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年越しの課題

いやあ、疲れました。

Pretty Maids All in a Rowのリクエスト多数につき、
ずっとオケ充実に取り組んでおりました。
下手ゆえ、手間取っております。
来年までの課題とさせていただきます。


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大晦日のおまけ

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Dear Prudence

(Super-Partial Cover by MNEMO)




Paulのドラムス、そのリズムの揺れまでカバーしました。 ^^;)



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Moo's Gonna Make It

Mooさんより、私家版長野県池田町財政白書2012年版、2016年版、
2020年版、別冊、別冊(追補)の5冊が郵便で送られてきました。

この驚くべき精力は、「お互い様」社会の健全な発展のための提言を氏がしたいという
意欲から由来するのでしょうけれども、こういう人物がいることで、
その地域社会は必ず、たとえ少しであったとしても、よい方向へと変容するのです。

氏が添えてくださったお手紙には、<母の介護をしながらの余生を北アルプスの麓の
町に移ってのんびり暮らすつもりだったのに、こうなってしまった>というような
文言もありましたが、「たった一回の人生だ」、「それもよし」と。

地元大手の地方紙「信濃毎日」はもちろん、他紙にも池田町の最強ブレーンとして
認知されているMooさんのコメントが町の財政危機問題でも載るわけです。
記者たちは2011年の被災者支援からきっとMooさんの存在を知るようになり、
それから休耕地利用のバラ園開設のリーダーとして、さらには松本市こども塾生徒ら
への食糧支援など、取材する先で何度も出くわすこの「知と行動の巨人」のことを
畏敬の念を持って取材しているに違いないのです。

いただいた財政白書計5冊は、私には一目でMooさんの作成・<作品>と分かる体裁です。
大昔に氏が小学生向けの「算数通信」を毎週発行し、一冊にまとめたものを作られ
たのですが、それを彷彿させる、手作り感横溢するものです。

問題はどこにあり、その問題はどんなもので、いかに解決するのが最も合理的で
かつ説得的であるかー

Mooさんの数学教師的理路整然が、どんなに情実渦巻く田舎社会でも、
今は死活的に重要なのです。(田舎ばかりではないけれど。)
さらに理路整然はときに怜悧に通じ、冷たさがあるかもしれないけれど、
Mooさんほど情愛豊かな人もそうはいないのです。

Mooさんのご努力はきっと結実すると確信しています。




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5 Best Beatles Covers of the Year

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1. The End

選考理由 とにかくBb/Cの別世界貫入ぶりがcontextの中表現できたこと。

2. I'll Be Back

選考理由 高1や高2で凄まじい回数歌った自分のそのときを思い出せた

3. A Day in the Life

選考理由 1967年の自分に聴かせたいから

4. Every Little Thing

選考理由 これを聴けばhappyになれるもの

5. It's Only Love

選考理由 vocalがよく録れたのが一番


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まずは大掃除

今日は大掃除第一日めとなる。
それでも、今年1年の録音活動を振り返って、自分なりに上出来だった作品を5つ
くらい選んで発表したいと思っている。

ではでは。



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今日御用納め

今日午後6時を期して仕事納めとなる。
1年無事に仕事ができたことをありがたく思う。

*

長野県選出の羽田参議院議員がCovid-19に感染、発症してあっという間に亡くなった。
ご冥福をお祈りする。
糖尿気味、肥満気味というようなことでの劇症化だったのだろうか。
還暦前だというのに、お気の毒だ。

しかし本当に、中高年にとっては全く他人事ではない。
閉じ籠りが一番で、買い物で外に出るときは重装備、殺菌消毒の徹底しかない。

志村けんさんがやはりあっという間に亡くなってしまったのがもう遠い昔のよう。
ようやくこの頃ドリフものを見られるようになった。
一時期は本当に悲しくて、全く見る気になれなくなっていたのだ。

ピンでもすばらしいけれど、やはりカトちゃんとのコントが一番好きだ。
カトちゃんがボケて志村さんがツッコむパターンがいい。
赤穂浪士に扮したふたりのコントがあるが、ほとんど奇跡的なおもしろさだ。
化け猫のものも抱腹絶倒だ。
志村さんが浦辺粂子さんの声色を真似る。

YouTubeがなかったとして、大晦日TVで「ドリフ大爆笑」を再放送するとなったら、
昭和30年代生まれで狂喜しない男子はまずいなかったのではないか。
いつでも見られる今は、演劇・ドラマ・音楽鑑賞ということにおいて
やはり豊かで幸せな時代なのだろうか。


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ウルトラセブンmore than半世紀ぶりに見る

ひょんなこと(月曜はNHKBSで「ワールド・ニュース」がない)から
『ウルトラ・セブン』をほぼ半世紀ぶりに見た。
つけた時はもう第1話が終わるところで、しかしすぐに第2話が始まった。

1967年放送開始というから、私にとっての画期であるSgt. Pepper's世界同時発売の
年ということになる。

カラー放送であって、私の家では当時「天然色」でそれを見ることができた。
叔父の家が東芝の特約店で、カラーテレビの購入は早かったのだ。
『ウルトラQ』、『ウルトラマン』などと続いた円谷プロのウルトラ・シリーズ第4作と
いうことであった。

モロボシ・ダンがハヤタ隊員より近しく思えたこと、
アンヌ隊員に心ときめいたこと、
ウルトラマンの着ぐるみを着ていた古谷敏さんがアマギ隊員となっていて、
頼もしさを感じ、またそのハンサムぶりに憧れたこと、
キリヤマ隊長の声が好きだったこと、
オープニングのイントロが荘重でいて希望あふれるものであり、胸熱くなったこと
(作曲者は冬木透さん。後『機甲界ガリアン』で図らずも「共演』となった!)ー
などなどを思い出した。

第2話「緑の恐怖」ー

地球防衛軍の一員が、宇宙ステーションでの長い勤務から地球に戻り、
一週間だけの休暇を取るのだが、帰ってきたその隊員は、実は植物様の姿をした宇宙人の
変装であったのだ。
その変装を可能にしたのは「電子頭脳」であって、それは電動ノコギリでは傷すら
つかない銀色の岩状物体の中に隠されていた。
その物体は変装した宇宙人が自室に保管していた。
それとそっくりながら、大きさは数倍もある岩状物体は休暇を取りにきた隊員の
豪邸の庭に落ちてきたもので、ウルトラ警備隊本部に回収されていた。
その中に、本物の宇宙ステーション要員の隊員が眠らされていたのだ。

