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短編小説 インスタント・カーマ 4

晃司がいる病室はかなり上階の端にあるようだった。
小児病院なのだが国立の立派な施設であって、世田谷通りからずっと奥の、
世田谷区立大蔵総合運動公園が見える静かな佇まいだった。

晃司はいずれ必ず宏美と会わねばならないのだからと覚悟を決めて、
看護師に面会を承諾する。

5分ほどしてその看護師がまずドアを開け、

「木下さま、おいでになりました。私はナースセンターにおりますので」

と言い、宏美を通した。
宏美はドアを閉まらぬようにしながら、まず慇懃に看護師に礼を言った。
そして晃司と視線を合わすことなく部屋に入り、ドアを閉め、
そのままゆっくりと窓のそばへと歩いて行き、しばらく緑を眺めていた。

晃司は宏美の沈黙にいたたまれなくなって、起き上がってから土下座して、
「すまん」と言った。

「涼太を守れなかった。万死に値すると思っている。」

宏美は振り向かず、言葉も発しない。
数十秒経った。

「なんでそんな時間に涼太を外へ連れ出していたの・・・
とは言えないわね」

と宏美は言って、やっと晃司の方へ顔を向けた。
見れば憔悴しきった表情で、瞼は赤銅色に腫れ上がっている。

「そんな時間に涼太と遊ぶしかない生活になった責任は私にもあるし。」

宏美は力なく下を向いた。

「運転手は横断歩道に人がいるとは思わなかったなんてワケのわからないことを言うのよ、
本当に、なんていうフザけたことを!」

そう言って宏美は再び窓外を見る。
涙を拭っている。

「涼太の顔はとても穏やかでねー」

嗚咽を抑えて言う。

「タイヤに踏みつけられたとは思えないほど、きれいだった。
それが救いよ、救い。」

晃司も涙を噴き出させ、再び、

「すまん!本当にすまん!」

と言った。
二人はそれから数分沈黙して、ただ互いに洟を啜る音だけが部屋に響くのだった。


「本多さんねー」

宏美が沈黙を破った。
宏美は晃司の仲間のうち、本多の妻と特に親しくしていた。

「コロナ発症して、たらい回しに遭ったそうよ、昨夜。」

「え?」

晃司は唖然とする。

「4つぐらいの病院に拒否されて、やっと荏原中央病院が受け入れてくれたって。
それも交通事故の人の処置と重なって、あわやさらにたらい回しになるところだったって。
今は人工呼吸器をつながれてICUに入れたけれど、満床もいいところで、
実はその夜ちょうどなんとかもう1床を確保したばかりだったんだって。」

宏美が椅子に座り、晃司を見つめて言った。

「ねぇ、27日に忘年会やったんだって?」

「・・・う、うん。」

晃司は弱々しい声で答えた。

「本多さんの奥さん、言ってたわよ、上谷さんが重篤な病状だって。
まだ42歳だけれど、糖尿気味だったって言うじゃない。
あの狭いスナックで、カラオケやってってー
こんなご時世で、あなたたち、どうかしてない?」

晃司はふと自分のスマートフォンを見ると、LINEに10いくつものメッセージが届いていた。
宏美はそれに気づき、

「見てみたら」

と言った。

多くが桑原修身からのものだった。

「ヤバいよ、晃司。ほんとにヤバい」

スレッドの最終メッセージ。
晃司は未読の最上段へとスワイプする。

「返事ないけど、既読にはなっているな。お前、大丈夫か。」

「小柴も自宅待機だそうだ。熱が出てきて、しんどいそうだ。」

「小柴のヨメさんにまた怒られた。参加した旦那も旦那だけれど、なにしろ企画した
俺が悪い、小柴になんかあったらどうしてくれるって。」

「本多はヤバい。ダメかもって書いてきた。それ以降返信ない。」

「ほんと、どうしよう。こんなことになるなんて、ほんとに認識甘すぎた。
上谷が感染源だったのかも。ああ、ヤツを責めたってしょうがない。
今あいつは死線をさまよっているんだな。」

「斎藤によると、沖も急激に体調悪化して、でもたらい回しに遭ったらしい。
昨夜のことだ。
それでもなんとか関東健保病院に収まったそうだ。
容体はきっと悪いんだろうな。
ああ、どうしよう!」

「大変だ。
君津も調子悪くなっていて、保健所に連絡したと。
ずっとつながらなかったけれどようやくつながって、PCR検査するって。
ほんと、どうしよう、忘年会メンバー、高橋だけか、何もないの。
ヤバいよ。
俺どうしたらいいんだ。」

「おい、ほんとお前、大丈夫か。
なんか大田区で子どもの交通事故があったらしいけど、まさかだよな。
え、おい、今TV見たら、塩田涼太くんて・・・。
おい、大丈夫か!
返事くれ!」

