SSブログ

中島さん、過去は在るの、無いの?

このブログ、このSSブログにおいて、テーマを音楽とする同種7883のブログ中
アクセス数で55位なのだ。
割ってみれば、0.0069770392、上位1パーセント内どころか、上位0.7パーセント
以内に入るということであって、いささか驚く。

こんな数字が出るのも、ここに、飽きもせず、来てくださる皆様のおかげです!

*

今日東京はovercast dayとなっており、気温は昨日に比べ格段に下がっている。
湿度は高い・・・これが参る。
初夏の夕暮れをこれから迎えるけれども、どうもその気分にはなれない。

Dancing Daysのカバーを久しぶりに聴いてみた。
おととしだったかに最初にここで上げたものに少し手直しを加えたのも去年、
忘れていたわけではないが、いよいよこの曲で歌われるsummer eveningsの到来、
部分カバーもいいところだし、コピーには最初から程遠いものだけれど、
おとといの夜のウォーキング中、Led Zeppelinの本物を聴いて、
ここに我がカバーを久々に上げてみるかと思ったのだ。

この曲、大昔に、赤坂にあるbarで、臨時バンドを組んで歌ったことがある。
気持ちよかったという記憶がある。
ドラムスは松川敬一くんで、流石のドラミングだった。

もう十数年前のことではないか。

Englandの夏の夕暮れを体験したことがある。
一番思い出すのは、LiverpoolのCalderstone公園付近においてのものだ。
JohnとPaulの家の中間に在る公園と言っていいのではなかったか。
Johnの家の近くのStrawberry Field(単数形)の薄暗い風景も思い出す。
Led Zeppelinとは関係ないけれど。

その頃ならもう27年前のことになってしまう。

ぐ。

Dancing Days ーLed Zeppelin
Super-partial cover by MNEMO
掲載終了


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捜査一課長、がんばれ

この頃何度か書いているような気がするが、
「科捜研」や「一課長」、「機捜」、「相棒」、「おかしな刑事」などなど、
沢口靖子さんや内藤剛志さん、伊東四朗さん、水谷豊さんらが主演するミステリー物を
かなりよく観るようになった。
CSやBS放送で過去のものを繰り返しオン・エアしているのだ。

私は、俳優たちが泣く場面で、その俳優の力量が分かるし、さらにそのドラマ自体の
<本気度>というようなものも分かると思っている。

犯人などの愁嘆場で涙を一滴も流せない俳優は二流以下だと思う。
嗚咽しながら喋っているはずなのに、なんらの<湿り気>もない演技にはウンザリする。

沢口さんは、特に「機捜」では、演ずる沢村警部補が感情を揺さぶられるシーンが
多いのだが、実に見事に涙を溜め、瞼を腫らすのだ。
警察幹部一歩手前の階級だし、激して泣き出すわけにはいかないからの演技だ。
彼女は本物の俳優だとこころから思う。

UKのミステリー物における俳優たちの演技は本当にすばらしい。
泣く場面で涙をこぼさない俳優などひとりもいない。
その役に成りきっている。
みな俳優としての基礎訓練をしっかり積んだ者ばかりなのだろう。

劇団出身の俳優たちが日本の映画やTVドラマを支えてきたのは事実だ。
沢口さんにはそういう経歴はないけれど、スマートで感情が豊かな人なのだろう。

なお、私が上記のドラマで大好きな俳優は、金田明夫さんと本田博太郎さん、
相馬涼さん、そして陽月華さんだ。「捜査一課長」に偏っているが。

相馬さんを除く上記三人が出る「捜査一課長」は、今「あまりにおふざけが過ぎる」との
評もあり、視聴率も最新第6シリーズでは2桁を切ることが続いているらしい。
私はそれより、時間が短すぎて、めまぐるしい展開についていけないという方が遥かに
きついように思える。

「おふざけが過ぎる」のはこのドラマの特長と思っているから、問題ない。
こんな変なミステリー物は世界広しと雖も「捜査一課長」しかない。
いいじゃないか。
もちろんシリアスな部分との兼ね合いが肝だけれども、概ねうまく行っていたはず。
ウケた部分を少し強調するがあまり、本筋に気が回らなくなってしまうところがある。
今はバランスを崩しているのだ。
それを解決するには、おちゃらけを以前の量にまで戻すか、
2時間ドラマにすることで相対的に希薄にするのが一番だと思う。

・・・なんか、語っちゃったな。

^^;)


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Alan White

PlasticOnoBand.jpg


Alan White(写真左から2人目)が亡くなった。
一般にはYesのドラマーということでの認知だけれど、彼がそのバンドに入る前、
Plastic Ono BandでIMAGINEInstant Karma!を演奏したことが
私には何よりも尊い。

前者は感情を抑えまくった、シンプルで厳かなドラミング、
後者はどれほどのテクニシャンであるかを、出しゃばることなく示す演奏ー

72歳、病死だが、詳細はWikiでは書かれていない。

ああ。


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思い出す、仙川駅付近で見た夏の雲

一度上げたことがある昨日の記事中の歌、I Hope I Won't Be the Same
また多くの方に聴いていただいております。
ありがとうございます。
サビだけの録音を単独で去年したわけです。

2009年だったか、秋葉原の惨事の後、DDのリハにかけました。
ちょうどThe Realm of Athenaの完成と同時期だったはず。

「verse」は7拍子という、私としてはまさに変則な楽曲で、
EUROXとしてもトライしようかとなったものでしたし、かなり完成に近いところまで
行ったのですが、そのままになってしまいました。

その7拍子のverseと4拍子のサビをトラックに組むのは私の能力を超えていて、
残念ながら、いくらshort versionでも曲サンプルとしては不完全なものです。

この曲への再トライができるとしたら、コロナ完全(?)終息の暁に、ということか。
そして関わってくれる友人ミュージシャンたちが皆健勝であること、ですね。

*

今日東京は五月としては記録的猛暑になるということでしたが、
部屋に入ってくる風は、いたって湿気のない清々しいものです。
これから熱風になるのかな。

*

中島義道さんの『観念的生活』を再読中です。
彼は真の哲学者です。
哲学研究者ではない。
彼にかかれば、吉本隆明も、竹田青嗣も、小浜逸郎も、カント解釈では素人になる。
「頭が悪い」とすら言ってしまう。
福岡県生まれで、ドイツ語ネイティブでもなんでないのに、ウィーン大学でカントに
関する論文を書き上げ博士号を取るという凄まじい業績の人です。

昨日は「物自体」という用語についてのところを読み、
私の悪い頭でもなんとかカントがその用語で言わんとしたことが分かりました。

中島さんにかかれば、ニーチェすら、ニヒリストなのに結局「救い」を求めており、
中途半端だということになってしまうのです。

とにかく、人生に、この世に、この宇宙に何ら意味はないと清々しく言い切る
境地に立った人です。
完全な無を恐れない。
「永劫の回帰」もない。

う〜ん、そこまで私は諦観(真の意味で)できない。
当たり前ですね、頭の出来が違いすぎます。


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Coz I've made up my mind to love our lives

