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2022 六月尽歌日記

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Dawn ーKing Reguyth & MNEMO
掲載終了
Originally performed & recorded by Deafening Daphne (2006)
Partial remake by MNEMO (2022)

義父の娘が大好きな歌です。
もしみなさまの中でも好きだと思われた方は、いつか私たちがステージに立つとき、
聴きにおいでください。

自堕落な私の生活を歌ったものです。

なにかしらワクワクなことがそのthrillを失い、
さて次はなにをするものかと懸命に考えようとしながら、
結局、カウチに寝転んで、あるべき自分について書き留めつつ、
うたた寝してしまい、そのまま黎明を迎えるのです。

「97 and 8」という歌詞が出てきますが、これは1997年と1998年という
私のmusicianとしての墜落の2年であって、焦る自分が「かくあるべき」と書いた
浮上のための方策のメモが、明け方には消えてしまっている、と。

ミュージシャンとしての浮上は、結局、歌いたいことを思うように歌い、
すばらしい仲間となにしろ奏で合えることに尽きるー
そう2006年くらいには考えていたのです。

オリジナルは用賀のPlus One Studiosで録音しました。
オーナーの藤田さんに思い切り甘えてしまいました。
その藤田さんも亡くなって久しいー

ときどき自転車でPlus Oneが在ったところに行きます。
懐かしいです。
行きか帰りのどちらかで、登戸で仕事を終えて電車に乗り経堂で降りて用賀へと
向かった長い道のりを通ったりします。
私は本当に用賀、上用賀が好きです。
なにか縁があったのでしょうか。

懐かしいなんてばっかり言っていて、2022年の半年も今日で終わりです。



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Light their way




何の影響力もない私ですが、Twitterで今回選挙にまつわることを初めて記しました。
上で言及の歌はBless the Beasts and the Childrenです。

これをリアルタイムで聴いていたときは中2か中3でした。
まだ<子ども>だったかな・・・。

Light their way
When the darkness surrounds them
Give them love
Let it shine all around them

このサビも本当に印象的で、ラジオで初めて聴いたときの深夜を思い出します。

私は自由に生きたかった。
よそ様に迷惑にならぬ限り、何をしても自由なはずだと毎日毎日思っていました。
聖人君子などいるはずもないのに、私こそ道徳だ、世の中のことを知っているという
ような顔をして私(たち)を束縛する教師たちが大嫌いでした。
たった一回の人生で13歳から15歳までの自由を奪われたことを今でも悔しく思います。

中学生の私が逃げて行った先は、いわゆる「洋楽」。
音楽ばかりか、自由奔放なミュージシャンたちの生き方にまで憧れました。
自分の部屋で彼らになったかのように歌い、振る舞う時間がいかに貴重だったか。

父と母は共に働き、ダブルインカムだったので私は生活に困ることはなかった。
しかし今は、7人に1人の子どもが生活困窮の状態にあるといいます。
そして学歴社会に押し込められ、成績が良くなければ、多くあるべき未来への門戸の
大半を閉ざされてしまう。成績が良くても、家が貧しいからと大学進学をあきらめ、
あるいは若い身空で多額の借金(奨学金!)をしてしまう。
私がそういう立場だったら、どれほど世の中を恨んだことでしょう。

「親ガチャ」ということばがあるそうです。
ほとんどすべては出自で決まってしまうということらしい。

21世紀にこんな世の中であるというのはおかし過ぎる。

影響力がなかろうと、私はささやかにそうした世に抗っていきます。


*

今日はBeatlesが1966年に来日した記念日です。
武道館公演で歌われた曲で私がカバーしているのはIf I Needed Someoneだけ。
昨日どなたかがリクエストしてくださっていたのもあり、再掲します。

If I Needed Someone ーThe Beatles (George Harrison)
掲載終了



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Was glad to see him alive and kicking

とある知己が音楽イベントを催し、成功裏に終わったそうで、
その際の写真を何枚か見せてもらった。

その一枚に、山口じゅんさんが写っていて、元気そうな様子でうれしく思った。

じゅんさんのbassを私なりに極力真似したこの曲を。
戦争反対!
インボイス反対!



Over and Over ーKing Reguyth & MNEMO
Arranged by ELIXIR (1986)
All performances by MNEMO (2020)

ELIXIR is Jun Yamaguchi on bass, Stick Sugiyama on drums,
Isao Kawaguchi on lead guitar, and MNEMO on rhythm guitar and vocals

掲載終了


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再掲要望多数(当社比)ゆえ

I'm Too Oldー King Reguyth & MNEMO (June, 2022)

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掲載終了



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Paul, you're no longer young enough to sing The Beatles

吉田拓郎さんが引退宣言されたそう。
76歳、潮時だと思われたのは、詳しくは知らないが、きっと自分のパフォーマンス力の
衰えだろうと思う。(ちゃんと記事読め!)

Paulが80でもまたもや精力的コンサートを展開している。
ただただ頭が下がるけれど、しかし、歌はボロボロだ。
引き際というものがないのだろうか。

PaulはBeatles時代の曲をkeyを下げず歌ったりする。
それは無謀だ。
大・大御所なんだから高い声が出なくても許されるー
しかし本当にそれでいいのだろうか。

<みんな、僕は往年の、みんなが愛してくれている歌を唄いたいよ。
でも、もうあんなふうには唄えない。
Golden SlumbersでSleep, pretty darlingのところ、
声がひっくり返っちゃったら、おしまいだよ。
自分の歌を自分で大切にできなかったらおかしいよね。
だから、本当にごめん、コンサートでは今の自分の歌を、
老境に入った自分の声帯で歌い切れるものだけを、聴いてほしいんだ。>

