になるんだから、って娘を諭すんです。

そして最前線に着いた父親は手榴弾をつけたドローンを操作して、塹壕にいる直下のロシア兵を殺し、それを映像で確認して、『ボーン!やった!』と会心の笑み。その夜娘とTV電話して、娘に今日はどんな一日だったかと尋ねられ、いい日だったよって・・・。」

「そう、それが戦というものなのじゃよ、凛殿。デウスも止められはしない。」

「Leo」という洗礼名を持つ氏郷が応えた。

「殺し合う生き物、人間を創ったのも神のGrand Designなのですか?」

「それはわしは答えられぬ。」

氏郷が即答した。

「わしもおふたりの暮らす世から離れ、今、ある程度のことは知ったのじゃ、宇宙の謎、生命、存在の謎についてのぅ。しかし今この世で生きている者たちに他言はできぬ。してはならぬのじゃよ。それはあくまで、今生きる者たちの課題であるべきなのじゃ。

なにしろー」

氏郷は少し間をとって続ける。

「わしが西光寺で愛でた小笹は、大百足という愚かな男どもの私利私欲の象徴に食われそうになって、母の大蛇が御仏のご加護を頼んだのじゃ。」

「氏郷様はmulti-religiousな方なんですね。」

俺は言ってみた。

「ん?その南蛮言葉の意味するところは?」

「氏郷様の故郷では綿向神社を崇敬され、また信楽院という浄土宗のお寺を氏寺とされています。そして會津太守になられた頃にはキリスト教を広めようとされた。」

「ああ。そういうことか。そう、神仏についてはわしは鷹揚であった。どんな神であれ仏であれ、わしが晩年重視したのは愛じゃよ。愛じゃ。」

俺と凛は深く頷いた。

「さて、このくらいにしよう。カラータイマーが鳴り出しておってな。」

氏郷が戯けた。

「我が臣下、特に息子・秀行が重んじた岡半兵衛のことを知りたいのじゃろ。ならば如法寺へ行くが良い。ユウ殿は幼稚園児として初めて参詣した會津でも最古の寺院のひとつじゃな。」

俺も凛もまだ氏郷に訊きたいことがあるような気がしていたが、「カラータイマー」が鳴り出していてはしかたがない。西光寺に喜捨をして、そこからクルマで10数分の如法寺へ向かった。


(つづく)



nice!(0)  コメント(0)