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Lest We Forget

ある兵士が戦死し、天使に生前の自分の行状がいかに酷いものであったかを認め懺悔し、
地獄行きを甘受すると言うと、神が現れて、「この男は天国行きで良い」と宣うのだった。
天使がキョトンとしていると、神はこう言われた。

「この男は地獄から来たのだからー」


これはLest We Forgetという映画にあった英文を粗く訳したものです。

*

昨日、わが歌Words, Words, Words!のページに7名の方がおいでくださいました。
決していい音ではない(音割れしている)ところもありますが、
感謝して、再掲します。



music & words by King Reguyth & MNEMO
arranged and performed by G String
remixed by MNEMO



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Why the hell are we doing what we're doing?

https://www.youtube.com/watch?v=bRUXez7YoIo

この映画を子どもの頃に見ていたら、戦争ごっこなんてやれただろうか。

次兄がガキ大将で、近隣の子たちと私は彼の統率下『コンバット』ごっこに興じた。
私は「ケーリ上等兵」が好きで、次兄がなにしろ「サンダース軍曹」なのであるから
(次兄は、多くの少年らがそうであったようにHanley少尉より好きだった)、
部下の中では切れ者で、フランス語もできるケーリ上等兵が憧れだった。

戦闘シーンはあるにはあったけれど、血が飛ぶとか、体が吹き飛ぶとかという
リアルな描写は一切なく、ドイツ兵俳優たちは「Amerikana!」と叫んでは、
サンダース率いる小隊に撃たれた真似をし、ただ倒れるのだった。

ヒトラーが悪辣な人間であることはチビでも知っており、
それに従ったドイツ兵たちはやられて当然だと思っていた。
だからドイツ兵たちがやられれば胸がすく思いだった。

しかしそれでも、小学生なりに私は思っていたー

「アメリカ対ドイツのドラマだからいいけれど、これが太平洋戦線が舞台で、
アメリカ対日本だったらきっと見られないな」

「ドイツじゃこのドラマは放送されてないだろうな」

と。

ちなみにWikiドイツ語版にこのドラマについての記事はない。
たとえこのドラマが戦争の愚かさを訴え、またドイツ軍将兵(SSやゲシュタポなどは
ほとんど出てこなかった記憶がある)もアメリカ軍将兵と何も変わらぬ人間として
描くものであっても、やはり同胞がバタバタと斃れていくドラマなど見たくはないはずだ。

そんなことを思いつつも、銃器への興味は募って、
サンダースが使うトミーガンやカービー二等兵が使うBAR、
ドイツ軍将校が持つワルサーやルガーの拳銃は憧れの的だった。
(最終的にはワルサーPPが一番好きになった。)
また、同じサブマシンガンであるトミーガン(M1928A1)とドイツ軍のMP40
(「シュマイザー」と呼んでいたが、誤りだそうだ)のそれぞれの機能美にも憧れ、
1丁持つならどっちだろうと思案したりしたものだ。
また、日本軍の「南部式」の拳銃も好きであった。


戦争ごっこ、兵隊ごっこに興じながら、同じ連合国軍に敗れたドイツ軍と日本軍、
ドイツと日本という国は、どこが違ってどこが同じなのかも考え始め、
父に訊いたりもした。父は終戦時21歳、川崎の高射砲部隊にいたのだった。

父は旧制若松商業の生徒だった頃からすでに反戦思想を持っていた。
だから戦後はすぐに民主主義万歳を唱えて青年団活動のリーダーになった。
枢軸国同士の日独はむろんやられてしまって当然だったが、
同輩たちが夥しく死んでいったことには胸が張り裂けそうな想いを抱えていた。

上の映画の、バタバタと倒れていく日本軍兵士を父が見ていたなら、
きっと一度も家族の前で泣く姿を見せたことがなかった父も泣いただろう。

「なんでこんなことをしなければいけないんだ!」と思いながら、
殺し、殺される戦争ー


中国は、台湾が独立にこれ以上向かうなら戦争を辞さないそうだ。





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Mooさんのお誕生日です。

今日は安曇野の畏友Mooさんのお誕生日です。
「浮動小数点」などという聞いたこともないmathなことばを含む情報処理関係の
勉強を今されており、ますます老いて盛んな(失礼?)ご様子にこちらもうれしくなる。

こころよりおめでとうございます!!

また有意義な、そして愛情友情あふれる1年になりますように!

*

国会の質疑を聴いていて、質問と答えが「噛み合わない」とはよく言うけれど、
答弁側に噛み合わす気がもともとない、あるいは大臣様たちの多くは噛み合わすことが
できないのだから、何をか言わんやだ。

コロナ困窮者にとって「最後は生活保護がある」と首相様はおととい言われた。
そういうことなんだね。
それは権利だと厚労大臣は言うし、この田村さんは石破派で自民党では<まともな>
政治家の一人だと思っているけれど、共産党の小池さんが生活保護受給の際の
扶養照会はやらない方向で政治決断せよと迫ったとき、消極的な首相に遠慮して
しまったのは本当に悲しい場面だった。

またMooさんのことに戻るけれど、松本市有志による無料学習指導事業の
「こども塾」が県内各地に今拡大中だという。
市などの「公助」も少しはあるようだけれど、なにしろ「自助」の輪が広がって
いくのはそれはそれですばらしい。

みんな「公」任せになんてしようとはMooさんらはちっとも思っていないだろう。
「自助」努力が展開する中、その意義に賛同して公が動くという図式こそ実は一番
健全なことなのかもしれない。

「公」の人々にそれでも一言〜

あなたたちだって<ただの>人間なんだよ。
特権意識なんか持つんじゃないよ。
市井の者たちの努力に常に頭をさげる謙虚な公人であれ!



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新大久保駅での事故から20年

2001年、私は市ヶ谷砂土原町に住んでいた。
漱石先生の早稲田南の旧居跡(新宿区立漱石公園)や生家(牛込馬場下)は
散歩コースで、そのまま穴八幡を経由して戸山公園などへも足を延ばしたものだ。

ちょうど20年前なのだなあ、韓国人留学生李秀賢さん(当時26)が
日本人カメラマンの関根史郎さんと共に新大久保駅のホームに転落した人を助けようと
してそのまま3人とも亡くなった事故は。

戸山公園から新大久保駅はさほど遠くなく、
この痛ましい、しかし日韓の両国民を友好へ歩めと励ます事故のことを考えながら
付近を歩いた1日があった。

まず、人のために自ら命を懸ける究極の利他主義への深い感動だ。
こういうことができる人にはきっとあの世での<顕彰・ご褒美>があるに違いないと
思わざるを得ないとしみじみ思った。
たとえ当事者がそんなものは望んでいないということであってもだ。
この世での顕彰はむろんあるし(あったし)、遺志は継がれていくけれども、
あの世レベルでもきっとなにかしらの報い(報償)があるに違いないと。

そして場所柄ー

江戸時代の終わりの年に生まれた明治人の漱石先生だが、
もしこの新大久保でのことを耳にされてコメントをされるとしたらどういうものに
なるだろう、と。

1909年、漱石は朝鮮と満州を旅し、その日誌と言うべき『韓満所感』で
こう書いているー

「歴遊の際もう一つ感じた事は、余は幸にして日本人に生れたと云ふ自覚を得た事である。
内地に跼蹐(きょくせき=肩身狭く世を憚り暮らすこと)してゐる間は、
日本人程憐れな国民は世界中にたんとあるまいといふ考に始終圧迫されてならなかつたが、
満洲から朝鮮へ渡つて、わが同胞が文明事業の各方面に活躍して大いに優越者となつて
ゐる状態を目撃して、日本人も甚だ頼母しい人種だとの印象を深く頭の中に
刻みつけられた。同時に、余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた。
彼等を眼前に置いて勝者の意気込を以て事に当るわが同胞は、
真に運命の寵児と云はねばならぬ。」

同胞が後進の隣国が文明を啓く手助けをし、各所で先頭に立っていることを
とても素直に誇っている。イギリス留学で散々日本の後進性を自覚させられ、
欧米の科学、政治体制、藝術などなどすべてのスタンダードが優れすぎていて、
到底追いつけぬことを何度も思い知らされたに違いない漱石だが、
急速に文明化する自国の、欧米人が専一に当たっていた後進国民指導という誇るべき
事業に関わっている同胞を具に見て、ここまでもう来たか、と喜んでいるようだ。

このとき漱石は哈爾浜(ハルビン)にも立ち寄っており、そのすぐ後(一ヶ月後)、
自分も立ったその駅頭で明治の元勲伊藤博文が暗殺されたのだった。
当然その衝撃も語っているのだが、自分が生まれた年はまだ丁髷を結う人間が闊歩する
時代であって、未開人の国のようであったのに、御一新で日本はここまで来て、
その<進歩>をもたらした長州閥政府筆頭の伊藤の死は非常に意義深かったはずだ。

漱石先生に新大久保の事故のことを語っていただくには、その後長く生きて、
『三四郎』で「滅びるね」と書いたとおり1945年本当に一旦滅びた自国の様、
その後の価値大転換、経済成長、日韓関係などを知っていただいていないといけない。


「余にとつて柏木や大久保といふ處は、
末娘の火葬でその先の落合の方迄歩いて行つたことも有り、余り愉快な場所ではない。
その大久保の駅で先般韓国の留学生が日本人写真家と共にプラツトフォウムから
転落した者を救はんとして線路へ降り、その儘三人共轢かれて了つたといふのだ。
何とも痛ましい事故であり、益々余は我が早稲田南町の家から西方向へと散歩を
するのが億劫になつてしまつた。

聞けばその韓国からの留学生は、日韓交流の為に活動をしたいといふことで日本語を
学んでゐたといふ。

日本は、仮令或る部分では彼の国の社会発展に寄与したことが有つたとは云へ、
欧米列強の真似をして彼の国を植民地化するといふやうな、欧米の悪い處をも
摂取して了つた罪を負はねばならない。
さうではなく、亜細亜の諸国民をもつと良い形で善導する手立ては有つた筈で、
それに因り欧米文明を凌駕する亜細亜的internationalismが実現できたかも
しれないのである。