植物様の姿をした宇宙人は次々と人間を襲い、自分と同じ姿に変えてしまう。
地球防衛軍は「このままでは完全に地球が侵略されてしまう」と危機感を持つ。

モロボシとアンヌ隊員は宇宙ステーション要員の自宅へとお手伝いさんに
呼び出され、「机の中で変な音がしている」ということで開けてみると、
上記の小さめの銀色岩状物体が出てきて、これはモロボシがトンカチで容易に破壊する。
出てきたのは人間変装を可能にする遠隔装置(電子頭脳)だった。
「隊員は今どこに?」とモロボシがお手伝いさんに尋ねると、
夫人と共に箱根へ向かったと言う。

その夫妻はその頃小田急のロマンスカーに乗っており、
夫の隊員は、左手が植物様に変わっていくのを手で押さえて夫人に悟られまいとするが、
結局全身が植物様になってしまい、夫人や他の乗客、ロマンスカーの運転士も
大パニック状態となり、這々の体で車外へ逃げ出す。

モロボシとアンヌはその現場に到着するが、ほどなく植物様の宇宙人は巨大化し、
そこでモロボシはウルトラセブンに変身、アイスラッガーとエメリウム光線ですぐに
粉砕し、宇宙ステーション要員も救い出され、すでに植物様生物に変えられて
しまっていた地球人たちは、大元の粉砕死滅でなぜか元に戻り、侵略は防がれた。

はあ。
粗筋を書いてみたが、疲れた。

*

見ていて、とにかく苦笑ばかりした。

宇宙ステーション要員は、無重力状態に長くいたのに、まるっきり普通の状態で
地球に帰還したのだった。つまり無重力状態を解消する技術を地球防衛軍は
もう持っていたことになる。にもかかわらず、ウルトラ警備隊のクルマ、
「ポインター号」はマニュアル・ギア・チェンジ車だったりする。

緑の宇宙人は、高度な文明、すなわち、恒星間旅行ができるというすさまじい
科学技術を持ち、「電子頭脳」も開発できるのだけれども、
それらを製作するであろう指や手がないのだ。
いったいどこにそうした精密な作業をする体の部位があるのだろうか。
また、しかたがないこととは云え、この植物様宇宙人には四肢がある。
明らかに人間と体の構造は近似であり、ところが手や指が<ひらひら>である。

モロボシは、お手伝いさんに電話で呼び出されて、すぐ近くにいる隊長に
一言も告げずにアンヌと共に出て行ってしまう。おいおい。

植物様宇宙人は、地球人を自分らと同じ姿に変えることで、何をしたかったのだろう。
これは結局生殖活動なのだろうか。


こうした笑えるネタを当時少年だった私が、ウルトラ・シリーズに夢中になっている
級友たちなどに話していたら、きっと私は「未来から来た少年」だったろう。
いや、自分らが大好きなものを腐す嫌なヤツだったろう。

そして、私は確かにウルトラ・シリーズに夢中にはならなかった。
嫌いではなかったが、心奪われることはなかった。
リアリティーという点では、ウルトラ・シリーズが意識したというイギリスの
『サンダーバード』の方によりそれを感じた。人形劇なのに、である。
『サンダーバード』では大ヒーローはおらず、悪役は人間だった。

円谷プロが、日本人が、日本の子どもたちが、「超人」を求め、
外敵を宇宙に求めたのはどうしてなのだろうか。

そんなことを思った。

なお、円谷プロダクションが在ったのは東宝砧撮影所と仙川を挟んだ砧7丁目。
私の散歩コース上だ。
祖師ケ谷大蔵の商店街は「ウルトラマン商店街」として、街灯がウルトラマンの
横顔に見えるデザインとなっている。
駅前広場にウルトラマンの立像があり、カネゴンも意外なところに座っている。

少年だった私が、半世紀ほど後ウルトラマンの「生まれ故郷」周辺に暮らすことに
なるとは、たとえ私が「未来から来た少年」であっても予測不能だった。



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罹らないようにする、それだけ

これから仕事だ。
あと15分くらいあるので少しー

昨日の記事の追加的なことになるけれど、ワクチンに過大な期待ができないのは
どうやら本当らしい。結局インフルエンザと同じことになるのだろう。
ある型には有効でも、変異型や他の型には無効というようなことだ。

その有効性の持続力もまだまだ未知だというのだから、空恐ろしい。

私はそろそろ例の重症化しやすい年齢に達するのだし、
基礎疾患はないけれど、罹ったら若者のように抵抗力を発揮するとは思えない。

Covid-19およびその変異型について多くの知見が得られ、
確実な対処法が確立されるまで、とにかく感染しないようにするしかない。
努力しても結局罹ってしまうこともあるかもしれないが、
危うきに近寄らず、しかないのだろう。

なんということだ。



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The Worst Natural Disaster Ever

Covid-19は変異株も見つかって、混沌としてきた。
イギリス由来というのはどうも誤りで、イギリスが特にこのウイルスの解析を他国に
先んじて進めていたから見つけるのが早かったということらしい。

東京の感染者数はとうとう900人/dayを超えてしまった。
実質呼びかけるだけの対策ではあるけれど、これだけ呼びかけていて、
またニュースで拡大傾向をこれだけ伝えていてもこうなるというのは、
本当に一体どういうことなのだろう。

外に出てみると、マスクをしていない人を探すのは一苦労なほどだ。
もちろんマスクだけで感染予防できたら世話はないが。
それでも、Covid-19は、マスク、手洗い、「3密」回避だけではどうにも
ならないのかもしれないとますます思えるようになってきた。

変異株に突貫工事で作られた各種ワクチンが無効とは現時点では言えないそうだが、
有効とも言えないようだ。

そうなれば、本当に人類最悪の自然災害に今私たちは直面していると深く認識
しなければならないのではないか。

まず、徹底検査、陽性者隔離という感染症対策の基本しかない。
それができないのは、陽性者が多数出れば隔離する施設がないからだろう。
しかし陽性なのに隔離されず他者にうつしてしまうことが続けば際限はない。
そして変異株にまた感染し、ワクチンがそのつど作られねばならないとなったら、
もう手のつけようがなくなってしまう。

