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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その13

ハイドレインジャ
〜第2部その13

「ワシに言わせればのうー」

修験者は続けた。

「ユウ殿、お主が自作小説『蹉跌集め』で『佐藤悠奈』という信夫佐藤の末裔としての名を思いついたのも、悠奈が角筈十二社の生まれ育ちであるよう設定したのも、この藤原凛との邂逅が定められていたからじゃ。

それはむろん、お主の祖母殿が霊山生まれだったことがまず大きい。お主の祖母・けさよ殿は、姓は橋本ながら、長くその先祖は福島北部、宮城南部に暮らされており、奥州藤原氏の一党の血ばかりか、宿敵源家一党の血も受け継ぐ人々であった。また、相馬を始めとする平氏一党の血も入っておる。さらにまた、東北に長く土着した蝦夷と言われた人々の血もじゃ。これはお主の祖母殿ばかりの話ではもちろんない。そういう者は今でも多くあの辺りに暮らしておる。」

「んだからさー。」

俺は福島の方言、「その通りだ」を意味する「んだからさー」で相槌を打った。

「お主が『トーホグマン』や『蹉跌』を書いたのは、いや、書かされたのは、お主の中にそれぞれは極々わずかであれ入っておるそうしたご先祖たちの血が騒いだからだ。かつては敵対し、殺し合った者たちであっても、いつかは、意識的であれ無意識的であれ融和し、現在、今、野澤熊という人間が2の何十乗の命の息吹を受け継いでいる、存在している事実をお主に書いて欲しかったからじゃ。」

「はい。それがテーマでして、何度も繰り返しています。しつこいくらい。これからも言います。人類はみな兄弟、一日一善!」

「おいおい。」

修験者は呆れて錫杖で俺を突くまねをした。

「失礼。つまりですね、今民族の違い、宗教宗派の違いなどで憎しみ合い殺し合っていることの愚かさを訴え、どう世界の平和をそういう憎悪の中に生きる人々が目覚め、志すように、少しでも歌で貢献できるかを私は探っているのです、努力しているのです!」

「その意気やよし。それゆえユウ殿、お主には多くの<エネルギーの揺らぎ>が手助けしようとこの世に出てきているのじゃ。<エネルギーの揺らぎ>たちは、この世の真相を<外から見て>知っておるからな。

さて、ワシは牛頭坊青嵐(ごずぼうせいらん)と名乗った室町期の修験者、山伏じゃ。
牛頭とは、牛頭天王のこと、この<神仏>を厚く敬うがゆえ、不遜にも名をいただいたのだ。今の世では、牛頭様が疫病を退散させる神仏として特に祇園社、京都では八坂神社が厚くお祀りされておる。むろん熊野信仰でもな。

祇園精舎を守る牛頭様は素戔嗚命(スサノオノミコト)と一体なのじゃ。これこそが神仏習合、本地垂迹の典型じゃ。この神仏習合、本地垂迹が最も<進んだ>例と言っていいのが熊野信仰なんじゃよ。」

「そうですね。」

俺は応えた。

「他の大きな神社、例えば伊勢神宮や出雲大社、諏訪大社などとは大きく違っていますね。ただし、八幡神社や大山祇神社も仏教とかなり結びつきました。『八幡大菩薩』で有名ながら八幡神は措くとしても、熊野様、大山祇様はいずれも強く山岳信仰とも結びついていますね。

この列島古来の古い宗教、あの世とこの世が意識の中で強く結びついている宗教形態というのがあって、それがインド由来の宗教と合体していくのが神仏習合、本地垂迹と言っていいでしょうか。

外形的、枝葉末節的には異なっていても、本質的な共通点で互いを包摂していくー

それって、今の人類史的課題でもほとんど人類生存のため欠くべからざるプロセスではないでしょうか。」

「うむ!」

牛頭坊は我が意を得たりと大きく頷いた。

「私、思い出すんですー」

凛が声を上げた。

「己の尾を咥える蛇、ウロボロス。世界中でその意匠が用いられています。それが何を意味するかはさまざま解釈がありますけれど、私はまず永遠性だと思います。この世に始めも終わりもない、と。そしてー

<Extremes meet、両極端は一致する>、も。

そしてニールス・ボーアが易の思想から全世界へ発信した、量子力学上の真理でもある、

CONTRARIA SUNT COMPLEMENTA
相対立するものは補完的である、ということ。」

牛頭坊は膝頭を打って、

「さすがは角筈十二社の凛どのじゃ!」

と叫んだ。

「ワシは鈴木九郎の金山のことも知っておった。

九郎の金山も、元々は山々を駆け巡る修験者が見つけたものだったのよ。九郎は源義経に従った熊野神社神官・藤白鈴木氏の一族亀井重清ら紀州出身者からの情報も得て、馬の売買で稼いだ金を元手に奥州の金鉱山開発をしたわけじゃ。また、奥州藤原氏を支えた金鉱山の情報も持ち、奥州合戦後、その利権を秘密裏に手にした。ワシはその秘密を守り、殺されずに済んだから、九郎の一人娘小笹の話も聞いた。聞いたどころか、角筈のその大蛇の池にも行き、祈祷をした。

小笹殿はのう、蛇の化身となってはいたが、父九郎が熊野様のご加護を恃みにしつつ、自らの非を悔いて建てた成願寺で僧となったときに、<エネルギーの揺らぎ>となって父と交信したのじゃ。

求め過ぎた物質世界での快楽をよくよく見つめ直し、本当の幸せとは何かを小笹殿に教えられたのじゃ。物をいくら持とうが、それは幻想じゃ。物はエネルギーじゃ、E=mc^2じゃ。しかしそれが持ち主の心の、意識のエネルギーには到底ならん。だいたい、物を所有するとはいかなることじゃ?人間が持てる物は、己の肉体と、それを維持してくれる食物と水と空気だけじゃ。それすらも、持っていると言うよりも、<いただいている>のじゃろうが!

このまま行けば、その食物と水、空気を汚し、食べられなくなるような、飲めなくなるような、また吸えなくなるような今の人類的な所業を直ちにやめねばならない。ウロボロスの意匠は、凛殿の仰せの通り、永遠性、両極端の一致、そして対立するもの同士の相補性を表すとワシも思う。そしてネガティヴには、今の人類状況、すなわち、自縄自縛すら意味しているのではないか。」

「牛頭坊さま!」

凛も俺もこの修験者の名を叫んだ。

「お教え、ありがとうございます!」

「おお、凛殿、ユウ殿。<エネルギーの揺らぎ>たちはそなたらの藝術的営為を応援しておるぞ。」

「ありがとうございます!」

俺たちは合掌し、泣きながら、感謝の言葉を何度も何度も牛頭坊に捧げた。

「最後にー」

牛頭坊は言った。

「熊野神社は、むろん規模の大小はありながらも、この福島県に一番多くあるのじゃぞ。次には千葉県じゃな。」

「そうなんですか。」

「ああ。信州の村畠という御仁に会っていたよな?」

「ええ。ついさっきまでと言ってもいいほどですが。」

「村畠の出生地は、富山県上新川郡熊野村じゃぞ。(これ本当)」

俺たちが呆然とする中、牛頭坊はあの世へ去っていった。

そして俺は凛に言ったんだー

「Hannah Lynn、君は俺が『トーホグマン』で創作した、小笹の子、<ささゑ>なんじゃないか。」


(つづく)




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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その12

ハイドレインジャ
〜第2部その12

「この話、きっと小説の第2部その12で、十二社(じゅうにそう)のことを書くことになるわ。ユウは狙ったの!?」

凛がまたもやメタなことを言った。

「劇中劇、作中作、入れ子構造、枠物語・・・you name itだけど、偶然だよ、今回は。」

俺は、この実験小説のしっちゃかめっちゃかさには、『トーホグマン』や『蹉跌集め』以来<慣れている>。

「『蹉跌』では主人公の佐藤ナントカちゃんが新宿区の十二社、熊野神社近辺の生まれ育ちの設定だったわよね。」

「ああ、佐藤悠奈な。」

「なんでそこ、角筈十二社熊野神社に拘るの、ユウは。」

「おいおい、おいらの名前は熊野神社の熊からのものだよ。それを忘れてもらっちゃあ困る。東京でね、しかも俺も住んだことがある新宿区に熊野神社があったら、それはもう興味湧くわな。」

「ふ〜ん。誰かそこにゆかりの人がいるからではなくて?」

「あんとき、つまり『トーホグマン』でも『蹉跌』でも書いたけれど、この新宿十二社の熊野様は室町期の紀州出身の鈴木九郎が創建したと言われていて、その鈴木家は熊野神社神官家であり、九郎も神官になれたんだね。」

「あら、話の筋を変えてる?」

「九郎はしかしどういう事情か、まあ、九郎だからあまりに世継ぎの可能性がなかったからか、伊藤伊勢さんが隣国伊勢=三重県からここ會津に来たように、西国紀州から当時の武蔵国多摩郡中野邑へ移ってきて、いろんな商売はするが、何より東北で金を探り当てたことで『中野長者』となったんだ。恐ろしいのは、そのまさに東北岩手の金城湯池の存在を他に知られまいと関係者を彼が次々殺していったことだ。その深い罪から娘小笹が大蛇になってしまう。」

「ええ。その辺り読んだわ。とっても因業深い話ね・・・って、話がズレてるわよ。
でもまあ、許すわ。『トーホグマン』のこのくだり、再掲するべき、とても興味深い話よね。再掲するわね〜。」

***

「蛇は縁結びに関わるのでしょうか。大国主命は出雲で縁結びの神ですよね。
大国主は『元伊勢』の大神(みわ)神社では大物主と呼ばれます。
大国主の『幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)』が大物主だと。
大神神社のご神体は三輪山そのものなのですが、『みわ』の『み』は『巳』、
つまり蛇のことでしょうね。『三輪』という漢字に意味は見出しにくい。
どうしてもと云うなら、蛇が三重のとぐろを巻いているということでしょうか。
私の勝手な言い分に過ぎませんが、『巳輪』と書けば分かりやすい。
なにしろ蛇の神聖さは縄文以来この列島に住む者たちに認められてきたようです。
蛇は古語で『カカ』とも言い、お正月の鏡(カカみ)餅が蛇のとぐろを巻いた姿を模したものというのはよく知られていますよね。」

「よくは知られておらんじゃろ。」

金爺が顳(こめ)かみに少し汗を滲ませて言った。
一彦は該博な知識を披露し続けた。

「縁結びの神大国主の出雲大社では注連(しめ)縄の結び方が『左本右末』で、
左から綯(な)うんですよね。
綯われる二本の縄はそれぞれ男女で、男は火、女は水だとか。
全国の神社でこの出雲大社と同じ綯い方をするのはたった一割だそうです。
その中に熊野大社、愛媛の大三島町に在る大山祇神社、
そして大物主を祀る三輪山の大神神社が入るそうですよ!」

「すばらしい!」

九郎は叫んだ。

「なるほどあなたを秀郷様がトーホグマンに推挙されるはずだ。」

「いやあ!」

金爺が照れた。

「お前を褒めたんじゃないぞ。」

フンジジが金爺にツッコんだ。
一彦は無視して続けた。

「この注連縄というのは古事記の天の岩戸のところで記される『尻久米縄
(しりくめなわ)』から来たと言われていますが、
これは『尻組み』ということではないでしょうか。
吉野裕子という人の説を読んだことがあるんですが、伊勢志摩では、
トンボの交尾を正に『シリクミ』と言うらしいのです。」

「ほ〜う!」

一同はただただ聴き入って、嘆声を上げるだけだった。

「この吉野さんは、注連縄の意匠は蛇の交尾の姿だと言うんです。
蛇は世界中で神秘の生き物として、神格化さえされている地域も多い。
さっきも言いましたが、この列島でも、縄文土器には蛇のデザインが夥しく
見られますよね。妖しく、強く、そして脱皮することから、再生、蘇りを象徴する。」

***

「再掲終わり〜。」

「うん、我ながら面白いこと書いてたね。鏡餅のところ、ちょっと加筆してあるけど。」

「で、その小笹さんの娘・ささゑさんや佐藤悠奈さんて、誰がモデル?」

「まあ、まあ、熊野神社つながりの俺の空想ってことだから。」

「私、こだわらざるを得ないのよ。」

「え?」

「私、祖母が新宿にいたって言ったでしょう?」

「ああ、第1部その3でそう言っているね・・・ま、まさか!」

「そう、その母方の祖母は、自分の家を『角筈の家』って言っていたわ。私はおばあちゃんを『十二社のおばあちゃん』て言っていたの。今の西新宿二丁目辺り。西新宿は旧名角筈や淀橋だった。おばあちゃんね、女性の形容にはちょっと不適切かもだけれど、<いなせ>な人だったわ。母もその気質を受け継いでね、父が亡くなって1周忌を過ぎたらさっさと英国人と再婚したし。決断が早いって言うか。」

「そのおばあさま、お名前は?」

「鈴木月(ルーナ)。『月』と書いて『ルーナ』。親が、つまり曽祖父母が<ハイカラ>な人だったのね。」

「鈴木っ?そしてルーナ、月って・・・12回満ち欠けして一年じゃないか。できすぎ・・・。」

「そう。祖母は親から12は神秘的な数だってよく聞かされていたらしいわ。」

俺は呆然唖然としていたー
必死に意味を知ろうとしつつ。

するとー

「ユウとやら、お前の祖母殿が仰られた、霊山の修験者はワシであるぞ。」

またもやお社の扉が歪み、凹み、また前へせり出た。
もうこれ以上ないという修験者の格好の老人が出てきた。

「予言通りになったのう。しかしまさかEvil Womanの歌がきっかけになるとは。」

「いいえ!」

凛がすぐに反論した。

「ユウの、私の故郷成城の丘を愛でる歌がきっかけでした。」

「おお、すまぬ、すまぬ。」

修験者は謝った。

「のう、凄まじき時代ではないか、のう、ユウ殿、凛殿。」

「はい?」

「我らの時代では考えられぬことよ。我らの時代なら、自分が作った歌は近隣の者にしか聴かせられなかった。念力でも使える者なら、遠くの者にも伝えられたかも知れぬがのう。そんな力を持つ者はほとんどおらん。つまりインターネットは、昔の超能力者しかできなかったことを誰もができる世にしたのじゃな。」

「はい。その代わり、全くレコードやCDなどが売れなくなり、著作権がめちゃくちゃになって、一部例外を除いてミュージシャンたちは没落しましたが。」

「まあ、そう言うな。インターネットのおかげでお主は凛に会えたではないか。」

「はあ・・・。」

俺は訝りの声を発した。

「そのこと、つまりインターネットのこと込みで修験者様は私と凛の邂逅を予言されたのですか。」

「インターネットも念じゃから。人の念も、インターネットの信号も電磁波じゃからのう。同じことじゃ。インターネットがなくても、まあ、遅い早いはあってもじゃ、お主と凛はきっとつながった。注連縄のようにな。どうじゃ?」

凛が赤面した。


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その11

ハイドレインジャ
〜第2部その11

熊野神社の鳥居へは、祖父母の墓から百歩ほどだ。

この熊野様は1522年、大永二年壬午三月遷座と言われる。N町草創期の「六人衆」という人々が創建に関わったと言われ、その六人の中、伊藤伊勢、松原但馬という名前があって、もちろん伊勢守(いせのかみ)や但馬守(たじまのかみ)であるはずはなく、おそらく己の出身地、ないしは先祖の出身地を表しているのだと思われる。伊勢はむろん現在の三重県であり、但馬は兵庫県である。