こういう態度もありうるはずだ。

Paulだから、なんだって許されるっていうのはどうだろうか。
ホロヴィッツは、82歳の頃、「ひび割れた骨董」という揶揄にめげず、
「極度の技巧を要する曲に固執することをやめ、最弱音から最強音まで完璧に
コントロールされたデュナーミクと、独特のタッチとペダリングを使い分けることに
よって生み出される色彩豊かなトーンで聴衆を魅了し続けた(Wiki)」。

Paul、もう往年の曲中心のコンサートは十分だよって私は言いたい。
80歳の境地を歌う歌ばかりのコンサートをやってほしい、と。



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1年の半分がもうすぐ終わる

老いの悲喜劇を歌った昨日掲載のI'm Too Old
実質梅雨が明けてしまった空を「音楽室」の窓から見ていたら、
一気に仕上げてしまう(と言ってもあくまで個人レベルですが)気になりました。

むろん外は炎熱地獄。
春や秋の晴れの日とは比べるべくもない、清々しさless、爽やかさlessな青空。
それでも、己への諧謔を歌うという<明朗な精神>の曲を仕上げるには、
エアコンを効かせた部屋から見る眺めとして良かったのです。


「個人レベル」での「仕上げ」とは云え、じゃあバンド・レベルでの完成とかは
いつかはありうるのでしょうか。

Mick師匠を囲む会がもう2年半開催されておらず、
先日東京の感染者数がずっと漸減を続けて、3桁になった時点で会員に開催打診を
しましたところ、ほぼ全員が「楽しみにしている」との回答でした。

ところが、間抜けなことに、その翌日だったかというような忽ちさで、
感染者数が前週同日比のそれを上回ったという報道があって、
さらに飲食を伴う会合を職場の命により禁止されている義父の娘が
「どうしても5人で会食というなら事前に絶対ワクチンを打って」と言うのです。

罹ってしまっては絶対にいけない会員もいるに違いない中、
また、ワクチンが打てない身体的事情のある会員がいる中、
今までこのブログでコロナ禍飲食会を批判してきた私としては二進も三進も
いかなくなっているという状況です。

今は「先週同日比増加」という事態になってしまいました。
昨日の時点で東京は8日連続だそうです。
昨日は50歳代の方を含めおふたり亡くなったと。

まだまだ一人での活動が続くー

そういうことになりそうです。



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I'm Too Old

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I'm Too Old ーKing Reguyth & MNEMO
掲載終了

All performances by MNEMO
Recorded & Mixed by MNEMO (2022)
All Rights Reserved


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2022 ほんとに<水無>月雑記

先日ここに掲げた駄句は、

掌中の
蛍逃げたり
闇深く

に変えさせていただきたい!
(勝手にせぇ。ウス。)

*

参議院選挙、まずどこへ入れてもええから、兎に角投票しぃや、
いっつも棄権する人たち。
選挙のときはいっつもこの国の曲がり角ダス。
しかし今回は相当なカーブ、ヘアピンカーブかもしれへん。
その自覚、ありまっか?

なんでわけわからん関西弁モドキで書いとるんて?
やはた愛のビデオ見たからやんか。

*

東京は昨日からもう梅雨明けかと思ふやうな陽気になつてゐる。
確かに曇りがちの日々は續いたけれど、雨ばかりといふやうな事は一切無かつた。
これでは空梅雨だらう。
東京は措いても、特に北関東、そこの農家にとつては不安な事ではないか。
毎日のやうに名物の夕立ち、雷雨が降れば好いけれど。

かう暑くて、さらに湿氣があつては敵はない。
昨夜など、とうとう外を歩くのをあきらめ、室内でエアコンかけて足踏みし、
1万歩を達成した。

こんな事がこれからも暫く續くのかと思ふとうんざりする。



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大谷が浮いている

昨日おとといと、大谷翔平の異次元的な活躍を目にした。
世界中の野球好きは皆、2本のスリーランホームラン、8打点の活躍の翌日、
「career high」の8回までで13奪三振2被安打無失点の無双のピッチャーともなった
この「怪物」の畏ろしさに今震撼しているのだ。

世界最高レベルのMLBで、草野球ならありうる「two-way(優れた投手であり、
しかも強打者でもある)」を実現してしまっている大谷に対しては今までのどんな
賞賛の言葉をもってしても褒め尽くせない。

しかし今回私はあまりの怪物ぶりに浮いてしまっている大谷のことを書きたいのだ。

おとといのゲームで、大谷を慕う新人と言っていいAngelsの外野手Marshが、
大谷に<いつものように>アドバイスを求めにだろう、ベンチ内で近寄って行き、
話しかけたのだ。ところが大谷は戦況よろしくない中、自分がどうすべきかを考えて
いたのだろう、少し迷惑そうな面持ち(これはもちろん私の主観だ)で言葉少なに
応答し(もちろん英語力の問題もあるが)、Marshは踵を返し、数歩の後、
明らかに憤った感じで、何も持ってはいなかったが、右腕で叩きつけるような仕草をした。

これはKAORUという大谷を追うYouTuberのビデオに捉えられていたのだ。
彼女も少し心配していた。

大谷は去年MVPを獲りつつ、所属するAngelsは好きだが、弱小であり、
他のチームで勝ちにこだわりたいと取れてしまう趣旨の発言をして、
ちょっとした騒ぎになった。

一昨日はMarshのこともありながら、2本スリーランを打ち、特に2本目のは
土壇場で10対10の同点に追いつくホームランで、彼はバットを投げた後、
ベンチに向かって指差し、雄叫びを上げ、お前らも奮起せよというようなジェスチャーを
したのだった。

