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Tacit Request Accepted 2

Words, Words, Words!
music & words: MNEMO & King Reguyth
performed: G String (1997)
recorded at Plus One Studios (Yoga, Tokyo)
remix: MNEMO



5人の方が以前この曲を掲げたページを再訪くださいました。
古い音源であり、最高音質にはできません。
お許しを。


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Don't let technology come between us and the music

https://mnemosyneoforion.blog.ss-blog.jp/2020-01-27

この上の記事に、Red Moon氏からコメントを頂戴しておりました。
コメントはおろか「いいね」すら本当に期待していないblog活動を長くしており、
ご投稿に永く気づかぬままになってしまいました。
あらためてお詫びします、Red Moonさん。

氏も言われているように、「Let's move」でしてね。
過去あっての今で、そして今が過去になる未来に「あのときの今」ああして良かったと
思える行動をする、ということです。

確か井伏鱒二は何度も、出版された後でも、作品の書き直しをしたのではなかったか。
「過ちては改むるに憚ること勿れ」ということでしょうか。

まあ、私が過去の作品に手を入れたり、全面的にremakeすることがある場合、
むろん「過ち」としてそうするときもあるにはあるけれど、そんなことは全くなく、
ただ<今の私ならこうしたい、こうする>ということのほうが多いのです。

*

昨日の記事は音源を上げる記事と同じほど閲覧されました。
疎遠になってしまった人がいることを率直に書いたのがやはり興味を引きましたか。

その方々には、「このままお互いのどちらかがそう遠くない将来旅立ってしまっても
いいんだ」という覚悟でいるのでしょうかね、とお聞きしたいところですが、
まあ、リアクションはないでしょうね。

私がもし見送る立場になったら、悔しいと思うでしょうね。
しかし私は歩み寄ったつもりですから、今は始末が悪いわけです。

そしてまた交誼を復活させることができても、同じことが起こる可能性はゼロではないと
思えてしまうところがなにより始末が悪い。

そんなことはもう二度とない、だってもう諍いを起こす時間なんてない、
あったとしてもそんな時間の使い方をしたら勿体なさすぎるー
私はそう思って歩み寄ったんですよ、すでにもう前回ね。

Peace of mindですよ、だから。
そんなことを考えているだけでも勿体ない、煩わしい。

器楽演奏的に下手だろうが、録音の仕方が拙かろうが、機材がアマチュアだろうが、
自分のやれる範囲でいいからやりたいようにやり、
本当の楽友に手伝ってもらうというのが一番心安いことなのです。

ミュージシャンとして音のqualityを可能な限り高めようと努力することは無論大事。
でも、なにより大事なのは、歌、楽曲そのものです。

2014年のセンターテスト第6問はそんな内容の長文です。
今週月曜に高3生と読んで私はひそかに笑っていた。
下はその長文の第6パラグラフー

With so much technology available, actually listening to music can sometimes
feel like a secondary issue.
We are lucky to be able to take our favorite recordings with us on the train
to work, but if we listen to music while our attention is focused elsewhere,
we miss much of its power.

Likewise, although it is good to have access to high-quality equipment,
if we worry too much about achieving perfect fidelity, technology itself comes
between us and the music.
Music is an amazing and powerful art form, and perhaps what is most important
is to make time to sit and appreciate what we hear.

Thanks to the genius of Edison and other inventors, the beauty of music is now
more accessible than ever.
It's up to us to stop and truly listen.

ね、いいこと言っている。


例えば「No-one」を私が家の録音室でギター1本で歌い直すとする。
YouTubeで公開されているversionは旧ポニーキャニオン附属の一口坂スタジオで、
米人ディレクターと豪州人ミキサー&エンジニアのもとで、
当時ELIXIRとしてメンバー5人が演奏しデモとして録った
(ただしずっと流れている私が語る英語ニュース音声はこのバージョンのためのもの、
ミックスしたのはKです)のですが、さて、どちらがより人の心に響くことになるか。

もちろん「一口坂バージョン」がいいという人が多かろうと思います。
音質というより、なにしろそのYouTubeに上げたものでも特にfeatureした
Isao Kawaguchiのギターソロは出色であり、<あのとき>の瞬間を捉えている!
このソロあっての歌だとも言えるほどです。
しかしこれは究極的には音のqualityの問題ではなく、「何がどう弾かれた」の問題です。
「どのように音響工学的に捉えられ、再生されたか」ではない。