さらに文禄二年(1593年)にN町(当時は村)で検地が行われ、豊臣秀次の政権下、戸田美作、蒲生十郎右衛門、さらに佐治主膳の三名が主に担当したという。「美作(みまさか)」は岡山県の一部、「蒲生」は既述近江国(滋賀県)日野町出身の會津太守蒲生氏郷と同姓、さらに「佐治」という姓も近江国甲賀が発祥なのだ。

上で固有名詞を挙げた人々はつまり皆「西国」の出身であると言っていいだろう。俺はうろ覚えではあったが、鳥居の手前で上記のことを大体のところで凛に話した。

「だからユウの田舎、つまりこのN町ではお葬式に西国三十三所御詠歌を歌うのね。」

「いや、正確にはN町の原町という地区だけなんだ。ここのことだけれど。」

「え?じゃあ、他の地区は?」

「旧越後街道、今の国道49号線でN町の東からここに入ってきたけれど、最初の町並みは本町と言って、諏訪神社が鎮守なんだ。ただし表記は諏方、<訪>れるではなくて方向の<方>なんだけど。原町は本町から西進、大きなクランクを通過してから始まる町で、ここに江戸時代代官所などが在ったから、長くN町の中心だった。そうなったのも、原町の六人衆が室町時代に町を整備し、他地区よりも先進的で豊かな町にしていったからかもしれないね。その一環で、この熊野神社を勧請したんだね。」

「『本町』なんだから、そちらが最初の集落だったんじゃないの?」

「うん、そう考えられるだろうね。だから後発の原町は、西国からのいわば移民が造った町と言えるかもしれないね。本町は大昔からの土着の人たちが造ったということかな。もちろん勝手な想像だけれど。」

「諏方神社はもちろん信州長野の神社で、比較的會津に近いと言えば近いけれど、熊野神社は紀州だからはっきり西日本、あるいは西国よね。東北地方には源義家など源家の影響で八幡神社が多いって聞いたけれど、熊野神社も多いの?」

「多いとまでは言えないだろうね。ただ、會津にはこの熊野様より規模が遥かに大きいのが南会津町と喜多方に在る。特に喜多方・慶徳の新宮熊野神社は有名で、『長床』は国の重文だよ。」

「それはやっぱり原町と同じで、會津各所に熊野信仰をする西国の人々が流入してきたってこと?」

「そういうふうに言っていいんじゃないかな。まあ、鎌倉や室町時代って、国内で侍たちの移動が盛んだったから、全国的に西の者が東へ、東の者が西へっていうの、普通だったでしょ。いつもその例で俺がいつも真っ先に思い出すのは、戦国時代西国の雄で、幕末は討幕運動の最ラディカルな藩の藩主だった毛利家は、元々相模国、つまり神奈川が本貫だったしね。」

「これ、私たちのこの旅も、ブログ小説になるんでしょ。この部分不興を買うんじゃない。なんだか歴史講釈ばっかりで、しかも独断が多いし。」

俺は高笑いした。

「所詮娯楽よ、所詮気晴らしよ。」


そのとき、声がした。

「おいおい、娯楽や気晴らしで我々のことを語ってもらっては困るな。」

俺と凛は<貫入場所>を目をキョロキョロさせて探った。
やはりお社の内部からだ。鳥居前で一礼し、歩みを進めた。

「野澤熊と申します。」

俺は名乗って、

「お話を伺いたいと存じます。」

「おお、お主は郷土史家だった野澤一(はじめ)さんの息子殿じゃの。末子(ばっし)か?」

「いえ、三男、下から二番目です。」

「そうか。お主だけじゃのう、兄弟でここの歴史を詳しく知ろうとする者は。」

「はい。一番父親の形質を色濃く受け継いだようで。あなた様は?」

「伊藤伊勢じゃよ。さっきワシの名を挙げておったろう。」

「はい。お会いできて光栄です。」

「うむ。今は声だけじゃが、姿も見せようかいな。」

お社の扉とその下の賽銭箱の辺りの空間がグニャリと凹んだと思ったら、その窪みから室町期の装束の老人が現れた。

「元々伊藤という姓は、伊勢藤原氏ということであって、ワシの場合、ご丁寧に<伊勢藤原の伊勢>と名乗ったのじゃから、なかなかの念の入れようじゃ。それほどに伊勢の生まれであることを誇っておったのじゃ。」

「なにゆえ會津に来られたのですか。」

「先ほどお主、喜多方・慶徳の新宮熊野神社のこと、そして源義家公のことを言うておったな。」

「はい。」

「あの熊野様は義家様のお父上頼義様が建てられたのじゃぞ。」

「ああ、後三年の役でですか。」

「前九年じゃ。」

「そ、そうでした。」

「しっかりなされ。でな、身共はな、北畠親房様が伊勢国司となられ、さらにそのご長男顕家様が伊勢守になられた。後に顕家様が南朝で右大臣や陸奥大介鎮守府大将軍になられて陸奥国との縁ができたのじゃが、そのときについて行ったのがワシの先祖でな。

お主は先ほど祖母殿と話しておったな。」

「はい。お聞きになっておられましたか。」

「ああ、聞こえるんじゃ。あんまり近いでなあ。」

「はい。」

「祖母殿は霊山の生まれと仰せだったが、そこは南北朝の争いの時も堅固な要塞として使われたのじゃぞ。ワシの先祖もそこで戦った。」

「まさか、その時私の祖母の先祖とー」

「それはどうじゃろうな。調べてもいいが。」

「は、結構です。」

「そしてお主の祖母殿が霊山から會津に来たように、ワシも北畠の領地から會津に来たのじゃ。」

「なるほど。」

「・・・西国三十三所御詠歌のことじゃろ?」

「はい。」

「お主の推測通りじゃ。原町は土着の方々よりは我ら西国出身者の方が多かった・・・と言うよりは発言権が大きかったと言えるなあ。我々西国出身者の慣例が原町の慣例になっていったのじゃよ。

しかしなあ、野澤殿。それを知ってどうブログ小説の<おもしろみ>にするんじゃ?」

俺は「なんでもお見通しですね」と言って頭をポリポリ掻いた。

「簡単に言いますと、やたら自分はナントカ人、ナントカ県人とかと、あるのかないのか分からないその優秀性を言い募り、国粋主義やそれに類する偏狭で排他主義的なそういう者たちの思想の根拠がいかに薄弱かを訴えたいからここに<取材>に来たのです。」

「ほお。」

「こちらは藤原凛と申しまして、彼女の最初の夫はウェールズ固有の汎神世界の復活を目指すことで多少国粋的な傾向を持ったウェールズ人、あるいは彼ら自称のカムリ人でしたが、実は13世紀にユダヤ人を迫害したドイツ人の遠い先祖も持っていたのでした。ところが何十代か後、彼の父はイングランドのリヴァプールでユダヤ人とその出自を知らず結婚、自分はその二人の間の息子だったのです。その結婚は破綻したのですが。

同じようなことがどこの国の、どんな人の祖先にも、そしてその人そのものにも起きたこと、起きていることだと思うんです。

日本の国粋主義者はまずは異様なほどに朝鮮・韓国や中国を忌み嫌います。彼らと日本人が違うのは、縄文人というこの列島固有の人々の血が入っていることなのだ、などと珍説を披露します。まるで大陸や半島からやってきた弥生人や古墳時代人などいなかったかのように、都合のいいところだけつまみ食い、論議する価値もないことを滔々と述べるのです。

原町の人々は、伊藤様のように西国から来られ、以来5百年以上、この町では伊藤姓の人は多く、ここで血を繋げられて、まごうことなき會津人となっておられる。

同じ図式で、山口県を地元とする安倍晋三氏は、討幕功績随一、明治維新を断行した長州藩を生前誇っておられましたが、それこそ前九年の役で滅ぼされた安倍氏の末裔、元々はチャキチャキの蝦夷と呼ばれた陸奥人ではないですか。その人が福島の原発で津波により全電源喪失などありえないと国会で言い切って、必要な措置を講じぬまま2011年3月を迎えてしまった。陸奥の一部を壊滅させてしまったんです。もちろん彼一人の責任とは言いませんがね。

結局、人類ひとり一人が繋がっているんです。いわゆる人種を問わない。だって、昨日だったか、凛のご先祖である奥州藤原氏時代の36代前まで遡ると、なんとそれまでに687億を超えるご先祖がいたことになってしまうんです。その687億人が一人ひとり違う人間だったなんてことはありえない。

つまり、ご先祖は重複しまくるんです。

そのことを、その事実を、本当にみながしっかり認識すれば、人類世界が少しでも違ってくるんじゃないかって。」

「なるほどのぅ。」

伊藤伊勢はクルリと身を翻し、御神体へと向き直り、

「野澤一の三男熊、かように申しておりまする。どうぞ熊野大権現、十二神のご加護頂けますように!」

と念じて、「さらば」と消えていった。

「十二神。」

凛がつぶやいた。

「ああ、そうよ!」


(つづく)




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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その10

ハイドレインジャ
〜第2部その10

「おじんちゃ、おばんちゃ、<ここでは>お久しぶりです。」

俺は墓前にてもちろん會津弁で挨拶した。元々中通り出身の二人だが、生前は完璧な會津弁話者であった。

「隣は藤原ハナ・リン、フィアンセだよ、許嫁。」

「初めまして。凛です。少し緊張しております。」

凛はそう言って、墓に生えている草を毟り始めた。俺も手桶に水を汲み、花入れをきれいにし、凛を手伝った。凛が真剣に掃除する姿を主に後ろから見ていて、抱きしめたくなった。

墓石に水をてっぺんから注ぎ、花を生け、線香を供え、二人で合掌、祈りを捧げるー
「貫入」はスムーズだった。

黒御影の墓石に祖父と祖母の50歳代時くらいの面影が白く映った。

「ああ。俺の方が歳とっちゃったよ、おじんちゃ、おばんちゃ。」

俺は自嘲した。

「ユウぼ(坊)、なんだってまだきれいな人連っち来たなあ。」

祖父の声だ。

「ほんとにナイ(本当ですね)。」

祖母の声だ。

「何人目だ。」

俺は祖父のこの言葉に仰天する。

「おじんちゃ、よげ(余計)なごど言わねでくなんしょ(言わないでください)!」

凛は吹き出した。

「いいのよ、ユウ。お互い二十代や三十代じゃないんだから。」

「ま、まあね。」

俺は額打(ひたいぶ)った。會津の当惑や悔恨の仕草である。

「おめ、父ちゃんと母ちゃんのお墓(はが)にはもう行ったの?」

祖母が訊く。

「まずこご(ここ)さ来たのよ。大敬意を払って。」

「なーに、長岡(ながおが)藩士ん所(とご)がらまっすぐ来ただびやい(来たのだろう)。おめの父ちゃん母ちゃん、一郎(長兄のこと)の墓(はが)はちょっと逸れっからな。」

「お見通しで。おじんちゃ。」

父は野澤家の長男だったが、実家は三男が継いだので、同じ常泉寺内ではあるが墓所が異なるのだ。

「でもまあ、いいワイ。うれしいワイ。なあ、けさよ。」

「そうだナイ。お父ちゃんとおんなじで、お盛んなごどだワイな、ユウぼ。」

その瞬間祖父の影が消えた。

「もう此処(こご)はいいがら、おめのふた親んとごさ行ぎっせ(行きなさい)。おじんちゃど私(わだし)はどんなごどあってもユウぼを見守ってっから。」

俺はふるさとの言葉のなんともやさしい響きがする祖母の愛情表現に嗚咽しそうになった。

「いい香りの線香だ。花もありがどナイ。凛さん、ユウぼをよろしぐナイ。」

凛も涙を流す。

「あ、ユウぼ!」

祖父の顔がまた墓石に浮かび上がった。

「その藤原さん、平泉の藤原が(か=or)福島(ふぐしま)の信夫佐藤の人でねぇが?」

「平泉らしいよ。近江からの鋳物師の血も入ってるって。」

「ほうが(そうか)。」

「信夫佐藤の修験者の血も入ってんナイ。」

祖母が言った。

「福島市に信夫山があっぴした(あるでしょう)。あすぐ(あそこ)は熊野様、羽黒様、月山様、湯殿様どが(とか)をまづ(祀)ってる所(とご)でナイ、おおむがし(大昔)っから奥州藤原の人だぢが尊崇してんのよ。

俺(福島では女性も一人称の代名詞で使う)が冥土に来てがら、まごど(誠)に立派な修験者様ど故郷の霊山の話をしたごどがあってナイ、『私のおびただしい数の後裔の中で、私の霊力を実に見事に受け継いでいる女子がいる』って言ってだのナイ。その女子が、俺の孫と知り合うごどになるって言ってだのよシ。凛さん、その女子、あなだじゃないのがナイ(あなたじゃないのでしょうか)。」

「ああああ!」

凛が一瞬卒倒しかけた。
俺は必死に彼女を支えた。

「おばんちゃ、それいづのごど(事)だい。」

俺が訊く。

「ん〜、わがんねなあ。冥土に来てすぐだったが、昨日のごどだったが。なにしろこっちは時間つーのがねぇがらナイ。」

「その修験者さんにも出で来てもらったらいい。」

祖父が言った。

「すぐそばの熊野様にお頼みして。」

「わがった。んじゃまだ来っから。まあ、いづでもどごでも会えるんだげんじょも(けれども)。」

俺と凛は合掌し、祖父母の墓を後にした。


(つづく)




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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その9

ハイドレインジャ
〜第2部その9

「長岡藩士の中田さんとは、なんと俺、17歳の時に出会っているんだ。」

俺は凛と祖父母の眠る墓へと歩み出して言った。

「ええ。知ってるわ。」

凛が応えた。

「大山祇神社の奥の院前にあるお籠もり旅館で勉強合宿していて、翌日合宿終了、下山という夜の就寝時、ユウと一緒だった男子4人全員が目撃した人形(ひとがた)の乳白色の幽霊、それが中田さんだった。」

「その通り。すごい記憶力だなあ。」

「ユウがラップ現象に最初に気づいたんでしょう?」

「そう。そして誰一人慌てず騒がず、『隣の部屋で寝ている女の子たちには言わないでおこう』って言って、そのままぐっすり眠ったんだ。翌朝、これまた不思議なことに、誰一人そんな異常な体験のことを口にすることがなかった。すっかり忘れていたっていうのが真相で、そんとき一緒だった大堀っていう俺の友達も全く忘れていたって。」

「不思議ね。」

「ああ。俺がその怪現象を思い出したのは、2週間くらい経って大堀と一緒にその奥の院のある山が見える原っぱを歩いていたときだったんだ。『そういえば』って言って。大堀も『なんで忘れていたんだろうな』って。そしてその、俺が急にその出来事を思い出した場所は、首塚があったところだった。」

「中田さんと岡村さんは、その場所で斬首されたんでしょう?」

「そう、戊辰戦争時。二人は長岡を追われ、藩の司令官河井継之助と同様、しかし違うルートで友藩會津へ逃れてきたんだが、薩兵に見つかった。その見つかった場所が俺たちが勉強合宿したお籠もり旅館さ。薩兵は山を数時間かけて登って追って来たんだ。大山祇神社は新潟の人々の尊崇集めていたから、山深い奥の院に隠れていれば見つかるまいと思ったんだろうね、中田さんも岡村さんも。」

