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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その15

ハイドレインジャ
その15

俺には凛に訊きたいことがまだまだいっぱいあったし、vice versa、凛も俺のブログを熱心に読んでいても俺について知りたいことは多くあろう、と俺は思った。

いつかは互いにその関心・興味を満たしていくのだー それを失わない限りは。


その機会はすぐに来た。

俺はブログにTodayという、砧に住むようになって創作した曲を上げたのだ。むろん凛が聴いてくれる、そしてその後に会うときには批評してくれるー おそらく好意的にー ことを期待してだ。

その歌は、親を含め、親戚や友人知人の訃報をちょくちょく聞くようになるという老境に入った自分が、朝目を覚ますという当たり前のことがいかに実は当たり前ではないかということをしみじみと自覚しつつ、さらにその覚醒の前に見ていた支離滅裂な夢ながら<前向きな>内容に、「I'm still alive!」という実感をいっそう強く持つという歌なのだ。今日、今という時間を生きていられることの不思議、そしてありがたさ!

You
Cry if you want
I won't stop you now
Swallow your tears
Don't hold them back

とサビで歌う。

すると、早速その曲のファイルが添付された記事にコメントがついた。「ダイアナの鏡」というハンドルネームの人からのもので、この方は最近投稿してくれるようになった。そのコメントは教養溢れるもので、元々浅学非才な俺ではあるから寡聞にして知らぬ著名人のaphorismないしそのようなことばが引用されて、その度Wikipediaなどで検索するのだった。

「『あらゆる作品は形を変えた涙に過ぎない』シオラン」

今回のコメントも「俺はシオランという人物のことなど寡聞にして<知りをらん>」ということで早速検索した。ルーマニア出身の思想家、作家・・・。Wikipediaの日本語文章はひどいもので、よく分からない。英語版で・・・なになに、バッハがいなかったら、(創造主としての)神は全く二流の存在だろう、なんて言っている人なのか。まあ、全部読むの大変だし、読んだところでこの人物を本当に知ることなどできないからなあと俺は独言しつつ、なにしろ「ダイアナの鏡」さんが引用したaphorismを吟味した。

涙ー
悲しみ、喜び、おかしみなどなど、感情の昂りが生じさせる涙腺内の血液から血球を除いた液体。そしてどうしてこんな生理現象が起こるのか、分かっていないのだ。

俺は母の涙もろさを完璧に受け継いだ。一方父は俳人でもあったから、決して情に欠けるような人物ではなかったものの、87歳で他界するまで俺は一度も彼が涙を流すところを見ないままになった。俺はどちらの形質も受け継いだと言える。あからさまに情にもろく、そして詩歌に興味を持った。だからなのか、俺の歌は父の俳句とは違って、情をそのまま発露するrockになった。もちろんそれには5歳からのBeatlesの影響も大きい、あるいは決定的だった。

俺は「ダイアナの鏡」さんがもしかすると凛ではないかとふと思いついた。


翌朝、俺は凛と仙川を散歩する約束を交わしていた。彼女がしっかり走ってきて、俺はゆっくり歩いてきて合流するところを、仙川に架かり、DCMの店舗内へ通じる橋と決めていたのだ。

その朝は、雨ではなかったが、いつ降り出してもおかしくないような曇天だった。
凛はおびただしい汗をかいており、俺の前で足踏みし、「おはようございます!」と快活に挨拶した。

「おはよう!蒸し暑いね、どうにも。」

俺は凛の眩しいとしか言いようがない笑顔を照れくさく見つめながら言った。
凛は足踏みのペースを少しずつ落としながら、

「『ダイアナの鏡』さんて、どういう方かしらね」

と唐突に言った。

俺はドギマギした。
それは本当の質問か、それとも<おとぼけ>なのか。

「いやあ、ちょうど僕もそのことを考えていてねー」

俺は応えた。

「凛さんじゃないのかな、なんて思ってもいたんだけど。」

「それはないですよ。」

凛はキッパリと言った。

「私、ベケットは知っていても、シオランのことは、<知りをらん>ですよ。」

俺は驚倒しそうになった。一本取られた。

「ベケットって、あの不条理劇・・だったかの?」

「そう。親交があったみたいですね、二人。Wikiで読んだだけだけど。」

「ああ、そんなことも書いてあったような。」

「なにしろー これユウさんの常套句ねー 私は『ダイアナの鏡』さんではないですよ。」

凛はそう言って、足踏みをやめた。


(つづく)



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