先ほどテレビのニュースで、登戸での悲惨な無差別殺傷事件発生から丸3年と知った。
亡くなられたお二人に心からのお悔やみと、今も心身の後遺症に苦しむ皆様へ
やはり心からのお見舞いを申し上げる。

事件現場は、私が狛江から登戸へ行くときによく通るところだった。
その時間帯に歩くことはまずなかったけれど、もし事件に遭遇していたら自分は
どうしていただろうと考えざるを得なかった。
犯人と格闘するのか、それに間に合わなかったとして、傷つき、血を流す児童や
保護者の方々を介抱し、適切な通報などの事件発生後の措置を取れたろうか、と。

来月8日は、秋葉原無差別殺傷事件から14年となる。
私が都心からまた狛江へ移って3年後の事件だった。
秋葉原へ行くことは滅多になかったが、「漱石テリトリー」でもあるあの辺りを歩く
ことは何度もあった。

アメリカで何度も繰り返される無差別ないしhate crimeとしての大量殺人ー
日本がアメリカのような銃社会だったらと想像するだけで身の毛がよだつ。

「みんな誰かを殺したい」という題名のドラマがあったそうだ。
「殺したい」とは現在の願望だろう。
それはない。
「殺したかった」なら、私も絶対にそんなことはないとは言い切れない。
ただし、身近な人間とかを考えていたのではないことは明言しておく。
また、「殺したかった」ではなく正確には「死んでほしかった」だった。

そう思ってしまうような自分が嫌だった。
だから昔、こう歌った。

I Hope I Won't Be the Same ーKing Reguyth & MNEMO
Re-recorded in 2021
掲載終了



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2022 皐月徒然雑記 2

Mooさんから早速ブログ上でお返事がー
かなりレアケースだと思うけれど、Mooさんご夫婦耕作の畑は被害なし、と。
よかった!

その降雹時の、雹と雨粒が屋根などを叩きつける音が偶々録音されていて
Mooさんのブログで聞くことができます。 ^^
https://blog.goo.ne.jp/azumino_moo
Mooさん、ある会議に出席中で音声録音をしていたとか。

*

里見香奈女流四冠が棋王戦本戦出場を決め(どの棋戦でも本戦入りは女流棋士初)、
同時に直近のプロ棋士(今のところ男性だけ)との対戦成績が10勝4敗で
プロ棋士編入試験を受ける資格を得た。もちろん女性では初。

それでも彼女はそう乗り気ではないようなコメントを出していた。

女流棋戦も増え、賞金も高くなったし、現状不満がないからだろう。
たとえ過酷な試験を経てめでたく史上初の女性プロ四段(正棋士)になっても、
まずはいわゆる「フリークラス」に入ることになり、順位戦には出られない。
女流棋戦でライバル西山二冠や伊藤名人、加藤清麗という他のタイトル保持者との
せめぎ合いも十分面白く、チャレンジングなことだから、現状満足なのかも。

そうだとしたら、皮肉なことだ。

力ある女流棋士は昔、男性の正棋士と同じ立場になりたがった。
女性として初めて奨励会を突破しようとした。
しかしそうはならぬまま、なんと女流棋界が制度的にどんどん充実していった。
正棋士世界が相対的にそれほど魅力的ではなくなってきたのだ。

私としては、里見さんに正棋士になる夢を追い続けてほしい。

もし西山さんら他の有力女流棋士がその夢を実現したなら、
きっと里見さんは後悔するような気がする。


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Mooさんの畑、大丈夫?

Mooさんが住まれる長野県池田町や近隣市町村は25日夕方雹に襲われたらしい。
池田町のリンゴ農家の方は、「全滅だ」と肩を落としたと長野放送のニュースが伝える。

Mooさんのことだからその被害の有無などをブログに記されるものと思ったが、
今現在更新されていない。
あまりの被害に脱力状態になってしまっているのかもしれない。

なにしろ当該地区の皆様に心からお見舞い申し上げます。


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いい悪者の友情

昨日BSでだったかCSでだったか忘れたが、『科捜研の女』のある一回を見た。

ある悪徳高利貸しが殺される。
現場遺留品として地球上にはない物質が見つかり、宇宙人の、あるいは幽霊の仕業か
などと研究所員たちは軽口を叩く。また足跡(げそこん)が奇妙な経路を辿ることにも
悩まされることになる。

府警は被害者からひどい取り立てに遭っていたある未亡人へと辿り着き、
その夫の天文趣味を知り、さらに隕石のかけらをもらった経緯なども知ることになる。

若くして亡くなることになったその夫は、昔高校で天文クラブに所属しており、
ある星雲に惚れ込んでそれを観たいがために大きな望遠鏡のあるクラブに入ったのだが、
偶々新彗星を発見し、自分の名ではなく高校の名をそれにつけるのだった。
そして発見者の手柄として京都の天文台から記念品として隕石のかけらをもらう。

夫は息子(昴=すばる)と死に別れる運命を呪い、悲嘆に暮れたが、
死後にも昴と関わり続ける自分をイメージし、彼が成人するまでの十回分ほどの
誕生祝いメッセージを書き上げ、天文クラブ仲間に託し、誕生日のたびに投函して
ほしいと頼む。ペルセウス座流星群が極大になる八月中旬生まれの昴に、
夜空を見れば、流星になった「パパが手を振っているよ」とその手紙に書くのだった。

また、彼は死の床である人物に「息子に一番大きなバラを見せてやってほしい」
との願いを託し隕石のかけらを渡していたのだった。
それは彼がこよなく愛する、冬の大三角の中に位置するバラ星雲のことだった。

そしてこの隕石のかけらと願いを託された人物こそ、高利貸し殺害の犯人だー
マリコたちはいよいよその人物に迫る。

犯人は、地元の不良少年だったX(名を思い出せない)だった。

Xは昴の父が高校生の頃、京北町(京都北部の山間の町)でバラ星雲を天文部の
望遠鏡で見ているときに通りがかり、カツアゲをしたのだが、望遠鏡を自分で買うため
金を渡すわけにはいかないと拒否される。
若き昴の父は、さらに「僕はバラを見ているんだ」と言い、
Xは戸惑いながら望遠鏡を覗くー
そして以降二人には友情が芽生え、Xは昴の父に京北でバラ星雲を観測するのに
最適な場を教えるのだった。
そして月日が流れ、死の床で昴の父はXに隕石のかけらを渡し、夢を託した。

Xは、なんと、悪徳高利貸しの手下だった。
昴の母へのむごい取り立ての仕方も、高利貸しの非人間性も具に見ていた。
Xは隕石のかけらを握りめながら、「上司」を待ち伏せし、刺殺する。
昴が「パパは悪者をやっつけてくれるんだ」という言葉通り、パパに成り代わって。
そしてその場所からバラ星雲の位置を見つけようと乱れた足跡を辿る。
空が一番開け、冬の星座(大三角)が最もよく見えるところで、鳥居に背をもたれ、
星空を眺めた。

