実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その23
ハイドレインジャ
第3部その23
凛はその後、俺と蘭には積もる話もあるだろうからと独りで帰って行った。
むろん俺には気まずさがあったけれど、四半世紀ぶりの再会であり、確かに話したいことは山ほど有った。それにしても、凛の心の広さにあらためて感銘を受けた。
「私(あたし)は長く狛江を離れていたのよ。」
蘭が切り出した。
「そうだったんだね。俺が狛江を歩いたりしていても、ちっとも遭わなかった。君の家の前も何度も通った。もう20年も前のことになるかなあ、ある日また君の実家の前を通ると、違う人の表札がかかっていた。驚いたよ、本当に。」
俺は芝生の上で遊ぶ親子をぼんやり眺めながら言った。
「母が新たに中央区の方に家を建てたの。私もそこへ移り住んだけれど、ようやく大学で職位が上がって、独り立ちができたの。」
「慶應?」
「いいえ、法政大学。」
「じゃあ、千代田区富士見のキャンパス?」
「そう。<あの後>ユウは漱石病に罹って、あの辺り、陰鬱な顔で歩いていたの?」
「ハハ・・・いや、笑い事じゃない。生きるか死ぬかだったもんな。」
「・・・そうよね。私だって。」
「あの辺りで暮らしていたの?」
「いいえ。職場はあなたとの思い出だらけのところに在ったから精神的にキツくて。住むところは遠くになきゃって。氷川台よ。城北公園の近く。」
「そりゃ絶対、遭遇すらない場所だ。」
話したいことは、繰り返すが、山ほど有った。けれども、俺の最大関心事は、なぜ蘭は四半世紀の関係断絶の決意を破ったのか、だった。
「今日俺と凛がここへ来るのがわかったのはどうして?」
「それは偶然よ。偶然と言ってもかなり出来しても不思議ではない偶然だけれど。私は氷川台からまた狛江に戻ってきたの、去年の3月。やっぱり故郷が一番なのね。野川が、多摩川が恋しかった、ずっと。
私も大雨とかでない限りは散歩するの。毎日のようだから、きっとユウとも出くわすことがあるだろうとはずっと思っていた。」
「なるほど。」
俺はしばらく黙った。
「なぜ禁を破ったか、でしょう?訊きたいのは。」
蘭が俺の気持ちを察してくれた。
「うん。」
俺はなんだか力無く返事をした。
「私ね、婦人科の病気、それもかなり深刻な病気を抱えているの。」
「えぇッ!?」
「判った時はさすがに慌てたわ。生老病死、誰にでも訪れる宿命だともちろん覚悟は普段もしていたけれど、泰然自若でいられるほどの覚悟ではなかったわ。」
「手術をしたの?」
「ええ。経過はいいのよ。医師も予後は良好だって言ってくれてはいるの。」
「よかった!一応、だろうけれど。」
「ユウは大丈夫なの、体。」
「ああ、おかげさまで。白内障の手術は受けたけどね。」
「夕陽の見過ぎだったんでしょ。」
俺は力無く笑った。蘭も。
「俺って、養老孟司さんの言動をいつも追っているんだ。もちろん本や新聞やネットでだけれど。彼は医者のくせに医者嫌いを公言しているし、タバコはちっともやめない。86歳だけれどね。この前のネット配信でも、インタビュー受けながら、折々タバコをうまそうに吸っている。じゃあ、ずっと健康だったかってなると、心臓に相当な不具合があって、教え子にICUでカテーテル治療してもらって、死ぬ一歩前から生還してもこの<不摂生>だ。」
「憧れちゃダメよ。」
「って言うか、そういう生き方も生き方だろってね。我儘って言えば我儘、偏屈って言えば偏屈なんだけれどね。
どんな質問にも答えていくような、ほとんど日本一の碩学は、こんなふうに生きているんだ、そして悔いの言葉を一切口にしない。病院は嫌いだけれど、いざとなれば利用して、86歳にまでなっているんだから。」
「ユウだって、白内障の手術で医療のありがたさに感じ入っていたじゃない。」
「ああ。君も読んでた?俺のその当時のブログ記事。」
「最近ね。」
蘭はそう言ってから、そろそろ家に帰らなければと告げた。俺は、そうなら、東野川まで一緒に行くよと応じた。蘭は嫌がらなかった。
小田急線喜多見操車場の北側を西へ二人で歩いた。
「死が間近に迫ったって思うと、人間て、やっぱりそれまでの思考や行動のパターンから外れざるを得なくなるものね。」
蘭が言った。
「決意っていうのは、ある程度その継続が見込まれるからこそのこと、生い先短いと知った時点では、ただの意地っ張り、ただの拘りでしかなく思えてきて、くだらないって。」