経済的に追い込まれている人がどんどん増えているだろう。
いろいろ聞いていると、それを実感する。

ああ、能天気な音楽どころではないのか。



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2020 師走雑記





とても爽やかな朝でした。
東京では初冬も晩秋と変わらない風情を湛えることが多いのですが、そんな朝でした。

Mooさんが数日前撮られた安曇野・池田の写真は、北アルプス常念山脈の
すっかり雪化粧した山肌の陰翳がくっきりしていて、それは見事です。

池田は次の寒波で根雪がさらに厚くなるのですね。
大晦日と元旦は雪の中、いいなあ。
雪を踏みしめながら寺社へ向かう初詣は雪国育ちの東京住人には憧れです(多分)。
お灯明も雪に映えて、荘厳さを増します。

結局雪国で暮らしたらいいってことになりますけれども、まあ、そうもいかない。

29日が御用納め、それまではまだまだ年末年始気分にはなれません。



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So I Sing Songs of Love in English

昨夜、ちらっとだけTVで筒美京平さんへの追悼的な番組をやっているのを見て、
ロック形式の音楽に松本隆さんによる日本語をみごとに乗せたー
あるいはその逆なのかは分からないがー
功績を称えているくだりだった。

松本さんは「はっぴいえんど」の元ドラマーで、
おそらく長く日本語を欧米ポップミュージックの形式にどう乗せるかに
腐心してこられたに違いない(私はよく知らないのでこう書く)。
その「はっぴいえんど」は団塊世代の方々のバンドで、
日本語によるロックを日本で商業的に成功させた伝説のバンドらしい。

私が2度目のデビューで属したSME傘下のレコード会社には、
「はっぴいえんど」のメンバー大瀧詠一さんが深く関わり、
氏は独自のレーベルをそこに持っていた(Monsoonレーベル)。
だからということでもないが、G Stringのアルバムも日本語による曲が半分以上に
なったのだった。

私は英語による歌唱法に<圧倒的な>強みを持つシンガーだったがゆえ、
日本語で唄うとなると「落ちる」とは何度も何人にも言われてきた。
それは当人が一番分かっていて、悩みまではしなかったものの、
なぜ日本人が国内デビューをする際英語で歌ってはならないのか、また、
私という日本人がなぜ英語で歌わねばならないのかを今に至るまでかなり深刻に
考え続けてきたことは確かだ。

私は憶い出す。
高校三年の終わり、松本隆&筒美京平の『木綿のハンカチーフ』を何度も聴いた。
自分としては「<南>へと向かう列車で」旅立つ直前だった。
太田裕美さんの歌もすばらしく、本当にこころ揺さぶられた。

しかし、「スーツ着た僕の」のところで、「スーツ着た」には強い違和を感じた。
同じように「つもりだ」、「(う)はずだ」、「見てくれ」、「帰れない」という
verseの同じ箇所で毎度「しかたないけど、これはないよな」と思うのだった。

デカパンさんがギターを弾かれたアン・ルイスさんの『六本木心中』は、
みごとなもので、rock'n roll形式に日本語と英語の折衷歌詞が乗ったものだ。
私もこのパータンこそ言語問題の悩みから私を解放してくれるものと思ったものだ。

This 折衷pattern will set you freeー

そう思ったくらいだ。

この歌でも、多くの同様パターンのヒット曲でも、
サビ(chorus)はほぼ英語になった。

(I) can't live without you, babe
Don't wanna let you go

デカパンさんも「日本でロックをやるなら、この辺りがいい塩梅だ」と思われたに
違いない。

そんなことをお訊きする前に、氏は旅立たれてしまった。



大きな問題がある。
私は日本で売れる日英折衷のロックを本格的に産み出せぬままになった。
(『ガリアン・ワールド』と『星の1秒』という得難いプレリュードがあったのに!)
しかし、この路線のままで日英のヒットチャートに安定的に入る歌をうみだす
シンガーになれただろうか、という問題だ。
EUROX時、英米伊のWarnerが興味を示したのはCOLD LINEOUT OF CONTROL
だったのだ。
全面的に英語だった。

日本で売れるロック形式の音楽はそう簡単には世界へと飛翔しない。
(私はずっと飛翔したいと思って生きて来た。)

それは私の長い経験からの結論だ。


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降誕祭と新年祝う英語の歌を何故私はカバーするのだろう

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all voices are MNEMO's



三島さんの特集をdelayでいくつか見た。
いろいろな感想があるけれど、徴兵免除になった彼は、つまり、
同輩たちが次々と戦死していった現実を抱えて180度の価値転換をした戦後に、
国に身もこころも捧げられなかった無念慙愧、こころの空白、虚無を埋めるのは
結局古典文学、その美意識、それを育んだ天皇制に他ならないと断じたのだ。

確か、自決前に親しくしていた毎日新聞記者だったかに託した檄文の中に、
西欧文明・文化にだらしなく侵食される日本人を批判するくだりで、
「ロックンロール」ということばが出てきた。
どのTVの特集でも彼がBeatlesの日本公演を見たことに触れていなかったけれど、
彼はなんらの感銘を受けなかったという感想は何かの雑誌で遠い昔読んだ。

NHKのBSでの特集では、「武」の三島由紀夫、「平和」の川端康成と対照させた。
それが適切かどうかは私は寡聞にして知らない。
いずれも「日本の美」を追求した大作家同士であり、師弟関係さえあったのに、
その美をいかに残すかというところでのアプローチがまるで違ったのだろう。


私は天才作家の行動やその原理、論理、美意識について云々できる者ではない。
それは十分知りつつ、かう思つた。

「ロックンロール」は確かに欧米から日本に入つてきた。
しかしそれは音楽的なcreole(クレオール)であつて、純粋(!)欧米ものではない。
アフリカ的な音楽に英語が乗り、その英語により英米人の詩情が歌はれるやうになつた
ものだと言つても間違つてゐない筈だ。
アフリカ的なものから、欧米的な新しい詩歌が誘発された、
ないしは生まれたといふことだ。

もし和歌を音楽に乗せやうと試みるなら、
明らかに中国由来の雅楽に乗せるのが良いのであらうか。
或は民謡のやうな節回しをつけるのがふさはしいのであらうか。

日本人の美意識の発露の中心となるべき日本語による詩歌が、
このロックンロールといふかなりの可塑性に富んだ自由な音楽形式に乗り、
その美意識が世界中に理解される可能性は相当に高いと私は思ふ。

ただ、残念なのは、今のところ、英語以上にこの音楽形式に馴染む言語がないことだ。

日本語で日本の美意識(詩情)をロックンロールで表現するのか、
英語にしてさうするのかー

私はずつと後者でやつてきたのだけれど、未だに満足できるところ迄来てゐない。
もう無理かも知れぬ。

アフリカ音楽と融合した欧米音楽に日本のポエジーを乗せるクレオールの
可能性はあり、またすでにそれは存在してゐる。
クレオールのクレオールはしかし、未だ融合途中なのだ。




