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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その1

*私の地元を舞台として、小説をものしたいと思っています。何が「新形態」かと言うと、この小説の語りを録音し、効果音とオリジナル曲を挿入、さらにバックグラウンドには私が好きな地元の<山河>(?)、街風景が動画、静止画で常に映し出されている、という点です。むろん、形式としては真新しいわけではありませんが、小説、語り、挿入音楽、映像が全て一人の作者(編集はKに頼ると思いますが)によるというかたちはおそらく他にないものだろうと思っております。


ハイドレインジャ
その1

それは6月のある日、早朝4時、夜明け前まで降っていた五月雨は上がっており、俺はいつも通りウォーキングに出た。

俺の家は世田谷区砧8丁目に在る。仙川という名の川の河岸段丘と言っていい、少し小高い場所に建つ、一応ささやかな庭もある家だ。砧8丁目は完全な住宅地だ。夏至前の午前4時、すっかり明るくなっているが、近隣の人はまだまだ夢の中というところか。7丁目方向、東宝のスタジオへ通じる道周辺には人っこ一人いない。クルマもほぼ全く通らない。

俺はこの道が好きだ。Beatlesのラスト・アルバムAbbey Roadのジャケット写真の通りと少しだけ似ている。

雨上がり、なにしろ蒸す。日も差してきた。
俺は寒さより暑さが身に堪えるほうだ。早朝ながら、そしてTシャツ・短パンといういでたちながら、歩き出して数分で噴き出してくる汗を拭いつつ、「あ〜、不快だ。夏至どころか、早く冬至が来い」などと独りごつ。

しかしどうだ。
近隣のお金持ちの家々は今多くがその庭や玄関前を紫陽花で飾っており、そのひとつひとつの色彩、形状が異なっていて、なにしろ美しく、また「和して清し」の清々しさを湛えているから、蒸し暑さの不快さは軽減されるようだ。

7丁目、ウルトラマンの円谷プロが在った辺りを通ると、必ず俺は「ウルトラセブン」のテーマ曲のイントロ・メロディーを口笛で吹く。
小学生の頃、會津の田舎にいてリアルタイムで視聴し、胸躍らせたこのブラスの前奏。半世紀近くを経て、夢を見させてくれた映像制作会社が在った場所を歩いている自分ー
そして子どもの頃から十数年後、このオープニングテーマ曲を作った作曲家と、あるアニメで共に音楽を担当する立場になるという信じられない僥倖に恵まれた自分ー
その過去と今を、ほんの少しではあるが、いつも省み、また想うのだ。

その子どもの頃、爺さん婆さんの早起きに畏れ入ったものだった。老人は眠くならないのかとすら疑った。今自分がとうとうその老人の域に達し、午前3時には起きて、4時には歩いていることに苦笑する。そして老人の早起きは、一回の眠りの時間が短くなってしまうことによる睡眠パターンの乱れのせいであることも身を以て理解しているのだ。

「雨が止む」ことを英語では「the rain lets up」という。
「let up」とはなんという優しい響きだろう。大学生の時このidiomの意味とその音に感激した自分を思い出す。
「letは語源的にはleaveに近いんだったなあ。『放っておく、自然の成り行きのままにする』というニュアンスだ。let upは、雨がfall downしていたけれど、なりゆきでup、つまり<上がった>状態になることなんだ。」
そう知識をブラッシュアップして、ひとり満足する。

「ああ、Let up on me, now, please, babe」なんていう出だしの歌詞の歌を作ったなあ!」

雫をのせた青紫色の紫陽花を間近に見ながら、俺はその歌The Lilaceous Rainを歌い出す。

「let up onは、誰かにキツイ態度をとっていたのを<緩める>というidiomだ。
雨に打たれていた者が、天に赦されて、雲間に日差しを見るようなイメージだ。
なんというすてきな言い回しだと感激した30歳くらいの自分を思い出すなあ。」


俺は東宝スタジオを右手に見て仙川を渡る橋の辺りでイヤフォンを取り出し、YouTubeで作った自分が好きな楽曲リストを「シャッフル」でかけ始めた。
世田谷通りを横断し、仙川沿いを歩く。
左手の、柳家喬太郎が小学校低学年まで住んでいた大蔵団地は、今ほぼ全棟が取り壊され新しく賃貸マンションとなりつつあり、一帯が整備され、また仙川の河岸段丘の木立もしっかり残されているので、歩いていて気持ちの良い土手道となっているのだ。
映画『七人の侍』のロケ地のひとつだったとはとても思えないほど変貌してしまったけれど、自然と住宅地の調和ぶりとしては及第点をつけていいのではないかと俺は思う。

しばらく歩くと、左側に新しくできた、河岸段丘をトラバースして上る道路がある。そこは近隣住民くらいしか存在を知らないから、滅多に人やクルマに出くわさない。ましてや早朝、緑濃い木立に囲まれた坂をたった独り歩いていると、時刻に似つかわしくない曲が始まった。ELO(Electric Light Orchestra)のEvil Womanだ。

ピアノとストリングスによる間奏終わり、シンセサイザーによる、フェイザーがかかったストリングスのフレーズがある。そのメロを俺は口笛で同時に吹いた。そして2分足らずで曲が終わった時、俺は坂道の終点大蔵3丁目の丘の上に辿り着いた。

すると、「ふふふっ」という笑い声が背後で聞こえたのだ。

振り向くと、四十代後半くらいの、ジョギング・ウェアをまとった女性が俺をにこやかに見つめているではないか。


<つづく>



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