「分かるよ。俺も、父、長兄、母、従姉が2年ちょっとの間で次々亡くなったとき、鬱状態になった。次は俺だって思えてね。ちょうどその時目が急速に悪くなって、さらに、今なら原因は判っているけれど、ある健康器具の誤用で、そのときはそうとも知らず背骨を痛めて、いよいよアウトだと。
いろいろ考えた。ほとんどネガティブなことばかりだったけれど、でも、人生を振り返って、自分のそれまでの愚行も、もう時効だって思えた。どうせ間もなくその愚行の主もいなくなるんだから、って。もちろん執着もすごかった。ああ、俺が愛する四季の美をもう楽しめないのか、そんなの絶対に嫌だって。だから泣いたよ、そう思うと。」
「私も全く同じ。」
「そう。」
「ユウの変化は、また最近も観察できたわ。あ、恋したなって。過去の罪は<公訴時効>になって、じゃあ、居直った生き方になるかとなればそうならず、自分の<精華集>=anthologyを編みたいっていう意欲、そこで来世への前向きさを見せているー
そのきっかけをもたらした誰かがいるって、ピンときたの。
すてきな人ね、凛さん。
きっとユウが野川や多摩川を心から愛していることが、同じ思いの彼女に通じたからね。どうしてもそのsingerに会いたくなってしまったってことかしら。」
「I Love You Tooって歌さ。君に、できたてを聴いてもらった。」
蘭の家の近くに来た。
「ねぇ。今度3人で、成城みつ池緑地に行かない?」
「3人で?」
「嫌?」
「いや、そんなことはないけれど。」
「ねぇ。蛍が出る頃行きましょう。」
「だいぶ先だね。」
「そうね。冬至がもうすぐ、蛍が出るのは夏至のちょっと前くらいかな?半年先ね。」
「神がお許しになれば、って感じ?」
「私、生きているわ、絶対。」
「もちろん!」
「その頃までには、凛さんと、そしてお仲間と、精華集『Hydrangeas』、完成させている?」
「ああ、そう願いたいね。」
「神が許せば?」
「ハハ、そうだね。」
「じゃあ、ここで」と蘭は言い、狛江市立第5小学校の角のところで俺たちは別れた。
(つづく)
第3部その23
凛はその後、俺と蘭には積もる話もあるだろうからと独りで帰って行った。
むろん俺には気まずさがあったけれど、四半世紀ぶりの再会であり、確かに話したいことは山ほど有った。それにしても、凛の心の広さにあらためて感銘を受けた。
「私(あたし)は長く狛江を離れていたのよ。」
蘭が切り出した。
「そうだったんだね。俺が狛江を歩いたりしていても、ちっとも遭わなかった。君の家の前も何度も通った。もう20年も前のことになるかなあ、ある日また君の実家の前を通ると、違う人の表札がかかっていた。驚いたよ、本当に。」
俺は芝生の上で遊ぶ親子をぼんやり眺めながら言った。
「母が新たに中央区の方に家を建てたの。私もそこへ移り住んだけれど、ようやく大学で職位が上がって、独り立ちができたの。」
「慶應?」
「いいえ、法政大学。」
「じゃあ、千代田区富士見のキャンパス?」
「そう。<あの後>ユウは漱石病に罹って、あの辺り、陰鬱な顔で歩いていたの?」
「ハハ・・・いや、笑い事じゃない。生きるか死ぬかだったもんな。」
「・・・そうよね。私だって。」
「あの辺りで暮らしていたの?」
「いいえ。職場はあなたとの思い出だらけのところに在ったから精神的にキツくて。住むところは遠くになきゃって。氷川台よ。城北公園の近く。」
「そりゃ絶対、遭遇すらない場所だ。」
話したいことは、繰り返すが、山ほど有った。けれども、俺の最大関心事は、なぜ蘭は四半世紀の関係断絶の決意を破ったのか、だった。
「今日俺と凛がここへ来るのがわかったのはどうして?」
「それは偶然よ。偶然と言ってもかなり出来しても不思議ではない偶然だけれど。私は氷川台からまた狛江に戻ってきたの、去年の3月。やっぱり故郷が一番なのね。野川が、多摩川が恋しかった、ずっと。
私も大雨とかでない限りは散歩するの。毎日のようだから、きっとユウとも出くわすことがあるだろうとはずっと思っていた。」
「なるほど。」
俺はしばらく黙った。
「なぜ禁を破ったか、でしょう?訊きたいのは。」
蘭が俺の気持ちを察してくれた。
「うん。」
俺はなんだか力無く返事をした。
「私ね、婦人科の病気、それもかなり深刻な病気を抱えているの。」