「ところが、薩兵に見つかった。」

「うん。きっと告げ口した人がいたんだろうね、俺の故郷の、当時の住人の中に。」

「ユウがまるで見て来たように語れるのは?」

「ああ、俺、大堀とその幽霊目撃の体験を思い出して、すぐに郷土史家の父の蔵書を漁ったわけさ。そのことを記述する本があるんじゃないかって。そしたらー。」

「書かれていたんだね。」

「そう。首塚はそこ、そして胴体の方が常泉寺に埋葬されたと。」

「その首塚の存在を知っていたのは、ユウだけだったんでしょう。」

「そうチビの頃からね。おしっこひっかけたこともあった。」

「・・・。」

「それにさ、勉強合宿を引率・監督してくださった高校の担任が日本史の先生で、しかも會津の郷土史が専門だったんだ。」

「それは初めて聞いたわ。」

「うん。ブログには書いていない。でも、きっとそのことも大きいね。中田さんや岡村さんが義に生きて義に死んだ事実を掘り起こしてほしいって。」

「ああ。<掘り>起こしてってHannah Lynnが今言ったけど、その日本史の先生の名が正に<ほり=堀>と言い、俺と一緒に霊を見て、首塚近くでそのことを思い出したときに一緒にいたのが<大堀>で・・・って、あんまし関係ないか。」

「掘り起こす、かあ。農耕では必須の行為。そして歴史学・考古学でも。もちろん地質学や古生物学、さらにもっと多くの学問でも。3次元空間では地面などの下に埋もれたものを地表へ取り出すことだけれど、4次元以上の空間では、貫入することよね。」

「なるほど。4次元以上の空間だと、上下左右なんてないだろうしね。」

「ユウと私は、他者の貫入を感知できる。そしてもしかすると私たちが貫入でき、何かを掘り出せるかもしれないわ。」

「おお。Hannah Lynnが積極的に俺たちの物語を『トーホグマン』チックにしていくね!」

俺たちは大笑いした。
そのとき俺たちはもうとっくに我がN町野澤家初代夫婦が眠る墓の前に立っていた。

(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その8

ハイドレインジャ
〜第2部その8

さて我が故郷Nに着いた。
俺はまずどこに行くべきか悩んだ。

『トーホグマン』で俺は、我が家の菩提寺曹洞宗常泉寺にある戊辰戦争時に新政府軍に討たれた長岡藩士二人の墓、そしてさらに今度は會津軍に討たれた薩摩藩士一人の墓のことを書いた。なんとその墓は隣り合わせで建立されているのだ。その時代の我が郷土の人々の想いが偲ばれる。

その墓から北へ数十メートル行くと、俺の本家の墓がある。熊野神社はそこから西へ数十歩というような近さにある。

Nにおける我が野澤一族の祖は俺の祖父で平喜(へいき)であり、元々は中通り(福島県中央部)二本松市の出身だ。だから、このNという地における家族としての歴史はあまりにも浅い。また平喜の妻けさよも中通り、福島市の東、南北朝時代南朝の雄・北畠顕家の拠点となった霊山町(今は伊達市)の出身なのだ。

「まあ、まずはN町野澤家初代の墓に行くか、やはり。」

俺がそう言うと、凛は黙って頷いた。

常泉寺の境内に入ると、左手に地蔵堂があってその右脇に俺の父親による長岡藩士と薩摩藩士の墓の解説掲示板がある。凛はそれを読み、「ユウのブログにもこの掲示板のことが書いてあったわね」と言った。

本堂を正面に見て、建物の左脇を進む。野澤家墓所へ行くには、必ずその長岡藩士と薩摩藩士の墓を通る。その墓所に至って、俺は會津坂下のスーパーで買った花束から数本抜き出し、墓石に載せ、線香を凛と一緒に供えた。凛はしゃがみ込み、頭を深く垂れて合掌した。

「感じる?」

凛がまだ合掌をしたまま、目を閉じながら、つぶやくように俺に言った。

「貫入かい?」

「ええ。」

「俺は、そう言われりゃあ・・・。」

「私、感じるのよ。感じない?」

「貫入 feel it?ってガッ。」

「ふざけないでよぉ。」

「ごめん。」

なにしろ墓石はそのまま<憑代(よりしろ)>だ。時空が曲がり、他次元が貫入する。

「ユウ殿、お久しぶりでござる。」

「ユウどん、お久しぶりでごわす。」

「おお、長岡藩士の中田良平さん、岡村半四郎さん。そして薩摩藩士の吉田清次さん!お久しぶりです。お姿は見えませんが、感度良好。」

「なじらね。(=How are you doing? 新潟弁)」

「さしかぶい。(=It's been a long time. 薩摩弁)」

「はい、あの、こうしておがげさんで元気にしてっからシ。(會津弁)」

「そーなん。」

「じゃっか。」

「今回は姉サ連れて来たんかねぇ。」

「美しかおなごじゃッ。」

俺は凛を紹介し、今回の帰郷の目的は、Nの鎮守の熊野様にお参りし、さらに農耕の体験をして、できれば休耕地などを利用し、農園や田んぼをきりもりできるか探ることだと話した。

「田んぼ耕すってよいでねスケ(容易ではないよ)。」

「あたがたはこけ住んちゅうとな(あなた方はここに住むのですか)。」

俺と凛は互いを見交わした。

「私、その覚悟はあるんです。」

凛が決然と言い、俺は驚いた。

「ユウが、あそこの熊野様へ初詣でしたいって毎年言うんです。この人のブログを読むと、毎年大晦日に田舎の神社に詣でたい、雪の参道をサクサク歩き、お燈明の光が雪にやさしく、あたたかく反射するあの光景を見たいって書いているんですよ。私、ここに暮らしてもいいんです。いいえ、暮らしたい。」

「ユウさんとなら、かね。」

「ええ。」

「そんた剛気なことやなあ。惚るっど!
じゃっどん、あたは東京んしやろう(あなたは東京の人だろう)。こげん田舎に暮らすっと?」

「はい、問題なか、です。」

霊たちの歓声が響く。
ただし聞こえているのは凛と俺だけだ。

俺は凛がそこまでの覚悟を持っているとは思っていなかった。
知り合ってようやく2週間が経つかというところ、少し恐ろしくなるほどの濃密な時間、そして展開の速さ。

「熊野様に聞いてみるとよか。」

「では我々は帰るすけね。」

「じゃ、さらば。」


時空の屈曲、他次元の貫入は終わった。

「奥羽越列藩同盟軍の兵士も新政府軍の兵士も今や仲良しなのね。」

凛が再び墓に向かって合掌する。

「ああ。そうだね。仏様と神様に挟まれて150年ほど眠っていれば、いかな仇敵同士であっても仲良くなるよね。」

「ほんなごつそん通り。」

「おい、Hannah Lynn、またぁ薩摩弁かよぉ!」

凛はアハハと笑って、恥ずかしそうな表情を見せて、俺の腕の中に跳び込んできた。
それはそうだ。俺にプロポーズしたのだから。


(つづく)



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There're at least 2 readers of my novel HYDRANGEA

昨日New Yorkのphotographerでchiropractor、
またentrepreneurでもある「やす」さんから、『ハイドレインジャ』をおもしろく
読んでいるとのLINEメールが。

やれウデ(→れ)しや。( ; ; )

これでMooさんとやすさん、2人読者がいることが確定。


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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その7

ハイドレインジャ
〜第2部その7

運転は凛が交代してくれた。
磐越道を西進し、會津盆地の眺めを見ながら俺はCarpentersを歌った。

高校生のとき、この辺りで長兄の運転するクルマの中でCarpentersの「ベスト」をカーステレオでよく聴いた思い出がある。その長兄ももはやこの世におらず、ひたすら懐かしくGood-bye To Loveを歌った。

凛は、「Karenは低い声も出る女性vocalistで、ユウは高い声域がカバーできる男性vocalist。この曲を歌えるって男女ともに難しいことなのに、すごいね」と褒めてくれる。

長兄との思い出を少し語ると、凛もしんみりしてしまった。
Rainy Days And Mondaysがまたメランコリーを増幅させる。

「でもねー」

凛が會津坂下町の塔寺に入る辺りで切り出した。

「私たちの出会いから今まで、なんだかどんどん『トーホグマン』っぽくなってない?」

俺は吊り上げられるように背筋をピンと伸ばした。

「あるいはやはり未完のままの『蹉跌集め』とかも。私たちのストーリーもあなたのブログ小説になるの?地縁や先祖からの因縁とかで霊がいっぱい出てきたり、奇想天外な筋ばっかりで。

私たち、もしかすると近江以来の縁を持っているのかも。それはとても興味深い。でもね、例えば平泉に近江の鋳物師が来たのは900年前。1世代25年として、36世代。2の36乗なんて687億を超えるのよ。(すげ〜!)そんなにたくさん人類がいるはずもないから、ご先祖様が重なっているってことだけれど、いずれにしろ、その36代前のご先祖様の血なんて極限まで薄まってしまっているわ。それでも強い絆が保たれているっていうのはどうなのかしらね。そんなことを言ったら、日本人はみんな天皇家がご先祖様って言えるわよ。さらに人類は一人ひとりみんな血縁だって言えてしまうわ。」

「いやあ、まずは、Hannah Lynnはほんとによく読んでくれてんだねって感心した。」

俺は冷や汗かきかきという体ながらできるだけ平静を装って言った。

「確かにそうさ、たった4代前、100年前から父母までの16人の先祖だって、全員知っている人なんてまずいないよね。立派な家系図を持っている家の人だって、全員知っている、会ったことがあるなんてはずはまずない。6代前の先祖の遺伝子は当代ではすっかり別物に置き換わっているって読んだ記憶がある。

でもね、途方もない数の祖先の誰かの血縁による出現というばかりでなく、この世にもはやいない人との地縁とその人の念の強さも揃えば、彼ら彼女らによる、その地にいるこの世の者への<働きかけ>はあるんじゃないか。もちろん血縁が大きいだろうけれどね、いわゆる霊、あるいは、時空や次元を超えられる『エネルギーの揺らぎ』が、我々今この世で生きる者たちに何かするっていう現象は。でも血縁者ばかりではない。

あの三鷹、井の頭公園脇のDT(Dimension Transcender)は、Hannah Lynnにとって北東北繋がりで先祖共有ってこともあるかもしれないし、とにかく井の頭公園近辺を歩く、DTの好みの若い女性ということも大いに彼を動かし、しかもHannah LynnはDT、すなわち太宰さんの本も持っていたんだしね、そんとき。そりゃあ、penetrations(貫入)を誘発するよ。」

「そうかしら。あの辺り、太宰ファンの若い女性なんていっぱい歩いているかもよ。」

「まあ、それじゃあさっき俺が言った1、2番目の理由が大きいかも。

とにかく俺はね、今回俺がHannah Lynnとつながってから俺たちに起きていることを小説にしたいんだ。さらに、今しているこの体験を基に俺は曲を書いて、仲間たちと録音して、俺の大好きな場所の動画や静止画をバックに小説を朗読し、できた曲を要所に流す朗読モノの作品にするんだ。もちろん主たる場所は野川や狛江を中心にした多摩川、世田谷の砧地域になる。」

凛は「そのアイディアは私のものよ」と心の中でつぶやいていた。

「そう、そうだ!」

俺はさらに興奮して言った。

「Hannah Lynnなら十分そのvideoに被写体として出演できる!」

凛は戸惑いの表情を見せた。

「ユウが私と一緒にいる日々でinspireされて音楽活動をするのは大歓迎、うれしいわよ。でも私がそのvisual作品に出るなんて、それは遠慮するわ。私40過ぎなのよ。」

「そんなの関係ないけれど、もちろん強いることはできない。
でもね、俺がHannah Lynnの歌を、ズバリ君の歌を書けたら、一瞬でもいい、そのvideoに出てくれないか。」

凛はしばらく考え、言ったー

「すばらしい曲だったらね。」

「ああ。きっとそうなる!」

俺は凛に西会津インター前の駐車スペースにクルマを止めように言った。
俺たちはしばらくずっとクルマの中で抱き合っていた。

(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その6

ハイドレインジャ
〜第2部その6

俺の會津の田舎へ安曇野Moore邸から道路上の最短コースで行くのなら、まず県道51号で大町市へと北上し、国道148号で新潟県の糸魚川市へ出て、日本海沿いを北陸自動車道で新潟中央ジャンクションまで行き、磐越道に入り東進、福島県に入る。俺の故郷は県境なので、新潟からはかなり近い。

「Mooreさんからいただいた野菜のことを考えれば、一泊で東京に戻らないとね。」

俺の生まれ故郷N町に入ったときは、夏至前とは云え、さすがに薄暗くなり始めていた。

「ここがユウのふるさとなのね。」

凛がかろうじて見える飯豊連峰を見て、少し感激したように言った。

「あなたと仙川のそばで出くわしたとき、まさか2週間経たずにあなたの故郷を一緒に訪ねていることになるなんてどうして予測できたでしょう!」

「修辞疑問。あるいはLittle did I dream以下の否定語文頭型倒置構文だね。」

俺がそう言うと凛は、

「そうだけれど、私、ほんとに感動してるんだから、混ぜっ返さないで!」

と笑って俺を叱った。

「混ぜっ返してなんかいないよ。レトリックを用いて、ちょいと文学的に語らんといけないような気分だよね、今。俺だってそうさ。

ふるさとの山に向かひて言ふことなし 傍に凛ゐると思へば。」

「それ、ずるい。お得意の俳句をひねってよ!」

「あぢさゐの紫と空境なく、とか。」

「ああ。同じ色になっているってことね。『境なく』なの、『境なし』じゃなくて。」

「言い切っちゃあ、いかんよ、凛さん。それじゃあただの叙述だ。連用形で終わるところに余韻があるっちゅうか、続きを想像させるっちゅうか。」

「なるほどねぇ。習ったの?」

「いや、我師匠一人も持たず候。我流さ、我流。なんでもそう。音楽、歌もね。
ただもちろん<まねび>はあったに決まってるけど。藝術において完全に独自のものなんてこの世にはない。」

「なにしろ、フフ、その俳句気に入ったわ。もう一回言って。」

「あぢさゐの むらさきとそら さかいなく」


故郷の家には嫂が暮らしているが、あまり急の帰郷、宿泊では申し訳がないから、翌日挨拶をしに行くにせよ、泊まりは會津若松の東山温泉ということにした。磐越道で會津若松まで20数分だ。
宿帳には面倒くさいから夫婦ということにした。名前は『野澤ゆう』とした。「熊」とはいつも通り書かない。住所は成城、凛の家のにした。

翌朝朝食をとってすぐに鶴ヶ城へ行った。梅雨真っ只中なのにその日も快晴と言っていいほどのクリアな空で、お城の三の丸の駐車場にクルマを置いて、城郭を散策した。

俺は會津藩が辿った惨い歴史を語り、凛はいたく同情して聴いてくれた。

「新政府軍と一緒に最後まで戦った長岡藩、村上藩、庄内藩、二本松藩、仙台藩に私、ありがとうって言いたいわ。」

凛が言った。

「私、義を重んじる人が好き。幕末の諸情勢の中、各藩、政治勢力の言い分はみんなそれはそれなりに正当性があるでしょう。けれど、會津を始めとした奥羽越列藩同盟の、最後まで裏切らなかった藩、そして新選組の義に打たれない人はいないんじゃないかしら。」

