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さて朝散歩に出るか

一面の銀世界になった安曇野のMooさんから、
過日書いた氏にまつわる私の記事への反応がありました。
勝手に抜粋しますと、

「若い頃、ひたすら社会のためにとほとんどすべての時間を社会貢献に費やしていました。
ところがふと、自分自身の幸せはどうなるのか、
自分を無視して他人の幸せなどあるのだろうか、
という考えが支配し始めたのです。
それまでの一種の反動ですね。
しかし、所詮自分の幸せと他人の幸せを対立的にとらえてみたところで、
どちらも本当の幸せを掴むことはできません。」

「現在の自分自身を考えると、社会や地域の問題も個を離れては存在せず、
結構いろんなことを楽しみながらやっているのです。」

「松本に通っていても、子ども達に接するのは実に新鮮で楽しいのです。
おいしいものを一緒に味わったり困ったときはお互い様というのは
ごく自然な人間の本性ですものね。」

「このブログでは、四六時中多忙を極めているように見えますが、
こちらに来ていただければどんな生活をしているかわかります。
早くコロナ禍が収束して、行き来できるようになればいいのですが。
ですから、MNEMOさん、自分自身の楽しみ、自分自身の高みへの挑戦、
それは私自身の現在でもあるのです。」

ということです。


Mooさんが楽しみながら他のためになることをしておられることは、
直接的にその「他」とのリアルな交わりを前提にしています。
例えばこども塾ではもちろん向学心ある児童生徒、こころあたたかい「同僚」大学生、
元教師たちなどと交流するわけです。Mooさんの学識はその輪の中でも図抜けて
いますから、大歓迎されているに違いなく、さらに、与えるのは学識のみならず、
自ら育てた野菜、有志から集めた米などもー
まったく労力を惜しまずに。
自分の善意や努力が直接ありがたがられ、その対象から笑顔のご褒美がある。

嫉妬して書くわけでは決してありませんが、
私も、楽しんでやっている音楽という営為ですけれど、
リアルでなにかしらの交わりの中反応をいただいているわけではなく、
そこらあたりの歯痒さがあるのかなあと思わぬことはないですけれど、
なにしろ私は自己満足でやっていると認めていますから、
聴いてくださった方々から笑顔がほしいなどと言うのは慎みがない。プ。


さて、私に目指す「高み」はあるのだろうかとMooさんの文を読みつつ思いました。

今録音は全部自分の手でやっていますが、
キーボードやギターの演奏力を上げたいとは思っていません。
そんなことはいまさら無理です。
歌唱力?
いやあ、それももう頭打ちです・・・
というか、もう自分の設定した高みには到達していて、
声帯などの衰えが怖いだけです。

すごい名曲を生み出すこと?
う~ん、それが唯一考えられることかもしれません。
ただ、自分の大好きな場所の、大好きな雰囲気、
そしてその中での自分の想い=叙情を十分表現できることが名曲の条件なら、
私は、本当に不遜ながら、すでに何曲もものしています。

ということは、最良の遺作を作ることか?


*

Mooさんのおとといのブログ記事には、銀世界の池田町、北アルプスの写真が。
いいなあ。
私が扱っている高校生の教科書2種で、たまたま雪の結晶の話が重なって、
チビの頃、手袋に舞い降りた雪のひとひらを凝視し、
「雪印」のマークそっくりの形をみとめたときの興奮を思い出しました。

東京の雪なんぞは、もうベタベタの、みぞれに近いものですから、
池田で<ほんものの雪>を見たいものだと心から思いました。

「努力の結晶」と言いますが、雪の結晶のようでもいい、
つまり瞬間の命しかなくてもいいから、
すばらしい歌を歌いたいです。
まあ、それを録音という手段で保存はできますが。




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