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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その25

ハイドレインジャ
その25

俺は「Hannah Lynn」と凛のリクエストに応えて呼び、

「NigelのおばあさんもHannahという名前だったんだね。」

ポツリと言った。

「それも私に関心を持った大きな理由だったみたい。」

「関心・・・。」

俺は気を取り直し、できるだけ明るめな声調で、

「で、ふれあい広場下のNigelとの話し合いというのは?」

と訊いた。

凛は、Earl Greyではなく今度は無糖のキャラメル・ティーにするがどうかと俺に尋ねる。俺はEarl Greyのままがいいと返事して、彼女はキッチンへ歩いて行く。
帰ってきて、カップをテーブルにふたつ置き、凛は、

「やり直したいって話だったわ」

と言い、キャラメル・ティーをひと口音を立てず啜った。

「バッハラッハのことがあって、Nigelは音楽家として、人間として、一皮剥けたの。そう、その時は思えたの。汎神論は自然の保全にもつながり、ecologicalな姿勢で、まさに環境音楽というべきジャンルに入って行ったわ。間もなく私は彼と結婚したの。新居は母のChelseaの家の近くのフラット。

その5年ほど後、彼は北欧の環境保護団体の招きでストックホルムで演奏をしたの。私はついて行かなかったのね、所用があって。そして彼はあちらで恋をしたのよ。お定まりと言っていいのか、ブロンドの長身女性と。その女性も汎神論者で、ランドヴェーッティルという山川草木に棲む精霊の存在を信じていてね。彼はコンサートが終わっても、アイスランドを含む北欧をその女性と旅して、数ヶ月も帰って来なかった。私には音楽のモチーフを探す旅だとか言って。まあ、それは嘘ではなかったのだけれど。」

凛は苦々しく笑った。

「彼に恋人がいるのを知ったのは、なんと、その女性、Miaというのだけれど、そのMiaが、私が父母と南仏に行っている間にNigelに連れられ私たちの家に来て、なんと、しばらく二人は一緒に暮らしていたのよ。私が南仏滞在中Cambridgeの大学院の先生にあることで呼ばれて、さらに父母二人きりにするのもいい案だと考えて、予定より早くロンドンに戻って発覚したことよ。Nigelには家に置き手紙をしておいて、彼はそこに書いてある私の帰国予定日前までならMiaと一緒にいられるって思ったのね。

まあ、鉢合わせした時の阿鼻叫喚は想像に難くないでしょ?まるで私は、ある日突然我が家でYoko Onoが屈託なくJohnと一緒にいるのを目撃したCynthiaだったわ。私はNigelのどんな言い訳も聞かなかった。すぐに別れたわ。そして私は日本の聖公会系L国際大学に非常勤で職を得て、成城へ戻ってきたのだけれど、父がその後亡くなり、母は再婚してロンドンにそのまま暮らし、その母も3年前亡くなって。ロンドンと東京の行き来は終わり、成城の家だけに住むようになったの。

Nigelはきっと母の葬儀で私の親戚か誰かからこの成城の家のことを聞いたのね、3年前の、そうちょうど今頃ね、突然私を訪ねてきたの。簡単に言えば、復縁を迫ってきたの。」

「しょーもねー野郎だな・・・おっと失礼、言葉が汚い。」

俺は心底腹が立っていた。

「Swedish girlとはどうなったの?飽きたか。」

「きっとその子ともanother girlができてとっくに別れていたんじゃないのかしら。

Another girl who will love me till the end
Through thick and thin she will always be my friend

って感じ。Paul McCartneyの歌そのもの。」

「『Till the end』って、ハハ。」

俺は嘲笑した。

「『Till I die』じゃないところがミソだよね。Paulもそう歌詞を書いて笑っていたはず。この『最後まで』は<関係が終わるまで>って解釈できる。その関係を終わらせるのは、Paulなんだ。」

凛は「笑えないわ」と言って、それでも笑った。

「Nigelは結局アーティストとしても行き詰まっていて、私と復縁できたら東京を中心にして音楽活動をしたい、『大昔のQueenのようにまず日本で認められて世界へ』みたいなことを言ってね。もちろん私の財産も当てにしていたんだと思う。一体バッハラッハの体験は何だったのか。つくづく私は人を見る目がなかったと思い知らされたわ。

一方的な望みばっかり、あの蚊が出るベンチで語ってね。そう、彼は汎神論の補強だとか言って、熊野古道を歩いてみたいとか言って、私を誘うのよ。なんでも神仏混淆だか、山伏になって理趣経の真髄を熊野の山々を駆け巡って知りたいとか言って、まったくー」

「おいおい!」

俺は思わず語気荒く凛の話を遮った。

「熊野様のことになっちまうと、俺は黙っていられねぇぜ・・・ごめん、言葉がまた・・・。
しかしね、冗談じゃないよ。Nigelの口から出まかせの続きに熊野様が出てくるなんて。」

「でもね、そのときなのよ、思い出したわ、今!」

凛が目を見張るようにして言った。

近くの紫陽花の根本あたりから声がしたの、私にだけ聞こえる。

「紀伊・熊野との縁は、後に現れる男との縁が結ばれるまで探ってはならぬ、って。そう、そう聞こえたのよ!不思議、どうしてそのことを忘れていたのかしら!」

俺はゴクリと唾を呑んだ。

「それって・・・俺のこと?」

「Who else?」

「そのお告げは誰が?太宰じゃないよね。」

「それはないでしょう。
なにしろNigelは私が突然びっくりしているのにびっくりして、What's wrong、What's wrongって言って。私は決然と言ったのよ、

Someday, at the right time, I'm gonna go to Kumano, but NOT with you.
If you really want good company, look for her around Shibuya or Shinjuku.
You're absolutely always good at getting off with a girl.

そして私は駆け出し、逃げたわ。
彼は追ってくることも、再び私の家に来ることもなかった。」

「きっとその紫陽花の根本からの声が今度はNigelにも聞こえて、追っても無駄だって言われたんだろうよ。」

俺はそう言って、

「Stewいただこうかな」

と凛の手を取り、一緒にキッチンへ歩いて行った。


(つづく)



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