それでも、そのソロがなくても、私が「何をどう歌ったか」をもう一回
<今の私>として追求したバージョンが完封負けすることはきっとないと思います。
ミキシング・コンソール(!)はGarageband、
マイクはスティックが安いのならこれと推奨してくれた廉価版のもの
(実はドイツ製の割合にいいものも同時購入しましたが、使っていません)でも、
きっと「一口坂バージョン」に0対いくつで負けることはないでしょう。

Sound qualityがいいのに越したことはない。
それを追求するプロがいて当然だし、私だってそういう方と一緒に仕事をしたい。
機材も一流品ばかりで、hi-fiぶりは最上級、またplug-inモノも再上質のもの・・・
そりゃ、垂涎の的です。

でも、なにより、「何をどう歌ったか」なのです。
私にはね。



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鬼よ笑ふな、我が来年の抱負

下の記事中のWhen There's No-one Left to Hearのvideoを視聴して
感じるのは、この曲、映像に関わってくれた方々で今も繋がっているのは
Stickだけなのだと思うと、情けないなあ、ということ。

ひとりはなんだか知らないけれどブチ切れて疎遠に、
またある人は私の返信は無用、来ても読まないと言い切った。
それがちょうど1年前。

私は、もう歳も歳だし、自分のpeace of mind重視で、
もうそういうワケわからん事態に精力を削がれるのは嫌で、
以降付き合いを途絶しています。

この「No-one」もいつかはremakeすることにしましょう。
大体が自分ひとりでやることになりますが、治雄ちゃんとスティックの力を借りる
ことになると思います。
(DDのレパートリーとしてはやっているのだし。)

動画も新しいMacのiMovieを使って編集する技術を習得し、
福島に行き、広島にも行き、(長崎も行けたら行き)、
撮影してきましょう。近未来ですが、生きていられますように!


*

追記

NYのやすさんが、件のvideoを見たよ、大好きな曲だよ、
映像、日本にいれば手伝える(彼女はプロ写真家)のにね、残念だよ、
ブログ記事も読んだよ、何が起こったの、とemailをくれました。

まあ、起こったのは1年前なのでね。
「ある人」が私からの音信は無視するというのですから、どうにもなりません。
私が何かその人にしたわけではなく、その人の言行不一致の甚だしさを友人として
<いつものように>非難したらそういうリアクションになったんです。

まあ、いろいろあるに違いないんです、心中、それから現実の事情。
そんなのみんな同じ。

「おまえにはわからない」などというこういう際の決まり文句がありますが、
現実は、「おまえは俺がなんでこういうことになったのかそれなり
わかるのだろうけれど、100パーセントはわからない」なのですね。

わかるかよ。

わかるはずねぇじゃん。
俺はおめぇじゃねぇんだから。

だから、「おまえにはわからない」というのは完全に捨て台詞で、
以降の話し合いを拒絶すると言っているだけのこと。

*

『トーホグマン』で私は物語の要所要所で歌を挿入する劇、
まあ、つまりはミュージカルの類のものを創りたいと意欲したのでした。

今は、その『トーホグマン』を短編(中編?)に作り直し、
小説の要所要所にリンクを張って、動画と音楽の世界に行ってもらうー
そんな構想を抱いています。

映画にもアニメにもできはしませんから、文字の世界プラス楽曲とその長さの動画により
<私の世界>を発表したいー

そう思っています。



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Yeah, I'm a Japanese singer

https://www.youtube.com/watch?v=1uInGLIQW1k&list=RDMM1uInGLIQW1k&start_radio=1

私の歌がHenri君のチャンネルにまだあって、
どなたかが私は「a pure Japanese」なのかと問うていらっしゃる。

ええ、「純粋」という意味に拘らなければ、
私の先祖は何代遡っても「日本人」という以外ない人たちです。
英語がnaturalでAmericanかBritishかと思っておられたようで、
英語の学徒としてはありがたい誉め言葉です。

私が英語で歌うのは、できうる限りlanguage barrierを超えたいからですが、
なにしろBeatlesの洗礼を5歳で受けて、
「洋楽」漬けになった日本人としては、まさにnaturalなことでした。

