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むらさきしのぶ

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台風一過とはならないようなことを天気予報は言っていたが、
東京は真夏のような晴天となった。
冒頭の写真は、夜明け直後に多摩川で仰いだ空の一隅に、
なんだかレントゲン写真のような雲が浮かんでいたのを撮ったもの。

*

大野晋さんはもう亡くなられてしまっているけれど、
国語学の権威として、大変有名な方だった。
私が週刊文春の熱心な読者になったくらいの頃だったか、
ライバル誌週刊朝日と付き合いのあった大野さんを叩く意味も
あったのだろうと思うけれど、大野さんの日本語のルーツとして
タミル語が有力だとする説を、これでもかと言うほど論難した。

タミル語はなにしろドラヴィダ語族の一派で、
7400万人いるという話者は南インドに居住している。
ここと日本が言語的(民族的にも)に繋がるとするのは相当の勇気の
持ち主というよりないけれど、全く荒唐無稽な説とするには
余りにも大野さんは偉大なのだった。

今回、この日本語とタミル語の関係について論じるつもりはない。

大野さんは、源氏物語で、紫式部が「若菜」の巻を書いてから
明らかに物語の趣が変わってしまうというのだ。
「人間模様は、すべていわゆる三角関係」になってしまうと。
その変化は、現実の式部の体験から生じると氏は推論する。
「紫式部日記」を丹念に読むと、その契機が分かるというのだ。

—それは藤原道長との恋、そして呆気ない破局にあった、と。

式部は、新古今集で、

めぐりあひて 見しや
それとも わかぬ間に
雲がくれにし
夜半の月かな

と詠み、「幼友達と久しぶりに逢ったが、ほんのわずかの時間しかとれず、
月と競うように帰ったので詠んだ」と本人が言っているそうだが、
どうだろうか。

「幼友達」ではなくて、道長だったのではないだろうか。
そうでなかったら、源氏など書けるはずもない、
というか、あの物語の作者であろうはずもない、と思うのだ。