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Tacit Requests Accepted

ここに来てくださる方々の中に、
もうaudio fileを撤去している私のカバーやオリジナル曲を上げた記事を
見てくださるvisitorsがおられます。

私の感覚で、そういう楽曲の中、再掲をしていない、ないしは再掲からだいぶ経った
ものをいくつか上げます。

なお、前記事(次兄への個人的記事)はごっそり撤去いたしました。

Annie's Song (John Denver / Covered by MNEMO)


Real Love (John Lennon / Covered by MNEMO)


Never Let Her Go (David Gates / Covered by MNEMO)


You're the Sun and the Rain (King Reguyth & MNEMO)


Would You Be Mine (King Reguyth & MNEMO)

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Georgeに落涙して

George Harrisonのカバーをひとつもしていない。
この天才ギタリストでもあるsongwriterの楽曲には当然その天才的なギターsoloが
伴うのであり、それを私が弾くのは宇宙存在の謎を解明するのと同じほど困難だ。

たまたまYouTubeで私が大好きな彼の曲Old Brown Shoeを<奨められ>、
関連でGive Me Loveを聴いたら、あまりの懐かしさと、この楽曲の終始一貫した
やさしい音、陽光と穏やかに吹く風を感じる音に、忽ち涙腺が刺激され、
この曲をリアルタイムで聴いていたまだ小学生気分が抜けなかった頃の
中一やそこらの自分の世界に引き戻されて、
死の話ばかりだった昨日ということもあり、嗚咽がずっと続いた。

彼のインド思想への傾倒を示す一曲ということなるけれど、
神に憧れるGeorgeの、My Sweet Lordに並ぶ信仰とそれゆえの安息の歌だ。

Keep me free from birth

こんな歌詞を歌う欧米ミュージシャンなど彼以外いなかったろう。
輪廻から逃れていたい、というのだ。

For your sweet top lip
I'm in the queue
Babe, I'm in love with you

君のすてきな上唇を求める者の列に
僕も加わっているよ
ねえ、君に恋してるんだ

Old Brown Shoeの歌詞の一部だけれど、
Georgeも人の子、ひとりの男という歌もほぼ同時的に作っている。
ハリ・クリシュナと唱えて、解脱を求めるかと思えば、
クリシュナの恋人ラーダーさながらのPattie Boydに熱烈な恋をするのだ。



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父の十回忌

今日は父の10回忌である。

Yさんの訃報が届いたのは昨夜、見たのが今朝で、心が奪われ、
父の命日を忘れてしまっていた。

ちょっと前にも書いたけれど、この父の死から、肉親たちの逝去ラッシュとなった。
長兄、義母、母、従姉・・・
もっともつらかったのは8つ上の兄、2つ上の従姉の死だった。
いわゆる「若すぎる死」だったからだ。

心の塞ぎに体調の不良もあって、次は自分と覚悟しなければならないのかと
戦々恐々の日々を過ごした。
そんなとき、心ない冗談を言う輩(偽悪趣味)がいて、心底腹が立ったっけ。

今は、父母たちはみなあの世で私を見守ってくれていると信じている。
「なにができるか分からないが、博(=私)のやりたいこと、すべきことをする
時間をもう少し持てるように」と。

そう信じている。



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2020 霜月 訃報来る

今朝は幸夫ちゃんからのLINE mailが入っているのに気付き、
その内容で本当に<目が覚めた>。

子どもたちが大好きな某アニメなどのプロデューサーをされていた
確か私より1歳上のYさんが、昨日亡くなったという訃報だった。

特に親しくさせていただいたわけではないし、お会いしたのは4回ほどだった。

Yさんとはシモグミが手がけたYAMAHA発動機のYouTube配信アニメの制作で知遇を得た。
なにかしらのやりとりをしたわけでもないけれど、
温厚な方で、むろんプロ意識が強い方だった。
私がエンディング・テーマを唄い終えた打ち上げの席で、
心からの賞賛の抱擁をしてくださったことが思い出される。

衷心よりお悔やみ申し上げます。
残された作品群は人間的な意味で永遠です!
お安らかに。

*

幸夫ちゃんは、政府は人生100年時代などというけれど、
我々に残された時間は自分が思うほど多くないのかもしれないと書いていた。
その通り。
Yさんももし何かを今告げて下さるなら、そういうことだからできるだけ悔いなく
日々を生きていってくれ、ということになるだろうと確信する。

*

私のブログ記事は上のようなこと(終焉を意識しない生き方)を戒めるものが多い。
できるだけ悔いなき人生を、突如の終焉に備えるように、送るー

けれども、そう人生は甘くないし、さらに己の怠惰も完全に消し去ることなど不可能だ。
だから、幾許かの諦観を持ち、怠惰すらもそれなりには必要と思って、
自分ができうる限り、己が<なすべきこと>、<なしたいこと>
(ただしこの「なす(し)」は「成す(し)」より「為す(し)」の漢字の方が
適当と思っている)を定めて死ぬまで<なす>のだ。

The Endの我がカバーが心に染みる朝である。



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The End (Cover by MNEMO)