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将棋<指し>なのに、「うつ」

NHKの『うつ病九段』を見た。

これは将棋の先崎学九段の闘病記をドラマ化したもので、
一時は「天才」と囃された棋士が心労からなんと将棋が指せなくなってしまうという
存在を根底から否定されるような事態に陥ってから回復までを描く。

その「心労」の原因が例の三浦九段冤罪事件における、将棋連盟広報担当者としての
激務にあったという描かれ方だったのだが、私はそれだけではなかったと思っている。
もちろん彼を知るわけでもないから、ただただ私の推測の域を出ないことをお断りする。


先崎さんは米長邦雄さんのところへ11歳で内弟子に入るという
稀有な体験をした少年だった。
米長さんはなにしろ棋界一の切れ者で重鎮、それでいて遊び心旺盛な棋士だったから、
彼の弟子とされるだけでも大変な名誉だった。
子ども大会で同い年の羽生善治を破るというようなこともあり、早熟の天才として
期待されたのだが、中1で雀荘に通い始めるという破天荒ぶり、勝負事が大好きで、
酒タバコが大好きという<芸人的>将棋指しになっていく。

羽生さんへの功績のひとつとして、「将棋指し」という呼称に纏わりつくゴロツキ的な
響きを払拭する、スマートで理知的職業としての「将棋棋士」の道を拓いたことがあるが、
同い年の先崎さんはその旧イメージの将棋指し人生を始めてしまったのだ。

「羽生世代」と呼ばれる1970年前後生まれの棋士には、
現会長佐藤康光九段(永世棋聖)、理事森内俊之九段(十八世名人)、
丸山忠久九段(永世称号はないが、名人2期、棋聖1期など)、
藤井猛九段(タイトル7期)、郷田真隆九段(タイトル6期など)
などがおり、先崎さんを圧倒的に凌駕する実績を持つ。

ー先崎さんはタイトル獲得なし、なのだ。


九段になったのもこの「羽生世代」棋士で最も遅かった。
小学生の頃「天才」と言われ、上で挙げたすべての後の大棋士よりも早熟で強かった
記憶が彼をずっと苛む結果になったのは想像に難くない。
どうしても遊んでしまう(米長さんの影響もあるか)中で、羽生を中心に同輩たちが
切磋琢磨しているというのに、自分は主に才能だけで伍していこうとする嫌いがあり、
人生の酸いも甘いも将棋以外のことで体験して、それを棋士人生にも活かそうという
ような思いも、たとえチラッとでもあったには違いなく、しかしそんなことは
合理主義的手法で強くなっていくライバルたちとの勝負では通じず、
置いてけぼりの憂き目に遭ってきたのだ。

解説者として羽生などを激賞し、語り口の軽妙さなどで持て囃されるけれど、
後輩の、たとえば飲み仲間の行方尚志九段には「ヘボな将棋を指してしまった、
先崎レベルの将棋だ」と言われて激高したりした。

尊大なところは疑いなくあって、順位戦の最低リーグC2を抜けられぬままになっていた
1991年に、「俺はなんでこんなクラスで指さなきゃいけないんだ、制度がおかしい」と
公言してしまい、大顰蹙を買ったことがあった。

そして八段や九段になってからのTV解説ー
羽生世代で成績的に末席にいる者が、どうしてタイトル経験者ばかりの同輩の将棋を
偉そうに解説できるんだ・・・そんなことすら言われていないかという疑いが
脳裏を過ったのではないか。

同輩を称揚するばかりの「名解説者」先崎。

文才もある人で、週刊文春に長く随筆を連載したし、
兄は東京医科歯科大学出の精神科医だし、頭の良さには疑いがない。
師匠米長も3人の兄が全員東大出であり、またもや共通点が見出される。
自分も勉学に打ち込めば、それぐらいの頭を持っている、と。
米長さんはかつて「兄は優秀でないから東大へ行き、私は優秀だから棋士になった」
というような軽口を叩いたけれど、同じような想いが先崎さんにもあったろう。

要するに、自分の頭脳明晰を自慢しつつも、しかし、成績実績が思うように伴わぬ
歯痒さが長い間をかけて昂じていく中での三浦九段冤罪事件発生、
そこで広報担当理事としての苦悩があってそれが彼の精神的不安定に追い打ちを
かけたというのが真相なのではないか。


『うつ病九段』-

登場人物がみな実名というのはおもしろかった。
先崎さんを演じた安田顕さんは、映画『愛しアイリーン』で主演した。
CATVでたまたま見て、印象に残っていた。
Wikiを見ると、大のBeatlesファンだそうで、うれしく思う。

しかしだ、このTVドラマ一番の印象は、先崎九段の妻穂坂繭を演じた
内田有紀さんの美しさだった。

てへ。



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"Good OMEN," says NEMO

はあ。
今中3高3の英作文添削およびそれぞれのクラスの復習テスト製作終わりました。

そろそろ木星土星のrendez-vousを目撃する準備に入りますか。

きっかり400年ぶりらしいから、1620年にそのときの人類の一部は西の空に
このplanets(遊星)の近接を見て「これは何の兆しだろう」と思っただろう。

冬至にこういう現象(たとえ見かけ上のことではあれ)というのは凄いだろう。
Cainerさんが生きておられたら、大興奮のprophecyを上げていたろう。
それはコロナの克服の兆しか、それとも・・・。


今日はなにしろ私の暦では大晦日。
私は縁起良く明日からの一年を迎えられると思っています。



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用賀での朝散歩で

朝散歩は用賀へ。

この「用賀」、漢字としての意味はあってもないに等しい。
「賀に用ふ」と解釈しても、「お祝いものか」などと思えて笑える。
そんな名前の地名があるはずはない。

仏教のことばに「瑜伽(yoga योग)」があって、精神集中や瞑想による修行法だが、
これを実践した寺院がこの地に在ったからだろうという説が最も信じられる。
歩いていて寺院二つを通り過ぎたが、関係があるかどうかは分からなかった。

NHKラジオの「聞き逃し」をまた聴きながらの散歩だったが、
「古典講読」は『和泉式部日記』で、笑ってしまうだけの「恋多き女」と
好色な「宮様」の<交渉物語>である。