反核、平和、戦争反対、基本的人権を抑圧する者たちに抗うことー

これからも英語で歌っていきます。

でも、一番歌いたいのは、平和な日々における詩的生活からの歌です。


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2020 晩秋の夕暮れ随想

東京は4時を過ぎてもう夜の帳が半分以上降りた感じ。
久々の雨ながら、量はまさに「お湿り」程度。

冬至まであと3週間ですか。
いやはや、疾い、時の流れ。

なにしろもう秋も終わりですね、立冬がもうすぐだ。
秋を満喫することが一度もできていない。
せめて生田緑地の紅葉でも観てみたいなあ。
週末、晴れてくれるかな。

*

昨日CATVで洋画専門チャンネルをつけてみると、トルコの映画が。
やはりと言うべきか戦争物で、いかにトルコ軍兵士が対立する勢力の兵士に比べ
高い倫理観を持ち、正義のために戦っているかというプロパガンダ映画とも
言うべき自国礼賛のオンパレードでした。

監督はそれでも殺し合いの空しさについても強調していた。
「それでも」と言うのは、きっと国策的な内容にするのはトルコの映画監督として
しかたがないと思いつつ、ということです。
なんと戦争は愚かなことなのだろうー
それが一番監督が表現したかったことには違いないのです。

「エール」でしたっけ、古関裕而さんがモデルのNHK朝のドラマ。
古関さんが戦意高揚の楽曲を<書かされた>ところも扱ったようですが、
我が亡き父は、同じ郷土(=福島)の大作曲家として尊敬はしつつも、
「いくら戦時中逆らえないとしても、体制翼賛した罪は免れない」と言っていました。

古関さんがどう思って国策に沿っていたのかについては誰も分からない。
彼がこう言った、こう懺悔したと1次や2次の情報はあっても、
古関さんの本当の胸の内は自身にとっても当時よく分からなかった、
あるいは戦後になってなら、分からなくなっていたのではないでしょうか。

それでもー

周りが少なくとも日本の勝利のため本当に命を懸けて戦っている中で、
ふらふらした曲など書けるものかー
戦争をしている以上、勝つために、国を同胞を愛する作曲家ができることは音楽で
兵士や国民を励ますことだー

そう思ったのは間違いないのではないかと私は考えます。

それが過ちであったのかどうか。
戦争反対を貫いて牢獄に入ったり、獄死したりした人だけが正しかったのか。


私が古関さんの立場だったら、どうだったでしょう。
私は高度経済成長の中育ち、Beatlesに<うつつを抜かし>生きてきました。
そんなミュージシャンですから、戦意高揚の曲を書けと言われたとしても
拒否する勇気はあるつもりです。

しかし、家族などを人質に取られたら、どうにもできない。

自分の曲や詩に、精一杯の<普遍的な何か>を込めて、できうる限り為政者に阿る
部分を薄めようと努力するでしょう。

家族への愛、郷土の自然への愛、
特に同胞が殺され報復したものの己を襲う虚無感ー

そういうことをきっと歌うのでしょう。



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2020 師走朔日述懐

師走に入ってしまいましたね。

Covid-19の感染拡大は相当深刻になっており、アメリカや欧州などもそうである以上、
一概に現政府や各自治体を責めることはできないのかもしれないけれども、
「GO TO」とかという経済浮揚策でアクセル全開を許しておいて、
一方でブレーキはあなたの判断で踏んでくださいね、事故起こってもあなたのせいですよ、
というようなありさまを批判できないはずがないと思うのですが。

経済のことを考えるからこその徹底的なウイルス押さえ込みの政策を集中して行っていた
ほうが結局economicalだったというようなことになってはいないのか。

*

新たな録音は、新しいMacBookを買うまではやはりペンディングです。
録音中モニターができないというのは辛すぎる。
自分へのXmasプレゼントだな。
貯金、貯金です。

*

150人ほどの方がこの頃の既存音源を聴きにきてくださっています。
ありがとうございます。
この150〜200あたりで減りも増えもしません。
YouTubeで動画をつけてやればもっと多くの方に聴かれるのでしょうが、
そうしたvisual面のアシスタントや協力者がいません。
なにより、私があまりそういうことに今は興味がないのです。

でも、おそらくそのvisualも含めてのYouTube発信をいつかは始めます。
むろんその「絵」は私の歌が生まれたところの映像となるでしょう。
多摩川や野川周辺はもとより、都心(漱石テリトリー)、
九十九里や會津の田舎にもロケに行くことになりましょう。

なにしろ写真も大好きですからね。
それを動画にする。

「いつか」は決してこないー
はCCRの歌のタイトルですけれども、この意欲は本当です。



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