「えぇッ!?」
「判った時はさすがに慌てたわ。生老病死、誰にでも訪れる宿命だともちろん覚悟は普段もしていたけれど、泰然自若でいられるほどの覚悟ではなかったわ。」
「手術をしたの?」
「ええ。経過はいいのよ。医師も予後は良好だって言ってくれてはいるの。」
「よかった!一応、だろうけれど。」
「ユウは大丈夫なの、体。」
「ああ、おかげさまで。白内障の手術は受けたけどね。」
「夕陽の見過ぎだったんでしょ。」
俺は力無く笑った。蘭も。
「俺って、養老孟司さんの言動をいつも追っているんだ。もちろん本や新聞やネットでだけれど。彼は医者のくせに医者嫌いを公言しているし、タバコはちっともやめない。86歳だけれどね。この前のネット配信でも、インタビュー受けながら、折々タバコをうまそうに吸っている。じゃあ、ずっと健康だったかってなると、心臓に相当な不具合があって、教え子にICUでカテーテル治療してもらって、死ぬ一歩前から生還してもこの<不摂生>だ。」
「憧れちゃダメよ。」
「って言うか、そういう生き方も生き方だろってね。我儘って言えば我儘、偏屈って言えば偏屈なんだけれどね。
どんな質問にも答えていくような、ほとんど日本一の碩学は、こんなふうに生きているんだ、そして悔いの言葉を一切口にしない。病院は嫌いだけれど、いざとなれば利用して、86歳にまでなっているんだから。」
「ユウだって、白内障の手術で医療のありがたさに感じ入っていたじゃない。」
「ああ。君も読んでた?俺のその当時のブログ記事。」
「最近ね。」
蘭はそう言ってから、そろそろ家に帰らなければと告げた。俺は、そうなら、東野川まで一緒に行くよと応じた。蘭は嫌がらなかった。
小田急線喜多見操車場の北側を西へ二人で歩いた。
「死が間近に迫ったって思うと、人間て、やっぱりそれまでの思考や行動のパターンから外れざるを得なくなるものね。」
蘭が言った。
「決意っていうのは、ある程度その継続が見込まれるからこそのこと、生い先短いと知った時点では、ただの意地っ張り、ただの拘りでしかなく思えてきて、くだらないって。」
「分かるよ。俺も、父、長兄、母、従姉が2年ちょっとの間で次々亡くなったとき、鬱状態になった。次は俺だって思えてね。ちょうどその時目が急速に悪くなって、さらに、今なら原因は判っているけれど、ある健康器具の誤用で、そのときはそうとも知らず背骨を痛めて、いよいよアウトだと。
いろいろ考えた。ほとんどネガティブなことばかりだったけれど、でも、人生を振り返って、自分のそれまでの愚行も、もう時効だって思えた。どうせ間もなくその愚行の主もいなくなるんだから、って。もちろん執着もすごかった。ああ、俺が愛する四季の美をもう楽しめないのか、そんなの絶対に嫌だって。だから泣いたよ、そう思うと。」
「私も全く同じ。」
「そう。」
「ユウの変化は、また最近も観察できたわ。あ、恋したなって。過去の罪は<公訴時効>になって、じゃあ、居直った生き方になるかとなればそうならず、自分の<精華集>=anthologyを編みたいっていう意欲、そこで来世への前向きさを見せているー
そのきっかけをもたらした誰かがいるって、ピンときたの。
すてきな人ね、凛さん。
きっとユウが野川や多摩川を心から愛していることが、同じ思いの彼女に通じたからね。どうしてもそのsingerに会いたくなってしまったってことかしら。」
「I Love You Tooって歌さ。君に、できたてを聴いてもらった。」
蘭の家の近くに来た。
「ねぇ。今度3人で、成城みつ池緑地に行かない?」
「3人で?」
「嫌?」
「いや、そんなことはないけれど。」
「ねぇ。蛍が出る頃行きましょう。」
「だいぶ先だね。」
「そうね。冬至がもうすぐ、蛍が出るのは夏至のちょっと前くらいかな?半年先ね。」
「神がお許しになれば、って感じ?」
「私、生きているわ、絶対。」
「もちろん!」
「その頃までには、凛さんと、そしてお仲間と、精華集『Hydrangeas』、完成させている?」
「ああ、そう願いたいね。」
「神が許せば?」
「ハハ、そうだね。」
「じゃあ、ここで」と蘭は言い、狛江市立第5小学校の角のところで俺たちは別れた。
(つづく)
2024-04-01 09:30
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