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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その14

ハイドレインジャ
〜第2部その14

「私はじゃあ、ユウの仮想現実の中で生きているっていうの?」

凛が少し不満げに言った。

「あなたと私が分かち合ってきたphysicalな感覚、触覚すらもvirtualだと?」

「なんだかよく分からないんだ・・・。」

「そんな!」

「ごめん。忘れてくれ。」

俺は凛を抱き寄せて、彼女の肉体を<確実に>感取した。
しかし同時に思ったのだ、やはり夢ではないのかと。

荘子の「胡蝶の夢」、室町期『閑吟集』の、

「何せうぞくすんで 一期は夢よ たゞ狂へ」  
                    
(どうするというのだ、まじめくさって。人生は夢だ、ただ狂うのだ。)

あるいは、19世紀アメリカで生まれたらしい、

Row, row, row your boat
Gently down the stream,
Merrily. merrily, merrily, merrily
Life is but a dream

漕げよ、漕げよ、漕げよ
君のボートを
やさしく、流れに任せ
楽しく、楽しく、楽しく
人生は夢に過ぎない

という歌などが思い出され、俺は凛と最後に父母の墓へ歩いて行く間ずっと頭の中で口ずさんでいた。

原子核の99.9パーセント以上はスカスカだと言う。物質の最小単位クオークの質量は原子核の1パーセントに過ぎないから、いくらその原子核の途方もない数の集合体である我々の肉体でも、体重と全くイコールにはならない。では<これほどの肉体の充実感>をもたらすのは一体何かと説明しようとすると、これまたE=mc^2が出てくる。つまり粒子同士を結びつける力=核力=エネルギーが重さになっているのだ。

俺と凛というエネルギー同士がこうして手をつなげるのも、お互いの体を構成する物質の原子核の周囲を雲のようになって存在する電子同士が反発し合うからだと聞いたことがある。そうでなければ、差し出した手同士、空を切るだけだ。そしてそこで摩擦が生まれ、それが人と人が触れ合う快感をもたらすのだ。

なんなんだ、この説明。
艶消しもいいところだ。
でもそれが科学的真実らしいのだ。

そしてそのクオークも、結局「真空の揺らぎ」から発生するという。宇宙は「量子真空」から生まれ、光速を遥かに超えるスピードでインフレーションを起こして今も膨張していると。

また、量子コンピューターが十全な機能を発揮するようになれば、virtual realityのreal度は現実世界と全く遜色ないものになるという。宇宙は情報だ、と科学者たちは言い募る。情報解析ができれば、究極、量子コンピューターで宇宙すら再現できる、と。


熊野神社神殿から父母、そして長兄の墓までは200メートルほどだったが、俺は「人生は夢よ」と歌を歌い、目眩がするような量子論を聞き齧った知識をまるで宇宙開闢以来今に至るまでの158億年とも思える時間の長さで反芻していた。大袈裟な。

「父ちゃん、母ちゃん、兄貴、また来ました。」

俺は墓前でまず手を合わせた。

「こちらは凛。結婚します。まずそれをご報告。」

凛は、合掌し、深くお辞儀をした。そしてまた甲斐甲斐しく墓周りの掃除を始めた。
花を供える、線香に火をつける。


「ユウよ。」

いきなりだった。父の声だ。お墓のてっぺん辺りが陽炎のようにゆらゆらしている。

「凛さんを連れできてくれで、いやいや、ねっか

(「〜ではないか→〜ではねぇか→でねっか」から来た新潟弁および會津西部弁。例えば「ありがたいことではないか」と感謝するとき、「ありがたいでねっか」となり、「ありがたい」が言わずもがなの状況では、なんと「ねっか」だけになる。またこの「ねっか」が「ねっか、どうも」という組み合わせで使用されることがあまりに多く、とうとう「どうも」を強意修飾する副詞に転用され、やがて「どうも」以外の用言も修飾するようになった、と俺は考えている)。」

「父ちゃん、どうも。父ちゃんの會津西部方言に関する著書では『ねっか』の語源が少し曖昧だったげんじょも、俺は新潟弁からきたと断言できっつぉい(できるぞい)。」

俺はいきなり父の「ねっか」について上記の独自分析を話した。
父は大笑いし、「いやあ、それはねっか、どうも、参ったナイ」と言ってから、

「凛さん、ユウはまあ、わだしの趣味嗜好をかなり受け継いでくれでナイ、まあ、ありがだいごどなんだげんじょも、こうやってまあ、一本取られっと癪だナイ。」

凛は「ふふふ」と笑って、

「なんだかユウさんて本当にいろいろなことを日夜、四六時中考えていますね」

と言った。

「きっかけになることが話されたり、示されたりするとー
それはもう情報の雨のようにユウさんには降り注ぐんですけれどー
もう考え出してしまって。」

父が高笑いする。

「そんな息子ももう還暦に達してしまって、いやはや。」

「本当にナイ。」

俺はしみじみ応えた。

「な〜に言ってんだ、ユウ、おめはそんな歳でもこんなすばらしい女性ど巡り合って、まあ。これがらまだ青春だべぞ。」

「お父様ー」

凛が呼びかけた。

「その考え過ぎ傾向にあるユウさんが、私はユウさんの小説に出てきた仮想の人物じゃないかなんて、さっき言ったんですよ!」

父はしばらく黙っていた。

「いやねぇ、凛さんー」

父が話し出す。

「そちらで言う『あの世』の者なってみっとナイ(みるとね)、realもvirtualもないとしか言いようがなぐなってんのよシ。いやあ、あの世の者になっても万能ではなくてなシ、そっちの世で疎がったごどはやっぱりこっちの世でもそうなんだげんじょも、そんじもナイ(それでもね)、どっちが夢世界なのガ、わがんねぐ(分からなく)なっちまうごどがあんだシ(あるんです)。」

「そうあべ(そうでしょう)。」

俺は我が意を得て、頷いた。


(つづく)



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