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NHKラジオ三昧の日々

昨夜仕事を終えてから歩きに出て、例のごとくNHKラジオの「聞き逃し」のメニュー
から番組を物色、まずは定番の「昭和人物史」、森光子の2回めだった。

この俳優(この頃「女優」とは言わなくなった)さん、私にとってはとにかく
TBSドラマ『時間ですよ』での銭湯の女将さんである。
京都を離れ、東京に出てきて歌手を目指した21歳のときが1941年で太平洋戦争が
勃発してしまう。「何も知らない」彼女は「お国のため」兵士の慰問などに明け暮れ、
その中で大陸から台湾へ船で向かう途中、彼女が乗る客船を護衛する船が撃沈される。
その顛末を淡々と語り、しかし決まり文句の「戦争はいけません」とは言わないのだ。
そこを、番組のコメンテーター保阪正康さんは、逆に切々たる無念を感じるというような
ことを言われていた。そうなのだろうか。

この保阪正康さん、最近昭和史研究の先輩で畏友の半藤一利さんが亡くなって
悄気ておられたし、ますますしみじみとご自分の「晩節感」というものを覚えて
おられる最中だと思う。

ところで半藤さんのジャーナリストとしての才は、申し訳ないけれども
保阪さんのそれが及ぶところではなかったと思う。
半藤さんの著作は、昭和史関係もそうだけれど、漱石関係のものもいくつか読んだ。
半藤さんの妻君(めぎみ)は漱石の孫ということもあり、またご自身も俳人として
偉大な義理の祖父で東大文学部の先輩でもある漱石の俳句を親しく論評したものだ。
博覧強記でしかもユーモアのある文体に私は惹かれたものだ。

保阪さんの著作は一度も読んだことがない。
それでも僭越にも半藤さんとの比較をするのは、彼のこのラジオ番組での話が
穴だらけだからなのだ。あるいは的確なことばで主題の人物を語れない、
と言うべきか。冗長、冗漫な感じがするのだ。

その象徴は、「逆に言うと」の連発で、それでいて何も逆から語っていないことが
あまりにも多くて、こんな言葉遣いをしていては、況や著作においてをやと
思ってしまうのだ。

とてもいい番組だからこそ、もっと保阪さんにはコメントの練りをしてほしいが、
どうなのだろう、もう今年で82歳になられるという中、厳しすぎる要望だろうか。
この番組が始まる前、2014年から17年にかけて保阪さんは「ラジオ深夜便」で
「昭和史を味わう」というコーナーを持っていて、その頃には感じなかった
<話の空疎化>なのだ。これが老いるということなのだろうか。

次に聴いたのが、その「ラジオ深夜便」4時台「絶望名言」のコーナー。
このコーナー、初めて聴いて、そしてたまたま宮城道雄の回だった。
当然失明およびその後の盲(めしい)として、そして琴の名人としての生活からの
ことばである。私も白内障でそれに近い体験をしたから、なかなかに切実に聴いたが、
このコーナーの出色は、コメンテーターの「文学紹介者」・頭木弘樹さんの
解説、解釈だ。

宮城は、自分が光を失ったことがあっての琴への一意専心であって、音楽家としての
大成であったのだから、大元の失明に感謝するというようなことばを発するのだが、
頭木さんは「危険なことばだ」と言う。

頭木さんも二十歳で難病を患い、病床生活を長く送り、その中でカフカに出会って
救われたという人で、以来多くの文学者や偉人のことばに出会ってきた。
そこからの思いを綴ることが最終的には世に認められ今の地位があるー
その意味では身体的な制限をむしろ利して何事かを成すことに集中できたと、
宮城のように言えなくはないが、そういう成功例はむしろ少ないはずであって、
背水の陣はやはり背水の陣であり、絶望の淵に立っているのだから、
ガムシャラな反転攻勢がいつもうまくいくような印象を持たせてはいけないという
ようなことを力説するのだった。

過去の回では宮澤賢治やBeethovenも扱っていたらしく、
いやあ、残念。聴きたかった。


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