実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その14
ハイドレインジャ
その14
I think I've found what life is all about
The answer is simple
But it's hard to do
I'm here to be loved
I want to be loved
That's for sure
But I should always be the one to love first
No matter what
人生の要諦に私は気づいたように思う
答えは簡単なものだけれど
行い難い
私は愛されるためにここにいる
私は愛されたい
それは確かだけれど
いつでも私がまず最初に愛するべきなのだ
なんであろうとも
俺は自曲I Love You Tooでそう歌っている。
それは1999年に降りてきた。
音楽活動がうまく行かなくなって、愛する狛江、野川の近くの住まいに暮らし続けられなくなり、引越しの期日が迫る頃のことだった。我が人生上の大ピンチに、俺はそれでも、野川と成城の丘に「I should always be the one to love first」と<歌わせられた>。
言うは易しで、そんな歌をいただいて歌っても、とてもではないが<いつも>は行い得ないでいた。いや、今だっていつもはできていやしない。その恥ずかしさを感じながら俺は野川と成城の丘に対峙する。しかし成城から吹き降りてくるそよ風は俺を励まし続ける。
そんなことを俺は凛に語った。
凛は一緒に泣いてくれた。
「Johnも同じだったんでしょう。」
凛が呟いた。
「偽善、hypocrisyを十分意識しつつ、Imagine no possessionsて歌ったんでしょうね。到底いつもなんかできない善い行いではあるけれど、それでもそうできるはずの自分を励ます歌。
そう、偽善の歌ではなく、いつでも、ありうべき自分であろうと努めなさいと鼓舞する歌なのね、あなたの歌も、Johnの歌も。」
俺は目を閉じて凛のささやきを聴いていた。もちろん涙は止まらないままだった。
「私、太宰治をこの頃また読んでいるんです。」
凛が続ける。
「私が最も興味を持って読んだのは、『風の便り』という小説。木戸一郎という若手の作家と、彼が敬愛する老練な作家井原退蔵との往復書簡だけで構成される小説なんです。」
凛が「青空文庫」でその小説を検索し、読み出す。
「『作品を発表するという事は、恥を掻く事であります。神に告白する事であります。そうして、もっと重大なことは、その告白に依って神からゆるされるのでは無くて、神の罰を受ける事であります。』ーこれはその老大家のことばです。」
俺はそのことばになんだか頭の底がジンと痛むような気がした。
凛はさらに引用するー
「『君は、いつも自分の事ばかりを考えています。自分と、それから家族の者、せいぜい周囲の、自分に利益を齎すような具合いのよい二、三の人を愛しているだけじゃないか。もっと言おうか。君は泣きべそを掻くぜ。「汝ら、見られんために己が義を人の前にて行わぬように心せよ。」どうですか。よく考えてもらいたい。出来ますか。せめて誠実な人間でだけありたい等と、それが最低のつつましい、あきらめ切った願いのように安易に言っている恐ろしい女流作家なんかもあったようですが、何が「せめて」だ。それこそ大天才でなければ到達出来ないほどの至難の事業じゃないか。自分はどうしても誠実な人間にはなり切れなかったから、せめて罪滅しに一生、小説を書いて行きます、とでも言うのなら、まだしも素直だ。作家は、例外なしに実にくだらない人間なのだと自分は思っています。聖者の顔を装いたがっている作家も、自分と同輩の五十を過ぎた者の中にいるようだが、馬鹿な奴だ。酒を呑まないというだけの話だ。「なんじら祈るとき、偽善者の如くあらざれ。彼らは人に顕わさんとて、会堂や大路の角かどに立ちて祈ることを好む。」ちゃんと指摘されています。』」
「きつい。」
俺は呻くように言った。
凛はスマートフォンを左手だけで持ち直し、空いた右手をまた俺の左の太腿に置いた。
「Matthewの6章なんです、Teaching about Giving to the Needy、窮せる者への与えについての教え、です。Don't do your good deeds publicly, to be admired by others, for you will lose the reward from your Father in heaven. 偽善では神からの恩賞がない、と。」
「あ〜〜、暑いな、北の湖に行きたい。静かな波の音を聴きながら、夕陽を見たい!」
俺は身体を伸ばし、唐突にそう叫んだ。
凛は首を右に捻って、俺を不思議そうに見つめた。
「北の湖?」
「Matthew湖、摩周湖。」
凛は呆れたという表情ではあったけれど、俺のブログ記事を読み込んできた人だ、ワケのわからん諧謔やユーモアにも馴れていたようだったから、折角真面目に話しているのになんという反応をするんだという憤りは寸前に抑えられたらしく、笑顔になった。
「ごめん、凛さん。くっだらねーシャレです。情けない。」
俺は早々に謝った。
「太宰なんだから、摩周湖じゃなくて津軽の十三湖だったね。」
「それじゃあシャレにならなかったわね。」
「そうそう。」
二人は笑い合った。
「なにしろ暑い、暑すぎるよね、凛さん。」
俺は今回のデートは潮時だと思い、
「いい小説を紹介してもらったなあ。読んでみるよ、いろいろ考えたい」
と〆のようなことを言って、立ち上がった。
「なにしろ、本当に、本当に、lovelyなひとときだった。ありがとう!」
俺は深々とお辞儀した。
「こちらこそ。」
凛は握手を求めた。
俺は両手でその彼女の右手を握りしめた。
「自転車?」
俺は訊いた。
「ええ。ユウさんは?」
「俺も。じゃあ、一緒に成城2丁目まで。」
俺は脛の辺りに痒みを感じながら、自転車に跨った。
(つづく)
その14
I think I've found what life is all about