そのとき、彼のストールの繊維が石造の鳥居に付着する。
これが決定的な証拠となった。

かつての不良少年、そして現在高利貸しの手下であるXは、昴の父との関わりを
できる限り否定する。上司を殺したのも、自分の一存、昴の父やその家族のこととは
まったく関係がないと言い張る。

私はここで嗚咽してしまった。

脚本は岩下悠子さんによる。
『科捜研の女』の中でも最高のシナリオではないか。

昴役の少年俳優も愛くるしく、すばらしい演技だった。



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奇跡の惑星のならず者生物


  • おとといの夕方前、家のはるか南に3機のヘリが西へと飛んでいるのを見た。 まず見ない光景なので、バイデン大統領が都心から横田基地へ移動中なのだろうと すぐに推測できた。そしてそれできっと間違いない。 彼はそこからエアフォース1で帰国の途についたのだ。 独立国か、おい、日本は。 そして彼は機内であれどこであれ、Texas州Uvaldeでの無差別銃乱射事件の報せを 受けたのだ。帰国してすぐに記者会見し、銃規制の進まぬ自国議会に怒りをぶちまけた。 銃規制反対者によれば、銃所持はアメリカ市民の不可侵の権利なのだ。 その権利と自由が、psychic numb(心理的な麻痺)になるまで何回も何回も 大量殺戮が繰り返されても、尊重されるのだ。 ならず者が銃犯罪に走るとき、自衛をするためにも銃を規制してはならぬ、と。 バイデンさんと岸田さんが話したことも同じようなことだ。 「ならず者国家」が戦争を仕掛けるとき、こちらも対抗する武器を持たねばならない。 この理屈の延長戦上で、想定される「rogue states」はロシア、中国、北朝鮮ー 全て核保有国だ。 だから日本だって核保有しなければならないー 岸田さんはそうは言わないだろうけれど(広島選出だからそう信じたい)が、 キングメーカーを気取り、再々登板を狙っているというベーアは「核共有」を公然と 言い出している。 また、岸田さんは先制攻撃を言葉を誤魔化してできる態勢にしようとはしている。 その先制打撃に使われる兵器は、「量子もつれ」のように、光速を超えるかのように、 一瞬で「敵地」に届くのだろうか。 そうでなければ、敵は反撃のためのミサイルを発射する暇を持つことになる。 やられるなら、こっちも最初に<ある程度>損害を与えないとムカつくー というようなことか? 銃を持って全能感を抱き、他者のいのちを無差別に奪う。 核を持って全能感を抱き、他国の無数のいのちを無差別に奪う。 そうはさせないと銃を持ち、しかし抑止もできぬまま、mass shootingが際限なく 続いていく。 そうはさせないと核を持ち、しかし結局抑止力とはならず、 相互に不信を持つ国同士のいずれかあるいは両方の指導者が<とち狂って>しまえば この世の終末となる。 なんというひどい<進化>のしかたをしたんだい、 天の川銀河の太陽系第3惑星に奇跡的に生まれた「万物の霊長」は。

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There's a way-out.

昨日、出口くんの涙にもらい泣きした口です。

彼は投了を告げる前から長嘆息を吐いて悔しがっていました。
感想戦の前に大盤解説会場に集まったファンたちに挨拶をさせられたのです。
そして感極まって泣き出した。
醜い泣き方では決してなかった。
美しい涙だった。

タイトル初挑戦で着物を作ってくれた父と師匠のまごころ、
会場にいる愛妻のまごころ、
第4局以降の対局会場予定地の関係者の期待ー
それらに応えられなかったという不甲斐ない気持ちに圧倒されての
本意ではない涙だったのです
(断言します)。

最強・絶対王者の藤井叡王を、1局のこととは云え追い詰めた。
追い詰めたのに、角を打つべきところで銀を打ってしまった大悪手で奈落に沈んだ
自分の<今の>至らなさに泣きたくなったことも確かにあったでしょうが、
何より上記3つのことこそ彼を泣かせた最大原因だったと思います。

私は清々しく戦い切った者の涙を美しいと思うだけです。
「男なら泣くな」、「プロなら泣くな」とかというコメントを見るたびに、
なんで泣いたらいけない、ふざけるな、と思っていました。
大勢の人が「素直ですばらしい」と称賛していましたが。

出口くんはきっと出直してまた藤井くんに挑戦するはずです。
間違いないと思います。

将棋ファンでよかった、と心から思う昨日でした。


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2022 皐月徒然雑記

今日は叡王戦第3局、藤井叡王の防衛が早々決まってしまうかもしれない。
挑戦者出口若武六段はむろん強いのだけれど、さすがにタイトル奪取にはまだ早いだろう。

この出口さん、最近女流棋士と結婚されてから発奮したのか、勝ちまくり、
こうして叡王挑戦者になるまで昇り詰めた。
男性が結婚して発奮というパターンは将棋界では良くあるし、他の業界でもそうだろう。
愛する女性との親密さを極めて、感激の中、自分を生涯の伴侶としてくれたことへの
感謝の気持ちと責任感が駆動力を高めるのだろう。

極めて稀にその駆動力が長続きする例があるようだ。
素晴らしいカップルではないか。
誰と誰と言われても困るけれどー

「警視庁捜査一課長」の大岩純一さんと小春さんだ。
プ。

*

安里くんに久しぶりにメールした。
Twitterで彼が腰を痛めて3ヶ月動けなかったと書いていたからだ。
動けるようになって、やはり音楽活動をできるだけしたいとのことだった。
当然だろう。
この歳になって「いつかまた」というのは中々空々しい響きを持ってしまうが、
条件が整えば<いつかまた>一緒にやれたらいいなと思っている。



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Go vote and elect people who'll help you

ケータイをiPhoneに替えたのだが、それで撮った写真がこのSSブログにおいて
そのままでは掲載できないようだ。
なんなんだ、このSSブログって。

昨日は多摩川を下流方向へ行き二子玉川の田園都市線をクロスし上野毛へ。
新しい(?)区立公園ができていて、近隣の裕福そうな人々が老若男女楽しそうに
遊んでいた。

世田谷に住んでいると、上辺だけかもしれないが、昨今言われる経済格差で苦しんで
いるように見える人がまずいない。
上野毛などは、故・五島昇(東急総帥)氏の大邸宅(五島美術館隣接)を中心に
度肝を抜かれるような屋敷だらけの街であって、ガソリンがリッター200円になっても
痛くも痒くもないような住人ばかりなのだろう。

一方で、ウクライナ戦争やコロナ禍によるさまざまな物品の値上がり、
不況、また長期に渡る日本経済の総体的落ち込みでひどい目に遭っている人々も、
東京の他の区でも、そして日本全国のどこででもおられるに違いない。
もちろん、世田谷区にももしかすると大勢おられるかもしれない。