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And in the end

The love you take

Is equal to the love

You make




*

昨夜このcoverを仕上げて就寝すると、なんと、Paulが夢に出てきた。
こんなことは初めて。
Johnも出てきたことはない。

Paulへの尊敬心がこの頃頓に高まっているからなのだろう。

もう大昔から、

うけとる愛は為す愛に等しい
The love you take is equal to the love you make

というPaulの、この歌のlyricに感銘を受けてきた。
ほとんど座右の銘だ。

事実上のBeatles最後の曲The Endだが、制作当時4人は本当にバンドがthe endに
なるとは思っていなかったようだ。それまでのmedleyのendingということでしか
なかったという。しかし、本当に4人全員でのアプローチの終焉となってしまった。


All You Need Is Love(愛だけあればいい)というJohnの曲を上げて、
「うけとる愛は為す愛に等しい」とするPaulのBeatlesでの<絶唱>をカバーしたく
なった。

カバーしていてPaulの天才性をあらためてまざまざと感じた。
すべての音が、調べが、リズムが、神々しい。
真理を告げることばも、ことばを超えてことば以前の音=ことばの原型に戻り、
自然界にある美しい音そのものとなっている。

特に私が打ち震えるのは、「you make」と歌を終えてからのCのペダル(ポイント)だ。
さらに特に、Eb/Cに<この世とあの世が互いに貫入する音>を感じるのだ。


Georgeのその部分のギターも神憑りであって、とてもではないが再現できず、
ロクなアプローチになっていないけれど、まあ、許していただきたい。






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九十九里とBeatles

勤労感謝の日、でも私は仕事です。

*

自分によるBeatlesカバーを聴いていると、それらのオリジナルを初めて聴き、
そして何百何千回も楽しんだふるさと會津の我が部屋、窓からの眺め、遊んだり
散歩したりした場所の風景などがふと思い出されるのは当然として、
九十九里の風景も脳裏に浮かび、音に重なってくる。

もう何度行ったかもわからなくなるほど九十九里に行った。
Beatlesのほぼ全曲を聴きながらの道中なのだから、これまた当然。

それでも、コロナ禍があり、もう相当長い間行っていない。
東京に住んでいての最高の息抜きの場へ行けぬ月日、気が滅入るようだ。


東金道路(および圏央道)の松尾横芝で高速をおりて、
県道62号(成田松尾線=はにわ道)へ入り、下総台地を下れば国道126号に交差し、
旧山武郡・現山武市松尾町のJR松尾駅(総武本線)を右手に見て
県道の高架橋を下れば、平地が広がる。
大きく括ればそこから海浜部と言っていい。
とは言え、そこは大体が農地、そして県道沿いに家、商店、食堂が連なる。

そのまま県道を行けば海岸近くに達し、T字路を左折すれば蓮沼ウォーターガーデンだ。
ここも旧山武郡蓮沼村であって現山武市蓮沼。
公園が広範囲に整備されており、美しいたたずまいだ。

蓮沼でそのT字路より前の交差点で左折すれば、
旧匝瑳郡光町(現・山武郡横芝光町)へ至る。
匝瑳郡光町は下総国に属していたが、合併した横芝町が山武郡でそれは上総国に属す。
ゆえにこの合併は昔なら国境を越えた合併だったことになる。

光町には思い出がいっぱいだ。

ここの尾垂浜は、成田山新勝寺に今はまします不動明王像が都から海路運ばれて
上陸した地点で、記念碑もレプリカとしての不動明王像も建っている。
新皇を名乗った将門さんを打倒せんがための朝廷による措置であった。

将門さんのご先祖、桓武天皇の孫・高望王が「屋形」を構えた正に屋形という
地名の場所もその浜からそう遠くない。

そういう歴史的な場所ではあるのだけれど、なにしろ安らげる場なのだー

Beatlesの歌がとてもよく響く。




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まもなくJohn没後40年なんだよなあ。

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ぼくがまだチビスケだった頃、Wikiによれば、
「イギリス・英国放送協会をキーステーションに、5大陸・14か国の放送局が参加」、
「31地点を4個の衛星で結び、世界24カ国で中継放送された」Our World
Beatlesがこの歌を、日本時間で1967年6月26日夕方歌ったのだ。

Extremely partial cover by MNEMO


もちろんぼくはそれを見た。
長兄も姉も次兄も興奮して見た。
53年後(!)にぼくがこの曲のカバーをするなんて、
なんだかウソみたいな話だなあ。


All You Need Is LoveからRevolutionへ、Johnはいよいよ政治的メッセージを
はっきりと表明していく。

Johnはserious love songsへ、
Paulはsilly love songsへ。

どちらもすばらしい。



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The BeatlesーAs a Historical Small Gear Wheel

歴史というものは必然の積み重ねなのだろうか。
Beatlesの出現もそうだったのだろうか。

農耕牧畜が始まると、食料の余剰が発生し、つまり余裕が発生し、人口が増え、
さらに同時に富裕層が生まれ、そこに権力が生じ、身分制のようなものが生まれ・・・
他の集団による略奪が起こり、武器と戦闘技術の洗練化競争が生じ、
それに負けたものが収奪され、隷属させられる・・・

