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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その23

ハイドレインジャ
その23

どちらの家へ行くかは、結局先に着く方ということになった。
普通の道順で行けば、町田市の多摩丘陵地区からは成城2丁目の方がほんの少しだけ近かった。

凛の豪邸にはクルマが3台駐められる。車庫にあったのは1台だけ。白いMiniだった。

「愛車?」

「ええ。世田谷を走るのには小さいのがbestだから。」

クルマを降りて、駐車場から前庭に出た。

「あの数寄屋風の格子戸、通りたかったなあ。」

俺がそう言うと、「セコム解除したからいいわよ」と凛。
俺は格子戸を内側から開け、一旦外に出て、慎ましい感じでところどころ照明が施されている豪邸を正面から眺め、また格子戸の玄関から入って前庭のアプローチへ。凛が玄関のところで俺をにこやかに見ていた。

「すごい家だなあ。」

俺は広い三和土に入って嘆声を上げた。

「和洋折衷ぶりが絶妙だ。品がいい。」

「父母の趣味よ。私も好き。」

凛はそう言って、俺のためのスリッパをきちんと揃えて上り口に置いてくれた。
俺はそれを履くや否や凛を抱きしめた。凛も強く抱き返してくれた。

俺は熱情が冷めぬまま、ちょっとフラつきつつリビングに入ると、「何十畳あるんだ、ここは!」と凛には聞こえないように言い、絶句した。家具の趣味のいい配置、照明具合、すべてがclassyとしか言いようがない。奥の方はダイニングルームに接続していて、カウンターキッチンが見える。

「お昼に食べてからだいぶ経つわね。何か食べたいものがあれば作りましょうか。」

凛が訊いた。

「いや、そりゃ手間だろう。」

俺がそう言うと、

「朝に作っておいたstewがあるわ。それとバゲットでいい?」

俺は一瞬、凛は俺がここに来ることになると想っていた、あるいはそうするよう導くつもりだったのかと思ったが、もちろん口は出さなかった。

「最高じゃん。ただ、まだいいよ。さっきの話、まず聴きたいな。」


凛が「Earl Grey飲める?」と俺に訊いて、俺はまたアホみたいに「最高じゃん」と答えた。<遠くに見える>キッチンにいる凛を見つつ、俺はダイニングのテーブルへと移動した。凛のことをずっと見つめている。夢じゃないのかと思わざるを得ないような時間だった。

カップをテーブルに置いて、

「ユウはブログでsynchronicityのことも書いていたし、なんら不思議は感じていないでしょう?」

と凛が言った。

「え?」

「ユウが話してくれた坂口安吾の太宰自死について書いたものにローレライが出てくる・・・そしてクルマの中ではBurt Bacharachの歌が流れ、私が話すつもりだった、あるいは、話さねばならないNigelとのドイツ・ラインラントのバッハラッハ、ローレライでの思い出、出来事が、同時的につながっているのよ。」

「そ、そうだね。」

俺はそう応じて、Earl Greyの香りを嗅ぎつつ、波立ち始めた心を無意識に静めようとした。

凛はしばらくEarl Greyを飲みながら黙っていたが、

「私ね、半狂乱のNigelに言ったの、言い聞かせたのー

(For) if anyone thinks himself to be something, when he is nothing, he deceives himself.
(何者でもない者なのに、己を一廉の者だと見做すなら、彼は己を欺いているのだ。)

これは『ガラテアの信徒への手紙』6章3節のことばよ。そして、『For each one shall bear his own load、おのおのが己の重荷を背負うのだ』という5節も彼に浴びせるように言ったわ。すると彼は電撃に打たれたようになって、ヘナヘナと跪いたのよ。

最後に私は、同じく9節、『And let us not grow weary while doing good, for in due season, we shall reap if we do not lose heart. (善を行いながら弛むこと勿れ、心失わずいれば、時が来て、実を刈り入れられるがゆえ)』と彼に語りかけたの。」

「そしたら?」

「Nigelは泣き出したわ。俺には見えた、はっきり見えたって言って。」

「うん?」

「『俺が傲慢で自惚れていたわけが』と。」


(つづく)



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