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2024 年頭駄文 〜ふたつの故郷

新年あけましておめでとうございます。

東京は風が少し吹いているものの、日差しはまるで春。
「光の春」という冬の季語を用いるには早すぎなはずなのですが。

Mooさんが故郷富山のことを懐かしまないわけではないというようなニュアンスの
初ブログを書かれておられました。
その中、沖縄ご出身のお連れ合いは、沖縄に帰ることがidentityの確認になる、
一方自分や本土の人間が故郷に帰ってもそういうことにはならないという趣旨のことが。

そうですよね。
私が會津に帰ったところで、會津人のidentityを確認し、會津人魂をさらに燃やす
などということはないー
ただ故郷の山々、変わっていない風景、湿度などを含む天気、雰囲気を懐かしむことは
あっても、です。

元々「會津魂」などというものがあるなら、それは會津若松市内の、
戊辰戦争で親族などを失った旧・藩士の家庭に一部残るくらいでしょう。
人事で養われたspiritなどは実に特殊なものです。

それは「會津民族」などというものは存在しないからです。
會津は早くから、遅くとも古墳時代から、ヤマト政権に属していましたし、
何度も書いてきたように、戦国時代などには特に近江をはじめさまざまな「他国」の
人々の血が入ってきました。

むろんそれは豊かなことであったと私は思っています。
中世からの會津領主だった蘆名一族だって、元々は相模の鎌倉武士です。

幕末會津の宿敵長州藩だって、主君は毛利、毛利も相模が本貫でした。

ということは、本土のいろいろなところでその土地の「魂」を言い募っても、
結局はそれは総じて「大和魂」ということになる。
さてこの大和魂とは何か。
それはまた大きなテーマの話になってしまいます。

沖縄は今本土人も入ってはいますけれど、ウチナンチュ魂は健在でしょう。
沖縄の島民たちは、かなり純粋に培ってきた固有の文化・伝統を守ってこられた。
そこに「魂」を、identityを見つけても、不思議はありません。

私が會津に帰って慕わしいのは、やはり、その風景、雰囲気です。
たかだか18年しかいなかったとしても、母の胎内に宿ってからの体と心の記憶は
根付きが違うとしか言いようがない。

それでも、私は砧地域や狛江のそれらにも會津の故郷に負けぬ慕わしさを感じています。
もう半世紀近いほど暮らしてきたのですから。
初めてそのことを強く意識したのは、1997年、大阪で小さなコンサートをやってきての
帰り、今の成育医療センター(旧・大蔵病院)前を通った際でした。
娘がいる狛江・東野川の我が家へ帰る、という時でした。
私は疑いなくその頃はもう狛江に根付いていたのです。

ふたつの「故郷」を持てて、幸せです。


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