The answer is simple
But it's hard to do
I'm here to be loved
I want to be loved
That's for sure
But I should always be the one to love first
No matter what
人生の要諦に私は気づいたように思う
答えは簡単なものだけれど
行い難い
私は愛されるためにここにいる
私は愛されたい
それは確かだけれど
いつでも私がまず最初に愛するべきなのだ
なんであろうとも
俺は自曲I Love You Tooでそう歌っている。
それは1999年に降りてきた。
音楽活動がうまく行かなくなって、愛する狛江、野川の近くの住まいに暮らし続けられなくなり、引越しの期日が迫る頃のことだった。我が人生上の大ピンチに、俺はそれでも、野川と成城の丘に「I should always be the one to love first」と<歌わせられた>。
言うは易しで、そんな歌をいただいて歌っても、とてもではないが<いつも>は行い得ないでいた。いや、今だっていつもはできていやしない。その恥ずかしさを感じながら俺は野川と成城の丘に対峙する。しかし成城から吹き降りてくるそよ風は俺を励まし続ける。
そんなことを俺は凛に語った。
凛は一緒に泣いてくれた。
「Johnも同じだったんでしょう。」
凛が呟いた。
「偽善、hypocrisyを十分意識しつつ、Imagine no possessionsて歌ったんでしょうね。到底いつもなんかできない善い行いではあるけれど、それでもそうできるはずの自分を励ます歌。
そう、偽善の歌ではなく、いつでも、ありうべき自分であろうと努めなさいと鼓舞する歌なのね、あなたの歌も、Johnの歌も。」
俺は目を閉じて凛のささやきを聴いていた。もちろん涙は止まらないままだった。
「私、太宰治をこの頃また読んでいるんです。」
凛が続ける。
「私が最も興味を持って読んだのは、『風の便り』という小説。木戸一郎という若手の作家と、彼が敬愛する老練な作家井原退蔵との往復書簡だけで構成される小説なんです。」
凛が「青空文庫」でその小説を検索し、読み出す。
「『作品を発表するという事は、恥を掻く事であります。神に告白する事であります。そうして、もっと重大なことは、その告白に依って神からゆるされるのでは無くて、神の罰を受ける事であります。』ーこれはその老大家のことばです。」
俺はそのことばになんだか頭の底がジンと痛むような気がした。
凛はさらに引用するー
「『君は、いつも自分の事ばかりを考えています。自分と、それから家族の者、せいぜい周囲の、自分に利益を齎すような具合いのよい二、三の人を愛しているだけじゃないか。もっと言おうか。君は泣きべそを掻くぜ。「汝ら、見られんために己が義を人の前にて行わぬように心せよ。」どうですか。よく考えてもらいたい。出来ますか。せめて誠実な人間でだけありたい等と、それが最低のつつましい、あきらめ切った願いのように安易に言っている恐ろしい女流作家なんかもあったようですが、何が「せめて」だ。それこそ大天才でなければ到達出来ないほどの至難の事業じゃないか。自分はどうしても誠実な人間にはなり切れなかったから、せめて罪滅しに一生、小説を書いて行きます、とでも言うのなら、まだしも素直だ。作家は、例外なしに実にくだらない人間なのだと自分は思っています。聖者の顔を装いたがっている作家も、自分と同輩の五十を過ぎた者の中にいるようだが、馬鹿な奴だ。酒を呑まないというだけの話だ。「なんじら祈るとき、偽善者の如くあらざれ。彼らは人に顕わさんとて、会堂や大路の角かどに立ちて祈ることを好む。」ちゃんと指摘されています。』」
「きつい。」
俺は呻くように言った。
凛はスマートフォンを左手だけで持ち直し、空いた右手をまた俺の左の太腿に置いた。
「Matthewの6章なんです、Teaching about Giving to the Needy、窮せる者への与えについての教え、です。Don't do your good deeds publicly, to be admired by others, for you will lose the reward from your Father in heaven. 偽善では神からの恩賞がない、と。」
「あ〜〜、暑いな、北の湖に行きたい。静かな波の音を聴きながら、夕陽を見たい!」
俺は身体を伸ばし、唐突にそう叫んだ。
凛は首を右に捻って、俺を不思議そうに見つめた。
「北の湖?」
「Matthew湖、摩周湖。」
凛は呆れたという表情ではあったけれど、俺のブログ記事を読み込んできた人だ、ワケのわからん諧謔やユーモアにも馴れていたようだったから、折角真面目に話しているのになんという反応をするんだという憤りは寸前に抑えられたらしく、笑顔になった。
「ごめん、凛さん。くっだらねーシャレです。情けない。」
俺は早々に謝った。
「太宰なんだから、摩周湖じゃなくて津軽の十三湖だったね。」
「それじゃあシャレにならなかったわね。」
「そうそう。」
二人は笑い合った。
「なにしろ暑い、暑すぎるよね、凛さん。」
俺は今回のデートは潮時だと思い、
「いい小説を紹介してもらったなあ。読んでみるよ、いろいろ考えたい」
と〆のようなことを言って、立ち上がった。
「なにしろ、本当に、本当に、lovelyなひとときだった。ありがとう!」
俺は深々とお辞儀した。
「こちらこそ。」
凛は握手を求めた。
俺は両手でその彼女の右手を握りしめた。
「自転車?」
俺は訊いた。
「ええ。ユウさんは?」
「俺も。じゃあ、一緒に成城2丁目まで。」
俺は脛の辺りに痒みを感じながら、自転車に跨った。
(つづく)
2024-01-22 08:52
nice!(0)
コメント(2)
「あらゆる作品は形を変えた涙に過ぎない」シオラン
by King of Nemi (2024-01-22 23:26)
King of Nemi様、ご貢献ありがとうございます。^^
by mnemo (2024-01-23 19:39)