韓国人留学生は、故に、過去の恩讐を超へてさういふcross-culturalな精神に
裏打ちされた偉人であると断ずるものであり、彼が生きて、日韓、延いては亜細亜
全体、復延いては全世界の友情による連帯に寄与していただきたかつたと
心から思ひ、彼の死を悼む。」





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NHKラジオ三昧の日々

昨夜仕事を終えてから歩きに出て、例のごとくNHKラジオの「聞き逃し」のメニュー
から番組を物色、まずは定番の「昭和人物史」、森光子の2回めだった。

この俳優(この頃「女優」とは言わなくなった)さん、私にとってはとにかく
TBSドラマ『時間ですよ』での銭湯の女将さんである。
京都を離れ、東京に出てきて歌手を目指した21歳のときが1941年で太平洋戦争が
勃発してしまう。「何も知らない」彼女は「お国のため」兵士の慰問などに明け暮れ、
その中で大陸から台湾へ船で向かう途中、彼女が乗る客船を護衛する船が撃沈される。
その顛末を淡々と語り、しかし決まり文句の「戦争はいけません」とは言わないのだ。
そこを、番組のコメンテーター保阪正康さんは、逆に切々たる無念を感じるというような
ことを言われていた。そうなのだろうか。

この保阪正康さん、最近昭和史研究の先輩で畏友の半藤一利さんが亡くなって
悄気ておられたし、ますますしみじみとご自分の「晩節感」というものを覚えて
おられる最中だと思う。

ところで半藤さんのジャーナリストとしての才は、申し訳ないけれども
保阪さんのそれが及ぶところではなかったと思う。
半藤さんの著作は、昭和史関係もそうだけれど、漱石関係のものもいくつか読んだ。
半藤さんの妻君(めぎみ)は漱石の孫ということもあり、またご自身も俳人として
偉大な義理の祖父で東大文学部の先輩でもある漱石の俳句を親しく論評したものだ。
博覧強記でしかもユーモアのある文体に私は惹かれたものだ。

保阪さんの著作は一度も読んだことがない。
それでも僭越にも半藤さんとの比較をするのは、彼のこのラジオ番組での話が
穴だらけだからなのだ。あるいは的確なことばで主題の人物を語れない、
と言うべきか。冗長、冗漫な感じがするのだ。

その象徴は、「逆に言うと」の連発で、それでいて何も逆から語っていないことが
あまりにも多くて、こんな言葉遣いをしていては、況や著作においてをやと
思ってしまうのだ。

とてもいい番組だからこそ、もっと保阪さんにはコメントの練りをしてほしいが、
どうなのだろう、もう今年で82歳になられるという中、厳しすぎる要望だろうか。
この番組が始まる前、2014年から17年にかけて保阪さんは「ラジオ深夜便」で
「昭和史を味わう」というコーナーを持っていて、その頃には感じなかった
<話の空疎化>なのだ。これが老いるということなのだろうか。

次に聴いたのが、その「ラジオ深夜便」4時台「絶望名言」のコーナー。
このコーナー、初めて聴いて、そしてたまたま宮城道雄の回だった。
当然失明およびその後の盲(めしい)として、そして琴の名人としての生活からの
ことばである。私も白内障でそれに近い体験をしたから、なかなかに切実に聴いたが、
このコーナーの出色は、コメンテーターの「文学紹介者」・頭木弘樹さんの
解説、解釈だ。

宮城は、自分が光を失ったことがあっての琴への一意専心であって、音楽家としての
大成であったのだから、大元の失明に感謝するというようなことばを発するのだが、
頭木さんは「危険なことばだ」と言う。

頭木さんも二十歳で難病を患い、病床生活を長く送り、その中でカフカに出会って
救われたという人で、以来多くの文学者や偉人のことばに出会ってきた。
そこからの思いを綴ることが最終的には世に認められ今の地位があるー
その意味では身体的な制限をむしろ利して何事かを成すことに集中できたと、
宮城のように言えなくはないが、そういう成功例はむしろ少ないはずであって、
背水の陣はやはり背水の陣であり、絶望の淵に立っているのだから、
ガムシャラな反転攻勢がいつもうまくいくような印象を持たせてはいけないという
ようなことを力説するのだった。

過去の回では宮澤賢治やBeethovenも扱っていたらしく、
いやあ、残念。聴きたかった。


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日脚少し伸びた日に

今日、父の義妹(祖父の養女)の夫が亡くなったということで、
私の姉兄弟と連絡をとりあった。

その人と私の縁は薄く、たまに家に来て新潟弁で甲高く話すおじさんくらいの
印象しかない。
姉と次兄は父の義妹にはよく面倒をみてもらったそうで、その辺りを初めて今日知った。
父はその義妹をとても可愛がったそうで、ありがたかったと言っているとも。

チビの頃をときどき思い出すことがあるが、
母がやっていた洋品屋(化粧品店兼)の関係で問屋さんが3名ほど出入りしていて、
そのうちの一人で、名前は忘れてしまったが、とてもやさしいおじさんがいた。
彼は喜多方か会津若松のいずれかから来ていたのだが、
母と商談が終わると、毎回必ず私と次兄を商用車(2tトラックだった)に乗せ、
新潟との県境あたりまでドライブしてくれたのだった。
(そしてUターンして、逆方向の会津盆地方向へ帰って行った。)

父が自動車に興味がなく、長兄がパブリカを買ってもらうまで、
我が家にはクルマがなかったから、小学生だった次兄と私にはとてもうれしい
ひとときだった。

あのおじさんも生きておられればきっと90歳代に入っているはず。

私がチビだった頃の大人たちが次々と旅立って行かれる今だ。
いや、もうほとんどこの世にはおられないのだろう。

こういう今という時を噛みしめていくことで、自分も心の準備をしていくのだと思う。

しかし、今日のような日脚が少しだけ伸びた美しい冬晴れの日に散歩などすると、
ああ、まだまだこういう日を何度も迎えたいなと思ってしまう。


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Mよ、永遠に自分の「日本人」世界に閉じていろ

今朝放送のラジオ深夜便「明日へのことば」を「聴き逃し」で聴いていた。
ゲストは温又柔さん(41歳)で、彼女は両親とも台湾人、
3歳で日本に来て以来暮らしているという。
聞き手は鎌倉千秋アナで、彼女も母が台湾人なのだそうだ。

マルチリンガルな人間が、マルチカルチュラルおよびエスニックな問題を
抱えてしまうのはよくある話で、<いずれにも属しつつ、また属していない>という
奇妙な感覚の中生きていくことの苦痛、そして裏腹におもしろさがやはり語られた。

「よくある話」ということで私は特に感銘を受けることなく聴いていたが、
後半の後半というところで、鎌倉アナが、「ある文学賞のある選考委員」と
ぼかしながら、温さんの作品『真ん中の子どもたち』に対し某作家がこう批評した
ことをとりあげるー

「これは、当事者たちには深刻なアイデンティティーと向き合うテーマかもしれないが、
日本人の読み手にとっては対岸の火事であって、同調しにくい。
なるほど、そういう問題も起こるのであろうという程度で、
他人事を延々と読まされて退屈だった」
(「文藝春秋」2017年9月号)


・・・これで作家をやってこられたというのだから顎が外れるくらい驚く。

まず、「日本人」てだれのことだ、定義してみろ。
そして芥川賞はいつからそのあんたの謂う「日本人」の、「日本人」による、
「日本人」のための文学賞になったんだ。あんたは芥川か、菊池寛か。
「対岸の火事」・・・そうか、日本は「単一民族国家」なんだな、あんたには永遠に?
「他人事」・・・あんたの小説はじゃあ、「日本人」の読み手には同調しやすく、
他人事ではなく興味もって読めるというのか。その「日本人」だけに閉じていることを
宣言するかのようであって、それでいいんだな?


私は温さんの当該小説を読んでいない。
だから作品自体を擁護したりすることはできない。
しかしこの選考委員の短評には全く同意できない。
アイデンティティー問題は「日本人」には存在しないかのようであり、
また、それに立ち向かってきた世界中に存在する幾多の移民たちの想いに
「同調しにくい」のが「日本人」なのか、と。

世の中にはどんな人にもひとりひとりの人生的テーマが存在するのであって、
確かにより多くの人のそれに重なるようにそのテーマを作品化できる文学者がいるが、
しかしそれゆえその文学者が尊く、重なりの少ない表現者がそうでないと言い切る
ことなど全くできない。

また、非常に特殊な体験からの特殊なテーマの小説が在ったとして、
それにより新たな世界の切り取り方を教えられるということもあるに決まっている
ではないか!それも小説の醍醐味の一つではないか!

よくもまあ、「選考」なんてできるものだ。
自分の「日本人」世界に閉じこもって、自分が認める「日本人」たちにウケる小説を
書いていればいいじゃないか。
「日本人」もどきの作品なんか、以降は一切選考しませんと宣言して。



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2021 正月雑感 2

昨日の「児童総会」の創作記事、多くの方に読んでいただいて感謝申し上げます。
R君にとられた「土地」というのは、こどもの話としては不適当なので、
「秘密基地」と直しました。

*

https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=P006508_01

上はNHKラジオの「聞き逃し」サイトに今ある、
NHK長崎放送局入魂の「長崎朗読シアター」です。
特に林京子作の『祭りの場』に心打たれました。
もしよろしかったらお聴きください。

*

https://news.yahoo.co.jp/articles/4f72378252f2b0126df0c1564f00fe625173f97a

TBSニュースです。
南アで最初に見つかった変異型のコロナ・ウイルスについて、南アの研究者たちは
「従来のウイルスに感染した人が変異ウイルスに再感染する可能性があることや、
現行のワクチンの有効性が減少する可能性を示している」としているそうです。
イギリスで見つかった変異型もどうなのか良く分かりませんが、
なにしろ本当に人類は重大局面にいるという自覚をさらに強める事実です。

日本の、ワクチンに関する権威(学会長)の方が、
人類が撲滅した唯一のウイルスは天然痘ウイルスだけであり、
他は一切根絶できていないことを忘れないでと訴えておられました。
今流通し始めたワクチンに過大な期待をするな、ということです。

