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Mよ、永遠に自分の「日本人」世界に閉じていろ

今朝放送のラジオ深夜便「明日へのことば」を「聴き逃し」で聴いていた。
ゲストは温又柔さん(41歳)で、彼女は両親とも台湾人、
3歳で日本に来て以来暮らしているという。
聞き手は鎌倉千秋アナで、彼女も母が台湾人なのだそうだ。

マルチリンガルな人間が、マルチカルチュラルおよびエスニックな問題を
抱えてしまうのはよくある話で、<いずれにも属しつつ、また属していない>という
奇妙な感覚の中生きていくことの苦痛、そして裏腹におもしろさがやはり語られた。

「よくある話」ということで私は特に感銘を受けることなく聴いていたが、
後半の後半というところで、鎌倉アナが、「ある文学賞のある選考委員」と
ぼかしながら、温さんの作品『真ん中の子どもたち』に対し某作家がこう批評した
ことをとりあげるー

「これは、当事者たちには深刻なアイデンティティーと向き合うテーマかもしれないが、
日本人の読み手にとっては対岸の火事であって、同調しにくい。
なるほど、そういう問題も起こるのであろうという程度で、
他人事を延々と読まされて退屈だった」
(「文藝春秋」2017年9月号)


・・・これで作家をやってこられたというのだから顎が外れるくらい驚く。

まず、「日本人」てだれのことだ、定義してみろ。
そして芥川賞はいつからそのあんたの謂う「日本人」の、「日本人」による、
「日本人」のための文学賞になったんだ。あんたは芥川か、菊池寛か。
「対岸の火事」・・・そうか、日本は「単一民族国家」なんだな、あんたには永遠に?
「他人事」・・・あんたの小説はじゃあ、「日本人」の読み手には同調しやすく、
他人事ではなく興味もって読めるというのか。その「日本人」だけに閉じていることを
宣言するかのようであって、それでいいんだな?


私は温さんの当該小説を読んでいない。
だから作品自体を擁護したりすることはできない。
しかしこの選考委員の短評には全く同意できない。
アイデンティティー問題は「日本人」には存在しないかのようであり、
また、それに立ち向かってきた世界中に存在する幾多の移民たちの想いに
「同調しにくい」のが「日本人」なのか、と。

世の中にはどんな人にもひとりひとりの人生的テーマが存在するのであって、
確かにより多くの人のそれに重なるようにそのテーマを作品化できる文学者がいるが、
しかしそれゆえその文学者が尊く、重なりの少ない表現者がそうでないと言い切る
ことなど全くできない。

また、非常に特殊な体験からの特殊なテーマの小説が在ったとして、
それにより新たな世界の切り取り方を教えられるということもあるに決まっている
ではないか!それも小説の醍醐味の一つではないか!

よくもまあ、「選考」なんてできるものだ。
自分の「日本人」世界に閉じこもって、自分が認める「日本人」たちにウケる小説を
書いていればいいじゃないか。
「日本人」もどきの作品なんか、以降は一切選考しませんと宣言して。



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