こういうのは必然的な流れなのだろう。
その流れを生み出す大元は、貪欲(功名心も含む)、恐怖と言っていいのだろう。

戦後、欧米社会では冷戦がありつつも「恐怖の均衡」下、大衆文化が花開き、
アメリカの黒人たちの音楽形式が<当然>多数派であらゆる意味で優勢な白人たちに
とっては新奇なものとなり、その特にリズムはヒトの野性部分を刺激し、
そしていよいよ<必然的に>それに乗って歌う白人が登場し、欧米における
アフリカ的リズムの普遍化が起こる。

Beatlesはその最初の白人のひとりだったElvis Presleyに特に憧れて、
若い女性たちが熱狂し、しかも売れればとてつもない金持ちになれるrock and rollに
自分らもまずは楽しいがゆえにのめり込んでいった。

ここでは、Elvisのようなシングル・シンガーから、グループとして、
世界で最も優勢な言語である英語によるrock and rollを奏でる者たちが出てくるのが
歴史的必然と思われる。

とすれば、英語圏のどこでそうしたグループが出てきてもおかしくはないし、
現にそうなったのだが、Liverpoolというイングランド北西部の港町に第二次世界大戦の
最中相前後して生まれた4人が結局ポップ音楽史上、先進的な作品を数々残しながら、
最高の成功を収めることになった。

ここに必然を見ることはむずかしい。

二人のタイプの異なるポップ音楽の天才が近隣同士で生まれ、知り合い、
グループを組み、互いに助け合い、ライバル心を持ち、数々の名作を生み出したことは
<天の配剤>としか言いようがない。
(むろんGeorgeの存在も、Ringoのも、そうである。)

大きな歴史的必然の歯車が回る中、より小さな歯車が無数に連動する図式だろうか。
小さな小さな歯車のうちのひとつが、はるかに大きな歯車に噛み合って、
ゆっくりとそれを動き出させたー

そんな図式だったろうか。




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IMAGINE will forever be here to stay

驚いた。

NHKBSで『イマジンは生きている』というスペシャルもの、
そしてNHKの地上では「裏番組」として三島由紀夫を取り上げるスペシャルもの・・。
そんなものが2つ今日放送されるなんて全く直前まで知らなかった。

前者だけ見た(後者は録画した)。
いい番組だった。
YokoさんとJohn がいかに愛し合い、影響し合ったかが、ファンでない人でもきっと
それなりに理解できる内容だった。

No religion
No possessions

という歌詞の「過激さ」ゆえにJohn & Yokoを無神論者だ、共産主義者だと
非難する人は今でもいるけれど、世界でテロや戦争が起こると多くの人々に
IMAGINEが歌われる事実にやはり励まされる。

IMAGINEが録音されたときの、Platic Ono Bandのメンバーたちによる感想が
心に沁みた。もうすでに自分は歴史的な楽曲に関わっていると実感しながらの演奏
だったという。それはそうだろう。

また、「Imagine~」というのはYokoさんの60年代の詩集Grapefuitからの援用である
ことや、俳句のすばらしさを教えられたJohnがLOVEでその世界一の
短詩型を模して詩作の実践をしたことなども明らかにしていたのも興味深かった。

もっと書きたいことはあるけれど、今回はここまでにする。

それでも、

Love and Peace
Peace and Love

やはり、これしかない。


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In Between the 2 Geniuses

高校生の時、JohnとPaulが歌でやりあっているのに悲しみを覚えた。
Johnは主に赤裸々に自分のことを歌い、世界平和を歌っていた。
PaulはWingsを率いて、ポップスの王者としてヒットを連発していた。
Johnはくだらない恋の歌ばかり歌ってんじゃねぇとPaulに悪態をつき、
PaulはSilly Love SongsLet Me Roll Itで反論した。

1971年アルバムIMAGINEの中の1曲、先日カバーしたJealous Guyは、
Beatles時代、インドにおけるYogi師との交わりの中(1967年)に書かれたという。
Yokoさんは当然自分についての歌だと言うし、それはそうなのだろうけれど、
1971年においてはPaulへの嫉妬のことも大いに歌っていた。

Paul McCartney stated in the February 1985 issue of Playgirl:
"He (John) used to say, 'Everyone is on the McCartney bandwagon.'
He wrote 'I'm Just a Jealous Guy,' and he said that the song was about me.
So I think it was just some kind of jealousy."

