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短編小説 インスタント・カーマ 3

涼太は小児医療センターのERに運び込まれるが、
入口のドアの前で待っていた医師が救急救命士と短い会話をした。
「延髄」、「呼吸中枢」、「DOA」ということばが晃司には聞こえた。

涼太は診療ベッドに寝かされはしたが、医師は瞳孔を見、対光反射の有無を確認し、
「んん」と言ってから、ERのドアの方へ力なく向かった。
ドアの外の椅子に、頭を両手で抱えるようにして座っている晃司の許へ来て、

「お父様ですか?」

と声をかけた。
晃司は顔を上げ、かろうじて「はい」と言った。

「まことにお気の毒です。救命士さんがずっと心肺蘇生を試みてきたのですが、
それらが停止してもう10分以上経っています。」

つきさっきまで零下に近い気温の外で待っていたにも関わらず、
医師は汗を拭うというのか、白衣からハンカチを取り出して額に当て、
二、三度往復させた。

「これは言うべきではないかもしれないのですがー」

医師は下を向いたまま切り出した。

「あと20分早ければ、息子さんの脳挫傷を手術することもできたかもしれません。
成功するとは言い切れませんし、また、成功しても後遺症はあると思いますが。
コロナコロナできっと他の病院も逼迫していて、到着が遅れたのですね。
悔しいです・・・。」

晃司は口を開け、目を泳がせている。

「大変残念ですが、23時01分、お亡くなりになったということでー」


*


晃司は小児医療センターの病室で目を覚ました。
本来はあり得ない措置であったが、額と頭の皮膚が割れ、強度の脳震盪で倒れた晃司を
よその病院に回すこともできない。

モニターで見ていたのか、看護師と医師がすぐに駆けつけた。
医師は、

「塩田さん、いかがですか?」

と言った。

「おケガの回復には2週間程度必要です。安静になさってください。」

頭部が包帯でぐるぐる巻きになった晃司は、不思議と痛みを感じずに、
自分に起きたことを少しずつ思い出していた。

「そうだ!死なねば!涼太、涼太、すまなかった!俺も一緒にゆく!」

そう叫び出したのはまもなくのことだった。

医師と看護師はベッドから飛び出そうとする晃司を押さえる。
晃司は初めて凄まじい痛みを頭部に感じ、ベッドの上でうずくまってしまう。

「塩田さん。塩田さん。」

医師が穏やかな口調で呼びかける。

「どんなにおつらいことか、私には想像を絶します。
本当にお気の毒です。お悔やみを心から申し上げます。
でも、どうか、どうか、あのようなことは二度となさらないでください。
悲しみに圧倒されず生きてください!
息子さんもそれをきっと望まれていますよ。」

晃司はそのことばに号泣した。
ただ、号泣した。


「お名刺から、ご関係先に連絡させていただきました。」

看護師が、晃司の涙が再び涸れる頃、静かに切り出した。

茨城のお母様が今こちらに向かわれています。
会社の関係者さまがもうおいでになります。斎藤さまという方です。
それからー」

看護師は少し間を置いた。

「木下宏美さまはもうおいでです。」


木下宏美ー

晃司の元妻である。
司法試験を目指すと言いつついい加減な生き方をしてきた晃司にとうとう我慢ならず
彼と離婚してもう3年が経っていた。
決定的な落ち度はない晃司は、離婚の際ひとつだけ条件を出した。
涼太の親権を自分が持ちたいということだった。
宏美は結局養育できなくなるに決まっていると最初は反対したが、
もし小学校の6年間、<まともに>涼太を養育できたなら再婚を考えるということで
同意したのだった。

晃司は、涼太が生まれて以来試験勉強と称して家にいることが稼がねばならない
宏美より圧倒的に多く、涼太はパパっ子になっていた。
だらしない晃司に宏美が小言や罵声を浴びせることも多く、
幼い涼太には母親がなんだか怖い存在のように思えることが繰り返され、
いつもやさしく遊んでくれるパパの方が明らかに好きだったのだ。

涼太が望めば宏美にはいつでも会えることになってもいたし、
宏美も月に最低二回は涼太を自分の家に泊めたから、
涼太がさほど母親を恋しがるということもなかったのだった。

それから3年間、晃司は生活の糧と涼太のよい暮らしのために懸命に働いてきた。
「司法試験」の「し」の字も言わなくなった。
自ら課した定時を超す労働は、涼太のための金を稼ぐ目的だったから、
苦にはならなかった。
ただ、そのために涼太との十分な時間がとれなかったのだが。


「塩田さんが倒れられてからだいたい8時間経ちました。
今、朝の7時です。」

看護師が言った。

「木下さまをお呼びしましょうか?」

晃司は固まってしまう。
「まったくそんなことには・・・readyじゃない!」
心の中で、そう言った。

「木下さまが、塩田さまにお会いしたいようなのです。」

看護師の声が晃司の頭や額の痛みをさらに強くするようだった。



〜つづく





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