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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その8

ハイドレインジャ
第3部その8

昼飯の時間になって、俺は居間で自分のクルマから持ってきたラップトップを開いている凛にどうするかを訊いた。

「ねえ、ユウ。私とのこと、ブログに書いてみて。」

凛は俺が20年近く書いてきた膨大な数のブログ記事を<また>読んでいたようだった。

「俺の、ここにアップロードした野川にいただいた歌に、共感した成城に住む女性と今愛し合っていますって?」

「それでもいいし。」

凛は硬い表情を崩さなかった。

「迷う?」

「迷わないさ!」

俺は即座に否定した。

「でも、なんで急に?」

「ダイアナの鏡さんの反応を見たいのよ。反応しないならしないでいいし。それも反応だから。」

「で?」

「ダイアナさんとできれば知り合いたいのよ。」

「え?」

俺は当惑する。

「私ね、ダイアナさんて、さっき話したHenry Constableのソネットのこともあるし、Diana Nemorensisのことも知ってらして、ハンドルネームを考えたんだと思うの。」

「ダイアナ・ネモレンシス?そのnemoってぇのは、ギリシア語の方の<森>かい?でもなんだかラテン語っぽいね。ラテン語だとnemoはnobodyのことじゃないか。」

「混合っぽいわね。『森のダイアナ』よ。ダイアナ、アルテミス、セレナ、ルナ・・・みんな月の女神。ギリシア神話のアルテミスがローマではダイアナ、同じようにセレナがルナにって感じ?」

「ふ〜ん。それで、『森のダイアナ』がどうしたんだい?」

「その森の中央に立つ木は不可侵なのだけれど、逃亡した奴隷がそこに到達できて、枝を折ったら、Rex Nemorensis、つまり森の王に挑戦でき、王を殺したら、次の挑戦者が現れても負けない限りは王でいられるのよ。この血生臭い<革命>が後に第3代ローマ皇帝カリギュラによって停止されたけれども、剣闘士(グラディエイター)という見せ物になっていくの。」

「うん。それで?」

「今話した<革命>の森のことはいいとして、月、なのよ。森と月。ユウが大好きな組み合わせじゃない!」

「うん。血生臭い話は忘れられないけれど。」

「ユウのことをものすごく理解している、しかも、とても知的な人!」

「ああ。でもRex Nemorensisはなあ、ちょっと怖い話だなあ。」

「だってユウは詩を書くとき、なんていうペンネーム使っているの?」

「作曲の時はNemo(森)で、作詞の時はKing Reguyth・・・ゲッ。King=Rexを使ってるね!」

「何忘れてんのよぉ。」

「いやあ、このペンネームは俺の田舎の<足首を捻る>ことを<きんぐりがえす>っていうもんだから、世界で俺の會津の故郷でしか使われないこの方言のユニークさにあやかって付けたんだ!王様のことなんて実は全く意識していなかった。」

「ね、とにかく、ユウにまつわることを見事にペンネームに込めているのよ。『ダイアナの鏡』っていう名の由来を調べてみると、その意図がわかるのよ。」

「そっか、そういうことか。」

「こんな重層的な仄めかしができる人、すてきじゃない!私、会ってお話ししてみたいの。私、きっとダイアナさんなら私と同じように思うはずって思うのよ。ユウが私の存在をブログで明かして、私が『ダイアナの鏡』というハンドルネームの深読みをしたことを書けば、きっと。そして私がダイアナさんに会いたがっているって書けば、間違いなく!」

「フヒャ〜・・・。で、昼飯どうする?」


(つづく)



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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第3部その7

ハイドレインジャ
第3部その7

翌日俺は溜まっていた仕事をしなければならなかった。
リモートで英語を教えたり、英語教材を製作するー
俺の受験英語参考書はそれなりの評判で、たまにしか入ってこない音楽の印税の数百倍になる。本の体裁はスタイリッシュで、文字の選定からレイアウト、装丁など、大堀に任せたものだ。大学入試英語を40年以上研究してきての成果であり、受験生には痒いところに手が届く解説が受けている。

最近出版社が新しい切り口の参考書を出さないかと言ってきた。米英の放送媒体、例えばCNNやBBCなどのホームページにある文化や歴史、科学などなど、政治ニュースを除いた記事の速読法を教えるのだ。