彼女の「あらざらむ この世のほかの思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな」は
百人一首にも採られた名歌で、

「もうすぐ私は死んでしまうでしょう。あの世へ持っていく思い出として、
今もう一度だけお会いしたいものです」という意味である。

その<会いたい人>は一体誰なのだろうか。
恋多き女性として、同時代の紫式部にも顰蹙も買った和泉式部だもの。
(複数だったりして・・・。)

そんなことを思って歩いていると、区道脇の広い歩道に刻まれたこの歌に出くわした。
この歩道を「用賀プロムナード」と言い、用賀駅(東急田園都市線)から砧公園内の
世田谷美術館へ行く道であり、百人一首が道に敷き詰められた淡路瓦に刻まれているのだ。

和泉式部のは第五十六番、その次は紫式部の

めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半の月かな

であって、それももちろん路上に見出した。

この歌については、このブログで一度書いたことがある。

https://mnemosyneoforion.blog.ss-blog.jp/2012-06-20-1


用賀で王朝文学鑑賞の朝かと思い、昔私が通った音楽スタジオPLUS ONE近くで
折り返して、番組を「宗教の時間」に移すと、
江戸時代の真言宗僧侶慈雲(尊者)の話であった。
なかなかにおもしろく、聴き入っていたが、この慈雲さんの『十善法語』の第一、
不殺生戒を論じるところに「<瑜伽>論」が出てきて驚き入った。


用賀を歩いていて、和泉式部や慈雲の話に聴き入り、
さすがに三昧には入らなかったけれども、
慈雲師の

「人は人となるべし
この人となりて
神ともなり仏ともなる」

の説かれるところの意味は分かった。
解説する小金丸泰仙さんが卓越した学者で実践者だからだろう。



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さて朝散歩に出るか

一面の銀世界になった安曇野のMooさんから、
過日書いた氏にまつわる私の記事への反応がありました。
勝手に抜粋しますと、

「若い頃、ひたすら社会のためにとほとんどすべての時間を社会貢献に費やしていました。
ところがふと、自分自身の幸せはどうなるのか、
自分を無視して他人の幸せなどあるのだろうか、
という考えが支配し始めたのです。
それまでの一種の反動ですね。
しかし、所詮自分の幸せと他人の幸せを対立的にとらえてみたところで、
どちらも本当の幸せを掴むことはできません。」

「現在の自分自身を考えると、社会や地域の問題も個を離れては存在せず、
結構いろんなことを楽しみながらやっているのです。」

「松本に通っていても、子ども達に接するのは実に新鮮で楽しいのです。
おいしいものを一緒に味わったり困ったときはお互い様というのは
ごく自然な人間の本性ですものね。」

「このブログでは、四六時中多忙を極めているように見えますが、
こちらに来ていただければどんな生活をしているかわかります。
早くコロナ禍が収束して、行き来できるようになればいいのですが。
ですから、MNEMOさん、自分自身の楽しみ、自分自身の高みへの挑戦、
それは私自身の現在でもあるのです。」

ということです。


Mooさんが楽しみながら他のためになることをしておられることは、
直接的にその「他」とのリアルな交わりを前提にしています。
例えばこども塾ではもちろん向学心ある児童生徒、こころあたたかい「同僚」大学生、
元教師たちなどと交流するわけです。Mooさんの学識はその輪の中でも図抜けて
いますから、大歓迎されているに違いなく、さらに、与えるのは学識のみならず、
自ら育てた野菜、有志から集めた米などもー
まったく労力を惜しまずに。
自分の善意や努力が直接ありがたがられ、その対象から笑顔のご褒美がある。

嫉妬して書くわけでは決してありませんが、
私も、楽しんでやっている音楽という営為ですけれど、
リアルでなにかしらの交わりの中反応をいただいているわけではなく、
そこらあたりの歯痒さがあるのかなあと思わぬことはないですけれど、
なにしろ私は自己満足でやっていると認めていますから、
聴いてくださった方々から笑顔がほしいなどと言うのは慎みがない。プ。


さて、私に目指す「高み」はあるのだろうかとMooさんの文を読みつつ思いました。

今録音は全部自分の手でやっていますが、
キーボードやギターの演奏力を上げたいとは思っていません。
そんなことはいまさら無理です。
歌唱力?
いやあ、それももう頭打ちです・・・
というか、もう自分の設定した高みには到達していて、
声帯などの衰えが怖いだけです。

すごい名曲を生み出すこと?
う~ん、それが唯一考えられることかもしれません。
ただ、自分の大好きな場所の、大好きな雰囲気、
そしてその中での自分の想い=叙情を十分表現できることが名曲の条件なら、
私は、本当に不遜ながら、すでに何曲もものしています。

ということは、最良の遺作を作ることか?


*

Mooさんのおとといのブログ記事には、銀世界の池田町、北アルプスの写真が。
いいなあ。
私が扱っている高校生の教科書2種で、たまたま雪の結晶の話が重なって、
チビの頃、手袋に舞い降りた雪のひとひらを凝視し、
「雪印」のマークそっくりの形をみとめたときの興奮を思い出しました。

東京の雪なんぞは、もうベタベタの、みぞれに近いものですから、
池田で<ほんものの雪>を見たいものだと心から思いました。

「努力の結晶」と言いますが、雪の結晶のようでもいい、
つまり瞬間の命しかなくてもいいから、
すばらしい歌を歌いたいです。
まあ、それを録音という手段で保存はできますが。




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Jupiter to meet Saturn on 21st

しゃああああ。
あっという間の師走17日、冬至は21日だそうで、あと4日。
早過ぎる。

その日は木星土星の超レアなrendez-vousが見られると。
400年ぶりとか言っていたか。
見られたら超ラッキーということだよなあ。
Great Conjunction(合)というのだそうだけれど、
英語の学徒としてはconjunctionは「接続詞」ですなあ。

なにしろ夕方の空らしいので、仕事前の月曜、がんばって見てみよう!



