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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その21

ハイドレインジャ
〜第2部その21

俺は善行も悪行も<記録>されると思っている。
人のこの世での行為の積み重ねはしっかり残るのだ。

どこに記録され、誰が記録するというのかと思われるだろう。これまでこの地球に生きてきた百億をゆうに超える人々の一人ひとりの行いを見て記録する<主体>はむろん超人的、いや、そんな言葉では足りないほど強大な存在であり、神と言っても仏と言ってもいい。この宇宙は、そこに在る全ての存在は、その神や仏の夢の中なのだ。

「ユニバース」ならぬ「マルチバース」という概念が宇宙論に登場してきてもうかなり久しい。その考え方は百花繚乱で、その宇宙論の多数さこそまさにマルチバースだ。

科学的なマルチバース概念は措いて、仏教では、仏陀ひとりにひとつの宇宙がある。この宇宙には仏陀はひとりしかいないのだ。もし悟りを開く新たな仏陀が登場するなら、その仏陀は新たな宇宙を同時に開いているのだ。これを「一世界一仏」と言う。

その仏陀が、己の宇宙でのすべての行い=諸行を収攬しているのだ。
むろん(!)そこに存在するすべてが輪廻する。循環する、と言ってもいい。
その輪廻・循環の際に、善行と悪行が<審査>される。ある魂=意識は、仏陀にとって善いものなら善い存在へと転生させられる。悪いものなら<弾かれる>。弾かれて何になるかは俺には分からないが、きっと成れてうれしいものではなかろうと思う。そういう存在に落ちぶれて、さらに魂を磨くしかないのだ。仏陀はそう期待する。あるいは命じる。

因果応報論だろうと言われればそのとおりだ。ずいぶん幼稚な考え方とも言われるかもしれない。しかし、仏にとって善い行いを積み重ねてきた者が報われないではこの世は成り立たない。また悪い行いを積み重ねてきた者が懲罰を受けなければこの世は闇に過ぎる。

「お天道様が見ていらっしゃる」とは、俺も祖母や母に言われたものだが、その「お天道様』が仏陀なのだ。祖母や母など、素朴に信じた超越者の目を、くだらないと思う人は思えばいい。


ーそんなことを俺は凛に如法寺に隣り合う蕎麦茶屋で蕎麦を啜りながら話した。

凛はカルヴァン主義のいわゆる「予定説」、つまり神は最初から救う人間を決めており、今世での善行悪行も関係はないとする説のことを言い、それが結局資本主義を発達させたというヴェーバーの説も口にした。俺はさすがにそのことは知っていたので、すぐに凛に「聖公会の信者である、あるいはだった君はどう思うのか」と訊いた。

「私は聖公会でも『ハイ・チャーチ』、つまりよりカトリックに近い方の信徒だったから、カルヴァンの予定説には与しなかったわ。」

凛はほうじ茶を飲みながら言った。

「カトリックは予定説を否定しているの。」

「そうみたいだね。」

「ユウが話してくれた『一世界一仏』の考えから言えるのは、仏陀が創り出した、あるいは夢見ている、私たちにとっては仏陀の仮想現実の世界に生きているっていうことになるかしら。まるで量子論から生まれた仮説とそっくりなんだけれど。」

「ああ、そうなんだよね。」

「そこでね、仏陀にとっての『善い・悪い』はどういうことなの?」

「俺は極めてシンプルだと思っている。」

「ん?」

「さっき祖母や母が『お天道様が見てらっしゃる』と俺に言ったものだって話したじゃん。」

「ええ。」

「その祖母や母が言う善い・悪いでいいのだと。」

「Could you be more specific?」

「例えば幼い俺が蟻の行列を見て、踏み潰そうとしたとするでしょ。それを母や祖母が見ていたら、『アリさんにだって命があるんだがら、やめらんしょ』って言うのさ。『ユウがもしアリさんで、何も悪いごどしてなくて人に踏まっちゃら嫌だべ?』って。それってすごく納得なんだ。」

「そうね。」

「蟻は母や祖母に何らこの際は被害をもたらしていない。ところがこれが羽蟻で、大量に祖母や母に襲いかかったら祖母も母も俺が羽蟻を叩き殺すのを<悪い>とは言わない。そんな素朴な善悪の判断でいいと俺は思ってる。そんな羽蟻だって生き物で、命は尊いとまで言えて、羽蟻の為すがまま、集られても微動だにせずにいられるような覚醒者になんかなれっこないよ。

でもさ、トータルで、他の命を大切に思う行為が多かったら、たとえやむを得ず殺生をすることがあっても圧倒的に少なければきっと<いい>んだと思うんだ。やむを得ず殺生するときも、ごめんねって思っていればなお<いい>。いや、やさしい人間なら、そう思っているに違いないんだけど。」

「なるほど。そしてトータルで善行の多い人間は仏陀に救われるの?」

「まあ、輪廻して、また魂磨きなさい、菩薩を目指しなさいってなるのかな。」

「仏陀には成れない?」

「成ったら新しい宇宙の主だよ。」

「そっか。仏陀がいっぱいの宇宙こそmultiverseなのね、紫陽花のような。」

俺と凛は蕎麦茶屋の佐竹さんに「おいしかった、ご馳走さまでした」と言い、もう夜の帷も降りていたし、その茶屋に泊めてもらえるか尋ねると佐竹さんは快諾してくれた。


(つづく)




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