むろんベンチはこの大スターの土壇場同点スリーランに大興奮し、狂喜していたが、
しかし、「大谷だけ活躍しても」とか、「大谷がAngelsにいるのは勿体ない」などと
去年からずっと言われているのを勿論皆知っているのだ。
大谷が「Angels愛」しかないように振る舞っていたならまだしも、
去年の発言もあるから、興奮が冷めた後、「おい、しかしよぉ」と言い出した同僚も
いたに違いないと私は見る。

「俺はこんなに頑張ってるんだ。お前らも同じほど勝ちにこだわれよ!」

大谷のtacit(暗黙の)な檄にシラける選手は絶対に存在すると私は見た。

そしてAngelsは、その同点打にもかかわらず、結局延長戦で1点差で負ける。


そして昨日ー
大谷は7回まで100球を超えて投げていた。
当然MLB基準では交代だ。
確かAngelsは7回で3点リードになったし、監督は継投で行くはずだった。
しかし大谷は打診にきた監督に続けざま「No!」と大きな声で言った。
英語でそのぶっきらぼうさを補うことはできないというのもあるが、
監督もタジタジというような面持ちだった。

「クローザーのイグレシアスがいないんだからなおさらだ。
あと2回、誰かに任すわけにはいかない。少なくとも1イニング、最終回だけだ。」

そう言いたかったに違いない。
しかし大谷はそうは英語で言えない。
さらに言ったら言ったでベンチの他の選手たちはいい気持ちがしなかったろう。

8回、悲壮な表情で大谷はマウンドへ上る。
最後のバッターを見逃し三振に討ち取り、ガッツポーズ、そして下を向きがちに
ベンチへと戻っていく。誰もが孤軍奮闘と形容したくなるような雰囲気だった。

相棒のキャッチャー、スタッシと拳を合わせたし、ベンチでも監督、コーチ、
多くの選手と同じことをしたけれど、笑顔がなかった。

私は、大谷は孤立している、と思った。

9回、クローザーのテペラが3人で抑え、Angelsはまたも大谷の活躍で連敗を止めた。
マウンド近くでの選手全員による勝利のハイタッチでも、大谷に笑顔はなかった。
多くの選手が大谷を特別讃えるようなこともなかった。
ハイタッチの後、お尻をさらに叩くのが親愛と深い労いの気持ち、賞賛を表すのだが、
大谷に対してそうした選手はほとんどいなかった。

大谷は浮いている。

私はそう確信した。
成績、実力で他の選手に比べようもないほど<浮いている>のだからしかたがない。
けれども、大谷が勝ちにこだわればこだわるほど、<不甲斐ない>選手たちは
大谷が煙たくなってくる。

少なくとも、大谷がAngelsを去るのは、遅かれ早かれ、間違いない。



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MNEMOとSuper String

もう30年以上前、私は子猫のチロの導きで宇宙へと、
私のこころの狭小さがありつつ目を向けるようになって、
いわゆる「ブルーバックス」を何冊も購入し、宇宙論、相対論、量子論を齧るように
なったのでした。
その頃英語をお教えしていたS君に数冊お貸ししたものの、そのままになった! ^^;)
S君は東大の理科一類へ進学しましたから、まあ、餞ということで。
(その後義父の後輩になったのですが、今もそうなのかなあ?)

Mooさんが数日前大町市で「市民大学」で数学の講師となって、
一筆描きや分数のことについて授業をされたのですが、
そんなことから、ちょっと理系っぽい話をしたくなりました。

30年くらい前、「特異点」という言葉にひっかかりました。
あらゆる物理法則が成り立たなくなるブラックホールの<最深部>、
あるいはビッグバンが生じる<手前の>、時空が1点に集約していた<ところ>です。
そんな中、「超ひも理論」を紹介するブルーバックスが出てそれを読み、
「特異点」解消の<数学的仮説>からの物理学発想を知り、あまりのカッコよさに、
訳もわからないのに痺れたのでした。

私が後に再デビューする際バンド名をG Stringとしたのも、
実は「Super String Theory(超弦(or ひも)理論)」からのことでした。
むろん「G線上のアリア」も意識はしていました。
(「おひも」の意味があることも知ってはいました。そこも私らしい。)

さて、その「数学的仮説」ですが、数学的<要請>と言ってもいいのでしょうか。
なにしろ特異点では分母が0(つまり質量やextension延長がない)になってしまい、
数学にならなくなってしまうのですから、どうしても分母に0でない数値(負の数が
いいのかどうかわかりまシェン)が必要になったわけです。

その数学的要請から、「点」ではなく「弦(orひも)」という延長が考え出された。

さらに、その「弦」の振動のしかたで、素粒子の性質、種類が決まる、
というアイディアです。

曲がりなりにも(!)ギターを弾く私にとってこんなに刺激的なアイディアはない!
例えば391.995HzでG4音、あるいはハ長調で「ソ4」の音になります。
そして440HzでA4、「ラ4」で、時報の音程です。
「これらの周波数を使って私は豊かな世界を、宇宙を、歌い、奏でている!」
と興奮したのは当たり前ですね!

これは仏教の空無の思想にも影響を与えるアイディアではありませんか?
哲学ではニヒリズムに影響を与える発想ではありませんか?