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魂を吐く

これは冗談でも、ましてや揶揄でもなんでもなく、<老骨>に鞭打って、
安曇野のMooさんがお連れ合いと有志から数百キロのお米を集め、脱穀し、袋詰めし、
松本市の「こども塾(有志による無償学習支援)」生徒児童へ届け食糧支援する作業を
過日終えたそうだ。これまでも同じようなことを何度もされてきたが、
どうも今回の米の量は過去最大だったようだ。

お住いの池田町の未来を思い、財政白書を私家版でこれまで3回発行してきて、
それが今回の財政危機で思わぬ形で有用性を一気に増し、
問題解決の有志グループの中心となってかなりヘビーな作業・活動をしている最中だ。

そりゃMooさんにそれだけの<余裕>があるからだろうなどと簡単に言ってはいけない。
余暇や余裕の活用などというような範囲を軽く超えているのだ。

翻って私なんぞはMooさんやお連れ合い様を称揚するだけ。
情けないなどとここでホザいても、ただただ偽善でしかない。

こういうときMooさんは、「MNEMOさんはちがったかたちで世に貢献できるじゃ
ないですか、音楽、歌でですよ」と仰るのです。
「どうだか」ー
私はいつもそう答えるしかないのです。

もちろん過度な卑下はいやらしいわけですが、
いくら歌のプロ(だった?)といえども、聴いてくださる方になにかしら
「貢献」しているなどというような実感はほとんどないし、
何度も言ってきたように、私の音楽活動の第一義は自己満足のためですから、
世の不特定多数のみなさまのためなどとは決して言えません。
「お慰みになったら僥倖」というのはもう私の常套句です。

こども支援、コミュニティーへの貢献、被災者支援・・・
Mooさんが具体的なかたちで行ってきたことに比べてしまえば、
私の「具体」は目に見えぬ音でのこと、つまり具体じゃない。
見えないからと言ってないわけじゃないと過日佐治晴夫さんの記事で書いた
とおりながら、それでもね、Mooさんの活動には頭が下がるだけ。

大昔「魂を吐く」などと自分のキャッチフレーズにしたことがちょっとあって、
なかなか赤面ものの悪趣味な言い方だったとは思いますが、
私にはそれしかないとつくづく思うんですよ、この頃ね。



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self partial cover "Rush Back to You"

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昨日の月の話で、わが歌としてMoonのことを扱ったものをいろいろ思い出しつつ、
やはり『消えない月』としてOMNICHRONISMで発表したこれかと。
英題はRush Back to You

まあ、拙いself-coverで、アレンジメントは相当古臭い。
さらに大元の2-mixは、当然各パートの音量調整ができないので
バランスもどうかご容赦を。

でも、清しい多摩川の夕暮れの月をある程度は表現できたと思っているのです。


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Being invisible doesn't mean not being there

https://www.nhk.or.jp/radio/player/ondemand.html?p=0324_04_2281357

先ほど朝散歩をしていて聴いていた、理学博士で、北海道美瑛町営天文台「美宙」の
天文台長をされている佐治晴夫さんのお話ー

まさに氏自身が重視されるliberal artsの申し子のような方で、
私の宇宙観を拓いてくれたCarl Saganとも親交があったというのだから畏れ入る。

~「もし月がなかったら音楽はなかった」

約40億年前に火星の3分の1くらいの天体が地球にぶつかった、
そのときの地球の破片が重力のおかげで集まって月ができた、
さらに地球にとっては衝撃で自転軸が傾き四季が生じた、
そして月が存在するようになり新たな潮汐力が生じ、自転の速度が落ちた、
それは風速400m/secであった地球表面の風が今のようにまで
穏やかになることを意味し、もし月がなかったら音楽どころの話ではなかったー

などと佐治氏は言うのだ。

音楽および詩歌誕生の根源的条件を生み出した月は、
そしてモチーフ(原因)そのものにもなっていくのだ!

今日は新月だったのか、月なき世田谷区南西部を歩いた。
しかしもちろん「月は在る」。
見えていないだけ。



星とたんぽぽ

青いお空の底ふかく、

海の小石のそのように、

夜がくるまで沈んでる、

昼のお星は眼にみえぬ。

見えぬけれどもあるんだよ、

見えぬものでもあるんだよ。



散ってすがれたたんぽぽの、

瓦のすきに、だァまって、

春のくるまでかくれてる、

つよいその根は眼に見えぬ。

見えぬけれどもあるんだよ。

見えぬものでもあるんだよ。



(『金子みすゞ童謡全集』より)




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At Yoga with my Daughter

昨夜は娘と用賀(世田谷区)で会食。
赤ん坊の頃から手のかからない子だったけれども、そのまま今日に至った感じ。
我が娘ながらいろいろと頭が下がるのだ。

さて用賀ー

以前も書いたことが何度かあるのだけれども、
この地に縁を持ったのは、スティックがここにあった音楽スタジオの主だった
Fさんと知り合いになり、G String、後にDDとして使わせていただいた
ということからだった。

今住むところからは自転車で15分くらいか。
上用賀という碁盤目状の整然とした住宅街から用賀に入る。
上用賀には1995年OMNICHRONISMを録ったスタジオが在った。
つまり、私の音楽活動とは切っても切れない街だったのだ。

今は自転車散歩の主要なコースだし、娘とのここでの会食は3度目だ。
娘は田園都市線沿線に住んでおり、連れ合いがなんと用賀で働いている。

環八を挟んで西は都立砧公園であり、その道路の喧騒が遠くなるところは、
東は上品な住宅街、西は緑、実にいいところだ。

砧公園には幼かった娘と何回か来たことがあった。
散歩をしているとその当時を思い出す。
りっぱな大人になった娘と会食しているとさすがにしみじみとする。

昨夜娘とのBeatlesに関する会話で一番印象に残ったのは、
私のThe Endのカバーで、「Eb/Cという分数コードを弾いて痺れた」と言うことから
Paulの天才をあらためて語っている裡に、彼のBand on the Runというアルバムの話に
及んだとき、娘がNo Wordsという1曲を私が特に好んでいることを
言い当てたことだった。

さすがは我が娘。

これからもずっと用賀で彼女と会食し続けられるといいなあ。
3つとも違う店だったけれど、みないい店だったから、ローテーションで。




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この静寂に

振り向かないで
差し出されたその手を
闇に紛らせ
彼方に向けろ
その目を

苦しみの声
響かせろ
この静寂(しじま)に

そして破れた夢を繕え

明日は


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The Sweet Rain of July

Music, Words and Performance by MNEMO






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A Day in the Life (Partial Cover Ver 2)

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追記

今日はすごい数の方が来てくださっています(当社比)。
The Endのページの訪問者多く、requestにお答えします。






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「永久」とは

おととい、過去の記事で突出して読まれたのがこれだったー

https://mnemosyneoforion.blog.ss-blog.jp/2018-07-01

この記事で「発見した」と言っていることは、きっとだれかしらがもうすでに
気づいていることなのだろうとは思うけれど、それでも、

<過去の確定的事実として「Xは永遠にyする機会を失った」と
いうとき、それは真である。Xという主体によるyという行為は永遠に起こらないのだ。
そしてこのように否定的な永遠があるなら、肯定的な永遠もあるのではないかと。>

