A Day in the Life (Partial Cover Ver 2)
「永久」とは
おととい、過去の記事で突出して読まれたのがこれだったー
https://mnemosyneoforion.blog.ss-blog.jp/2018-07-01
この記事で「発見した」と言っていることは、きっとだれかしらがもうすでに
気づいていることなのだろうとは思うけれど、それでも、
<過去の確定的事実として「Xは永遠にyする機会を失った」と
いうとき、それは真である。Xという主体によるyという行為は永遠に起こらないのだ。
そしてこのように否定的な永遠があるなら、肯定的な永遠もあるのではないかと。>
という記述は我ながらおもしろい。
最後は対称性(parity)の存在を推定しているわけだけれど、もちろんどうなのか
まったく分からない。さらに永遠であったとしてそれがどうしたということについては、
「肯定的なことの積み重ねこそ宇宙の原理だ」と大昔から言ってきた以上のことは
言えそうにない。その積み重ねもご破算になるのが宇宙の定めだとしたら、
これまたどうなのかー
ニヒリズムを超えるのは至難のわざだ。
「また新宇宙開闢から繰り返すのさ」と言ったところで、
「何のために?」と問われれば「さあ」と言うしかない。
*
YouTubeで、あるアメリカ人家族による「Life in Japan」というタイトルが冠された
videoシリーズの今に至るまでのほぼ全部を見た。
なぜこのvideosに惹かれたかというと、私が去年2月まで住んだ和泉多摩川の河原の
映像が目に止まったからなのだ。
私のホームグラウンドだったところだから、そして毎日のようにそこを歩いたのだから、
このファミリーを目撃してもおかしくはないし、確かに出会ったことがあったのだ。
「ああ、あの白人さん一家か。」
その一家は父母、娘3人、息子(末っ子)1人の6人家族だ。
別のvideoで彼ら彼女らは対岸の川崎市多摩区某所(私はどこか知っている)に
一軒家を借りて住んでいるのだった。
父母はクリスチャン、それもかなり敬虔で、兄弟や友人らと向ケ丘遊園にcafe付きの
churchを設営、運営しているのだ。
現代的な宣教師一家と言っていいのかもしれない。
ただし、宗派は分からないが、プロテスタントであるのは間違いない。
ビデオでは一家の日常、旅のようすなどがメインのコンテンツになっているけれど、
しっかりキリスト教的なコメントもされる。
とにかくすばらしい一家であるのは見ていただければ一目瞭然だ。
彼ら彼女らの生きていることを十分活かし楽しむ態度は、
信仰からの確信に基づいている。
最後は「新天新地」へと導かれることを信じているのだろう。
やはり、永遠であることを大抵の人は願うのだ。
良いこと、良いものに囲まれた良い人間としての自分が永遠に生きることを。
それを信じられれば、確かに、人生は無敵だ。
https://mnemosyneoforion.blog.ss-blog.jp/2018-07-01
この記事で「発見した」と言っていることは、きっとだれかしらがもうすでに
気づいていることなのだろうとは思うけれど、それでも、
<過去の確定的事実として「Xは永遠にyする機会を失った」と
いうとき、それは真である。Xという主体によるyという行為は永遠に起こらないのだ。
そしてこのように否定的な永遠があるなら、肯定的な永遠もあるのではないかと。>
という記述は我ながらおもしろい。
最後は対称性(parity)の存在を推定しているわけだけれど、もちろんどうなのか
まったく分からない。さらに永遠であったとしてそれがどうしたということについては、
「肯定的なことの積み重ねこそ宇宙の原理だ」と大昔から言ってきた以上のことは
言えそうにない。その積み重ねもご破算になるのが宇宙の定めだとしたら、
これまたどうなのかー
ニヒリズムを超えるのは至難のわざだ。
「また新宇宙開闢から繰り返すのさ」と言ったところで、
「何のために?」と問われれば「さあ」と言うしかない。
*
YouTubeで、あるアメリカ人家族による「Life in Japan」というタイトルが冠された
videoシリーズの今に至るまでのほぼ全部を見た。
なぜこのvideosに惹かれたかというと、私が去年2月まで住んだ和泉多摩川の河原の
映像が目に止まったからなのだ。
私のホームグラウンドだったところだから、そして毎日のようにそこを歩いたのだから、
このファミリーを目撃してもおかしくはないし、確かに出会ったことがあったのだ。
「ああ、あの白人さん一家か。」
その一家は父母、娘3人、息子(末っ子)1人の6人家族だ。
別のvideoで彼ら彼女らは対岸の川崎市多摩区某所(私はどこか知っている)に
一軒家を借りて住んでいるのだった。
父母はクリスチャン、それもかなり敬虔で、兄弟や友人らと向ケ丘遊園にcafe付きの
churchを設営、運営しているのだ。
現代的な宣教師一家と言っていいのかもしれない。
ただし、宗派は分からないが、プロテスタントであるのは間違いない。
ビデオでは一家の日常、旅のようすなどがメインのコンテンツになっているけれど、
しっかりキリスト教的なコメントもされる。
とにかくすばらしい一家であるのは見ていただければ一目瞭然だ。
彼ら彼女らの生きていることを十分活かし楽しむ態度は、
信仰からの確信に基づいている。
最後は「新天新地」へと導かれることを信じているのだろう。
やはり、永遠であることを大抵の人は願うのだ。
良いこと、良いものに囲まれた良い人間としての自分が永遠に生きることを。
それを信じられれば、確かに、人生は無敵だ。