まさにそういうことだったと思う。
John贔屓の私もやはりPaulの大々的な活躍に比して内攻するJohnは大丈夫かー
Paulの歌がナンバーワンになっているけれど、
Johnはなぜもっと売れる曲を書かないのかー
とやきもきしたのだった。
Paulの極上のポップスを次々生み出す天才に、Johnに<成り代わって>嫉妬した。

それでも、JohnとPaulの間には、同郷の世紀の天才同士しか分かちえない
感情、愛情、友情が詰まっていた。

二人は愛し合っていた。
心の底から。


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お笑い ガス会見

ガス「え〜、会合で飲食の際はマスクをしながら、ということにしていただきたい。」
記者A「食べる時、飲む時は外していいんでしょうか。」
ガス「そうしてください。」
記者A「なるほど。」

記者B「いちいち外すのはむずかしいのではないでしょうか、あるいは面倒・・・」
ガス「そういう点はあるでしょうが、病気にならないためのことですから。」
記者B「アゴの下にずらして、というのが現実的と思いますが、汚れてしまいます。」
ガス「なのでマスクの需要がまた高まるのに備え、布マスクを準備中です。」
記者B「アベノマスクならぬガスマスクですね。」
ガス「(側近に耳打ち)あいつ記者会から外せ。」

記者C「経済活動そのままか、それともコロナ対策で活動の一部停止か、ですがー」
ガス「なるべく経済は回していかねばなりません。」
記者C「Go Toトラベルとかイートとか、とかっていう面妖な政策は維持ですか。」
ガス「(めんよう?綿羊?)食用のでしたら北海道がオススメです。」
記者C「・・・北海道は大変なことになっていますが。」
ガス「移動制限はしません、あくまで自己責任、自助で。」
記者C「日本医師会の会長が、このsurgeはGo Toトラベルのせいだと断言してます。」
ガス「匙は投げていません。」
記者C「失礼、surgeっていうのは感染者の急増のことです。」
ガス「日本人の記者なら日本語を話しなさい!Go To Travelはやめません!」
記者C「・・・。」

記者D「日本学術会議の任命拒否問題ですがー」
ガス「今まで言ってきたとおりです。」
記者D「いや、実質何も語っていないのと同じでは?」
ガス「言えることと言えないことってあるでしょ。あなた奥さんに何でも話すか?」
記者D「いや、それは・・・。」
ガス「それと同じですよ。」
記者D「『「語りえぬものについては沈黙せねばならない』ですか。」
ガス「お、いいこと言うな。」
記者D「Wittgenstein(ヴィトゲンシュタイン)です。」
ガス「そう、より開かれた学術会議を<実現したいん>です。」



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私の「摂取不捨の利益」はBeatlesだ

YouTubeでBeatlesの曲や関連のvideoを視聴していて
コメントを読んだりすると、いかに多くの人がこの20世紀最高のバンドをいまだに
愛しているかが分かり、「その通り!よく言った!」というコメントにはジーンとくる。

PaulとRingoがまだ生きていてくれる幸せー
そのPaulがJohnの息子SeanとJohnのことを語ってくれるのを聴ける幸せー

私は本当に幼い頃からいろいろとBeatlesに纏わる記憶を持っているけれど、
なぜかいの一番に1967年の夏、わたしたちが「大日川」と呼んだ阿賀野川の支流の
風情を思い出すのだ。

その年、私の誕生日にSgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandが
世界同時発売となった。

大日川でわたしたちは泳いだ。
水メガネは必須で、ヨモギの葉でレンズを拭けば曇らないという伝説を信じて
クコクコと音を立てた。

真っ白い綿雲が怠惰な羊のように青空をゆっくり渡っていく。
ミンミンゼミがアブラゼミの通奏をバックにひときわ大きくそれぞれ独唱する。
浅い川だから、飛び込みなどはしない。
流れにからだを任せて、空を見ている。
指がふやけてくると対岸の岩場で休む。

With a Little Help from My Friendsが、
Getting Betterが、
ずっと頭の中で鳴っていた。







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2020 霜月日記 3

昨日、環状8号線砧2丁目交差点でトラックとゴミ収集車の衝突事故があって、
信号待ちしていた歩行者が巻き込まれて1人が亡くなられたそう。

家からは直線で400メートルほど離れているところで、
千歳船橋へ行こうとするとよく通る交差点です。
環8でもかなり危険度が高い交差点のひとつだと思います。

巻き込まれて片脚を切断し、結局痛ましくも亡くなった歩行者の男性は三十代だったと
いいますから、あっという間の事故であって、反射神経がよくても難を逃れることは
ほぼ無理だったことでしょう。(確かその交差点には歩行者を守る杭などは
なかったはずです。)

こころからお悔やみ申し上げます。


こういう事故が身近で起こってしまうと、外を歩いたり自転車に乗るのが本当に
怖くなってしまいます。

*

話は大きく変わって、このブログの記事へのアクセス状況を見ると、
安定して今は亡き「デカパン」さん=依田稔さんについての記事が読まれていることに
気づきます。日に10人を超える方が読んでくださることもまだまだあって、
驚いてしまいます。デカパンさんに関心のある方は多いのですね。

ただ、私、デカパンさんと特別親しくさせていただいたということはありません。
共通の知り合いを通してお会いし、数回のギグで同席し、そして1回共演をさせて
いただいただけなのです。

もちろんBeatlesを愛するこの先輩と多くを語りたかったのはやまやまでしたが、
知遇を得たときにはもうデカパンさんは脳梗塞の後遺症で言語が不明瞭になって
おられたのです。

いわゆる<ともだち面>ができるほどの人間ではありません。
本当に、お友達付き合いができていたならと悔やまれます。
あのおやさしい目をした、Beatlesを子細にまで渡って愛されたギタリストであった
デカパンさんに、私のカバーを聴いていただきたかったです。