*

「science」を「科学」と訳したのは見事だと思います。
「科」には「区分」の意味があり、区分を学ぶ=知ることという意味です。

さて、コロナ対応は科学的知見に基づいて、とはよく言われます。
scienceという語は、印欧祖語の「skei-」という語幹から由来するもので、
その語幹の意味は「切る、分ける」です。

何かを切り分けてその構成を知り、その「何か」そのものの正体を確定していくことが
つまりscienceという営為の元々の意味なのだと知ります。
仏教では分別こそ煩悩の原因とされてしまいますが、人間の「知りたい」という
欲求はどうにもならず、たとえば物の究極を切り分けて知ろうとし、
これ以上切れないところまで来たときに、それを「atom(a=not, tom=cut)」
つまり「切れない」と呼んだ<わけ>です。
(なお、この<わけ>だって、「分け」から来たに相違ありません。)

新型コロナウイルスでも、超微細なところまでその構造を映像的(物理的)
そして化学的に切り分けていき、既存のコロナウイルスとの<分かれ>の部分を特定し、
それに対応したワクチンや特効薬の研究をしているわけです。

では、政治的、政策的にこの<切り分け>はどうされているのでしょうか。
大まかな部分だけの対策では結局不十分になるのが必定です。
むろん微に入り細に入りの対策を完全にすることは不可能かもしれませんが、
しかし、国民を災禍から救うというのなら、できるだけその災禍がもたらす被害の
詳細にまで立ち入って対処するのが正に「科学的知見に基づ」くものでしょう。



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パチンコ所持・使用禁止ルール

司会
「児童総会を開きます。さて、去年児童総会の過半数以上の出席者が賛成して、
児童はパチンコを持たない、使用しないという宣言をしました。
今日、めでたくその宣言が児童のルールとなりました。」

〜拍手

司会
「しかし、残念なことに、昔からパチンコをいくつも持つ一部の児童どうしが、
お互いを信じられないという理由で宣言に賛成せず、ルールにも従わないことに
なってしまいました。」

児童X
「議長!」

議長
「はい、Xさん。」

X
「パチンコ被害を過去に2度も受け、ひどいケガをしたS君が去年このルールを、
そしてルールに従うという多くの児童たちのパチンコ廃絶の願いを
意味がないとしたことが、とても大きなショックとして私たちに受け止められました。
そこで、S君に今どういう気持ちかをまず聞きたいのです。」

議長
「なるほど。S君、いかがですか。」

S
「(ガサゴソ)え〜、パチンコ廃絶というのはボクも賛成です。
なにしろひどい目に2回もあったのですから。
でも、現にパチンコを複数持つ人たちが宣言、ルール化に賛成していない今、
それらは結局意味がないという思いは変わりません。」

議長
「S君、なるべく自分のことばで語ってください。原稿を読まないで。
これからの質問は、あなたが持っている原稿では対応できないかもしれませんよ。」

S
「・・・・(目を泳がせる&独り言)
そんときは、『いずれにせよ、パチンコを持つ児童らが捨てないかぎり意味がない』と
繰り返すだけだい。」

Y
「議長。
S君に聞きたいのですが、銃の所持は法律でもう禁じられていますけれど、
もしその法ができる前に、銃所持をしていた一部の人々が銃規制には反対しているからと、
銃で二度も瀕死の重傷を負わされた人が銃所持・使用禁止の動きには意味がないなんて
言いますかね?多数が銃所持を認めないというルールを作ろうという中で?」

S
「(ガサゴソ)・・・いずれにせよ、パチンコを持つ児童らが捨てないかぎり
意味がないのであります。」

Y
「・・・銃の話です、今は。」

S
「(ガサゴソ)・・・え〜、ボクは2度もパチンコでひどいケガをしたからこそ、
ルールを本当の意味で効果のあるものにしたいのです。パチンコを持つ児童と、
持たない児童の架け橋となって、調整役を積極的に行っていきます。」

議長
「いい原稿が見つかりましたね。」

〜Sは目が笑っていない笑みを浮かべる。

Z
「議長。
S君にお伺いしたいけれど、その調整役、やってきましたか?」

S
「・・・(思案数分)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

パチンコ保有者のA君とボクはいつも緊密な連携をとってきました。」

児童多数
「え〜〜〜!A君てまさにS君にパチンコで2回ひどいケガをさせた子だよ!」

S
「(再び目が泳ぐ)ボクはいつも、やはりパチンコを最近持ったK君に
おびやかされていて、C君にもだけれど・・・ボクがパチンコを持たない以上、
A君に守ってもらっているんです。そのA君にパチンコを持つのは悪いなんて言えますか!」

X
「議長。
S君、そういう恐怖の均衡って呼ばれたり、パチンコ抑止力と呼ばれることがあるのは
私たちも十分知っています。

ね、S君、私たちはなにもA君にだけパチンコを持たないでって言っているんじゃないの。
K君にだって、C君にだって、R、B、F、I(2名)、P君にだって呼びかけているの。

パチンコを持たない児童の方が数は圧倒的に多いのよ。」

Y
「議長。
S君、君が言う調整役とか橋渡しとかって、例えばK君やC君へどんな働きかけをして
きたんだい?そして、これからだとしてその見通しは?」

S
「(ガサゴソ)・・・いずれにせよ、パチンコを持つ児童らが捨てないかぎり
意味がないのであります。」

議長
「S君、質問に答えてください。」

S
「ボクの友人のN君に協力してもらって、KやC君のところへGo Toキャンペーンやって、
少しでも経済回し合って、仲良くなって、ほら、AB君がR君にとられた秘密基地の改良に
手を貸して少しでも返してもらおう、みたいな、そんなことで・・・。
ま、うまくいかなかったけれど、AB君のときは、でも、ボクはN君がC君とかと
仲良いから、うまくいくんじゃないかなんて。」

Z
「議長。
そのとき、パチンコ所持者たちに、パチンコを持たない児童たちが団結して
パチンコの非人道性を説くことが、どうしてS君の『調整』や『橋渡し』よりも
効果が乏しい、あるいは効果がないなんて言えるんですか?」

S
「・・・・・・・・・(目が泳ぎまくる)・・・・・・・・・・・
(ガサゴソ)いずれにせよ、パチンコを持つ児童らが捨てないかぎり
意味がないのであります。」

議長
「その『いずれにせよ』って何なの?」


〜Sは答えられぬまま、総会は散会となった。



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岡野治雄くん誕生日 & more

今日は治雄ちゃんのお誕生日です。
ずっと会えていません。
早くまた彼のbass playに接したいです。

おめでとう、治雄ちゃん!

*

日本時間では深夜のJoe Biden第46代アメリカ大統領の就任式を見てしまった。
Biden大統領の演説はすばらしく、声には張りがあり、外見を頼もしく裏切った。
Lady Gagaの国歌独唱もこれまたすばらしく、さすがとしか言いようがなかった。
This is Americaと当の国民の多くも、世界中のアメリカに信を失いかけた人々も
思ったに違いない。

最も感銘を受けた部分はここだー

We must end this uncivil war that pits red against blue, rural versus urban,
conservative versus liberal.
We can do this if we open our souls instead of hardening our hearts,
if we show a little tolerance and humility,
and if we're willing to stand in the other person's shoes,
as my mom would say.
Just for a moment, stand in their shoes.

Because here's the thing about life.
There's no accounting for what fate will deal you.
Some days you need a hand.
There are other days when we're called to lend a hand.
That's how it has to be, that's what we do for one another.
And if we are that way our country will be stronger, more prosperous,
more ready for the future.
And we can still disagree.

*

翻って・・・ああ、本当に書きたくもないがー

いくら言語が、慣習が、歴史が、文化が、文明が違おうとも、彼我の差が大きすぎる。
原稿をひたすら読むリーダー、しかも読み間違え、言い間違いをし、
抑揚乏しく、伝えたいことをうまく伝えられず、ゆえに「部下」である同党議員すらの
眠りを誘う。

さきほどFrance2が伝えるアメリカ大統領就任式のニュースを見たが、
「世界のリーダー達の反応」という段、Sugaの「S」の字も、Japonの「J」の字も
出てこなかった。BBCもZDFもどうせ同じだろう。
欧州ばかりではない、世界のどこであっても、SugaからのBidenへの祝意など
一行も報じられることはあるまい。

「政策にいちいち文句をつけるな」などと言い放つ82歳の「幹事長」様が支える
政権なのだ。レベルの低さは目を覆うばかり。
これがGDP第3位の「先進国」なのだから驚くべきことだけれど、
早晩埋没していくだけだろう。

*

庭の、真っ赤な実をたわわにつけていたピラカンサ、ここ数日で丸裸にされた。
まず数週間前からヒヨドリ数羽が先着し、啄んでいた。
数日前にオナガ数羽が加わって、さらに「真打」ムクドリが10羽近く飛来し、
あっという間に枝は葉っぱだけとなった。

この実、実はもう去年11月くらいには赤く熟していたのだ。
ヒヨドリも山から(?)下りてきていたし、ムクドリなどいつでもいたはずだ。
なのにこの「ラッシュ」はここ数日のことだった。
どうしてなのだろう。
いよいよ他の餌がなくなったからなのだろうか。
それとも最もおいしくなる数日を彼ら彼女らが知っているのか。


鳥騒ぎ
裸で残す
ピラカンサ



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2011年からの10年

唐突ながら、ここに来てくださるみなさま、お元気ですか?

