実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その18
ハイドレインジャ
その18
「ユウさんなら信じてくださると思うんですけどー」
凛が歩みを止めて言った。
「次元の貫入部分を私、感知できるんです。そしてその境を出入りする存在が知覚できるんです。」
俺はもちろん全く戸惑わなかったとは言わないが、俺自身もそういう能力がもしかするとあるんじゃないかと思ってもいたし、凛はそういうことを俺がブログに書いてきたのを読んでいたのだろうと思ったから、
「ええ、もちろん信じます」
と凛を正面に見てキッパリ応えた。
凛は頷いて、
「私、その中年男性は太宰治、津島修治だと直感しました」
と言った。
俺は驚かず、うんうんと頷いた。
「顔が似ているとか、そういうのはわからなかったの。まず第一に暗かった。そして表情が見えそうで、有名な自裁前のいかにも病気な顔に似ていると思うと、津軽時代の少年の彼の、彼自身が忌み嫌った嘘笑いの顔になったり、そんなふうに、くるくる顔が変わっているように見えたの。マント様のものを着ていたりしていたから、まるであの中国の変面みたいだった。
それでね、私はファンとは言えないって即座に答えたんです。」
凛がそう言って、頬を両手で覆った。
「『正直でいいね』って<次元超越者>は言いました。少し訛っていてね、素朴な響きでした。『そんでも太宰ってぇ名前は知ってんでしょ』って。それは、その人は昭和初期を代表する文豪として認められていますから、って言いました。
『君は太宰の作品は読んだことがあるのかい』とさらに問うてきたんです。私は、『ダス・ゲマイネ』がおもしろいと思いましたって答えました。筋と言うより、その題名が青森の南部弁と太宰さんのお里、津軽弁の混交だという<んだすけ、まいね>のモジりだと知って、それはinteressant(ドイツ語でinteresting)だとまず思い、さらにgemeinというドイツ語は英語にすればmeanであって、このmeanもgemein同様に、卑しい、通俗なという意味と、平均という意味があることに感動したというのがありましてって言うと、次元超越者は、『君は語学がよくできるね。僕はフランス語を少々齧った。ドイツ語は、高等学校と大学で第二外国語として習ったに過ぎんのだよ』って。ますます私はこの次元超越者、dimension-transcenderは、太宰さんだって確信したの!
『そんでも、小説としておもしろがってくんねぇとな』ってDTは、Dimension-Transcenderは言ったわ。私は、青森では<んだすけ、まいね>が<そうだから、ダメなんだ>という意味で、そしてドイツ語的にはそれが<卑しさ>に聞こえる点に着目し、芥川賞を逃した痛憤をユーモアにしてその作品に託した太宰さんには敬意を持っていますわって言ったんです。『そうか、そうか』ってDTは喜んだわ。」
凛はベンチを見つけて、そこへ座りましょう、と言った。ベンチは少し湿っているようだった。凛はビニールのシートを持っており、それを敷いた。さらにサーモを取り出し、俺にコーヒーを注いでくれ、彼女も持参のカップに注いだ。
「私はね、その頃二十代、大学を出て、何かしらの表現活動で生きていきたいって思っていたの。」
凛はコーヒーを一口飲んで、フウと息を吐いてそう言った。
「その日会いに行ったR女学院の教師をしている友人とは、Londonで知り合ったの。彼女と英国人の仲間とでバンドを組んでいたんです。ロンドンとその周辺風景を動画で撮って、それをバックに私がその風景にまつわる短編小説を書き、朗読し、節目節目で私たちのオリジナル曲をinsertするというスタイル。」
「へえ、そりゃあいいね!」
俺はすぐに模倣したい形式だと思った。
「ところが結局なんだかんだでうまく行かず、私もそのR女学院の子も日本へ帰国っていうことになったんです。悔しさは残っていて、帰国してすぐにR女学院の教師になったPaulie、nicknameだけれど、Paulieに残務整理したいから彼女が管理を担当した楽譜なんかのペーパー類を私が預かりたいっていうことで彼女を訪ねたんですね、その日は。
それでね、今考えると不思議なんですけど、私、電車に乗っている間に読む本をなぜか太宰さんの『風の便り』にしたんです。この小説のことは先日も話しましたよね。
理由は本当にさっぱりもう思い出せないんですけど。でもね、その小説に出てくる木戸一郎という中年作家が、老練先輩作家たちから受けるネガティヴ批評の、鋲の礫みたいな形容のことばに私、小田急の電車の中だったか、井の頭線の電車の中だったかで、打ちのめされて!」
そう言って凛はスマートフォンで『風の便り』を検索し、当該部分を読み出した。
「<心境未だし、デッサン不正確なり、甘し、ひとり合点なり、文章粗雑、きめ荒し、生活無し、不潔なり、不遜なり、教養なし、思想不鮮明なり、俗の野心つよし、にせものなり、誇張多し、精神軽佻浮薄なり、自己陶酔に過ぎず、衒気、おっちょこちょい、気障なり、ほら吹きなり、のほほんなり>。」
(つづく)