そういう方々が少しでも政治に関心を寄せ、投票行動につながればと思う。
まじめにやっていても生活が苦しいという人々には、
そんな政治経済システムを打破する権利があるのだ。

来る参議院選ー

誰がこの、まじめに働いていても生活が苦しいという不条理を正す力となってくれる
候補なのか、皆さんひとりひとりが真剣に考え、投票していただきたい。



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こころの内実

今日東京は積雲(綿雲)が多く浮かぶ晴天。
こういう晴天がいちばん好きだ。
風はすがすがしく、快い。

DSCN3936.jpg


庭では、義父が育ててきたいくつかの植物が日光をうれしそうに(!)浴びている。
青紫の花を咲かすアジサイは例年より多く花房をつけている、と義父は言った。
私は頷きつつ、ピラカンサの一年のサイクルが目まぐるしく思えてならない、と言った。
少し前にヒヨドリとムクドリを中心とした鳥たちに赤い実を食い尽くされたと思ったら、
すぐに蕾が出て、あれよあれよと言う裡に白い花を無数に咲かせ、
春爛漫の日、昆虫たちに受粉を任せていると思ったら、もうすべての白い花びらは落ち、
今は緑色の小さな実がびっしりと成っていて、晩秋に赤く色づく日を待っている。

義父は歳をとることをとても嫌に思っている。
そろそろ八十代の半ばに差しかかるのだが、近年晩秋の誕生日を祝う折には、
「齢を重ねるのはちっともうれしくはないけれど、祝ってくれることにはありがとう」と
言うのが恒例になってしまった。

自分が育てた草花や樹木が健やかに育っている、生きているのを確認するたび
目を細めるが、しかし葉を落とす、芽吹く、葉をつける、花を咲かす、花を散らす、
実がなる、そしてまた葉を落とすというサイクルを観ている自分も確実になにかしら
「葉」に相当するものを散らしているのだ。

それなりの結実をさせた義父は立派というしかない。
しかし、新たな、瑞々しい葉をつけることはもう二度とないことをもう20年以上
噛みしめてきている義父であるー

かく言う私だって同じようなものだ。

それでも、創作の世界、こころの内実の世界では、
新芽を出している思い、みずみずしい葉になっている思い、
花としてすぐに散ってはしまうがこれが悟りかと思ってしまうような美しい思い、
膨らみ、これで完成だと確信しうる表現にならんとしている<思いの実>が育っている、
と<思いたい>。

Hydrangeas ーKing Reguyth & MNEMO (2022)
掲載終了



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クサフジ愛でる多摩人、我ら

この頃は自作曲を上げていない。
それでも、だ。
私の駄文につきあってくださる方がとても多いのに驚かされる。

今朝の東京は濃淡のない灰色の雲が完全に天空を覆い、涼しい。
湿度もそれほどには感じないから、ジョギングなどをしている人も快適なことだろう。
それでもかなり陰鬱な感じの土曜の朝ではある。

Fly To Meという歌が去年の今頃降りてきた。
ミックスダウンしてすぐに散歩に出た。
おもしろいことに、今曲を聴いていると砧七丁目辺りの光景が憶い出される。
昔円谷プロが在ったところの周辺だ。
興味はないけれど、「シン・ウルトラマン」が上映中らしい。
「シン・ゴジラ」はCATVで観た。
特撮、CG技術がみごとで、ゴジラの東京破壊はかなりリアルな出来だった。
ゴジラもウルトラマンも、<生まれ故郷>の世田谷区砧には来ない(らしい)。
来たらおもしろいのに。

前にも書いたと思うが、登戸の某所に住みだしてもう5〜6年(?)のアメリカ人
宣教師夫婦と4人の子どもの「Life in Japan」というYouTubeチャンネルがどんどんと
登録者を増やし、それでもう生活できるのではというほどに稼いでいる。
長女次女は双生児で、チャンネル開設時は小さかったのに今やM中1年生。
よちよち歩きだった長男はN小の1年生になった。
布教こそが第一義での来日だと思うが、なにしろ日本の生活に順応し、
くら寿司にもくろがねやにもニトリにもダイソーにも足繁く通い、
子らはMacももちろん食べるけれど、チャーハンや焼きそばも大好きになっている。

彼らの住まいは多摩川の河畔も河畔、堤防決壊したら終わりというようなところだ。
住宅がとにかく手狭で、それだけがきっと不満だと思うけれど、
今のコンテンツをさらに充実していったら、それなりの住宅も買えるかもしれない。

私が彼らのビデオを見るのは、私が世田谷へ引っ越す前に住んでいた和泉多摩川の
condoと多摩川を挟んでまさに斜向かいに在る彼ら彼女らの家を根拠に、
Life in JapanとかTokyoというよりはLife in Tamaを営むその家族の営み方に
共感を覚えているからだ。

ゴッツくて、しかしやさしい目をしたおとっつぁんは、5人もの家族とのけたたましい
生活がある中でも、時に多摩川端を独り歩く時間を大切にしている。
子らはもうずっと多摩川の川原を遊び場にしてきている。
ラーメンもてんぷらも、寿司、とんかつ、焼肉も日本人と変わらず愛し、
外食の時にはきっと意見が割れているはずだ。

その4人の子らは、英語がネイティヴで、父母が敬虔なクリスチャンだということ
以外はまったく平均的な<日本の子>と変わらない。
一番年下の長男などは、日英両言語をおそらく家族内では最高度に使いこなせる大人に
育っていくだろう。

最新の動画では、多摩川の川原で今一番目立つクサフジの花が頻繁に撮影されており、
きっとアメリカにはない愛らしい花として親たちには珍しく、
しかし子らには当たり前の多摩川の野草として認識されていくのだ。

子らもいつか多摩を離れるときが来るだろう。
そして彼ら彼女らにはいつか多摩川の風光を懐かしむ時が来る。
めいめいが「多摩人」として今育っているのだ。


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もう秋の月のこと

今朝未明下弦に近づく月が見えていた。

昔はよく月のことを書いたものだ。
この頃はどうでも良くなった、というわけではない。
狛江の多摩川川端に住んでいた頃には月が身近だった。
なにしろ空が広いからね。
建物に邪魔されず、目に入ってくる。

深代さんが、ドイツ語で月が男性名詞(der Mont)なのは、
夜の空に女性名詞としての月をひとりにさせてはおけないというドイツ人の心配りが
あったからだという説を書いていた。
そうなのかもしれない。

違う説では、太陽がドイツ語圏では弱々しい(地中海沿岸などの南欧に比べ)から
男性名詞に出来ず女性名詞とした(die Sonne)と。
太陽が弱々しいから女性とし、ゆえに夜の最大天体を自動的に男性として対立させると
いうことなら理解不能だ。
月のどこが一体男性的なのだろうか。
(あのクレーターだらけの拡大像を見ての話なら少し分かるが。)
深代さんが紹介した説の方が説得力があるように思える。

Beethovenが「月光」を作曲しているとき、その月が男性的だったはずはない。
(これはヘテロセクシュアルだった<であろう>彼だから言える。念の為)

名詞に性別(中性もある)をつける言語の感覚をほぼ理解できない私だ、
あまりこのことにつきいろいろ書くべきではないだろう。


秋になって、爽やかな風が吹く夜が来たら、
多摩川へと自転車で行ってみよう。
上弦から満月までの月、あるいは三日月なら最高、
十六夜から下弦までの月なら、寂寥感が募るけれど、それも良し。
秋の虫たちの声も聞こえていることだろう。

その夜、絶対にさらなる月の歌をつくろう!




