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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その4

ハイドレインジャ
その4

「成城2丁目の、どちら辺りなんですか。」

俺は思わずさらに突っ込んでしまった。
凛は怪訝そうな表情は一切見せず、むしろハキハキと、

「DCMってご存知?」

と言った。

「ええ、昔東宝日曜大工センターだったー」

凛は派手に笑って、

「古いですね〜。いつの頃の話でしたっけ?二千・・・」

「2010年までそうだったんじゃないかな。その後『くろがねや』になって。」

「ええ、そうでしたね。」

「そして今はDCM。DCMって何の略なんだろ。」

「Demand Chain Managementですよ。」

「え?」

俺は凛がその企業についてちょっと詳しく知り過ぎじゃないかと思ったし、あらためて英語発音のnativeぶりにも驚いていたー
いやむしろ気後れするほどだったー
俺が憧れる美しいBritishアクセントだったから。

「ぼ、僕はDaiku Center Moto(大工センター・元)かと思ってました!」

凛はポカンとしていたが、意味を解するや否や腹を抱えて涙を流さんばかりに笑った。
そして笑いがやっと収まって、

「その<大工センター・元>に比較的近い方の2丁目です」

と目頭を押さえながら言った。
俺はすぐにあの辺りかと思った。凄まじい豪邸街だ。

「すみません、立ち入ったことまでお尋ねしてしまって。」

俺は謝って、「それじゃ、今度こそまた」と言った。

「ええ、また。」

凛が応えた。

「砧公園、今紫陽花がとてもきれいですよ!」

と付け加えた。


***

俺は考えうる最も若いBeatles世代だ。5歳のとき彼らのデビュー曲をリアルタイムで聴いた。8歳上の長兄の受け売りだったが、以来その「Fab Four」の影響を受け続けてきた。いや、人生を決定づけられたのだ。

特にJohn Lennonからの影響を受けた。彼は、「天国も地獄も、国も、殺したり死んだりする必要も、宗教も、私的財産も、貪欲、飢餓もない世界を」と訴えたIMAGINEを、そして「The world is so wrong」という歌詞があるHappy Xmas (War Is Over)を1971年にソロになってから発表しているが、その時俺は多感な時期に入りつつあり、「やはりBeatlesは本当にpeace & loveのバンドだったのだ」と感激し、<Beatles教>の信者と言うべき者になった。

「世界はおかしい」、「世界は間違っている」ー
自由抑圧のソ連が崩壊し、多くの人々が抱いていた共産主義や社会主義への憧憬は雲散霧消したが、だからと言って放埒な自由主義経済がその多くの人々を救うはずもなかった。貧富の差は拡大し続け、大資本による途上国などでの搾取は止まらず、OECD加盟国でも二極化が甚だしくなり「中流」と思っていた人々がどんどんと貧困化し、ホームレスや薬物中毒、無差別殺人、自殺の蔓延・増加は大問題になっている。

凛が住むという成城2丁目は全体が高級住宅地だが、その中でも呆れるほどの豪邸が立ち並ぶ地区がある。そこは「DCM」というホームセンターから小田急成城学園前駅方向へ数百メートルというところに在る。凛はまさにその地区に住んでいるらしい。きっと藤原家は大富豪だろう。

俺は単純に知りたいと思ったー
凛のお父上がBeatlesファンなら、「Imagine no possessions」とIMAGINEで、「The world is so wrong」とHappy Xmas (War Is Over)でJohnが歌ったことをどう思っているのか。そしてもちろん、凛も。

いやいや、Beatlesファンだからその歌詞に必ず共感し、あるいはその通りに行動せねばならないなどと俺はちっとも思っていない。John自身も自分の偽善性に気づいていた、あるいは自嘲していたし、Paulなんかは世界の大富豪の一人で、「Peace, Love & Money」と言っても矛盾しない存在だ。

しかし、例えば<地球人>が抱える貧富の極端な格差、経済的不平等について、BeatlesあるいはJohnのファンであるなしに関わらず、どう考えているのか、どう対処すべきと思っているのかー
それについて知りたいと思うのだ。無責任なことに俺には解決法なんてちっとも浮かばないけれど。

*

凛との俺にしては劇的な出会いをした翌日、小雨が降る早朝4時、「今日は凛さん、さすがに走りには出ないかな」と思いながら、俺は傘をさしていつも通りに家を出た。

それでもやはり彼女と出会うことを期待していた。俺のウォーキング・コースは数通りあるが、前日と同じコースを取ったのだ。

『七人の侍』のいくつかのシーンが撮影された仙川べりを歩いていた。ここに来ると必ず、志村喬さん、三船敏郎さん、そして大好きな「久蔵」の宮口精二さんのお顔が浮かんでくる。その映画の戦闘シーンほど激しい降りではなくとも、雨の中、ますますかの偉大な俳優たち、そして黒澤明監督のことが慕わしく思えた。東宝スタジオから数百メートル下流の地点だ。

夢想状態で茫っとしていると、「おはようございます!」という元気のいい声にハッとするー
凛だ。


(つづく)


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