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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その19

ハイドレインジャ
〜第2部その19

「そ、それは、もちろんあの中野長者・鈴木九郎氏の娘さんではない・・・ですよね?」

俺は呆然唖然とする凛を横目に言った。
シャドーイングが不可能になっている凛を慮ってか、蒲生氏郷はいよいよ俺たちの前に幽かな面影を現してくれた。その容貌は国の重文となっているこの寺の宝である絵に写された顔と同じであった。これまで凛だけが意思を通じさせられ、俺にはできずにいた理由は何かと思いながら俺は頭を下げた。

「ユウ殿か。先だっては我が故郷日野へ来て下されたのぅ。」

「ははッ。」

「わしは信仰心厚い人間でのぅ。まあ、あの戦ばかりの世では、誰しもがすがるものがなくては到底生きて、そして死んでいくわけにはいかなかった。」

「ですから家康様は厭離穢土、欣求浄土と言われていたのですね。」

「そうじゃ。天下統一の夢は武将の野心、功名心からのものと思われてしまうところもあろう。確かにそういうのも少しはあった。我が主君信長様、そして太閤様も我欲がなかったとは到底言えぬし、家康殿も然り。わしとて臣下としてとは云え、手柄を立てることに功名心がなかったなどとは口が裂けても言えん。

しかしのぅ、ユウ殿、凛殿。あの頃の世は正に穢土、地獄のようであった。領主たちは我欲、疑心暗鬼、功名心に取り憑かれておった。領民たちもいつ何時他国の者から略奪や殺戮の限りを尽くされてしまうか、恐れる毎日だったのじゃ。だからみな、百姓も侍も、できるだけ強い領主を求めた。

ひとたび戦となれば、それはもう、酸鼻の極みじゃ。討死した者たちが無数に転がる光景に思いを致してほしい。首のない者、眉間を割られて鬼のような形相で息絶えている者、はらわたが出て、凄まじい異臭を放つ者、痛い痛いと死にきれず叫び、殺してくれと懇願する者。

ある国の侍の頂点に立った者は、功名心などを超えて、家臣家来、領国の民を守らねばと思わざるを得ないのじゃ。そのために、己の国力、軍事力を高め、日本全体を戦なき世にするがため覇者にならんとする者が出て来なければならなかった世のなのじゃよ。

わしはゆえに、神仏を尊んだ。信長様、秀吉様が戦なき世にしてくださるならと喜んで一命を賭したが、それでも殺されるのは怖いし、さらに我が命、我が一族、家臣家来、領民たちをお守りくだされと神仏を恃んだのじゃ。

そこでのー

わしはいわゆる『利休七哲』の一人で、その七人の名には異同があるけれど、わしと細川忠興だけは必ずその七哲に数えられるというくらいに利休様のご薫陶厚かった。そしてその七哲には高山右近と牧村利貞も入れられるのだが、この二人、切支丹であった。わしは特に高山殿から熱心な信仰のすすめをいただき、洗礼を受けた。わしが臨終の時も、高山殿がわしをカトリック信者として看取ってくださった。むろんわしも最期の懺悔をし、天国へ行けることを信じて旅立ったのじゃ。」

俺はここまで聴いていて、凛と最初に氏郷様が交信できたのは、宗派は違えど、クリスチャン同士のチャンネルがあったからかと思った。

「利休さまが太閤秀吉の怒りを買い腹を切らされた理由はいろいろと語られていますが、結局質素、素朴、質実を尊んだ茶の道をまるで理解しない成り上がり者が癇癪を起こしたということでしょうか。」

俺は分かったような口を利いた。

「茶人の質朴さ、清貧さは、カトリック修道士のたたずまいに共通するようなー」

「氏郷様ー」

凛が俺の<知ったか>をたしなめるかのように少し強い声調で元會津太守に呼びかけた。

「小笹さんのことです。中野長者・鈴木九郎という熊野神社神官の家の者が、建徳から永享年間に武蔵国で大変な富を築きました。」

「それはわしが生まれる百年以上も前のこと、また、わしは武蔵には関わりはありませぬゆえ・・・。」

「はい。ただ、その鈴木氏の娘さんが、あろうことか、父親の私利私欲を満たし尽くす悪業のせいで蛇になってしまうという酷い運命に遭います。その娘さんも小笹という名だったのです!」