G Stringはしかし、ほぼ5年で「空無」に帰しました。
それでももちろん、その5年間の私の音楽人生は0ではなかったのです。



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Come Fill Me Again

緑滴る季節だから、ということなのだろう、
私の、John DenverによるAnnie's Song(邦題『緑の風のアニー』)のカバーを
お二人さまがリクエストしてくださった
(そのカバーを最初に上げたページへの再訪問ということ)。

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Annie's Song (『緑の風のアニー』)ーJohn Denver
Cover by MNEMO (2021)
掲載終了

写真はだいぶ前に撮った二子玉川の多摩川畔に立つ榎。
私の歌をよく聴いてくれる木だ。

(追記 よく見たら違うようだ。和泉多摩川の河原かな? ^^;)


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Manmade disasters

C7(#9)/GとC#7(#9)/G#の緊急地震速報を連続して2日聞いた。
能登半島の被災者のみなさまにお見舞い申し上げます。

群発する能登での地震、そのメカニズムについての記事を漁ったが、
能登の地下深くまで沈み込んでいる太平洋プレートに含まれる水が上昇している
可能性があるという記事を読んだが、「よくわからない」ということで締められていた。

志賀原発は大丈夫なのか、心配だ。

自然を分かっているつもりになっている人類の一部が権力を持ってしまうと
本当に恐ろしい。
怖がりすぎても仕方がないのは知っているけれど、
「想定外」などという免罪符的フレーズで事足りる世になってしまったのかと
本当に悔しく思う。

よく言われる話だが、単細胞生物、いや、細胞一個だって人類は作れはしない。

人類の驕りへの自然のしっぺ返しはすでに至るところで起こっている。
偶々自分のところで起こっていないからといい気になってはいけない。
自然災害の大元の原因は人為であるケースが今や過半を占めたのではないか?
そしてさらに戦争などもやっている愚劣な生物なのだ、我々は。

このままでいいのか。


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2022 父の日随想

掌中の
蛍逃げ失せ
闇深し

Mooさんの日記での記述を参考に一句。

Mooさんの、チクチク痛んだ腹部の検査結果は異状なしだったそう。
よかった!

MooさんはPaulより断然若い(4つ)のだから、
どうぞPaulと同じほどご活躍を!
(他人事。)

*

最高裁がもう酷すぎて、絶望は深い。
けれども、Chaplinが「Do not despair」と言ってくれるから、あきらめない。

福島第一原発事故につき国の責任を認めないなんて、ありうるか?!
事故発生前、確か2年前、「全電源喪失なんてありえない」と言い切った
安倍首相が専門家ではないし、その専門家すらあれほどの津波が襲うとは予見し
きれなかったのだから、というのだろう。
しかし、「全電源喪失」が「ありえない」なら、少なくともそう言い切るだけの
対策をしていたということでなければならない!
自然というものの恐ろしさ、予測不可能性をだれもが知っている中、
想定の高さの津波しか来ないはずはない、そして津波をかぶってすべての非常用電源が
使えなくなる可能性が生じている以上、少なくとも致命的にならない数だけの
非常用電源を十分高いところに確保することは絶対にできた!!
東電や他の原発を持つ電力会社にそう指示するすべきところでしなかった
国の不作為について、責任があるに決まっている!

*

義父への感謝は先週済ませてしまった。
私は、早々に娘と、私の誕生日と父の日の中間辺りで会うことにしてある。
楽しみだ。


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Paul Turns 80!

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このブログを始めて、John Lennonの誕生日や命日のことは書いてきたが、
Paul McCartneyの誕生日については多分全く書いたことがないのではないか。

JohnがPaulに近親憎悪のような感情をそれなり抱いていたように、
Johnファンは、Paulの、Johnが持てなかった資質、能力に多少jealous guyになって、
Paulの歌のほとんどをJohnのそれらに劣らず愛しているのに、
なんだかそう言い切りたくない想いがあるのではないか。

Paulはなんと80歳になった。
活力まだまだ旺盛な彼は現役ミュージシャンであり続けている。
ただただ頭が下がる。
ビートルズ時代に、これでもかというような名曲を世に出し、今も世代を超えて
愛されているのに、ちっとも創作意欲中枢(!)を老化させない彼。

ただし、もうsingerとしてはほとんど往年の高いピッチの声を出せなくなって、
ライブ演奏のビデオでその歌唱ぶりを聴いていると、私は辛くなってしまう。


この頃、つまり私も十分に老いを感じる歳になって、
PaulとRingoがまだ存命、それも二人ともライブ演奏をしているという単にその事実
だけで気が遠くなる。
Beatlesの曲としっかり結びついている田舎の景色、レコードをかけた部屋の様子、
ある曲を夢中になってヘヴィ・ローテイションで掛けたそのときの季節、
心境などなどが余りに遠い記憶なのに、その憧れのミュージシャンたちの半分が
まだ存命もいいところ、現役なのだから!

Beatles初期、All My Lovingはあまりのカッコよさに、チビのくせに私は本当に
卒倒するほど電撃をくらったようになってしまった。
Every Little Thingは高校のときに最も頻繁に聴いた。
恋の喜びがこの歌で裏打ちされたのだった。
中期前半、We Can Work It Outにすでにイギリス人の
<わび・さび>をはっきり鑑賞した。
中期後半、For No Oneを何度繰り返しして聴いたものか。
後期前半、Getting Betterは長兄の部屋で何度も聴いた。そのことはもう既に過去ログに
ある。また、The Fool on the Hillは、その音世界が我が田舎の五月の叙景だと勝手に
確信した。
後期後半、いろいろあるが、なにしろYou Never Give Me Your Moneyから、
Johnの曲も挟まれつつ、She Came In Through the Bathroom Window,
Carry That WeightThe Endまで、Paulの天才は本当にここで極まったと思うし、
The love you take is equal to the love you makeという事実上Beatles最後の、
Paulによる歌詞は、私の人生観のひとつとなった(しっかり実践はできなくとも)。

Paul、80歳の誕生日おめでとう!
まだまだずっとずっと活躍してくださいね、どんなに年老いても!


