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用賀での朝散歩で

朝散歩は用賀へ。

この「用賀」、漢字としての意味はあってもないに等しい。
「賀に用ふ」と解釈しても、「お祝いものか」などと思えて笑える。
そんな名前の地名があるはずはない。

仏教のことばに「瑜伽(yoga योग)」があって、精神集中や瞑想による修行法だが、
これを実践した寺院がこの地に在ったからだろうという説が最も信じられる。
歩いていて寺院二つを通り過ぎたが、関係があるかどうかは分からなかった。

NHKラジオの「聞き逃し」をまた聴きながらの散歩だったが、
「古典講読」は『和泉式部日記』で、笑ってしまうだけの「恋多き女」と
好色な「宮様」の<交渉物語>である。

彼女の「あらざらむ この世のほかの思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな」は
百人一首にも採られた名歌で、

「もうすぐ私は死んでしまうでしょう。あの世へ持っていく思い出として、
今もう一度だけお会いしたいものです」という意味である。

その<会いたい人>は一体誰なのだろうか。
恋多き女性として、同時代の紫式部にも顰蹙も買った和泉式部だもの。
(複数だったりして・・・。)

そんなことを思って歩いていると、区道脇の広い歩道に刻まれたこの歌に出くわした。
この歩道を「用賀プロムナード」と言い、用賀駅(東急田園都市線)から砧公園内の
世田谷美術館へ行く道であり、百人一首が道に敷き詰められた淡路瓦に刻まれているのだ。

和泉式部のは第五十六番、その次は紫式部の

めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半の月かな

であって、それももちろん路上に見出した。

この歌については、このブログで一度書いたことがある。

https://mnemosyneoforion.blog.ss-blog.jp/2012-06-20-1


用賀で王朝文学鑑賞の朝かと思い、昔私が通った音楽スタジオPLUS ONE近くで
折り返して、番組を「宗教の時間」に移すと、
江戸時代の真言宗僧侶慈雲(尊者)の話であった。
なかなかにおもしろく、聴き入っていたが、この慈雲さんの『十善法語』の第一、
不殺生戒を論じるところに「<瑜伽>論」が出てきて驚き入った。


用賀を歩いていて、和泉式部や慈雲の話に聴き入り、
さすがに三昧には入らなかったけれども、
慈雲師の

「人は人となるべし
この人となりて
神ともなり仏ともなる」

の説かれるところの意味は分かった。
解説する小金丸泰仙さんが卓越した学者で実践者だからだろう。



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