俺はますます凛が愛おしいと思った。それまでももうこれ以上愛おしいと思えないほどだと思っていたけれど。


お城の庭園にある茶屋に入って、一服しているときに、凛がこう言った。

「私の家、藤原はね、奥州藤原氏の末裔らしいの。」

「え?奥州藤原氏?あの頼朝に滅ぼされた?」

「ええ。直系はそのとき絶えたのでしょうけれど、およそ900年前、近江国から鋳物師を奥州藤原氏は招いていたのね。その技術を継承した一族らしいの。その近江人といわば混血した一族ね。」

「へ〜。」

「そういうことからなのか、私の父は製鉄の会社に長く勤めていたの。DCMとも取引があったのよ。」

「だから詳しかったのか。お父様の会社って、日本一の?」

「ええ。国外事業部を司る副社長だったの。」

「で、Hannah Lynn、俺、ほんっとに驚いてんだけど。」

俺は凛の目をまっすぐ見て言った。

「俺の家も、どうやら近江にルーツを持っているようなんだ。」

「會津なのに?」

「そうなんだけど、蒲生氏郷という秀吉の家来で近江・日野の武将が會津太守として戦国末期に入ってきた。そしてさらにその後、関ヶ原の戦いで敗れた石田三成の一族郎党の一部が會津の近江人を頼ってやってきた。そのどっちかのときに俺んちの先祖になる一人が来たらしいんだ。

そしてね、不思議なんだけれど。俺の故郷では、お葬式で西国三十三所の御詠歌を歌うんだ。ずうっと昔からの伝統だって。西国、だよ。奥州會津の片田舎の宿場町で。

補陀洛や 岸打つ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬

これ一番だよ。紀伊・熊野の青岸渡寺の御詠歌だ。」

「あら!」

凛が驚く。

「『ユウ』は漢字が『熊』で、それはお父様が熊野信仰をされる人だったからそう名付けられたって!」

「そう。近江・滋賀だと6つの寺がエントリーしてて、正法寺、石山寺、園城寺、以上大津に在り、さらに宝厳寺、長浜市、長命寺、近江八幡市、観音正寺、同じく近江八幡市でさ、親父はこの近江六寺と那智勝浦・熊野の青岸渡寺の御詠歌を特に熱唱していたんだ。」

「鶴ヶ城って、パンフレットによると、その『鶴』は蒲生家の家紋が舞鶴だからって書いてあるわ。氏郷の幼名も鶴千代なのね。」

「ああ。若松っていう名も、それまでは黒川だったんだけれど、氏郷が郷里に在る馬見岡綿向神社の『若松の森』から取ったというね。俺は実際その神社に行ったことがあるよ。」

「ああ!」

凛が興奮して叫んだ。

「早くユウさんのお家の墓所に行きましょう。きっと<貫入>が起こるから!」

俺たちは天守閣に一礼して、故郷N町へ向かった。


(つづく)




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お知らせ

Mooさんへ

虚数&複素数についてのさらなるご教示ありがとうございます。
訂正もいたしました。

Moore=村畠はあくまでMooさんをモデルにはさせていただいたものの、架空の人物です(苦しい!)。

Moo様&みなさま、どうぞよろしくご了解のほどお願いいたします。


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Recent Events that Showed Synchronicity

小澤征爾さんが成城のご自宅で亡くなったという。
ご冥福を祈る。

私は氏を2回お見かけしたことがある。
1回目はもう30年近い昔、成城4丁目の細い道を、当時でも少し旧型の、クリーム色のベンツを運転しておられ、歩いている私とすれ違った。私もよく憶えているものだ。それだけ印象的だったんだ。

2回目は10年ほど前か。ご子息と住宅街のやはり細い道から成城通りへ歩いて出て来られたところを目撃した。父子、仲睦まじい様子だった。もう癌を患っておられたはずで、「ああ、お元気そうだ」とうれしく思ったものだ。

小澤さんは「サイトウ・キネン・オーケストラ」で長野県松本市と深い縁を結んだ。その「サイトウ」とは桐朋学園での氏の恩師、齋藤秀雄氏のことだ。桐朋学園は、成城からクルマならすぐと言っていい調布市若葉町にある。最寄駅は京王線仙川だ。

話は変わって、おとといNHKBS4Kの番組表を見ていたら、「多摩川」、「野川」の文字ー
録画しておいて後で見たら、長野県北安曇郡池田町出身のタレント乙葉さんが野川を多摩川との合流点から上流に向かって散歩するという番組だった。

当たり前(?)だが、全てのロケ地が私には馴染みの場所で、成城4丁目の、野川が世田谷区部では最も美しい佇まいを見せるところでのロケで、カワセミなどを撮る4丁目住民のご老人が紹介され、その方の野川の四季を写した見事な写真も紹介された。


今、ロクでもない小説を書いているが、野川、仙川、成城、調布、長野県松本市、安曇野の池田町にまつわるニュースや番組がシンクロした。

ユングなら驚きもしないだろうが。



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その5

ハイドレインジャ
〜第2部その5

新たなコーヒーを淹れて村畠が戻ってくると、凛が話しかけた。

「私は、虚数のことは措いておいて、Mooreさんの、耕作する人としてのあり方にとても共感してこちらにお邪魔させていただきました。

インテリが肉体を痛めつけて糧を自給するー
そのことでフワフワとした観念の世界だけにとどまらず、リアルな生産の喜びを体験するー
その図式がまずすばらしいと私は思っています。

耕作予定地を覆う草木、土の固さ、石礫の多さにまずは悩まされ、虫害や獣害もありながら、できうる限り農薬を用いず対処して、また天候の不順などにも心穏やかでない日々を過ごし、足腰などに大変な負担をかけさせられて後の収穫の喜び!

私は東京成城に生まれ、親が裕福でしたから、そういう耕作、農業の楽しみはただ想像するだけです。けれども、私が本当に地球の環境保全運動に勤しむなら、避けて通れないことをMooreさんはなさっています。しかも、ただ晴耕雨読的生活を営むのではなく、しっかりと<公共>へのアンガジュマンもされている。

数学者として、耕作者として、そして共同体の一員として、失礼ながら古希を超えた高齢者がそのそれぞれの立場で全力を尽くしていらっしゃる、尽くし続けていらっしゃるそのMooreさんのお姿をぜひこの目で見たいと思ったのです。」

「いやあ・・・そんなねぇ。」

Mooreは複雑な笑みを湛えて応じた。

「大したもんじゃないんですよ、凛さん。私はただね、おっしゃっていただいた、<公共心>が強いっていうのはありますね。John LennonのIMAGINEの歌詞で言えば、brothethood of man、それはいつも意識している。お互い様精神というのも近いね。

『住民一人一人の相互の関わり』と私は過日のブログに書きましたけどね、それです。共同体を少しでも良くしていこうという共通の意志を持つ人と繋がること。そしてそういう人々との関わり合いこそが、みんなで成そうとしている集まりの目的そのものよりも尊かったり、生き甲斐になったりすることもあるんです。そこがおもしろいね。」

「そのbrotherhoodは訳せば『兄弟であること』だけれど、みんな兄弟<愛>って訳しますよね。」

凛がまた応じる。

「『愛に満ちている』世界を目指すと言うより、もう愛は十分この世に満ちているんだと思うんです、私。それを発見する、あるいは掘り起こすのが人生なんだってこの頃思うんです。

愛は為すものです。為されて初めて愛だと思っています。Paul McCartneyがBeatles最後の曲、The Endで、

The love you take is equal to the love you make
(受け取れる愛は為す愛に等しい)

と。真理です。
そして私はこのことに付け加えたい。

The love you make should be equal to the love you've taken from this world
(為す愛はこの世から受け取ってきた愛と等しくあるべきだ)

と。

この世から受け取ってきたその愛は、いつもいささか過剰ではありませんか?
耕作してきた労苦は、何倍にも報われていませんか?
小さな種が、実として数十倍とかになっています。もちろん手はかけました。でも、太陽や水、土の恵みがその耕作者の手間に対して過剰と言えるお返しをしてくれる。

その過剰を感謝して、その分自分は自然に、そして他者に、愛を為すべきなんだと思うんです。愛<溢れる>行為をすべきなんです。

だから、その耕作者に自然が過剰に報いてくれる図式をずっと守りたい、守らねばならないんだって思うんです。」

「Hannah Lynn!」

俺は涙を堪えながら凛の名を呼んだ。
村畠は大きく頷いて、ゴーヤー・カーテンから覗く青空を見上げた。

「ねえ、ユウ。」

凛が俺の目をじっと見て、

「私たちの耕作地、あなたの故郷、會津に持たない?」

と言った。

「Great idea!」

俺は間髪入れずに答えた。

「見に行こう、どこにするか。善は急げ、Make hay while the sun shines!」

「おいおい!夕飯も食べずにもうお帰りかい?」

村畠があわてて口を挟む。

「使わない私の数学脳はもうパンク、胸もいっぱいっす。また来ますから。」

「そんなこと言って、また何年も来ないんでしょう?」

「いえ。凛と私の作品ができたら、真っ先に持ってきますから。
作品の名は『Penetration』、貫き、貫入です。副題は、The love you make should be equal to the love you've taken from this worldかな。ちょっと長過ぎか。後で削ろう。」

まだまだ太陽が高い裡に俺と凛は安曇野を去った。
トランクには、村畠とお連れ合いが手塩にかけて育てた野菜がどっさり積まれた。


(つづく)




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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その4

ハイドレインジャ
第2部 その4

「かいつまんで言うとね、ユウさん、i は決して<あの世>の数ではない、むしろ、<この世>は実数だけから構成されていると思っていた、あるいはそのような認識に閉じ込められていた我々の世界が、実は単に狭かっただけで、宇宙的なトータルな世界の数として認識し直すべきなんだ。」

「むむ。平面領域、そこでの運動は、実数だけで表記できるなんて認識は誤りだったってことっすか。」

「うん。と言うか、新たな数の<存在>が必要になったということだね。例えば、スーパーマンやウルトラマン。ユウさんがウルトラマンが誕生した砧7丁目の隣である8丁目に住んでいるから敬意を表してウルトラマンとしよう。これが地球上に現れた。外見は、特に首から下はまるで地球人と変わらないけれど、はるかに優れた能力有している。」

「すぐにエネルギー切れを起こしますけどね。」

「え?・・・なにしろ、人間の遺伝子を実数単位1、ウルトラマンの遺伝子を虚数単位 i で表すとすると、人間とウルトラマンの住む広い宇宙的世界全体が『a1+bi 』で形作られている、と再認識できるわけだ。言い換えると、これまでは a だと思いこんでいたものが、実は人間には尻尾があって本当は『a+0i』だったのだ。ただ、見えていなかっただけなのだ。また、ウルトラマンは『0+bi』だったのだと理解できた。当然ながら、人間とウルトラマンとの間の子は『a+bi』の1人なのだ・・・と。宇宙は i (愛)に満ちている!ガハハ、お粗末!」

俺も凛も反応に苦慮する。

「エヘン、オホン!それでだね、あ〜、このことはだね、ガウスが示したようにぃ、横軸(実軸)を実数に、縦軸を虚数(虚軸)として表される複素平面がぁ、まさにぃ、拡張された認識を示す舞台となっていることでも明らかなのである。」

Moore先生はまるで明治期の自由民権運動演説会の弁士のように語る。聞いたことないけれど。

「なるほど。」

俺は腕を組み、感心したように首を赤べこのように縦に振って言った。

「つまりウルトラマンとフジアキコ科学特捜隊員、あるいはウルトラセブンとウルトラ警備隊のアンヌ隊員が結ばれて子どもができていたら、複素数であったろうと・・・。」

「あああ?」

村畠は呆れた顔をし、凛は右手の人差し指を左右に振って俺を諌める顔をした。

「ユウさんの数学音痴を慮って、卑近な例を出して解説したのになあ。」

Mooreは気を取り直し、解説を続けた。

「従ってだねぇ、虚数の<虚>は、かつてはテクニカルな要請、単なる方程式の解を合理的に説明するための”想像上”のものとしか考えられなかった名残を留める名称に過ぎず、現在では複素数は、数学や物理の中で普通の数としてごく自然に扱っているのでぇある。

だからだねぇ、ある日、別の星から違う種族がやってくる、あるいはそれらと遭遇するとなれば、さらに世界は拡張されることになりますなあ。複素数世界は座標平面上のことだが、数学の世界では、i, j, kを使った四元数というさらに拡張された数も生み出されて、実際にはほとんど目にすることはありませんけれど実用化もされているというのでぇあります。」

「そっか。」

俺は、Mooreの口調が今度は長州出身の軍人のようだと思いながら、そしてそれについては不満に思いながら、一応納得の声を上げた。

「でもね、Mooreさん。その4元数では4次元が絡むんすか。」

「いや、4元数は3次元空間でのスピンの計算で使われるんだ。」

「じゃあ、ijkの後、lまで含めて5元数になったら4次元空間を扱うと・・・。」

「それは分からない。そうなるかもしれないねぇ、人間とウルトラマンのhybridが、さらに新しい惑星の生命体と出会って子孫を成すようなこともあるだろうかねぇ。」

「あんまりいい比喩じゃないですな。」

「失礼。私も訳がわからなくなってきた。」

村畠は頭を掻いた。

「まあ、なにしろー」

そのとき凛が俺に、「Mr. Moore's pet phrase, too. I mean, 『なにしろ』」と囁いた。

「エホン、アホン!なにしろです、オイラーの数式もおそらくシュレーディンガーの波動方程式も、人間の拡張され深化した宇宙の認識を端的に表現しているのであって、<あの世>と<この世>の結節点に存在しているのではないというのがとりあえずの結論ですかねぇ。

しかし、私たちの認識はこれほど深化したと言っても、広大な宇宙規模から見ればほんの取るに足りないものであるかも知れないのです。当然ながら、知り尽くしたわけでも、宇宙の果てに到達したわけでもない。ダークマターの正体もつかめていない私たちですからねぇ。」

「Mooreさんー」

俺は即座に反応した。

「ダークマターの正体もそうだけれど、<なにしろ>私たちは私たちの存在の意味すら分からないわけで。科学技術は単細胞生物一個も作れていないわけで。意識とは何かも科学的には全く説明できないわけで。脳の電気信号を使った活動なんて定義したって、クオリアなんていう言葉を作ったって、意識そのもののことを説明できないんですよ。」

「まあー」

と村畠は顎を撫でながら、度の強いメガネで小さくなった目を光らせて、

「私は、ユウさん、ご存知の通り唯物論者だし、どんな神秘的現象も、今は説明できなくとも、いつかは科学で解明できると信じているんだよね。」

「ええ。」

俺は組んでいた腕を解き、手を膝に置いて言った。

「そうかも知れません。でもね、さっきMooreさんが寒いシャレ・・・もとい、巧みな言葉遊びで言われましたけれど、『宇宙は愛に満ちている』というのは、俺や凛にとってはそれこそそれを実感したいことなんです。虚数はimaginary number・・・そう、imagineすることが数学における新しい領域の発見につながった。<想像すること>、<想像する力>こそがこの世の解明につながっていく。そしてもしかすると『あの世』、この世の世界での未発見次元ないしは他のmultiverse(多元宇宙)の構成宇宙とのリンクを発見することにも!