その18
「ユウさんなら信じてくださると思うんですけどー」
凛が歩みを止めて言った。
「次元の貫入部分を私、感知できるんです。そしてその境を出入りする存在が知覚できるんです。」
俺はもちろん全く戸惑わなかったとは言わないが、俺自身もそういう能力がもしかするとあるんじゃないかと思ってもいたし、凛はそういうことを俺がブログに書いてきたのを読んでいたのだろうと思ったから、
「ええ、もちろん信じます」
と凛を正面に見てキッパリ応えた。
凛は頷いて、
「私、その中年男性は太宰治、津島修治だと直感しました」
と言った。
俺は驚かず、うんうんと頷いた。
「顔が似ているとか、そういうのはわからなかったの。まず第一に暗かった。そして表情が見えそうで、有名な自裁前のいかにも病気な顔に似ていると思うと、津軽時代の少年の彼の、彼自身が忌み嫌った嘘笑いの顔になったり、そんなふうに、くるくる顔が変わっているように見えたの。マント様のものを着ていたりしていたから、まるであの中国の変面みたいだった。
それでね、私はファンとは言えないって即座に答えたんです。」
凛がそう言って、頬を両手で覆った。
「『正直でいいね』って<次元超越者>は言いました。少し訛っていてね、素朴な響きでした。『そんでも太宰ってぇ名前は知ってんでしょ』って。それは、その人は昭和初期を代表する文豪として認められていますから、って言いました。
『君は太宰の作品は読んだことがあるのかい』とさらに問うてきたんです。私は、『ダス・ゲマイネ』がおもしろいと思いましたって答えました。筋と言うより、その題名が青森の南部弁と太宰さんのお里、津軽弁の混交だという<んだすけ、まいね>のモジりだと知って、それはinteressant(ドイツ語でinteresting)だとまず思い、さらにgemeinというドイツ語は英語にすればmeanであって、このmeanもgemein同様に、卑しい、通俗なという意味と、平均という意味があることに感動したというのがありましてって言うと、次元超越者は、『君は語学がよくできるね。僕はフランス語を少々齧った。ドイツ語は、高等学校と大学で第二外国語として習ったに過ぎんのだよ』って。ますます私はこの次元超越者、dimension-transcenderは、太宰さんだって確信したの!
『そんでも、小説としておもしろがってくんねぇとな』ってDTは、Dimension-Transcenderは言ったわ。私は、青森では<んだすけ、まいね>が<そうだから、ダメなんだ>という意味で、そしてドイツ語的にはそれが<卑しさ>に聞こえる点に着目し、芥川賞を逃した痛憤をユーモアにしてその作品に託した太宰さんには敬意を持っていますわって言ったんです。『そうか、そうか』ってDTは喜んだわ。」
凛はベンチを見つけて、そこへ座りましょう、と言った。ベンチは少し湿っているようだった。凛はビニールのシートを持っており、それを敷いた。さらにサーモを取り出し、俺にコーヒーを注いでくれ、彼女も持参のカップに注いだ。
「私はね、その頃二十代、大学を出て、何かしらの表現活動で生きていきたいって思っていたの。」
凛はコーヒーを一口飲んで、フウと息を吐いてそう言った。
「その日会いに行ったR女学院の教師をしている友人とは、Londonで知り合ったの。彼女と英国人の仲間とでバンドを組んでいたんです。ロンドンとその周辺風景を動画で撮って、それをバックに私がその風景にまつわる短編小説を書き、朗読し、節目節目で私たちのオリジナル曲をinsertするというスタイル。」
「へえ、そりゃあいいね!」
俺はすぐに模倣したい形式だと思った。
「ところが結局なんだかんだでうまく行かず、私もそのR女学院の子も日本へ帰国っていうことになったんです。悔しさは残っていて、帰国してすぐにR女学院の教師になったPaulie、nicknameだけれど、Paulieに残務整理したいから彼女が管理を担当した楽譜なんかのペーパー類を私が預かりたいっていうことで彼女を訪ねたんですね、その日は。
それでね、今考えると不思議なんですけど、私、電車に乗っている間に読む本をなぜか太宰さんの『風の便り』にしたんです。この小説のことは先日も話しましたよね。
理由は本当にさっぱりもう思い出せないんですけど。でもね、その小説に出てくる木戸一郎という中年作家が、老練先輩作家たちから受けるネガティヴ批評の、鋲の礫みたいな形容のことばに私、小田急の電車の中だったか、井の頭線の電車の中だったかで、打ちのめされて!」
そう言って凛はスマートフォンで『風の便り』を検索し、当該部分を読み出した。
「<心境未だし、デッサン不正確なり、甘し、ひとり合点なり、文章粗雑、きめ荒し、生活無し、不潔なり、不遜なり、教養なし、思想不鮮明なり、俗の野心つよし、にせものなり、誇張多し、精神軽佻浮薄なり、自己陶酔に過ぎず、衒気、おっちょこちょい、気障なり、ほら吹きなり、のほほんなり>。」
(つづく)
2024-01-27 19:34
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