実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その20
ハイドレインジャ
その21
日が暮れて、凛と俺はクルマの中まどろんでいた。
クルマは町田市の多摩丘陵の、開発がまだされていない<奥地>、木立の陰ー
「昔太宰さんのこと、ちょっとだけ調べて、いわゆる『無頼派』の友人だった坂口安吾の、太宰の死を受けて書いた『不良少年とキリスト』を読んだことがあったんだ。」
俺は囁いた。
凛が俺の方へ顔を向けたようだった。
「そこで坂口さんは、太宰はローレライにしてやられた、とかって書いていたよ。」
「Loreley?」
凛がまたもや、そして今度はドイツ語を、美しく発音した。
「な〜じかは知〜らね〜ど、の。」
「あ〜、Ich weiß nicht, was soll es bedeuten, daß ich so traurig binね。」
「ハイネの詩なんでしょ。訳した日本人、原詩をできる限り忠実に映していて立派だなって思ったなあ。『なじかは知らねど、心侘びて』。ほら、漫画の原作を実写化するときに脚本家が無体にも改変して原作者を致命的に悲しませるってことがあるじゃない。だからこの『ローレライ』の日本語訳者、え〜と・・・。」
「近藤朔風ってあるわ。」
凛がWikiを読んでいる。
「そう・・・近藤朔風。」
「Goetheの『野薔薇』も訳しているみたい。」
「ああ、Sah ein Knab' ein Röslein stehn, Röslein auf der Heiden!」
「Schubert版。ユウさん、なかなかの発音ね。それにさすがはsinger、うまい。」
「童は見ぃたぁり、野中のばーらっ。」
凛はクスクスっと笑った。
「なにしろー」
「出たあ。」
凛がまた笑った。今度はキャッキャと。
「なにしろねー」
俺も楽しく続けた。
「太宰さんはローレライにやられたって。ローレライは『ささやく岩』って意味なんだよね、確か。ライン川の難所で、突き出た岩山、そこに船乗りたちを誘惑、temptし、結局<転覆>など水難に導く妖精ありって。」
凛は今度はギャハハと笑った。
「坂口安吾さんは、そのローレライは太宰さんにとって酒だった、と。もちろん心中相手の方のささやきも重ねてはいるんだろうけれど。凛にとっては、太宰さんが<ささやく紫陽花>になったってガ。」
「貫入場所はDTにとってはどこでもいいんでしょうけれどー」
と凛が言った。
「やはり、自分がDTになる前のゆかりの場所に求めるものなのかしらね。」
「そこを通る誰か、<波長>が合って、さらにいろいろな理由で4Dの世界により高次の世界から貫入して何かしら働きかけをせざるを得ない、あるいはそうしたい誰か・・・それが凛だったんだろうね。」
凛が体勢を直す音が聞こえた。
「あのときー」
凛が吐息混じりに言った。
「私はあの時確かに創作に行き詰まっていた。傑作をものしたいという意欲が、強迫観念っぽいものになってしまっていたと思うわ。肝心なのは自分が納得できるかということなのに、他者の評価ばかりを気にしていたの。今になれば愚かなことだって簡単に分かることだったのに、気づけなかった。自分で納得できて、かつ、他者も評価してくれる作品をどうしても産み出さなきゃって。」
「そりゃあそうだよ。」
俺は応えた。
「自分の納得だけだったら、それこそ『風の便り』の井原が言う、<心境未だし、ひとり合点なり、きめ荒し、生活無し、不遜なり、思想不鮮明なり、俗の野心つよし、にせものなり、自己陶酔に過ぎず、衒気、おっちょこちょい、気障なり、ほら吹きなり、のほほんなり>辺りを言われてしまうのがオチだもんね。それでも、それでもだよ、自分が納得できるかが決定的だよね。だから自分の藝術的基準を絶えず押し上げていかねばならない。」
「そうなの。」
凛は顔を窓外に向けたようだった。
「だからね、特に『生活なし』のところで、私は生きなければいけないって思ったの。まず私は経済的心配がない立場だった。いわゆる漱石の謂う『高等遊民』。生活感なんてまず皆無だった。だから、私のことば、私の作品に、まるでヒッグス粒子みたいに質量を与える<経験>が必要なんだって。」
「生活苦もあるかもだけど、恋愛のことかい、さっきの話から言うと。」
と俺は応じ、さらに続けたー
「ヒッグス粒子のような質量を与えるもの。でもさ、質量って<動きにくさ>なんだよね。人生経験、恋愛経験て、もしかすると自分を雁字搦めにしてしまうのかも。子ども、特に幼児の絵がすばらしいって思うとき、それは経験が限りなくゼロに近いからじゃないかって思うんだ。<さかしら>がないから、とも言えるかな。そんなのすばらしくないって言う中島義道さんや山田詠美さんみたいな人もいるけど。二人は動きにくさの中での思想や表現こそって思っているのかな。だとしたらマゾヒスティックだね。」
凛が俺を見つめているのを感じた。
さらに俺は続けたー
「この世の成り立ちにとってヒッグス粒子のおかげっていうのはあるんだろう。それどころかその粒子がなきゃ成り立たないっていうぐらいのもんなんだろう、俺はよくわからんけどね。ところでさ、凛、この世で、ヒッグス粒子が働かない、動きにくさ=質量がゼロのものって何だか知ってる?」
凛は少し黙っていたが、
「光ね」
と答えた。
ずっと低音量で流している俺「お気に入り」のポップスは、ちょっと前までBurt Bacharach作曲、Christopher Cross歌のArthur's Themeだったが、そのときはBeatlesのThe Wordになっていた。