『War Is Over If You Want It』とJohnとYokoは言いました。『Is』を使ったんです。『Will Be』じゃないんです。戦争は終わる、これから、ではなく、<終わっている>なのです。それをwantする、あるいはそうimagineする。すると即座に本当に戦争は終わっているんです!もう殺し合うことのない世界になっているんだというimaginationが、人類で初めての新しいphaseに私たちを入らせてくれるんですよ。

Imaginary dimensionsは、今の量子論では6つあるそうです。誰も見たことはないわけだから、imaginaryなわけです。でもその想像力こそが、量子論と相対論を結びつけようという科学者たちの原動力になっている。宇宙を作る力、原理が、確かにMooreさんの言われる通り、いつかは解明されるかも知れませんね。そのForceが、Principleが、愛だったりするー

科学的でも哲学的でもない予測ですが、歌うたいとしてはそう願うんです。」

「ユウさんらしい。結構だ!」

村畠はニッコリと笑った。

「ユウさんの今の行動の力、原理は凛さんだね!」

俺は凛と見つめ合って、テーブルの上で彼女の手を握った。

「あ〜〜〜、あっつい、あっつい。エアコン効かねぇな。」

村畠はそう言ってキッチンの方へと引っ込んだ。


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その3

ハイドレインジャ
第2部 その3

村畠の家の広い駐車スペースにクルマを停めたとき、彼は<ゴーヤー・カーテン>で日差しを避けながら濡縁で一服していた。

「いやあ、Mooreさん、電話を差し上げていたとは云え、いきなりの訪問となってしまいすみません!」

村畠は立ち上がり、つっかけを履き、ニコニコと俺たちの方へやってきて、

「はいはい、ようこそ」

と言い、もちろん初対面の凛を少し眩しそうに見た。

「初めまして。いきなり来てしまいまして、ご迷惑でなければー」

凛が頭を下げた。

「いやあ、お噂は予々・・・ではないな。」

村畠はひとりボケ、ひとりツッコミをした。俺たちは笑った。

「私は金がねぇ。」

さらに彼はボケて、凛はキョトンとした。

「ユウさん、あなた、なんという恵まれ方だ。こんな・・・まあ、容姿のこととかは言わぬのが正しいから言わないが。凛さんですか、Mooreです。お目にかかれて光栄です。」

俺はひたすら照れる。凛は村畠と握手をした。

Mooreは、

「連れ合いはある団体の映画鑑賞会で松本へ行っていてね。よろしくと」

と言いつつ、家の中へと俺たちを誘導する。

「そうですか。どんな映画なんですか。」

俺が訊くと、

「黒澤明特集らしく、『夢』と、確か『七人の侍』デジタル・リマスター版だったかな。」

俺と凛は互いを見交わした。

俺たちはダイニングルームへ。Mooreはコーヒーを淹れる準備をする。

「凛さんは紅茶かな?」

気配りをしてくれた。

「いいえ、コーヒーをいただきます。ありがとうございます。」

凛がハキハキと答えた。
Mooreは凛を2、3秒見つめて、ニッコリと笑った。

「今日はなんとか晴れて、北アルプスもあなたがたを歓迎しているね。」

「これほど山々が迫るように見える場所だったんですね、安曇野って。緑滴る、和してまた清しのすばらしい山々!」

凛が応じた。

「凛さんは、東京生まれ?」

Mooreが訊く。

「俺すら訊いてないや、その質問。」

俺はそう言って笑った。

「成城?それともLondon?」

「成城よ。」

「Out of the blueだったんだね、お二人の出会い。付き合いだしてどのくらい?」

「それが・・・。」

俺は口篭った。

「六月に入ってからですからね、今日は12日?出会って2週間経ってないか。」

俺は凛に顔を向けて言った。

「私、実はユウさんのこと、ブログで知ってそれなり経つんです。実際にユウさんと会ったのも、偶然とは言い切れないと言うか・・・。」

「ああ、そうなんだ。」

村畠はコーヒーをテーブルに置きつつ、

「長く、やめずに書いてきて、よかったね、ユウさん」

と言ってニンマリと俺を見た。

凛は成城アルプスの焼き菓子の手土産をMooreに渡し、彼はそれでは早速それをコーヒーの友にしていただこうと開封した。

「ユウさんの行動パターン、趣味、思想、などなど、もうブログで予習済みだったんだね。」

村畠の言葉に、俺は、

「なんかstalkerみたいだな、Hannah Lynn!」

と言って笑った。

「そうですね。ある意味stalkerでしたね。」

凛が応えた。

「それこそ偶然に開いたユウさんのページに、さらに偶々上げられていた彼の野川の歌に打たれてしまったんです。以来、気になってしまって。」

「いいなあ。」

Mooreが言った。

「自作の曲・歌を作り、歌えるって。それを今の時代、理論上世界中の人に聞いてもらえるんだものね、ネットに上げれば。」

凛がテーブルの下の手を延ばしてきて、俺の手を握った。
Mooreには見えないようにしていたが、彼はそんなに鈍感ではない。

「いやあ、アツい、アツい!」

と言ってエアコンを入れた。

「二人の会話に英語が出てくると、すばらしい発音で圧倒されるよ。<アウト・オヴ・ザ・ブルー>なんてさっき私、発音したけど、お恥ずかしい。」

「いいえ!」

凛が言下に否定した。

「Mooreさんは富山有数の進学校を出て、東北大学理学部数学科を卒業されているんだ。俺たちこそ今度は数学知識の至らなさに赤面する番だよ。」

「あら、私は数学嫌いじゃないし、大学に入るのに一応勉強したわよ。」

俺はタジタジになった。

「で、虚数のことだね。」

村畠が彼独特の響く低い声で言った。


(つづく)




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The End of Hisha-Swingers?

藤井王将、4タテで防衛。
無敗のままタイトル戦20連勝、新記録樹立。

挑戦者菅井八段は悄然と投了、インタビューを受けていた。
「<戦い方>を変えないといけないかもしれない」とまで言っていた。
看板の振り飛車を捨てるのかとも解釈できるような話だ。
「振り飛車党最強」を自認し、他も認めていた中、驚きの一言である。

確かに史上最強棋士が徹頭徹尾居飛車を採用する事実を全ての棋士があらためて噛み締め、
振り飛車党の棋士は、実力伯仲以下の相手なら飛車を序盤でスライドさせる戦法が変わらず
通用するのだからと甘く見るかもしれないが、最強棋士が完膚なきまで振り飛車という
戦法の根本的な弱点、もしかすると棋理に反する可能性まであることを示してしまったのだ。

とにかくまあ、なんという棋士が生まれたものか。

菅井さんは「イキり系」の棋士で、闘志むき出し、そしていつも何かにイラついている
ような棋士で、正直苦手なタイプだ。棋士はファイターなのだから、それでいいという
向きもあるだろうけれど、先日書いたように、「<play>er」でもあることも忘れて
ほしくない。藤井さんに2連勝した大昔、つまり藤井さんがまだ15や16歳の頃に、
敵意丸出しで不遜とも言えるコメントをしたこともあって、
私は彼がいつか後悔する日が来ると思ったものだ。

しかしこの負け方はあまりの衝撃で、菅井さんの棋士としての根幹を揺るがしー
あるいはもしかすると壊してしまったかもしれない。

どうか、傷心の今だろうが、可及的速やかにrebulidに専心してほしい。

両者ともお疲れ様でした。


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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その2

ハイドレインジャ
第2部 その2

村畠が住む安曇野I町への途中、大王ワサビ園に寄った。

「なぜ『大王』なの?」

凛が訊いてきた。

「ここ、黒澤明監督の『夢』で出てくるシーンを撮ったところでしょ?」

「そうだね。寺尾聰さん演じる旅人と笠智衆さん演じる水車の修理をしている老人がここで話し込む。老人は徹底的に科学技術文明を厭う。人間は自然の一部だ、<自然のこころ>を理解しない特に科学者には『困る』って言うんだよね。」

凛は蓼川の流れをじっと見ている。

「大王のことだけれどねー」

俺も川面のきらめきを見ながら、想像を交えて語り出す。

「大王はこの安曇野の先住民族の長のことだよ。彼らは縄文人だったと言って多分差し支えない。アイヌだったとすら、もっと厳密に言いたいくらいだけれど、まあ、勝手に俺の推量を語るにせよ、ちょっと控えめに言っておくよ。

長く平和にこの水と森の豊かな大地に暮らしていた。そして後に弥生人ないしは古墳時代人の侵入を受けた。入ってきた方向はきっと北から、日本海側、糸魚川の方からだ。その弥生人ないし古墳時代人の代表は、諏訪大社に祀られることになった元々は出雲のタケミナカタ、そして彼に連なる一派だ。まあ、諏訪は南だから、南からの侵入だったかもしれないけれどね。でもそれだと出雲から陸路ということになるから、説としては相当苦しい。

で、大王たちは抵抗したが、稲作技術を持つばかりか優れた武器も持つ出雲の一派に結局屈服することになる。大王たちは処刑され、また耳を削がれたようで、耳塚がこの辺に今でも散在する。」

「まるで見てきたかのようね。」

凛が笑う。

「ユウの『トーホグマン』に書いてあったわね、そう言えば。なんだかあれ、長すぎて読み切れてないけれど。」

「ち。」

俺は戯けて舌打ちをした。

「まあ、安曇野に限らず同じような征服・被征服の図式は全国にあったし、特に東日本や北日本はそれが比較的最近ー と言っても例のアテルイの時代、平安初期くらいのことかなー あったわけだ。もちろん、北海道となればもっともっと最近、江戸末期や明治、いや今だって愚かな国会議員がアイヌを虐めているけれどね。」

「沖縄もでしょ。」

「そうだね、その通りだ。先住民族を南や北に追いやり、そしてとうとうその追いやった先にも現れて、虐げる。」

そのとき、黒澤さんの『夢』で鳴くカッコウとは違って、メボソムシクイが鳴き出した。ウグイスに似た鳥ながら、俺にはツヅレサセコオロギのような鳴き方に聞こえ、大好きな囀りだ。

「Mooreさんのお連れ合いが沖縄の人なんだ。」

「そう。」

「Mooreさんは辺野古基地建設反対で座り込みもしたんだよ。」

「すごいね。この安曇野の町でもいろいろと町をよりよくするための活動を長く無償でされているんでしょう?」

「その見識、そしてその見識からの即座の行動ー 俺の知り合いでこれほど、Hannah Lynnが言っていたAll You Need Is Loveの<Love>をする人物はいない。」

「そのMooreさんに私は、単純にお会いして、勇気をいただければって思ったんだけれど、ユウは何を今回彼から訊きたいの?」

「端的に言えば、シュレーディンガーの波動方程式に虚数が入るのはどうしてかを聞きたいんだ。量子のふるまいを確率的に規定するこの方程式にimaginary numberが使われる。むろん虚数、複素数という数の存在は数学的にはテクニカルな要請からのことかもしれないんだが、少なくとも、
<この世>を作る素粒子のふるまいを表すのに<あの世>のようなー 実数ではないっていう意味でねー 数を用いる、用いざるを得ないことをどう思うのか、数学者としてのMooreさんに聞いてみたいんだ。数学上の要請、数学上の発見が、物理学で現実に反映される、あるいは応用される図式についてだね。」

「むずかしそうね。」

「ああ。俺も何を自分で言っているのかよく分からん。なにしろ数学には高1早々にサヨナラした俺だ。でもな、Hannah Lynn。複素数を可視化するのに使われる『虚軸』というやつが、例の、俺たちが知覚できる<異次元の貫入部>を理解するのにヒントになるような気がするんだ。」

「それが分かれば、今度は私たちが貫入できたり?」

「もうし合っているじゃないか。」

凛は顔を赤らめた。

メボソムシクイがまた鳴いた。
笑っているようだった。


(つづく)


*てなわけで、Mooさん、ご多忙中恐縮の至りですが、ご見解をブログでお示しいただければ、幸いこれにすぐるものなし、でございます。


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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』第2部〜その1

ハイドレインジャ
第2部 その1

俺と凛は安曇野への途上にいた。
俺の友人である村畠耕作に、あるアドバイスをもらいに会いに行くのだ。

彼は元高校の数学教師。故郷ではない安曇野に移住、当初はそこで引退生活ということだったはずだ。休耕地を借りて自家消費の野菜などのために畑作をしており、確かに晴耕雨読の日々にはできるし、ある程度はそのような生活ではある。ところが、彼はその安曇野の自治体の町民として、また日本国民として、社会に積極的無比に関わり、悠々自適の隠居生活とはかけ離れた<利他>行為に文字通り忙殺されている人物なのだ。

彼の行動原理に宗教は一切ない。だから凛と俺との「汎神論的pro環境保護音楽」について語るにしても認識のズレは出るに決まっているのだが、それでも、共通のゴールを持つならば、方法論の乖離などはこの際問題ではない。それどころか、その方法論のズレをむしろ楽しんで聴いてくれる人なのだ。

彼の住む町から見える北アルプスの例えば常念岳山頂を彼と俺たち二人が目指すとき、その登山計画やルートは異なっていようとも、途中までの山行で分かち合えることは多いはずだ。そして互いに登頂に成功したら、そのてっぺんで今度は喜びを分かち合える。「互いに正しかった」と。

安曇野へ急遽クルマを飛ばすことになったのは、俺と凛が村畠のブログにおける、表題「くじけそうになるとき」を読んだからだった。

以下引用ー

「農業は年単位だから、途方もない時間と労力を要する。田んぼでの生産、管理も、機械力があればそれほど人の力は必要ないとはいえ、今日苗を植えて来月収穫できるわけではない。野菜ともなれば、どんなに機械力があっても、年中熟練した労力と知力が求められる。失敗することも、自然の猛威の前に屈服することもまれではない。

そこでは、時間がゆっくり流れていく。そして、この時間の流れこそが、人間の生存を根底から支えている。

それとは対照的に、コンピュータに制御された工業・商業・流通は常に1分1秒を争う世界だ。世界が違う。ある意味で、都市と農村では時間の流れ方が違う。

ICTやAIの進化によって、快適な生活と未来が保障されると描かれることもなくはないが、実際の働く人々の実態は、企業の都合によって圧倒的に選別・非正規化され、その恩恵にあずかることはまず考えられない。

そして、利潤追求の資本に縛られ、時間に支配されたまま、その日その日の暮らしに追われ続けていく。」

「ところが、3.11や阪神淡路の地震のように、大災害が発生すれば、上に書いたような日常は直ちに破壊される。人々は一人では生きていけないことを身に染みて実感する。もし、大都会で同じ事態になれば、他人との関わりを避けてきた人たちほど為す術がないことは自明だ。」

引用一旦終わりー

朝二人でまどろんでいて、凛に手をつかまれた状態で俺は凛のラップトップを借り、あくびをしながらニュースなどを見てから村畠のページを開いて、読後、「すげぇなあ、耕作さんは、やっぱ」と声を上げ、凛が頭をもたげ、「なあに?」と画面を覗いた。「ああ。ユウの記事によく出てくるMooreさんね」と言い、「Can you read it aloud for me?」と頼み、またまどろみの中へ入って行ったのだが、俺がこの村畠の文を読み始めしばらくすると、いきなり上半身を起こした。