今朝のBBC(現地時間では昨日夕方6時)ニュースでは、地獄絵図となっている
イギリスのコロナ医療現場の様子が伝えられました。
亡くなる方、そのご家族の悲惨さはもちろん、スタッフの心身ともの疲弊、
絶望的状況に身の毛がよだつくらい衝撃を受けました。

日本の状況も、それに似たり寄ったりでしょう。
PCR検査を徹底しないから潜在的感染者による伝染が止まらないわけで、
今の緊急事態宣言で少し状況が改善しても、また同じことの繰り返しになる。
もちろんワクチン接種が始まればと期待するところもありますが、
それまでの体制作りに時間がどれほどかかってしまうか。
2月末までには接種開始とのこと、それはもちろん1人にでも接種できれば開始という
ことになるでしょうけれども、そんなことで実績にされてしまったらたまったもの
ではありません。
担当大臣様のご奮闘をお願いしたいところですが、さて。

なにしろそのワクチンが有効であるという実際的な成果発表がまだされていません。
副反応は実際のところどうなのかというのにも定説はない。
さらに変異型ウイルスにも有効かどうかも、です。

どうか、みなさま、本当に本当にお気をつけください。
それしか言いようがない。

*

以前にも書いた英国ITV制作『Vera』の一挙放送がAXNミステリーで始まって、
あらためて主演Brenda Blethyn(OBE)の名優ぶりに感服しています。
脚本、演出、キャスティングも、映像も、すべて一流で、これ以上のミステリー物は
考えられないほどだと思います。

最初のCovid-19関連の話からVeraに移るのは何ら関連がないようですが、
しかし、シリーズ1は2011年に始まったのですから、当たり前のことながら、
劇中コロナの「コ」の字すらないイングランド(北東部)社会であるわけです。

Veraは不幸な境遇の男の子を抱き寄せますし、
部下のJoeを乗せ、亡き父親の愛車(jeep)の中でマスクをせずに
口角泡を飛ばして話します。

この当たり前がなんとまあ懐かしいことかとしみじみ思うのでした。


私は、相当歳をとってからのこの10年、まさかというようなことをたくさん
経験したことをあらためて認識します。

このVeraが始まった2011年には、大地震、大津波、そして故郷の県での原発事故。
2013年初頭では平和憲法を「みっともない」と言う首相と内閣の登場、
そしてその後の数々のでたらめ。
2016年、史上最悪のアメリカ大統領の誕生、そしてその後。
2020年、Covid-19の蔓延。

また、個人的にも、「まさか」とは思わないものもありますが、
父母の死、義母の死、長兄、従姉の死、父母の兄弟姉妹が田舎の叔父の死を以て全員
鬼籍に入ったこと、これら肉親の死による自身の抑鬱状態、さらに目の手術ー
などがこの10年に起こりました。


一体、2021年からの10年は、どんなdecadeになるのでしょうか。



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RIP Phil Spector

Phil Spectorが亡くなったそうだ。
81歳、60年代から音楽産業に関わった者としては長生きの部類だろうか。
なにしろ彼の代名詞は「音の壁(the wall of sound)」だ。
Be My Babyなどを以てその革命的録音とmixing方法の嚆矢とする。

彼はBeatlesにも関わり、アルバムLet It Beのプロデュースをした。
Paulはその関与を嫌ったし、完成した音も気に入らなかった。
The Long and Winding Roadなどについては、「naked」と称し、
Philの音の付け足しやミックスを排したバージョンを出したくらいだ。
しかし、Philのバージョンの方が私は数倍好きだ。

JohnのアルバムIMAGINEも、GeorgeのAll Things Must PassもPhilのプロデュースだ。

Spectorとは東欧ユダヤ人=アシュケナージに見られるsurnameだ。
(さらに「アシュケナージ」とはヘブライ語でドイツを意味する。)
Philの祖父母はウクライナに暮らしていたが、1913年アメリカに移民したという。

Spectorという姓の語源は、ユダヤ学校の教師助手を意味し、
またsupervisorの意味もあるのだそうで、アーティストの音を編集していった
彼の仕事にぴったりだ。

しかし、specterと綴れば、英語では「幽霊」だ。
彼の少し不気味な容貌とfamily nameは、英語ネイティヴからすればこれまたぴったり
だったに違いない。

長く精神的な病を抱えており、2003年の女優殺しで服役中であり、
Covid-19による合併症で16日に亡くなったそうだ。

冥福を祈る。


「音の壁」ー
確かに革命的な音だった。
60年代中頃は正にこのPhil Spectorサウンドばかりだったような・・・。
60年代の音、だったんですよ、ええ。



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The Tamagawa & Nogawa Triptyque

今日もたくさんの方にご訪問いただいております。

ありがとうございます。

Silver Tearsへのリクエストが多数(当社比)です。
なんと10人の方が!
Can't Let You Slip Awayにも9人の方が。
また、I Love You Tooにも!

これらは多摩川・野川3部作と言うべき作品で、リクエストされた方々の
ご理解の深さに驚いております。

なにしろすべて私が演奏し、楽曲としては完結しておりませんが、
いつか仲間たちと仕上げのレコーディングができればと念願しています。

それでー

こう並べてみます、いかがでしょうか。







夜、オリオンがすばらしいですよね。
野川、多摩川で見るのは最高です!


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放送と云えばNHKラジオばっかりの日々で

今日も歩きながら聴いたNHKラジオの番組のこと。
今「聞き逃し」で配信されているコンテンツのうち興味あるものはほぼ聴き尽くし、
「ラジオ深夜便」の中、低山登りを勧める「登山家」の話を見つけた。

低い山ー
多摩川から見える比較的低い山(丘陵を除く)と言えば、やはり高尾山のような
奥多摩秩父山塊の関東平野から見た前衛峰ということになるけれども、
とても特徴的な形をした大岳山(おおたけやま、1266m、檜原村)とかが
取り上げられたらな、などと聴く前に思い、それがダメなら、全然低くはないが、
私が好きな山梨県大月市のハマイバマル(1752m)なんぞを取り上げてくれたら
愉快だなあ、とも。

すると、当たらずとも遠からず、ハマイバマルから北へ8kmほど縦走するとたどりつく
牛奥ノ雁ヶ腹摺山(うしおくのがんがはらすりやま、1990m)が紹介されたのだ。
読みの音数としては日本一多い山で、今かなり有名になっているらしい。
この山も狛江市の五本松あたりから見える。

出演者によれば、今年は丑年につき、「うし」にまつわる山を、と思ったらしい。
しかし該当する山は全国にたくさんあって迷ったらしいが、
ユニークな名前の牛奥ノ雁ヶ腹摺山に白羽の矢を当てたということだった。
さらに、おめでたい富士山がそこから際立って美しく見えるということもあるし。
ただ、ついぞ「牛奥ノ雁ヶ腹摺山、東京からも見えますよ」とは言わなかったのが
惜しまれた。

*

これでもう興味あるコンテンツは尽きてしまった。
なのに歩きは続いたので、「しかたがない」と(失礼)「上方演芸会」。
トリの噺家さんはまあまあだった。
終わってさらに「真打競演」。

ひどかった。
故・春風亭柳昇師の弟子のひとりの「新作落語」をやる<老練>噺家だったのだが、
くだらないシャレ、漫談ーしかも相当質の悪い散漫な話としか言いようがないーで
<お茶を濁し>、自分では上手いと思っているらしい石原裕次郎の歌を
フルコーラスで唄う。
お付き合いで拍手したり笑ってあげる鹿児島県の肝付町のみなさんはこころやさしい。

こんな程度で噺家としてやっていけるのだから、甘いものだ。
いや、どんな仕事も甘いはずはないのだけれど、
それでも、ただ堂々とつまらぬ独り善がりの「新作」落語を長くやっているー
その堂々たる恥のなさが芸なら、甘いとしか言いようがない。


古今亭志ん生さんの咄がいくつもYouTubeで聴ける。
コメントに「志ん生で落語は終わった」というものがあって、
確かに、噺家ってのは、落語ってぇのは、つまり志ん生で、志ん生の咄だ、と
言ってしまっても決して過言ではない気がする。
その志ん生の多面性のひとつひとつをそれぞれコントラスを強めにして特徴・藝に
した噺家として、三遊亭圓生や柳家小さんがいるというような感じだ。
春風亭柳昇さんだって、志ん生さんのナンセンス・ジョークに魅せられたに違いない。

志ん朝さん(志ん生の弟子で息子)や小三治さん(小さんの弟子)はその系譜の中、
なんとか独自の境地をとがんばった(がんばっている)方々だ。

柳家喬太郎さんや春風亭一之輔さんなども同じことだろう。
みんな志ん生がまずはお手本なのだ。

近頃ますますそう思う。



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好い気なもんだ

NHKラジオの『朗読の時間』では、今谷崎の『痴人の愛』をやっている。
映画化も何度もされた有名な小説だが、私は読んだことがない。

大正時代版の「紫の上」のような奈緒美(Naomi)と
光源氏のような譲二(Georgeか?)ということかと思いきや、
二人の身分はそんな高いものではなく、それどころかNaomiは東京下町の
下層階級出身として描かれ、宇都宮出身の、高等工業(東京工業大学)を卒業できる
だけの家柄ながらも田舎者の譲二に結局は出自を侮蔑されるような少女
(出会いの頃=15歳、譲二28歳)である。

聴いていて、不愉快になってくる。
「文豪」の、その時代の事情による執筆背景があるとは云え、
奈緒美が西洋人の名のようだだの(これが譲二が彼女に興味を持ったきっかけ)、
風貌が当時大人気のアメリカ女優メリー・ピックフォードに似ているだの、
さらに「君子」の譲二が奈緒美に手を出すまでの経緯とかを長く聴いていて、
その譲二の精神というか、大正期インテリ男性の西洋文明や西洋人への卑屈さと、
所詮<したごころ>なのに迂遠極まるような譲二の言い訳・美化にうんざりしてくる。

今朗読は、譲二が、彼にふさわしい妻にならんと上昇志向を持つ奈緒美に、
ミス・ハリソンの指導の下英語をずっと習わせているが、
あまりに文法を理解しないために、彼が彼女をこきおろすところまで進んでいる。
(現在分詞が述部に使われるときは、be動詞が伴われることをどうしても理解しない
などという、私にとっても確かに実際にそういう例に多く出くわしてきたことであり、
笑いながら聴けたが。)

もうこれ以上は聞かない。
ネタバレのあらすじをどこかのサイトで読めば十分だ。

譲二はさしずめ漱石小説で謂う「高等遊民」だ。
ただし江戸っ子・東京人世界でのそれでなく、田舎の素封家階級の坊っちゃんだ。
今の東工大出身の技師だから食いっぱぐれは全くないし、
下町出身の13歳差の賎女(しずのめ)に好き勝手をやらせる条件は十分だ。
外見容姿は申し分ないので、後は自分も属すアカデミック世界および情操においても
「ナオミ」を理想の女にしようという目論見はもちろん分かるけれども、
それが何から何まで西洋人的になることに帰結していくような話なのだ。

