実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その24
ハイドレインジャ
第3部その24
蘭との四半世紀ぶりの再会をして間もなく、転石会があった。
藤倉Mick転石を囲む会である。
会はまず、ほぼ会員全員の共通の友人知己であった故・内館圭介への献杯で始まった。
内館は、俺が2回目のデビューをしたときの音楽事務所でA&R(Artists and Repertoire)部門の一人だった。俺にとって彼はまさにノリが「業界人」の典型であった。江戸っ子の家系で、背は高くなく、少し太り気味、しかしいつもこ綺麗な格好で服のセンスが良く、話好き、愛嬌があって、またアーティスト寄りの姿勢ゆえ、俺はもちろん、バンドSuper Stringのメンバーからも好かれていたし、当時レコード会社側のプロデューサーだった転石とも仲が良かった。
その「ウチさん」が最近、鬼籍に入ってしまったというのだった。
俺は彼とはもう10年以上は会っておらず、そういう意味では縁が薄かったのだけれど、俺の歌『Is This America』を好んでくれていて、遠い昔渋谷のコヤで誰かのギグが行われた際に彼と会ったのだが、「ユウちゃんがあの歌歌うの聴きたかったなあ」と言ってくれたのだった。その『Is This America』が俺に降りてきたのは、ウチさんら事務所の人々と共にNew Yorkへ行った直後のことだった。
NY到着はちょうどFourth of July、独立記念日で、ある大物女性歌手主催のディナーパーティーが、ハドソン川に浮かぶクルーザー上で行われたのだ。俺も招いていただいて、時差ぼけ甚だしい中、夢じゃないのかというような絢爛な時間を過ごした。ラジオでの建国の理想を語る心打つナレーションの後、カウントダウン、壮大な打ち上げ花火、夜空の華が川面に映るー
そのときこの日本人主催のディナーを供する側には白人、ヒスパニック、中東系、黒人と様々なwaitersがいて、中にはいつかはこのクルーザー・パーティーを自分が主催する立場になりたいと夢見る人がいたに違いないのだ。いわゆるAmerican dreamを実現させる、と。
俺はそのとき感受したことを『Is This America』と『The Sweet Rain of July(摩天楼の夜)』という歌にした。ウチさんは、その経緯を知っている数少ない<内輪の人>だった。
俺はそのことを転石会で話した。
転石とStick(ドラマー)が、やはりその経緯を知る者として感慨深そうに聴いてくれた。
雪夫が口を開くー
「その内館さんとお会いしたことはありませんが、愛されるキャラクターの人だったんですね。じゃあ、ユウさん、ユウさんはDTsにほぼ自在に会えるんですから、どうですか、早速。」
「え?」
「DTs、日本の伝統的な言い方をすれば、能で言う『客人(まれびと)』を招来し、ユウさんがそれらの歌を再び世に問う、と言うか、聴いてもらうという意欲を表して、内館さんの供養とするというのは?」
「ユウちゃんと今度内館さんの菩提寺、台東区に在るんだけど、そこへ墓参する時に祈ればいいよ。」
転石が応えた。
「そうですね。ここでは、まあ、ああウチさんが来てくださっているなって感じるだけでいいかも。」
俺は言った。
「え?来てるの?」
転石が驚く。
「ええ。いらっしゃいますね。な、凛。」
「ええ。やさしそうなお人柄の方ですね。」
「ハハ、ウチさん、美人が好きだったから、凛さんのそばにいるんだね。」
転石が納得する。
「俺たちには見えない、感じられないけれど、そう言われりゃ、なんだかウチさんと飲んでる時のあの感じがするなあ。」
「いらっしゃるからですよ。」
俺が応えた。
「ウチさんのお寺は浄土真宗らしいですね。『後生の一大事』、ウチさん、いかがですか?」
