実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その28
ハイドレインジャ
第3部その28
蘭と俺は、再会してからこの6月まで半年の間、実は数回会っていた。
凛に内緒にはしなかった。もうそんなことは金輪際したくなかったから。
凛は、本当に信じ難いが、一切反対しなかった。
俺が蘭と付き合った年月のことをほぼ正確に打ち明けていたし、なにより凛は蘭への友情のような思いを抱いていたというのが大きかろう。「ダイアナの鏡」としての投稿内容が、凛を感心させ、興奮させていた。それがあって、蘭のたたずまいの良さにも、同性として、そして人間として、強い好印象を持ったのだった。
1月、俺と蘭は神楽坂で会った。
俺には「漱石病」罹患時の曰くつきの場所だったが、その病発症の最大原因であった蘭とこうして再会し、彼女と一緒だからこそ、俺は<思い出の塗り替え>のため敢えてそこで会ったのだ。
俺たちは地下鉄の出口で落ち合い、まずはその辺りを散策した。
蘭は神田の蕎麦屋の娘に生まれた。何代も続くチャキチャキの江戸っ子の家だ。
母親の実家が<やはり>滋賀県日野町で、神田とは大違いの田舎ぶりに母の一年一回の帰省で付いて行くたび強い郷愁を養われた。
その後、蘭の両親は離婚、蘭は母親と共に小6で狛江に引っ越した。母親は狛江とは何の縁もないと思っていたが、まず滋賀の故郷の川、日野川が好きであった彼女は、多摩川の近くに住みたいと思ったそうで、狛江市の物件を探しているうちに野川を見て一目惚れ、より日野川の風情に似ていたからだそうだ。
俺が蘭と付き合っている頃、この<近江つながり>については全く自覚していなかった。だから再会してから彼女と話していて必然的にその話題となって、蘭は俺のブログを読んでいてその一端は知っていたが、大いに縁の深さに驚き、さらに凛もその縁に連なっていることに感動もした。
さらに今度は俺が震えるほど驚いたのは、蘭の母親は熊野神社を厚く崇敬する人で、新宿十二社の熊野社への参詣を欠かさない人であるということだった。なんと、彼女は日野町のまさに熊野地区の出身だと言うのだ。綿向山南西部の麓の地区だ。もちろん熊野神社がそこに在る。
嫁いだ先の神田の蕎麦屋は当然のように代々神田明神の氏子だが、神田明神の宮司たちは熊野詣でするほどに日本最古の神道の真髄を畏敬している。それでも蘭の母は、千代田区にはない熊野神社を求めて、新宿(角筈)十二社の社へ通ったのだそうだ。そして離婚して狛江に暮らすようになっても、熊野神社を詣で続けていると。
あらためて俺はつくづく近江との縁が深いのだと思い知らされた。
俺たちは白銀公園の中に入った。
「私(あたし)はだから、町人町の神田はもちろん好きだけれど、北の丸公園で遊んだ口よ。」
蘭は言った。
「人工林とは云え、あそこが緑いっぱいなのはユウもよく知っている通り。皇居の生態系が北の丸にも移っているって感じがする。思いがけない生き物に遭ったりするから。
私ね、小学校5年の時、友達と一緒に北の丸で鬼ごっこしてて、あの公園の道はみんなそうだけれど、両脇が木立になっている細い道に入ったのね。そこでクスノキだったかなあ、高い木の陰に隠れたの。そしたら中年の男が私に近づいてきて、その見るからに異常な表情に身構えたけれど、なんだか声が出なくなってね。そしたら、その男、縁石につまずいて、ツツジかなんかの植え込みに顔から突っ込んで、傷だらけになって、目もやられて、ギャアとか言いながら、行ってしまったのよ。」
俺はピンと来た。
「そこ、詳しくはどこだった。」
「知ってるかな、近衛歩兵第一・第二連隊碑が在るところ。」
「やっぱり。」
「え?」
「俺の母方の爺ちゃんは、近衛兵だったんだよ。會津出身者なのに名誉この上ないことだって。軍服姿の爺ちゃんの写真、飾ってあるよ。」
「・・・もしかして、私を守ってくださった?」
「じゃないかな。DTsはお見通しだから、なんでも。蘭が将来俺と出会って、愛し合う女性になるって爺ちゃん知っていて、蘭を守ってくれたんじゃないかな。その時は<近>江の女性を<衛>る<兵>士になってくれたんじゃない。」
蘭は笑わなかった。
笑わぬどころか、泣き出してしまった。
俺も蘭を見ていて涙を抑えられなくなった。
俺は蘭を抱えて歩ませ、ベンチに座らせた。
「も、もう、ユウと私には未来がないのね。」
蘭がそう言って両手で目を覆いしばらく泣いていた。
俺は何一つ言えず、蘭の背中を撫でるだけだった。
(つづく)