そして漱石小説のようにこれから三角関係がやはり出てくるらしいけれど、
まさに「痴れ者」のそれ、『虞美人草』の藤尾をさらに書き継げばかくあらんという
ような女にナオミはなっていくのだろうかとふと思ったりする。

一高・帝大というコースを辿った共に超エリートの漱石と谷崎である。
明治・大正期のインテリたちにとって、旧来型の日本人女性ではなく、
「青鞜」的な、予測不能な行動家的な謎めく女性は、肯定するであれ否定するで
あれ魅力的だったのだなあ、と。

そして谷崎は漱石小説を、後輩として、より時代が進んだ中の小説家として、
<発展>させたのだという自負があったのではないだろうか。
(勝手な推論です。読んでもいないのにね。)

なにしろ「高等遊民」の話は、「好い気なもんだ」と言いたくなってしまうところが
どうしても出てくる。男女のことの一大事など、国家的な視点からはただただ
軽佻浮薄の一言、それもさらに国の将来の大きな部分を背負うべきインテリゲンチャが
三角関係などで現を抜かすようでは言語道断と思った明治・大正期人も多く
いたのではないだろうか。

しかしだー

「好い気なもんだ」の「好い気」こそが、藝術そのものを支えているー

つくづく朗読を聴いていてそう思った。
世田谷のある街の一角を夜歩きながら。



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Rescue Artists!

NHKBSニュースをさきほど見たら、演劇と音楽関係の仕事に従事する人たちの3割が
自殺を考えたことがあるとアンケートに答えているというのだった。

「不要不急」ということばは残酷で、エンタテインメントに携わる人々は傷ついている。

絶対安全な観劇・音楽鑑賞環境をつくることは不可能だ。
だからこそ、政府は一刻も早くパンデミック禍から抜け出す方策を尽くす一方で、
エンタテイナーたちにそれまでの補償をするべきだ。
この人たちへの援助は他業種の人々にとって不公平なことではない。
人が集まらなければ成り立たぬ産業の人々になんらの落ち度もないのだから、
皆で支えなければパンデミック終息後に楽しむものがなくなってしまうことを絶望的
状況と捉えなければいけないと思うのだ。
現に小規模であれ人が集まって成り立つ飲食業には補償がされている(その金額の
多寡は論じない)。

今更藝や藝術の重要さを説く必要もなかろう。
確かに非常時には逸早く軽んじられるものかもしれないけれど、
逆に、平時ばかりでなく、非常時だからこそ必要なものとも言えるのではないか。

3割の人が自殺を考えるほど追い詰められているなんて、
本当になんという悲しい現実だろう。

政治家としての「藝」がない者たちに生殺与奪の権を握られている
本当の藝を持つ人たちのことを思うと、いたたまれない。



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英語・共通テストは失敗する

Mooさんのブログに、氏と、勉強や読書の邪魔をする愛猫ハルちゃんの写真があり、
夏目漱石を彷彿とさせるものがあって味わい深い。
しかも、ハルちゃんは鼻の部分に腫瘍ができてしまい、すでに獣医に匙を投げられている
という事実を噛みしめてみると、さらに「もののあはれ」を感じる。

https://blog.goo.ne.jp/azumino_moo

氏のお孫さん(二十歳となられた)は現在東大の1年生だが、駒場に通うことなく
ずっとオンライン授業のままになっているという。なんということだろう。

共通テストなるものがあさって初めて行われるが、英語に関して言えば、
writingとspeakingを結局欠いたかたちで、listeningを以前の4倍(reading比)
重視し、readingと同等に評価するということだけの「変革」の下、
いったいどんなに歪なテストになってしまうものかと懼れる。

「読む・聴く」が1:1であることに文句はないのだ。
問題は、一般的にそんなふうに高校で英語の授業が展開されてはいない、
ということなのだ。
英語指導に熱心な一部私立高校などは十分対応できるのだろうが、
公立高校などでは、まず疑いなく、Communicationというクラスがreader
中心授業で、生徒に訳させ、教師が評価しつつ、文法や構文、語法のポイントを
解説するという従来型を踏襲しているはずだ。
Expressionという表現型のクラスもあるにはあるが、実態は文法授業だ。
始末が悪いことに、共通テストのreadingは速読をのみ重視しているのだ。
センターテストのように、従来型授業での知識も拾ってやるスタイルではない。

この、現場の実情を知らぬまま、あるいは知っていても無視しつつ、
速読と聴き取りだけのテストを強行する姿勢は、他の政策実行でも容易に見られる
<見切り発車>と共通のことだ。

今年の高3は、3年次実施なら修学旅行に行けず、他の行事や授業展開も混乱を極めた中、
仕上げのように現場実態にそぐわぬテストで運命を決められてしまう。
気の毒の一言だ。



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「不滅の愛」はある

NHKBSにチャンネルを合わせたら、2001年制作の、
ベートーベン「運命の恋人」とは誰なのかに迫る番組が先ほどまで再放送されていた。

フランス貴族の娘で、彼の10歳下で当時30歳の、4人の子を持つ人妻
アントニア・ブレンターノであろうというのが番組としての結論であった。
Wikiを見るとまだまだ諸説紛々で、決定的なものはないようだ。
映画『不滅の恋人』もCATVで遠い昔見たが、驚くべき展開だった記憶が。

「die unsterbliche Geliebte」ーunsterblicheとは英語ならundyingだ。
(「undying love」と訳せば、JohnのAcross the Universeを思い出す。)
Ludwigは「不滅の恋」に破れ、その後長く本調子では作曲できなくなる。


昨夜上げた拙曲『Your Pictures on the Wall』だけれどー
「楽聖」の話の後に恐縮至極ながらー

Beatlesの例えばEvery Little Thingの一節、

There is one thing I'm sure of
I will love her forever

ーこの歌を唄っていた頃のJohnはCynthiaと、PaulはJaneと結局別れたけれど、
それでも青春期に私は不滅の(恋)愛はありうると思っていて、
そして歳を経てそんなのはほぼ絵空事と思うようになり、
しかし今やはりありうると思っているのだ。

それは、物理的に一緒にいる、ずっと添い遂げているというようなことと
イコールではないのだ。

1812年にLudwigは「不滅の恋人」との破局を迎え、その年交響曲は7, 8番と
精力的に書いていたのに、以降9番まで12年経ることになってしまう。
もちろんその間ピアノ・ソナタなどは書いていたのだけれども、
明らかに「スランプ」と言える時期を長く過ごしてしまうのだ。

この事実から、私はやはり第九交響曲こそBeethovenの最高到達点であると思うし、
「不滅の愛」とは何かを悟ったからこその作品だと思っている。

特に第3楽章、「緩徐楽章」と呼ばれる楽章の23小節目から25小節目にかけての、
変ロ長調、ヘ長調からニ長調に転調(拍子も4/4から3/4へ)するところに
その「悟り」を聴くのだ。

2018年暮れにマレク・ヤノフスキ指揮によるN響コンサートで、
ヤノフスキのことばによれば「まるで『神』を感じさせる」この部分の偉大さに
私は気づかされた。


Ludwigだって人の子だから、婦人の肖像画(pictures)を眺めながら、
一時の熱狂で「不滅の恋人」とその人を断じてしまい、
それは愚かしいことだったと思ったり、やっぱりそうだったんだと思い直したり、
いろいろあったと思うのだ。

そして晩節において、耳も相当に悪くなってしまった中、
この第3楽章を含む「歓喜の歌」の4楽章を編み上げた。
それは「不滅の愛」を信じられたからのことだったと私は結論したい。



*

なお、この緩徐楽章bars 23~25を心底大切にして演奏させたヤノフスキの第九は
YouTubeにはないようだ。
だとしたら、私が2018年年末もいいところの冬晴れの日、
多摩川で聴いて「解脱したか」と思うほどに感激した、
ナチ時代1942年に演奏されたフルトベングラーのをお奨めする!

https://www.youtube.com/watch?v=yxjFCMaJXGQ&t=267s


*

追記

今日は訪問者数がすごくて、このままなら250人ペースです。
それぞれ6を超えるリクエストがありました(その記事に来てくださった)ので、
「永遠の愛」を求める渦中にいる人間の2曲を再掲します。

Pretty Maids All in a Row (Eagles) ~MNEMO cover


Rush Back to You (Partial Self-Cover by King Reguyth & MNEMO)


リクエスト、ありがとうございました。



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Your Pictures on the Wall〜作り直して再掲

ただし、超短いです。
本編は仲間たちと、もちろん。


by King Reguyth & MNEMO

*

なんとこの曲は1984年に降りてきたもの。
37年前って、おい。

何人かの方のrequestがありましたので、作ってみました。
3、4人の方です。

ありがとうございます!




