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おくて

外は、というか外気は、すごい湿気だ。
まだ朝のうちだからそう暑くはないが、動いたらあっという間に嫌な汗をかきそう。

今週のNHKラジオ「昭和人物史」は永井荷風。
明治10年代生まれの人ながら、昭和の人物とされるのは長生きしたということだ。
と言いつつ、79歳で没したのだから、すこぶるの長命というわけではない。
それでも、明治、大正、昭和と3つの(日本固有の)時代を生きたのだし、
また、平均寿命が短い頃にそれだけ生きれば、長命ということになる。

荷風は旧・小石川区、今の文京区に生まれた。
小日向の小学校を出たのだが、その黒田小学校脇を私は都心居住時代何度も通った。
江戸時代生まれの父親は明治初期中期超エリートで海外経験豊富、
息子の荷風も20歳代を米欧で過ごす。

森鴎外に師事、彼と同じ海外経験、そしてさらに同じく、欧米人女性との恋愛を体験した。
その辺りの事を荷風があっけらかんとインタビューで話した録音を番組で聞いた。

鴎外や荷風に比べ、漱石先生は<そちらは>晩稲でいらしたか。
イギリスにいても、結局帰国後「ヰタ・セクスアリス」や「あめりか物語」のような
小説は書けなかった。

あらためて私はタイプで言えば、漱石先生型だと思った。
いや、私が晩稲だったというより、内向的、という意味でだ。
私は実は人見知りだ。

ラジオを聴きながらメイン(?)にしていたのは砧公園の緑を楽しむこと。
GWが終わって、そして小雨が断続的に降る空の下、公園利用者は極端に少なく、
ラジオが喚起する想像が自由に広がっていく。

我が連れ合いも、娘も、アメリカに留学経験がある。
その事実一つを以てして、私は彼女らを尊敬する。

私も、もし留学していたなら、それなりにやれただろうか。
かなり疑わしい。
まず、留学を決意、実行すること自体できなかったのだし。

「おくて」にはふたつの漢字の宛字がある。
「晩稲」と「奥手」だ。

「私は後者だなあ」としみじみ思って、ぐるり、<滴る緑>を眺めた。



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