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2022 水無月随想

Mooさんの、苺そのものから作られたジャムが絶品で、パンやヨーグルトにつけたり
入れたりするのがとても楽しみになっている。

Mooさんという人は本当になんという多芸な人なのだろうかとあらためて感嘆する。
「芸」というのは少し違うのだろうけれど、それでも、まずは数学の教師としての技、
プレゼンテーション、コーディネーションと運営全般のうまさ周到さ緻密さ、
手間暇惜しまぬ無農薬野菜の栽培育成についてはもう玄人はだし、
字のうまさ、手の器用さ・・・

今ある人がMooさんに興味を持ち出した。
いつかその人を氏に紹介したいと思っている。
ただ、Mooさんのブログの最新記事が少し気懸り。
何事もなければいいのだが。

*

ここ数日、太宰、芥川、萩原(朔太郎)にまつわる作品はもちろん、
評論などをかなり読んだり聞いたりしている。
「聞く」というのはYouTubeでの朗読チャンネルを通じてということなのだが、
萩原のを専門的に読む人のコンテンツを数本聴いていて、
なんと「詩歌」を「しか」と読まれた時には卒倒しそうになった。
いっぺんに信用が置けなくなってしまった。
その誤読は致命的に過ぎるだろう。

六月十九日は桜桃忌、太宰の誕生日及び玉川上水でその遺体が発見された日だ。
この五月にそのことを意識せずに井の頭公園へ行き、玉川上水脇に出たのだった。
そこはジブリ美術館に程近いところで、そこから1キロほど上流へ歩けば
彼と山崎富栄さんが十三日深夜入水したという地点に置かれた下連雀の
「玉鹿石(1996年設置。太宰の故郷特産の錦石)」へ、
そして200mほど下流に行けばその六日後に二人の遺体が発見された地点に
私は立っていたのだった。

そのときは太宰のことが頭を過ぎったが、「どの辺りで彼は入水したんだろう」と
ふと思ったくらいだった。

大昔、猪瀬直樹の『ピカレスク』を読み、随分と太宰に興味を持ったものだった。
作品は?
『斜陽』と『人間失格』を二十歳代に読んだが、私があまりに幼くついていけなかった。
今の歳になって、例えば『御伽草子』の文章のうまさには驚嘆する。
太宰さんは「中期」作品で最も油が乗っていたのかもしれない。

絶筆で未完となった『グッドバイ』はユーモア小説風で、しかし考えてみれば
ある男性の途方もなく深刻な野放図人生始末記であって、
これはどう書き継がれることになったのかとヤキモキする。
書き継げなくなったからの未完絶筆なのだろうけれど。


玉川上水を歩いた五月、その日は実に清々しい天候だった。
公園には多くの人が来ていて、家族連れも勿論多く、幸せ<そう>に見えた。

(曰く、)家庭の幸福は諸悪の本ー

『ヴィヨンの妻』の最終文だ。

今あの日の清々しく木々に吹いた薫風を思い出しながら、噛み締める。



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