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実験・新形態小説 『ハイドレインジャ』〜第2部その23

ハイドレインジャ
〜第2部その23

佐竹さんはN町では稀有な起業家だった。
俺が中学一年頃に彼が町中(まちなか)に開店したうどん屋へ足繁く通ったものだ。おいしいのに一杯たったの20円だった。いくら昭和40年代であっても、あまりに安いから、客の方が店の行く末を心配したものだ。

すると数年後彼は、そのうどん屋での儲けがあったからというわけでは決してないだろうが、如法寺の西隣に蕎麦茶屋を開店した。場所の良さもあって、現在でもその店は健在だ。

佐竹さんは語り出した。

「秋田県の知事、佐竹っていうのを知ってっかい。あれは甲斐源氏・源義光の流れ、佐竹家の嫡流なんだワイ。」

「ええ、知ってます。」

俺は答えた。

「義光は八幡太郎・義家の弟で、新羅三郎という別称があります。近江三井寺の新羅善神堂で元服したからですね。佐竹、甲斐の武田、小笠原、南部、平賀などが彼の子孫ですね。」

「良ぐ知ってんナイ。さすがは野澤一(はじめ)さんの息子だ。佐竹は平安時代末に常陸つまり茨城県に根をはったんだげんじょも、関ヶ原で東軍につかねで、家康に攻撃されかゲだ西軍の上杉とも共謀していだりで、家康に秋田に飛ばさっちまったのよ。何百年も、Hitachi, my home、だったのによ。」

凛が笑う。
佐竹さんはウケたと思って得意そうに続ける。

「秋田に飛ばさっち(されて)、常陸はもぢろん福島の浜通り辺りまでの勢力圏があって佐竹家は、80万石の大大名ガらほぼ60万石も減らさっちまったのナイ。家臣を養えねワイ。それでその中で出羽国で百姓する者が出てきたのよ。俺の先祖は佐竹そのものの血を引いでっかはわガんねげんじょ、山形県に根を下ろして佐竹を名乗る者だぢの一人なのよシ。」

「山形なら南に飯豊山を越えてすぐ會津ですもんね。まあ、何しろ佐竹さんのご先祖は元々常陸ということで。」

「んだ。んで、ほら、蒲生様が會津に入られる前、蘆名様がずっと會津を支配してらっしたベシ。」

「はいはい。蘆名を滅ぼした伊達政宗が會津支配ももくろんだけれど、秀吉に認められなかった。」

「そうよ。そんで秀吉の信頼厚い蒲生氏郷様が近江あるいは伊勢ガら来られんだワイ。」

「その敗軍の将の蘆名ナイ、最後の当主は義広だげんじょも、この人佐竹義重の次男で、養子だガらナイ。」

「はい。伊達政宗はそれにも怒って、いよいよ大決戦になって。摺上原の戦い、ですね。」

「んだんだ。俺のウヂの、まあ、家伝っつぅか、それによっと、蘆名一族でその家臣、麒麟山城城主金上盛備(かながみもりはる)は摺上原で戦死すんだげんじょも、生き延びだ一族郎党は、その金上の本家、今は會津若松市になってる旧河東村の藤倉一族んどゴにまず逃げで、彼らど共に南に落ち延びだっつぅのな。俺の先祖はそんとぎ、佐竹軍から<出向>してで會津にいで(いて)、その藤倉・金上の人だぢを関東に逃す手助けをしたあど(したんだと)。そういうわゲで、おらんちはその河東の藤倉二階堂さお参りにいぐのが習わしでナイ。」

俺は呆気にとられた。

「なじょした、野澤さん。」

「どうしたのユウ。」

佐竹さんも凛も俺を見つめる。

「俺の歌手としてのデビューは、その藤倉一族の末裔のおかげなんだ。」

俺がそう言うと、今度は二人が仰天する。

「俺はその一族でMickという人に見出されたんだ。」

「Mick?外国人の血も入ってる方なの?」

「いや、本名は藤倉転石というんだ。」

「てんせき?珍しい名前ね。」

「転石苔むさず、A rolling stone gathers no mossから取ったらしい。洒落たご両親だ。確かに音楽プロデューサーひと筋の人さ。そしてRolling Stonesが大好きになって、ストーンズと言えばMick Jaggerでその大ファンだから、自分の通称に使っているんだ。しかもー」

「Chicago?」

「いや、しかも。」

「ああ、しかも。しかも?」

「その人が會津蘆名一族の藤倉氏の末裔であることは俺が発見したんだ。」

「え?どういうこと。」

「Mick氏のご実家は、その摺上原の戦いの直後から続く上州桐生の根本(山)神社の宮司の家なんだ。」

「それが・・・?」

「俺の母方の祖母が根本姓なんだよ。」

「偶然だべ。」

佐竹さんが苦笑いしながら言った。

「いや、そうとも言えないと思っています。」

「ああ、そうだったわね。ブログで読んでいたわ。」


俺たちは佐竹さんが出してくれた朝食をほとんど手をつけられず話し込んでいた。
佐竹さんは、「わりぃガったナイ。どうガ、食ってくなんしょ。味噌汁、あっため直すべナイ」と言って、奥へ引っ込んで行った。


(つづく)



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