俺が読み終わると、凛は直ちに言ったのだー

「認識の正確さ、高い高い知性。ぜひ会いたいわ、Mooreさんに!すぐ!善は急げ!」

「ハハハ。Strike the iron while it is hot(鉄は熱いうちに打て)だね。」

「いいえ、Mooreさんの場合なら、Make hay while the sun shines(日が照っているうちに干し草を作れ)よ。」

俺は痺れた。

しかし、俺も凛ももっと痺れたのは、Mooreさんのこの記事の最後の段落だ。

「しかし、歴史は、悪い方向だけに動いているわけではない。

農村でも都会でも、人間が人間らしくあるには、お互いが助け合い地域での公共を大事にする人々、農地は農地だけではなく保水・景観に重要な役割を果たすことを理解し、山林は、建築・土木の素材を提供するだけではなく、海の栄養を蓄え、酸素を供給する場なのだと理解して守ろうとする人々もまた存在する。都会でも同様だ。

地域の人々のエネルギーを最大限に発揮するには、住民一人一人の相互の関わり=自治能力の向上しかないのだと経験から掴んでいる人たちが必ずいる。

そのことを信じてともに語らい、人々の輪を一歩一歩広げていくしかない。戦争や不正義とたたかい、よりよい未来を目指した人たちはみな、知力を尽くしそのようにして歩いてきたのだから。」


(つづく)



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真白き達磨

東京は昨日「大雪」となった。
重たいボタ雪で、會津のとはまるで違っているのはしかたがないか。
會津の雪は結晶がしっかり形を残して舞い降りる。

それでもこの非日常を楽しむ。
午後11時、私は砧公園へ向かった。
途中NHK技研の広場では若者たちが<かまくら>を造っていた。
また道々、<泥がついていない>雪だるまがいくつも見られた。
しっかり降ったのだ。

雪原となった園内、誰とも出くわさなかった。
それでも、やはり<酔狂>な人がいて、比較的新しい靴跡や自転車の轍があった。

昨日の雪が特に珍しかったのは、「雪おこし」が鳴ったことだ。
つまり雷を伴う降雪だったということだ。
こんなことは會津でも記憶にない。
「雪おこし」と言えば、主に北陸の海沿いで起こる現象だろう。

忘れられない一日となった。

東京に真白く立つや雪だるま


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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その26 第1部最終章

ハイドレインジャ
その26

結局その夜、俺は凛の家に泊まった。
俺は当代の大作家のように臆面なく「erao」のことを描写する気はない。

古代ギリシアでは4つの「愛」を区別したー
eraoは性愛、phileoは何かを好む愛、agapaoは敬愛、stergoは肉親や兄弟への愛と言っていい。俺の凛に対して湧き上がる愛はstergoを除いてすべてだと言える気がした・・・
と言いつつ、stergoも感じていたか?

俺は、朝凛が淹れてくれたコーヒーを飲みながら彼女が手入れする庭を眺めていて、はっきり凛に溺れているという自覚を持った。その庭には数株の紫陽花が今を盛りに咲いていた。

「私はこの地球の生態を守りたいって思っているわ、それもかなり強く。」

凛が俺の後ろに立って言った。

「Nigelの汎神論的な環境保護へのアプローチは間違っていない。もちろんこの科学技術一辺倒とも言える現代では、すべてのものに神性が、仏性が宿っているなんて言っても、カルト臭いとか、詩歌の世界でのことでしかないとか言われてほぼおしまいだけれど。」

俺も凛も窓脇のソファーに座った。

「ユウはブログでShirley MacLaineのこと書いていたわね。彼女の、80年代に全米を驚かせた著作『Out on a Limb』と『Dancing in the Light』にある<God Force>ー
彼女は、彼女のセミナーで『あなたを神とは思えない』って言ってきた参加者に、『If you don’t see me as God, that’s because you don’t see yourself as God』とキッパリ言ったって。NigelはそのShirleyの信奉者だった。彼女はIrish Americanで、馬が合ったのね。俺も神、君も神、木も花も、鳥も獣もみんな神。そしておいらはおいらが神なる宇宙を夢見ている神ー
And I'm God who's dreaming of a universe where I'm Godって。」

凛はスマートフォンで検索を始め、ページを見つけて、

「一方でね、太宰治は『渡り鳥』で、『近代音楽の堕落は、僕は、ベートーヴェンあたりからはじまっていると思うのです。音楽が人間の生活に向き合って対決を迫るとは、邪道だと思うんです。音楽の本質は、あくまでも生活の伴奏であるべきだと思うんです』って、楽聖に向かって一刀両断するの。Mozartを称揚する一方でね。」

「えぇ?」

俺は怪訝の声を上げた。

「小説の登場人物に言わせたとしても、太宰さんの考えだね、きっと。一体どのBeethovenの作品について言っているのか判然としないけれど。音楽が生活に向き合って対決するのは邪道とは!生活の伴奏であるべきだとは、音楽は生活する主体に干渉するなってことか?あくまで生活者=ソリストの演奏あっての彩りってことか?しかし、そのソリストが奏でているのは音楽じゃないのか!

まあ、何も小説の中の1セリフにギャアギャア言ったってしかたがないけど。それでもまた三鷹に行って、次元貫入部にお出まし願いたいな。<どういふ意味ですか>と訊きたいぜ。」

「それは措いておいてー」

と凛が言った。

「ユウは昔Nobody wants to hear singers lectureって歌詞の歌、作ったでしょ。誰も歌うたいが講義するのなんか聴きたくはない、って。」

「う。そんなこともブログに書いた?しかもそんなところまでHannah Lynnは読んだ!」

「ユウも、Nigelも、そして私も、<人間の生活に向き合って対決を迫る>音楽を目指したし、目指しているじゃない?全てが全てではないにしろ。ユウのWhen There's No-One Left to Hearという反戦反核の歌とか。それが聴かれない、邪道だと言われてしまう向きは確実にあるのよ。その痛みを私はNigelと分かち合ったと思うの。」

俺はソファーの右側にいる凛を抱き寄せた。

「分かったよ。ありがとう。君とNigelの関係性はもう十分に分かった。」

俺は彼女にキスをして、

「これからは、僕らの音楽だ」

と囁いた。

「一緒に<汎神論的pro環境保護音楽>を追求しよう、Hannah Lynn。」

凛はうっとりとした表情を俺に見せて、再び俺の唇を求めた。



ハイドレインジャ第1部 完


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2024 如月雑記

昨日、録っておいたNHKBS『七人の侍』を深夜に見始めてしまった。
Intermissionを含め3時間をゆうに超える大作だ。
睡眠パターンがひどいことになってしまった。

YouTubeでのこの作品への大量英語コメントを、もしよかったら読んでみてください。
どれほどに高い評価を得ていることか。
パーフェクトな映画だというのが<平均的>なコメントなのだ。
「無駄なシーンがひとつもない」、「ひとつひとつのシーンが絵画のようだ」と。

こういうことで日本を誇れ!
これを見て、一体自分がどうして愛国・国粋主義を唱えつつ、
「公金チューチュー」ができるものかと恥じ入り、潔くdo harakiri!
あなただよ!

本当に奇跡的な映画だとあらためて思う。
志村喬、三船敏郎、宮口精二、千秋実などなど・・・なんという個性煌めく名優たちが
参集したことだろう!

そして今回何十年ぶりかで見て、津島恵子さんの美しさ、愛らしさに打たれてしまった。
その津島さんのヒップを執拗に写す黒澤監督の<意図>に少し面喰らい、また笑った。

この映画、語り出したら止まらない。
この辺で。

*

今日は棋王戦第1局。
9時開始でもう82手進んでいる!終盤と言っていい。
藤井棋王と伊藤匠七段の研究済みの局面が続く!
そしてNHK杯の放送も、なんと準々決勝藤井NHK杯vs伊藤匠七段。
将棋ファンにとってなんという日だ!

*

今日のNスペは能登地震について。
しっかり見て、心に刻み、この非力で浅学非才の自分に何ができるか考える。


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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その25

ハイドレインジャ
その25

俺は「Hannah Lynn」と凛のリクエストに応えて呼び、

「NigelのおばあさんもHannahという名前だったんだね。」

ポツリと言った。

「それも私に関心を持った大きな理由だったみたい。」

「関心・・・。」

俺は気を取り直し、できるだけ明るめな声調で、

「で、ふれあい広場下のNigelとの話し合いというのは?」

と訊いた。

凛は、Earl Greyではなく今度は無糖のキャラメル・ティーにするがどうかと俺に尋ねる。俺はEarl Greyのままがいいと返事して、彼女はキッチンへ歩いて行く。
帰ってきて、カップをテーブルにふたつ置き、凛は、

「やり直したいって話だったわ」

と言い、キャラメル・ティーをひと口音を立てず啜った。

「バッハラッハのことがあって、Nigelは音楽家として、人間として、一皮剥けたの。そう、その時は思えたの。汎神論は自然の保全にもつながり、ecologicalな姿勢で、まさに環境音楽というべきジャンルに入って行ったわ。間もなく私は彼と結婚したの。新居は母のChelseaの家の近くのフラット。

その5年ほど後、彼は北欧の環境保護団体の招きでストックホルムで演奏をしたの。私はついて行かなかったのね、所用があって。そして彼はあちらで恋をしたのよ。お定まりと言っていいのか、ブロンドの長身女性と。その女性も汎神論者で、ランドヴェーッティルという山川草木に棲む精霊の存在を信じていてね。彼はコンサートが終わっても、アイスランドを含む北欧をその女性と旅して、数ヶ月も帰って来なかった。私には音楽のモチーフを探す旅だとか言って。まあ、それは嘘ではなかったのだけれど。」

凛は苦々しく笑った。

「彼に恋人がいるのを知ったのは、なんと、その女性、Miaというのだけれど、そのMiaが、私が父母と南仏に行っている間にNigelに連れられ私たちの家に来て、なんと、しばらく二人は一緒に暮らしていたのよ。私が南仏滞在中Cambridgeの大学院の先生にあることで呼ばれて、さらに父母二人きりにするのもいい案だと考えて、予定より早くロンドンに戻って発覚したことよ。Nigelには家に置き手紙をしておいて、彼はそこに書いてある私の帰国予定日前までならMiaと一緒にいられるって思ったのね。

まあ、鉢合わせした時の阿鼻叫喚は想像に難くないでしょ?まるで私は、ある日突然我が家でYoko Onoが屈託なくJohnと一緒にいるのを目撃したCynthiaだったわ。私はNigelのどんな言い訳も聞かなかった。すぐに別れたわ。そして私は日本の聖公会系L国際大学に非常勤で職を得て、成城へ戻ってきたのだけれど、父がその後亡くなり、母は再婚してロンドンにそのまま暮らし、その母も3年前亡くなって。ロンドンと東京の行き来は終わり、成城の家だけに住むようになったの。

Nigelはきっと母の葬儀で私の親戚か誰かからこの成城の家のことを聞いたのね、3年前の、そうちょうど今頃ね、突然私を訪ねてきたの。簡単に言えば、復縁を迫ってきたの。」

「しょーもねー野郎だな・・・おっと失礼、言葉が汚い。」

俺は心底腹が立っていた。

「Swedish girlとはどうなったの?飽きたか。」

「きっとその子ともanother girlができてとっくに別れていたんじゃないのかしら。

Another girl who will love me till the end
Through thick and thin she will always be my friend

って感じ。Paul McCartneyの歌そのもの。」

「『Till the end』って、ハハ。」

俺は嘲笑した。

「『Till I die』じゃないところがミソだよね。Paulもそう歌詞を書いて笑っていたはず。この『最後まで』は<関係が終わるまで>って解釈できる。その関係を終わらせるのは、Paulなんだ。」

凛は「笑えないわ」と言って、それでも笑った。

「Nigelは結局アーティストとしても行き詰まっていて、私と復縁できたら東京を中心にして音楽活動をしたい、『大昔のQueenのようにまず日本で認められて世界へ』みたいなことを言ってね。もちろん私の財産も当てにしていたんだと思う。一体バッハラッハの体験は何だったのか。つくづく私は人を見る目がなかったと思い知らされたわ。

一方的な望みばっかり、あの蚊が出るベンチで語ってね。そう、彼は汎神論の補強だとか言って、熊野古道を歩いてみたいとか言って、私を誘うのよ。なんでも神仏混淆だか、山伏になって理趣経の真髄を熊野の山々を駆け巡って知りたいとか言って、まったくー」

「おいおい!」

俺は思わず語気荒く凛の話を遮った。

「熊野様のことになっちまうと、俺は黙っていられねぇぜ・・・ごめん、言葉がまた・・・。
しかしね、冗談じゃないよ。Nigelの口から出まかせの続きに熊野様が出てくるなんて。」

「でもね、そのときなのよ、思い出したわ、今!」

凛が目を見張るようにして言った。

近くの紫陽花の根本あたりから声がしたの、私にだけ聞こえる。

「紀伊・熊野との縁は、後に現れる男との縁が結ばれるまで探ってはならぬ、って。そう、そう聞こえたのよ!不思議、どうしてそのことを忘れていたのかしら!」

俺はゴクリと唾を呑んだ。

「それって・・・俺のこと?」

「Who else?」

「そのお告げは誰が?太宰じゃないよね。」

「それはないでしょう。
なにしろNigelは私が突然びっくりしているのにびっくりして、What's wrong、What's wrongって言って。私は決然と言ったのよ、

Someday, at the right time, I'm gonna go to Kumano, but NOT with you.
If you really want good company, look for her around Shibuya or Shinjuku.
You're absolutely always good at getting off with a girl.

