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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その18

ハイドレインジャ
〜第2部その18

ぬれてほす山路の菊の露の間にいつか千とせをわれはへにけむ

家康がこの寺へ贈ったという自らしたためた和歌が俺の頭の中で鳴り響いた。
これは9世紀後半から10世紀初め頃の僧侶であり歌人でもあった素性(そせい)法師の歌だ。彼は桓武天皇の曾孫だという。「三十六歌仙」の一人。

「露」が文字通りの水滴と、「ほんの少しの」というダブルミーニングになっている。そしてその和歌の心は、山道を歩いていて野菊についている露に裾が触れて濡れてしまい、それを干しているその一瞬が千年にも等しく思えるという<悟り>のような境地だ。なんという歌心、詩心だろう。

この歌を本当に家康が西光寺に贈ったのなら、その心は何だろう。


凛が、「ああ、見える!境内に咲く紫陽花の花の奥に!」と言い、体を震わせる。
「何がだい?」と俺は訊く。

「金山。」

「え?金山?」

「きっと私のご先祖よ。12世紀に近江から平泉へ招かれた私の祖先の鋳物師がいたでしょう?その10数代後の子孫が蒲生氏郷と共に會津に入って、金山開発と鋳造に携わっているの。」

「ああ。會津藩の版図には金山があったというね。安達太良山南麓の高玉鉱山、會津若松市内の朝日鉱山とか。莫大な量の金が採れたって聞いたことがある。俺は氏郷の故郷滋賀県蒲生郡日野町へ行ったことがあるって話したよね?近隣の東近江市の正に<鋳物師町>に古代の蒲生氏が建立し、後に蒲生氏郷が再建したという竹田神社が在ったんだ。」

「キャアア!」

凛が叫ぶ。

「藤原秀郷よ!」

「なんだ!時代が違うぞ!なんで分かるの?」

「ムカデと戦っているわ!」

「ああ、近江・三上山での百足退治の伝説か。琵琶湖湖底に住む大蛇、竜女が百足に悩まされており、その願いを叶えて、秀郷が弓で退治し、感謝されたという。」

「蒲生家はその藤原秀郷から七代目蒲生惟俊が興したって。」

「誰が言ってるの?」

「蒲生氏郷さんご本人!」

「ええ?そうか、その紫陽花の株の奥、そんな映像が見えているんだね、Hannah Lynn!」

「ええ。」

「じゃあ、氏郷さんご本人に訊きたまえ、なにゆえこの西光寺を愛されたのか。」

「竜女と会ったからじゃ!」

「・・・へ?Hannah Lynn、氏郷様に憑依された?」

「大丈夫。ただ口伝えしているの。」

「そっか。続けて。俺にはなぜか全く見えない、聞こえないから。」

「ええええっ?!」

「どうした!」

「わしが領内視察で越後上杉領に接するここ上野尻や津川(=阿賀町、麒麟山城が在る)に来るとなー」

「おお、すごいシャドーイング!」

「下野尻から津川までの、それはそれは険しい山道に難儀したのじゃ。」

「ああ。車峠や鳥居峠でございまするな。」

「さよう。麒麟山城は狐戻城とも言われる峻険な山城で、そこまでの行き帰り、わしはこの西光寺で休んだのじゃよ。」

「なるほど。」

「この寺の当時の方丈様には実に美しい娘がおった。この娘のことを尋ねると、方丈様は自分の子ではないと言われる。上野尻の少し會津若松方向寄りに芹沼という村があって、その名の通り沼が在ってのぅ、そこには大蛇が棲むと言うのじゃな。」

「藤原秀郷公の琵琶湖・瀬田の橋のエピソードに似ていますな。」

「うむ。ある日方丈様が芹沼の檀家へ用事で出かけると、思いがけず長居をしてしまい、暗い中を歩くはめになり、そのとき、蛇を踏んでしまったと言うのじゃ。」

「あら、ますます話が似ている。」

「もとより法力盛んな方丈様は、慌ても恐れもせず、ただすまぬ、すまぬと蛇に謝ったそうじゃ。するとその蛇が大蛇となって威嚇しさらに方丈様のお力を試すようだったと。」

「ほう。」

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と方丈様が唱えられると、あら不思議、大蛇は美しい女性(にょしょう)に変身する。そして沼から己の娘を呼び寄せる。」

「それがー」

「そうじゃ。寺にいた娘じゃ。母親が言うには、沼のそばには大ムカデがおって、しばしば諍いを起こすと。娘が大ムカデの餌食になってしまうのが恐ろしくてしかたがないから、方丈様にぜひ預かっていただきたいと請い願ったそうじゃ。」

俺は唸った。

「その娘にわしが出会ったときはもう年頃十六、あるいは十七というところでの。」

「番茶も出端のちょっと前。」

「そうそう、実にまあ肌に張りもあって・・・って、おい。」

凛は情けない表情をする。

「と言うわけで、わしは西光寺に寄るのが楽しみになったのじゃ。もちろんその娘に会えるのもそうであったが、話が我が25代前の偉大なる祖、藤原秀郷、俵の藤太の百足退治のにさも似ておるからなあ。わしがその蛇を助けたわけではないものの、それならば事後お助けしようと、西光寺に寺領を与えたのじゃ。」

「そうだったんですか。」

俺は大いに納得した。

「で、その娘さんの名は?」

「うん、小笹と言った・・・・小笹っ!!!」

シャドーイングしていた凛が卒倒しそうになった。


(つづく)



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