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好い気なもんだ

NHKラジオの『朗読の時間』では、今谷崎の『痴人の愛』をやっている。
映画化も何度もされた有名な小説だが、私は読んだことがない。

大正時代版の「紫の上」のような奈緒美(Naomi)と
光源氏のような譲二(Georgeか?)ということかと思いきや、
二人の身分はそんな高いものではなく、それどころかNaomiは東京下町の
下層階級出身として描かれ、宇都宮出身の、高等工業(東京工業大学)を卒業できる
だけの家柄ながらも田舎者の譲二に結局は出自を侮蔑されるような少女
(出会いの頃=15歳、譲二28歳)である。

聴いていて、不愉快になってくる。
「文豪」の、その時代の事情による執筆背景があるとは云え、
奈緒美が西洋人の名のようだだの(これが譲二が彼女に興味を持ったきっかけ)、
風貌が当時大人気のアメリカ女優メリー・ピックフォードに似ているだの、
さらに「君子」の譲二が奈緒美に手を出すまでの経緯とかを長く聴いていて、
その譲二の精神というか、大正期インテリ男性の西洋文明や西洋人への卑屈さと、
所詮<したごころ>なのに迂遠極まるような譲二の言い訳・美化にうんざりしてくる。

今朗読は、譲二が、彼にふさわしい妻にならんと上昇志向を持つ奈緒美に、
ミス・ハリソンの指導の下英語をずっと習わせているが、
あまりに文法を理解しないために、彼が彼女をこきおろすところまで進んでいる。
(現在分詞が述部に使われるときは、be動詞が伴われることをどうしても理解しない
などという、私にとっても確かに実際にそういう例に多く出くわしてきたことであり、
笑いながら聴けたが。)

もうこれ以上は聞かない。
ネタバレのあらすじをどこかのサイトで読めば十分だ。

譲二はさしずめ漱石小説で謂う「高等遊民」だ。
ただし江戸っ子・東京人世界でのそれでなく、田舎の素封家階級の坊っちゃんだ。
今の東工大出身の技師だから食いっぱぐれは全くないし、
下町出身の13歳差の賎女(しずのめ)に好き勝手をやらせる条件は十分だ。
外見容姿は申し分ないので、後は自分も属すアカデミック世界および情操においても
「ナオミ」を理想の女にしようという目論見はもちろん分かるけれども、
それが何から何まで西洋人的になることに帰結していくような話なのだ。

そして漱石小説のようにこれから三角関係がやはり出てくるらしいけれど、
まさに「痴れ者」のそれ、『虞美人草』の藤尾をさらに書き継げばかくあらんという
ような女にナオミはなっていくのだろうかとふと思ったりする。

一高・帝大というコースを辿った共に超エリートの漱石と谷崎である。
明治・大正期のインテリたちにとって、旧来型の日本人女性ではなく、
「青鞜」的な、予測不能な行動家的な謎めく女性は、肯定するであれ否定するで
あれ魅力的だったのだなあ、と。

そして谷崎は漱石小説を、後輩として、より時代が進んだ中の小説家として、
<発展>させたのだという自負があったのではないだろうか。
(勝手な推論です。読んでもいないのにね。)

なにしろ「高等遊民」の話は、「好い気なもんだ」と言いたくなってしまうところが
どうしても出てくる。男女のことの一大事など、国家的な視点からはただただ
軽佻浮薄の一言、それもさらに国の将来の大きな部分を背負うべきインテリゲンチャが
三角関係などで現を抜かすようでは言語道断と思った明治・大正期人も多く
いたのではないだろうか。

しかしだー

「好い気なもんだ」の「好い気」こそが、藝術そのものを支えているー

つくづく朗読を聴いていてそう思った。
世田谷のある街の一角を夜歩きながら。



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