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GOK Sound 救済によろしければご協力ください

https://camp-fire.jp/projects/view/347841

ここのvisitors様にはほとんど関係ないこととは思いますが、
音楽業界がひどいことになっているのは周知のとおり、
中でも中小ライブハウスやスタジオは壊滅的な影響を受けてしまっています。

私がEUROXを辞めて飛び込んだと言っていいスタジオは、当時国分寺にあった
GOK Soundで、以降折ある毎にお世話になりました。
その後日野に移り、今は吉祥寺に。

アナログ・レコーディング・スタジオとして健気に経営を続けてきて、
Covid-19の禍に巻き込まれてしまいました。

よろしかったらご支援ください。
私もできる範囲でスタジオ存続のために協力したいと思っております。


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I'm so in Love with the Fab Four

下はBeatles理解ためのすばらしいvideo clip(s)です。

https://www.youtube.com/watch?v=_AILqCAk1cg

また、

http://www.beatlesebooks.com/every-little-thing

もBeatlesに関するsong factsを教えてくれる最高のサイトです。

そんなわけで、Every Little Thingの再掲、テンポを上げました。

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Every Little Thing
(Partial Cover by MNEMO)





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誠意 jealousy など

私は人格者(?)でもなんでもないので、人間関係においては基本的に
give and take的関係を多とし、give and giveをモットーにしたり、
貫いたりなんてできはしません。

そのgiveしたりtakeしたりする対象は金銭ではなく、互いの自分のすべきこと、
したいことに対する誠意です。

英語をお教えしている小中高生にだって、私は私が指導に全力を尽くす以上、
相応の努力で返してくれることを期待します。
むろんこれには月謝という金銭が絡んでいますから、彼ら彼女らのperformanceが
期待以下であってもある程度は斟酌しなければいけないわけですが、
しかし、「やる気がないならやめなさい」というセリフを義務教育以外の教師や
指導者たちは最終的に言えるのです。いっときの収入減ではありますが、
指導者としての固守すべき基準を下げてしまうことは、もっと大きな信用失墜に
つながってしまいます。

私は誠意をtakeさせてもらった(それゆえに一定の感動を与えてもらった)と思える
他者にはよろこんでgive backさせてもらいます。
(なお、全くの無力といえる子どもについてはこのgive and take関係は
適用されません。)

ここで問題になるのは、「誠意」の定義とその<測定>のしかたです。
ある他者は、そして私も、<自分なりの>誠意を尽くしたと思っているかもしれない。
そこはむずかしいところです。
だからその誠意の結果を見るしかないのかもしれません。
それでもふつう、いい加減なperformanceというのは一目瞭然たるものです。


私はここで、器楽演奏では素人、また、録音技術についてもそうでありながら、
自分なりの最善を尽くし作品を発表しています。
今上げているI'll Be Backも、実は最初に上げたものから3回も手を加えました。
「それでこうかよ」と言われかねませんが、愛する歌、愛するBeatlesへの誠意は
尽くしたつもりでいます。

*

DOB9yArWkAAtJIM.jpg

さて、JohnはBeatleでなくなって後に「僕は嫉妬深いヤツだ」と自分で認め、
歌をつくり発表しています。


Jealous Guy ーJohn Lennon (Partial Cover by MNEMO)

I was dreaming of the past
And my heart was beating fast
I began to lose control
I began to lose control

過去のことを夢見ていた
そして心臓が早鐘のように鳴っていた
抑制が効かなくなり始めた
抑制が効かなくなり始めたんだ


ギター1本で歌ってみました。
Johnの気持ちが<よくわかっているつもり>で。
I'll Be Backだって、自我が肥大した嫉妬深い男の歌です。
よくわかったつもりで歌いました。

I didn't mean to hurt you
I'm sorry that I made you cry
I didn't want to hurt you

I'm just a jealous guy




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I'll Be Back (Cover by MNEMO)

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アルバムHard Day's Nightで一番聴き、かつ唄ったのはAny Time At Allでした。
思春期、うまくいっている、ないしはうまくいった恋の歌が
なにしろ大好きだったからです。
If I FellもPaulのパートを中心に、高い地声の鍛錬でよく唄いました。
I should Have Known Betterも大好きでした。

今回カバーしたI'll Be Backは、上の3曲よりは唄う頻度が低かったのです。

You know
If you break my heart, I'll go
But I'll be back again

いきなりAメイジャーがAマイナーに転調し、3-part harmonyで切ない歌詞の
切ないメロディーを歌い、「But」と言って前向きになるー
陰陽の転換がめまぐるしい感じがしたのですけれども、
恋の行方に雲がかかったと思うとすぐに晴れるー
なんだか自分の恋のようでした。
ほぼすべて自分のこころ持ちの問題であって、「彼女」は別に雲をわかせたり
取り除いたりはしていなかった。
独り相撲ですね。

「僕は戻ってくるからね」という前向きな題名だし、歌詞ですが、
fade-outでは結局Aマイナーで減衰し切ります。
それが悲しかった。
私のカバーでは、微妙ですが、「好転」の兆しで終わります。

なにしろ哀愁の歌ですよ、やっぱりね。
I'll Be Backと帰ってきても、歓迎される保証はないのです。

I wanna go
But I hate to leave you

ってすごいじゃないですか。
つらすぎて、どっかへ行ってしまいたい、けれど君と別れたくないって!


