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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その6

ハイドレインジャ
〜第2部その6

俺の會津の田舎へ安曇野Moore邸から道路上の最短コースで行くのなら、まず県道51号で大町市へと北上し、国道148号で新潟県の糸魚川市へ出て、日本海沿いを北陸自動車道で新潟中央ジャンクションまで行き、磐越道に入り東進、福島県に入る。俺の故郷は県境なので、新潟からはかなり近い。

「Mooreさんからいただいた野菜のことを考えれば、一泊で東京に戻らないとね。」

俺の生まれ故郷N町に入ったときは、夏至前とは云え、さすがに薄暗くなり始めていた。

「ここがユウのふるさとなのね。」

凛がかろうじて見える飯豊連峰を見て、少し感激したように言った。

「あなたと仙川のそばで出くわしたとき、まさか2週間経たずにあなたの故郷を一緒に訪ねていることになるなんてどうして予測できたでしょう!」

「修辞疑問。あるいはLittle did I dream以下の否定語文頭型倒置構文だね。」

俺がそう言うと凛は、

「そうだけれど、私、ほんとに感動してるんだから、混ぜっ返さないで!」

と笑って俺を叱った。

「混ぜっ返してなんかいないよ。レトリックを用いて、ちょいと文学的に語らんといけないような気分だよね、今。俺だってそうさ。

ふるさとの山に向かひて言ふことなし 傍に凛ゐると思へば。」

「それ、ずるい。お得意の俳句をひねってよ!」

「あぢさゐの紫と空境なく、とか。」

「ああ。同じ色になっているってことね。『境なく』なの、『境なし』じゃなくて。」

「言い切っちゃあ、いかんよ、凛さん。それじゃあただの叙述だ。連用形で終わるところに余韻があるっちゅうか、続きを想像させるっちゅうか。」

「なるほどねぇ。習ったの?」

「いや、我師匠一人も持たず候。我流さ、我流。なんでもそう。音楽、歌もね。
ただもちろん<まねび>はあったに決まってるけど。藝術において完全に独自のものなんてこの世にはない。」

「なにしろ、フフ、その俳句気に入ったわ。もう一回言って。」

「あぢさゐの むらさきとそら さかいなく」


故郷の家には嫂が暮らしているが、あまり急の帰郷、宿泊では申し訳がないから、翌日挨拶をしに行くにせよ、泊まりは會津若松の東山温泉ということにした。磐越道で會津若松まで20数分だ。
宿帳には面倒くさいから夫婦ということにした。名前は『野澤ゆう』とした。「熊」とはいつも通り書かない。住所は成城、凛の家のにした。

翌朝朝食をとってすぐに鶴ヶ城へ行った。梅雨真っ只中なのにその日も快晴と言っていいほどのクリアな空で、お城の三の丸の駐車場にクルマを置いて、城郭を散策した。

俺は會津藩が辿った惨い歴史を語り、凛はいたく同情して聴いてくれた。

「新政府軍と一緒に最後まで戦った長岡藩、村上藩、庄内藩、二本松藩、仙台藩に私、ありがとうって言いたいわ。」

凛が言った。

「私、義を重んじる人が好き。幕末の諸情勢の中、各藩、政治勢力の言い分はみんなそれはそれなりに正当性があるでしょう。けれど、會津を始めとした奥羽越列藩同盟の、最後まで裏切らなかった藩、そして新選組の義に打たれない人はいないんじゃないかしら。」

俺はますます凛が愛おしいと思った。それまでももうこれ以上愛おしいと思えないほどだと思っていたけれど。


お城の庭園にある茶屋に入って、一服しているときに、凛がこう言った。

「私の家、藤原はね、奥州藤原氏の末裔らしいの。」

「え?奥州藤原氏?あの頼朝に滅ぼされた?」

「ええ。直系はそのとき絶えたのでしょうけれど、およそ900年前、近江国から鋳物師を奥州藤原氏は招いていたのね。その技術を継承した一族らしいの。その近江人といわば混血した一族ね。」

「へ〜。」

「そういうことからなのか、私の父は製鉄の会社に長く勤めていたの。DCMとも取引があったのよ。」

「だから詳しかったのか。お父様の会社って、日本一の?」

「ええ。国外事業部を司る副社長だったの。」

「で、Hannah Lynn、俺、ほんっとに驚いてんだけど。」

俺は凛の目をまっすぐ見て言った。

「俺の家も、どうやら近江にルーツを持っているようなんだ。」

「會津なのに?」

「そうなんだけど、蒲生氏郷という秀吉の家来で近江・日野の武将が會津太守として戦国末期に入ってきた。そしてさらにその後、関ヶ原の戦いで敗れた石田三成の一族郎党の一部が會津の近江人を頼ってやってきた。そのどっちかのときに俺んちの先祖になる一人が来たらしいんだ。

そしてね、不思議なんだけれど。俺の故郷では、お葬式で西国三十三所の御詠歌を歌うんだ。ずうっと昔からの伝統だって。西国、だよ。奥州會津の片田舎の宿場町で。

補陀洛や 岸打つ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬

これ一番だよ。紀伊・熊野の青岸渡寺の御詠歌だ。」

「あら!」

凛が驚く。

「『ユウ』は漢字が『熊』で、それはお父様が熊野信仰をされる人だったからそう名付けられたって!」

「そう。近江・滋賀だと6つの寺がエントリーしてて、正法寺、石山寺、園城寺、以上大津に在り、さらに宝厳寺、長浜市、長命寺、近江八幡市、観音正寺、同じく近江八幡市でさ、親父はこの近江六寺と那智勝浦・熊野の青岸渡寺の御詠歌を特に熱唱していたんだ。」

「鶴ヶ城って、パンフレットによると、その『鶴』は蒲生家の家紋が舞鶴だからって書いてあるわ。氏郷の幼名も鶴千代なのね。」

「ああ。若松っていう名も、それまでは黒川だったんだけれど、氏郷が郷里に在る馬見岡綿向神社の『若松の森』から取ったというね。俺は実際その神社に行ったことがあるよ。」

「ああ!」

凛が興奮して叫んだ。

「早くユウさんのお家の墓所に行きましょう。きっと<貫入>が起こるから!」

俺たちは天守閣に一礼して、故郷N町へ向かった。


(つづく)




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