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そこには君がなりたい人たちがいる

私にとって最も親しい外国はThe UKということになる。
Beatlesこそ幼少の頃の私にとっての音楽になり今に至り、
また複数回(と言っても2回だが)渡航したのも「イギリス」だからだ。
NHKのニュースよりもBBCのニュースの方をよく見るし、
最近も待望のVeraのSeason 11をAXNミステリーで見て、
しみじみとそのイングランド北東部風景に親しみを感じ、
またなにしろそのドラマの緻密な作り、出演者たちの素晴らしい演技に、
イギリスという国の底力を思い知らされるのだ。

もちろん、住んだら住んだでいろいろと嫌になってしまうことがあろう。
土着の者ではないことのハンディキャップは多かろうからだ。

故郷會津は嫌いではない。
猛烈に郷愁に襲われるというようなことはないけれども、
やはり18歳まで生活した以上、そこの自然・風土に育まれてきた事実には深さがある。
おもしろいことに、最も田舎に恋しさを覚えるのはその厳しい冬に対してである。
私は雪に覆われた道を独り歩くのが本当に好きだった。

何度か書いてきたが、ChicagoのFlight 602はその雪の散歩に最も絡みつく曲だ。



歌詞はCaliforniaに憧れ、そこでの自由な生活を夢見る「you」のこと。
なのに飛行機は北へ、カナダという憧れとは逆方向の、遠いところへと向かっている。

民主党支持を公然と訴えていたバンドChicagoはなにより「free」である自分たちを
追求したのだ。ベトナム反戦、公民権運動への共感も、そう。
そのことはたとえ中学生の私でも知っていた。
共鳴する私は、だから、遅れまくっている中学教師たちを敵としか思えなかった。

私は、Chicagoがカリフォルニアに憧れたなら、イングランドに憧れた。


今、そのEnglandや他の連合王国を成す3国は高いインフレに苦しんでいる。
(もちろんThe UKだけの話ではないが。)
すでにインフレ率は9%に達しているとBBCが先ほど伝えていた。
光熱費に関しては40年来最悪の高さとなっていて、

Dame Clare Moriarty, the charity's chief executive, said.
"People washing in their kitchen sinks because they can't afford
a hot shower; parents skipping meals to feed their kids;
disabled people who can't afford to use vital equipment because of
soaring energy bills."

とのことだ。

そしてプーチンはウクライナを攻め続けている。
特に小麦生産が盛んな東部と南部が主戦場となって小麦価格は上昇し、
さらに大生産国の一つインドも大熱波で小麦輸出を止めた。
いよいよパンや麺類などが高級品になっていくのだ。

英首相Johnsonはウクライナへの軍事支援を西側ではアメリカに並ぶほど積極的に
行っており、その金が自国民の困窮に回せないのかという声も出てくるだろう
(もう出ているのだろうけれど)。

もうほんとに世界中無茶苦茶だ。


VeraのSeason 11は期待を裏切らず皆秀作だった。
驚くべきは、スコットランドとの国境に近い、イングランド最北東部の
ノーサンバーランド(Northumberland)というイングランドで人口密度が最低の
田舎を舞台にするドラマであるのにもかかわらず所謂「有色人種」の「イギリス人」が
登場人物の半数くらいを占める作品になったこと。
それが現実なのだろうけれど、他のミステリーものと比べ突出していると思う。
世界に冠たる移民国家アメリカのドラマかと見紛うばかり、
ある意味ではアメリカよりも人種の坩堝的だ。

ChicagoのFlight 602の歌詞に、

There are people there you want to be

というのがある。

「そこには君がなりたい人たちがいる。」

そうー
私も何度Liverpoolに生まれていたならと願ったことか。
なんでも抑えつけられた中学生の頃など、必死なほどの願いだった。
Veraに出てきた「有色人種」のイングランド人たち(その親や祖父母)も
そうだったのか。

イングランドに「なりたい人たち」がいるように思えたのか。



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LC15周年だそうだけれど

昨夜特にThe Lost Canvasファンのイタリア人Johnから、

Bro @KingReguyth, I'm waiting a new arrangement of "The Realm of Athena"
for the 15th anniversary as did your Italian colleague with his Saint Seiya song.

というメッセージをもらいました。
下にはSpotifyで上げられているイタリア人ミュージシャンの15周年記念新作が
示されていたのです。(きっと向こう版の主題歌を担当した方々なのでしょう。)

なるほど、と思いました。

バンドとして機能していれば、EUROXがトムス様に伺いを立てたりしてー
というようなこともあったでしょうが、さまざまな理由で如何ともし難い状況です。

The Realm of Athenaを発表させていただいてまもなくバンドとして活動する
ことはなくなってしまいましたのでね。

ヨーロッパで戦争が起こってしまった今、The Realm of Athenaのテーマはさらに
重く響くはずです。しかし、ロシアと戦い祖国を守ることこそ<生きがい>と言って
死んでいくウクライナ人は事実大勢いるのです。

私がもしこの歌の続きをあらためて構想するなら、その事実を踏まえるでしょう。

いや、もう何日も前から作ろうと思っている歌はまさにウクライナvsロシア戦争の
現実から生まれてきたものなのです。

Johnが期待してくれているEUROXとしての「a new arrangement of
"The Realm of Athena" for the 15th anniversary」は無理です。

彼にはとても申し訳なく思っています。



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東京はもう梅雨なんだべか日記

いや、そんでもさ、俺、去年めっちゃ自分で納得できる新曲を3つほぼ連続で
モノにしたんだよね、もう、それは誰がなんと言おうと<されかまってらんね>って
いうような、会心の作だったわけよ。

今その3曲聞いていたんだけど、もう確信、だよね。

自分の好きな景色、空気の質感(寒暑や湿り気も含む)を歌い切っている、
演奏し切っているという実感があるんだわ。

なんか、もういいじゃん、とか思ってしまうところがある。

いやあ、それって自分として見事なことなんだけれど、
それで終わりでいいのか、もう打ち止めかって自問するともちろんまた作曲衝動が
いつ来てもおかしくはないとは思うよ。