ときどきこの歌を偶然YouTubeとかで耳にしたりすると、
ほんとうに泣きたくなるときがあります。
3-part harmonyがほんとうに切ないです。

*

例によってまずはアコギ1本の伴奏で歌うことから始めましたので、
ドラムスとかはマニュアルで打ち込んでおり、揺れを感じられたならお許しを。




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小春日和に

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Forget It All

Words & Music by King Reguyth & MNEMO







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2020 霜月随想

今日は長兄の誕生日で、存命なら71歳になっていました。

2013年春に亡くなったのですが、11年初冬に父が他界、13年正月に義母が急死、
連続の肉親の死にショックを受けていると、14年晩冬に母が、そしてすぐ後の春に
ひとつ上の従姉が亡くなるというとんでもないほぼ3年の月日を過ごしました。

当然というべきか、私はその後、死をそれまでとは比べものにならぬほど身近に、
そして深刻に感じるようになり、また体の不調もあって、次は自分だと思うように
なっていました。この状態を克服するには相当の時間がかかりました。

克服と言っても、今だってもちろん死は身近だと感じています。
確実に齢を重ねているのですから。
「だからこそ」と、やれることをやれるうちにやるのだと。
実は新曲もWhile You Still Canという題名なのです。

*

みなさんはいかがですか?

私のblogに来てくださる方で非常に若い人はそう多くないと思います。
まだ死は遠いと思えているのでしたら、それは羨ましいことです。
ほとんど確かに遠いからです。
私だってそんな時期がありましたー
そしてその時期からだいぶ経ってしまった。

私の友人・知己はもちろん同世代が一番多く、
だからこそ悔いないように生きようと呼びかけてきたつもりです。

何を飯の種にしているであれ、まずそのことに誠実を尽くすことです。
その仕事がたとえ本業としたくはないものであっても、同じです。
少なくとも自分がお金をもらってやることについてはなんであれ誠実を尽くせない者に
「本業」でだけは尽くせるなどという道理はありません。


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教養ある人

昨日は「教養」ということばを多用したけれど、そこでも書いたが、
単純にそれは「頭がいい」ということのみを表すのではないのです。

私が思う「教養ある人」というのは、「心豊かな人」でなければならない。

小学校の五・六年でお教えいただいた山内林子先生の色紙の言葉、「豊かなこころ」。
先生が常に持とうとされていたこころー

それを持つには、あらゆる分野の事柄に関心を持ち、
あらゆるこの世の見方、分節のしかたに親しむことが大事です。

むろん「あらゆる」といっても限界はあります。
けれども、できるかぎりの広さでこの世の諸々の受け取り方を学ぶ人が
教養ある人です。


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バイデン氏当選

Joe Bidenがアメリカ第46代大統領に当選した。
拮抗状態だったけれど、なんとか良識派が過半数を占めた。
CNNを見ていたが、New York、Philadelphiaなどでバイデン支持者たちが歓喜の中、
町へ繰り出していた。羨ましい光景だ。

Trump-Shinzoのボンボン不勉強者同盟がやっと本当に終わった。
信じがたい同盟だった。

それでもこの国は、権力交代があったけれども、最初になんと焚書坑儒だ。
「自助」を第一に掲げながら、官僚や他の閣僚に答弁を「公助」してもらう新総理だ。
質問に対し、何を言っているのかわからない。
そしてそれ以上のことばに窮するとお得意の「答えは差し控えたい」だ。

率直に言うけれど、総理大臣が教養豊かでないなんてありうるだろうか。
一流大学出身であるべきだなどと単純なことを言っているのではない。
偏差値が高いからいいとかではない。
偏差値が高かろうが、教養の高さを保証するものではないからだ。
国民の範になるような明晰なことばを持たない人間がいったい何を「総理」するのか、
と言いたいのだ。

一度書いたことがあるかもしれないが、大平内閣のとき、
官房長官は會津出身の伊東正義さんだった。
この人は宏池会の番頭格で、官僚出身の切れ者だった。
大平さんが病に斃れたとき、総理代行となり、そのまま総理にという話もあったが、
彼は自分はその器ではないと固辞したのだった。

本当に頭のいい人は、己の力量を一番に知っているものだ。

自分が総理大臣の器かどうか、しっかりと自問せぬままの首相がその後どれほど出たか。
アメリカではそんなことはないだろうと思っていたら、トランプが出た。
教養なき、教養から生まれた理念なき、そしてそれを裏打ちする中庸の精神なき
人間であっても、人類未来の方向を定めてしまうような権力を握れる現実が<今>なのだ。
今回揺り戻しはきたけれど、危うさは全く霧消などしていない。

バイデンさんは大変な懸案をいくつも抱えての就任となる。
すべてがうまくいくはずもないが、彼の支持者不支持者を問わず連帯を説く
<こころね>が、トランプよりもはるかに良くアメリカを、世界をリードすることを
確信しているし、希望している。