「還相回向(げんそうえこう)をお願いします!」
雪夫が言った。
俺は笑った。
「ユウちゃんも雪夫ちゃんも真宗信徒なんだっけ?」
転石が問う。
「根本山神社の氏子です!」
俺と雪夫がユニゾンで言った。
一同は大笑いとなった。
「還相回向」はすごいアイディアだ。哲学者梅原猛はこのことを信じ、絶賛していた。浄土へ往った者が、穢土へ戻って人々を仏の道へ導くことだ。「往って還ってくる」というのが梅原のお気に入りで、これこそ日本列島人古来の宗教観、すなわち古神道とピッタリ合うと言うのだ。「死んでお山に帰って、またこの世に還ってくる」ということだ。
「かえる」というのはおもしろい言葉だ。卵が孵化することも「かえる(孵る)」と言う。このことひとつ取っても、日本語を生み、つないできた人たちにとって、生まれることは還ってくることなのだと思えるー
カラオケが始まった。
70年代洋楽がメインとなった。
メンバーの歌や駄洒落などに付き合いながらも、俺はそんなことを考えた。
還相回向があるなら、俺が今まで会ってきたDTsは未だ還相しておらず、あの世で迷っているのか。それともあの世が<良すぎて>、穢土になど戻って来たくないのか。
凛は藤原秀衡の娘の生まれ変わり、では凛はこの世に戻ってきてくれて、俺やみんなを<教化>してくれているということか。
俺はまじまじと凛を横から見つめた。
「おい、ユウ!今更ヨメさんに色目使ってんじゃねぇぞ!」
大堀が言った。
「しょーもねぇ野郎だ、人前で、まあ。」
「ミツ(大堀)、おめはこの穢土に還って来たのか。」
俺は煙に巻こうとした。
「は?江戸?そうだな。埼玉から最近東京に戻ってきた。そんなこと、おめ、わかってんだろうが!今更何言ってんだ。」
「じゃあ、回向してくやれ(くれや)。」
「え?足らなかったか。んじゃ、もうちょっとリバーブを。」
「その<エコー>じゃねぇッつの!」
夜は更けていった。
(つづく)
第3部その24
蘭との四半世紀ぶりの再会をして間もなく、転石会があった。
藤倉Mick転石を囲む会である。
会はまず、ほぼ会員全員の共通の友人知己であった故・内館圭介への献杯で始まった。
内館は、俺が2回目のデビューをしたときの音楽事務所でA&R(Artists and Repertoire)部門の一人だった。俺にとって彼はまさにノリが「業界人」の典型であった。江戸っ子の家系で、背は高くなく、少し太り気味、しかしいつもこ綺麗な格好で服のセンスが良く、話好き、愛嬌があって、またアーティスト寄りの姿勢ゆえ、俺はもちろん、バンドSuper Stringのメンバーからも好かれていたし、当時レコード会社側のプロデューサーだった転石とも仲が良かった。
その「ウチさん」が最近、鬼籍に入ってしまったというのだった。
俺は彼とはもう10年以上は会っておらず、そういう意味では縁が薄かったのだけれど、俺の歌『Is This America』を好んでくれていて、遠い昔渋谷のコヤで誰かのギグが行われた際に彼と会ったのだが、「ユウちゃんがあの歌歌うの聴きたかったなあ」と言ってくれたのだった。その『Is This America』が俺に降りてきたのは、ウチさんら事務所の人々と共にNew Yorkへ行った直後のことだった。
NY到着はちょうどFourth of July、独立記念日で、ある大物女性歌手主催のディナーパーティーが、ハドソン川に浮かぶクルーザー上で行われたのだ。俺も招いていただいて、時差ぼけ甚だしい中、夢じゃないのかというような絢爛な時間を過ごした。ラジオでの建国の理想を語る心打つナレーションの後、カウントダウン、壮大な打ち上げ花火、夜空の華が川面に映るー
そのときこの日本人主催のディナーを供する側には白人、ヒスパニック、中東系、黒人と様々なwaitersがいて、中にはいつかはこのクルーザー・パーティーを自分が主催する立場になりたいと夢見る人がいたに違いないのだ。いわゆるAmerican dreamを実現させる、と。