第3部その28
蘭と俺は、再会してからこの6月まで半年の間、実は数回会っていた。
凛に内緒にはしなかった。もうそんなことは金輪際したくなかったから。
凛は、本当に信じ難いが、一切反対しなかった。
俺が蘭と付き合った年月のことをほぼ正確に打ち明けていたし、なにより凛は蘭への友情のような思いを抱いていたというのが大きかろう。「ダイアナの鏡」としての投稿内容が、凛を感心させ、興奮させていた。それがあって、蘭のたたずまいの良さにも、同性として、そして人間として、強い好印象を持ったのだった。
1月、俺と蘭は神楽坂で会った。
俺には「漱石病」罹患時の曰くつきの場所だったが、その病発症の最大原因であった蘭とこうして再会し、彼女と一緒だからこそ、俺は<思い出の塗り替え>のため敢えてそこで会ったのだ。
俺たちは地下鉄の出口で落ち合い、まずはその辺りを散策した。
蘭は神田の蕎麦屋の娘に生まれた。何代も続くチャキチャキの江戸っ子の家だ。
母親の実家が<やはり>滋賀県日野町で、神田とは大違いの田舎ぶりに母の一年一回の帰省で付いて行くたび強い郷愁を養われた。
その後、蘭の両親は離婚、蘭は母親と共に小6で狛江に引っ越した。母親は狛江とは何の縁もないと思っていたが、まず滋賀の故郷の川、日野川が好きであった彼女は、多摩川の近くに住みたいと思ったそうで、狛江市の物件を探しているうちに野川を見て一目惚れ、より日野川の風情に似ていたからだそうだ。
俺が蘭と付き合っている頃、この<近江つながり>については全く自覚していなかった。だから再会してから彼女と話していて必然的にその話題となって、蘭は俺のブログを読んでいてその一端は知っていたが、大いに縁の深さに驚き、さらに凛もその縁に連なっていることに感動もした。
さらに今度は俺が震えるほど驚いたのは、蘭の母親は熊野神社を厚く崇敬する人で、新宿十二社の熊野社への参詣を欠かさない人であるということだった。なんと、彼女は日野町のまさに熊野地区の出身だと言うのだ。綿向山南西部の麓の地区だ。もちろん熊野神社がそこに在る。
嫁いだ先の神田の蕎麦屋は当然のように代々神田明神の氏子だが、神田明神の宮司たちは熊野詣でするほどに日本最古の神道の真髄を畏敬している。それでも蘭の母は、千代田区にはない熊野神社を求めて、新宿(角筈)十二社の社へ通ったのだそうだ。そして離婚して狛江に暮らすようになっても、熊野神社を詣で続けていると。
あらためて俺はつくづく近江との縁が深いのだと思い知らされた。
俺たちは白銀公園の中に入った。
「私(あたし)はだから、町人町の神田はもちろん好きだけれど、北の丸公園で遊んだ口よ。」
蘭は言った。
「人工林とは云え、あそこが緑いっぱいなのはユウもよく知っている通り。皇居の生態系が北の丸にも移っているって感じがする。思いがけない生き物に遭ったりするから。
私ね、小学校5年の時、友達と一緒に北の丸で鬼ごっこしてて、あの公園の道はみんなそうだけれど、両脇が木立になっている細い道に入ったのね。そこでクスノキだったかなあ、高い木の陰に隠れたの。そしたら中年の男が私に近づいてきて、その見るからに異常な表情に身構えたけれど、なんだか声が出なくなってね。そしたら、その男、縁石につまずいて、ツツジかなんかの植え込みに顔から突っ込んで、傷だらけになって、目もやられて、ギャアとか言いながら、行ってしまったのよ。」
俺はピンと来た。
「そこ、詳しくはどこだった。」
「知ってるかな、近衛歩兵第一・第二連隊碑が在るところ。」
「やっぱり。」
「え?」
「俺の母方の爺ちゃんは、近衛兵だったんだよ。會津出身者なのに名誉この上ないことだって。軍服姿の爺ちゃんの写真、飾ってあるよ。」
「・・・もしかして、私を守ってくださった?」
「じゃないかな。DTsはお見通しだから、なんでも。蘭が将来俺と出会って、愛し合う女性になるって爺ちゃん知っていて、蘭を守ってくれたんじゃないかな。その時は<近>江の女性を<衛>る<兵>士になってくれたんじゃない。」
蘭は笑わなかった。
笑わぬどころか、泣き出してしまった。
俺も蘭を見ていて涙を抑えられなくなった。
俺は蘭を抱えて歩ませ、ベンチに座らせた。
「も、もう、ユウと私には未来がないのね。」
蘭がそう言って両手で目を覆いしばらく泣いていた。
俺は何一つ言えず、蘭の背中を撫でるだけだった。
(つづく)
2024-04-04 06:50
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