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2021 正月雑感

Mooさんが大町と池田の気象学的差異につき的確な考察を書いてくださいました。

https://blog.goo.ne.jp/azumino_moo

大方にはどうでもいい話題ですけれども、例えばわが故郷會津でも、
より新潟に近い私の故郷は豪雪地帯で、會津盆地はそれよりはずっと降雪量が落ち、
さらに猪苗代町と郡山の境で日本海側気候と太平洋側気候にくっきり分かれるという
事実があって、それが山のブロッキングのせいであることはよく分かる中、
大町と池田の場合はではどうなのかということ、その謎は私にはおもしろかったのです。

池田町の住人である知の人Mooさんも当然その謎に迫ろうとされ、
非常に説得力ある考察を披露してくださいました。

簡単に言うと、最大の原因は、大町も池田も北西に当たる富山からの雪をもたらす
季節風を北アルプス(立山連峰と後立山連峰)という日本最高の壁でブロックされて
いるはずなのだが、池田はそうでも、大町には北西に黒部峡谷という風の通り道があって、
これが特に大町市北部に雪雲をもたらすということなのです。

なるほど。

ありがとうございました、Mooさん。
さすがの碩学としか言いようがありません。

*

この頃ニュースというとCNNを見ることが多く、今回のinsurrection=暴動について
反トランプのメディアとして非常に徹底的な考察、論評をしています。
そして20日の新大統領宣誓式には50州すべてのCapitol(州議会・建物)で同様か
それ以上に過激な「storm」がなされることを深刻に警戒しています。

なにしろペンス副大統領(=上院議長でもある)がelectoral votes(選挙人による
投票)を無効としなかったことで「Hang Mike Pence(ペンスを吊るせ)」と
言いながらDCの議事堂に入っていたような輩です、何をしでかすかわからない。

弾劾を叫ぶPelosi下院議長をはじめ、暗殺のリストに入った政治家がいるようですし、
CNNではジャーナリストとして能う限りのトランプとその支持者の暴徒を批判をした
Don Lemon(=アフリカ系アメリカ人)も危ないではないかと感じます。
いや、CNN自体が狙われるかもしれない。

反トランプの人々は、共和党員のシュワルツェネッガー氏も含め、
アメリカという偉大な国はこの危機もきっと乗り越えると言うのですが、
その「偉大な国」は銃火器が事実上所有し放題の空恐ろしい国でもある。

今回のトランプ非難、暴徒非難を公にした人々はこれからずっと装甲車にでも乗って
いないと命の危険に晒されるのではないかと思うほどです。

そしてそんな民主主義が脅かされている中、この「偉大な国」は、
緊急事態宣言も何もない、世界最悪レベルのCovid-19蔓延を防げぬままに
なっているのですから、いったいどうなってしまっているんでしょう。


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気分直しに、池田と大町の気象学的差異のこと

Mooさんに拠れば、おととい現在(?)安曇野・池田町は積雪1センチ、
ところが北隣の大町市は大雪らしい(どのくらいかの記載はなかった)。

冬に氏のお家(池田町)に泊めていただいて大町市に数日間通った経験から、
私もある程度池田と大町の天気傾向の違いは知っているのだけれども、
池田町はかえって南岸低気圧(関東の南を通過し、東京に雪をもたらす)によって
大雪になったりするのであり、強い冬型の「西高東低」パターンで大雪になるのは
もっぱら大町ということになるのだ。

Mooさんも不思議に思う池田町の特異な天気傾向だけれども、
松本市とそれはほぼ同じであって、結局太平洋側気候に大体準ずるのだ。
しかしそれでも池田町が大町に隣接していてそことはまるで違う
天気になるのはなぜなのかー
そこがMooさんの思う謎なのだ。

素人が云々してもしかたがないけれど、やはり松本盆地(松本平と安曇平)は
総体として太平洋側気候に準ずるのであって、その北限が池田町、松川村で、
それより北になる大町市は、安曇平の極北だが、日本海側の気候になるー

池田だって大町だって、北西風なら分厚い北アルプスの山塊がブロックし、
雪雲もそう簡単にはそれを越えてこられないはずだけれどー

まず、大町は数秒単位であっても池田より北であること
(つまり雪国の新潟や富山により近づいていること、より寒いということもある)、
次に、大町は池田より確か海抜200メートルほど高いこと(池田の雨が大町では雪
ということが大いにありうる)、
さらに真北から風が入れば、「塩の道(新潟の糸魚川に通じる)」を通って
雪雲が入りやすいかもしれないこと(池田もその「道」の途上だが、到達までに
勢いを失ってしまうことが多いかもしれない)、

などが要因かもしれない。

どうでしょうね、Mooさん。


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擱筆して一言

『インスタント カーマ』、お読みいただきありがとうございました。

性懲りもなく、自分(ら)だけは大丈夫と感染を無責任な行動で拡大させる人々が
今もいる現状に強い怒りを感じている今日この頃、
3日に私の好きな散歩コースにある交差点で、小学生がその横断歩道で馬事公苑方向から
左折してきたポルシェに轢かれ、亡くなるという痛ましい事故がありました。
6日に事故現場近くの歩道脇に花を手向ける少女とそのお父さんに出くわし、
心の底から悲しい想いになって、この救われない短編を書こうと思ったのです。

その小学生KMくんの御霊安らかでありますように!

どうか一部国民が無責任な行動をとりませんように!

*なお、小説は当然ながらフィクションです。
登場する人物、その人物についての一切の記述はまったく事実ではありません。


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短編小説 インスタント・カーマ 5(完)

事情を知って宏美は「忘年会クラスターね」と冷たく言った。

「本多さんの奥さんの香奈さん、泣いて泣いて、パニックだったわ。
あなたは大丈夫なのって聞いてくれて、私も昨日の夜10時過ぎにあなたに
メールしたけど、涼太があんな目に遭っていた最中だったのね・・・。

看護師さんにお訊きしたら、あなた、マスクはしていたらしいし、
コロナの抗体検査も昏倒中にして、一応陰性で、この病室も本病棟からは隔絶している
から大丈夫だとおっしゃっていたけれど、本当に罹っていないのかしらね。」

宏美はそして、いよいよ彼女の最大の疑問を晃司に質すのだったー

「お医者様や看護師さんは言い渋っていたけれど、涼太もたらい回しに遭ったらしいわね。
もしかして、それで治療開始が遅れてしまい、助かる命が助からなかったってこと
なかったの?

呼吸中枢部分に重大な損傷があったっておっしゃっていたし、
それは致命的なことだとも・・・

手術しても助かる見込みは0パーセントだったんですかって私訊いてみたけど、
『手遅れでした』っておっしゃって・・・

手遅れって、どういうこと。さらに訊きたかったんだけど。
たらい回しがなくてもなのか、そうでないのか。」

晃司は沈黙する。
宏美はそれでかえって得心がいった。

「たとえほぼ致命傷でも、手術で命を取り止められる可能性はゼロじゃなかったのね。
0.0001パーセントであっても、ゼロでは。そうでしょ?」

宏美は興奮し、項垂れている晃司の肩を突く。

「ね、あなた、晃司さん、この途方もない皮肉、分かってる?
分かっているから、答えられないんだよね。

涼太がたらい回しに遭った。
緊急処置が必要な複数の人々とその順番を図らずも競うことになった。
その競う人の中、あなたの友人が、あなたと一緒に27日に、絶対に避けるべき
狭い密室で飲み食いし、カラオケやって、大騒ぎした人・・・
本多さんか沖さんか、あるいはその両方と、競ったかもしれないのよ!

あなたの、あなたがたの、底抜けの浅慮のせいで涼太は助かる命を失ったのかも
しれないのよ!」

宏美は晃司がもう悟っていた自分の最悪の罪をはっきりと言葉にした。

実は、あの忘年会を最初に提案したのは確かに桑原ではあったが、
大いに賛成し、スナック貸切の手配をしたのは晃司自身だった。
そのスナックは長くコロナの影響を受けて、懇意のオーナー夫婦は交代でアルバイトに
出る始末となって、「このままでは店を閉じるしかない」と落ち込んでいた。
その夫婦を励ます意味でも、「Go To」キャンペーンが終わる28日の前日、
仲間で少しでもお金を落とそうという「善意」のつもりだった。

「涼太が事故に遭ったのは、あの不注意極まりないドライバーのせいよ。
それについてはあなたに責任はないわ。」

宏美が言った。

「でもその後のことについては、そしてあなたの仲間たちの今の苦しみついては、
どうかしらね。

こんなふうになるとは夢にも思わなかったって言うのは、
あのバカ・ドライバーが横断歩道に人がいるとは思わなかったなんて
信じられないことを言うのとほとんど同じよね。
このコロナ感染爆発という状況で、大人数で飲み食い唄って、
まさかクラスターが発生するとは思わなかったなんて言う、底抜けの愚かしさ!」

晃司は、泣くことも、叫ぶことも、壁に頭をぶつけることも、できなかった。
ただ呆然としていた。

「あなた、今日午後検査したら家に帰っていいらしいわ。
私が涼太の亡骸を引き取るけれど、いいわね。
あなたの小さなアパートじゃいろいろ不都合が多いだろうし。
お通夜とか本葬とかのことは知らせるわ。」

宏美は立ち上がってドアの方へ向かう。

「メール、見てね。」

ドアを閉める前に宏美は冷たく言った。



晃司はしばらく抜け殻のようになってベッドの上に座っていた。
着信のバイブレーションがあって、ディスプレイをちらっと見た。
桑原からの電話だった。
さすがに気になって出た。

「桑原の妻です。
夫が早朝突然家を出て行きました。
まだそれから3時間しか経っていませんが、昨日からの夫の様子から心配で。
塩田さんならもしかして何かご存じかと思いまして。」

晃司は何も言えない。

「何があったんでしょうか。
夫は昨日部屋に閉じこもって、時折どなたかと電話で話しているようで、
それもなんだか謝罪ばかりしていて・・・。

そのうち咳を頻繁にするようになって、熱もあるって言うので、
もしかして先日の忘年会で感染があったんじゃないかと私疑いまして、
保健所に相談したんです、彼と私とで何度も電話をかけて、ようやくつながって、
それでももう少し様子を見て欲しいって・・・受診先が今手一杯だとかで。
塩田さんはいかがですか、大丈夫ですか?」

「あ、あの、僕は大丈夫です。」

晃司は、コロナの抗体検査結果だけで他にひとつも「大丈夫」なところはなかったが、
桑原の妻に余計なことは言いたくなかったから、彼女が訊いているコロナについての
質問だけに返答したつもりだった。

「ああ、それはよかったですぅ。」

桑原の妻は本当に安堵したという調子で言った。

「でも、本当に夫はどこへ行ったんでしょう。
会社は昨日からだったんですが、調子もあまり良くないからってお休みして。
今のご時世なので、会社も今週いっぱい休んでいいっておっしゃってくださって。

家を出る前に、塩田、塩田って何度も塩田さんの名前を口にして、
塩田さんがどうしたのって訊いても何も答えないでまた部屋に入って・・・
気がついたらいなくなっていたんです。」

晃司はゾッとした。
言い知れぬ恐怖が昨日以来また彼を襲ってきた。

外では救急車のサイレンが聞こえている。


〜完




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短編小説 インスタント・カーマ 4

晃司がいる病室はかなり上階の端にあるようだった。
小児病院なのだが国立の立派な施設であって、世田谷通りからずっと奥の、
世田谷区立大蔵総合運動公園が見える静かな佇まいだった。