俺はそのとき感受したことを『Is This America』と『The Sweet Rain of July(摩天楼の夜)』という歌にした。ウチさんは、その経緯を知っている数少ない<内輪の人>だった。
俺はそのことを転石会で話した。
転石とStick(ドラマー)が、やはりその経緯を知る者として感慨深そうに聴いてくれた。
雪夫が口を開くー
「その内館さんとお会いしたことはありませんが、愛されるキャラクターの人だったんですね。じゃあ、ユウさん、ユウさんはDTsにほぼ自在に会えるんですから、どうですか、早速。」
「え?」
「DTs、日本の伝統的な言い方をすれば、能で言う『客人(まれびと)』を招来し、ユウさんがそれらの歌を再び世に問う、と言うか、聴いてもらうという意欲を表して、内館さんの供養とするというのは?」
「ユウちゃんと今度内館さんの菩提寺、台東区に在るんだけど、そこへ墓参する時に祈ればいいよ。」
転石が応えた。
「そうですね。ここでは、まあ、ああウチさんが来てくださっているなって感じるだけでいいかも。」
俺は言った。
「え?来てるの?」
転石が驚く。
「ええ。いらっしゃいますね。な、凛。」
「ええ。やさしそうなお人柄の方ですね。」
「ハハ、ウチさん、美人が好きだったから、凛さんのそばにいるんだね。」
転石が納得する。
「俺たちには見えない、感じられないけれど、そう言われりゃ、なんだかウチさんと飲んでる時のあの感じがするなあ。」
「いらっしゃるからですよ。」
俺が応えた。
「ウチさんのお寺は浄土真宗らしいですね。『後生の一大事』、ウチさん、いかがですか?」
「還相回向(げんそうえこう)をお願いします!」
雪夫が言った。
俺は笑った。
「ユウちゃんも雪夫ちゃんも真宗信徒なんだっけ?」
転石が問う。
「根本山神社の氏子です!」
俺と雪夫がユニゾンで言った。
一同は大笑いとなった。
「還相回向」はすごいアイディアだ。哲学者梅原猛はこのことを信じ、絶賛していた。浄土へ往った者が、穢土へ戻って人々を仏の道へ導くことだ。「往って還ってくる」というのが梅原のお気に入りで、これこそ日本列島人古来の宗教観、すなわち古神道とピッタリ合うと言うのだ。「死んでお山に帰って、またこの世に還ってくる」ということだ。
「かえる」というのはおもしろい言葉だ。卵が孵化することも「かえる(孵る)」と言う。このことひとつ取っても、日本語を生み、つないできた人たちにとって、生まれることは還ってくることなのだと思えるー
カラオケが始まった。
70年代洋楽がメインとなった。
メンバーの歌や駄洒落などに付き合いながらも、俺はそんなことを考えた。
還相回向があるなら、俺が今まで会ってきたDTsは未だ還相しておらず、あの世で迷っているのか。それともあの世が<良すぎて>、穢土になど戻って来たくないのか。
凛は藤原秀衡の娘の生まれ変わり、では凛はこの世に戻ってきてくれて、俺やみんなを<教化>してくれているということか。
俺はまじまじと凛を横から見つめた。
「おい、ユウ!今更ヨメさんに色目使ってんじゃねぇぞ!」
大堀が言った。
「しょーもねぇ野郎だ、人前で、まあ。」
「ミツ(大堀)、おめはこの穢土に還って来たのか。」
俺は煙に巻こうとした。
「は?江戸?そうだな。埼玉から最近東京に戻ってきた。そんなこと、おめ、わかってんだろうが!今更何言ってんだ。」
「じゃあ、回向してくやれ(くれや)。」
「え?足らなかったか。んじゃ、もうちょっとリバーブを。」
「その<エコー>じゃねぇッつの!」
夜は更けていった。
(つづく)
2024-04-02 12:12
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