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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その13

ハイドレインジャ
〜第2部その13

「ワシに言わせればのうー」

修験者は続けた。

「ユウ殿、お主が自作小説『蹉跌集め』で『佐藤悠奈』という信夫佐藤の末裔としての名を思いついたのも、悠奈が角筈十二社の生まれ育ちであるよう設定したのも、この藤原凛との邂逅が定められていたからじゃ。

それはむろん、お主の祖母殿が霊山生まれだったことがまず大きい。お主の祖母・けさよ殿は、姓は橋本ながら、長くその先祖は福島北部、宮城南部に暮らされており、奥州藤原氏の一党の血ばかりか、宿敵源家一党の血も受け継ぐ人々であった。また、相馬を始めとする平氏一党の血も入っておる。さらにまた、東北に長く土着した蝦夷と言われた人々の血もじゃ。これはお主の祖母殿ばかりの話ではもちろんない。そういう者は今でも多くあの辺りに暮らしておる。」

「んだからさー。」

俺は福島の方言、「その通りだ」を意味する「んだからさー」で相槌を打った。

「お主が『トーホグマン』や『蹉跌』を書いたのは、いや、書かされたのは、お主の中にそれぞれは極々わずかであれ入っておるそうしたご先祖たちの血が騒いだからだ。かつては敵対し、殺し合った者たちであっても、いつかは、意識的であれ無意識的であれ融和し、現在、今、野澤熊という人間が2の何十乗の命の息吹を受け継いでいる、存在している事実をお主に書いて欲しかったからじゃ。」

「はい。それがテーマでして、何度も繰り返しています。しつこいくらい。これからも言います。人類はみな兄弟、一日一善!」

「おいおい。」

修験者は呆れて錫杖で俺を突くまねをした。

「失礼。つまりですね、今民族の違い、宗教宗派の違いなどで憎しみ合い殺し合っていることの愚かさを訴え、どう世界の平和をそういう憎悪の中に生きる人々が目覚め、志すように、少しでも歌で貢献できるかを私は探っているのです、努力しているのです!」

「その意気やよし。それゆえユウ殿、お主には多くの<エネルギーの揺らぎ>が手助けしようとこの世に出てきているのじゃ。<エネルギーの揺らぎ>たちは、この世の真相を<外から見て>知っておるからな。

さて、ワシは牛頭坊青嵐(ごずぼうせいらん)と名乗った室町期の修験者、山伏じゃ。
牛頭とは、牛頭天王のこと、この<神仏>を厚く敬うがゆえ、不遜にも名をいただいたのだ。今の世では、牛頭様が疫病を退散させる神仏として特に祇園社、京都では八坂神社が厚くお祀りされておる。むろん熊野信仰でもな。

祇園精舎を守る牛頭様は素戔嗚命(スサノオノミコト)と一体なのじゃ。これこそが神仏習合、本地垂迹の典型じゃ。この神仏習合、本地垂迹が最も<進んだ>例と言っていいのが熊野信仰なんじゃよ。」

「そうですね。」

俺は応えた。

「他の大きな神社、例えば伊勢神宮や出雲大社、諏訪大社などとは大きく違っていますね。ただし、八幡神社や大山祇神社も仏教とかなり結びつきました。『八幡大菩薩』で有名ながら八幡神は措くとしても、熊野様、大山祇様はいずれも強く山岳信仰とも結びついていますね。

この列島古来の古い宗教、あの世とこの世が意識の中で強く結びついている宗教形態というのがあって、それがインド由来の宗教と合体していくのが神仏習合、本地垂迹と言っていいでしょうか。

外形的、枝葉末節的には異なっていても、本質的な共通点で互いを包摂していくー

それって、今の人類史的課題でもほとんど人類生存のため欠くべからざるプロセスではないでしょうか。」

「うむ!」

牛頭坊は我が意を得たりと大きく頷いた。

「私、思い出すんですー」

凛が声を上げた。

「己の尾を咥える蛇、ウロボロス。世界中でその意匠が用いられています。それが何を意味するかはさまざま解釈がありますけれど、私はまず永遠性だと思います。この世に始めも終わりもない、と。そしてー

<Extremes meet、両極端は一致する>、も。

そしてニールス・ボーアが易の思想から全世界へ発信した、量子力学上の真理でもある、

CONTRARIA SUNT COMPLEMENTA
相対立するものは補完的である、ということ。」

牛頭坊は膝頭を打って、

「さすがは角筈十二社の凛どのじゃ!」

と叫んだ。

「ワシは鈴木九郎の金山のことも知っておった。

九郎の金山も、元々は山々を駆け巡る修験者が見つけたものだったのよ。九郎は源義経に従った熊野神社神官・藤白鈴木氏の一族亀井重清ら紀州出身者からの情報も得て、馬の売買で稼いだ金を元手に奥州の金鉱山開発をしたわけじゃ。また、奥州藤原氏を支えた金鉱山の情報も持ち、奥州合戦後、その利権を秘密裏に手にした。ワシはその秘密を守り、殺されずに済んだから、九郎の一人娘小笹の話も聞いた。聞いたどころか、角筈のその大蛇の池にも行き、祈祷をした。

小笹殿はのう、蛇の化身となってはいたが、父九郎が熊野様のご加護を恃みにしつつ、自らの非を悔いて建てた成願寺で僧となったときに、<エネルギーの揺らぎ>となって父と交信したのじゃ。

求め過ぎた物質世界での快楽をよくよく見つめ直し、本当の幸せとは何かを小笹殿に教えられたのじゃ。物をいくら持とうが、それは幻想じゃ。物はエネルギーじゃ、E=mc^2じゃ。しかしそれが持ち主の心の、意識のエネルギーには到底ならん。だいたい、物を所有するとはいかなることじゃ?人間が持てる物は、己の肉体と、それを維持してくれる食物と水と空気だけじゃ。それすらも、持っていると言うよりも、<いただいている>のじゃろうが!

このまま行けば、その食物と水、空気を汚し、食べられなくなるような、飲めなくなるような、また吸えなくなるような今の人類的な所業を直ちにやめねばならない。ウロボロスの意匠は、凛殿の仰せの通り、永遠性、両極端の一致、そして対立するもの同士の相補性を表すとワシも思う。そしてネガティヴには、今の人類状況、すなわち、自縄自縛すら意味しているのではないか。」

「牛頭坊さま!」

凛も俺もこの修験者の名を叫んだ。

「お教え、ありがとうございます!」

「おお、凛殿、ユウ殿。<エネルギーの揺らぎ>たちはそなたらの藝術的営為を応援しておるぞ。」

「ありがとうございます!」

俺たちは合掌し、泣きながら、感謝の言葉を何度も何度も牛頭坊に捧げた。

「最後にー」

牛頭坊は言った。

「熊野神社は、むろん規模の大小はありながらも、この福島県に一番多くあるのじゃぞ。次には千葉県じゃな。」

「そうなんですか。」

「ああ。信州の村畠という御仁に会っていたよな?」

「ええ。ついさっきまでと言ってもいいほどですが。」

「村畠の出生地は、富山県上新川郡熊野村じゃぞ。(これ本当)」

俺たちが呆然とする中、牛頭坊はあの世へ去っていった。

そして俺は凛に言ったんだー

「Hannah Lynn、君は俺が『トーホグマン』で創作した、小笹の子、<ささゑ>なんじゃないか。」


(つづく)




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