けど、なんだかね、蛇足みたいな作品ばっかりなっちまったら、
晩節を穢すみたいなことになっちまうかってね。
ハハ、穢れたって全然いいんだけどね。


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2022 皐月十五日日記

沖縄本土復帰50年ー

辺野古基地建設反対者に対し「土人が!」などとホザいた大阪府警の警官を
たしなめるどころか「ご苦労様」などと言った人間が大阪府知事から今は大阪市長を
のうのうとやっている現状なのだ。

まるで沖縄の苦しみになど寄り添っていないヤマトンチュが圧倒的に多い今だ。
心苦しいだけだ。

*

新しい曲の詞を書いていた。
アホな為政者、勘違いしている政治屋を揶揄する歌だ。
まあまあなのだけれど、なにしろ楽曲としてどうなんだろう、
魅力あるものになっているのだろうかと思ってしまう。

よそ様に聞いていただくのが一番なのだけれど・・・

日テレnewsによると、

「新型コロナウイルスによる国内の死者は2020年の2月13日に初めて確認されて以来、
1万人を超えたのは去年の4月26日で、438日かかっていました。
その後291日かかって今年2月11日に2万人を超え、3万人になるまでには
わずか91日しかかかりませんでした」

とのこと。
これが大きな話題にならない今とは一体なんだろう。

私がコロナに罹らぬよう慎重になり過ぎていると思っていらっしゃる方も
おられるかもしれないが、どうかご理解ください。


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1人バンド、当分続ける固い意志

NHKBSの『指揮者のいないオーケストラ 第9に挑む』を見た。

<日本を代表するトップ奏者たちで結成された「トリトン晴れた海のオーケストラ」
通称「晴れオケ」>による指揮者なしでクラシック音楽の頂点的名作を奏でるという
試みで、リハから本番まで3日間のドキュメントだ。

以前書いた<1万時間以上の練習>を積んだ演奏家たちが、
オーケストラとして合議しつつ、Beethovenの思い、意図を探り、
まさに第4楽章の最後まで呼吸を合わせ切る様に(とは云え切れ切れでしか聞けなかった
けれど)随喜の、歓喜の涙が出まくってどうにもならなくなった。

人類の宝、奇跡の作品を、virtuosoたちが指揮者の解釈や指示に頼らず、
自ら、一人ひとりの人生経験を重ねて想いを述べ合い、調和していくのだ。
もちろん互いへの技術面での信頼は元々担保されている。
皆が普段所属する各オーケストラのコンマスや首席演奏者ばかりなのだ。

その前にショパン・コンクールの反田さんや小林さんの<たった一人の努力>ぶりを
同じBSで見たばかりだったから、殊更にオーケストラの集団的努力、その成果に
感動することとなった。

音楽に本当に全てを懸けている人々、懸けられる人々は清々しい。

私は<1人バンド>でやっていくしかない現状を嘆かず、
せめて<1万時間以上練習をしてきたシンガー>として、
死ぬまでできる限りのことをしていこうと再び志すことができた。

感謝。


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深代姓の家が近所に在るが、もしかしてご親戚?

義父が深代惇郎の天声人語やその他エッセイの本3冊を持っており、
1冊はリアルタイムで私も買っていたものだが、あとの2冊は初めて読んでいる。

昭和4年生まれで、海軍兵学校を経て一高・東大(法)出の朝日新聞記者で、
昭和50年に46歳で亡くなった。

この人と養老孟司さんは日本最高知性と言ってもいいのだが、
日本最高教養人と言うのがおそらくより正確だと思う。

森羅万象を深く見つめ、しかもその視線はあたたかい。
46歳までにここまでの教養に到達するというのは並外れている。

今存命なら93歳、決してあり得ぬ高齢ではない。
せめて70歳代くらいに養老さんと対談などをしていたらどれほど珠玉の対談本に
なっただろうか。
本当に惜しい。


私はこの頃書きたいと思うことも特になくなっており、
また新しい曲についてもどんどん前に進めていこうという意欲が湧かずにいる。
いよいよこのただただ漫然と長々やってきたとしか思えぬブログも終わりか、
と思わないこともないから、深代さんや養老さんの本を新しく読み、また再読し、
なんとか自分のこれまでの思いの深化に役立てられればと思っている。




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導き出せぬ日本のeducators

中1の時、大好きだった曲は色々あったが、
George HarrisonのMy Sweet Lord
LoboのMe and You and the Dog Named Boo
などがすぐに浮かぶ。

もう1曲、かなりの頻度で聴きかつレコードに合わせ一緒に歌ったものに
Mark Lindsay & The RaidersのIndian Reservationがあった。



北米先住民族チェロキー族の悲劇を歌ったものだ。

朝日新聞を読んでいたら、今でも「同化政策」によって多くの北米先住民が命を落として
いるらしいという記事に出会った。

アメリカやカナダなんて、自由の国もいいところのはずで、
公立の学校の教室風景なんか見てしまうと、その統一の取れなささに戸惑うほどだ。
ここまで自由でいいのか、などとすら思ってしまう。
日本の教師たちが、生徒らに同じ服装をさせ、髪型をコントロールし、
なるべく彼ら彼女らに個を出させずに授業をしたくなる気持ちも少しは分かる。
はっきり言ってどっちも行き過ぎなのだ。

私立の学校で、そういう校風ですと謳い、それに賛同してのことなら無論良い。
しかし問題は公立の学校ではどうするのか、ということだ。

教師たちが生徒をなにしろ均質化、画一化させたくなるのはそれが楽だからだ。
教師にとって職務遂行上楽であることを一概に否定はしない。
くだらないところで人と違うことをして個性とイキがる生徒はいただけない。
それは分かる。

しかし、だから「なんでも同じにしてしまえ、逆らうヤツは素行不良だ、
反抗的だ、内申点を悪くするぞ」では全然教育ではない。

大昔も書いたかもしれないが、「教」の字は<より老いた者を子が支える>という
「孝」の字に、「攵」、すなわち鞭を使う人の象形文字から成っている。
翻ってeducateという英語はラテン語educatusに由来し、
「e(x)-」はout、-ducateはleadを意味し、「引き出す、導き出す」だ。

ひとり一人のいいところを導き出すことが教育者の使命なのだー
などと書いても空しい話が多すぎる今だ。

私は中1の頃、あまりに個を無視する中学の教師たち(例外は数人いたが)に
ほとんど絶望して、アメリカやイギリスのロッカーが歌い、体現するanother
worldに憧れ、まるで隠れキリシタンのように生きていたのだった。



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時は人を待たず

いつか、そう遠くない将来に、だれかの訃報が届くのだ。
その前に私の訃報が広まるのかもしれない。
縁起の悪いことを書いているが、本当にそうだものね。

長兄の命日が近づいてきた。
しあさってだ。
私は兄が亡くなった時と同い年になっている。

会津若松の病院での兄との別れは本当につらかった。
声帯を切除されていた兄は筆談で「順番通りだが、ちょっと早かったな」と書いた。
私は兄の背中を摩るしかなかった。

そして幾日も経たずに彼は逝った。

あまりにつらい別れだったから、私はその後鬱状態になってしまった。
体に不調があれば、いよいよ自分の番だと思うようになった。
翌年、2つ上の従姉が、そして続いて母も亡くなった。
最悪の年月だった。