晃司はいずれ必ず宏美と会わねばならないのだからと覚悟を決めて、
看護師に面会を承諾する。

5分ほどしてその看護師がまずドアを開け、

「木下さま、おいでになりました。私はナースセンターにおりますので」

と言い、宏美を通した。
宏美はドアを閉まらぬようにしながら、まず慇懃に看護師に礼を言った。
そして晃司と視線を合わすことなく部屋に入り、ドアを閉め、
そのままゆっくりと窓のそばへと歩いて行き、しばらく緑を眺めていた。

晃司は宏美の沈黙にいたたまれなくなって、起き上がってから土下座して、
「すまん」と言った。

「涼太を守れなかった。万死に値すると思っている。」

宏美は振り向かず、言葉も発しない。
数十秒経った。

「なんでそんな時間に涼太を外へ連れ出していたの・・・
とは言えないわね」

と宏美は言って、やっと晃司の方へ顔を向けた。
見れば憔悴しきった表情で、瞼は赤銅色に腫れ上がっている。

「そんな時間に涼太と遊ぶしかない生活になった責任は私にもあるし。」

宏美は力なく下を向いた。

「運転手は横断歩道に人がいるとは思わなかったなんてワケのわからないことを言うのよ、
本当に、なんていうフザけたことを!」

そう言って宏美は再び窓外を見る。
涙を拭っている。

「涼太の顔はとても穏やかでねー」

嗚咽を抑えて言う。

「タイヤに踏みつけられたとは思えないほど、きれいだった。
それが救いよ、救い。」

晃司も涙を噴き出させ、再び、

「すまん!本当にすまん!」

と言った。
二人はそれから数分沈黙して、ただ互いに洟を啜る音だけが部屋に響くのだった。


「本多さんねー」

宏美が沈黙を破った。
宏美は晃司の仲間のうち、本多の妻と特に親しくしていた。

「コロナ発症して、たらい回しに遭ったそうよ、昨夜。」

「え?」

晃司は唖然とする。

「4つぐらいの病院に拒否されて、やっと荏原中央病院が受け入れてくれたって。
それも交通事故の人の処置と重なって、あわやさらにたらい回しになるところだったって。
今は人工呼吸器をつながれてICUに入れたけれど、満床もいいところで、
実はその夜ちょうどなんとかもう1床を確保したばかりだったんだって。」

宏美が椅子に座り、晃司を見つめて言った。

「ねぇ、27日に忘年会やったんだって?」

「・・・う、うん。」

晃司は弱々しい声で答えた。

「本多さんの奥さん、言ってたわよ、上谷さんが重篤な病状だって。
まだ42歳だけれど、糖尿気味だったって言うじゃない。
あの狭いスナックで、カラオケやってってー
こんなご時世で、あなたたち、どうかしてない?」

晃司はふと自分のスマートフォンを見ると、LINEに10いくつものメッセージが届いていた。
宏美はそれに気づき、

「見てみたら」

と言った。

多くが桑原修身からのものだった。

「ヤバいよ、晃司。ほんとにヤバい」

スレッドの最終メッセージ。
晃司は未読の最上段へとスワイプする。

「返事ないけど、既読にはなっているな。お前、大丈夫か。」

「小柴も自宅待機だそうだ。熱が出てきて、しんどいそうだ。」

「小柴のヨメさんにまた怒られた。参加した旦那も旦那だけれど、なにしろ企画した
俺が悪い、小柴になんかあったらどうしてくれるって。」

「本多はヤバい。ダメかもって書いてきた。それ以降返信ない。」

「ほんと、どうしよう。こんなことになるなんて、ほんとに認識甘すぎた。
上谷が感染源だったのかも。ああ、ヤツを責めたってしょうがない。
今あいつは死線をさまよっているんだな。」

「斎藤によると、沖も急激に体調悪化して、でもたらい回しに遭ったらしい。
昨夜のことだ。
それでもなんとか関東健保病院に収まったそうだ。
容体はきっと悪いんだろうな。
ああ、どうしよう!」

「大変だ。
君津も調子悪くなっていて、保健所に連絡したと。
ずっとつながらなかったけれどようやくつながって、PCR検査するって。
ほんと、どうしよう、忘年会メンバー、高橋だけか、何もないの。
ヤバいよ。
俺どうしたらいいんだ。」

「おい、ほんとお前、大丈夫か。
なんか大田区で子どもの交通事故があったらしいけど、まさかだよな。
え、おい、今TV見たら、塩田涼太くんて・・・。
おい、大丈夫か!
返事くれ!」

そして午前6時26分、最後のメッセージが、

「ヤバいよ、晃司。ほんとにヤバい」

だった。



〜つづく




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短編小説 インスタント・カーマ 3

涼太は小児医療センターのERに運び込まれるが、
入口のドアの前で待っていた医師が救急救命士と短い会話をした。
「延髄」、「呼吸中枢」、「DOA」ということばが晃司には聞こえた。

涼太は診療ベッドに寝かされはしたが、医師は瞳孔を見、対光反射の有無を確認し、
「んん」と言ってから、ERのドアの方へ力なく向かった。
ドアの外の椅子に、頭を両手で抱えるようにして座っている晃司の許へ来て、

「お父様ですか?」

と声をかけた。
晃司は顔を上げ、かろうじて「はい」と言った。

「まことにお気の毒です。救命士さんがずっと心肺蘇生を試みてきたのですが、
それらが停止してもう10分以上経っています。」

つきさっきまで零下に近い気温の外で待っていたにも関わらず、
医師は汗を拭うというのか、白衣からハンカチを取り出して額に当て、
二、三度往復させた。

「これは言うべきではないかもしれないのですがー」

医師は下を向いたまま切り出した。

「あと20分早ければ、息子さんの脳挫傷を手術することもできたかもしれません。
成功するとは言い切れませんし、また、成功しても後遺症はあると思いますが。
コロナコロナできっと他の病院も逼迫していて、到着が遅れたのですね。
悔しいです・・・。」

晃司は口を開け、目を泳がせている。

「大変残念ですが、23時01分、お亡くなりになったということでー」


*


晃司は小児医療センターの病室で目を覚ました。
本来はあり得ない措置であったが、額と頭の皮膚が割れ、強度の脳震盪で倒れた晃司を
よその病院に回すこともできない。

モニターで見ていたのか、看護師と医師がすぐに駆けつけた。
医師は、

「塩田さん、いかがですか?」

と言った。

「おケガの回復には2週間程度必要です。安静になさってください。」

頭部が包帯でぐるぐる巻きになった晃司は、不思議と痛みを感じずに、
自分に起きたことを少しずつ思い出していた。

「そうだ!死なねば!涼太、涼太、すまなかった!俺も一緒にゆく!」

そう叫び出したのはまもなくのことだった。

医師と看護師はベッドから飛び出そうとする晃司を押さえる。
晃司は初めて凄まじい痛みを頭部に感じ、ベッドの上でうずくまってしまう。

「塩田さん。塩田さん。」

医師が穏やかな口調で呼びかける。

「どんなにおつらいことか、私には想像を絶します。
本当にお気の毒です。お悔やみを心から申し上げます。
でも、どうか、どうか、あのようなことは二度となさらないでください。
悲しみに圧倒されず生きてください!
息子さんもそれをきっと望まれていますよ。」

晃司はそのことばに号泣した。
ただ、号泣した。


「お名刺から、ご関係先に連絡させていただきました。」

看護師が、晃司の涙が再び涸れる頃、静かに切り出した。

茨城のお母様が今こちらに向かわれています。
会社の関係者さまがもうおいでになります。斎藤さまという方です。
それからー」

看護師は少し間を置いた。

「木下宏美さまはもうおいでです。」


木下宏美ー

晃司の元妻である。
司法試験を目指すと言いつついい加減な生き方をしてきた晃司にとうとう我慢ならず
彼と離婚してもう3年が経っていた。
決定的な落ち度はない晃司は、離婚の際ひとつだけ条件を出した。
涼太の親権を自分が持ちたいということだった。
宏美は結局養育できなくなるに決まっていると最初は反対したが、
もし小学校の6年間、<まともに>涼太を養育できたなら再婚を考えるということで
同意したのだった。

晃司は、涼太が生まれて以来試験勉強と称して家にいることが稼がねばならない
宏美より圧倒的に多く、涼太はパパっ子になっていた。
だらしない晃司に宏美が小言や罵声を浴びせることも多く、
幼い涼太には母親がなんだか怖い存在のように思えることが繰り返され、
いつもやさしく遊んでくれるパパの方が明らかに好きだったのだ。

涼太が望めば宏美にはいつでも会えることになってもいたし、
宏美も月に最低二回は涼太を自分の家に泊めたから、
涼太がさほど母親を恋しがるということもなかったのだった。

それから3年間、晃司は生活の糧と涼太のよい暮らしのために懸命に働いてきた。
「司法試験」の「し」の字も言わなくなった。
自ら課した定時を超す労働は、涼太のための金を稼ぐ目的だったから、
苦にはならなかった。
ただ、そのために涼太との十分な時間がとれなかったのだが。


「塩田さんが倒れられてからだいたい8時間経ちました。
今、朝の7時です。」

看護師が言った。

「木下さまをお呼びしましょうか?」

晃司は固まってしまう。
「まったくそんなことには・・・readyじゃない!」
心の中で、そう言った。

「木下さまが、塩田さまにお会いしたいようなのです。」

看護師の声が晃司の頭や額の痛みをさらに強くするようだった。



〜つづく





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短編小説 インスタント・カーマ 2

「小児医療センターが受け入れられるそうです!なんとかすると。」

隊員が告げた。

「ありがたいが、遠いな!」

救急救命士は舌打ちをした。

「環八北行!」

救急車はUターンをし、環状8号線へ入った。
夜も10時を過ぎて、交通量は幸い少なくなっていた。


事故が起きたのは1月5日午後10時、一人息子の涼太はまだ冬休みだったが、
晃司は2日から運送の仕事で、早朝6時から夕方5時までの勤務時間
(昼食休憩など各休憩、さらに志願しての勤務延長込み)ということながら、
道路事情や残業によっては半日拘束されてしまうのもしょっちゅうだ。

