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桜田門外ノ変の新事実

NHK「歴史探偵」で桜田門外ノ変が取り上げられており、視聴した。
新事実があるというので興味津々だったが、その核心自体は知っていることだったー
駕籠の中にいた井伊直弼は銃撃されて斬り合いになる前に絶命していた、ということだ。

ただ、その銃がペリー提督が幕府に献上したものの水戸藩による複製だったろうこと、
後継を決めぬままになった彦根藩が武家諸法度により改易される可能性があったこと、
それを避けるため、幕府は直弼が襲撃を生き延びたということにして世継ぎも決まったことー

これらは初めて知った。

昨夏彦根へ行き、お城もしっかり見てきたが、彼の地の方々にとって水戸は、
ちょうど會津若松の者たちにとっての萩みたいなものなのだろうと思った。
しかし、會津の場合、長州や薩摩という外様大名の藩との抗争となったわけで、
ある程度それはありうることだったと思えるが、
彦根藩と水戸藩という徳川幕府の屋台骨を支える2藩がそこまでのことになったのは
皮肉と言うよりない。

浮かび上がるのは、やはり、光圀以来の水戸藩の国粋主義、そして斉昭の尖り過ぎだ。

世田谷や狛江は彦根藩の領地だったし、「藤倉転石」の桐生もまた然り、
「転石」氏の根本山神社は桜田門外ノ変の時、井伊家の賛同庇護の下、
ちょうど江戸へ<出張所>別院を設けるために桐生を出た道中だったという。
むろん計画は頓挫した。

今私が住むところから自転車で15分ほどのところに豪徳寺がある。
ここは井伊家の江戸における菩提寺(もちろん当時は江戸ではなく、武蔵国荏原郡)。
第三代藩主井伊直孝を始め直弼の墓所もあるし、
桜田門外で闘死した八人の藩士の供養塔もある。

皮肉なのは、そこから自転車で数分で松陰神社が在ること。
安政の大獄で直弼が殺した吉田松陰を祀った神社だ。
その「国士」にあやかって、国士舘大学が隣に在るのだ。

さて、「歴史探偵」出演の佐藤二朗氏。
どうも砧地域在住らしい。
私は2度も彼と遭遇している。

彼は砧が井伊家の領地のひとつだったことを・・・
きっと知っているだろうな。


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