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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その2

ハイドレインジャ
その2

俺は戸惑うばかりだった。
そりゃそうだ。
声は発せず、表情だけで、何がおかしいのか、あるいはなにゆえのfriendlinessなのかその女性に訊く。

「ごめんなさい、突然に!」

女性はにこやかなまま詫びた。

Evil Womanでしたよね、歌ったり、口笛で吹いていたの。」

俺は目をパチクリさせて、「え、ええ」とだけ言った。

「ELOの。私の好きな曲でしてね。」

「ああ、そうですか。」

俺は合点が行きつつも、事態の唐突さに心がまだまだ乱れていた。

「Hey, hey, hey, heyって歌われてから、ストリングスの高いCの音が口笛で出せなくて、その音がなんだか切なくて。」

女性は眉と目尻を下げ、口を閉じてスマイルマークのような顔をして言った。

「その後、I thought I saw love smiling in your eyesの歌詞、とてもスムーズに唄われて!あら、この人、ちょっと日本人かしら、なんて思ったりして。」

「はあ。」

俺は意味なく頭を掻いた。そしてその女性が相当の英語話者であることも知った。

「ごめんなさいね、失礼ですよね、見知らぬ方にこんな親しげに話しかけてしまって。」

彼女はそう詫びて、一旦ジョギングを再開しようとしたのだが、すぐ振り返ってこう言った。

「あの、私は藤原凛(ふじわら・りん)と申します。『りん』は古くも新しくも響く名前ですけど、漢字は、<りん>とした空気、とかの凛です。成城の父母の家に最近戻ってきて、以来ジョギングや散歩でこのコースを使ってて。もしかするとまたお会いするかもと思い、一応自己紹介させていただきました。」

「ああ、それはご丁寧に。」

俺は初めてにこやかな顔をしながら返事をした。

「私は野澤熊(のざわ・ゆう)と申します。『ゆう』はなんと<熊>なんです。熊の音読みでして。」

「まあ、珍しい!」

凛は本当に驚嘆している表情で言った。

「ドイツ語圏なんかではオオカミ、wolfを男の子の名前につけるとは聞いていましたけど。」

「ああ、Wolfgangですね。Wolfgang Amadeus Mozartとか。」

「そうそう!狼戦士で神の愛(Amadeus)を受けたモーツァルト!」

凛は嬉々としている。

「私の場合は、父が熊野信仰を持っていて。あの紀州・和歌山の。出身は會津なんですけどね。ドイツ流で言えば、Bär、あるいはBärgangかな。なにしろ子どもの頃からみんなにクマとかクマ公とか言われて、散々です。」

「まあ、おもしろい!」

凛はその後の話も期待する表情を見せている。
俺は、初対面の人とどこまで初会話を続けたらいいのか分からず少し困ってしまい、間を置いた。
凛はその俺の戸惑いを察知し、複雑な微笑みをたたえて、

「あら、長話になってしまって!」

と言い、

「またお会いするかもしれませんね。Bye for nowっていう感じですかね」

と続け、「では」と言って大蔵運動公園の方へと走り出した。

「じゃあ。」

俺は「また」をつけないで別れの挨拶をした。

「俺もそっち方向なんだけどな。」


(つづく)



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