父子家庭で、夕方、学童保育が終わって帰る涼太の面倒をすぐにでも見たいのだが、
勤め先から帰ると午後7時を過ぎることも多く、自分もかなり疲れてしまうから、
涼太とは近くで外食することが多く、アパートに帰れば入浴してすぐに寝る。

学校が始まる7日を前に、晃司は5日、定時に仕事を終えて、
いつもより早く夕食をとった後近くの公園で10時近くまで涼太のスケートボードの
練習に付き合っていたのだった。
そんな時刻まで9歳の子どもを連れて外に出ているなんてと眉を顰められるだろう
ことは覚悟してのことだった。
父親として、母と暮らせなくなった息子にできるだけのことをしたいと思うからこその
父と息子の<夜遊び>だった。
事故はその公園からの帰りに起こったのだった。


救急車の中、晃司は呆然としつつも、救急隊員たちが何度も口にする「コロナ」と
「クラスター発生」いうことばがさすがに耳について、あることを思い出していた。

彼は年末の27日にカラオケが置いてあるスナックで忘年会に参加したのだ。
仲間は10人で、28日で「Go To」キャンペーンが終わるという直前の日にどうしても
日頃の憂さを晴らそうということで飲みかつ食べ、大いに唄ったのだった。
むろん「新型コロナウイルス」蔓延のご時世であるから、ソーシャルディスタンスや
マスク着用に少しは気をつけたが、とにかくそう広いスナックでもなく、
酔いが回ってみんながハメを外し出すと、マスクも外し、相手との距離など
どうでもよくなっていた。


そのとき晃司のスマートフォンにメールの着信があった。
高校時代からの友人で、その忘年会に一緒に参加した桑原修身からだった。

「まずいぞ。
沢田の情報によると、上谷大輔がコロナにかかって、容体急変、今ICUだそうだ。」

上谷も忘年会に出ていたひとりだった。
また着信ー

「お前大丈夫か。
俺はなんだか熱っぽくて、電話かけまくってようやく保健所につながって相談したが、
自宅待機だ。
気をつけろ。
LINEでグループにも注意喚起の投稿をした。」

涼太と遊んでいたから、その投稿を晃司は見ていなかった。
こんな状況ではそのグループチャットを見る気にはさらになれなかった。

「小柴も片岡も熱はさておき嗅覚がないって書き込んでいる。」

「沢田、沖、高橋は異常ないとのことだが、お前と本多、君津から返事なくて」

「まずいな。小柴はヨメさんに相当怒られて、忘年会の言い出しっぺだった俺に彼女
電話かけてきて、すごい剣幕で」

「近況知らせてくれ。」


救急車は涼太が事故に遭った場所を通過する。
現場検証が行われており、外国車の運転手が警察官に説明をしているのが見えた。
晃司は涼太の手をさらに強く握りしめた。
涙は文字通り涸れていた。
救急救命士はずっと心肺蘇生術を施していたが、その所作に険しさが募った。

世田谷通りに入って、小児医療センターまであと1キロぐらいというところで
救急救命士の動きが鈍くなった。

「りょ、涼太はどうなんですか!」

晃司は久しぶりに声を、ことばを発した。
声も嗄れていた。

救急救命士は、

「やれることはやっていますから」

と言い、「やりました」と言わなかったことにのみ、晃司は本当に少しだけの
望みを感じるのだった。


〜つづく




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短編小説 インスタント・カーマ

塩田晃司はやっとたどり着いた病院で、交通事故に遭った9歳の息子が「DOA」、
すなわち「到着時死亡」を告げられ、その場で自殺をしようと思うほどに打ちのめされた。
彼は実際、狼のような咆哮を響かせて、集中治療室のドア脇の壁に頭を数度打ちつけ、
昏倒するのだった。


*

50分ほど前、横断歩道を青信号で渡っていた自分と息子の涼太ー

そのまだあどけない息子が、目の前で左折する外国製スポーツカーの前輪に巻き込まれ、
その車は一度停止したが、なぜか怒るかのような二回の空ぶかしをした瞬間、
晃司は、

「動くなあああッ!止まってろおおおおッ!!」

と獣のように絶叫し、運転手の視界にまず入って、両手を上げ、大きく振りながら
左のウィンドウに駆け寄った。

・・・間に合わなかった。

タイヤはとどめを刺すかのように車の下で後輪前に倒れている息子の首と頭の辺りを
ゆっくりー
晃司にはそう見えたー
踏みつけ、一回転し、止まった。

晃司は、口や耳から血を出しピクリとも動かぬ息子の名を何度も何度も呼びながら
身体を車の後部下から引き出し、抱きしめて、さらに名を呼び続けながら、
頬ずりをし、泣くのだった。

外国車の運転手が路肩に車を停めてドアを開け出てきたが、晃司は一瞥もくれない。
運転手は119番に電話をして、晃司の背後に来て、

「すみません。なんと言っていいのか・・・。」

と項垂れ、絶句した。
晃司は息子と自分以外は存在しない世界に入っていた。
他になにも見えないし、聞こえなかった。


救急車は5分ほどで到着した。
救急救命士はかすかながら涼太が呼吸をしているのを確認し、
病院の手配を他の救急隊員に指示した。

「直近の関東健保病院はERただいま塞がっています。コロナらしいです。」

隊員が言う。
とにかく涼太と晃司を乗せ、出発する。

「まず多摩慈愛病院方向で出発だ。問い合わせて。」

「ーー同様です。コロナの急患でいっぱいと。」

「玉川国際病院は?」

「ーーダメです。コロナ急患と他の事故の救急搬送があったそうです。」

「荏原中央病院は?」

「ーーいけません。コロナの感染爆発だそうです!」

「どこへ行きゃいいんだ!」

救急救命士は苛立ちの声を上げた。
涼太のバイタル・サインは風前の灯になっている。

晃司は横たわる涼太の手を握りしめながら、目をカッと見開いたまま、
脂汗を流し、唾の嚥下を断続的に繰り返している。


〜つづく




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Is This America?〜 I hope it is

やっぱり、という感じだった。
Trumpの支持者たちがCapitol Hill(米議会)を襲撃した。
煽ったのは、選挙に負けながらそれを信じようとしない現職大統領だ。
CNNを見ていたが、ある民主党上院議員はTrumpを「サイコパス」と断言していた。
自己偏愛の度が過ぎる人間であるのは誰もが見てとれていたろうけれど、
多くがまさかここまでとは思わないで2016年に投票してしまったのだ。

もちろん「ここまで」やると思った者もいたろう。
それを是とするか非とするか、前者は圧倒的に少ないはずだが、
その者たちがTrumpに煽られ、米国史上未曾有の汚点を残す片棒を担いだのだ。

これはしかし、あらたな南北戦争の始まりかもしれない。
もちろん旧・南部連合の州がまとまって合衆国政府に内戦を仕掛けるなどということは
さすがにないだろうけれど、バイデン政権に揺さぶりをかけるゲリラ戦術などは
十分に予想できる。


これは主義主張の対立ではない。
知性が反知性に攻撃を受けている、ということなのだ。
21世紀に、アメリカという「先進国中の先進国」だったはずの国でこんなことが
起こるという現実に世界中の人が瞠目すべきだ。

アメリカが多民族、移民の国であるという特性は無視できないけれども、
多くの先進国が多民族国家になりつつある今、分断はいつでも起こりうる。
過激主義はなにもイスラム教徒の一部だけの話ではなく、
先進国を自称する民主主義国家にいる、他の後から入ってきた民族・人種より
優越すると信じる同一集団の人々も、選挙結果に不満を抱けば同じことをしかねない。

知性:反知性=lawful : unlawfulでもあると断じる。
法律がこれまでの人類の叡智を集めたもので、さらに民主的手続きを経て制定された
国において、それに反対する者たちが多数派を占めようとすることは、
むろん民主的プロセスをたどってのことなら正当だが(公約や宣伝に偽りがなければ)、
ほとんどの場合そんなことは望み得ず、ゆえに反知性派は己の要求のためなら
非合法手段を使おうとするに決まっている。

アメリカは今、あろうことか大統領がその反知性派の頭目になりさがっており、
自分の好き嫌いで政治を、人事を、選挙結果を、どうにでもできると思っているのだ。
なんという深刻な危機だろう。

しかしアメリカ人の多数派はきっとこの危機を抜け出すに違いないと信じる。
その鍵は、やはり、知性である。



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Tohogmanふたたび

DSC00693.jpg


写真は花巻市で撮ったもの。
Tohogman候補の第1位はやっぱり賢治さんだべガ。

You exist
to resist
to insist
to persist
and to assist

なんで「トーホグマン」か。
今も「蹉跌集め」と共に毎日のように読まれているからです。
我が荒唐無稽の小説、いずれも未完のままなれど、部分部分におもしろいところは
ありますわね、さすがに・・・全体はダメでも。

感謝を込めてー


by King Reguyth & MNEMO



追記

富山出身じゃなかったらMooさんが正にTohogmanの第一候補です。
でも、東北大学を出られたから有資格者か。(笑)



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(1)が圧倒的に不作為のままで

〜昨日のつづき

「下々」ばかり気をつけていてもしかたがないのも分かる。
「現代ビジネス」に、端的な感染症対策の要諦があった。

(1)感染源対策(病原体の除去。感染者の早期発見・隔離・治療など)
(2)感染経路対策(3密回避、マスク、手洗いなど)
(3)感受性者対策(ワクチン接種など)

政府・自治体(の多く)の対策で(2)が突出してきたのは疑いない。
感染者早期発見などについては、最新データは知らないが、7月でPCR検査数は
世界で159位であった。その恥ずべき状況が劇的に改善されたとは聞いていない。

「緊急事態宣言」が出るそうだが、またぞろ(2)を重視して、
飲食関係などの零細事業者をscapegoatsにし、息の根を止めてしまうのか?
(2)の徹底を図っている業者も多い中で、一部の不心得者のために多くが犠牲になって
しまう図式を許していいのだろうか。


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