そして私は駆け出し、逃げたわ。
彼は追ってくることも、再び私の家に来ることもなかった。」

「きっとその紫陽花の根本からの声が今度はNigelにも聞こえて、追っても無駄だって言われたんだろうよ。」

俺はそう言って、

「Stewいただこうかな」

と凛の手を取り、一緒にキッチンへ歩いて行った。


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その24

ハイドレインジャ
その24

「彼はステージで、『I'm love. I'm love itself.』とも言っていたのよ。自分の名を呼ぶ者は救われると言っていた彼は、自分は愛、愛そのものだ、とも。もしかすると自分はMessiah(救世主)とでも思っているんじゃないかって疑ったわ。私が彼と付き合うようになって、確かに彼は事あるごとに愛だ、平和だって歌っていたわ。過激な歌詞の曲でも、最後は愛を説いた。でもそれは彼の渇望だったのよ。」

「なるほど。そのことからHannah LynnがAll You Need Is Loveの『Love』は抽象名詞ではなくて、原形不定詞だと、つまり『愛』ではなくて『愛すること』だという信念を俺に教えてくれたわけだね。愛を口にするなら、現に愛することを行う者であれ、と。」

凛は、

「Hannah Lynnて呼ばれるの、好き」

と言った。

「これからもそう呼んで、できるだけ。」

俺は彼女の手を握った。

「Hannahはヘブライ語で、英語ではgraciousness(雅さ)あるいはgraceなんだろ?」

「調べたの?」

「ああ。Etymology(語源学)が大好きだから。」

「よりAnglican(英国国教会ないし聖公会的)ならAnnやAnnaなんでしょうけれど。」

「Hannahはすてきだよ。チャップリンの『独裁者』の最ラストシーンで、絶望の淵でナチに迫害されるユダヤ人同士の恋人の演説によって再び希望を持ち、立ち上がろうとする女性がHannahだったね。」

俺はHanna Lynnの手の甲を撫でながら、続けたー

「しかしね、ヘブライ語、旧約聖書世界を、キリスト教もイスラム教も認めている、あるいはそれらの教えの基盤にしているのに、なんでユダヤ人迫害とか、3宗教間の対立が起こるんだろうって中学生の頃くらいまでは思ったもんだ。でも対立なんて、仏教諸宗派にだってあるし、もっと言えば親子にだってあるんだから。近親憎悪的なものっていうか。」

「Nigelはねー」

凛が声を震わせた。

「ヴェルナー礼拝堂で、それこそ『神の声』を聞いたのだそうよ。

<お前の祖先はここバッハラッハでヴェルナーを殺害したユダヤ人を殲滅するポグロムに主導的に関わった。そして1920年代、その末裔はハンブルグで船乗りをしていた。彼は結成されたばかりのナチの熱心な支持者となっていた。

その頃彼は停泊地イングランドの港町リヴァプールである女と懇ろになった。その女はユダヤ人だった。二人に生まれた女児はHannahと名付けられ主に母親にリヴァプールで育てられたが、船乗りの父はある日を境に全く帰って来なくなり、女も育児を放棄し、HannahはStrawberry Fieldという名の孤児院に収容され、後、大人になって1940年にウェールズ人Samuel Evansと結婚する。

すぐに男児が生まれる。しかしSamuelは間もなく徴兵され、ナチと戦ってドイツ領に侵攻、ところがここバッハラッハでシュタールエック城の高みからドイツ狙撃兵に撃たれ、戦死するのだ。お前の父親David Evansは、そのSamuel EvansとHannah Epsteinの息子だったのだ>と。」

俺は口をポカンと開けて聴いていた。
Nigelの父の生い立ちは、John Lennonのそれに似ている。
しかも、Strawberry FieldはJohnの家からほど近い。

「Nigelが『はっきり見えた』と言ったのは、その<神の声>が語るEvans家の歴史が頭の中ではっきりと映像化されていたっていうことだと思うの。

彼は汎神論者だった。ケルトの一派であるWales人、いいえ、彼ら自らの呼称であるCymru人としての誇りに目覚め、キリスト教やユダヤ教を茶化していたの。私に興味を持ったのも、日本が八百万の神の国だとどこかで知ったから、仏教という三大宗教も広く信じられているのに、神道という汎神論的土着宗教とどう共存しているのかを知りたかったからというのもあったらしいわ。」

「いや、なにしろただただHannah Lynnが魅力的だったからだよ。」

俺は苦々しい口調で言った。
凛は苦笑した。

「彼はほぼ純粋Cymru人だと信じていたの。Evansという家名はウェールズでは日本の鈴木や佐藤、田中に当たるほどポピュラーなものだしね。ケルトと言えば、アイルランドやスコットランドをまず連想する人が多い中、ウェールズ、Cymruここに在り、という気概で彼はギターを弾き、歌っていたのよ。日本の天台本覚論でいう『山川草木国土悉皆成仏』、だれにも、どんなものにも仏が宿るという思想が、Cymru人の自分にとってはその『仏』を神や妖精に置き換えるだけー
その親近感を彼はよく私に訴えたものよ。」

俺は嫉妬心を覚えながら聴いていたが、この長い話のまとめに入ったー

「ところが、なんと自分にはユダヤ人の血も、そしてそのユダヤ人をポグロムやホロコーストで迫害、殲滅しようとしたドイツ人の血も、しかもバッハラッハで現にユダヤ人コミュニティーを壊滅させた人の血も受け継いでいたなんてと彼は半狂乱になるほどショックだったということなんだね。

でも、いいじゃないか、Cymru人、ウェールズ人で汎神論の愛至上主義者だと自分が思うなら、先祖がどうだった、なにをしたとか、関係ない。俺だって、2のn乗で、例えばn=4とかになったら、その16人の先祖のそれぞれが誰でどんなことをしたかなんて全くわからん馬の骨だ。

ただ、まあ、Nigel君、いくらロック音楽の自由な表現だとしても、自分をMessiahみたいに言ってはいけなかったよね。どんなに汎神論こそが地球を救うと思い、その普及のため自分はリーダーになるんだと確信していてもね。」

凛はしばらく黙っていた。

そして、

「Call me Hannah Lynn, again」

と言った。


(つづく)




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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その23

ハイドレインジャ
その23

どちらの家へ行くかは、結局先に着く方ということになった。
普通の道順で行けば、町田市の多摩丘陵地区からは成城2丁目の方がほんの少しだけ近かった。

凛の豪邸にはクルマが3台駐められる。車庫にあったのは1台だけ。白いMiniだった。

「愛車?」

「ええ。世田谷を走るのには小さいのがbestだから。」

クルマを降りて、駐車場から前庭に出た。

「あの数寄屋風の格子戸、通りたかったなあ。」

俺がそう言うと、「セコム解除したからいいわよ」と凛。
俺は格子戸を内側から開け、一旦外に出て、慎ましい感じでところどころ照明が施されている豪邸を正面から眺め、また格子戸の玄関から入って前庭のアプローチへ。凛が玄関のところで俺をにこやかに見ていた。

「すごい家だなあ。」

俺は広い三和土に入って嘆声を上げた。

「和洋折衷ぶりが絶妙だ。品がいい。」

「父母の趣味よ。私も好き。」

凛はそう言って、俺のためのスリッパをきちんと揃えて上り口に置いてくれた。
俺はそれを履くや否や凛を抱きしめた。凛も強く抱き返してくれた。

俺は熱情が冷めぬまま、ちょっとフラつきつつリビングに入ると、「何十畳あるんだ、ここは!」と凛には聞こえないように言い、絶句した。家具の趣味のいい配置、照明具合、すべてがclassyとしか言いようがない。奥の方はダイニングルームに接続していて、カウンターキッチンが見える。

「お昼に食べてからだいぶ経つわね。何か食べたいものがあれば作りましょうか。」

凛が訊いた。

「いや、そりゃ手間だろう。」

俺がそう言うと、

「朝に作っておいたstewがあるわ。それとバゲットでいい?」

俺は一瞬、凛は俺がここに来ることになると想っていた、あるいはそうするよう導くつもりだったのかと思ったが、もちろん口は出さなかった。

「最高じゃん。ただ、まだいいよ。さっきの話、まず聴きたいな。」


凛が「Earl Grey飲める?」と俺に訊いて、俺はまたアホみたいに「最高じゃん」と答えた。<遠くに見える>キッチンにいる凛を見つつ、俺はダイニングのテーブルへと移動した。凛のことをずっと見つめている。夢じゃないのかと思わざるを得ないような時間だった。

カップをテーブルに置いて、

「ユウはブログでsynchronicityのことも書いていたし、なんら不思議は感じていないでしょう?」

と凛が言った。

「え?」

「ユウが話してくれた坂口安吾の太宰自死について書いたものにローレライが出てくる・・・そしてクルマの中ではBurt Bacharachの歌が流れ、私が話すつもりだった、あるいは、話さねばならないNigelとのドイツ・ラインラントのバッハラッハ、ローレライでの思い出、出来事が、同時的につながっているのよ。」

「そ、そうだね。」

俺はそう応じて、Earl Greyの香りを嗅ぎつつ、波立ち始めた心を無意識に静めようとした。

凛はしばらくEarl Greyを飲みながら黙っていたが、

「私ね、半狂乱のNigelに言ったの、言い聞かせたのー

(For) if anyone thinks himself to be something, when he is nothing, he deceives himself.
(何者でもない者なのに、己を一廉の者だと見做すなら、彼は己を欺いているのだ。)

これは『ガラテアの信徒への手紙』6章3節のことばよ。そして、『For each one shall bear his own load、おのおのが己の重荷を背負うのだ』という5節も彼に浴びせるように言ったわ。すると彼は電撃に打たれたようになって、ヘナヘナと跪いたのよ。

最後に私は、同じく9節、『And let us not grow weary while doing good, for in due season, we shall reap if we do not lose heart. (善を行いながら弛むこと勿れ、心失わずいれば、時が来て、実を刈り入れられるがゆえ)』と彼に語りかけたの。」

「そしたら?」

「Nigelは泣き出したわ。俺には見えた、はっきり見えたって言って。」

「うん?」

「『俺が傲慢で自惚れていたわけが』と。」


(つづく)



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Mooさんに<お広め>いただきました

Mooさん、ハイドレインジャを貴ブログに取り上げていただき、ありがとうございます!

ユウと凛のこと、「MNEMOさんの憧れというよりむしろ、
こうありたいと願う自分とその分身なんじゃないかなあ。」

また「知的で幻想的でもあるMNEMOワールド全開です。」

ご感想ありがとうございます。

後段はさておき、なるほど、と申しておくに留めておきます。

これは後に映像化しますので、絶対書き上げます!
まあ、いつ終わるかは私も分かりませんが。


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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その22

ハイドレインジャ
その22

「Nigelのことだけどー」

俺は少し躊躇はしたが、切り出した。

「驚きね。」

凛が、脈絡なく、そう言った。
俺はカーステレオの音量を下げた。

「何が?」

「さっきBurt Bacharachの曲がかかっていたでしょう。」

「うん。」

「Bacharachって、まずそのLoreleyの在るところって言っていいのよ。世界遺産のライン渓谷中流上部の都市。」

「え?地名だったの?」

「私、行ったことがあるの。」

「・・・Nigelと?」

「そう。」

凛は重苦しそうに返事をした。

「私がNigelと最初に会ったのは、先日言った通り、ロンドンで母と暮らしていた頃、およそ20年前のこと、つまり一旦日本に戻っていて、私が玉川上水でDTに出会って、後に再び渡英してすぐのことよ。再びって言うのは、私はイギリスで大学を出ているの。CambridgeのFaculty of Modern and Medieval Languages and Linguisticsで、言語学が専攻だった。

ミュージシャンとして、私はピアノを弾き、歌も唄ったけれど、フロントに立つより作詞作曲家として生きていければって願っていたの。特に作詞家としてね。

前に話したカムデンでのgigでNigelの音楽に魅せられた私は彼と付き合うことになったの。彼は自身がウェールズ人だと言っていたけれど、母方の曽祖父がドイツ出身だったって。初めて二人で旅行するということになって、彼はバッハラッハ(Bacharach)を中心にライン川を見たい、Loreleyの岩山を見たい、というのもその曽祖父の家は元々バッハラッハに在ったという話をお母様から聞いていたからなのね。

ガイドブックを見ながら、そして地元にあった歴史館のパンフレットを読みながらバッハラッハを歩いていると、段々Nigelの様子がおかしくなってきたの。何かブツブツ言ったり、首を小刻みに左右に振ったり。

ヴェルナー礼拝堂(Wernerkapelle)という13世紀に起きたある事件の犠牲者を祀ったKapelleの廃墟前に来ると、彼は<壊れた>の。」

「壊れた?」

俺は聞き返した。

「ええ。半狂乱になって、あの自分の歌、The Plotterを歌い出し、そして、

Blessed are those who believe without seeing me!
(我を見ることなく信ずる者こそ幸いあれ!)

って、John(ヨハネ)の24章29節のことばを叫びにして倒れたのよ。」

「つまり、自分の歌の歌詞 Whoever calls on the name of MINE shall be saved を歌って、そのヨハネの一節を叫び、倒れた?」

「そう。復活を遂げたJesusを信じないThomasが、やっとJesusを眼前にして信じたー
そのことを訓戒することばだわ。」

「でもなぜ、Nigelはそんな風になったの?」

「それを話し出すと長くなるわ。私の家か、ユウの家か、どちらかで続けましょう。」

俺はどちらにするかは決めぬまま、「わかった」と言い、エンジンをかけた。


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その20

ハイドレインジャ
その21

日が暮れて、凛と俺はクルマの中まどろんでいた。
クルマは町田市の多摩丘陵の、開発がまだされていない<奥地>、木立の陰ー

「昔太宰さんのこと、ちょっとだけ調べて、いわゆる『無頼派』の友人だった坂口安吾の、太宰の死を受けて書いた『不良少年とキリスト』を読んだことがあったんだ。」

俺は囁いた。
凛が俺の方へ顔を向けたようだった。

「そこで坂口さんは、太宰はローレライにしてやられた、とかって書いていたよ。」

「Loreley?」

凛がまたもや、そして今度はドイツ語を、美しく発音した。

「な〜じかは知〜らね〜ど、の。」

「あ〜、Ich weiß nicht, was soll es bedeuten, daß ich so traurig binね。」

「ハイネの詩なんでしょ。訳した日本人、原詩をできる限り忠実に映していて立派だなって思ったなあ。『なじかは知らねど、心侘びて』。ほら、漫画の原作を実写化するときに脚本家が無体にも改変して原作者を致命的に悲しませるってことがあるじゃない。だからこの『ローレライ』の日本語訳者、え〜と・・・。」

「近藤朔風ってあるわ。」

凛がWikiを読んでいる。

「そう・・・近藤朔風。」

「Goetheの『野薔薇』も訳しているみたい。」

「ああ、Sah ein Knab' ein Röslein stehn, Röslein auf der Heiden!」

「Schubert版。ユウさん、なかなかの発音ね。それにさすがはsinger、うまい。」

「童は見ぃたぁり、野中のばーらっ。」

凛はクスクスっと笑った。

「なにしろー」

「出たあ。」

凛がまた笑った。今度はキャッキャと。

「なにしろねー」

俺も楽しく続けた。

「太宰さんはローレライにやられたって。ローレライは『ささやく岩』って意味なんだよね、確か。ライン川の難所で、突き出た岩山、そこに船乗りたちを誘惑、temptし、結局<転覆>など水難に導く妖精ありって。」

凛は今度はギャハハと笑った。

「坂口安吾さんは、そのローレライは太宰さんにとって酒だった、と。もちろん心中相手の方のささやきも重ねてはいるんだろうけれど。凛にとっては、太宰さんが<ささやく紫陽花>になったってガ。」

「貫入場所はDTにとってはどこでもいいんでしょうけれどー」

と凛が言った。

「やはり、自分がDTになる前のゆかりの場所に求めるものなのかしらね。」

「そこを通る誰か、<波長>が合って、さらにいろいろな理由で4Dの世界により高次の世界から貫入して何かしら働きかけをせざるを得ない、あるいはそうしたい誰か・・・それが凛だったんだろうね。」

凛が体勢を直す音が聞こえた。

「あのときー」

凛が吐息混じりに言った。

「私はあの時確かに創作に行き詰まっていた。傑作をものしたいという意欲が、強迫観念っぽいものになってしまっていたと思うわ。肝心なのは自分が納得できるかということなのに、他者の評価ばかりを気にしていたの。今になれば愚かなことだって簡単に分かることだったのに、気づけなかった。自分で納得できて、かつ、他者も評価してくれる作品をどうしても産み出さなきゃって。」

「そりゃあそうだよ。」

俺は応えた。

「自分の納得だけだったら、それこそ『風の便り』の井原が言う、<心境未だし、ひとり合点なり、きめ荒し、生活無し、不遜なり、思想不鮮明なり、俗の野心つよし、にせものなり、自己陶酔に過ぎず、衒気、おっちょこちょい、気障なり、ほら吹きなり、のほほんなり>辺りを言われてしまうのがオチだもんね。それでも、それでもだよ、自分が納得できるかが決定的だよね。だから自分の藝術的基準を絶えず押し上げていかねばならない。」

「そうなの。」

凛は顔を窓外に向けたようだった。

「だからね、特に『生活なし』のところで、私は生きなければいけないって思ったの。まず私は経済的心配がない立場だった。いわゆる漱石の謂う『高等遊民』。生活感なんてまず皆無だった。だから、私のことば、私の作品に、まるでヒッグス粒子みたいに質量を与える<経験>が必要なんだって。」

「生活苦もあるかもだけど、恋愛のことかい、さっきの話から言うと。」

と俺は応じ、さらに続けたー

「ヒッグス粒子のような質量を与えるもの。でもさ、質量って<動きにくさ>なんだよね。人生経験、恋愛経験て、もしかすると自分を雁字搦めにしてしまうのかも。子ども、特に幼児の絵がすばらしいって思うとき、それは経験が限りなくゼロに近いからじゃないかって思うんだ。<さかしら>がないから、とも言えるかな。そんなのすばらしくないって言う中島義道さんや山田詠美さんみたいな人もいるけど。二人は動きにくさの中での思想や表現こそって思っているのかな。だとしたらマゾヒスティックだね。」

凛が俺を見つめているのを感じた。
さらに俺は続けたー

「この世の成り立ちにとってヒッグス粒子のおかげっていうのはあるんだろう。それどころかその粒子がなきゃ成り立たないっていうぐらいのもんなんだろう、俺はよくわからんけどね。ところでさ、凛、この世で、ヒッグス粒子が働かない、動きにくさ=質量がゼロのものって何だか知ってる?」

凛は少し黙っていたが、

「光ね」

と答えた。

ずっと低音量で流している俺「お気に入り」のポップスは、ちょっと前までBurt Bacharach作曲、Christopher Cross歌のArthur's Themeだったが、そのときはBeatlesのThe Wordになっていた。


(つづく)



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Many MORE Happy Returns!

