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こころの内実

今日東京は積雲(綿雲)が多く浮かぶ晴天。
こういう晴天がいちばん好きだ。
風はすがすがしく、快い。

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庭では、義父が育ててきたいくつかの植物が日光をうれしそうに(!)浴びている。
青紫の花を咲かすアジサイは例年より多く花房をつけている、と義父は言った。
私は頷きつつ、ピラカンサの一年のサイクルが目まぐるしく思えてならない、と言った。
少し前にヒヨドリとムクドリを中心とした鳥たちに赤い実を食い尽くされたと思ったら、
すぐに蕾が出て、あれよあれよと言う裡に白い花を無数に咲かせ、
春爛漫の日、昆虫たちに受粉を任せていると思ったら、もうすべての白い花びらは落ち、
今は緑色の小さな実がびっしりと成っていて、晩秋に赤く色づく日を待っている。

義父は歳をとることをとても嫌に思っている。
そろそろ八十代の半ばに差しかかるのだが、近年晩秋の誕生日を祝う折には、
「齢を重ねるのはちっともうれしくはないけれど、祝ってくれることにはありがとう」と
言うのが恒例になってしまった。

自分が育てた草花や樹木が健やかに育っている、生きているのを確認するたび
目を細めるが、しかし葉を落とす、芽吹く、葉をつける、花を咲かす、花を散らす、
実がなる、そしてまた葉を落とすというサイクルを観ている自分も確実になにかしら
「葉」に相当するものを散らしているのだ。

それなりの結実をさせた義父は立派というしかない。
しかし、新たな、瑞々しい葉をつけることはもう二度とないことをもう20年以上
噛みしめてきている義父であるー

かく言う私だって同じようなものだ。

それでも、創作の世界、こころの内実の世界では、
新芽を出している思い、みずみずしい葉になっている思い、
花としてすぐに散ってはしまうがこれが悟りかと思ってしまうような美しい思い、
膨らみ、これで完成だと確信しうる表現にならんとしている<思いの実>が育っている、
と<思いたい>。

Hydrangeas ーKing Reguyth & MNEMO (2022)
掲載終了



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