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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その27

ハイドレインジャ
第3部その27

俺が<sweet afterglow>を貪っているとき、凛がつぶやくー

「誰もがDTsになるにしても、当然この世での悪行は悪果を招き、almightyどころじゃない、不自由な魂になってしまうんじゃないのかしら。」

「そうだね。悪行とは、どんな生命体であれその命を軽んじる行為さ。」

俺は眠気に抗いながら答えた。

「そうじゃなきゃおかしいっていうことになるんだろうね。悪人正機を親鸞さんが言ってくださったとしても、そのためただ念仏すればいいなんては言っていないそうだよ。絶対他力の信心こそ、と。」

「真宗門徒にならないと悪人は救われないの?」

「俺はどの宗教・宗派が優れているとかなんとかとは比較しない。もちろんアホな宗教もある。そんなのはすぐ分かる。教祖の顔を見りゃすぐ分かるじゃん。長く信仰されてきた諸宗教にはそれなりの訳があるんであって、そうなると、宗教の選択は地域性や好みなんかがその理由になっちゃうんだろうね。

歴史ある宗教は一様に儀式を持ち、その厳かさに人は打たれる。儀式に臨むと、当然ながらその非日常性に人は心が高揚する。それが自分は普段よりhigherになったという気分につながり、神仏が相対的に近づく感じがするんだろうね。宗教行事はすべからく厳かでないといけない。そして厳かであることイコールholinessっていう感じだね。

なんであれ、俺が重視するのは、本当にそれが命を大切にする宗教かどうかということに尽きていくんだけれど、もっと身近な言い方をすると、前にも言った通り、花をー 植物をー 愛する人間であれば、俺はどんな宗教の教えもほとんど余計だろうとすら思っているんだ。

そういう人間は、花を咲かせてくれるー 木々を育ててくれる土と水と空気と光を愛するし、共に植物に依存し、愛しているようにも見える鳥や昆虫にも仲間意識を覚える。そしてあとは月を含めた星々だね。桜が満開という夜に月明かりに照らされている様にうっとりしない人間なんているだろうかって思うね。」

「残念ながら、いるんじゃないのかしら。花鳥風月なんて、日常に埋没するものでしかない人は少なくないと思うわ。」

「うん、そうだね。そういう人は、申し訳ないけれど、虫に転生してやり直しだね。虫にとってどれほど植物が決定的に重要かを1から学ぶんだな。」

「鳥に転生するんだったら、私うれしいかも。」

「ああ。鳥に生まれ変わる人って、相当にいい前世を送った人だと思うな。」

「あのエナガになりたいな。ユウもエナガになって、番で、一緒に国分寺崖線の木立を歌いながら巡るの。」

「いいね!それなら何度でも生まれ変わっていいな。」

「でもユウは今生は人間として、あの木立を歌わなきゃね。」

「そう、それが課題だね。死ぬまで、歌い切らなきゃね。西行みたいに、如月の望月の夜、桜の花の下で、最期まで歌びととして。」

「まだダメよ。」

「ああ。」

「まだダメ。」


*

歌集『Hydrangeas』の制作は進んでいった。
Reds岡野、Stick杉山、関根リーアン、そして嘉多丘ガッチャンも協力してくれた。
大堀はアルバムのvisual面をサポートしてくれた。

最終曲でアルバム・タイトル曲のHydrangeasが、あと2、3のコーラスを入れれば完成という時に、蘭と約束した成城みつ池での蛍狩りの夜を迎えた。


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その26

ハイドレインジャ
第3部その26

転石会から凛との帰途、小田急の電車の中で凛が考え込んでいる様子だったので、俺は

「What's on your mind?」

と訊いてみた。

「I've been thinking about carnal desire(肉欲).」

俺はドッキリした。英語で訊いてよかったとも。まあ、凛は俺が日本語で訊いてもきっと英語で答えただろうけれど。

「DTsとこれだけ交流ができれば、私、確かに来世は怖くないと思えるわ。
ユウが言ったわよね、死んだら四季を愛でられなくなるみたいなこと。」

「ああ、あれは失言だった。そんなことはないに決まってる。なにせDTsはalmightyだから。」

「そうかしら。」

「え?」

「例えばユウは花を愛でるとき、手で触れる、鼻で嗅ぐでしょう。雪が降れば、歩いていて、長靴の底を通して積もった雪の触感がうれしいでしょう?それは感じられないのよ。Almightyではないわ。」