そして午前6時26分、最後のメッセージが、

「ヤバいよ、晃司。ほんとにヤバい」

だった。



〜つづく




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短編小説 インスタント・カーマ 3

涼太は小児医療センターのERに運び込まれるが、
入口のドアの前で待っていた医師が救急救命士と短い会話をした。
「延髄」、「呼吸中枢」、「DOA」ということばが晃司には聞こえた。

涼太は診療ベッドに寝かされはしたが、医師は瞳孔を見、対光反射の有無を確認し、
「んん」と言ってから、ERのドアの方へ力なく向かった。
ドアの外の椅子に、頭を両手で抱えるようにして座っている晃司の許へ来て、

「お父様ですか?」

と声をかけた。
晃司は顔を上げ、かろうじて「はい」と言った。

「まことにお気の毒です。救命士さんがずっと心肺蘇生を試みてきたのですが、
それらが停止してもう10分以上経っています。」

つきさっきまで零下に近い気温の外で待っていたにも関わらず、
医師は汗を拭うというのか、白衣からハンカチを取り出して額に当て、
二、三度往復させた。

「これは言うべきではないかもしれないのですがー」

医師は下を向いたまま切り出した。

「あと20分早ければ、息子さんの脳挫傷を手術することもできたかもしれません。
成功するとは言い切れませんし、また、成功しても後遺症はあると思いますが。
コロナコロナできっと他の病院も逼迫していて、到着が遅れたのですね。
悔しいです・・・。」

晃司は口を開け、目を泳がせている。

「大変残念ですが、23時01分、お亡くなりになったということでー」


*


晃司は小児医療センターの病室で目を覚ました。
本来はあり得ない措置であったが、額と頭の皮膚が割れ、強度の脳震盪で倒れた晃司を
よその病院に回すこともできない。

モニターで見ていたのか、看護師と医師がすぐに駆けつけた。
医師は、

「塩田さん、いかがですか?」

と言った。

「おケガの回復には2週間程度必要です。安静になさってください。」

頭部が包帯でぐるぐる巻きになった晃司は、不思議と痛みを感じずに、
自分に起きたことを少しずつ思い出していた。

「そうだ!死なねば!涼太、涼太、すまなかった!俺も一緒にゆく!」

そう叫び出したのはまもなくのことだった。

医師と看護師はベッドから飛び出そうとする晃司を押さえる。
晃司は初めて凄まじい痛みを頭部に感じ、ベッドの上でうずくまってしまう。

「塩田さん。塩田さん。」

医師が穏やかな口調で呼びかける。

「どんなにおつらいことか、私には想像を絶します。
本当にお気の毒です。お悔やみを心から申し上げます。
でも、どうか、どうか、あのようなことは二度となさらないでください。
悲しみに圧倒されず生きてください!
息子さんもそれをきっと望まれていますよ。」

晃司はそのことばに号泣した。
ただ、号泣した。


「お名刺から、ご関係先に連絡させていただきました。」

看護師が、晃司の涙が再び涸れる頃、静かに切り出した。

茨城のお母様が今こちらに向かわれています。
会社の関係者さまがもうおいでになります。斎藤さまという方です。
それからー」

看護師は少し間を置いた。

「木下宏美さまはもうおいでです。」


木下宏美ー

晃司の元妻である。
司法試験を目指すと言いつついい加減な生き方をしてきた晃司にとうとう我慢ならず
彼と離婚してもう3年が経っていた。
決定的な落ち度はない晃司は、離婚の際ひとつだけ条件を出した。
涼太の親権を自分が持ちたいということだった。
宏美は結局養育できなくなるに決まっていると最初は反対したが、
もし小学校の6年間、<まともに>涼太を養育できたなら再婚を考えるということで
同意したのだった。

晃司は、涼太が生まれて以来試験勉強と称して家にいることが稼がねばならない
宏美より圧倒的に多く、涼太はパパっ子になっていた。
だらしない晃司に宏美が小言や罵声を浴びせることも多く、
幼い涼太には母親がなんだか怖い存在のように思えることが繰り返され、
いつもやさしく遊んでくれるパパの方が明らかに好きだったのだ。

涼太が望めば宏美にはいつでも会えることになってもいたし、
宏美も月に最低二回は涼太を自分の家に泊めたから、
涼太がさほど母親を恋しがるということもなかったのだった。

それから3年間、晃司は生活の糧と涼太のよい暮らしのために懸命に働いてきた。
「司法試験」の「し」の字も言わなくなった。
自ら課した定時を超す労働は、涼太のための金を稼ぐ目的だったから、
苦にはならなかった。
ただ、そのために涼太との十分な時間がとれなかったのだが。


「塩田さんが倒れられてからだいたい8時間経ちました。
今、朝の7時です。」

看護師が言った。

「木下さまをお呼びしましょうか?」

晃司は固まってしまう。
「まったくそんなことには・・・readyじゃない!」
心の中で、そう言った。

「木下さまが、塩田さまにお会いしたいようなのです。」

看護師の声が晃司の頭や額の痛みをさらに強くするようだった。



〜つづく





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