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鬼よ笑ふな、我が来年の抱負

下の記事中のWhen There's No-one Left to Hearのvideoを視聴して
感じるのは、この曲、映像に関わってくれた方々で今も繋がっているのは
Stickだけなのだと思うと、情けないなあ、ということ。

ひとりはなんだか知らないけれどブチ切れて疎遠に、
またある人は私の返信は無用、来ても読まないと言い切った。
それがちょうど1年前。

私は、もう歳も歳だし、自分のpeace of mind重視で、
もうそういうワケわからん事態に精力を削がれるのは嫌で、
以降付き合いを途絶しています。

この「No-one」もいつかはremakeすることにしましょう。
大体が自分ひとりでやることになりますが、治雄ちゃんとスティックの力を借りる
ことになると思います。
(DDのレパートリーとしてはやっているのだし。)

動画も新しいMacのiMovieを使って編集する技術を習得し、
福島に行き、広島にも行き、(長崎も行けたら行き)、
撮影してきましょう。近未来ですが、生きていられますように!


*

追記

NYのやすさんが、件のvideoを見たよ、大好きな曲だよ、
映像、日本にいれば手伝える(彼女はプロ写真家)のにね、残念だよ、
ブログ記事も読んだよ、何が起こったの、とemailをくれました。

まあ、起こったのは1年前なのでね。
「ある人」が私からの音信は無視するというのですから、どうにもなりません。
私が何かその人にしたわけではなく、その人の言行不一致の甚だしさを友人として
<いつものように>非難したらそういうリアクションになったんです。

まあ、いろいろあるに違いないんです、心中、それから現実の事情。
そんなのみんな同じ。

「おまえにはわからない」などというこういう際の決まり文句がありますが、
現実は、「おまえは俺がなんでこういうことになったのかそれなり
わかるのだろうけれど、100パーセントはわからない」なのですね。

わかるかよ。

わかるはずねぇじゃん。
俺はおめぇじゃねぇんだから。

だから、「おまえにはわからない」というのは完全に捨て台詞で、
以降の話し合いを拒絶すると言っているだけのこと。

*

『トーホグマン』で私は物語の要所要所で歌を挿入する劇、
まあ、つまりはミュージカルの類のものを創りたいと意欲したのでした。

今は、その『トーホグマン』を短編(中編?)に作り直し、
小説の要所要所にリンクを張って、動画と音楽の世界に行ってもらうー
そんな構想を抱いています。

映画にもアニメにもできはしませんから、文字の世界プラス楽曲とその長さの動画により
<私の世界>を発表したいー

そう思っています。



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