Every Little Thing ーpartial cover by MNEMO
掲載終了

Getting Better ーpartial cover by MNEMO
掲載終了

The End ーpartial cover by MNEMO
掲載終了



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はっとび「捜査一課長」終わる

今、録っておいた「捜査一課長」最終回を見た。
・・・一体なんだ、これは。
そんなことを思っていたら、オーラスで大岩刑事部捜査一課長が言うー

「マンネリと言われても、変わりすぎと叩かれても、
未来は変えられる信じて、走り続ける我々の思いは永遠に変わることはない。」

直近の視聴率低下、ネガティブな批評へのアンサーなのだ。
この徹底した諧謔精神を私は高く、高く買いたい。

こんなワケのわからん刑事物は未だかつてどこにもない。
むろん本当に全くワケがわからん内容であったらドラマとして成立しようがない。
制作側の独り善がりというべき回があったことも疑いはないけれども、
総体として、出演者やスタッフたちの「大岩一家」ぶりは、
ドラマの背景に、あるいは、その基底に横溢していて、実に快いものだった。

内藤剛志さんと金田明夫さんのコンビは本当に最高だった。
お二人の実人生がこの一課長と管理官コンビの息の合い方に反映されているからこそだ。
斉藤由貴さんの演技もすばらしかった。
陽月華さんは・・・もっともっと見たかった!
そして<やりすぎ>の象徴笹川刑事部長の本田博太郎さんー
当代最高のベテラン俳優と言っていいのではないか。
彼の稀有なおかしみは語り継がれていくに違いない。

今回も、登場人物の名前遊び、容疑者リストに入った関係者の名が「秋野胡桃」、
すなわち<「飽きのくる」み>であったところが最後までくだらなくて清々しい。
大岩たちの捜査を具に見て自分のルーティン化した人生を打破するのだ。
(今思い出すといくつか噴飯の名があったが、はっきり思い出せるのは、
スーパーのクレーム担当の「九条菊子」で、本当に脚本家、どうかしてるぞレベル。
「九条」なんてお公家さんでなければ名乗れない姓だ。
あまりの<命名>に、それがおかし過ぎてドラマの筋が入ってこなかったくらいだった。)


凶悪事件が一件もない日が訪れることが大岩らスタッフの十年来の夢の実現だった。
実現しそうだったその寸前、事件が起こった。
そしてドラマはワケのわからないVR捜査中に終わる。
これを再びの「捜査一課長」スタートの予言と私は取りたい。
だとしたら、早く新シリーズを始めてほしい。
内藤さんも金田さんも、そして本田さんも、全員70歳を超えてしまう!

頼む、また「捜査一課長」、一年ほどのブランクで帰ってきてくれ!



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藤井・永瀬戦は事実上の最高峰対決だ

400年に一人の大天才藤井聡太棋聖対その大天才に対抗しうる力を努力研鑽で得つつある
永瀬王座の棋聖戦第二局が昨日行われ、藤井棋聖が勝ち、1勝1敗のタイにした。
永瀬王座の一瞬の隙(金で王手飛車取りをかけ、当然飛車を取った手)を突いて、
9七銀と退路封鎖の捨て駒の後、4八歩という飛車の効きを止める手の絶妙な二手
ワンセットを残り2分の秒読みの中で指し、仕留めた。

直近3連敗していた相手に、久々一矢報いた、ということだろうと思う。
序中盤研究ではまだ藤井棋聖は永瀬さんに負けている。
第3局でも、先手ではあるが、永瀬さんの研究に嵌る可能性は高いような気がする。

今回は中盤敢て研究されているであろうある局面での最善手を<わざと>外し、
手将棋(未解明の局面で実力のみで指すこと)に持ち込んだのが勝因とも言える。
それが第3局でも繰り返すことができるか、
あるいは今度は逆に自分の研究局面に誘導し、思った通りの応手をさせてそれを突く
指し手で快勝できるか、というところだ。

楽しみの一言だ。


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Yesterdayが午後5時に響いた町

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千葉県山武郡横芝光町在住のあるYouTuberのチャンネルにハマった。

今年相次いだリフォーム工事があり、また岩手県に住んでいる我が亡き祖母の縁者が
亡くなって広大な土地と建物についての財産分与に関する書類が一関市の弁護士から
届いた(相続放棄した)こともあって、不動産系コンテンツを見ている裡に
「原野商法」や「限界ニュータウン」モノがおもしろく、
その中で千葉県の北総地方のそれらを扱う上記チャンネルに行き着いたのだ。

このYouTuber、40歳代と思うが、丁寧なビデオ制作はもちろんだが、
なにしろユーモアがあって、言語能力が優れている。
さらに、北総地域とは、私の大好きな横芝光や旭市、匝瑳市、山武市、九十九里町、
あるいは八街市や佐倉市、酒々井町、成田市や富里市などのことであって、
そこの<懐かしい>風景が毎回見られ、そして今までは気づかないでいた北総の土地
問題を知り、ますます関心度が高まるという次第なのだ。

横芝光町は、農業中心の町だが、九十九里浜に面している部分は別荘地としても
昔から利用されてきた。
九十九里は、意外かもしれないが、夏は朝晩涼しく、冬は暖かい。

しかし、やはり2011年の大地震大津波で被害を受け、特に北の旭市の被災状況は
東北のそれと同等のものになってしまった。
同程度のマグニチュードの地震が南にずれて起こったら、あの仙台平野などでの、
内陸深くまで到達する津波が襲ってしまう可能性がはっきり意識されたのだ。
海浜部の海抜は高くてもせいぜい2メートルくらいだから、
大地震・大津波で壊滅してしまう恐怖は過疎に拍車をかけ、
そしてもちろん土地の値段を及ぶ限りに低下させてしまったのだ。

仙台平野を襲った津波は最大6キロまで陸地を舐めたという。

横芝光町の海浜部である木戸のある土地は44坪で10万円にまでなっているという。
もう泳げなくなった木戸浜海水浴場に近い、別荘地としてはまずまずのところだった。
バブル期だったら数百万円だった土地だ。