という記述は我ながらおもしろい。
最後は対称性(parity)の存在を推定しているわけだけれど、もちろんどうなのか
まったく分からない。さらに永遠であったとしてそれがどうしたということについては、
「肯定的なことの積み重ねこそ宇宙の原理だ」と大昔から言ってきた以上のことは
言えそうにない。その積み重ねもご破算になるのが宇宙の定めだとしたら、
これまたどうなのかー

ニヒリズムを超えるのは至難のわざだ。

「また新宇宙開闢から繰り返すのさ」と言ったところで、
「何のために?」と問われれば「さあ」と言うしかない。

*

YouTubeで、あるアメリカ人家族による「Life in Japan」というタイトルが冠された
videoシリーズの今に至るまでのほぼ全部を見た。

なぜこのvideosに惹かれたかというと、私が去年2月まで住んだ和泉多摩川の河原の
映像が目に止まったからなのだ。
私のホームグラウンドだったところだから、そして毎日のようにそこを歩いたのだから、
このファミリーを目撃してもおかしくはないし、確かに出会ったことがあったのだ。

「ああ、あの白人さん一家か。」

その一家は父母、娘3人、息子(末っ子)1人の6人家族だ。
別のvideoで彼ら彼女らは対岸の川崎市多摩区某所(私はどこか知っている)に
一軒家を借りて住んでいるのだった。
父母はクリスチャン、それもかなり敬虔で、兄弟や友人らと向ケ丘遊園にcafe付きの
churchを設営、運営しているのだ。
現代的な宣教師一家と言っていいのかもしれない。
ただし、宗派は分からないが、プロテスタントであるのは間違いない。

ビデオでは一家の日常、旅のようすなどがメインのコンテンツになっているけれど、
しっかりキリスト教的なコメントもされる。

とにかくすばらしい一家であるのは見ていただければ一目瞭然だ。

彼ら彼女らの生きていることを十分活かし楽しむ態度は、
信仰からの確信に基づいている。
最後は「新天新地」へと導かれることを信じているのだろう。

やはり、永遠であることを大抵の人は願うのだ。
良いこと、良いものに囲まれた良い人間としての自分が永遠に生きることを。

それを信じられれば、確かに、人生は無敵だ。



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2020 師走随想〜「誕生日」

Sweet Rain of July(摩天楼の夜)のページが当社比で「多くの」方に
再訪されているようですので、週末、手直しをして上げるつもりでおります。
(Tacit Request Accepted 3として。)
ただし、土曜は娘の誕生日会食、翌日曜は義父の娘の誕生日会
(いずれも当日が誕生日ではありませんが)と連チャンでして、録音がちゃんと
できたらという条件付きです。お聴きになりたい方、どうぞご了承ください。

会食が立て込みますが、むろんCovid-19に感染しないよう細心の注意を払います。
なにしろ8月の私の誕生日会は娘が企画してくれたものの遠慮したほど慎重でした。
今日東京は感染者数600人を超えたようで、8月より酷い状況ですが、
娘と二人だけの会ですから、なんとか乗り切りたいと思っております
(大繁華街には行きません)。


しかしまあ、なにがGO TOだ!


*

私は自分のもそうですが、親しいと思っている友人、そして肉親の誕生日に拘ります。
<拘る>というのはもともとは嫌な意味ですが、それでいい。

それは、前記事A Day in the New Lifeで書いたように、
人生は一瞬で終わりうるし、また他者の死というものはそれを悲嘆する時間の
長い短いはあるものの、結局は通過して行ってしまうものだからこそ、
その儚さを少しでも<生前に>打ち消したい衝動に駆られるからです。

他者が生まれてくれて、あるいは、産んでもらえて、
私の人生の中私と<なぜか>クロスしてくれたこと、
しかも一定の友情や愛情を結んでくれたことはほとんど奇跡的です。
ここで書いている「私」とは、この私ですし、みなさんひとりひとりです。

本当の友情とか愛情とか、それは何かというのはむずかしい問いですが、
しかし少なくとも「私」の誕生日を忘れず、寿いでくれる存在は、
ほぼ疑いなく本物の友でしょう。

私はその親しかるべき存在の友であり、友であると表明したいから、
その人の誕生日には拘るのです。

「生まれてくれて、私とこの人生で出会ってくれてありがとう!」

これしかないではないですか。

自分が大切に思う人がいて、その誕生日を祝えない、祝わない、忘れているという
ことなら、それは全然大切になんか思っていませんよ。

<ただ>通過していくだけ、通過して行っただけの人です。


*

びっくり。

今アクセス解析ページに行ったら、この記事が5人の方に読まれているとー

https://mnemosyneoforion.blog.ss-blog.jp/2016-09-09-1

この記事最後の方の韻律を伴う「詩」は、なんともまあ、「浜松中納言物語」と
相響くものではないですか!

すごいなあ、この5人の方!



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A Day in the New Life

昨夜上げたA Day in the Lifeのpartial cover、朝散歩の後少し手直しをしました。
また週末にでも手直しをするつもりです(どこをかはお分かりですね?)。
すぐにできる手直しなのですが、もう疲れてしまいまして・・・。

私がAm7とD7で弾いているところ、Asus2だという説もあって、
確かにそういう響きがあるけれども、D7にはどうしても行きたくなってしまい、
まあ、この辺は私には分からないので、どうかお許しを。

なにしろまずacoustic guitarをドンカマ無しに弾いて、vocalを次に入れ、
その後からいろいろ被せていくということをやった(よくある私のパターン)ので、
どうしてもまあいろいろ不都合が出たりします。
けれども、naturalなノリというのもあってね。

*

この曲は、大方のpopular musicファンなら「世紀の1曲」と認めるものです。
1967年の私の誕生日に全世界同時発売となったSgt Pepper'sの棹尾を飾る曲、
JohnとPaulの見事な連携で大作となったものです。

私はこの曲を少なくとも2年はまともに聴けないままになりました。
怖い、ということだったのです。

聴けるようになり、また詞の意味などを考えるようになってから、
John独特の「特に意味は無い、イメージだ」というようなことだと納得しました。
私も歌っていて、なにかしら感情を込めるというようなことはありません。