今、多くの友人知己と、コロナのこともあって、会わぬまま2年以上経過した。
ここで何かしら自分やその人たちに悪いことが起こったら、後悔するだろう。

だからこそとある知己は4月のパーティーに誘ってくれたのだとは思っている。
けれども、その場で致命的な病を得てしまったら全くシャレにならない。

いろんなことがいろんな友人知己とあったけれども、
それを云々かんぬんしている時間など本当にないはずだ。
それでも、「いろんなこと」がまた同じように出来したなら本当に悔しい。

未練、あるいは執著ということで、片づけるべきなのかもしれない。

わからない。


We Ain't Got No Time to Lose ーKing Reguyth & MNEMO
掲載終了




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Almost all I say is meaningless

「今や彼らはアルバートホールを満たすのにいくつ穴が必要かを知っているのだ」
Now they know how many holes it takes to fill the Albert Hall

こんなワケのわからない歌詞を歌って、1967年に世界のポップス界を席捲したBeatles。

前半は思わせぶりな歌詞ー
クルマの中で「イってしまった」富豪の交通事故死、そして英国軍が勝利する映画
(John自身が出演した)のことだ。前後無関係に歌われる。

その当時、多くのファンたちは何かしらのメッセージがあると思ったのだ。

But I just had to look
Having read the book

多くが背を向けた映画ではあったけれど、
「自分は見なければいけなかった 例の本を読んでしまったからには」ー

何なんだ、その「例の本」とは。
みなそう思ったに違いない。

I'd love to turn you on

「あなたたちを<点けたい>」

しかし、JohnにとってもPaulにとっても言葉遊びだった。
意味深だと勝手にファンが思うならそれはそれで十分歌詞になっているのだった。
意味はさておき、音としての言葉の連続はメロディーに完璧に嵌っている、
響きも良いー それでいいのだ。

語られたイメージ、シーンが、頭に浮かび、音楽によってより<造形>の輪郭が
くっきりとし、それがゆえどうしたと問われてもわけがわからないけれど、
なんだか、とにかく音だけで世界が創出される驚きに酔うのだ。

1967年にこれをリアルタイムで聴いた少年MNEMOは、
ただただ恐ろしいイメージだけが喚起され、Beatlesはどうなってしまったんだと
思っていたし、もう聴けないとも思っていた。
あまりの先進性についていけなかった。

しかしもちろん今ならついていけるー
というか、ローリングストーン誌がビートルズでNo.1の名曲とするのが分かる。

自由奔放な言葉遊びは、メロディーとアレンジメント、歌い手の表現法、声質、時代により
名曲とされる理由の一部になれる、ということだ。
なんでも意味があればいいってものじゃない、と。
深い意味を持つ詩でなければ歌になってはいけないなどということは全くない、と。

A Day in the Life ーthe Beatles (Lennon-McCartney)
Partial cover by MNEMO

掲載終了

前のヴァージョンにほんの少し手を加えましたが、それは何でしょう。(笑)



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人生の手直し

I'll Quitという曲を、私にとって3番目のバンドELIXIRのメンバーと録音したのは
1985年初めだったと記憶する。
この歌は、EUROXを辞めた84年秋に降りてきたものだから、
「僕はやめる」という題名ならそれに関するものと思われて当然だけれど、そうではない。

自分の嫌な部分、ダメな部分を見つめて、そんな自分をやめたいという想いだった。

まだ20歳代、やり直しが利く年齢だったが、結局どれほど<やめられた>のか。

もうこの歳になれば、凡その人は性格が円くなっているはずで、
そういう点は確かにと自覚できる。
けれども、物ぐさな性格は全く子どもの頃からちっとも直っていないのではないか。
凝り出すとかなり凝るのはまちがいないのだが、そうなるまでが大変なのだ。

高校時代、卒業生のひとことということで「俺、ずっと散歩だけして生きていたい」
などと書くような非生産的極まりない精神の持ち主だった。
會津の田舎の、緑だらけの路を歌を聴きながら、歌いながら歩くことの愉悦。
たとえ雪で覆われようが、それはそれでまた一興と冬に合う歌を聴きながら、
歌いながら歩くー

結局そのまま私は今の歳になった。


今まで、2019年から自宅録音してきた曲を整理していたのだが、
I'll Quitの手直しをだいぶ前にしたのにそのままにしていたことに気づいた。

人生の手直しは、ちょっともう、無理だ。


I'll Quit ーKing Reguyth & MNEMO
(composed in 1984, re-recorded in 2020, re-overdubbed in 2021)
掲載終了



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藤井くん、男としての貫禄負け

昨夜仕事を終えてSkypeを閉じるや否や、
気になる藤井vs大橋戦を見んとAbemaを開き、
大橋六段が優勢となっていて「ああ、また藤井くん、この棋士に負けるのか」と
ガックリきていると、最後はもつれてきて、藤井くんに勝ちが見えたのだ!
ところが詰め将棋の天才でもある彼が唯一の受けの手を逃し、そのまま負け。

敗戦の弁は少なかったが、「ずっとむずかしかった」ということだったけれども、
その「むずかしかった」序・中盤までは評価値上は互角以下にはならなかったはずで、
とすれば悲観しすぎであまりに長考しすぎたというのが敗因だろう。
先の「唯一の受けの手」を逃したのも1分将棋に追い込まれてのことだった。

なにしろ大橋六段は本当に強い。
ピンクのパンツにグレーのジャケット(背広)という不思議な服装感覚の人だが、
こういう人に藤井くんは弱いのだろう。
大橋さんのこの服装感覚上の<非常識>とおそらく通底する何かが将棋で発揮され、
それが藤井くんを惑わせてしまうのではないか。

また、大橋六段は非常に<いい男>なのだ。
色気も半端ない。
藤井くんは棋力以外の何もかもにおいて正確に10歳下の<ガキ>になってしまうのだ。
いい男に気圧されてしまっている、と私は感じた。
きっとこれからも大橋さんは対藤井の連勝(今は4)を伸ばしていく気がする。
この気圧されに対抗するには、藤井くんが<おとなの男>になるしかない。


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日本的暗喩

昨日も今日も夜に仕事があって、もともと薄かったGW気分ももうない。
それでも藤井五冠が今日大橋六段と王座戦挑戦者決定トーナメント1回戦で対局。
ゆっくり楽しみたいのだが、さて。