私が大好きな横芝光、旧匝瑳郡光町だった頃は、午後5時のチャイムが
なんとYesterdayだった。

すばらしいところなのだ、本当に。

もうこれ以上、町が荒れませんように。



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2022 水無月随想

Mooさんの、苺そのものから作られたジャムが絶品で、パンやヨーグルトにつけたり
入れたりするのがとても楽しみになっている。

Mooさんという人は本当になんという多芸な人なのだろうかとあらためて感嘆する。
「芸」というのは少し違うのだろうけれど、それでも、まずは数学の教師としての技、
プレゼンテーション、コーディネーションと運営全般のうまさ周到さ緻密さ、
手間暇惜しまぬ無農薬野菜の栽培育成についてはもう玄人はだし、
字のうまさ、手の器用さ・・・

今ある人がMooさんに興味を持ち出した。
いつかその人を氏に紹介したいと思っている。
ただ、Mooさんのブログの最新記事が少し気懸り。
何事もなければいいのだが。

*

ここ数日、太宰、芥川、萩原(朔太郎)にまつわる作品はもちろん、
評論などをかなり読んだり聞いたりしている。
「聞く」というのはYouTubeでの朗読チャンネルを通じてということなのだが、
萩原のを専門的に読む人のコンテンツを数本聴いていて、
なんと「詩歌」を「しか」と読まれた時には卒倒しそうになった。
いっぺんに信用が置けなくなってしまった。
その誤読は致命的に過ぎるだろう。

六月十九日は桜桃忌、太宰の誕生日及び玉川上水でその遺体が発見された日だ。
この五月にそのことを意識せずに井の頭公園へ行き、玉川上水脇に出たのだった。
そこはジブリ美術館に程近いところで、そこから1キロほど上流へ歩けば
彼と山崎富栄さんが十三日深夜入水したという地点に置かれた下連雀の
「玉鹿石(1996年設置。太宰の故郷特産の錦石)」へ、
そして200mほど下流に行けばその六日後に二人の遺体が発見された地点に
私は立っていたのだった。

そのときは太宰のことが頭を過ぎったが、「どの辺りで彼は入水したんだろう」と
ふと思ったくらいだった。

大昔、猪瀬直樹の『ピカレスク』を読み、随分と太宰に興味を持ったものだった。
作品は?
『斜陽』と『人間失格』を二十歳代に読んだが、私があまりに幼くついていけなかった。
今の歳になって、例えば『御伽草子』の文章のうまさには驚嘆する。
太宰さんは「中期」作品で最も油が乗っていたのかもしれない。

絶筆で未完となった『グッドバイ』はユーモア小説風で、しかし考えてみれば
ある男性の途方もなく深刻な野放図人生始末記であって、
これはどう書き継がれることになったのかとヤキモキする。
書き継げなくなったからの未完絶筆なのだろうけれど。


玉川上水を歩いた五月、その日は実に清々しい天候だった。
公園には多くの人が来ていて、家族連れも勿論多く、幸せ<そう>に見えた。

(曰く、)家庭の幸福は諸悪の本ー

『ヴィヨンの妻』の最終文だ。

今あの日の清々しく木々に吹いた薫風を思い出しながら、噛み締める。



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Moo & His Wife's Friendship

IMG_0042.jpeg


世田谷は、一時間前くらいに奥多摩秩父方面で湧いた入道雲が東南へ移動、
今その雲の直下にありて、雷鳴と共に降雨、ただしまだ小雨。

写真は安曇野のMooさんがお送りくださった氏とお連れ合い様の農作業の結晶。

タマネギは今貴重品と聞く。
ありがたや、ありがたや。

とりあえず、ブログに記録。


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桜桃忌近づく

言い古されてきたことだけれど、藝術に携わり、そのモチーフを徹底的に追求する者が
世間一般からは異常者に見られるのが当然なのだ。
正確なパーセンテージなど言えるはずもないが、小説、詩歌、音楽などなどにつき
超絶な技巧を身につけ、かつ、生きることの何たるか、必ず死ぬことの何たるか、
愛とは、神とは、自然とはなどという問いへの反応(応え)をその技巧を使って優れて
表現できる者など1000人に一人も居りはしまい。

そんな存在は、養老先生の仰せに拠れば偏差値的にも「異常」なのだ。
釣鐘状の「正規分布」の左裾と右裾部分を占めるわずかな面積の構成員は明らかに
その他の大部分の面積を占める者たちから見て「異常」ということだ。

x軸方向で右の裾部分の構成者は、<できすぎ>で異常、
しかしできすぎて異常であるからこそ凄まじいアウトプットを残し得る。
普通の者たちはむろん遂行できず、発想もできぬものを生み出し得るのだ。

それを普通の者たちが愛でてくれれば、崇めてくれれば、天才なのだろう。
ついていけないとなったら、ただ異常者ということで終わる。

しかしだー

そんな普通の者たちの毀誉褒貶にビクビクとするような異常者は異常ではない。
そんなものには屈しないからこそ、突き抜けたものが創作できるのだ。

私は、言うまでもないが、平凡な歌うたいである。


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2022 水無月雑記 2

Mick師はことのほか井上尚弥のバンタム級王者3団体統一を喜んでおられよう。
試合内容がすばらしすぎて、ボクシングファンなら随喜の涙ものなのだ。
相手のドネアは39歳ながら、5階級制覇の強者中の強者だ。
そのドネア相手にほぼ一発の有効打も許さず2ラウンドKOというのだから、
「モンスター」という異称にふさわしい井上の圧倒的勝利だった。

ボクシングは最初、ヘヴィー、ライト級、そしてまさに真ん中のミドル級の3階級で
構成されていたはずだ。そして細分化が始まった。
バンタムはチャボ(闘鶏)から来ている。
ライト級はlight(軽い)ということ、その下が「スーパー」などの冠がつかないとすれば
フェザー級、featherつまり羽だ。バンタムはその下。これはちょっとおかしい。
いくらなんでも羽よりはそれをいっぱい身につけているチャボの方が重い。
そしてその下はフライ級、flyすなわちハエだ。

今は17階級あって、細分化のしすぎになっている。
最も軽い階級は男子の場合、団体で呼称が異なるが、ミニマム級、
ストロー級(すなわち「藁」だ)、ミニ・フライ級(コバエ、か)となる。

女子には「アトム級」がある。
笑える。
いずれ「パーティクル級(素粒子級)」が発案されより細分化されるか?