今日はMooさんのお誕生日です。
おめでとうございます!

まだまだ「『色気』は沢山ある」とのことで、カッコ付きにしたのはどういうことか。笑

その「色気」の発揮を期待しております!


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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その20

ハイドレインジャ
その20

俺たちは話しながら、20年前だかに凛がDT、つまりおそらく津軽出身の大作家が、次元超越をして現れたというM学園近くの玉川上水へやって来た。

「俺が一緒にいる以上、そして真昼間だし、DTさんは出て来ないよね。」

俺が笑って言うと、

「時間は関係ないと思うけど、なにしろ私、すっかりおばさんだし」

と凛が応答した。

「いや!」

俺は即座に否定した。

「DTが今の凛さんにも惹きつけられないはずはないよ。」

凛は苦笑した。

「ありがとう。ところで、DTがこちらへ入って来る<貫入部>はどこかしらね。」

「僕は昔、夏なら蜩(ひぐらし)が鳴くところではないかってブログに書いたことがある。」

「ええ。読んだわ。もう六月も中旬だし、この辺り蜩が鳴き出したかな。」

「どうだろうね。確かに六月でも成城の丘で夜明け前や薄暮で鳴くのを僕、聞いたことがあるよ。この辺りはどうだろうね。」

「見て。上水の柵から紫陽花が顔を出している。この辺りは紫陽花がいっぱい咲いているわね。」

「そっか。案外紫陽花、それもDTが好きな色合いのものから今彼、僕らを見ているかも。」

「ありうる!」

「『ちぇ、今回は、と言ってももうそっちじゃ20年経ったようだが、あの子はpetit ami(彼氏)付きか。なんだよ、冴えねぇvieil homme(爺さん)じゃねぇか』なんて、東大仏文科除籍のあの人、言ってそうだ。」

凛は大笑いして、「ユウさん、フランス語知ってるのね!」と言った。

「身近な単語だけ。フランス語に興味を持ったのは、シルヴィ・バルタンとミッシェル・ポルナレフのおかげ。でも結局齧ったとも言えないほどしか勉強しなかったなあ。」

「あー!」

凛が歓喜を含む声で叫ぶように言った。

「Irrésistiblement! シルヴィ・バルタンの『あなたのとりこ』。母が大好きで、私もよく聴いたわ。確かユウさん、この歌の記事を書いてらしたわよね。」

「ええ。HideSさんと言う方の、この歌の第4verse訳詩で、

涙の後 喜びが戻るように
冬の後 花の季節が戻るように
ちょうど人が『全ては死ぬものだ』と思う時に
愛は勝利者となって戻ってくる

っていうのに打たれたんですよ。」

すると凛がその部分を歌い出す。

「Comme la joie revient apres les pleurs
apres l'hiver revient le temps des fleurs
au moment ou' l'on croit que tout se meurt
l'amour revient en grand vainqueur」

俺は凛の心掻き乱されるような、扇情的な、妖美なフランス語に電撃を喰らったようになった。そしてなんという可愛らしい声だったろうか!まるで少女のそれだった。

「凛さん、たまらずDTが出て来るよ!あなたをどうしても称揚したくなって!」

そのとき、風もないのに凛のそばの紫陽花が大きく揺れた。
俺は咄嗟にその紫陽花と凛の間に割り込んで、凛を抱きしめた。

「もう、たまらない。ダメだ。」

俺は凛をさらに強く抱きしめた。
凛は全く拒まなかった。

紫陽花を見ると、もう揺れてはいなかった。


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その19

ハイドレインジャ
その19

「俺もその鋲の礫、受け続けてきたなあ。」

俺は言った。

「今だって、自分が歌であれ、文章であれ、自己表現するとき、さすがにこの歳になると他者の批評をもらう機会はほとんどなくなったけど、その代わり自分で自分にその鋲の礫をぶつけるよ。」

「ええ、よく分かります。」

凛が何度も頷く。

「ユウさんはもうほとんど他者の批評は要らないところまで来たんですよ。」

「大成した、もう極めた、とかでは全然ないけれどね。」

俺は頭を掻きつつ言った。

「自分の表現について大体のところ自己批評できるようになっているよね。」

「ええ。そうでしょうね。」

凛が諾なった。

「それでね、その『風の便り』の文庫本がバッグの中にあることに気づいて、そういうことかと思い、そのDTに私、思い切って尋ねたんです、『あなたは太宰治さんですか』って。」

「うんうん。」

「DTは、そう、そのときは、微かに見えたのだけれど、弘前高校時代の写真の顔になって、『まあ、それはいいから』って。『君は創作、表現活動に行き詰まっているんじゃないのかい』って言うんです。」

「ほうほう。」

「そうしたら、『君は恋をしているかね』って。」

「出た!していないなら、俺がその対象になってやってもいいぞ、とか言った?」

凛はハハッと笑った。

「私、太宰さんは『風の便り』で『文学とは、恋愛を書く事ではないのかしら』と木戸一郎に言わせていますね、って返したんです。」

「うんうん!」

「そしたらDTが『それはそうでしょう』って。『あなたの表現活動の源は他者を求める欲情でないと言い切れますか』って。」

「なんて返事をしたの?」

「言い切れません、って言ったわ。その通りだとかなり痛烈に思い始めています、って。DTは、今度は、またも幽かではあったのですけど、銀座で飲んでいる時に撮られた写真の顔になって、ニンマリと笑って。『その、君に求められている男性が羨ましいね』と言ったんです。」

「ち。」

「私は少し憤然と『風の便り』の文庫本を取り出し、街灯の下に立ち、太宰さんのすばらしさは、先輩作家・井原退蔵にこの言葉を言わせたところにあると私は思っていますと言って、この部分を読み上げたんです。

『君は、愛情のわからぬ人だね。いつでも何か、とくをしようとしていらいらしている、そんな神経はたまらない。人に手紙を出すのも、旅行するのも、聖書を読むのも、女と遊ぶのも、井原と冗談を言い合うのも、みんな君の仕事に直接、役立つようにじたばた工夫しているのだから、かなわない。そんなに「傑作」が書きたいのかね。傑作を書いて、ちょっと聖人づらをしたいのだろう。馬鹿野郎。』」

「おお!すばらしい言葉だ!」

「『自分は君に、「作家は仕事をしなければならぬ。」と再三、忠告した筈でありました。それは決して、一篇の傑作を書け、という意味ではなかったのです。それさえ一つ書いたら死んでもいいなんて、そんな傑作は、あるもんじゃない。作家は、歩くように、いつでも仕事をしていなければならぬという事を私は言ったつもりです。生活と同じ速度で、呼吸と同じ調子で、絶えず歩いていなければならぬ。どこまで行ったら一休み出来るとか、これを一つ書いたら、当分、威張って怠けていてもいいとか、そんな事は、学校の試験勉強みたいで、ふざけた話だ。なめている。肩書や資格を取るために、作品を書いているのでもないでしょう。生きているのと同じ速度で、あせらず怠らず、絶えず仕事をすすめていなければならぬ。駄作だの傑作だの凡作だのというのは、後の人が各々の好みできめる事です。作家が後もどりして、その評定に参加している図は、奇妙なものです。作家は、平気で歩いて居ればいいのです。五十年、六十年、死ぬるまで歩いていなければならぬ。「傑作」を、せめて一つと、りきんでいるのは、あれは逃げ仕度をしている人です。それを書いて、休みたい。自殺する作家には、この傑作意識の犠牲者が多いようです。』」

「おおお、おおお!」

俺はこの時点で太宰治という作家をひとつも理解していなかったんじゃないかと強く自覚した。自覚ない自意識過剰者ほど手に負えない者はいない。太宰は、自意識過剰、自己愛過剰だったには違いないが、そのことを同時に冷徹に見つめ、自覚していたのだ。

「そしたらー」

と凛が続けた。

「DTは咽び泣きを始めたんです。ああ、俺の妻も、恋人も、その部分を書けたあなただから愛しますって言ってくれたんだよ、って言いながら。」

俺は目を瞑り、心を震わせていた。

「私とDTはずっと玉川上水を遡って歩いていたんです。DTが忽然と姿を消したのは、『玉鹿石』のところ、つまり太宰と山崎富榮が入水したところでした。」


(つづく)




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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜その18

ハイドレインジャ
その18

「ユウさんなら信じてくださると思うんですけどー」

凛が歩みを止めて言った。

「次元の貫入部分を私、感知できるんです。そしてその境を出入りする存在が知覚できるんです。」

俺はもちろん全く戸惑わなかったとは言わないが、俺自身もそういう能力がもしかするとあるんじゃないかと思ってもいたし、凛はそういうことを俺がブログに書いてきたのを読んでいたのだろうと思ったから、

「ええ、もちろん信じます」

と凛を正面に見てキッパリ応えた。
凛は頷いて、

「私、その中年男性は太宰治、津島修治だと直感しました」

と言った。

俺は驚かず、うんうんと頷いた。

「顔が似ているとか、そういうのはわからなかったの。まず第一に暗かった。そして表情が見えそうで、有名な自裁前のいかにも病気な顔に似ていると思うと、津軽時代の少年の彼の、彼自身が忌み嫌った嘘笑いの顔になったり、そんなふうに、くるくる顔が変わっているように見えたの。マント様のものを着ていたりしていたから、まるであの中国の変面みたいだった。

それでね、私はファンとは言えないって即座に答えたんです。」

凛がそう言って、頬を両手で覆った。

「『正直でいいね』って<次元超越者>は言いました。少し訛っていてね、素朴な響きでした。『そんでも太宰ってぇ名前は知ってんでしょ』って。それは、その人は昭和初期を代表する文豪として認められていますから、って言いました。

『君は太宰の作品は読んだことがあるのかい』とさらに問うてきたんです。私は、『ダス・ゲマイネ』がおもしろいと思いましたって答えました。筋と言うより、その題名が青森の南部弁と太宰さんのお里、津軽弁の混交だという<んだすけ、まいね>のモジりだと知って、それはinteressant(ドイツ語でinteresting)だとまず思い、さらにgemeinというドイツ語は英語にすればmeanであって、このmeanもgemein同様に、卑しい、通俗なという意味と、平均という意味があることに感動したというのがありましてって言うと、次元超越者は、『君は語学がよくできるね。僕はフランス語を少々齧った。ドイツ語は、高等学校と大学で第二外国語として習ったに過ぎんのだよ』って。ますます私はこの次元超越者、dimension-transcenderは、太宰さんだって確信したの!

『そんでも、小説としておもしろがってくんねぇとな』ってDTは、Dimension-Transcenderは言ったわ。私は、青森では<んだすけ、まいね>が<そうだから、ダメなんだ>という意味で、そしてドイツ語的にはそれが<卑しさ>に聞こえる点に着目し、芥川賞を逃した痛憤をユーモアにしてその作品に託した太宰さんには敬意を持っていますわって言ったんです。『そうか、そうか』ってDTは喜んだわ。」

凛はベンチを見つけて、そこへ座りましょう、と言った。ベンチは少し湿っているようだった。凛はビニールのシートを持っており、それを敷いた。さらにサーモを取り出し、俺にコーヒーを注いでくれ、彼女も持参のカップに注いだ。

「私はね、その頃二十代、大学を出て、何かしらの表現活動で生きていきたいって思っていたの。」

凛はコーヒーを一口飲んで、フウと息を吐いてそう言った。

「その日会いに行ったR女学院の教師をしている友人とは、Londonで知り合ったの。彼女と英国人の仲間とでバンドを組んでいたんです。ロンドンとその周辺風景を動画で撮って、それをバックに私がその風景にまつわる短編小説を書き、朗読し、節目節目で私たちのオリジナル曲をinsertするというスタイル。」

「へえ、そりゃあいいね!」

俺はすぐに模倣したい形式だと思った。

「ところが結局なんだかんだでうまく行かず、私もそのR女学院の子も日本へ帰国っていうことになったんです。悔しさは残っていて、帰国してすぐにR女学院の教師になったPaulie、nicknameだけれど、Paulieに残務整理したいから彼女が管理を担当した楽譜なんかのペーパー類を私が預かりたいっていうことで彼女を訪ねたんですね、その日は。

それでね、今考えると不思議なんですけど、私、電車に乗っている間に読む本をなぜか太宰さんの『風の便り』にしたんです。この小説のことは先日も話しましたよね。

理由は本当にさっぱりもう思い出せないんですけど。でもね、その小説に出てくる木戸一郎という中年作家が、老練先輩作家たちから受けるネガティヴ批評の、鋲の礫みたいな形容のことばに私、小田急の電車の中だったか、井の頭線の電車の中だったかで、打ちのめされて!」

そう言って凛はスマートフォンで『風の便り』を検索し、当該部分を読み出した。

「<心境未だし、デッサン不正確なり、甘し、ひとり合点なり、文章粗雑、きめ荒し、生活無し、不潔なり、不遜なり、教養なし、思想不鮮明なり、俗の野心つよし、にせものなり、誇張多し、精神軽佻浮薄なり、自己陶酔に過ぎず、衒気、おっちょこちょい、気障なり、ほら吹きなり、のほほんなり>。」


(つづく)



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