(つづく)
その21
日が暮れて、凛と俺はクルマの中まどろんでいた。
クルマは町田市の多摩丘陵の、開発がまだされていない<奥地>、木立の陰ー
「昔太宰さんのこと、ちょっとだけ調べて、いわゆる『無頼派』の友人だった坂口安吾の、太宰の死を受けて書いた『不良少年とキリスト』を読んだことがあったんだ。」
俺は囁いた。
凛が俺の方へ顔を向けたようだった。
「そこで坂口さんは、太宰はローレライにしてやられた、とかって書いていたよ。」
「Loreley?」
凛がまたもや、そして今度はドイツ語を、美しく発音した。
「な〜じかは知〜らね〜ど、の。」
「あ〜、Ich weiß nicht, was soll es bedeuten, daß ich so traurig binね。」
「ハイネの詩なんでしょ。訳した日本人、原詩をできる限り忠実に映していて立派だなって思ったなあ。『なじかは知らねど、心侘びて』。ほら、漫画の原作を実写化するときに脚本家が無体にも改変して原作者を致命的に悲しませるってことがあるじゃない。だからこの『ローレライ』の日本語訳者、え〜と・・・。」
「近藤朔風ってあるわ。」
凛がWikiを読んでいる。
「そう・・・近藤朔風。」
「Goetheの『野薔薇』も訳しているみたい。」
「ああ、Sah ein Knab' ein Röslein stehn, Röslein auf der Heiden!」
「Schubert版。ユウさん、なかなかの発音ね。それにさすがはsinger、うまい。」
「童は見ぃたぁり、野中のばーらっ。」
凛はクスクスっと笑った。
「なにしろー」
「出たあ。」
凛がまた笑った。今度はキャッキャと。
「なにしろねー」
俺も楽しく続けた。
「太宰さんはローレライにやられたって。ローレライは『ささやく岩』って意味なんだよね、確か。ライン川の難所で、突き出た岩山、そこに船乗りたちを誘惑、temptし、結局<転覆>など水難に導く妖精ありって。」
凛は今度はギャハハと笑った。
「坂口安吾さんは、そのローレライは太宰さんにとって酒だった、と。もちろん心中相手の方のささやきも重ねてはいるんだろうけれど。凛にとっては、太宰さんが<ささやく紫陽花>になったってガ。」
「貫入場所はDTにとってはどこでもいいんでしょうけれどー」
と凛が言った。
「やはり、自分がDTになる前のゆかりの場所に求めるものなのかしらね。」
「そこを通る誰か、<波長>が合って、さらにいろいろな理由で4Dの世界により高次の世界から貫入して何かしら働きかけをせざるを得ない、あるいはそうしたい誰か・・・それが凛だったんだろうね。」
凛が体勢を直す音が聞こえた。
「あのときー」
凛が吐息混じりに言った。
「私はあの時確かに創作に行き詰まっていた。傑作をものしたいという意欲が、強迫観念っぽいものになってしまっていたと思うわ。肝心なのは自分が納得できるかということなのに、他者の評価ばかりを気にしていたの。今になれば愚かなことだって簡単に分かることだったのに、気づけなかった。自分で納得できて、かつ、他者も評価してくれる作品をどうしても産み出さなきゃって。」
「そりゃあそうだよ。」
俺は応えた。
「自分の納得だけだったら、それこそ『風の便り』の井原が言う、<心境未だし、ひとり合点なり、きめ荒し、生活無し、不遜なり、思想不鮮明なり、俗の野心つよし、にせものなり、自己陶酔に過ぎず、衒気、おっちょこちょい、気障なり、ほら吹きなり、のほほんなり>辺りを言われてしまうのがオチだもんね。それでも、それでもだよ、自分が納得できるかが決定的だよね。だから自分の藝術的基準を絶えず押し上げていかねばならない。」
「そうなの。」
凛は顔を窓外に向けたようだった。
「だからね、特に『生活なし』のところで、私は生きなければいけないって思ったの。まず私は経済的心配がない立場だった。いわゆる漱石の謂う『高等遊民』。生活感なんてまず皆無だった。だから、私のことば、私の作品に、まるでヒッグス粒子みたいに質量を与える<経験>が必要なんだって。」
「生活苦もあるかもだけど、恋愛のことかい、さっきの話から言うと。」
と俺は応じ、さらに続けたー
「ヒッグス粒子のような質量を与えるもの。でもさ、質量って<動きにくさ>なんだよね。人生経験、恋愛経験て、もしかすると自分を雁字搦めにしてしまうのかも。子ども、特に幼児の絵がすばらしいって思うとき、それは経験が限りなくゼロに近いからじゃないかって思うんだ。<さかしら>がないから、とも言えるかな。そんなのすばらしくないって言う中島義道さんや山田詠美さんみたいな人もいるけど。二人は動きにくさの中での思想や表現こそって思っているのかな。だとしたらマゾヒスティックだね。」
凛が俺を見つめているのを感じた。
さらに俺は続けたー
「この世の成り立ちにとってヒッグス粒子のおかげっていうのはあるんだろう。それどころかその粒子がなきゃ成り立たないっていうぐらいのもんなんだろう、俺はよくわからんけどね。ところでさ、凛、この世で、ヒッグス粒子が働かない、動きにくさ=質量がゼロのものって何だか知ってる?」
凛は少し黙っていたが、
「光ね」
と答えた。
ずっと低音量で流している俺「お気に入り」のポップスは、ちょっと前までBurt Bacharach作曲、Christopher Cross歌のArthur's Themeだったが、そのときはBeatlesのThe Wordになっていた。
(つづく)