私はMick師ほどではないけれど、ボクシングが好きだ。
昭和20年代30年代生まれでボクシングに熱狂したことがない男子は少なかろう。
日本人チャンピオンは数多く生まれたけれど、井上尚弥は別格も別格、
こんなボクサーが出てくるなんて信じられないほどだ。
野球好きは大谷翔平の出現に驚喜し、将棋好きは藤井聡太の出現に熱狂する。

しかしー
大谷くんも藤井くんも、少し今その実力に翳りが生じている気がする。
特に藤井くんは心配だ。
すばらしい哲学を持つ努力の人永瀬拓矢王座をこれから圧倒できるかー
天才と努力の人との戦いに本当に目が離せない。


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But they have to think it's a good war

ウクライナ軍の戦果を誇示するビデオを毎日のように見ている。
おとといは、数人のロシア軍歩兵が列をなして行軍中、「地雷を踏」んだというもの。
爆発は数メートル離れたところで起こっているように見えるから、
砲弾ではないかと私には思えた。

一番前をゆく兵士がまさに<吹っ飛ぶ>。
爆煙が晴れると、後続の兵士は皆倒れており、微かに動いている者が一人。
わざとだろうが解像度は低いし、カラーではあるが色調も鮮やかというにはまるで程遠く、
また遥か上空のドローンからの撮影であるから「graphicさ(生々しさ)」は
抑えられているのでなんとか見ていられる。

ロシア兵は英語で訳せば「orcs=鬼小僧」とされ、
「Летючі орки!=Flying orcs!」というのが見出しの最初の文句。
コメント欄には英語が多く、「戦果」を讃えるものばかり。

正式には、ウクライナはロシア軍を「occupiers=占領者たち」と呼んではいるが、
このチャンネル「Бойова група К-2 54 ОМБр」(軍の動画を配給される
地位にある私的チャンネルか?)では鬼なのだ。

それはそうだろう。
プーチンの屁理屈で国土を蹂躙され、多くの同胞が殺されている中、
ロシア兵を「鬼小僧」と呼んでもそれは宜なるかなだ。

しかし、いつも思うー
ロシア兵の一人ひとりは誰かの子であって、幼い頃に、たとえ兵隊ごっこが好きな
愛国少年だったとしても、隣国ウクライナ人に憎まれ、砲弾で肉体を木っ端微塵にさせ
られる未来など全く予想だにしなかったはずなのだ。

もちろんウクライナ兵だって同じことだ。

Benjamin Franklinの、

There never was a good war or a bad peace

という言葉は至言だとしみじみ思う。



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Let us all UNITE!

Mooさんの今日のブログ記事からー

アベノミクスのお先棒を担いで庶民の暮らし向きに背を向け続けて来た黒田総裁に「このヤロウ」と腹を立てていた矢先、松本の友人から一通のメールが。
「明日の米を買う余裕がないとの相談を受けている。支援米を調達できないか」というものでした。母子家庭が多い子ども塾関係の家庭はもちろん、「反貧困ネット」がカバーしている松本地域では生活困窮者からの相談がひっきりなしにあるのだとか。
コロナの影響で失職したとか、ただでさえ安い非正規雇用の賃金では子どもの教育費の捻出もままならないなどの、深刻な実態が広がっていることが窺えます。

朝メールを受けてから、これまで災害支援などで協力してくれていた農家の人たちに声を掛け続けていますが、米の価格が暴落しているため、農家も自分の家の分だけを確保してあとはすべて農協に出したという人が多く、以前のような余裕がなくなっているので、支援米を集めるのもままならない。
しかし、中には快く応じてくれた人もいて、何とか60キロほどを確保して、今日か明日に届けることができそうです。
このような状況を見ると、大きな災害があった場合に以前のような支援活動が出来るのかどうか、大変不安です。


*

60kgの米を無償提供くださった農家の方、そして反貧困ネットの方、
そしてむろんMooさんたちこそ、チャプリンの演説が説く人の在り方を確かに行動で
示す人々ですね。

銃犯罪には銃で対抗という何ら解決にならない、致命的に頭の悪い人間の思考と同じで、
軍備を増強する国には同じく軍備増強で対抗ということしか考えられぬ政治屋たちが
途方もない額の予算をそちらにつぎ込もうとし、
真面目に働いていても生活に苦しむ人々、その子どもたちの存在を軽んじる
この今の状況を私たちは打破しなければいけない!