*

東京は曇天ながら気温は上がりつつあるけれど、風が心地よい。
初夏の風、である。
大好きだ。

そういえば私の歌にはほとんど初夏っぽいものがない。
もうちょっと季節が進んでの梅雨っぽいものはいくつか挙げられる。
やはり人間性の投影か。

別に待望されてはいないけれど、自分が久々聴きたいからJohn Denverの
Annie's Songの我がカバーを再掲しよう。
この季節にぴったりの歌だ。

邦題は『緑の風のアニー』、日本語らしい情緒的な題名だ。
Annie, the Green Breezeということだが、きっと英語圏の人には不評だろう。
「気持ちは分かるが」と言われて、「アニーの歌でいいじゃないか」と。
「アニーが緑の風そのものであるはずもないし、詩だとしても情緒的に過ぎ、
しかも暗喩としては陳腐だ」と。
多分ね。

掲載終了


*

追記

今久々アクセスに関するページを見たら、だいぶ経った前回同様、
我が処女作The Well of Insanityを所望される方<大変>多し(当社比)。

全然今の気分ではないが、時間経って初夏の逢魔が時にはふさわしいか。

20190830_053029.jpg


The Well of Insanity ーKing Reguyth & MNEMO (1977)
Recorded in 2021
Performed by MNEMO

掲載終了



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2022年5月4日サイクリング

昨日は、GW中ならかえって混まないだろう都心へと自転車で向かった。
しかしそうは言っても世界有数の大都市圏のこと、
そこを離れている人が多かろうが、やはりところどころいつもどおりの賑わいと見えた。

最も都心に近いところでは渋谷区と目黒区の境辺りまで行ったのだが、
目黒川沿いは葉桜並木道となって人、人、人、それも裕福そうな中年や若者ばかりだった。
富の偏在、貧富二極化が言われているけれど、金は有るところには有るのだなあと
しみじみ思った。
え?金持ちならどっか海外とかへ行っているだろう?
いや、このご時世だし、そうでもないのだと思う。

超高級住宅地の目黒区青葉台や渋谷区南平台などを走ると、
度肝を抜かれるほどの豪邸の並びに気圧されてしまう。
田園調布や成城とは格が違うという気がした。
それはやはり、都心だから、ということなのだろう。
もちろん、そういうことなら、都心も都心、千代田区や中央区、港区の高級住宅街と
なればまた格が違うということなのだろうけれど、まあ、本当に日本国民の99パーセント
以上には<なんらの>関係もない話だ。

国道246号を挟んで北側の池尻の世田谷区が管理する「目黒川緑道」と平行する道路から
その緑道を見ると、60歳代と思しき男性が仰向けで倒れているのだった。
緑道を歩く人は一瞥はしてもなんら関心を寄せない。
離れたところから男性の胸部が呼吸で上下するかじっと見ていたが、
なんだか一向にそうは見えないので、いよいよ119番かと近づいたところ、
はっきり胸が波打ったのが見えて、「よかった」とその場を離れた。

彼は草臥れた靴を履いていた。

その緑道から丘を登った先は目黒区駒場、緑豊かなところに豪華なマンションが在った。
またもや幸せそうな人々がそこにいた。

その後昔から好きな道路である「淡島通り」を行き、「城山通り」経由で帰宅した。

A day in the life、だった。



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But I do care

ある種の人間たちの不条理を揶揄する歌を今制作中なのだが、捗らない。
GWということで、義父の娘との義理を欠くわけにはいかない状況だからだ。
とはいえ、人混みなどには決して出たくない私だ、
自転車に乗って気ままに緑を求めに行ったり、気の利いた町中華の店などを遠出して
見つけたりするのだ。
彼女には不満だろうが、出ないよりマシというようなことらしい。

*

ウクライナにおいてばかりでなく、大規模な殺戮は世界の数カ所で起きている。
ウクライナの場合は、東欧、つまりはヨーロッパで起きているから、
特に西欧とアメリカが<他人事>ではないと躍起になって報道し、対応するのだ。
しかも相手は宿敵ロシアだ。

殺し合いは今日も続けられているけれど、多くの日本人にとってそれは他所事だ。
それが一概に悪いとは責められない。
私だって新緑を目にして喜んでいる時、ふと、「ああ、他所事だ」と思う。

いつか自分ごとになる時が来るか。

今の与党にいいようにさせていたらその日はいつか来るだろう。

昔関わったあるミュージシャンは新興宗教の信徒で、
その団体が推す(というか一体なのだが)政党と共に核兵器廃絶を訴え
キャンペーンをしていたことがあって、そのビラを見せられ、趣旨や良しと署名もした。
その党は今も与党に連なっているけれど、一体その主張はどうなったのか。
なぜベーアなどが核武装論を唱える今、猛烈に抗議しないのか。

*

中島義道さんのように、死んだら全ておしまい、
ゆえに自分が死んだ後のことなどどうなっても一切関係ない、興味もない、
とする態度をとるのがいいのだろうか。

人生残り僅かになってきて、後は野となれ山となれと言ってしまっていいのか。

やはりそうはいかないだろうと思うのがヒトではないか。



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I'd love to change their heads

BeatlesのRevolutionの歌詞に、

You say you'll change the Constitution
Well, you know
We'd all love to change your head

というくだりがある。

核兵器を使うぞと脅す愚か者が現にいて、
使うかもしれないという恐怖を他国の民に植え付け、
自分の意のままに領土を拡張したり、現状変更をしたりという狂気が本当に今
行われている中、だから日本も核兵器を保有できる、 ないしは共同保有ができる、そうせねばならないという理屈になるのは愚かにすぎる。

そうすればその狂気の人間が萎縮して、核兵器使用はしないと尻尾を巻くのか。

じゃあ、やられっぱなしじゃないかって?

それならやり返すと?
つまりこっちも大打撃を受け、多くの民が殺され、多くの都市が破滅するけれど、
あるいはもしかすると国自体の消滅すらありうるかもしれないけれど、
あっちへも同じことをしてやれるだけマシだと?

核兵器が抑止力になるというのは、核保有国のリーダーが正常な理性を持っている
ことが保証されているならまだしも、そうでない者が核のボタンを押せる権力を
持ってしまったら、ただただ人類的破滅に繋がるだけのこと、空理空論だ。

ではどうするのか?
核廃絶を目指すしかない。
絵空事と言われようが、核を持っていれば核戦争は起きないなどというのは、
銃を持っていれば銃による犯罪に巻き込まれないというのと同じであって、
銃による犯罪をなくしたいなら、銃所持を禁止するよりないように、
核兵器を持つことを禁じ、従わない国には全ての非核保有国が連帯してその国を
国際社会から締め出すよりない。

絵空事だという人間は、きっと自分は、自分の家族は、核戦争の犠牲者になど
ならないという意味のない想定でそう言っているに違いないのだ。

たとえその核爆発の直接の被害者にならなくとも、
手ひどく核攻撃を受けてしまった国の民は全ての面で正常な生活を営めなくなる。
地獄を見るだけだ。

そうなってもいいと思って核こそ抑止力と叫ぶ者こそ平和を本当には
望んでいないのだと断定していいと私は思っている。


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