ただ、最初のスタンザでは、Johnの知り合いだった若いイギリス上院(貴族院)議員の
実際にあった交通事故死を語っており、人生などというものは、一瞬にしてその
最後が訪れてもなんらおかしくないものなのだ、というような気分で歌いました。
この事故死した人物は21歳という若さのGuinnessの跡取り息子、
Anglo-IrishのTara Browneです。

子どもの時に最初に聴いて恐れ慄いたのは、こういう無常をJohnが歌っていることに
もしかするとうっすらとではあれ、気づいていたからかもしれません。

他者の死というものが、「人生のある1日」に起こり、その事実が通過していくー
そして自分もいつか他者のa day in the lifeでそういう「news」になるのですね。

*

朝散歩では「古典講読」を聴きました。
菅原孝標女による「更級日記」がテーマでしたが、その本編は終わっていて、
彼女の作とされる(異論あり)『浜松中納言物語』の話でした。
「三島由紀夫のー」と講師が口にした時、ありゃ、また三島さん、と思いました。
「絶筆となる『豊饒の海』はこの『浜松中納言物語』にヒントを得た」と。
その物語自身も、紫式部の『源氏物語』は「宇治十帖」の影響を強く受けている、と。

「唐后」の、すでに法華経の教え通り女であっても成仏しているけれども、
自分を恋い焦がれ苦しむ中納言と娑婆でまた男と女として出会うために転生する
(それも自分とそっくりな、中納言が自分の分身として愛する異父妹の子となって)
というような話なのです。

「宇治十帖」の浮舟(東国育ちの受領の子、え、菅原孝標女もそうじゃないか!)は、
薫を拒絶する。救われない結末。
ところが、「浜松中納言物語」では、もう輪廻しなくてよい唐后が、
またもや女性(にょしょう)となって愛し愛される男の許へ
生まれ変わって再登場する、と。

日本の古典藝術や文学にも興味を示したJohnは、
生前Yokoさんにこの話をしてもらったことがあっただろうかー
そんなことを考えました。


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A Day in the Life〜Partial Cover, Dec. 8, 2020

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3時間ほどで仕上げました。
その程度になってしまっていますが、お許しを。
Johnの40回忌、何を歌おうかと迷っていて、結局夕方からの録音となりました。

初めてNeumannのマイクを使ってvocal録りをしてみました。


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朝散歩しつつ三島

授業の準備終了。
英作文の添削、復習テストの作成で4時間はかかります。
時給にはまったく合わぬ労働量ですが、まあ、いいでしょう。

早朝散歩を再開しました。
オリオン座とシリウスが西にかなり傾いている時刻に出発です。
多摩川べりと違って、住宅地ばかり通ることになり、夜空や明け方の空をそう楽しめず、
いきおいラジオを漫然たる徒歩にならぬよう恃みにします。

「ラジオ」と書きましたが、リアルタイムではなくNHKの「聞き逃し」。
「声でつづる昭和人物史」や「文化講演会」を頻繁に聴きます。
前者は全5回という破格の扱いで三島由紀夫を深彫りしていました。

「君らが天皇とさえ言ってくれれば諸君らと共闘する」

三島さんは確か東大全学連との対話でそう言ったのです。
その録音は流れませんでした。
天皇=日本の古代からの歴史と伝統を重んじてくれれば、左翼運動とも共闘すると。
三島さんが打倒したかったのはなによりも日本を侵食する西欧文化なのです。
それに染まった政治家たち、西欧化こそが正義だとする体制を打倒することについては
共に手を携えられるということだったのです。
学生たちは笑っていました。

徴兵されず、同輩たちに戦争で死なれた男として三島さんは戦後を生きました。
「夭折の美」と言い、死に場所を、死ぬ大義ときっかけを、探し求めて。

その辺りはすでに知っていたことでした。

ラジオでは川端康成との微妙な関係についてかなり迫っていました。
この辺りをもっと知り、想像したくなりました。

私なんぞは幼少から、三島さんが唾棄したい西欧文化の、さらに浮薄な大衆音楽に
浸ってしまった人間です。それでも、「日本という国は何か」、
「日本人とは何か」ということについての思索は負けずに続けていきたいと
思うのでした。




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I Love You Too 〜21回目の誕生日

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I Love You Too



正確ではありませんが、おそらく今日はこの歌の誕生日です。
1999年のことですから、21歳になったわけですね。

これは東京都の一級河川、野川に捧げた歌です。

このとき私は運送のアルバイトを短期ながらしており、
新宿区に住みながら、つい2ヶ月前まで住んでいた狛江市東野川が恋しくて、
近隣の運送のアルバイトを探し、およそ一ヶ月働き、
その間野川のほとりで昼食をとりました。

Macのチーズバーガー・セットを食しつつ、
今日のような冬晴れの、しかし風のほとんどない穏やかな昼、
この歌が生まれました。



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Bigots

久しぶりに安曇野のMooさんがブログ更新
それは、何年も前から氏がずっと警鐘を鳴らしてきた(私家版財政白書を3回発行)
氏の住む池田町の<懐具合>がいよいよ極寒状態に陥り、
有志らとどうその危機を乗り越えるかということで会合を重ねるなどしてきて、
ブログ更新などしている暇がなかったから、という。

最新の記事では、かなり強烈な批判のことばを散りばめており、
氏の相当の怒りが感じられるのだが(「怒り」というのは適当でないかも)。

拝読していて思い出すのが、漱石の『こころ』の一節、

「平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。
それが、 いざといふ間際に、急に悪人に変はるんだから恐ろしいのです。」

なのだが、それはちょっと違うと言われるだろう。
それでも、やはり私は関連を見るー
「悪人」ということばは、今の時代なら語弊があるようではあるが。
私の解釈だと、あの<浄土真宗的悪人>でなく、英語のbigotに相当すると思う。

bigot
a person who is obstinately or intolerantly devoted to his or her own opinions
and prejudices
especially : one who regards or treats the members of a group
(such as a racial or ethnic group) with hatred and intolerance
Merriam-Webster Dictionary

1590s, "sanctimonious person, religious hypocrite," from French bigot (12c.),
which is of unknown origin.
Online Etymology

まあ、要するに、なにかしらの信条があって、それにただ固執する偽善者という辺りが
一番わかりやすい定義かな。


Mooさんのここに来ての奮闘は涙ぐましい。
町のため、町の将来のためと貴重な時間とエネルギーを注いでおられる。
その真摯さに多くの人が賛同するといいですね。



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