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So I Sing Songs of Love in English

昨夜、ちらっとだけTVで筒美京平さんへの追悼的な番組をやっているのを見て、
ロック形式の音楽に松本隆さんによる日本語をみごとに乗せたー
あるいはその逆なのかは分からないがー
功績を称えているくだりだった。

松本さんは「はっぴいえんど」の元ドラマーで、
おそらく長く日本語を欧米ポップミュージックの形式にどう乗せるかに
腐心してこられたに違いない(私はよく知らないのでこう書く)。
その「はっぴいえんど」は団塊世代の方々のバンドで、
日本語によるロックを日本で商業的に成功させた伝説のバンドらしい。

私が2度目のデビューで属したSME傘下のレコード会社には、
「はっぴいえんど」のメンバー大瀧詠一さんが深く関わり、
氏は独自のレーベルをそこに持っていた(Monsoonレーベル)。
だからということでもないが、G Stringのアルバムも日本語による曲が半分以上に
なったのだった。

私は英語による歌唱法に<圧倒的な>強みを持つシンガーだったがゆえ、
日本語で唄うとなると「落ちる」とは何度も何人にも言われてきた。
それは当人が一番分かっていて、悩みまではしなかったものの、
なぜ日本人が国内デビューをする際英語で歌ってはならないのか、また、
私という日本人がなぜ英語で歌わねばならないのかを今に至るまでかなり深刻に
考え続けてきたことは確かだ。

私は憶い出す。
高校三年の終わり、松本隆&筒美京平の『木綿のハンカチーフ』を何度も聴いた。
自分としては「<南>へと向かう列車で」旅立つ直前だった。
太田裕美さんの歌もすばらしく、本当にこころ揺さぶられた。

しかし、「スーツ着た僕の」のところで、「スーツ着た」には強い違和を感じた。
同じように「つもりだ」、「(う)はずだ」、「見てくれ」、「帰れない」という
verseの同じ箇所で毎度「しかたないけど、これはないよな」と思うのだった。

デカパンさんがギターを弾かれたアン・ルイスさんの『六本木心中』は、
みごとなもので、rock'n roll形式に日本語と英語の折衷歌詞が乗ったものだ。
私もこのパータンこそ言語問題の悩みから私を解放してくれるものと思ったものだ。

This 折衷pattern will set you freeー

そう思ったくらいだ。

この歌でも、多くの同様パターンのヒット曲でも、
サビ(chorus)はほぼ英語になった。

(I) can't live without you, babe
Don't wanna let you go

デカパンさんも「日本でロックをやるなら、この辺りがいい塩梅だ」と思われたに
違いない。

そんなことをお訊きする前に、氏は旅立たれてしまった。



大きな問題がある。
私は日本で売れる日英折衷のロックを本格的に産み出せぬままになった。
(『ガリアン・ワールド』と『星の1秒』という得難いプレリュードがあったのに!)
しかし、この路線のままで日英のヒットチャートに安定的に入る歌をうみだす
シンガーになれただろうか、という問題だ。
EUROX時、英米伊のWarnerが興味を示したのはCOLD LINEOUT OF CONTROL
だったのだ。
全面的に英語だった。

日本で売れるロック形式の音楽はそう簡単には世界へと飛翔しない。
(私はずっと飛翔したいと思って生きて来た。)

それは私の長い経験からの結論だ。


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