午前中はその本の原稿書きとなった。
凛がときどき作業する俺の後ろに立って、俺の頬にキスをしながらPC画面を覗く。

「イギリス王室は一難去ってまた一難ね。」

「ああ。王様も、Princess of Walesも病気になっちゃって。」

「やっぱりあのダイアナ妃のチャールズさんとの離婚とその後の不可解な死亡事故があってからは、どうもギクシャクが止まらないわね。」

「・・・そう云えば、『ダイアナの鏡』さんから久しぶりに俺のブログへ投稿があったよ。」

「What did she have to say?」

「Hannah Lynnは『ダイアナ』さんは女性と見ているんだね。」

「それはそうよ。もちろん男性であっても驚きはしないけれど。で、何て?」

「俺の小林秀雄についての記事にコメントで、曰く『小林が強く共感した、柳田國男が自分の14歳の時の記憶のことを思い出します。柳田と同じsensitivityをユウさんもお持ちですね』と。」

「その柳田國男の記憶って?」

「柳田が、茨城県の布川というところに在る彼の長兄の家に預けられていた頃のことで、近所の旧家の庭にある祠に目を留めて、それに祀られているのは何かとその家の者に尋ねると、『死んだばあさん』だと告げられる。柳田はどうしても祠の中を見たくなって、盗み見てしまう。すると握り拳くらいの美しい蝋石が中に在った。その途端彼はヘナヘナとなって、しゃがみ込み、空を見上げると、真っ昼間なのに数十の星が見えたと。そんなはずはないと思いながらも興奮していると突然鵯(ヒヨドリ)がぴいッと鳴いて我に帰ったー

という思い出さ。鵯の一声がなかったら、発狂していただろうと述懐するんだ。」

凛は柳田のその体験にそれこそ強い共感を覚えているらしく、「ああ!」と後ろで嘆息を吐く。

「そのコメントがついた記事って?」

俺はそのページを見せる。

白頭鳥の聲谺する川縁の木立より飛ぶサジタリウスへ

俺が2006年、ブログを始めたばかりの頃のページに掲げた自作の歌だ。白頭鳥とは鵯のこと。当て字だ。

「ひよどりのこゑこだまするかわべりのこだちよりとぶサジタリウスへ。」

俺が朗唱する。

「信じられんよ。サジタリウスって、もちろんHannah Lynnも知っている通り射手座のことだ。射手座には南斗六星があって、蠍座の尻尾の愛らしい3等星や4等星に連なっていてね、オリオンに劣らず好きな星座さ。俺はその2006年の12月、狛江の西河原公園に独りいて、ちょうど太陽が射手座にあるからその星座自体は見えるはずもないのだけれど、白頭鳥の一声で見えないサジタリウスへ、思いが、いや、俺自身が、一瞬で飛翔していく・・・そんな気分になったんだ。

俺はそれまでに柳田も小林も一度も読んじゃいなかった。」

「ダイアナの鏡さんて、ユウの許を去っていった女性じゃないの?」

凛が、疑問文ではあったが、それを確信があるという口調で言った。

「そのハンドルネームはHenry Constableのソネットを思い出させるわ。プラトニックな恋愛。」

「え?」

俺は凛の言っていることが皆目わからない。

「Constableはまさに日本の戦国末期、江戸時代始めの頃のイギリスの詩人よ。Shakespeareにも影響を与えたと言われているわ。Dianaは彼のソネット。愛する女性の目を鏡とし、その鏡で自分の心を映し、また彼女の心を占うの。」

「Constableって聞くと、18世紀、ターナーと並ぶイギリスの画家のことを思い出すなあ。」

「Turner? ターナーのこと、ブログで書いていたわよね。」

「ああ、うん。・・・これかい。」

「やっぱり!ダイアナさんからコメントが付いているじゃない。」

「ほんとだ。見逃していた!」

「ユウの書いたことはー

『よみうりランド対岸に着いてturnして、私がTurnerになると、
東の空は雲に覆われていましたが、1キロほど歩いている裡に、
My Sweet Lordがかかって、なんと雲が切れた。
そしてVenusとJupiterのなんとも言えない接近絵図に見蕩れたのです。
月に群雲を描こうと思ったものの、この希な二惑星のランデヴーが優先、
月の絵はターナー上げだ。』」

「何書いてんだ、オレ。」

「ダイアナの鏡さんはー

『惑う星同士の気まぐれなrendez-vousの方が描く価値が高かったんですね。
でも衛星の月は<付き>。
いつも惑う青い星を衛り、付いていくのです。』

ダイアナさんは最近コメントするようになったのね。」

「そうだね。」

「いよいよ<謹慎期間>を終えたのかも。」

凛はそう言って、書斎から出て行った。


(つづく)




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