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2020 霜月日記 2

新曲の録音をしていたのだけれど、失敗した。
Bメロが安易で、どうにも自分で好きになれないのだからしょーもない。
なにしろヴォーカルがモニターできないというのは新曲の場合厳しすぎる。
あ~あ。

がっくりで、もう書くことはない。


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Humility Is Much Needed in the US Now

Donald Trumpに最も欠けている資質は、謙虚さだ。
その欠け方は尋常なレベルではない。
<かけら>すらないのではないか。

Joe Bidenが優勢とはいえ、ほぼ互角の支持があるという事実に絶望的になる。
自分が為した不正な言動への批判非難はほぼすべてfakeだfraudだと言い、
自己愛を憚ることなく全世界に向けて見せつづけ、
せいぜい中2レベルの貧相なことばで、心貧しいツイートを連発してきた。
こんなことが超大国で4年続いたなどとは信じられない。
アメリカのかなり多数の白人たちが彼に自分らの鬱憤を晴らしてもらっているという
ことだったのだろうけれど、アメリカという国に住む人々の出自が多様だという
段階から今やはるかに進んで、このままでは少数派になってしまうと焦る
白人たちの<あがき>のようなことが今鮮明化してきたのだと思う。

「自分らの国なのに!」

とそういう者たちは言うのだろう。
しかしその主張すら、Native Americansの存在と歴史を無視する傲慢なのだ。

思った通りTrumpは選挙の不正を証拠なく訴え、
おそらく今焦る過激な白人たちはまさにstand byの状態だろう。

Trumpにgood loserであれなどと望むことは、木に縁りて魚を求むようなこと。
それでも人殺しが起きないことを心から願う。


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2020 霜月日記 1

昨日、私の未完小説『蹉跌集め』III-14〜16(3年前の8月執筆)が20人近い方に
突如読まれていて、それが主に悠奈と「藤熊」が狛江の居酒屋「秋元蔵」で食事をすると
いうようなシーンのものだったので、「秋元蔵」の、実在するモデルの店関係の検索に
よるものかとも思ったのだけれど、ほぼ同じ数の方々がRAJOYの3年前に行った
青山でのギグ(やはり3年前の8月公演)関係の記事も複数読んでおられたことから、
両記事の共通点を探ってみたら、核廃絶のことだったのだ。

今、確かに現内閣が前内閣同様、世界で唯一の戦争被爆国なのに核兵器禁止条約に
加わらないという信じがたい<裏切り>を平気でしていて、昨日は国会でもその点を
追及されていたようだ。

それにしても、もう3年以上前の記事が20人近い方々に突如読まれると驚く。

それらの小説の一節や記事を私も読み返して、核廃絶のために日本のミュージシャンと
して仲間たちとやれることをしようと燃えていた時期の自分を思い出した。

決してあきらめてはいない。
今は私独りでできることをする。


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God force

NY在住のYasuさんが、Lilaceous Rainに寄せてメールをくれた。
というよりは、私のおとといの記事にあったShirley MacLaineの本に彼女も影響を
受けていたそうで、そのことを告げたくなったと。

彼女が高校3年の頃、塾で英語をお教えした私は自分で謂うところの
「Silver Tears期」にあり、なにしろ<大宇宙の原理>を語る男だった。
なぜか対消滅で反粒子と共に虚空に消えるはずの粒子が残り、
それにより物質が構成される宇宙ができたことから、
「宇宙は<積み重なること>を原理として持つのだ」として、
ゆえに<積極>的であることが<正しく>、消極的ないしは否定的なことは原理に
反するのだ、などと宣っていた。

そんな私がOut on a Limbを読むことになったのだから、火に油、だった。

「核力」こそがGod forceだとShirleyは悟ったと前々記事で書いたが、
誤解が生じると嫌なので一応簡単に説明すると、
陽子と中性子を原子核にまとめる強い力のことだ。
この相互作用を媒介するのが中間子で、湯川秀樹博士がその存在を予言し、
のちに実証され、ノーベル物理学賞をとったのだ。

湯川博士は祖父からの影響で漢籍に詳しかったことがよく知られている。
むろん易経にも詳しかったに違いない。
なぜなら博士の量子論の先輩に当たるニールス・ボーアすら(!)易経にハマったのだから。

私は思ったのだ、陰と陽の2元の関係がありつつも、それが渾然融和する様を
描いた太極図(これをボーアは自らのfamily crestにした)からのインスピレーションは
湯川博士にも絶対にあったと。
易経の説く、相対立するものが並立し相互補完する関係ー
これをボーアはラテン語でCONTRARIA SUNT COMPLEMENTA
(対立するもの同士は補完的である)としたー
その並存と補完関係を成り立たせる、まさに中間にあるもの=meson、
あるいはその融合する運動そのもののエネルギーを湯川博士は直観したのだろうと。