「う〜ん。」

「何よりー」

「何より?」

「あなたとの触れ合いがなくなってしまう。」

「ああ。」

俺はしばらく考えた。

「でもさー」

俺は切り出した。

「DTsは、視覚と聴覚はあるわけだよね、少なくとも。その2つの感覚しかないとしたら、確かに全然全能じゃないけれど、本当にそうなんだろうか。」

「触感ももしあるなら、carnal desireは永遠になってしまうわよ。そんなことを言ったら、多くの宗教人が卒倒するわ。妄執の元でしょ。」

「それこそ色即是空じゃないのかな。」

「え?」

「色=matterはすなわち空・・・空はいろんな英語訳があるけれど、例えばopennessとすれば、<開かれている、空いている>状態ってことで、それは埋められる、挿れられる。」

「『<い>れられる』って、ユウはどんな漢字を思って言ったの?容器の<容>?」

「それもいいなって思いつつ、挿入の<挿>。」

凛は黙ってしまった。

「DTsの世界って、この世と同じで実体がないわけだ。つまりvirtual。この世でも感覚は空、virtualだし、あの世でも空なんだから、同じでしょう。だとしたら、あの世でも感覚は空として<ある>。」

「つまり、私たちはあの世でも<つながれる>の?」

「言ったじゃん。俺たちはそれぞれコスモス(宇宙)を持っていて、いや、コスモスそのもので、つまり凛のコスモスと俺のコスモスは違う。けれど、紫陽花の花の房のようにそれぞれのコスモスが枝分かれして咲いていても、根本は同じだから、そこを通してつながっているって。」

「コスモス、紫陽花って、なんだかややこしいけど、なるほど。」

「だからcarnal desireもそれぞれのコスモス同士の、あるいはその主同士の合意があれば満たされるだろうね。」

「私たちの今のlovingもじゃあ、virtualなのね。」

「生の体験全てがそうでしょう。でもだから<空>しいって言うのは違うと思う。『空』をemptinessで訳すと、まさに空虚感、ネガティブな<なさ加減>の意味を引っ張ってしまう。

<うつろ>をネガティブに取っちゃえば、そりゃそうだ。でも<うつろ>というのは、何かに埋められる可能性、蓋然性、あるいは必然性を秘めている状態とも言える。だからopennessって訳が俺は名訳だと思っているんだ。」

「つまりvirtualの極みがrealなの?」

「そう、realっていうのは結局virtualなんだよ。最高にrealなvirtualityを俺たちはrealって言っているんだろうね。」

「なんだかオクシモロンのようね。」

「現実である仮想ってか。」


そんなことを話しながら、俺たちは電車を降り、成城通りを歩いた。

「分かったようなことを言っているけれど、暴論だろうね。」

俺が言うと、

「いいの。ユウと私が納得できれば」

と凛は返した。

「まあ、直接DTsに訊いてみりゃいいんだけれど、科学技術的に、そして哲学的に、はるかに進んだ宇宙人が地球人にその核心については何も教えないだろうというのと同じで、DTsもこの世とあの世の核心的な違いについて教えない、あるいは言いようがない、表現しようがないっていうところ、あると思うよ。」

「宇宙人も出てくるのぉ?また複雑な話になるわぁ。」

凛は笑いながら家のドアを開けた。

家の中に入った途端、俺たちは激しく抱き合った。


(つづく)



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