もう昔の、ある程度抑制があった自民党ではないのですよ、もはや。
なぜ昔の自民党はまだ暴走しなかったかと言えば、
まずリーダーたちに今の者たちに比べはるかに学識教養があったこともありつつ、
何より、彼らが戦争体験者だったからです。

自民党に任せておけば極端なことにはならないなんて、もはや全くの幻想です。

さあ、世田谷区にも(身近なところという意味で)少ないかもしれないがきっといる
厳しい家計状況に苦しむ家庭の方々に、私も何かしらの力添えをしましょう。

https://hanhinkonnetwork.org/donation



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どっちが永遠だろう

昨夜偶々見たNHKの「映像の世紀」に感じ入った。
チャプリン(チャップリンとは表記しない)とヒトラーの、当時最新技術である
トーキー映画を使っての「プロパガンダ」合戦についてだった。

ヒトラー率いるナチスドイツがフランスを攻略、占領したその約4ヶ月後に『独裁者』が
封切られた。

私はこの映画で何度腹が捩れるほど笑い、そして滂沱の涙を流してきたろう。

ヒトラーという悪魔的大衆扇動家が生まれ、世界を確かに席巻した頃、
強靭な民主主義精神と愛を持つ演技と映画制作の天才が同時に存在したことを
天の配剤と言わず他の何をそう言えばいいだろう。



この演説、永遠だ。

そしてヒトラーは、末期に自分とナチ党は滅びるが、
同じ思想を持つ者が百年後また台頭すると予言した。

どちらが本当の永遠なのかー



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私は「なんだ、どんなだ、どうすべきだ」

録音に入ったら野暮用も入って、どうもまあ、今日はもう無理かも。

いえいえ、期待されているのに、なんて思っておりません。
自己満足のためにやっている、それだけです。

中島さんの本を今2冊並行して読み返していまして、
人間は「〜である」と「〜すべきだ」の二つの述語で生きている、
というような箇所に出会って唸ってしまいました。
(正確な引用ではありません。)

例えば、「私は歌うたいである。」
そして「私は歌うべきだ。」
「私は腹が減っているのである。」
「私は何かを食すべきだ。」
とかね。
そうやって生きていくのだね。
そして、「私は肉体的にもう終わりである。」
「私は・・・。」

ゴホン。

で、今、「私は暇である」と「私は歌うたいである」が連結し、
「私は歌うべきである」となっているのに、「私は暇ではない」となってしまった。

では、また。


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2022 水無月雑記

東京は午後から凄まじい雷雨、今も積乱雲の東西の帯がゆっくり南下中、
千葉と神奈川がこれからもまだ戦々恐々というところだ。
Mooさんのところの雹被害のことを先日書いたけれど、昨日は宮城県などで雹の礫が
走行中のクルマのフロントガラスにひびを入れるという恐ろしい動画を見た。

ここの読者の皆様なら、私が雷好きであることはご存じではないかと思う。
被害が出てしまったところの皆様には申し訳ない趣味である。
新たな雷雲が発生しない限り、世田谷はもう峠を越えたようだ。

*

棋聖戦の第一局をチラチラ見ているが、今千日手差し直しの駒並べ。
ライバル同士でしかも互いを誰よりも知る棋士同士の対戦でワクワクしていたが、
そういうことだからこそ慎重になり過ぎてしまって、互いに踏み出せない。
はっきり言ってつまらない第一局の前半戦だった。

仕事になってしまうので、実況を追えなくなる。

*

明日はできるだけやり残している新曲の作業に入るつもり。
こう、ここで宣言して、怠けないようにする。
皆様に聴いていただけるだけのqualityを目指します。


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超luckyな20歳



先日亡くなったAlan Whiteの、Plastic Ono Band加入の経緯を語るビデオです。
まだ20歳だった彼をロンドンでのギグでJohnが見て、面識もないまま
その翌日に、トロントでのコンサートでバックをつとめるバンド(Plastic Ono Band)の
ドラマーになってくれと突如Alanに電話をかけ、Alanは当然友達の悪ふざけと電話を
切ってしまうのですが、Johnが掛け直し、本当にJohn自身からの電話であって、
<明日>Yoko、Eric ClaptonとKlaus Voormannとでトロントに発つから来てくれと
言うのです。そしてリムジンを差し向ける。

何という話でしょう!

Instant Karma!での彼のドラミングは音楽が人類にある限り、ずっと参照される
名演であって、イギリス北東部の果ての方、私が絶賛する「英国ミステリー」ものの
傑作Veraの舞台に近いNew Castleの出身の彼は、突如組まされた新しい<下モノ>の
相棒、ドイツ人のKlausとも初めてヒースロー空港で会い、
そのKlausはAlanのGeordie訛りの英語をちっとも理解できぬまま(このエピソードは
他のビデオでKlausが語っています)、機内で「リハ」をしたと言うのですから、
本当に笑ってしまいます。

なにしろ、U2などもカバーしているInstant Karma!はあらためてすばらしい曲です。



カバーしてみたいけれど・・・。

*

追記

AlanがInstant Karma!をBBCのスタジオで<マイム>で叩いている姿、
カッコいいですね、本当に。
最高のfill-inの2度目は、本気で叩いていますね。
この長髪の若いドラマーが、上のビデオのおじさん(おじいさん?)になってしまう。
本当に、時間というのは、エントロピーの増大そのものだと思います。
(違いますか、中島先生。)


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You're to Find the Place Where You Should Belong

Twitter friendとして、26歳の英語英文学専攻の男子学生がいる。
うつを患ったことがあり、今は寛解というところなのだろうか。
就職活動がうまくいかず悩んでいるのがありありのtweetsが上がる。

向学心と知的興味が旺盛な青年で、知識や学問上の発見を楽しむ。
年齢的なところで引っかかってしまうところがあるとしか考えられない。
あるいは包み隠さず病歴を話し、それが結局マイナスに取られてしまっているのかも。

彼の所属すべき場は必ず見つかると私は信じている。
けれども、リアルに彼を知っているわけではなく、あまり突っ込んだことを言っても
結局は空々しいことになってしまう。

それでも、励ましたい。

Today ーKing Reguyth & MNEMO (2020)
掲載終了



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