そんなことを、私は訊かれれば塾の生徒たちに話したものだ。

Shirleyは核力こそGod forceなのだと宇宙人に告げられるのだ。
「God force」という句に私は痺れた。

にゃあ。
Lilaceous Rainの話がまったく出てこない。



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Collapsing America

アメリカー
冗談ではなく、本当に南北戦争が再勃発するのでは?
分断を煽る大バカ者が現職で、さらに「接戦」だというのだから。

あそこは、ほぼ誰もが銃を持てる国だ。
それも、assault rifleだって一般市民が持てる国だ。
突発的な銃撃事件が内戦にまで発展しても全くおかしくない。
トランプはそれを十分承知で自分が勝ったと早々宣言し、
もし負けたらfraudがあったと根拠なく言い、
「Stand by」と呼びかけていた過激な支持者たちに戦闘開始を告げるのだろう。
あからさまな言葉でなくとも、そのようなことを口にするはずだ。

アメリカが50州で連邦をつくっている意味も根本的に崩される可能性がある。
バイデン勝利なら、トランプ支持の南部諸州が「独立宣言」を言い出すこともありうる。
なにしろどこの南部の州だったか、黒人が多数派の地域の投票所を大幅撤廃したり
するほど、あからさまな差別を現にしているのだから。

東西湾岸諸州は、トランプ勝利でそこまでのことはしないだろうとは思うが。

なにしろ、アメリカがぶっ壊れつつあるのは確かだ。
なんということだ。



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ライラック色の雨

syringa-vulgaris2.jpg



配信終了しました。


Lilaceous Rain
words & music King Reguyth & MNEMO

Let up on me, now, please, babe
Let me tell you it was just a whim
Understand me, now, please, babe
I didn’t mean to go out on a limb

Ah
I know you’ll never do
Ah
But I still hope you’ll do

Lilaceous rain’s gonna fall
Down on your head
And it’s gonna steam

The rain comes down from my eyes
And it’s gonna make a silver stream

Ah
The scenery I saw in a dream I had last night
Ah
Revives so bright

So bright
So bright



*

1990年くらいに降りてきた作品です。
いいところ(?)でfade outしてしまいますが、まあ、本格録音ではないので
お許しを。

私が強いて最高に好きな色を挙げるなら、ライラック色ということになります。
紫系の色は陽が当たっても当たらなくても輝きます。
特に雨の日など、他の色の花に比べ一番の光彩を放っています。
まあ、私にはそう見える、ということですが。


*

追記

先日記したように、モニターしながら録音ができないという悪条件下のことでした。
ただ、シンセサイザーを録音するときは、なぜかモニターできるという変な状況です。
マイクを使っての生音(声、アコースティック・ギターなど)録音のときだけ
不具合が生じます。
いずれにせよモニターランプがまったく点かないままです。


この歌が降りてきた頃、ELIXIRというユニット名で音楽活動をしていました。

「lilaceous(ライラック色の)」という単語に大昔に出会い、
字面から音から意味からすべて好きで、きっと歌詞に使いたいと思ったもので、
まずはReptilesという歌で使いました。
そしてこの歌にー

Surrealisticな歌詞になっていますが、let upという、雨が「上がる」という句がまた
大好きで、さらにlet up onで「~に対し(それまでの厳しい態度を)ゆるめてやる」と
いう成句があり、この意味の発展のしかたがまた大好きなのです。

そしてgo out on a limb(危ない橋を渡る)という成句ー

当時アメリカの女優(俳優)Shirley MacLaineのOut on a Limbという体験記と
言うべき本にハマってしまい、次作Dancing in the Lightと共に、spiritualな
世界へと誘われてしまったのでした。
(これには余談があって、当時私を買ってくれた某メイジャー・レコード会社の
Irish Americanのディレクターが、私が貸したこのDancing in the Lightに触発され
突如アメリカに帰ると言い出し、その社でのデビューがポシャッたのでした!
まあ、他にも突然の退社には理由があったようですが、決定的な契機になったのは
この同じIrish Americanの女優の本だったのです。)

マクレーンは娘にSachi(=幸)という名をつけるほどに親日家で、東洋思想に
深く傾倒する人です。Out on a Limbでは、核力こそ「God force」なのだと
アンデスの山中での神秘体験で悟る場面は圧巻でした(と言いつつ、確かそうだった
という記憶で書いています。この本はどこに行ったものか、失くしてしまいました。
貸したままになったかな。なお、もちろん訳本ではありません。)

マクレーンはこういう本を書くことの危うさを十分知っていたがゆえの本のタイトルです。
今Wikiでこの本のことをちょっと調べたら、let up onという成句が記事中にあって、
私は驚いています!


1990年前後、本当にいろいろあった年月です。




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2020 霜月朔日雑記

参った。
Garagebandの「モニターランプ」が表示されなくなってしまい、
リアルタイムで自分の声や演奏の音を聴きながら録音できなくなった。
もちろん手は尽くしたし、私の機械オンチではないと思う。

ますます新しいMacを買わないといけないのだなあ。
稼がなきゃ、貯金しなきゃ。

*

大阪都って、なんやのん。
「東の東京都、西の大阪都」って松井はん、言うてはりますけど、
西は京都やおまへんか。
そうか、ほんまは京都に対抗したいんやね。

*

Mick師のコマラジ『音楽夜話』の日とまた勘違いして今待機していました。
Mick師の次回放送は8日です!!

さて、じゃあ、ひどい条件ながら録音するか。


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