「ほう。」

氏郷は頷いてからしばらく黙っていたが口を開いた。

「蛇身となる女性(にょしょう)なぞ世にあまたおりましょうぞ。何もすべての女性がそうだとは言い切れませぬが、夫の、父の私利私欲のため、あるいは父性原理で動く国家など集団の利害のために、蛇となってしまう女性は。」

凛と俺は固唾を呑んで聴く。

「そして男どもはその訳のわからなさに、恐怖に、慄くのじゃよ。そして悔いる。悔いて神仏に己の愚かさを赦してもらおうとする。その繰り返しなのじゃ。」

「分かります。」

俺は言った。

「Nスペというテレビー ご存じですか ーの番組を最近見ました。ウクライナとロシアという、互いがスラブという同じ民族が中心の国同士で凄惨な殺し合いを今しているのです、この21世紀の現代で、しかもヨーロッパという世界の先進地域で!ウクライナ兵の一人ひとりが父であり、夫であり、またつい最近までギタリストだったり、映像技師だったり、ジムのトレーナーだったりの、ごく普通の市民でした。なのに、ロシア人がウクライナ人を殺しに来ているのだから、やむ得ない、反撃するよりないと。家族のため、ウクライナという国家のため、殺人という昔の自分なら決してできなかったことを、ただゲームをするかのように、良心をまず殺して、やるよりないと言うのです。彼らはすでに戦場を経験し、身体や心に傷を負っているのにです!

同じことがロシア兵にも言えるのです。己の国の西にいる価値観が違うヨーロッパ人たちが自国を封じ込めにかかっている、ロシアの価値観が破壊されてしまうと言い、殺し殺される日々を送っているのです。」

「あるウクライナ兵の幼い娘が、父親が最前線へ向かう朝、パパ行かないでと泣きそうになって、それが甲斐ないことだと知るとー」

凛が俺の話を受けて言う。

「『わたし、ロシア人を見たら棒で叩き殺すんだ』と。すると彼女の父も母も、そんなことをしてはいけない、ウクライナが勝てば平和になるんだから、って娘を諭すんです。

そして最前線に着いた父親は手榴弾をつけたドローンを操作して、塹壕にいる直下のロシア兵を殺し、それを映像で確認して、『ボーン!やった!』と会心の笑み。その夜娘とTV電話して、娘に今日はどんな一日だったかと尋ねられ、いい日だったよって・・・。」

「そう、それが戦というものなのじゃよ、凛殿。デウスも止められはしない。」

「Leo」という洗礼名を持つ氏郷が応えた。

「殺し合う生き物、人間を創ったのも神のGrand Designなのですか?」

「それはわしは答えられぬ。」

氏郷が即答した。

「わしもおふたりの暮らす世から離れ、今、ある程度のことは知ったのじゃ、宇宙の謎、生命、存在の謎についてのぅ。しかし今この世で生きている者たちに他言はできぬ。してはならぬのじゃよ。それはあくまで、今生きる者たちの課題であるべきなのじゃ。

なにしろー」

氏郷は少し間をとって続ける。

「わしが西光寺で愛でた小笹は、大百足という愚かな男どもの私利私欲の象徴に食われそうになって、母の大蛇が御仏のご加護を頼んだのじゃ。」

「氏郷様はmulti-religiousな方なんですね。」

俺は言ってみた。

「ん?その南蛮言葉の意味するところは?」

「氏郷様の故郷では綿向神社を崇敬され、また信楽院という浄土宗のお寺を氏寺とされています。そして會津太守になられた頃にはキリスト教を広めようとされた。」

「ああ。そういうことか。そう、神仏についてはわしは鷹揚であった。どんな神であれ仏であれ、わしが晩年重視したのは愛じゃよ。愛じゃ。」

俺と凛は深く頷いた。

「さて、このくらいにしよう。カラータイマーが鳴り出しておってな。」

氏郷が戯けた。

「我が臣下、特に息子・秀行が重んじた岡半兵衛のことを知りたいのじゃろ。ならば如法寺へ行くが良い。ユウ殿は幼稚園児として初めて参詣した會津でも最古の寺院のひとつじゃな。」

俺も凛もまだ氏郷に訊きたいことがあるような気がしていたが、「カラータイマー」が鳴り出していてはしかたがない。西光寺に喜捨をして、そこからクルマで10数分の如法寺へ向かった。


(つづく)



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