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将棋<指し>なのに、「うつ」

NHKの『うつ病九段』を見た。

これは将棋の先崎学九段の闘病記をドラマ化したもので、
一時は「天才」と囃された棋士が心労からなんと将棋が指せなくなってしまうという
存在を根底から否定されるような事態に陥ってから回復までを描く。

その「心労」の原因が例の三浦九段冤罪事件における、将棋連盟広報担当者としての
激務にあったという描かれ方だったのだが、私はそれだけではなかったと思っている。
もちろん彼を知るわけでもないから、ただただ私の推測の域を出ないことをお断りする。


先崎さんは米長邦雄さんのところへ11歳で内弟子に入るという
稀有な体験をした少年だった。
米長さんはなにしろ棋界一の切れ者で重鎮、それでいて遊び心旺盛な棋士だったから、
彼の弟子とされるだけでも大変な名誉だった。
子ども大会で同い年の羽生善治を破るというようなこともあり、早熟の天才として
期待されたのだが、中1で雀荘に通い始めるという破天荒ぶり、勝負事が大好きで、
酒タバコが大好きという<芸人的>将棋指しになっていく。

羽生さんへの功績のひとつとして、「将棋指し」という呼称に纏わりつくゴロツキ的な
響きを払拭する、スマートで理知的職業としての「将棋棋士」の道を拓いたことがあるが、
同い年の先崎さんはその旧イメージの将棋指し人生を始めてしまったのだ。

「羽生世代」と呼ばれる1970年前後生まれの棋士には、
現会長佐藤康光九段(永世棋聖)、理事森内俊之九段(十八世名人)、
丸山忠久九段(永世称号はないが、名人2期、棋聖1期など)、
藤井猛九段(タイトル7期)、郷田真隆九段(タイトル6期など)
などがおり、先崎さんを圧倒的に凌駕する実績を持つ。

ー先崎さんはタイトル獲得なし、なのだ。


九段になったのもこの「羽生世代」棋士で最も遅かった。
小学生の頃「天才」と言われ、上で挙げたすべての後の大棋士よりも早熟で強かった
記憶が彼をずっと苛む結果になったのは想像に難くない。
どうしても遊んでしまう(米長さんの影響もあるか)中で、羽生を中心に同輩たちが
切磋琢磨しているというのに、自分は主に才能だけで伍していこうとする嫌いがあり、
人生の酸いも甘いも将棋以外のことで体験して、それを棋士人生にも活かそうという
ような思いも、たとえチラッとでもあったには違いなく、しかしそんなことは
合理主義的手法で強くなっていくライバルたちとの勝負では通じず、
置いてけぼりの憂き目に遭ってきたのだ。

解説者として羽生などを激賞し、語り口の軽妙さなどで持て囃されるけれど、
後輩の、たとえば飲み仲間の行方尚志九段には「ヘボな将棋を指してしまった、
先崎レベルの将棋だ」と言われて激高したりした。

尊大なところは疑いなくあって、順位戦の最低リーグC2を抜けられぬままになっていた
1991年に、「俺はなんでこんなクラスで指さなきゃいけないんだ、制度がおかしい」と
公言してしまい、大顰蹙を買ったことがあった。

そして八段や九段になってからのTV解説ー
羽生世代で成績的に末席にいる者が、どうしてタイトル経験者ばかりの同輩の将棋を
偉そうに解説できるんだ・・・そんなことすら言われていないかという疑いが
脳裏を過ったのではないか。

同輩を称揚するばかりの「名解説者」先崎。

文才もある人で、週刊文春に長く随筆を連載したし、
兄は東京医科歯科大学出の精神科医だし、頭の良さには疑いがない。
師匠米長も3人の兄が全員東大出であり、またもや共通点が見出される。
自分も勉学に打ち込めば、それぐらいの頭を持っている、と。
米長さんはかつて「兄は優秀でないから東大へ行き、私は優秀だから棋士になった」
というような軽口を叩いたけれど、同じような想いが先崎さんにもあったろう。

要するに、自分の頭脳明晰を自慢しつつも、しかし、成績実績が思うように伴わぬ
歯痒さが長い間をかけて昂じていく中での三浦九段冤罪事件発生、
そこで広報担当理事としての苦悩があってそれが彼の精神的不安定に追い打ちを
かけたというのが真相なのではないか。


『うつ病九段』-

登場人物がみな実名というのはおもしろかった。
先崎さんを演じた安田顕さんは、映画『愛しアイリーン』で主演した。
CATVでたまたま見て、印象に残っていた。
Wikiを見ると、大のBeatlesファンだそうで、うれしく思う。

しかしだ、このTVドラマ一番の印象は、先崎九段の妻穂坂繭を演じた
内田有紀さんの美しさだった。

てへ。



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